2010年6月30日をもって岩手日報の夕刊が「休刊」となった。岩手日報は、岩手県シェア1位の新聞紙であり、我が家も岩手に住むようになってから10年以上も購読し続けている新聞紙。今後も変わらぬであろうと思っていた新聞のスタイルが突如変わることとなり、身近に押し寄せた不況の波と、時代の変化に合わせて変わらざるを得なくなった新聞の有り様といったものに直面し、ふと絶対な事物などないこの世のことについて考えてみたりした次第。
引っ越しをせずに同じ新聞を取り続けている限り、ひとつの販売店がずっと配達してくれているわけで、朝刊の届く時間、夕刊の届く時間というのが、季節や天候によって若干の差はあれどほぼ決まっている。朝刊は、朝の5時を過ぎるとバイクの音が家の前に近づいて来て、ガタガタッっと音を立てて玄関ドアの新聞受けに入れて行く。配達のバイクは、我が家の前でUターンするため、ぐるっと方向を変えて走り去るまでバイクの音がしており、窓を開けて寝ていることが多い夏の朝は、このバイクの音でふと目覚めることが多い。音の主は毎朝のことで新聞配達だと分かるので、またすぐに眠りに就く。この朝の配達は、以前も現在も変わらぬ営み。
変わったのは、午後。6月末日までは、午後2時を過ぎると朝と同じくバイクの音が家に近づいて来て夕刊を届けてくれた。次男坊が幼稚園から帰って来るのとほぼ同時刻のため、幼稚園バスから降りて家の前でしばらく遊んでいると、新聞配達のバイクが近づいて来て、次男坊に渡してくれ、「じゃあね。バイバイ」というのがほぼ日課だった。おじさんから夕刊を受け取った次男坊は私に新聞を渡し、一つ仕事を終えたような表情を見るのも私の楽しみだった。
その夕刊にまつわる日課が7月1日からパタっと止んだ。前日まで毎日来ていたものが来なくなると、妙な違和感があり、慣れるまでにだいぶ時間がかかった。慣れたのは次男坊の方が先で、数日の間「新聞屋さん来ないね」と手持ち無沙汰風にしていたが、「夕方の新聞はもう来ないんだよ」という説明で納得したのか、すぐに口にしなくなった。いつまで経っても慣れなかったのは私で、夕食時に夕刊に目を通すのが10年以上もの間日課となっていたため、夕食時の手持ち無沙汰に慣れるまで随分と時間がかかった。毎日、この時間に夕刊を読んで情報を得ていたという行動記憶があるためか、脳が情報を欲しているようで、夕刊が無いと本当に寂しく感じられた。やっと最近になって夕刊のない夕食に慣れて来た。
夕刊が休刊となった理由は、「新聞広告収入減によりコスト削減の必要に迫られたこと」と「インターネット及び携帯電話の普及により情報生活が変化したこと」の2つ。どちらの理由についても納得できるので、夕刊の休刊は致し方ない事だろうと思う。新聞広告については、一般の個人が関与出来る話ではないが、インターネットの普及による情報生活の変化については、とてもよく分かる。私自身、ほぼ毎日インターネットに接し、様々なポータルサイトからニュースや情報を得て生活しており、時として夕刊よりも早く内容を知っている情報があったが、でも、夕刊で活字で印刷された情報を読むことにより、情報がより整理されて復習することが出来、新聞の有効性を身をもって感じていただけに休刊は誠に残念。
7月1日より朝刊は、夕刊を統合した形で新スタートとなり、ページ数が増え、ニュース以外の読み物も増えた。価格は、1ケ月3,007円から2,980円へと変わった。僅かでも安くなったのはありがたいけれど、でも夕刊がないのは寂しい。朝夕に新聞を読むのは、一日のリズムの要であったので、できることならまた夕刊を読む生活に戻りたい。再び夕刊が発行することのできる社会へと景気が上向くよう望むばかり。(r)