プロフィール

chaos infinity

Author:chaos infinity
レビュー・感想文サイト「CHAOS ∞」は、映画、音楽、本などなど…メディアで目にした作品の思い出や感想(レビュー)を投稿できるサイトです。

▽ただいま大々的に実施中!▽
ヤマトファンよ「ヤマト&復活篇 100の質問」に乗艦せよ!!

みなさんのご参加をお待ちしています!!


最新記事


カテゴリ


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


FC2ブログ
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
1979年は「オールナイトニッポン」で多くの『ヤマト』特番が放送された年である。
2月の4時間生ドラマ『さらば宇宙戦艦ヤマト』に続いて、5月25日にはラジオドラマの再放送が行われた。
深夜1時から3時までの第1部ではパート1を、3時から5時までは『さらば』を、西崎義展をパーソナリティーに迎えて4時間枠で放送したのである。

4時間生ドラマとはいえ、CMやスタジオでのトーク部分を除いた実質的なドラマ部分は正味2時間ほど。
とはいうものの、これを2時間枠で放送するとなれば当然ノーカット版にはならない。わかってはいても残念だった。
また残念といえば、『さらば』のラジオドラマの録音状態が悪かったという理由で、後半部分がドラマ編LP(カセットテープ版も発売されている)の音声に差し替えられるという事態に。

このドラマ編は映画のサウンドトラックをダイジェストにし、BGMやSEを改めて付け直し、音だけでも楽しめるように状況説明のために広川太一郎のナレーションを追加録音して再構成したものだが、何らかの事情によりそのナレーション部分を再度差し替え、代りに西崎義展が生で台本を読み上げていた。
ナレーション部分に差し掛かるとLPの音声がブツブツ途切れ、生ナレーションが終わるとまたLPに戻るという、何とも味気ないものになっている。 (e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『宇宙戦艦ヤマト』関連書籍などを見ると、1978年8月4日の深夜に「オールナイトニッポン」で『さらば宇宙戦艦ヤマト』の生ドラマを放送、とある。しかしこれは誤りだ。
8/4にはフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」枠でパート1の劇場版が放送され、それを受ける形で「オールナイトニッポン」が生放送の特別番組を放送したのは確かだが、この時は映画のオリジナルサウンドトラックを使い、ダイジェストの形で紹介したに過ぎない。
実はこの番組も途中で寝てしまったので最後まできちんとは聴いていないのだが、ドラマ紹介部分は少なくても新録音でも生でもなかった。
では生ドラマは・・・?

放送されたのは1979年2月10日。
これはTVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト2』がクライマックスに差し掛かった時期であり、何故このタイミングで『さらば』が放送されたのだろうか。
またキャストは『さらば』と『ヤマト2』の折衷であり、ナレーターの木村幌(土方艦長と兼務)、サーベラーの小原乃梨子らが交代組。

また前作は「古代進の日記」という形で構成されていたのに対し、今回は森雪のモノローグを多用。
しかし雪役の麻上洋子は盲腸で入院して手術を受け、退院直後だったため聴いていて痛々しかったことを覚えている。
W主役だった『魔女っ子チックル』も降板、最終回のみ代役(潘恵子)になってしまっているが、『ヤマト2』の収録には支障がなかったのか、それともスケジュール調整の故か、最後まで出演している。 (e)

| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『ペパーミントストリート』には西崎義展だけではなく、富山敬や神谷明、広川太一郎、伊武雅刀ら『ヤマト』縁のキャストも度々ゲスト出演。
その会話から、例えばTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト2』には地球に帰還した古代と雪のデートシーンがないことや、斉藤の出番が6話からになることなども明らかになっている。

79年も西崎義展は何度かゲストで出演し、『宇宙戦艦ヤマト/新たなる旅立ち』の主題歌「ヤマト!!新たなる旅立ち」の初披露はこの番組。その際は現在聴かれるようなコーラス部分がなく、いきなり勇壮なイントロで始まるものだった。秋口には、新番組『宇宙空母ブルーノア』の宣伝でも登場している。

