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必読 日替わりメモ

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ 2010年11月8日のページ更新 
O3-17 航空史の思い出  リパブリック シービー  中日機に飛龍という名が付けられた理由 Nナンバーの2機は同一機体らしいこと
CV087
CV096
日本におけるコンベア CV240研究 JA5087 北日本航空の写真を追加
日本におけるコンベア CV240研究 JA5096 富士航空就航中の写真を追加
HOME [表紙絵119] 秋茜暮色 大阪国際空港 11月6日 午後5時半
N812 ニュースフラッシュ エコCOP10協賛のJAL機


〇  
シービーの思い出

 日本におけるシービーの消息がかなり判明しました。まず、中日新聞社機が飛龍と名付けられた理由が、大府で組み立てれられていた重爆飛龍と関係があるのではないかということ、次に、厚木で写されたNナンバーの2機は、同一の機体らしいということです。もちろん、ふたつとも確証は得ていませんが、状況からしてほぼ間違いないだろうと考えています。 

〇 表紙絵 秋茜暮色 

 しゅうせんぼしょくと読んでください。もちろん佐伯の造語です。
 一番忙しい時間帯を迎えて、煌々とライトに照らされたエプロン、ボーイング777がランプアウトの位置につきました。既に夜のとばりの中にある市街地の向こうの山々のシルエット、空は、秋の夕暮れを惜しむかのように茜色に染まっています。刻一刻変化していくこの情景を、広重や北斎が切り取ってくれたら、飛行機を入れてどのように画いてくれるでしょうか。秋色の中にも、轟音やアナウンスの声が聞こえる空港独特の雰囲気を伝える絵になるに違いないと思いますが、現代の画伯さん、如何ですか。

 

日替わりメモ 2010年11月7日のページ更新 
O3-17 航空史の思い出  リパブリック シービー 
A3608-6 航空史の思い出  東京航空(東雲)飛行場の小型機  東京航空のJA3033新島号と初島号を追加
T61-1 写真で見る東京国際空港の歴史 1961年  スイス航空もCV880を使用
N811 ニュースフラッシュ  20010/11/03 2010航空自衛隊入間航空祭 F-2Aの拡大写真を追加


〇 
シービーの思い出

 リパブリック シービーは、P-47サンダーボルトのテストパイロットをやっていた人が設計したということですが、世界では今でも愛好者が多いみたいです。しかし、わが国の登録は中日本新聞のシービーだけで、それも短期間で消えてしまい、他に、マニアによってNナンバー機が2機撮影されているものの、詳しいことは分かりません。
 航空史の思い出の中に取り上げておきましたので、中日本新聞社が、なぜ、この珍機ともいえる水陸両用機を第1号機にしたのか等を含めて、解明されることを期待します。

〇 東京航空のセスナ

 昨日、フィルムが貴重品だった時代に、陸自のL-19ばかりに目がいってしまったことが悔やまれるというお便りと共に東京航空のセスナが半分写っている写真を発表しましたら、すぐに反応があって、JA3033新島号と初島号の全景写真が届きました。ありがとうございました。

 関連して、Nさんから次のメール

 東雲は懐かしい地名です。小生は豊洲小学校卒で、我が家は豊洲4丁目の麦畑の脇、その上空がセスナ170の進入コースになっていて、家にいながら飛行機を眺めることができました。ということで鉄道模型から模型飛行機に趣味が変わりました。近所の高校生がUコンをやっていて、エンジン音にたまらない魅力を感じました。米軍の通信隊が辰巳にあり、クリスマスの時には小学校にきてプレゼントにキャンディーをもらったことがあります。今のコーラ味の飴で、当時は薬みたいな変な味だと思ったものです。

〇 スイス航空もCV880を使用

 スイス航空が東京便をDC-6BからCV990コロナードに替えたという当方の記述の誤りを正すとともに、990を受領するまでのつなぎのような形で飛ばしていたCV880の写真を頂きました。このHB-ICLが、のちに日本国内航空機になり、日航が借りて乗員訓練中に羽田で墜落炎上した銀座号です。
 


〇 以上、修正のご通告に加えて秘蔵の写真まで送られてきて、実にありがたく受け取っています。それらを優先して発表しますので、あちこち飛んでて見ずらいところがあることをお許しください。お休みの日を、じっくりと観察して、編集改善点などもご教示賜れば、なおうれしいです。

 なお、余分なことですが、昨日の反中国デモ(日比谷公園〜銀座)を、ネットで見る限りでは朝日新聞だけが報道していますね。今後、他社も追随してもらいたいものです。また、ビデオの流出について、海上保安官のやむぬやまれぬ憂国の情の発露ととらえる声が大きくなっているように感じます。ならば、堂々と「国のためにやりました」と名乗り出てほしいです。心ある日本国民が必ずや君を助けるであろうから。

 44分間の流出ビデを見る限りでは、停船命令を無視している漁船の船長の操舵は、とても漁業者のようには見えません。その後の不法漁船拿捕と船長逮捕時のビデオも見たいし、石垣で、中国外交官が接触した日から供述を180°変えたという事実ももっと知りたいところです。

 

日替わりメモ 2010年11月6日のページ更新 
A3608-6 航空史の思い出  東京航空(東雲)飛行場の小型機
T6263 写真で見る東京国際空港の歴史 1962-3年  航大のビーチクラフトD18Sなどを追加


〇 
東雲飛行場

 2機のセスナ170で使用事業を開始し、5年後に不定期免許をとって遊覧飛行を開始した東京航空の52年前の飛行場風景は、草ぼうぼうの中に陸自のL-19Aも駐機しているという、のどかというか、何とも不思議な感じを抱かせます。高速道路建設に引っ掛かったために阿見へ移転しましたが、東雲という固有名詞に懐かしさを覚える人もいるのではないでしょうか。

♪ 東雲のストライキ さいと(斉藤)は つらいね てなことおっしゃいましたかね 〜

 と、これは、熊本の芸者が東雲楼の主人斉藤に対して起こした騒動の演歌であります。東京の東雲飛行場があった近くにも深川芸者、江戸城から辰巳の方角にあたるので辰巳芸者ともいい、男物の羽織を着ていたので羽織芸者とも呼ばれた紅楼がありました。つい最近まで、私は深川芸者のストライキを唄ったものと思っていました。最近は、築地市場の移転問題で揺れている土地の近くでもあります。あっ、ヒコーキには無関係の話しでしたか! 

