無限に広がる大宇宙。
死にゆく星もあれば、新たに生まれる星もある。
そう、この宇宙は死なない。
宇宙は、生命は無限なのだ。
(『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ冒頭に、毎回繰り返される西崎氏自身の文章より)
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー、西崎義展さんが昨日、亡くなりました。
僕は西崎さんとは一度、お会いしただけです。その時に西崎さんから「いっしょに新しい『宇宙戦艦ヤマト』を作らないか?」と誘われました。
いま、西崎さんの訃報に接して、当時のことが思い出されます。
なぜ引き受けなかったのか。西崎さんといっしょに仕事してみたかったなぁ。
来月、公開される劇場版新作ヤマトのことを考えたり、なんだか胸が締め付けられる気持ちです。
以下の文章は、先週に発売したばかりの僕の新刊『遺言』から、西崎義展さんに関する部分を、ほぼノーカットで引用したものです。
発売したばかりの自作の文章を、こんなに長々と公表するのは売り上げ的に考えたら自殺行為かもしれません。
でも、少しでも多くの人に西崎義展さんという稀代のプロデューサーの人間味、その存在感や男気。そして二十年前にそれを受け入れられなかった僕自身の度量の狭さも見てもらいたい。
そう思って公開することにしました。
この文章をもって、西崎義展さんのご冥福をお祈りします。
僕もまた、あなたの艦(フネ)に心惹かれた少年でした。
世界中の同じ仲間、あなたの艦に乗船したいと一度は熱望した、かつての少年少女たちの中で、あなたの想いや言葉は永遠に生きています。
西崎義展さん、あなたの魂が銀河を越え、はるか十四万八千光年の世界に旅立ちますように。
時に西暦2010年11月8日
岡田斗司夫
『遺言』(岡田斗司夫・筑摩書房) P240より
そんなときに、西崎義展さんから「GAINAXで『宇宙戦艦ヤマト』を作らないか」というお誘いがありました。(注:1991~2年あたり)
ある日西崎義展さんの事務所から電話があって、「西崎さんが、あなたたちに会いたいと言っている」と言うんです。僕と庵野くん(注:庵野秀明・後に『新世紀エヴァンゲリオン』などで有名に)が名指しで呼ばれました。
庵野くんは『トップをねらえ!』をやり、『ナディア』もやった後でした。だから、自分が物を作れるということにかなり自信を持っていました。
(中略:当時のガイナックスの経営状態や、山賀監督がなぜ引き受けなかったか?という話。西崎氏には関係ないので省略しました))
庵野くんも大乗り気です。実際に引き受けるかどうかは別問題として、一回くらい頼まれてみたい。その時、いったい有名な西崎氏はどんな無茶を言うのか。自分はどんなヤマトを作りたいと思うのか。すごく興味津々。
僕も庵野くんも、こういう事がやりたいああいう事がやりたいというプランがない白紙の状態で、わくわくしながら西崎さんに会いに行きました。
西崎さんの会社は、広さはそんなに無いんです。後で聞いてみると、その事務所は頭脳の部分で、プロデュース作業専門だそうです。実際に物を作るのはすべて発注で外部のプロダクションがやる。だから、西崎さんが一人でお客さんと打ち合わせするスペースさえあればいいんです。
それなのに、秘書の数がまぁやたら多い。しかも女性秘書が全員ミニスカート。西崎さんの前で喋ったり電話を持ってきたりメモ帳持ってくるときは、必ず床にひざをつくんです。なんかキャバレーっぽい体制で、呼び名も「西崎先生」って。
なぜ西崎「先生」なのか、いまだによくわかんないんですけどね。
そういう一つ一つが、庵野君も僕も、嬉しくて嬉しくてしょうがないんです。わざわざ「伝説の」西崎義展のところまで話しに来たんだから、案外いい奴だったらつまんないわけです。いかにへんてこな部分を見せてくれるか。西崎伝説を目の当たりにしたい!