またこの年にはもう一本『ヤマト』のラジオドラマが放送されており、二つの作品を混同している文章も見受けるのだが、こちらは聴取者から募集したストーリーをラジオドラマ化した、ファンの作った「パート3」。
『さらば』とも『ヤマト2』とも直接繋がらないストーリーで、何故このような企画が実現したのかは不明である。勿論『新たなる旅立ち』とも何の関係もない。

このドラマ版の出演は番組パーソナリティーのささきいさお、麻上洋子の他、富山敬、神谷明、小原乃梨子、伊武雅刀。
富山敬は古代と佐渡先生を二役で演じて見事な掛け合いを披露したり、伊武雅刀が仲村秀生のモノマネをしながら島を演じたり、小原乃梨子が真田を演じたり・・・。基本はシリアスなストーリーのはずだが、この掛け合いと生放送のドタバタ(?)故にかなりコミカルなものになっている。

ちなみに沖田艦長は神谷明、土方艦長はささきいさおの担当。
この日は『ヤマト』両輪の一方の雄、松本零士もゲストで参加。他にも何度か番組には出演していて、『銀河鉄道999』等の話題も提供してくれている。

前述の通り、この頃から番組はアニメを売りにはしなくなるようになり、『ヤマトよ永遠に』公開前に番組が終了したこともあって目立った情報はなくなる。 (e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『宇宙戦艦ヤマト』とラジオの関わりを語る際に欠かせない番組は、文化放送の『ペパーミント・ストリート青春大通り』。
谷村新司や武田鉄矢と並んでささきいさおが水曜日のパーソナリティーを務め、番組内で『ヤマト』を含めたアニメーションの情報も提供していたのである。

ささきいさおがパーソナリティーを担当していたのは、1978年4月から80年の3月までの2年間。
当初は夜の6時半から8時までの時間帯だったが、半年後には8時半まで延長され、更にゲスト出演で好評だったのか、麻上洋子が途中からアシスタントとして参加するようになる。
但し2年目に入ってからはアニメ番組としての比重は小さくなり、番組終了の頃にはほぼ皆無になってしまったのは残念だった。

78年はプロデューサーの西崎義展も何度か出演。
イメージソングである「星に想うスターシャ」、『さらば宇宙戦艦ヤマト』用の新曲「テレサよ永遠に」と「好敵手」の初披露もこの番組ではなかったか。
更に『さらば』用の新録音曲、「白色彗星」や「アンドロメダ」等もこの番組で紹介されていた。

有名なのは、5月31日に放送されたラジオドラマ版の『さらば宇宙戦艦ヤマト』だと思う。
白色彗星接近からヤマトの発進、ゴーランド艦隊との戦い、それにデスラーの再登場までを約30分でまとめた内容で、続編のストーリーがまとまった形で紹介されたのはこれが最初だろう。
その直前、5月26日には本格的なアニメ情報誌『アニメージュ』が創刊されているが(DVDのライナーノーツには6月10日創刊とあるが、これは間違い)、そちらにはもっと断片的な情報しか載っていない。

正式キャスト未決定ということで、土方艦長をささきいさお、司令長官と斉藤(の名前は劇中には出てこないが)の二役を田中信夫が演じた他は、古代、島、雪、真田、佐渡、加藤、アナライザー、デスラーらはオリジナル・キャスト。
ナレーションは広川太一郎で、テレサだけはこの時点で既に決まっていたのか上田みゆきが演じた。
ちなみにドラマはかなりの時間を掛けて収録したものだったようだが、番組自体は生放送で、ゲストとして西崎義展が出演。番組中で「斉藤は貴方に決まったよ」とささきいさお本人に告げる場面も。 (e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『宇宙戦艦ヤマト』のラジオドラマ、その白眉はやはり1977年12月1日深夜、ニッポン放送「オールナイトニッポン」枠で放送されたラジオドラマだろう。
木曜深夜の「オールナイトニッポン」1部は自切俳人(北山修)がパーソナリティーを務めていたが、この日もそのまま進行役。2部を含め1時〜5時までの生放送となった。

