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2007年2月17日 (土)

慰安婦関連ニュース マイク・ホンダ議員の活動

昨年10月に、米議会でレイン・エバンス議員らによって提出されていた慰安婦関連法案が不採択になったことをエントリーとして書き記していました。
http://daikichi1966.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_a4a5.html

やれやれと一安心していたら今度はエバンス議員の跡継ぎと言っていいような存在がまた同じような事を画策しております。マイク・ホンダと言う議員です。
Honda_mike

【ワシントン=山本秀也】米下院に提出された慰安婦問題での対日非難決議案をめぐる公聴会が15日、韓国人元慰安婦らが出席して開かれた。決議案を提案したマイク・ホンダ議員は、「いまを逃せば、日本政府に慰安婦問題をめぐる責任を認知させる歴史的な機会は失われる」と、決議案の採択を訴えた。

下院のアジア太平洋小委員会で証言したのは、李容洙さん、金君子さんの韓国人元慰安婦2人と、オランダ人元慰安婦(現オーストラリア国籍)のジャン・ラフ・オハーンさんら。長時間にわたり、「日本政府は公式に謝罪し、補償を支払ってほしい」(金さん)、「20万人の女性が拷問された」(オハーンさん)などと訴えた。決議案採択運動を進める「慰安婦問題ワシントン連合」の徐玉子会長は、日本の歴史責任などを認めた村山内閣が「日本軍部の圧力で短命に終わった」と発言した。
 フォレオマバエガ委員長ら出席議員からは日本批判の発言が目立ったが、共和党のローラバッカー議員は「日本政府は何度も謝罪しており決議案は不要」として、日本を擁護した。
公聴会を前に、加藤良三駐米大使は同委員長に書簡と資料を送り、慰安婦問題に関する日本政府の対応を説明。駐米大使館では「決議案が採択されないよう最大限努力する」としている。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/39495/


ネット上でこの問題について情報を集めてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?cat=27
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-399.html
http://blogs.yahoo.co.jp/omekoijiro/46020103.html
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2007/02/post_056c.html

マイク・ホンダが中国韓国とのつながりが深い議員であるという事はわかりました。
さてこの公聴会で発言した三女性とはどういう人たちなのでしょうか?
上記リンク内の記事より抜粋します。

では、証言者である元慰安婦とはどんな人物なのかというと、韓国人は、金君子(キム・クンジャ)、李容洙(イ・ヨンス)の二人、オランダ人はジャン・ラフ=オハーンという人。
実は、共通項がこの3人にはある。3人ともバウネットが主催した、あの「女性国際戦犯法廷」の登場人物だからである。日本政府に謝罪どころか、責任者処罰を要求した、あの茶番劇に登場したくらいだから、ほぼ何を主張するのか想像ができよう。

では金君子さんの証言を検証してみましょう。


金君子(キムグンジャ)さん(79)。「私は天涯孤独。この世に生きて、何も残すものがない」と、硬い表情で天井を見つめた。
幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。

(朝日新聞大阪版平成18年2月26日の記事)

幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。
(北海道新聞平成17年6月23日)

親に売られたのが本当の所でしょうが、そこをぼかした書き方になっていますね。

私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。……1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。
(平成17年11月「東京の高校生 平和のつどい」での発言)

かなり正体がわかってきました。
黄錦周と同じ類のウソばっかりのようです。

次行きましょう。李 容洙さん

一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。(略)……それから何日かたったある日の明け方、プンスン(引用者註・友人で「飲み屋」の子ども)が私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。
 母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。……行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。包みをそうっと開けてみると、ほんとうに赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。私を入れて娘たちが全部で五人いました。

(韓国挺対協での1992年の証言http://cotodama-2667.iza.ne.jp/blog/entry/118008/

日本人に騙されたようです。気の毒に、とか申し訳ない!と思うのが普通ですね。
しかしこれが2005年の証言ではかなり様子が違います。

私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。
(韓国挺対協での2005年の証言http://cotodama-2667.iza.ne.jp/blog/entry/118008/

おやおや、連行時の状況がだいぶ変わりましたね。
引用元を読んでみますと、「軍人から殴られたことはないけど経営者からぶたれた」という発言が13年後には軍人に蹴られたことになってたりしまして「ああ。。。またかあ」って感じです。


蛇足ですがもう二例ほど

1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。

http://tateiwa.kir.jp/0n/z01.htm

日本は1947年まで戦争してたってことでしょうか?この類の証言は見飽きました。

十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html

連行された時の年齢が10才から20才みたいにクルクル変わる証言も読んできましたのでこの程度ではまだ甘いですね。笑

疲れてきましたけどオランダ人女性についても検証を
ジャン・ラフ=オハーンという人についてです。
「20万人が拷問された」などと証言されているようですが、これが慰安婦の事を言っているのだったら大ウソです。
学者の研究でも2万人と言われているのに何を調べた訳でもないこの女性がその十倍の人数をはじき出せると?いい加減にしなさいと言いたいですね。

この方、1942年に慰安婦にされたと主張なさってるそうですが
http://j.peopledaily.com.cn/2002/06/12/jp20020612_18032.html
1994年のオランダ政府報告書の記述を真実だとすると日本軍幹部候補生隊が、オランダ人収容所内の女性を強制的に慰安婦にした「白馬事件」は1944年のことですから、1942年というのは何なのでしょうか?
ここはもう少し情報が出揃うのを待ちたい所です。



法的拘束力はないにしても、日本のマイナスイメージを植え付ける事を目的に行われている中国、韓国、バウネットの活動を日本国民は座していてはいけません。
既に首相補佐官の小池百合子議員の訪米など決定しているようですが、一度「弱者を虐げた加害者」であると印象操作をされると、こちらにどんな正当性があっても、それを払拭するのは困難です。
正義感に訴えるものに弱いアメリカの国民性を考えると、どうかなあと思います。

やはり、元を絶たねばいつまでたっても繰り返しでしょう。
このようなネガティブキャンペーンが行われている源泉は平成5年の河野談話にあります。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

そして、平成18年に結成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は河野談話の見直しを求めています。
山谷えり子、中山成彬議員らが中心となっているこの会の活動に期待しましょう!

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