宮崎駿のところに初めて行ったときも、そういう意味で嬉しい体験を満喫できました。
有名な「イスの上にあぐらをかいて、腕を組んで」というポーズで、「どうせお前は自民党に投票するんだろう!」って言われたときは、「キターー!」と心の中でガッツポーズですよ。
そうなると、この話題をコンティニューさせたいわけです。「そんなことありませんよ」とか言わないで、「えっ?自民党じゃだめなんですか?」と、わざと駄目な若者になりすます。宮崎さんの怒りを加速させつつも、無邪気を装って嫌われないギリギリのラインを狙うわけです
「中曽根さんかっこいいじゃないですか」と、ちゃらいことも言ってみる。「若い奴は共産党に投票するんだ!!」。すげー!!「宮崎さんは共産党に投票するんですか?」って聞いたら、「そんなこと言えないよ」って。すげーなぁ!!初っぱなにそれかまされたから、宮崎駿という人間が10倍楽しめる。
(中略:宮崎駿と富野由悠季のエピソードが入っていますが、西崎氏には関係ないので略しました)
回り道をしましたが、西崎義展さんと『ヤマト』の話です。
西崎さんはこんな話が出来る相手じゃないんですよ。迫力が違う。初めて会ったとたん、「会いたかったよ」って握手するんです。
聞いた途端に「会いたかったよ『ヤマト』の諸君」と続くんじゃないかと思いました。
「会いたかったよ」って言われても、僕と庵野はどうしていいか分かんないんですよね。困っていると、次の言葉が「口座番号を教えてくれたら、明日には二千万振り込もう」。
まず金ですよ!
『宇宙戦艦ヤマト』の話を聞きに来ただけの僕たちに、「『ヤマト』の仕事を引き受けてくれ」とも、「『ヤマト』を一緒に作ろう」とも、「君は『ヤマト』が好きかね」とも言わないんですよ。
金です。
その金も、お金を払おうとか、いくらで仕事をやってくれじゃなくて、「口座番号を教えてくれ」から始まるんです。
「これは変な奴に会っちゃったなぁ」と思って庵野くんを見ると、もうクスクス笑いモードです。完全に楽しんでるんですよ。
内容の話になったときは庵野くんが担当です。実際に監督をやるのは庵野くんですから。だけど、仕切りの話になったときは、僕の担当。
どこが受けてどういう作業手順で、どこが権利を持ってという話は僕という分担が、なんとなく決まっていたんですよ。テニスで言えば前衛後衛みたいなもんですね。『トップねらえ!』で言えば、戦闘担当のノリコとナビゲーション・エンジンの出力担当のお姉様です。
振込だの銀行口座の話です。「これは百パーセント岡田さんの担当だ」と、庵野君は自分が安全位置にいるのを確認できたので、「さぁ、歴史上の二大怪獣の決闘を見せてもらいましょう」という観察者モードになっちゃってるんです。
「会いたかったよ」の次の台詞が「口座番号教えてくれたまえ」その次の台詞が「明日には二千万振り込もう」。
で、その次の台詞が「明日じゃないな、今日中に振り込もう」。
僕はこんな話をしていますが、真面目というか、案外冗談が通じない体質なんです。「二千万円もらえるんだったら頂きますけども、それは何かの仕事のギャラなんですか?それとも、西崎義展と会ったご祝儀なんですか?まずそれを教えて下さい」と聞いちゃったんですね。西崎義展の答えが「二千万は二千万だよ」。
返事になってない!
そういえば大塚康生さんもしみじみと「西崎義展は妖怪だ」って言ってました。
大塚さんが西崎義展さんと、同じく怪物プロデューサーのプロデューサーの藤岡豊さんと会談するのを見たことがあるそうです。
お互いに女と車と酒の話しかしない。下品な自慢話なんです。「昨日、銀座でいくら使った」「こんな女を抱いた」「名門ゴルフクラブの会員権を持っている」「こんな奴と飯を喰った」「こんな奴にこんな金を与えた」「クラブに行ってそこのママと寝た」…
ところが、会話の表層ではこういう話だけど、実は腹芸というか暗喩で「映画の権利を、どちらがどういうふうに配分するのか」を、水面下でかけひきしているのが分かる。握手したままの手を、さかんに握り直している。2本出した指を相手が押さえたり、なんか絶対に会話している!
「岡田さんもプロデューサーなんだったら、あの世界に行くんでしょ?あんな妖怪同士の世界に僕は行けないなぁ」と大塚さんは笑いながら言っていました。
いや、僕も絶対に無理!
