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[22744] 【習作】サトリ【H×H・オリ主転生・TS】
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:8a06763d
Date: 2010/11/05 00:28
はじめまして、あるいはこんにちは。顎雪と申します。

こちらの作品は、“H×H”“オリ主”“TS”物となります。

主人公強キャラなので、苦手な方はお気を付けください。
また、元男TS転生オリ主ですが、2話〜3話では一時的に完全に人格が女性化した上で、男に恋愛感情を抱く描写が御座いますので、御注意下さい。3話後半から男性人格に戻ります。
また、ところどころでジョジョネタが入るので、苦手な方はご注意ください。
文章力が低い。遅筆。更新が不安定と駄目な3要素が揃っておりますが、始めたからには完結目指して頑張りますので、最後までお付き合い頂けたらな、と思います。

注意事項として、自宅PC故障のため携帯投稿となります。10000文字の字数制限の為、一話が不自然に途切れますが、ページ移動を気にせず読んで頂けたらな、と思います。後日漫画喫茶で修正させていただきます。
その際の記載は■―1、■―2という形になります。

では長くなりましたが、拙作をお楽しみください。



[22744] 一話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:a9f25f6a
Date: 2010/11/01 15:26
 子供の頃から、他人の顔色ばかり伺って生きてきた。
 親の機嫌を伺い、幼稚園の先生、友人の顔色を伺い、それは小学校、中学校に上がっても変わることはなかった。
 俺、城上 新人(ジョウジョウ アラト)がそんな風になったのは、きっと一歳上の兄の所為なのだろう。

 兄は天才だった。
 一歳になる頃には喋りはじめ、3歳になる頃には小学校低学年の勉強を修得し、4歳になる頃には小学校卒業程度の学力を有していた。
 兄の天才性はそれだけに留まらず、6歳には中学レベル、小学校入学の時点では高校生レベルの勉強に手を出していた。
 そんな兄は、いつだって人の中心だった。
 家で、学校で、俺の友人関係ですら、兄を中心に回っていた。
 夜泣きすら滅多にしなかった兄とは違い、俺は平凡な赤ん坊そのもの。
 両親は、手のかかる俺よりも、手のかからない天才の兄ばかりを構った。
 俺が幼稚園の運動会で一等をとっても、小学校のテストで100点をとっても、兄という前例がある両親にとっては当たり前。
 世間一般では優秀な部類に入るだろう俺も、家庭では劣等生だ。
 時には理不尽にも、コップの水を溢したから、とかの些細な理由で食事を抜かれることすらあった。
 そんな俺が、他人、特に両親の顔色を伺うのは必然と言えた。
 相手の微細な表情の変化から、機嫌を察し、自分の行動が、相手にどのような心象変化をもたらすかを、物心ついた頃からマーケティングし続けたのだ。
 それは、客観的に見れば半ば狂気染みた行動で、けれど俺から見れば、生存本能が選択した、最善の行動だった。
 繰り返し、繰り返し。いつだって絶えることなく繰り返された観察は、やがて反射の域に高められ、その観察眼は超能力の域にまで高められていった。
 最初から才能があったのか、あるいは他の才能の全てを犠牲にして開花させたのか。
 俺の観察眼は、俺の中で唯一兄を越える特技だった。
 幼稚園の頃は、相手の機嫌ぐらいしかわからなかった。
 小学校にあがる頃には、相手の感情が、手に取るようにわかるようになった。
 小学校高学年になる頃には、相手の感情の動きが先読みできるようになり、中学にあがる頃には目が合っていれば相手の思考すら読めるようになっていた。
 そうなれば、相手の感情、思考をコントロールするのはたやすかった。
 相手の顔色をうかがうのと同じくらいの期間、自分の行動が相手にどのような影響を与えるのかの調査をしてきたのだ。何気ない動作で、相手をコントロールする術を身につけていた。
 そして、それが起こったのは、俺が高校生1年の夏の事。

