2010年9月10日 2時32分 更新:9月10日 8時13分
全国で頻発した高齢者の所在不明問題は、「長寿社会」を根底から揺さぶった。厚生労働省によると9日現在、住所登録地に所在が確認できない100歳以上の高齢者は271人に及ぶ。不明者の周辺を取材すると、多くのケースに共通する光景が浮かび上がる。家族のきずなの断絶と地域社会での孤立だ。ひそかに蓄積されてきた社会のひずみ。その生々しい現実に気づいた今、行政も地域社会もたじろいでいる。【安高晋、森禎行、神足俊輔、篠原成行】
100歳以上の高齢者が約70人いる群馬県太田市。一連の所在不明問題が持ち上がった8月、元気おとしより課の職員が「実は一度も会えない人がいる」と上司に報告した。
103歳の安田佐吉さん。07年3月に職員が100歳の祝い金50万円が贈られることを伝えに行くと、長男(63)が応対し「父は福島にいる」と言った。08、09年も本人には会えなかった。
今回、市が改めて問いただすと、長男は初めて60年にも及ぶ父の不在を認めた。安田さんは終戦後間もなく、妻とまだ幼かった長男、長女(67)を自宅に置いたまま、福島市飯坂町の姉の家に移り住んだというのだ。
その飯坂を訪ねた。松尾芭蕉も立ち寄ったといわれる川沿いの温泉街に姉の家はあった。大工の仕事が太田には少なく、安田さんは温泉宿の整備が進んでいた飯坂に仕事を求めたらしい。
妻との折り合いも悪かった。今も太田市の実家近くに暮らす長女は「家族で笑った記憶はほとんどない」と振り返る。長女が高校に進学するころには、父は太田には寄りつかなくなった。母に「なぜ離婚しないの」と聞くと、母は「おまえたちの進学や就職に不利になるから、戸籍だけは入れておく」と言ったという。08年、母は死去。夫婦仲がこじれたわけは言わなかった。
安田さんは姉の家に40年近く住んだ。しかし、ここもついのすみかにはならなかった。89年ごろ突然家出し、そのまま消息を絶つ。
近くに住むおい(68)によると、85年に姉が亡くなり、めいと2人暮らしになったころから関係がぎくしゃくしたようだ。大工で稼いでいるうちは生活費を入れていたが、80歳近くになり、仕事ができなくなると、和裁をしていためいが安田さんの生活を支える形になった。「本人は今さら太田には帰れないと思ったんでしょう」と、おいは推測する。
家出から間もなく、おいが捜索願を出す。数年後、警察から「市内でお年寄りの遺体が見つかった」と連絡があり、現場での確認を求められた。顔は判然とせず、普段、安田さんはげた履きだったのに遺体が靴を履いていたことから「おじではない」と答えた。
こうした安田さんの消息情報は、一切太田市には伝わらなかった。市は長男を信用し、100歳の祝い金を渡した。近所にも安田さんの所在を気にかける人はいなかった。一連の不在問題発覚後、長男は祝い金を受け取ったことについて市に謝罪した。
安田さんと仲の良かった長女には忘れられない挿話がある。73年ごろ、自身の結婚生活について手紙を書いた。「夫の両親は親切にしてくれるけど、やっぱり私の本当の両親はお父さんとお母さんです」。その手紙を、安田さんは上着のポケットに大切に入れていたと後でめいに聞いた。
長女は「もう亡くなっているとは思う。でも、いつどこで死んだのか誰も知らないなんて不幸です。家族も踏ん切りがつかないんです」とつぶやいた。
本人の氏名、本籍・住所地が分からず、遺体の引き取り手もない死者は「行旅死亡人」として官報に掲載される。09年の掲載は全国で756人。ここ30年、大きな変動はない。掲載後も多くは身元が判明せず、そのような遺骨は寺などにひっそりと保管される。