ひょっとしたらその二千万も、そういう腹芸の一つだったのかも知れないけど、わかるわけがないです。
そういう日本の古きよきプロデュース業界、男の腹芸が通じた世界というのは、もう僕がプロデューサーをやるような時期には絶滅しちゃってました。ひょっとしたら「二千万払うよ」という話は、西崎義展の本気の証、男気の提示だったのかもしれないけど、そんな風には受け取れなかったんです。
それよりちゃんと仕事の話をしたいと思って「それはどんな仕事のギャラですか」ときいたわけです。それでも西崎さんは、太っ腹モード全開なんですよ。
「二千万は二千万だよ、西崎が払いたいから払うんだよ。理由なんか無いよ。ギャラとかそんなんじゃないよ。お前を見て、岡田斗司夫を見て俺が二千万払いたいから払うんだ。文句あんのかよ」。
そう言われたから僕は「文句ありません。じゃあ頂きます」と返事しちゃった。
その瞬間、西崎義展がすっごく嫌な顔をするんですよね。多分、僕が言った返事に、駄目フラグが立ったんだと思うんです。
西崎義展先生の太っ腹な男気に白旗をあげて、「もうこの人には敵わない。さぁ仕事の話をしましょう。男同士の話をしましょう。最近いいキャバレー見つけましたから」って話に切り替えるべきなんですよ。
でも俺はそれに全く気がつかず「じゃぁ、今すぐ会社に電話して、口座番号確認しますから」って言ってしまったわけです。
西崎さんは、そこから先、その二千万の話をぽろっともしなくなりました。「器のちっちゃい男だ」と思われちゃったんでしょうね。
さて、今度は庵野くんに「『ヤマト』はねぇ、お前の好きにしていいよ」って急に言いだすんです。庵野君も冗談も腹芸も通じない人間ですから「本当ですか!」って喜ぶわけです。「俺の好きにしていいんですね」
「もう好きなようにしていいよ。あのねぇ、俺はねぇ、作りたい人に作品を任せるのが、その作品にとって幸せだと思うんだなぁ……。美奈子も俺が幸せにしてやったんだ」って、ここからなぜか、本田美奈子の話が始まってしまうんです。
本田美奈子という女優に惚れ込んで、彼女の為に主演映画を撮ってやって、彼女がロックをやりたいと言うからバンドを作ってやりロック歌手として育ててやって、そして本田美奈子はロック歌手として女優として成長していく、という話を熱く語りだして1時間。
本田美奈子が自分の下から旅立っていったイコール振られたというところまで、止まらないわけです。
庵野君は「『ヤマト』の話は……?」
僕は「二千万の話は……?」
と思ってるんですけど、口をはさめない。本田美奈子の話を散々聞いたあとで、「『ヤマト』も君たちの好きにしてくれていいんだよ。庵野秀明という人間が、この作品で『ヤマト』を立派に作り上げてくれたら、俺はそれ以上なんにも望まない。なんにも要求しないんだ。俺にはなんにも残らなくていいんだ。美奈子のときもそうだった」
西崎さんが「本田美奈子」って言ったのは最初の一回だけで、その後ずっと「美奈子」です。自分の彼女の話をするんだったらするで、最初から「美奈子」と言えばいいのに、みなさんも知っているあの大スターの本田美奈子だよ、と言いたいために一回目に「本田美奈子」という宣言があるんです。でも、俺は気が利かない人間なんで、美奈子と言われたときに「本田美奈子の話ですよね?」って聞きかえしたりしちゃうんで、雰囲気ぶち壊しなんですけど。
好きにしていいっていわれて大喜びの庵野君は
「僕は『ヤマト』をこういう風にやりたいビジョンがあります。それは最初のシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』をあのまんまやることです。主人公は古代進です。出来るだけ松本零士さんのあのキャラのまんまで、メカデザインもあのまんまでやらせてください」と勢い込んで言ったんです。
そしたら西崎さんがすごく不機嫌になって「違うな。違うな。違うな。違うな。宇宙の彼方からとてつもない悪がやってくるんだよ」。「それ『さらば宇宙戦艦ヤマト』で見ましたよ」って言っても、もう駄目なんすよ。
西崎さんには、実はやりたい『ヤマト』が既にあるんですよ。いっしょにやりたいスタッフも決まってるんです。好きに作っていいと言ってたけど、それを言葉どおりにとっちゃいけないんですね。
「アニメーションはね、庵野秀明君が思う通り作ってくれていい。俺のことはいいけど、いくら思い通りと言っても、『宇宙戦艦ヤマト』は色んな人が力を合わせて作ったもんだから、それまでの経緯をないがしてもらっちゃ困る。それは男としていかんだろう。老いた艦長と若い部下の継承の話を語ってもらいたい」って言うんです。
だったら昔の『宇宙戦艦ヤマト』そのままやってもいいはずなんですけども、それは駄目だと。
「それでは庵野秀明が『宇宙戦艦ヤマト』をやるということにならないじゃないか。君は過去の亡霊に囚われていていいのかね。太平洋戦争で君は何を学んだんだ」
学んでるわけないですよ!