〇 写真で見る東京国際空港の歴史

 今朝は、1962年に航大のビーチクラフトD18Sほかを追加しました。航大機JA5010は、後にボルカ―キットによる前輪式に改造され、引退後は宮城県の瀬峰飛行場におかれ、今は、福島県郡山市内に展示されているのがそれではないかと思われることは、それぞれのページに紹介しているとおりですが、尾輪式時代の写真は初登場です。

 なお、併せて載せている日航オペレーションセンターの前に止まっている外車がとても懐かしいので拡大しておきました。クルマに詳しいかつおさんから、それは1951年型Pontiacマニアはポンテと略しただよと、同じ頃の高知空港でマラソンを写した写真と共にお知らせを頂きました。

 

 輝いていた1950年代のアメリカ乗用車の代表作の一つですね。10年経っても飛行機に負けない風格が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。高知空港の左の車は日野ルノーです。


お断り : 昨日の東京国際空港の水の話し2題 は、やや書き過ぎの点があり取り消しました。失礼をお詫びします。

 

日替わりメモ 2010年11月5日のページ更新 
HOME
T61-1
[表紙絵118] ハイドロブレーン現象でオーバランした日航DC-8 HAKONE号 
写真で見る東京国際空港の歴史 1961年 ダグラスDC-8 HAKONE号の事故を追加
T6263 写真で見る東京国際空港の歴史 1962-3年 CV990カラー写真とバイカウントの写真を追加
A5304  航空史探検博物館 三重県亀山市 ドライブインあんぜん文化村 ロッキード アスカラーテLASA60の組立時写真を追加


〇 
東京国際空港の水の話し 2題

 (削除)

〇 アスカラーテ

 メキシコの航空の恩人といわれているアスカラーテ大統領の名を冠したロッキード社設計のビジネス機LASA60の珍しいカラー写真も届きました。1963年当時の羽田の写真と一緒に送られてきましたが、その場所が調布のようにも見えますので、とりあえず、三重県亀山のドライブインあんぜん文化村の方に収録しておきました。

 でも、肝心のあんぜん文化村での展示はどうなっているでしょうか。文化村ホームページに地ビールや美術館の宣伝はありますが、ヒコーキは見当たりません。日本航空連盟で活躍されたオーナーさんから世代が代っているのかもしれませんが、どなたか確かめてくださいな。

 

日替わりメモ 2010年11月4日のページ更新 
N811 ニュースフラッシュ  20010/11/03 2010航空自衛隊入間航空祭 
T6263 写真で見る東京国際空港の歴史 1963年国内線ジェット機の売込み競争 勝者はボーイング727
       当時の各社雑誌掲載広告
       新 シュド カラベルの売込み 
       ボーイング727の売込み
       ホーカーシドレー(デハビランド) トライデントの売込み カラー写真を追加
       新 乗り遅れたBAC111(ワンイレブン)の後年の売込み
T53-1 写真で見る東京国際空港の歴史 日本におけるダブ1番機 極東航空向けG-AMVT   東亜航空の写真を追加


〇  
1963年 国内線ジェット機の売込み競争

 昨日に続いて国内線ジェット機の売込み競争の写真をアップしました。geta-oさんから届いた写真は、すべて売込みのために東京国際空港へ飛来した時のもので、特にカラー写真は当時の雑誌にも載っていないとても貴重なものです。どこから情報を得られていたのか、羽田だけでなく厚木や横田ほか全国をカバーしながらの記録ですから、その行動力には頭が下がります。(もちろん今も同じです)

 お蔭で1962-63年の東京国際空港のページがぐんと充実しましたが、今朝の作業に間に合わないので明日に延ばしたものの中にも、まだまだあっと驚くカラー写真があります。乞うご期待! 

〇 日本におけるダブ1番機 東亜航空の写真

 これもgeta-oさんから、希望に応じて頂きました。恐らく、本邦初公開写真だと思います。JA5003の機首に03を書いていただろうとは想像していましたが、その後ろに「あ ま み」と書いてあったとは!
 はるばる鹿児島まで行って写されたことに座布団10枚です。
 日本に来た航空機のすべてを写しているという、かの下郷さんの全機写真集にもJA5003そのものが載っていませんから、今朝は、天国で悔しがられているかもしれません。

 なお、カラーの参考としてRainbow Galleryさんの絵を借りていますが、この写真により修正をされればより価値があがりますので、よろしくです。

 

日替わりメモ 2010年11月3日のページ更新 
HOME
T6263
[表紙絵117]  写真で見る東京国際空港の歴史 次世代短距離ジェット旅客機の猛烈な売込み競争を制したボーイング社の広告
写真で見る東京国際空港の歴史 新
 1963年国内線ジェット機の売込み競争 勝者はボーイング727


〇 
1963年 国内線ジェット機の売込み競争

 社史によりますと、全日空はバイカウントの機数が足らなくなるほど客足が伸び、日航はバイカウントに取られている客を取り戻さなければならず、両社とも短距離ジェット旅客機の導入に向けて本格的な検討に入りました。もちろん、各メーカーによる猛烈な販売合戦が展開されます。当時の新聞経済欄を大いに賑わしました。

 雑誌広告も華やかでした‥ が、当然ながら途中や最終選考で脱落した会社はすぐに出稿を止めてしまいますので、63年末から64年にかけての広告を見るとどこが落ちて、どこが残ったのかわかります。世の常とはいえ、一人勝ちしたボーイング727(代理店は日商)の高笑いの陰で、他の日本代理店や、広告が減ることになる雑誌社の営業マン達は冬空を厳しい気持ちで見上げていたのでしょうね。

 BAC、ホーカーシドレー、シュド、ダグラスの各社次世代短距離旅客機を蹴落としたボーイング社のその後の躍進はご承知のとおりです。1963年9月にアレン社長を乗せて大西洋経由南回りで日本へデモって来た3号機のカラー写真が一段と輝いて見えるのは、気のせいでしょうか。各社の広告とともにじっくりとご覧ください。
 


〇  私事ながら、30日広島西飛行場の定期便さよなら風景を地元NHKに写真を送りましたら、1日月曜日午後6時台のローカル番組で紹介されました。31日の日替わりメモに書いた演出のことは内緒にしたので、展望デッキに向かってのお手振りが自然なものとして視聴者に受け入れられました。済みません! でも、展望デッキの人々にもJACの皆さんにも良き想い出になったのではないでしょうか。罪は軽い!

 

日替わりメモ 2010年11月2日のページ更新 
N809 ニュースフラッシュ 20010/10/30 さよなら JAC 岡山〜鹿児島線
N808 ニュースフラッシュ 平成22年度航空自衛隊岐阜基地航空祭 追加 異機種編隊飛行のより鮮明な写真


〇 さよなら JAC 岡山〜鹿児島線

 10月31日からは、広島西飛行場の日本エアコミュータ路線だけでなく、松山空港の大阪線5便が全廃になったのを始めとして、名古屋(中部、小牧)や山形など各地の空港でJALの路線廃止ないしは減便が実施されました。

 試みにJAL国内線時刻表を手に取りましたら、10月1〜30日号が118ページなのに対して10月31日〜1月4日号が142ページと逆に大幅に増えています。運航が減ったのに時刻表が分厚くなったとはこれ如何に? よくよく調べますと運賃表が22ページも増えているのです。つまりは、運賃体系をより細かな刻みにしたためでしょうか、稲盛経営の神髄をチラリと見る思いです。念のため、全日空の時刻表は、ページの変化はございませんです。

 話が飛びましたが、岡山空港から鹿児島線最終便のセレモニーが届きましたので、広島西のところに併せて載せました。他の空港でも同じような風景が見られたのでしょうか。定期便がすべて終わりを告げたのは広島西だけですが、それも含めて、全ローカル空港よ捲土重来を期そうではありませんか。

 

日替わりメモ 2010年11月1日のページ更新 
T6263 写真で見る東京国際空港の歴史 1962年 新 スイス航空のコンベアCV990コロナード
R118 調査研究コーナー 東洋機構サービスの風見鶏エンストロム JA7717の謎     答え JA7594らしい
A4623  航空史探検博物館 名古屋市緑区 早川モータース のエンストロム JA7589の試験飛行中の写真 


〇 
エンストロム 
 (ENSTROMを
エンストロームとしていましたが、日本航空機全集や防衛省エンストロム480Bの表記にならってエンストロムに改めます)

 新下関駅から見える東洋機構屋根の風見鶏エンストロムについては、JA7717でないことがはっきりしました。では、どの機体を持ってきたのかというと、形状と塗装から北海道美幌町の怪しげな元町会議員の所からではないかという推理にいきつきます‥
 が、その先は闇の世界になるかもしれず、深入りしない方が賢明のようであります。JA SEARCHの制作者さん、この程度でご勘弁を。