 その頃、俺は高校に入って新しくできた友人達と放課後に麻雀をする事にはまっていた。
 思考が読める俺にとって、麻雀、いやギャンブル全般が天職だ。
 思考を読めば、相手の待ちがわかる。ならば、俺は決して振り込まないし、相手からあぶれる牌をねらいうつことも出来た。
 そうやって、親から小遣いを貰えない俺は、麻雀で小遣い稼ぎをしていた。

『テンパイだ。6ソーを切れば、間3ソー待ち。確定三色、タンヤオドラ3。親っぱねだな。ダマでいいだろう』

「…………は?」

 おれが手牌を見て考え込んでいると、対面の相手が、そんな独り言を呟いた。
 俺は、思わずあっけにとられた。なんせ、相手は自分の待ち、役まで口に出しているのだから。それじゃああがれない。
 俺があっけにとられていると、俺の上席の男が、なんと3ソーを出した。当たり牌だ。

「はぁ!?」

 俺が驚愕すると、対面はこちらを見て少し驚くと、手牌を倒しロンをした。

「うわっ、引っ掛けかよ。つかそれならリーチしろよ」

 上席があっちゃーといった感じに額に手を当てる。
 こいつはあの独り言が聞こえなかったのか?
 俺がそう思っていると、対面が応えた。

「いや、親っぱね確定してたから、いいかなって。それにダマ引っ掛けだから、振り込んでも仕方ないだろう。…………まぁ、ジョジョはわかってたみたいだけどさ」

 ジョジョ、というのは俺のあだ名だ。本名の、城上 新人を文字ってジョジョ。元ネタは当然某奇妙な物語である。人によってはニートと読んだりする。新人の別読みでニートだ。嘗めてる。

「いや、読んでたっていうか……」

 聞こえたっていうか。
 俺がそう口籠もっていると、対局は次へと進んだ。
 その後も何局かしていると、たびたび声が聞こえるようになった。
 どうやらその声は、他のヤツには聞こえないようで、そのうち俺にも事情が分かってきた。

 能力が次の段階へと進んだのだ。そう、まさしく超能力と呼べるレベルにまで。

 それに気付いてからの俺は、まさしく世界が開けたかのようだった。
 素晴らしい。素晴らしい力だ。
 人の思考が聞こえる。
 それは、今までのような、観察力による推測、想像力の産物ではなく、次元が一つ違う、超能力の次元だった。
 超能力。人の能力を越えた、未知の力。
 俺はついに、兄という、越えられない壁を越えることができたのだ。
 兄は確かに天才だろう。けれど、それは人間のレベルだ。どんなに知能指数が高くても、人のレベルを越えることはできない。超能力という、超人の域に達する事はできないのだ。
 それからの俺は、この能力を“サトリ”と名付け、より一層能力の上昇に努めた。
 自身に、スイッチを作成し、能力の制御をコントロールできるようにした。
 二月ほどでスイッチを作ることに成功した俺は、今度は能力そのものの向上を目指した。
 その結果わかったのは、“サトリ”は、使いすぎると脳が焼け付くように痛むということだ。
 おそらく、人が普段用いていない領域を用いた能力なのだろう。己の分を越えた能力行使は危険ということがわかった。
 それがわかった俺は、自身にスイッチだけでなく、コントローラーを作成することにした。
 “サトリ”の能力に、出力ボリュームと、範囲指定などの項目を設けて、一ベクトルへの出力向上を目指したのだ。

 この目論見は成功した。
 それまでは、対象もランダム。範囲も一人だったり数十人単位だったりとまばらで、あまり使い勝手のよい能力ではなかったのだが、コントローラーのおかげで劇的な改善に成功。脳の使用領域――メモリの節約に成功したのだ。
 それだけではない。能力に指向性を持たせたおかげで、声を聞くだけに留まらない能力行使が可能になったのだ。
 出力をあげれば、声だけでなく映像も見ることが出来たし、更に出力をワンランクあげれば、記憶すらも読むことができた。
 そして、最大出力ならば、瞬間的とはいえ思考操作すらも……。