本当にこうなんです。富野さんみたいに熱いって言うのではなくて、ずーっとなだめるみたいな感じの話し方で、特有のゆったりしたリズムでロマンを語る。
で、ロマンの中に時々えげつない女の話とか、えげつない金の話とか、えげつない銀座の話とかがポロポロ入ってきて、アニメの途中にエロビデオのCMが入ってるみたいな違和感で、凄く不思議な人でしたね。
二時間くらい話しました。途中で西崎先生が凄く興奮したりすると、秘書の人が薬を持ってくるんですよ。なんか見たこともないような「薬」なんです。秘書が、理科室にあるような茶色の瓶をこう開けて、秤で量って、それを紙の上の載せて、その当時日本では珍しかったエビアンと一緒に差し出すんです。「先生、お薬の時間です」って。
飲んでしばらくすると、顔色が赤でもない青でもない不思議な色になって、どんどん言ってることがおかしくなっていくんですよ。「もう君には二千万払ったじゃないか」とか。あの薬は何なんだったんだろう。
辻君という、若いんだけどアニメ業界に凄く詳しい人に「岡田さんも、西崎さんの洗礼を受けましたか。俺も昔、西崎さんに呼ばれたことがありますよ。俺のときは二百万でした。岡田さん、偉くなりましたね。俺はアニメ界で十年やってて二百万でしたけど。岡田さんはアニメ界三年、わずか三年で二千万ですよ。まぁ、どっちにしてもくれないんですけどね」って。
辻君の場合は、帰り際に百万円の束を二つ、ポンと投げられたそうです。
スーツケースをばかっと開けるとその中に現金がぎっしり入ってて、百万円の束を二つ取って「お疲れ様。車代に持って帰って」ってぽんって投げられた。
辻君もびっくりしたけど、小さいとはいえ編集会社の社長だから、運転資金はのどから手が出るほど欲しい。「ありがとうございます」って貰って部屋を出て帰ろうとしたら、秘書が近寄ってきて手を出すんですって。「へっ?」って言ったら「お金」って、二百万取り返されたそうです。
あれは儀式みたいな物らしい。西崎先生が気持ちよく話をするための儀式なんですよ。二百万円でも三百万円でも、いくらでもいいんですけど、西崎先生がコイツが気に入った、二百万だ、三百万だってぽんと渡して、そいつが「ありがとうございます!」って深々と頭を下げて出るとこまでで西崎パートが終わり。
そこから先は現実の世界に帰って、「はいはい、いい夢見ましたねー、二百万円返してください」と言われる。それから十五分くらいして西崎先生が変な薬が回ってぐーぐー寝てるところへ、多分秘書の人がスーツケースに戻してるから、永遠にお金の減らないスーツケースなんです。
きっと西崎さんが本当に景気の良かった時代は、お金を取り返さなかったんだと思います。ほんとにそのままあげてたんじゃないか。だからこの人、損もいっぱいしてるんだろうな。恩義に感じて「西崎先生のためなら死にます!」っていう配下も心酔者もいっぱいいたと思うんです。
でも、そのやり方はすでにアニメ業界や芸能界でも古臭く、通用しなくなってきている。そう思うと、ドアの向こうにいる西崎さんが「滅びゆく巨大な恐竜」みたいに思えました。うかつに同情してなめた態度で近づくと食い殺されてしまう。けれど巨大で孤独で、滅びゆく恐竜の末裔。
後日談はたいしたことないです。電話で口座番号を秘書の人に伝えたら、秘書の人が明らかにメモをとってないんですよね。「こないだ、西崎先生に言われたので、口座番号~~です」と言ってるのに「はいわかりましたー」ガチャッって切られるんです。変だ、変だと思ってたら、 そういうからくりだって、辻君に後で教えられたわけです。
西崎義展という人は、最初は本当に言った事をやる人だったそうです。ポンと投げた二百万円を秘書が回収するようになったのは、後期・西崎義展。
前期・西崎義展はポンと金を渡して、金を渡したことすら忘れていたそうです。本当に金がうなるようにあったので、そんなこともできたんですね。
脱税も確かにしてたんですけど、なぜ脱税してるのか忘れるくらいお金があった。忘れてたから国税局が来た時、怒りだしたんですよ。「俺は脱税なんかしていない、隠している金なんか無い!」って。税務署に指摘されたら、「そう言えば、確かに脱税してたぁ」って。それほど金がうなってたんです。
(中略:アニメ界が超好景気に沸いていた時代の伝説。長くなるので省略しました)