元々はこの後、12/25に発売予定だった『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』のプロモーション番組の企画が発展、単に音楽を流すだけではなく、ドラマにしてしまおうということになったらしい。
しかも録音ではなく、生ドラマ。
既に「オールナイトニッポン」では『HOUSE』と『がんばれ元気』を”4時間生ドラマ”として放送しており、『ヤマト』はその第3弾となる。

放送ギリギリでの台本完成、松本零士の出演ボイコットから急転直下しての番組終盤での出演等々、制作の裏側では色々なドラマが繰り広げられていたようだが、聴取者には関係ないこと。
ドラマの反響は良かったようで、以後「オールナイトニッポン」ではしばしば『ヤマト』をはじめとしたアニメーション関連の特番を放送するようになった。

小学生だった自分は、この番組を生では聴いていない。
頑張って寝ずに録音していた同級生に、後日録音テープを貸して貰って聴いたので、それほどインパクトは受けなかった。
その後、翌年の3月頃だったか、土曜か日曜の晩に再放送があり、そちらは一生懸命に聴いていたのだが、おそらく短縮版だったのではないかと思う。 (e)


| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
何となく『宇宙戦艦ヤマト』に関する思い出を書いておきたくなった。
というのは、最近書籍や雑誌に記されていたり、あるいはweb上で当然のように広まっている事柄の中には明らかな誤りがあるにも関わらず、当時を知る人たちは黙して語らず(既に興味を失ったか)、それを引用して更に誤った記事が増殖しているのが、どうにも居心地が悪いというか、気持ち悪いからだ。

別に偉そうなことを書く気はない。
リアルタイム世代なら普通に知っているはずのことを、忘れないうちに覚書に認めておこうという次第。
タイトル通りの「ひとりごと」
――漸次お付き合い頂ければ幸いである。

とりあえずラジオドラマ、ラジオを媒体にした『ヤマト』の思い出を、何回かに亘って綴っていきたい。

『宇宙戦艦ヤマト』のラジオドラマとして放送された最初のものは、1977年の夏(8月?)にNHK-FMで放送されたもの。
「ステレオ劇画」と題され、佐々木守が脚本を書き、あべ静江のナレーションで進行。ラジオドラマというよりは朗読劇の塩梅で、BGM(ヴァンゲリスの曲を使用)もSEもオリジナルとは程遠かったため、ファンには不評であったと聞く。
最近になって聴く機会があったが、やはりこれは別物だろう。
それとも当時のNHKが、『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げたことを”快挙”と呼ぶべきか。 (e)


| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
 2010年6月30日をもって岩手日報の夕刊が「休刊」となった。岩手日報は、岩手県シェア1位の新聞紙であり、我が家も岩手に住むようになってから10年以上も購読し続けている新聞紙。今後も変わらぬであろうと思っていた新聞のスタイルが突如変わることとなり、身近に押し寄せた不況の波と、時代の変化に合わせて変わらざるを得なくなった新聞の有り様といったものに直面し、ふと絶対な事物などないこの世のことについて考えてみたりした次第。

 引っ越しをせずに同じ新聞を取り続けている限り、ひとつの販売店がずっと配達してくれているわけで、朝刊の届く時間、夕刊の届く時間というのが、季節や天候によって若干の差はあれどほぼ決まっている。朝刊は、朝の5時を過ぎるとバイクの音が家の前に近づいて来て、ガタガタッっと音を立てて玄関ドアの新聞受けに入れて行く。配達のバイクは、我が家の前でUターンするため、ぐるっと方向を変えて走り去るまでバイクの音がしており、窓を開けて寝ていることが多い夏の朝は、このバイクの音でふと目覚めることが多い。音の主は毎朝のことで新聞配達だと分かるので、またすぐに眠りに就く。この朝の配達は、以前も現在も変わらぬ営み。

 変わったのは、午後。6月末日までは、午後2時を過ぎると朝と同じくバイクの音が家に近づいて来て夕刊を届けてくれた。次男坊が幼稚園から帰って来るのとほぼ同時刻のため、幼稚園バスから降りて家の前でしばらく遊んでいると、新聞配達のバイクが近づいて来て、次男坊に渡してくれ、「じゃあね。バイバイ」というのがほぼ日課だった。おじさんから夕刊を受け取った次男坊は私に新聞を渡し、一つ仕事を終えたような表情を見るのも私の楽しみだった。