 ただし、関連して日本におけるエンストロムの第1号機であるJA7589の試験飛行中の写真を頂きました。多分、発表されている中ではエンストロムの日本最古の写真であり、思わぬ収穫でした。

〇 スイス航空のコンベアCV990コロナード

 1962年東京に初飛来したスイス航空のコンベアCV990の写真も頂きました。
 CORONADというのは、日食のときのコロナをイメージするのでしょうか。胴体にエリアルールを採り入れ、主翼に4個のカプセルを取り付けて公称マッハ0.91のスピードを狙う技術的には野心的な旅客機でした。しかし、CV880とともにユーザーの苦情に対応する設計変更の山のために、ジェネラルダイナミックスに大赤字をもたらした迷機でしたね。東京国際空港へは何時まで就航していたのか忘れましたが、懐かしいヒコーキの一つであります。
 


佐伯からお礼とお願い : このところ、当方が誌上で発した疑問や質問に対して、打てば響くように情報を頂戴します。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の値打ちを一段と高めて頂いていることに感謝の念でいっぱいです。 個別に返信をしておりませんが、誌上を借りて厚く御礼申し上げます。それと、俺のはまだ出てこないがと怒っておられる皆さん、少しずつ処理はしていきますので、どうか気長にお待ちくださるようお願いします。


もう一言 : 昨日、30日に定期便の幕を降ろした広島西飛行場へ行ってみました。JACの機器や搭乗ゲートの手荷物検査機器などを撤収引越作業が行われていました。折しもそぼ降る涙雨の中であり、何枚か写真を写したものの気の毒で発表は控えることにしました。

 

日替わりメモ 2010年10月31日のページ更新 
N810 ニュースフラッシュ 20010/10/30 モナコ政府のファルコン900
N809 ニュースフラッシュ 20010/10/30 さよなら広島西飛行場 定期便 鹿児島・宮崎線


〇 32年と49年と

 この数字、賢明な読者はもうお分かりですね。
 昨日、東京国際空港から32年ぶりに国際定期便が飛び立ち、広島西飛行場では1961年以来49年間絶えることのなかった定期便が最後の飛行を行いました。

一文字熟語 : 前者を伝えるニュースは「明」、後者を伝えるニュースは「無」
 
 30年前の日本航空協会発行 日本航空史年表に「◎ 豆辞典  広島空港ビルディングは、広島地方の”空の玄関”である広島空港の歩みと共にその歴史を刻み、いまや資本金1億2千万円に増資され、ジェット機の乗り入れに呼応して、着実な発展をとげている。」とあります。

 着実な発展をとげていたビルの展望デッキが、昨日、何年ぶりかに監視員付きで開放されました。手すりのペンキが剥げ落ちていますから触ると汚れますとの注意を受けながら、鹿児島から来て13:40に宮崎へ飛び立つサーブ340を見送りました。

 あらかじめカウンターのJACお嬢さんにセレモニーがあるのかと聞いたら19:40の鹿児島行き最終便でやりますとの答えなので、「この便でもやりなさいよ、上司に伝えなさい!」と要求して実現。
 さよならの横断幕を持ってランプアウトを手振りで見送ったらすぐに撤収しようとするので、JACお嬢さんのハンディートーキーから「展望デッキの方にも挨拶しろ!」と要求して実現。
 更に「手を振れ!」と要求して実現。
 まあ、そんな厚かましい演出をしてもらった結果をご覧ください。彼女たち(広電観光の職員)に聞くと広島空港へ配転になる人、今日限りで退職する人とに分かれましたが、やたら、うるさいオッサンが最終日に来ていたわねえと後年の同窓会の刺身のツマくらいにはなることでしょう。


 比較しようもない程、極端な差がある「明」と「無」の、後者の淋しき巷談一席でありました。

 

日替わりメモ 2010年10月30日のページ更新 
T55 図書室  書 評 『新千歳市史』編さんだより 志古津 第12号  米空軍千歳基地
R118 調査研究コーナー  東洋機構サービスの風見鶏円ストロームJA7717の謎


〇 
米空軍千歳基地

 『新千歳市史』編さんだより 志古津 第12号をネットで読んでみてください。日本の航空100年のなかで、千歳に駐留した米空軍の13年間がどのように評価されているのか知りませんが、虎視眈々狙っていたソ連から北海道を守ってくれた歴史を忘れるわけにはいきません。でも、既に断片しか残されていない史資料から解明することの難しさを図書室で取り上げてみました。不肖、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、ひと財産築いている芸能人よりも、このような地道な作業人にこそ文化功労章を差し上げたいです 。

〇 風見鶏のJA7717の謎を取り上げた人は、JA SEARCH 日本の民間航空機登録データサービスの制作者です。この人も故下郷さんに負けないデータ重視論者です。当方も随分活用しており感謝していますが、やっぱり、不明な点やクエッションマークも出てきます。基礎資料の大切さを思い知らされる今朝のページ更新でした。


〇 羽田の国際線定期便が華々しくオープンする陰で、今日は広島西飛行場の定期便がさよならフライトです。時間が取れたら行ってみようかと思います。せめて、飛行場を県知事のいうヘリコプター専用空港としてでも残してくれることを念じつつ。

 

日替わりメモ 2010年10月29日のページ更新 
N808 ニュースフラッシュ 20010/10/24 平成22年度航空自衛隊岐阜基地航空祭 その 2を追加
HOME
T53-1
[表紙絵116]  日本におけるデハビランドDH104ダブ1番機 羽田到着時と最後の地種子島にて
写真で見る東京国際空港の歴史
 1953年 日本におけるダブ1番機 極東航空 向けG-AMVT 参考図 東亜航空機のスケッチ


〇 
東亜航空機のスケッチ

 写真で見る東京国際空港の歴史1953年のページで極東、全日空、東亜の写真提供を呼びかけていますが、ネットで探しましたらRainbow Gallery にT.Takahashiさんによる東亜航空のカラースケッチがありましたので、転載させて頂きました。

 東亜航空の塗装は、セスナ、D18S、ダブ、ヘロン、CV240、YS-11を通じてほぼ同じコンセプトですので、細かな点を除けば、TAWカラーをよく表現してあると思います。

 表紙絵の日本到着時の胴体帯は、恐らく、極東航空向けの青だろうと思われ、極東はこれに白の縁取りを付けて操縦席下の帯の中に白で山陽と書き入れました。全日空になってからも、山陽は消されて、機首に03を書き入れましたが、帯のデザインは全日空カラーのブルーに白の縁取りであったと思います‥

 思いますというのは、やはり極東ー全日空ー東亜の経路をたどったJA5007がおり、その写真からの推定という意味です。因みにダブルオーセブンの極東時代の愛称は九州でした。

 

日替わりメモ 2010年10月28日のページ更新 
N808 ニュースフラッシュ 20010/10/24 平成22年度航空自衛隊岐阜基地航空祭 その1
T6263 写真で見る東京国際空港の歴史  1962〜63年の風景
写真で見る東京国際空港の歴史 バイカウント744 G-APKJのカラー写真を追加


〇 
岐阜基地航空祭 

 異機種編隊飛行のナレーションで、三次元フォーメーションとか、実用新案出願中とかの放送に場内の笑いを誘ったそうですが、これを平板な写真で表現するとなると難しいですね。しかも、全機を入れようとすると豆粒の機影になってしまうし、あるいは、最近の自動フォーカス(と言うのかしら)では、勝手に焦点を決めてしまうので、早撮りではあまりいい結果が出ませんね。そのあたりのご苦労をお汲み取りください。