当時、西崎義展が「映画を作りたい」と言ったら、銀行屋さんが飛んできた。お金を出すという人はいくらでもいた。よみうりテレビは無条件でゴールデンタイムの枠を空ける。現在の秋本康とかでは逆立ちしても敵わないくらいの大プロデューサーだったらしいんです。
でも僕が行ったときには、それは往年の栄光の姿で、後期・西崎義展になっていて、まだデカいことは言うんだけども、後でちょっとフォローしなきゃいけないような状況だったようです。
結局、GAINAXで『宇宙戦艦ヤマト』はやらなかったです。一番の理由は庵野君が「昔の『宇宙戦艦ヤマト』をやりたい」って言ったのに、そのままやらせて貰えないということ。もう一つは、庵野くんが本当の意味で監督をやらせてもらえるわけじゃ無かったこと。これが大きな理由ですね。
作業上の演出はやらされるんですよ。でも、西崎がキャスティングを取っちゃう。
舛田利雄という戦争映画の監督さんがいるんですけど、彼が総監督というクレジットを出す。脚本も、僕か山賀か、誰かGAINAXのメンバーが書くんだけど、西崎さんの友達の邦画で有名な人が脚本を書いたことになる。そういう事になっちゃうんです。
なぜか偉い人が仕事をすると、どうしてもそうなっちゃうんですよね。昔からの自分の知り合いとか友達に、仕事とか権利とかお金とかを分け与えるのが大人物のやり方なんです。
西崎さんも彼単体で偉くなったんじゃなくて、西崎義展を「先生」とか「西崎さん」と立ててくれる芸能界や日本映画界の偉い人がいるおかげなわけです。そういう人たちに顔をきかせるためにも、大作映画『宇宙戦艦ヤマト』をやる時は、総監督は舛田利雄だ、脚本はお前だ、音楽は宮川泰だ、って西崎さんの友達や仲間に役職を割り振るんです。
でも、その人達はあまり仕事をしない。西崎さんと酒のんで「企画会議」に付き合うだけ。でも原作権とか監督料とか権利はいっぱい持っていってしまう。
もしあの二千万円を受け取っていたら、ヘタしたら僕たちのもらえるギャラや権利はそれで終りだったのかもしれません。
昔ながらの「若い頃は下積みが当たり前」の芸能界なら当然かもしれないけど、アニメ業界でいまさらこれは願い下げです。「あららぁ、大人物のようにもみえるけど、結構せこいんだなあ」くらいに考えたんですよ。
後でこの仕掛けを教えてくれたのは、誰あろう松本零士さんです。
「西崎義展に会っただろう」「会いましたよー」「金やるって言われたろう」「言われましたよ」「もらったらヤバいぞ」って。
松本さんが教えてくれるには、西崎義展という人は、とにかく会議をする。なにかというとすぐに会議を招集して、みんなでアイディアを練る。誰か一人がこんなことを思いついたと言ったら、必ずそれを会議にかけようと言う。
松本零士が『宇宙戦艦ヤマト』のデザインで第三艦橋をこういう風にしようと思いついて提案する。じゃそれを会議にかけようと言うんです。
で、『ヤマト』のデザインの会議を開く。それも十人とか二十人とか凄い人数の会議です。その大人数で、もうちょっとこうしようじゃないか、ああしようじゃないかって、ちょっとずつ直すんです。これが西崎義展の仕事術です。
何の為にこれをやるのか。それを松本零士さんが教えてくれました。
誰か一人が思いついた物を使うと、あとで揉めたときにその誰かが「『宇宙戦艦ヤマト』は俺が考えた」と言えちゃう。そうじゃなくて、例えば松本零士が思いついたとしてもそんなことを主張されないために、会議で合意に達して今の形に決定したという手順をふみたいんです。
『宇宙戦艦ヤマト』の「ヤマト」というカタカナを、特徴的なレタリングにするというアイディアもそうです。デザインしたのは松本零士かも知れないけど、会議の結果、今の形にまとまった。
だからそれの統括的な著作権は、言い出した松本零士が持っているのではなく、プロデューサーの俺が代表して持っている。オフィスアカデミーという『宇宙戦艦ヤマト』の権利会社が持っている。アイディアもすべて持っていることになる。
それが、西崎さんの主張なのです。
これは西崎さんだけのやり方ではありません。
大作主義時代のハリウッド、『風と共に去りぬ 』のプロデューサー、デビッド・セルズニックなどが完成した仕事術です。