 結局のところ、俺は慢心していたのだろう。
 能力を駆使し、人身掌握術を手に入れた俺にコントロールできない人間もいなかった。
 生徒会長にまで登り詰め、可愛い彼女もできた。
 時折雀荘に行くだけで、小遣いに困る事はなかったし、変な客に絡まれても、思考が読める俺は、喧嘩なら敵無しだった。
 まさに順風満帆。今まで兄に邪魔されてきた分の幸福を、一気に渡されたような絶頂期。
 自身の思うがままに動く人間たちを見ると、なんでもできそうな万能感を味あえた。
 けれど、結局のところ、俺が読み、支配できたのは人間だけで、未来を見通せるわけではなかったのだ。
 どんな人間にだって、不慮の事態というものは訪れる。
 それは、その人の能力には関係ない理不尽なものだ。
 それが、人の人知を越えた事柄ならば、尚更の事。
 奇しくも、サトリに目覚めた二年後。高校生3年の夏。7月7日の七夕の日。

 俺は車に刎ねられ死んだ。
 死の間際、思ったのは死にたくないではなく、この【特別】を手放したくないだった。



[22744] 二話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:9fb441d7
Date: 2010/11/04 18:28
 物心つく頃には、人の心が読めていた。
 それは、察しが良いとか、感が良いとかいうレベルではなく、本当に人の心声が聞こえるという異常な能力。
 物心つくころには、と言ったが、2、3歳の頃には今とさして変わらない自我が出来ていたから、きっと生まれた時から聞こえていたんだろうと思う。心を読む力が、自我の成長を促したのだ。

 当然私は、他の皆も心の声が聞こえてるものだと思っていた。
 口では耳当たりの良い事を言って、心では全然違う事を言う。
 相手は当然それに気付いていても、表面上は気付かない振りをして、上っ面だけの言葉を返す。
 私はそれが“大人”というものだと思っていて、早く大人になりたかった子供の私は、背伸びしてそれを真似ていた。
 それが、少しおかしいと気付いたのが、5歳の頃。
 どうも、周りの大人の中に、心の声を読み取れないヤツを見つけ始めたのだ。
 今思えばもっと早く気付いても良さそうなものだが、2つの理由で気が付くのが遅れた。
 一つは、私が普段は子供達とばかりいること。
 子供は素直で、大抵は口と心が一致する。
 それも、歳が上がれば違って行くが、私は普段同じ歳の皆とつるんでいるので、年上とは些か付き合いが浅かったのだ。そして、更に言えば年上は皆背伸びして大人の真似をしていると思っていた。……まぁそれはある意味間違いではなかったのだが。
 2つ目の理由が、ずばり社交辞令だ。
 大人になると色々な肩書きがつくもので、中々心のままに生きることは難しくなる。よって、辺りには社交辞令が溢れかえることとなる。右を向いても社交辞令。左を向いても社交辞令。全く、大人というのはめんどくさい。
 だが、どんな集団にも空気の読めない馬鹿というのはいるもので、私はそいつのおかげで遅ればせながら真実を知ることとなった。
 すなわち、人は他人の心を読んだりはできないという事を。