 XC-2の胴体のリベットをクローズアップした写真は注目ですよ。計算上の強度がでない悩みが深刻なようで、補強を重ねていくと、専門家によりますと計画搭載量に大きく影響してくるそうです。輸送機の致命傷にならなければいいですがね。

 なお、岐阜基地航空祭の地上展示機などの紹介は後日に回しました。

〇 写真で見る東京国際空港の歴史

 1962〜1963年まで進行しました。この時期、どういう訳か投稿写真が少ないので、アルバムの中にこんなのがあるよという方は、どうぞ歴史記録に協力してください。また、次の1964年東京オリンピックでの外来機についても探してみてください。

 

日替わりメモ 2010年10月27日のページ更新 
N807 ニュースフラッシュ 2010/10/17 陸上自衛隊中部方面隊創部50周年記念日
N806 ニュースフラッシュ 2010/10/16 堺港でDDH-142ひえい(SH-60J搭載)公開
N805 ニュースフラッシュ 2010/10/23 八尾駐屯地 公開 さまざまな写真を追加


〇 関西の航空ニュース3件

 すこし遅れましたが、堺港、伊丹、八尾でのイベントがようやく整理できました。伊丹は、中部方面隊創部50周年記念ということで、陸自ヘリコプターの全機種が編隊を組んで飛行し、その中からAH-64とAH-1Sが降りて展示されるという、これまでの陸自定番のOH-6とUH-1展示という常識を破ったのが注目されます。

 八尾については、CDと一緒に煎餅を送って頂いたので、賞味する前に1枚写真に撮っておきました。見てくれはあまりよくないですが、味はなかなかのものです。

 護衛艦ひえい艦上のSH-60Jに付き添ってきた小松島航空基地隊員のワッペン、傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)のお弓とお鶴でしょうか。かかさまあーの浄瑠璃が聞こえてきそうなデザインでっせ! 

 それぞれの写真をご堪能ください。


〇  J-BAPH機の事故について ご存知ありませんか?

 R117へ転記

 このように日本機の登録記号を外国のホームページに頼って決めていかなければならないという現実はつらいですね。そもそも、このCivil Aircraft Register - Japanは、Air Britainの調査をもとにしているらしいのですが、ではAir Britainは何を原典としているのか、その辺を詳しく知りたいところです。

 これは1945年以前のJナンバーに限った話ではなく、戦後航空再開後のJAナンバーについても同じことが言えるのではないでしょうか。特にグライダーがそうですけれども、JA3000、5000、6000、7000、8000台についても初期の確定記録(所有者、改造、塗装の変遷、用廃後の消息など)はどこにもありません。

 例えば、表紙絵のダブJA5003が全日空から東亜航空に移転して、定置場も東京から鹿児島に変えているのですが、その日付が分からないといったことがあります。時間の経過に比例して記憶は薄れ、資料は散逸していきます。ともかく、分かるうちに分かるものを記録として残すことが次善にして最大の効果ある仕事でありましょう。

 日本で誰もおやりにならないとすれば、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が手掛けるほかありません。とりあえず000から100まで、つまり各千番台の初めの約100機をやるようにお尻を叩かれているので、その気にはなりつつあります‥

 が、写真で見る東京国際空港の歴史もまだまだ未完成ですし、今週は、大量に頂いている岐阜航空祭の写真のどれをピックアップして発表するかに忙殺、といった具合で、なかなか新しい風呂敷を広げる環境にになりません。アシスタントが欲しいです。

 

日替わりメモ 2010年10月26日のページ更新 
  調査研究コーナー  J-BAPH機の事故について知りませんか?


〇 
J-BAPH機の事故について ご存知ありませんか?

 R117へ転記

 

日替わりメモ 2010年10月25日のページ更新 
N805 ニュースフラッシュ 2010/10/23 八尾駐屯地創立56周年及び中部方面航空隊創隊48周年記念行事
HOME [表紙絵116]  日本におけるデハビランド ダブ1番機になるG-AMVT この後極東航空に
写真で見る東京国際空港の歴史
 新   1953年 日本におけるダブ1番機 極東航空 向けG-AMVT
 追加 1957年 朝日新聞社第2朝風(N68285→JA5026)が到着
 
追加 1959年 キャセイとカンタスのエレクトラ タイのスーパーコニー
 
追加 1961年 FAAのロッキードL-649の飛行中の写真


〇 
写真で見る東京国際空港の歴史

 いろいろと追加しましたが、必ず見てもらいたいのは1953年と1957年です。ダブとエアロコマンダーがGナンバーとNナンバーで羽田に到着して間もない時の写真です。このような古い機体は、JAに書き替えてからの写真すら探すのに苦労するのに、原国籍で飛来してきたときの写真など稀有の存在です。

 よくぞ写していてくれたものと感謝ですし、そのプリントが残り、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲という発表手段に見いだされてスキャンされ、ここへ送られてきたというプロセスを考えますと、陽の目を見る確率はどのくらいになりましょうか。

 非常に感慨深いものを感じると同時に、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲上の各氏からの情報に触発されて、その確率がどんどん高くなり、埋もれていた歴史の証人たちが次々に登場してくる喜びを、皆さんと共に味わいたいと思うこの頃です。

 

日替わりメモ 2010年10月24日のページ更新 
調査研究コーナー 日本におけるコンベア CV240研究 JA5092  Nナンバーの時の写真を追加


〇  
ちょっとミステリアスなNナンバーのCV240



〇 ベル47D-1エンジンの試験台 について  

R116へ転記

 

日替わりメモ 2010年10月23日のページ更新 
A4522 航空史探検博物館 静岡市葵区 永野自動車のビーチクラフトT-34Aの現状
R116 調査研究コーナー このボンネットバス改造車は何でしょうか? 答え ベル47D-1エンジンの試験台です


〇 
ベル47D-1エンジンの試験台

 飛行場にはいろいろな自動車が働いていますが、50年前に全日空の格納庫で見たボンネットバスの後部の客室を半分取り除いて、何やら装置を取り付けている車は、日ペリが初めて買ったベル47D-1のエンジン試運転台車でありました。

 これなら、ヘリコプターから取り外したエンジンを装着して、飛行場のどこへでも行って遠慮なく試運転ができたわけですし、雨が降れば客席で雨宿りもできるという一石二鳥のアイデアでしたね。それも、ちゃんと木型でモックアップもあり、十分に検討してから本式のものに取り掛かったのでしょう。

 ベル47系は、フランクリンエンジンからライカミングVOへ、そして川重のG型(KH-4)になって排気タービン付きのVO-435で集大成となりましたが、この初期のエンジン試運転台とボンネットバスが保存されていたら、間違いなく「いかにも日本人の発想らしい」産業文化遺産になっていますね。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲として保証しておきましょう。

 

日替わりメモ 2010年10月22日のページ更新 
N803 ニュースフラッシュ 2010/10/21 トルコ国民議会議長特別機 ガルフストリームG-W
航空史探検博物館 写真で見る東京国際空港の歴史 1961年の風景 CV880 CV240 ヘロン ダブなど

調査研究コーナー 日本におけるコンベア CV240研究 JA5092 Nナンバーの時 と日本国内航空日高の写真
調査研究コーナー 日本におけるコンベア CV240研究 JA5087 北日本航空の胴体ラインを残すの日本国内航空写真