ハリウッドでは、プロデューサーが絶対的な権力を持っていた時代があります。その頃のプロデューサーは皇帝=エンペラーという意味で「タイクーン」と呼ばれていました。「タイクーン=中国の大君」を指しています。
タイクーン時代は、そういう仕事術が当たり前でした。誰か一人が思いついても、すぐにメンバーを招集してアイディアをまとめる。最終的に一つにまとめるのはその会議でプロデューサーが決断して決めた形になるから、誰かに権利が移ることがない。
当時の映画界ではプロデューサー権限はまさしく神にも等しく、『風と共に去りぬ 』でも、監督はごく簡単に交換出来るパーツの一つにしか過ぎなかったのです。
ハリウッド黄金時代、まずプロデューサーがいて、次にスターがいて、映画が出来る。カメラマンとか監督とかは、現場スタッフの部品でしかないという考え方だったんです。
それをヨーロッパ映画が、「そうじゃないんだ。監督っていうのは作家なんだ」と言い出して、トリュフォーたちヨーロッパの映画作家の時代が訪れます。
「ハリウッドにはそういうシステムは無いのか。そうじゃない。アルフレッド・ヒッチコックという監督は、明らかに作家性を持ってるよね」というところからハリウッド映画の再評価が始まりました。その後一九七〇年代に入って『地獄の黙示録』などの時代を頂点として、作家主義映画が主流になる時代へと繋がっていくんです。『スターウォーズ』が出る直前の頃です。
西崎義展はハリウッド黄金時代を、自分が映画人生を選ぶときに見ていた人です。だから、作家主義という考え方がどうしてもできない。
作家主義に陥ると、ヨーロッパ映画みたいに映画界は駄目になるし、最終的に稼げなくなっちゃう。そうすると、儲からなくなってスタッフは困る。映画を動かすエンジンは、プロデューサーが完全に掌握して、コントロール権を握っていなくてはいけない。
コントロールとは、スターとか監督を始めとするスタッフにきちんとお金を配分することだ。そのなかでも特にスターに大きく配分することによって、観客は映画産業に夢を描いて、どんどん映画産業にいい人材が集まる。
だから裏方スタッフは、適当にいい暮らしをしているけど、それは大金持ちのプロデューサーのパーティに呼ばれたり奢られたりして、美味しい物を食べている程度でよい。現場スタッフは、それくらいが一番幸せなんだ。
極端に表現すれば、こういう考え方を持ってるんですよ。
もちろんこれは、現代の「著作権」という考え方とは全く逆行しています。それが許されるか許されないかで言えば、現代では法的に許されません。
でも、この方法でハリウッドが黄金時代を築いたのも確かなんです。その方法が間違っていたのかというと、間違っていたわけではないと僕は思うんですよ。
ハリウッドは、超大作主義になって、途中から崩れてしまいました。間違いじゃ無くて、現在では時代遅れなんだと思います。時代遅れだからみんなが取り入れてくれないんです。
さっき言った『ガンダム』のビームサーベルと同じです。正しいビームサーベルは何かというと、富野さんが思いついたアイデアだけが正しいわけじゃない。最終的にみんなが解釈して納得した総和、みんながこうだと思ってる最大公約数的イメージを、正しいとするしかない。
西崎義展さんが言ってるのもアリなのかも知れないけども、現代においてはもう「正しくない」んですね。
だから、ガイナックスという比較的若いスタッフが集まってるところで、ハリウッド・タイクーンの手法を使おうとしてもかなり無理があります。
『宇宙戦艦ヤマト』、凄くやりたかったんですよ。庵野君は、ほんとに昔の『宇宙戦艦ヤマト』とコンテまで同じで、同じでありながら自分の演出とか構図を微妙に変えることで、全く新しい『宇宙戦艦ヤマト』をやりたいと、ずーっと言ってたんです。
エヴァンゲリオンの劇場新作がありますよね。絵がかなり良くなって、構図も大分変わって、新キャラも登場するし、これまでのキャラクターの解釈もどんどんかわっている。
あのエヴァの新解釈と同じ方針で、庵野君は『ヤマト』をやりたかったんですよ。「全く同じにします」と言いながらも、庵野君の個性がムンムンするものになって、凄く面白い物になったんじゃないかな。
あの頃、アニメ班は何も仕事がなくてクサってたから、そういう条件的なハンデを気にせずに、『宇宙戦艦ヤマト』をやっていた方が面白かったかも知れないなと、今になったら思えますね。