 きっかけは、村の宴であった。
 極稀に、森の獣が大量に繁殖することがある。
 そんな時は、当然狩りも絶好調で、普段は細々と暮らしている私達も贅沢をする。
 いつもは肉と言えば基本ほしにくでも、宴の時は丸焼きの取り放題。
 冬の寒さを凌ぐ為の貯蔵された酒樽も引っ張り出されてきて、大人たちは大いに盛り上がる。
 私は当然子供だからお酒の楽しさはわからないけれど、この宴の雰囲気は大好きだった。
 宴のピークには、最も狩りが巧かった戦士が皆に称えられ、クルタ一の戦士の称号が次の宴まで贈られる事となる。
 この時の宴で称えられたのは私の従兄弟で、皆に認められた嬉しさからか、クルタ特有の緋の眼を真っ赤にして喜んでいた。
 宴の決まりとして、戦士は皆前で舞踊を踊る。念、というクルタでの大人の証のような技術で、オーラという体の元気の素を身体に纏わせて踊る舞踊は、辺りを照らす松明と、一人一人輝きの違うオーラと相成って、とても神秘的………らしい。
 らしい、というのは、オーラは大人にしか見えず、子供の私にはまだ見えないからだ。
 だから私は早く大人になって、いろんな人のオーラを見てみたいなぁ、なんて思っていた。
 そして肝心の従兄弟の舞踊だが、………まぁ残念ながら狩りと踊りの腕は比例しないのか、こういってはなんだが、下手くそだった。
 当然周りの皆もそう思っていたが、皆口には出さず、上手いぞ、とか、いいぞー、とか言っていた。
 当然従兄弟も、自分の事は自分でわかっているのか、必死で踊っていたが、まぁあまりうまくはならなかった。
 が、皆従兄弟の頑張りは知っているので、それを貶したりはしない。クルタは、そういうのは恥じるのだ。
 ……ただ一人を除いて。

「へったくそだなぁ……」

 呆れたように呟かれたその言葉は思いの外辺りに響き、辺りはシン………と静まり返った。
 発言したのはいつも周りから少し浮いているクラッカで、皆顔を引きつらせてクラッカを見ている。
 その心の声は、「おまっ……空気読め!」と一致していた。
 当然私はクラッカがその心の声を聞き、前言を撤回するかと思っていたのだが、本人はどうしてこうなったのかわかっていない様子で、「ん? 何?」と首を傾げていた。
 それを不思議に思い、クラッカの心を読んだ私は驚いた。なんと、クラッカは心の声が聞こえていなかったのだ。
 その日の宴は、クラッカの空気読めない一言で終わり、心に傷を負った従兄弟は二度と狩りで一番を取らないようになった。


 それ以来、私は他人の心を注意深く観察するようになった。
 もしかして、皆心が読めないんじゃないだろうか? という疑問が私の心に浮上してきたからだ。
 もしかしたらクラッカだけが特別心が読めず(結果から言えば彼は特別空気が読めないだけだった)、故に彼だけ周りから浮いているのかもしれなかったが、とりあえず私は調べてみた。
 そうしてわかったのが、人は人の心など読めないということ。
 そりゃあある程度は表情や場の空気から読めるが、私ほどはっきりと読める人はいなかった。
 私は悩んだ。
 当然だ。他人とは、あまりに違いすぎるのだから。
 かといって、他人に相談などできない。
 いくら五歳児の私とはいえ、他人と違うということがどんな結果を生むかぐらいはわかっている。
 それは、クラッカを見れば一目瞭然だ。
 空気が読めないというだけであれだけ疎まれているのだ。
 一人だけ心が読めるというのがどれだけ異常な事かくらいはわかる。
 私は悩んで。悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで、この事を誰にも話さないようにする事を決めた。
 両親は私を愛している。私も両親を愛している。
 けれど、周りは両親ほど私を愛してはいない。
 ならば、私を排斥する時、一緒に家族も排斥しようとするんじゃないだろうか。
 それは駄目だ。
 私はともかく、家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
 私はこの秘密を一生抱えて生きていくことを決めた。
 それは、本当の意味で孤独な人生の始まりだった。




 鏡の前で、身なりを整える。
 腰まで届く、黒く艶やかな髪は、母譲りのもので、私の自慢。それを、頭の頭頂よりやや下で2つに結ぶ。ツインテールというヤツだ。
 本当はそのままロングで流すのが好きなのだが、兄が「妹と言えばツインテだろ!」と強固に主張しており、この髪型となっている。兄は変わっている。
 髪を整えると、他におかしなところがないかチェックする。
 まだ子供だから、化粧をしたりはしないが、目やにがついていないかとか、気にするところはたくさんある。小さくたって女なのだ。
 やや小顔気味の綺麗な卵形の顔に、くりくりの大きな瞳、小さめの鼻、薄く小さい唇が絶妙なバランスで配置されている。
 自慢じゃないが、私は同年代のクルタの女の子の中で、一番の器量良しと評判だ。
 心が読める私は、それが世辞ではないことを知っている。
 だから、私は胸を張って言える。私は美少女だ、と。