〇 
写真で見る東京国際空港の歴史 1961年の風景

 日航のコンベアCV880Mは、香港など東南アジアに飛んでいたDC-6Bが、キャセイパシフィックのエレクトラに食われだしために中距離用大型機が検討され、ボーイング720やシュドカラベルを退けて採用されました。コンベア社への第一次発注分3機は、はじめに全日空のコンベアCV440に対抗するために札幌線、大阪線に就航しました。以後、海外線にも飛びますが、離陸時の不安定などで多くのパイロットに嫌われるし、コンベア社そのものが880に意欲を失ったため、部品修理にも時間がかかるなど、問題機のひとつになっています。

 今朝アップした写真(既出の再編集)にも、新造機なのに、まるで事故ったような胴体塗装の剥がれにその一端をみることができます。

 そのほか、1961年の羽田風景として、ちょっとミステリアスなNナンバーのCV240、非常に珍しい富士航空のヘロン(今は福岡の貝塚公園にある)、多摩川で水浴びして壊れたダブ、JAMCOが米軍とFAAの機体を整備している写真など、赤塚少年が、恐るおそる歩いて写してきたのであろう一級資料を載せています。またもや「凄い、貴重だ」の連発ですよ!

 

日替わりメモ 2010年10月21日のページ更新 
A4401 航空史探検博物館 岐阜県 航空自衛隊岐阜基地 ノースアメリカンT-6Gを民間貸与 博物館に収納の予定
N803 ニュースフラッシュ 2010/10/16 第15回調布飛行場まつり
N802 ニュースフラッシュ 2010/10/16 オーストラリア空軍の737とフジドリームエアラインズの4号機


〇 岐阜基地展示のノースアメリカンT-6Gが博物館入り

 岐阜基地の渉外室広報係から電話を頂いてびっくりしましたが、時間がたつにつれて、これは凄いことだと独りで興奮してしまいました。民間が展示用に貸出を希望するとすれば、あまり手入れを要しない新しいものというのが相場でしょうが、よりによって33年間も雨ざらしになってきた老兵のテキサンとは! !

 聞けば、ヤマザキマザックという工作機械のメーカーが博物館をつくり、その中に1940年代のものとしてノースアメリカンT-6Gを展示するということです。
 52-0100号機に思ってもみなかった幸運の女神が訪れました。のみならず、 すべての航空愛好家へのプレゼントと言っておきましょう。ぼつぼつスクラップ行きの運命が逆転したのですから。
 声高に、航空機を重要な歴史産業遺産だと叫ばれる割には、実行が伴わない日本において、これは有言実行そのものです。 ヤマザキマザック株式会社(本社愛知県大口町)に心から敬意を表し、平成24年開館といわれる博物館に大いに期待いたしましょう。
岐阜基地ホームページ参照

 なお、渉外室は「航空祭の日にT-6が無いのを見て、ヒコーキ雲に苦情が行くかもしれないので、老婆心ながらお知らせを‥」ということでありました。24日の祭に向けてご多忙の中、まことに恐れ入ります。併せて、常設展示のロッキードT-33A 51-5663が再々塗装の準備に入っており、また、基地OBが常設展示場(広報展示機地区)に6個の椅子を設置してくれたそうです。各機体をゆっくりと観察してくださいね。

 本番の方でも、脚立が禁止されているので、目玉のXC-2展示など気楽に写真を撮ることができるでしょう。

 

日替わりメモ 2010年10月20日のページ更新 
N801 ニュースフラッシュ 2010/10/19 ボツワナ共和国大統領特別機 ガルフストリーム G-W
                                           9:30 グローバルエキスプレスに訂正
写真で見る東京国際空港の歴史  [60-3] 1960年9月 日本の航空50周年記念航空ページェント
A3501 航空史探検博物館 千葉県柏市 海上自衛隊下総航空基地 各展示機の説明板  


〇 
1960年9月 日本の航空50周年記念航空ページェント

 日本の航空半世紀の1960(昭和35)年は、航空再開後9年、羽田飛行場接収解除・東京国際空港発足後8年にあたり、旅客機の本格的なジェット化に向けて日本の航空が大きく変わる年でもありました。その空の日を飾る行事は、航空ページェントをはじめとして、日本橋三越と池袋西武デパートでの大掛かりな航空展、日比谷公園での飛燕や剣の展示など大変に盛大なものでした。

 写真で見る東京国際空港の歴史1960年の締めくくりとして航空ページェントの模様をご覧にいれます。

 今年のブルーインパルス50周年とは、空中機動戦技研究班のハチロクが、10回目の公開飛行にして初めて首都の上空で舞い、一般に強く印象付けたことから、チームの名をラジオコールにちなんでブルーインパルスと名付けたことを起源とします。

 アンリファルマン機の前でプラモマニアでもあった小金馬師匠が徳川さんと源田さんにインタビューしている場面は、彼が主役のフジテレビ番組の生中継であったことなど、初めて知りました。

 アンリファルマンといえば、西武デパートの屋上では、大阪の中正夫さんが製作した実物大レプリカが展示され、鰐淵晴子さんが徳川さんに花束を贈呈している場面が航空ファン1960年11月号にのっていますが、その後、この機体はどこへ行ったのでしょう。 

 いずれにしても1960年に限らず、その当時の空の日の行事は小牧でも板付でも相当に盛大であったことが雑誌記事などから伺えます。その仕掛人は役所? 民間?
 今年の航空100年空の日行事には熱意のある仕掛を殆んど感じませんね。ブルー
インパルス50周年の方は目立っていますが。
 市民から離れたところでは、100年記念式典やら表彰やらレセプションが行われるのかもしれませんが、それは一部の方のマスターベーションであって、庶民には関係ありませんものね。


〇  「今朝だけは許して」への反応 (日替わりメモ15日と16日の続き)

・ 日本在住の中国人の方から :
 立場が微妙なので議論したくはありませんが、領土問題はどの国にとっても非常に難しいことなんで、自分の主張だけではなく、相手の主張を知ることも重要であり、それを知った上で論議するべきと思います。でも最近のマスコミの報道を見る限り、どこのマスコミも中国側の主張を資源のためとしか報道しておらず、これは非常にまずいと思います。このたび中国側がなぜ尖閣諸島を自分の領土と主張するか、その経緯(「評論・日本政府による釣魚島灯台『接収管理』」(05年02年23日 人民網日本語版)を見てください。
 http://j.peopledaily.com.cn/2005/02/23/jp20050223_47818.html
 
それともう一つ、下記もぜひご覧ください、一連の事件に、中国漁船・中国漁政船・海保に関する情報が一杯入っています(中に海保の船から撮った漁政船のビデオと写真、中国漁政船から撮った海保写真などもあります。)  http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/

佐伯から : ノーベル平和賞受賞者については人民政府以外の世界世論と各国公式声明(日本を除く)のとおりですが、尖閣問題については次のように考えています。それは、王道楽土を目指した満州で気楽な少年期を過ごし、敗戦でその存立地盤が一挙に崩れたみじめな経験からくるものと言っておきましょう。
 
 前にも書いていますが、領土を広げたいのは独立国として当たり前であり、それは強いものが勝ちます。歴史をたどれば、本来どこの国のものであったかわからない土地や海洋は無数にある訳で、それらは実効支配あるいは戦争によって奪うものであることが明瞭な歴史上の事実であります。(中国の歴史を見よ!)
 尖閣が日本領土であろうと中国領土であろうと、その法律論争は学者や国連に任せておいて、日本政府が領土であると断言するのなら、菅総理が温家宝首相に負けない毅然とした態度で対処してほしかったのです。それが無いから悔し涙を流しているわけです。