西崎さんからの注文って、不思議だったよなぁ。入れて欲しい要素と言うのが、父親・反抗期の息子・仲間・老師、それにコスモゼロを出せ…
見たこともない薬を飲むとどんどん話が大きくなっていくんです。
最初は、本田美奈子っていうアイドルを自分がどんな風にプロモートしたかという話で、彼女は一流のスターになって自分から羽ばたいていった。でも俺は納得してるんだという、割といい話だったんです。
でもしばらくすると、「美奈子は俺の事を忘れられなくて、追いかけて追いかけて。俺はそういう男女の関係じゃなくて美奈子をプロデュースしてやってるのに、あっちは俺のことが忘れられなくて!」と言う話に。
もちろん初対面の僕たちにサービスで話してくれてるんですけど、どんどん話が大きくなっていって、ちょっと心配なぐらいでした。
この話だけ聞くとエキセントリックで面白いんです。でも、さっき言った富野さんの二面性と同じ構図です。
マッチョなことを言う富野さんと、マッチョなことを言う自分に悲鳴をあげている富野由悠季。
同様に、デカい事を言う西崎義展と、デカいことを口がすべらないと言えない西崎義展っていう二つが対立してるんです。それを一人の人間として受け入れられる度量は当時の僕には無かったです。
いや、いまだにあるかどうか危ないな。富野さんだったら何とかそういう風に話が出来たけど、西崎さんはかなりキツい。
大の大人ですよ、僕から見たら。その時僕は三十歳になるかならないかでしたが、相手は五十を過ぎたおじさん。本当に孫がいてもおかしくないようなおじさんです。アニメ界に凄く昔からいる大先輩です。
その大先輩が、へんな薬を飲むと目がだんだんどろっとしてくる。いわゆる目がかすんでいる状態って、僕は初めて見ました。
その辺があって不思議な薬って言う風に表現を控えてるんですけど、辻君は「マヤクですね」って決めつけるんですよ。でもマヤクだったらあんなにはっきりと話せると思えないし、漢方っぽい気もするんですよ。そう言うと、また辻君が「未発見のマヤクですね」って。そんな人体実験みたいな事するか!
そういうどろっとした目で仕事の話をしながら、自分の過去の話、これからこんなのがやりたいという話、スタートレックみたいなのがやりたいとか、夢みたいな物とか青春時代の話とかを一緒になってごちゃごちゃ話してくるんです。
その意味では純粋な人です。自分の内面をどんどんさらけ出してくれる。
でも僕には、そういう大人をストレートに人間対人間で受け止めることができなかったですねぇ。
なぜできなかったのだろうと考えてみたんですけど、僕はオタクだからアニメの話だったら出来るけど人間の話は駄目、と言う弱点があったのかもしれない。
それに、ちょっと恐かったし。
自分よりずっと年上だからすごく緊張してましたしね。
ひょっとしたらそれを乗り越えて、僕が心のプロテクトを外せれば、どろどろになったら西崎さんといい関係が作れたのかもしれないです。
でも、作れたとしたら今度は他の人に恨まれる番になるわけですよ。西崎さんに気に入られるということは、岡田君に仕事あげなきゃと言う風になるわけですよ。
「新作の『宇宙戦艦ヤマト』は、佐藤大君が脚本を書くんだけども、シナリオの名義は岡田斗司夫だよ」ってことになるんです。
佐藤大は僕を一生恨むという事になりかねない。それはそれで本意ではないんですよね。だからああいう人との付き合い方って難しいなと思います。
西崎義展さんは『宇宙戦艦ヤマト』というとてつもない企画をプロデュースした人です。
『宇宙戦艦ヤマト』の企画としてのとてつもなさは、『ガンダム』の比ではないんですよ。
『ガンダム』はまだ、『ザンボット3』とか『ダイターン3』とかサンライズがこつこつと積み上げてきたオリジナルロボットアニメの路線を踏襲した作品です。作品としてはまさに金字塔ですが、企画という意味では難易度はそれほどでもありません。
富野由悠季という、当時アニメ界でもかなり信頼されていた人が、それまで自分で積み上げてきたロボットアニメというピラミッドの一番上に載せた最後の石です。『ガンダム』の成功は、あれ一つが屹立しているのではなく、ちゃんとした積み上げの上に出来たものなんです。