 その夕刊にまつわる日課が7月1日からパタっと止んだ。前日まで毎日来ていたものが来なくなると、妙な違和感があり、慣れるまでにだいぶ時間がかかった。慣れたのは次男坊の方が先で、数日の間「新聞屋さん来ないね」と手持ち無沙汰風にしていたが、「夕方の新聞はもう来ないんだよ」という説明で納得したのか、すぐに口にしなくなった。いつまで経っても慣れなかったのは私で、夕食時に夕刊に目を通すのが10年以上もの間日課となっていたため、夕食時の手持ち無沙汰に慣れるまで随分と時間がかかった。毎日、この時間に夕刊を読んで情報を得ていたという行動記憶があるためか、脳が情報を欲しているようで、夕刊が無いと本当に寂しく感じられた。やっと最近になって夕刊のない夕食に慣れて来た。

 夕刊が休刊となった理由は、「新聞広告収入減によりコスト削減の必要に迫られたこと」と「インターネット及び携帯電話の普及により情報生活が変化したこと」の2つ。どちらの理由についても納得できるので、夕刊の休刊は致し方ない事だろうと思う。新聞広告については、一般の個人が関与出来る話ではないが、インターネットの普及による情報生活の変化については、とてもよく分かる。私自身、ほぼ毎日インターネットに接し、様々なポータルサイトからニュースや情報を得て生活しており、時として夕刊よりも早く内容を知っている情報があったが、でも、夕刊で活字で印刷された情報を読むことにより、情報がより整理されて復習することが出来、新聞の有効性を身をもって感じていただけに休刊は誠に残念。

 7月1日より朝刊は、夕刊を統合した形で新スタートとなり、ページ数が増え、ニュース以外の読み物も増えた。価格は、1ケ月3,007円から2,980円へと変わった。僅かでも安くなったのはありがたいけれど、でも夕刊がないのは寂しい。朝夕に新聞を読むのは、一日のリズムの要であったので、できることならまた夕刊を読む生活に戻りたい。再び夕刊が発行することのできる社会へと景気が上向くよう望むばかり。(r)

さようなら夕刊
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:子ども
 先日のこと、5歳の次男坊の幼稚園最後の運動会があった。幼稚園の運動会では、年長はマーチングを行うことになっていて、2ケ月くらい前から練習がスタートしており、家でも日を追うごとにマーチングの話題が増えていた。

 今年のマーチングの曲目は、「残酷な天使のテーゼ」。次男坊から曲名を聞いた時、(うわ。今どきだなぁ…というか、ちょっと古いのか?いや、「エヴェンゲリヲン」は最近でも映画がヒットしているから、もはや今どきのアニメの代表は「エヴァ」なんだな…)とつくづくと、文字通りつくづくと思った。

 そして、運動会当日。私自身の音楽の好みはともかく、次男坊の幼稚園最後の運動会。しっかり記録しなければ、と、ビデオカメラを構えて入場行進を待っていたら、入場行進曲を聞いて驚いた。なんと「宇宙戦艦ヤマト」だった。私はその瞬間に(えー!「ヤマト」なんてそんな古い曲でいいんですか!?)と、まったくもって失礼なことを胸中で叫びながら(笑)、曲が止まるまでずっとビデオカメラのテープを回していた。最後に先生の「行進ストップ!」のホイッスルのタイミングがズレてしまい、「ヤ〜マ〜ト〜♪」の「ト〜♪」まで行かず「ヤ〜マ〜」で終わってしまった時にはズッコケてしまったが。

 この入場行進曲ですっかり気を良くした私は、年長のマーチングもしっかり全部記録。おそらく会場にいる親たちのほとんどが「エヴァ」世代であると思うので、親子が楽しめるアニメの歌としていい選曲だったと思う。「エヴァ」の主題歌と「ヤマト」の曲。思いがけず運動会という場で聞くことになったこの2曲は、新旧のアニメの代表曲としてこれからも運動会などで使われて行くことで、多くの子どもたちの記憶に残って行くことと思う。そして、その子どもたちの中から作品に興味を持って見てくれたら、次の世代へと継がれて行くことと思う。大ヒットした作品は、世代を越えてもその魅力が伝わると思うので。