 

日替わりメモ 2010年10月19日のページ更新 
N800 ニュースフラッシュ 2010/10/17 大村四部隊合同自衛隊記念日行事
A8705  航空史探検博物館 鹿児島県曽於市  たからべ温泉健康センター ビーチクラフトE18Sの現状
A8713 航空史探検博物館 鹿児島県霧島市 上床公園 いしぶみ 特攻碑 第二国分基地滑走路のコンクリート片 


〇 保存展示機の宿命

  陸自大村駐屯地のUH-1Bが3色迷彩から2色迷彩に塗り替えられ、尾部の陸自ナンバーは消されてしまいました。何かの試験のためと思いたいですが、N.P.C.さんが言っているように、UH-1のB型が残っているだけでも善しとしなければならないでしょうね。

 鹿児島県財部温泉のビーチクラフトE18Sは、写真で見る東京国際空港の歴史に何枚か出てくる読売新聞社の107です。坂口行治さんの努力でエンジン稼働の動態保存が行われてきましたが、遂に息切れかという状態のようです。坂口さんは、日本エアシステムを(YS-11引退と同じ頃に)退職して、いまは崇城大学航空学科の教官ということなので手が回らないものと思います。心中お察ししますが、新聞航空華やかなりしころの名機をこのまま朽ちさせないように、何とか頑張って!

〇 上床公園の特攻碑

 飛行服の銅像が鹿児島空港の方(東南)を向いて設置されているそうです。知覧や沖縄は西南だけどなあ、というのは下種の勘繰りにすぎません。ただ、HAWKさんが、特攻碑のそばの機体がメンターというのが、知覧特攻平和祈念館の富士T-3と同じように 少々違和感を抱いたというのは分かりますね。 上床には「特攻碑の建立を記念してT-34Aを貸与してもらった」と説明してあります。


〇  添田公園のロッキードT-33Aは合体メカか? (16日 A8112)  

・ 伊藤憲一さんの意見

 福岡県添田公園のT−33A(#358)につきまして、#403に退役後、#358と書き換えたような感じがします。(合体メカで、現役時に#358と書き変えたとは思えない。)
理由として、
(1) 胴体中央部に#403の痕跡がうっすらと残っている。
(2) 尾翼のシリアルナンバーばかりでなく、機首のラジオコールナンバーも、退役後、書き込んだと思われる。
   その根拠として、T−33Aの写真集などから、
  (ア) 尾翼のシリアルナンバーの現在の字体は、明らかに現役時の字体と異なる、
      (現役時の字体は、かなり細い)
  (イ) 機首のラジオコールナンバーの現在の字体についても、「3」と「8」の字体は現役時の字体と同じよう
    に見えるが、「5」はあきらかに違う。
     「5」の現役時の字体は、真ん中の横棒の位置が上下のほぼ中央位置に見えるが、現在の字体は、明
    らかに、中央位置より高いところにある。(写真集で#358も確認しているが、中央に見える。)

 以上、現役時に、主翼のナンバーをもらって#358と書き換えたとすれば、その時点で字体を変えるとは思えないので、やはり、退役後、書き換えたものと思われますが、どうでしょうか。(#358を、退役、塗装直しなどで、このような字体にした可能性もないことはないのですが。)

佐伯から : 詳細な考証をありがとうございました。伊藤さんの結論のと おりと思います。展示に当たって、担当者の中に#358に思い入れのある人がいて、そのように書かれたものとしておきましょう。

 

日替わりメモ 2010年10月18日のページ更新 
N799
A3502
ニュースフラッシュ 2010/10/16 ハンスグラーデ機4/5模型を組立 航空科学博物館
航空史探検博物館 千葉県成田市 航空科学博物館 航空百年記念 ハンスグラーデ機4/5模型を屋外展示
写真で見る東京国際空港の歴史  1960年 全日空バイカウントと日航DC-8 それぞれ初号機の到着


〇 
ハンスグラーデ機

 徳川・日野初飛行の航空100年の当日が迫ってきて、各所のファルマン機とグラーデ機の扱いを見る限りでは、日野大尉のグラーデ機のほうに関心が高く、ファルマン機は影が薄いように感じます。成田でもそうですね。 
 あくまで佐伯の主観に過ぎませんが、現今の閉塞感が充満する世相において、陸軍将校として清く生きた徳川さんよりも、一生を通じて失敗と成功の繰り返しという波乱に満ちたダイナミックな日野さんに共感するところが多いのかもしれません。もっとも、模型を作るにしてもファルマン複葉機よりはグラーデ単葉機の方が取りつきやすいということもあるのでしょうが。

 ところで、航空100年に際して、例えば↓のような催しが行われますが、

 この展覧会は、はやぶさなど宇宙関係がメインテーマになっているようで、ヒコーキマニアにはピンときません。航空100年に宇宙開発を入れると(固定翼エンジン機、ヘリコプター、グライダーの100年)の印象がとても薄くなってしまいます。実際には見てみないと何とも言えませんが、入場料1300円も払って宇宙主体の展覧会へ行く気にはならないですなあ。
 日本の宇宙開発も半世紀に及ぶのでしょうが、欲張るのはやめて、別に宇宙独自の回顧展をやってもらいたいものです。


〇 
 広島空港空の日 10月17日(日曜日)

 どうも、辛口ばかりで恐縮ですが、例によって広島空港空の日は地元市町村でつくる協議会が主体なので、飛行機は二の次、航空100年は関係なし、地元産品・飲食物の大PRとお子様向けショーなどの場であります。
 航空機は、C-130Hの機内見学と、県防災センターのヘリコプター見学だけです。県防災ヘリは、何と、計器飛行訓練で大分へ行ってきますと見物人を尻目に飛び立っていきました。空の日に見物人をすっぽかして訓練飛行をする必要もないじゃないかと思うのですが、お蔭で離陸シーンを見られたのは不幸中の幸い。

 このベル412EP JA6774 メイプル号防災ヘリですが、先の庄原市豪雨災害の時は忙しかったでしょうと整備員に問いましたら、中日本航空本社で耐空検査(エンジンのオーバーホールで約2か月)を受けていて肝心の時に留守にしていたという‥  おいしいところは広島市消防と陸自第13飛行隊(防府)にもっていかれたのでした。
 2か月も不在にするのに代替機を配置しないという、何のための防災センターなのか、これが地方の淋しい現状であります。

 C-130の機内見学は、事前申し込みをしていないので、展望デッキからの撮影のみです。写真の下の方に白い汚れがあるのは、ガラス越し撮影で、詰めかけている見物人の手の跡だろうと思います。なんでガラス越しなんだ‥ もう愚痴はやめましょう。   C-103H 45-1074

 

日替わりメモ 2010年10月17日のページ更新 
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OM2-17
[表紙絵115]  ノースアメリカンT-6D 1・2・3号機の格納 浜松南基地にて
航空史の思い出 
銀色時代のノースアメリカンT-6D 1・2・3号機
A8701  航空史探検博物館 鹿児島県鹿屋市 鹿屋航空基地史料館 屋外展示のエンジンに丁寧な説明板がつきました
A8706 航空史探検博物館 鹿児島県鹿屋市 霧島ヶ丘公園 すべての展示機が撤去されました