それに対して『宇宙戦艦ヤマト』はまったく違う。ああいう作品はあれ以前もあれ以降もない。たった一つだけの空前の企画なんですよ。
『ヤマト』以前のアニメで、あんなSFっぽい企画はあり得なかった。敵が宇宙人で、ちゃんと文明と人格を持っている。戦闘機とかに乗っていて、ロボットも登場しない。地球側の徹底的な「負け戦」から始まる。
松本零士という、言っちゃ悪いですけど、当時は売れない漫画家をメインの監督兼デザイナーにする。明らかに商品化不可能なデザインの宇宙戦艦を出す。
それも赤とか黄色とかピンクとかのお子様カラーを使わないデザインです。
『宇宙戦艦ヤマト』の五年とか六年後に作られた『ガンダム』ですら赤青黄白のトリコロールカラーですよ。その色じゃなきゃスポンサーのOKが出なかったんです。
暗い赤と黒に近いようなブルーという、変な色で塗った宇宙戦艦を主役にして、テレビシリーズの企画を通して、無理矢理オンエアさせる。
それもアルプスの少女ハイジの裏番組です。
一年間の予定が、結局半分で打ち切られちゃったんですけど、一人のプロデューサーの力量として見たら、「これはとんでもないなぁ」と僕は正直思います。
だからその当時の西崎さんに会ってみたかったなぁと思います。僕が会った後期・西崎さんは、その時代の雰囲気と凄味は残ってたんですけど、ぶっちゃけていうと好きになれなかった。それが凄く残念でしたね。
追伸:
知り合いからのメールで、晩年の西崎さん情報追加。
身体を壊して酒に溺れていた状態からは脱して、かなり健康状態は良くなっていたとか。
だからこそ無理してボートで沖へ出ちゃったのかなぁ。
そうなると「酒に溺れていた方が長生きできたのかなぁ」とか、いまさら考えても仕方ないことグズグズ考えちゃうよね。
知り合いでブルーノアとかヤマト2520とか参加した人は、ほとんど西崎さん嫌いなんだよね。あの時代の西崎さんがきっと一番ギラギラしていて近寄りがたかったんだろうな。
あんまり僕たちが富野さんを尊敬しすぎたり珍獣みたいに扱ってると、富野さんも一人になっちゃうかも。
どんなに偉人に見えても怪物に見えても、または「手の届かない目標」「倒すべき敵」に見えても、そこにいるのはいつも一人の孤独な人間なんだよね。
いかん、またグズグズ考えてるよ(笑)
今夜から自宅でヤマトDVDボックス鑑賞会します。
ひとりで西崎さんを見送りたい気分だから。
4 Responses to 【社長日記】西崎義展さんのご冥福を祈ります
ミナセ宗谷
11月 8th, 2010 at 11:41
長文での執筆お疲れ様です。とても面白く読ませていただきました。
西崎義展さんの中の男の世界は、大藪晴彦の作中人物のような匂いを感じます。いろいろと大変な方だったのでしょうが、一方で心酔者も多かったのだろうと想像します。近くで仕事のをした人が目撃した西崎Pの武勇伝をもっと知りたいです。
たくみ
11月 8th, 2010 at 14:38
読ませていただきました。
私も「ヤマト」は楽しませてもらいました。
当時は古代進のファンだったんですが、いま見直すとおいつむちゃくちゃですね。(笑)
西崎さんって不思議な方ですよね。アニメ業界では徹底的に信用をなくして当たり前なんですが、何回も復活しますよね。よほどの狂人的な魅力があって心酔しているひとが多いんでしょう。麻薬や銃でも何回も捕まってますし。
実写版「ヤマト」が近日公開のタイミングですので、陰謀説とか出てくるかもしれませんね。
個人的には事故だと思います。いいタイミングでいい死に方をしたような気もしますし、せめて実写版の公開まで生きてた方が幸せだったのかな?という疑問もあります。
ご冥福をお祈りします。
岡田斗司夫
11月 8th, 2010 at 16:18
文章の最後に、「追伸」を追加しました。
たくみ
11月 8th, 2010 at 17:24
追伸 読ませていただきました。
長生きすることがいいこととはいいきれませんよ。
「どんなに偉人に見えても怪物に見えても、または「手の届かない目標」「倒すべき敵」に見えても、そこにいるのはいつも一人の孤独な人間なんだよね。」
これはとても共感できます。
でもやはり近づきがたい人っていますよね。
また妙に人がいいカリスマもいますが、こういう人ととの付き合いがまた難しい。