 ところで、競技中のBGMに「大江戸捜査網」のテーマがあった。どうやら今年の運動会の選曲者とは気が合いそうだ…と思いながら、運動会を最後まで楽しんだ。閉会の行進曲も「宇宙戦艦ヤマト」。当然ビデオカメラでしっかりと記録。こうして次男坊の幼稚園での最後の運動会が終了。私も今年で幼稚園の運動会は最後。親子参加競技は、幼稚園でしかないので、ちょっとだけ名残惜しい。(r)

10運動会

↑マーチングの時につけていた腕章。年長の親子競技で使われた道具にも同じ図柄がプリントされてあった。
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:子ども
 長男の小学校の卒業式に行って来た。この日に間に合うようにすそ上げした中学の学生服のズボンを履かせ、白いワイシャツに濃紺のセーターを着せ、一足先に長男は学校へ。5歳の次男坊を幼稚園バスに乗せて送り出し、親はそれから急いで身支度をしてカメラ片手に小学校へと向かった。

 この日は冷え込んだため、体育館には大きなストーブが置かれ、だだっ広い空間を暖めんとフル回転していたが、やはり足下は冷え冷えとして寒かった。でも、児童たちが卒業証書を受け取る様子をじっと眺めていたので、あまり寒さに気をとらわれずに済んだ。

 卒業証書授与の後にいくつかの長い式辞があり、続いて卒業生と在校生によるよびかけと歌。130人を超える卒業生一人一人が、声を高らかによどみなくよびかけをする様子は、小学校生活最後の務めとばかりにみんなが輝いて見えた。幾人かの児童が途中で泣き出し、微笑ましくも胸を打つ一生懸命なよびかけだった。

 式の後は、教室へ移動。黒板には、担任の書いた卒業を祝うメッセージがびっしりと書いてあり、読んでいるうちに目頭が熱くなった。担任は、卒業生と親に向かって最後のスピーチを。目から涙がこぼれ落ち、声を詰まらせながら話す担任の姿に私の胸も熱くなり、堪え切れずに泣いてしまった。体育館での2時間にも及んだ式よりも、たった10分ほどの子どもたちにとって最も身近な存在であった担任の生の声に勝るものはなし。次々と子どもたちも泣き出し、ちょっと寂しくちょっぴり切ない心温まる良い締めくくりだった。

 教室を出ると在校生に見送られながら昇降口へ。外は、春の明るい陽射しの中、風花が桜の花びらのように舞っており、学び舎を去り行く卒業生たちを美しく演出していた。6年間、ありがとう。小学校。 (r)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
丸亀城といえば日本一高い石垣を持つ城として知られており、日本一小さい木造天守は現存12天守の一つで重要文化財指定。
他にも大手一の門や二の門も重要文化財に指定されており、御殿表門や番屋、長屋も現存するなど遺構も豊富。日本100名城の一つでもあり、自分もいつかは訪れてみたいと思っている。

そのお城に関して、香川県の丸亀市が懸賞金をかけているのだという。
というのも市では、隅櫓や多聞を復元して江戸時代の城の全体像を再現しようという計画があるのだ。

2004年4月1日から市は、復元の為の古写真や設計図などの資料に対して、2011年3月31日までの期限をつけて1000万円の懸賞金をかけた。
ところが今に至るまで収穫はゼロ。
このままでは「丸亀城櫓復元資料収集懸賞事業」は頓挫してしまうのか――?

以前、高松城の古写真がイギリスのケンブリッジ大学の図書館で見つかったという事例もあり、市では海外から情報が寄せられることも期待しているようだが、一介の”お城ファン”としては、何とかこの事業の成功を望みたい。 (e)

テーマ : 気になるニュース - ジャンル : ニュース

| BLOG TOP |

copyright © 独言倶楽部 all rights reserved.Powered by FC2ブログ

カスタマイズ