〇 浜松南基地 
ノースアメリカンT-6D 1・2・3号機の格納‥

 写真ではいつでも引き出されて飛べるように 見えますので、はじめ1・2・3号機の揃い踏み」と書いていたのですが、よく考えると1958年頃の練習機はビーチクラフトT-34メンターの全盛期であり、浜松の術科学校はT-6を持て余していたのではないかと思い、「格納」に変えた次第です。恐らく、一部が救難機として稼働していた以外は、全国の基地でこのように格納もしくは露天保存されていたものと思います。

 防衛省も米軍も、この旧式MDAP供与機の扱いには困ったものと見えて、1964年になると民間貸与という形の苦肉の策をとりました。当時の資料では、55機が各地の施設に貸与され、その多くが航空史探検博物館にも展示保存機として収録できています。

 それはともかくとして、1・2・3号機が順に並んで1枚に収められたショットは、本邦初公開ではないでしょうか。超貴重品として思い出コーナーに発表したものです。


〇 鹿屋航空基地史料館 屋外展示のエンジン

 これまで屋外展示のエンジンには十分な説明がありませんでしたが、鹿屋航空基地史料館協力会の名でこの4月に立派な説明板が設けられていました。不明であったエンジンも誉や栄と確定しているようです。ご努力を多としましょう。

 逆に、HAWKさんの報告では、基地近くの霧島が丘公園に永らく展示してった海自機が同じ4月に撤去されたこと、或いはUS-1の方向舵がとれたままであり、二式大艇の退色も進みつつあるということで、浮世のならいかもしれませんが悲しいニュースです。

 

日替わりメモ 2010年10月16日のページ更新 
N798 ニュースフラッシュ 2010/10/15 エアバスA380が羽田に初飛来 4号機F-WWDD
A8112 航空史探検博物館 福岡県田川郡添田町 添田公園のロッキードT-33Aは合体メカか?


〇 
エアバスA380が羽田に初飛来

 羽田の国際空港復活第一歩というような印象を受けます。今日の国際線ターミナルビル完成式でもA380の機内見学があるとか。A380はいいチャンスに恵まれました。787のボーイング社は完全に遅れをとりましたね。


〇 
添田公園のロッキードT-33Aは合体メカか?

 チップタンク内側の防眩(艶消し)塗装で議論を巻き起こした添田町のT-33Aが、今度は前席左側下にかすかに残るシリアルナンバーのステンシルと、尾翼、機首に書かれたナンバーが違うという問題を提起してくれました。

 調べてみると下郷資料、佐藤正孝資料ともに91-5403 の機体に81-5358と記入したものとあり、写真によりそれが裏付けられました。明瞭な尾翼のナンバーや天狗マークの輝きに対して、このステンシルは奇跡的に残っている印象であり、けんちゃんの注意深い観察に脱帽です。

 何故、別のナンバーを書き入れたのか、主翼取替による合体メカなのか、皆さんの推理をお願いします。


〇 「今朝だけは許して」への反応 (到着順)

Aさんから : 
 
"今朝だけは許して"とは随分しおらしい表現ですね。尖閣問題は、どうも佐伯さんの"一説"が本当らしいようです。とても国民に見せられるような内容ではないようです。今朝だけでなく、ガス抜きは必要です。どうぞたまにはこういう記事もよろしいかと思います。
 佐伯さんの意見を読んですっきりしました。石原知事が総理大臣だったらどうしたでしょうか。国会ではビデオが見られるようになったようです。そうすればことの実態がわかるでしょう。尖閣諸島に早く自衛隊を駐屯させないと、竹島のように実効支配されてしまうのを恐れているのは小生だけでしょうか?

Bさんから :
 
今朝の佐伯さん論説はまったくそのとうりです。(大拍手) ただしこんな民主政権も国民多数が選んだ政府で「国民レベルに合った政権」とも言えます。と言って自民も大同小異でしょうが・・・。(苦笑)

Cさんから :
 まったくおっしゃるとおりです。腹立たしいかぎりです。もし、その通りだとすれば、政治に見捨てられた現場の海上保安官たちの絶望感はいかばかりか、同情を通り越して憤りを覚えます。
 こんなことを続ければ、いずれ沖縄は中国領に、対馬は韓国領になりかねません。なにしろ、西沙諸島に軍隊を上陸させ、駐留していたベトナム軍を殺傷して占領し、領有を宣言した中国です。こんな国に譲歩して善意を期待するのは、無駄というよりむしろさらなる譲歩を要求されるのがおちです。
 冷戦時代に、領海に侵入したソ連潜水艦を、爆雷を投下して強制浮上させ、超大国ソ連に堂々と正論で立ち向かい頭を下げさせた小中立国スエーデン政府の気概を見習うべきです。
 それにしても、民主党の醜態もさることながら、今日の対中土下座外交の道を営々と築いてきたのは、国会で口をぬぐって政府を非難している自民党や媚中派の外務官僚であったことを忘れてはならないでしょう。政権交代
がこの連中の手に落ちれば、また元通りになってしまいます。

Dさんから :
 
あまり政治的な事を書かれるのは良くないと私も思いますが、今朝の日替わりメモはよくぞ言ってくれました!
 民主党って言うやつは何だか不透明?見えみえ?何て言えばいいのか分かりませんが、素人目でみてもそれは無いだろう〜みたいな外交ですよね!そんで都合の悪い事は堂々と!?隠す!!
 自民党時代はもっと筋を通して都合の悪い事を隠していたような?
 とにかく尖閣諸島の問題では腹立つやら悲しいやら久しぶりに愛国心に目覚めた人も多いのでは? 腰抜け内閣などとよく言われますが、船長を釈放した時だって身柄拘束された日本人4人の釈放を裏取引しての釈放だと思ってましたが・・・
 バカさ加減にあきれます。

さんから :
 
尖閣事件は単なる衝突ではなく大問題が隠されているようですが、反捕鯨団体シーシエパードの妨害状況は即公開しながら、尖閣は現場ビデオを非公開というワケが判ったような気がします。世界に公開すべきなのに、保安官の生命を脅かされながら全くの弱腰外交追求を恐れてでしょうか。
 国会での追及振りをみていると、今もし石破氏が外相又は首相ならどう対処したか?もうちょうっと違ったかなと思いますが・・・。
 今日の佐伯さんの論説が一般に広まり、事件の真相が露呈されることを望みます。中国も目に見えない国内大問題を抱え込んだ国なので、対外折衝でも表面と内側ではかなりの温度差があるはずです。それを正確に読み取るのが巧妙な外交手腕でしょうが、四囲を大海で保護されてきた島国民族には、そんな能力は育たないでしょうか。

佐伯から :
 
昨日の文の「朝日・読売・毎日」に「NHK」を入れるのを忘れていました。中国の反日デモは流すのに、渋谷のNHKのすぐそばで行われた大規模な反中デモは無視するという、中国国営テレビと同列のNHK報道部も日本を滅ぼす元凶でしょう。

 

日替わりメモ 2010年10月15日のページ更新 
N797
A3301
ニュースフラッシュ 2010/10/11 自衛隊記念日行事 ・入間基地体験搭乗  その2 展示機と航空自衛隊50周年記念モニュメント
航空史探検博物館 
いしぶみ 修武台碑  航空自衛隊50周年記念モニュメント「飛翔」


〇 今朝だけは許して

  チリからの感動ニュースの対称において対中国のそれには無性に腹がたちます。政治的なことをあまり書くなと、友人たちから止められてはいますが、今朝だけはお許しください。

 現中国政府の覇権主義と人権侵害には、そのうち鉄槌が下るものとして、日本の総理と官房長官の中国寄り姿勢はどうですか。昨日の参院予算委員会での総理答弁と官房長官の記者会見は、そうまで温家宝に遠慮しなければならないのかと、一日本人として悔し涙がでました。

 尖閣事件は、一説によると、海上保安官が領海侵犯の船に乗り移ったら、いきなり船を引き離し、取り残された一人は海に蹴落とされ、それを助けつつある巡視艇に向かって体当たりをしてきたという公務執行妨害どころか殺人未遂の舵取りであったというではありませんか。こんな奴を釈放し、謝罪や損害賠償も求めず、ビデオも公開しないという、日本はいつから無法国家になったのでしょうか。

 日本で生まれ育ち日本教育を受けた人を不法移民として親と引き離すなど、弱いところには徹底的に当たるくせに、温家宝にはこの揉み手外交。

 日本は民主主義の国です。中国の民主憲法草案を作って世界中に認められた劉暁波氏の受賞を賞賛し、獄から出してスエーデンヘ行かせるように要請して何が悪いのですか。それで、中国進出企業や貿易や観光に被害が及んだとしても全く別問題、中国に頼り切って仕事をしている連中の頭を冷やすいい機会でもあります。中国も、必ず変わります。その時までの我慢です。

 民主党が政権を取って良い面もありましたが、こと対中国外交では日本という名が滅びます。一刻も早く退陣して貰いましょう。総選挙をして、対中追従外交の転換を掲げる人物に投票させてもらいたい。

 こんな意見には.反対の人もいるでしょうが、それは、中国を正面から批判しない朝日・読売・毎日の新聞テレビ系列に汚染されているからだと言っておきましょう。かって軍の一方的情報を流して国民を欺してきた新聞社が、いまでは中国寄りの内閣官房の考えをそのまま流しているからなのです。

                                          失礼しました  佐伯邦昭

 

 

日替わりメモ 2010年10月5日のページ更新 

○ ニュースフラッシュの扱いについて

 以前は、米軍機のシリアルナンバーなどリスト作りのためもあって、各地のオープンハウスの展示機全情報を積極的に求めていましたが、近年は軍民ともにナンバーが簡単に分かるようになり、ナンバーリスト作りの必要性が薄れ、また、航空祭の情報もたくさんのサイトに出るようになりました。よって、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲としては、航空祭を楽しんだ方の主観的な見方による投稿を受動的に載せるという方針に切り替えています。

 従って、中には全機を網羅するものもあれば、特徴的な機体だけのもの、あるいは特に目についた情景だけというものもあります。それで結構だと思っています。

・ いずれは
 MAVERICさんのサイトで、当方の八戸航空基地祭に出ていない機体などを紹介してくれていますが、そういう相互補完を続けながら、いずれはニュースフラッシュ欄をMAVERICさんに委ねたいと考えています。
 
・ インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主力は航空史探検博物館
 佐伯の願いは、人生残された余力を航空史探検博物館と付随する思い出コーナー、調査研究コーナーなど日本航空史の空白を埋めていく作業に集中したいのであります。
 「日本航空史の空白を埋める」などという思い上がりはどうかご寛容くださり、あなたの情報《保管
展示機、忘れ去られつつある古い飛行機、いしぶみ(碑や飛行場跡や建造物)、すたれてしまいつつある技術など》を積極的に送ってくださるようにお願いします。


        インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主張

日替わりメモ091231番

○ 2009年の回顧
  評価は他人がしてくれるものだということを百も承知のうえで、敢えて申し上げますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が立てている各項目に関する限りにおいて、他の追従を許さないほど充実したものとなりました。既にホームページの試行錯誤の域を脱して、インターネット航空雑誌としての独自のスタイルが確立し、それを多くの皆さんから認知されているものと信じています。

また、しゃべり始めたなと腹を立てないで、以下、掃除の手を休めた時にでも読んでくださいな。

雑誌なら編集後記、単行本なら序文やあとがきを読むと大よその傾向が掴めるように、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も日替わりメモが日々更新の「イントロダクション」であると同時に「私の主張」でもあります。そこで、今年1年間の日替わりメモを読み返してみました。

休んだのはわずかに24日、稼働率は93.4%、我ながら驚くべき精勤でした。

@ 書き手と読み手の喜怒哀楽のからみ合い
 これほど続いてくると、日替わりメモを書きながら、お顔も知らないのに、読み手の反応がほぼ予測できるようになります。うなずく人、驚く人、あわてる人、立腹する人、あざ笑う人‥‥。

実は、佐伯の辛口評論を秘かに期待しているという人が少なからずおられます。逆に、辛口が過ぎるとヒコーキ雲ファンを逃がしてしまうから程々にという忠告もあり、実際に逃げて行った人もおりますし、今年は、他のサイトで手ひどい批判を書かれたこともありました。書き手の喜怒哀楽と読み手の喜怒哀楽がからみ合っていることを実感します。

お腹立ちの人を量産するのは得策にあらずで、例えば、本年半ばから政治向きの発言を控えたりしています。身の程も弁えずにとの冷笑を招かない程度に節度をもたなければいけませんね。
 しかし、
一納税者として、行政の問題点には是々非々を貫ぬきます。見て見ぬ振りをするのが大人であるというような誤った考えに迎合する気は毛頭ありません。

A 稼働率93.4の原動力
 さて、稼働率93.4%の原動力を考えてみました。
 1番に、全国各地の皆さんから「日々の更新ご苦労様です」との言葉を添えて、絶間なく情報が寄せられる、それを早く発表したいという心理が働くこと
 2番に、若い頃からのジャーナリスト志向が、死ぬまで治まりそうにないこと
 3番に、朝早く起き出してパソコンに向かうことが、生活として定着していること

1番と2番はつながりますが、何といっても2番が最大の原動力です。若い時に新聞社も放送局も二次試験で落ちて公務員にならざるを得なかったトラウマを引きずっているのかもしれません。その心理不安定症候群がこのホームページで治癒される訳ではありませんが、どんな場面でもジャーナリスチックなセンスを駆り立てられてしまいます。
 
本年1月1日の日替わりメモで、容量が300MGに達したら廃刊にするかもしれないと予告しました。しかるに今日現在350MGを超えてしまいました。経済的負担は苦しいですが、やっぱり、ジャーナリスト志向の誘惑には負けてしまうのですねえ。

ジャーナリストのセンスとは、旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神です。他人と同じことをやっていては読者に相手にされません。良質の情報を如何にうまく見つけ出すか、関連情報と併せて如何にうまく整理するか、如何に早く発表するかの勝負です。当然、間違いも起きますから素直に訂正するのも大切な心掛けです。
 ヒコーキの専門知識は皆さんにご教授願っていますが、編集者としては「
試行錯誤の域を脱して、独自のスタイルを確立できた」という所以であります。

B これからどうするか
 
さて、これからどうするかですが、老朽化したパソコンやスキャナなどを買い替えるメド(家内の許し)はたちませんし、加齢による目の疲れに加えて、今年は右手人差し指の腱鞘炎に苦しみ、右肩のインナーマッスル(深層筋)が時折強烈な痛みを発するなど、いつパソコン禁止を宣言されてもおかしくない状況にあります。

 旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神がこれらの外(害?)的要因に打ち勝つかどうかの勝負です。その分かれ目は、読み手の喜怒哀楽が私の予測に合っているか確認できるかどうかです。
 叱責であろうとなんであろうと一言でもメールがあると元気が違ってきます。いちいち返事が出来ないのがつらいのですが、どうぞよろしくお願いします。

では、お健やかにお正月をお迎えください。                          佐伯邦昭

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など