 最低限のみなしだみを整えたら、家を出る。
 もうこの時間なら、いつもの場所に兄とクラピカが待っている筈だ。
 クラピカは、兄、クラークの友人で、あのクラッカの弟である。
 性格は、驚くべき事に、あのクラッカの弟とは思えぬほど礼儀正しく、優しく、思いやりがある。場の空気も読め、他人の感情に敏感。将来は良い男になるだろうと私は思っている。
 待ち合わせ場所につくと、そこには案の定兄とクラピカが待っていた。
 兄は切り倒された木の上に腰掛け、如何に自分の妹が可愛いかを熱く語っている。クラピカは、それを苦笑して聞いていた。…………恥ずかしい。顔から火が出る思いだ。兄は生粋のシスコンなのだ。

「ちょ、やめてよおにぃ、恥ずかしい!」

 私が顔を真っ赤にして抗議すると、二人が私に気付いた。

「おお、フィア! 今日も最高に可愛いぞ」

 兄は私に駈け寄り、抱き上げる。そして頬擦りをしだした。

「ちょ、やめ、やめろ! 外では家みたいな奇行は自重しろって父様にも言われてるでしょ!?」

 精一杯の力で、兄をポカポカ殴るも、堪えた様子はない。
 それは、私が非力なのもあるが、兄が既に念も扱えるからでもある。
 念は、クルタの男が15になったら習う技術だ。オーラと呼ばれるエネルギーを操り、肉体、あるいは物質を強化、操作することで、信じられない力を行使することができるようになる。
 初歩の初歩である纏というただオーラを纏うだけの技術でも、防御力が跳ね上がる。
 私が早く大人になりたい理由ナンバーワンの技術だ。
 ちなみに兄はまだ私より2歳上の10歳。にもかかわらずなぜ念を修得しているのかと言うと、なんと5歳の頃には自力で修得していたらしい。
 大人たちによると、極稀にそういう子供が生まれるらしいのだ。
 誰に教わったわけでもなく野性の感、あるいは思い込みで自力で念を修得する天才児。
 そういった子供には、特別に幼少の頃から念を教え込むそうだ。
 そういった理由で、兄は長老や大人たちに“瞳の子”と呼ばれ可愛がられている。
 ……心を読み、兄が念を修得した理由を知っている私にとっては、馬鹿らしい話だが。

「や、フィア。おはよう」

 私が必死に兄から抵抗していると、クラピカがいつの間にか近くに来ていて、挨拶をしてきた。
 やっとのこと兄から解放された私は、素早くクラピカの後ろに回り込み、その背中に抱きついた。

「おはようクラピカ! 今日もあの変態シスコンから守ってね!」

「なにぃ!? おいこらクラピカ! てめえクラピカの癖に俺の可愛いフィアに抱きついてんじゃねぇぞ、コラ」

「いや、抱きついてるのは俺じゃなくてフィアなんだが」

 オーラを迸らせ、クラピカに詰め寄る兄に、クラピカは冷や汗を流している。

(う、なんという威圧感……。これがシスコンの力か……)

 というクラピカ心の声が聞こえる。
 や、間違ってはいないのだが、正しくはない。
 念を知らないクラピカは、オーラの威圧感がシスコンの圧力と勘違いしているのだろう。……まぁ、半分くらいはそれなのだが。

「ハイハイ、あんまりクラピカを困らせないの。全くガキなんだからー。少しは大人っぽいクラピカをみらないなよ」

「な、ガキ?! お、俺がクラピカよりも?!」

 仰け反り、愕然とする兄。

(お、俺がガキ?! 前世合わせてウン十歳の俺が、10歳のガキに精神年齢で負けてるというのかー!)

 兄の心の声が聞こえ、私はそっと心の中でため息をついた。
 これが兄の欠点だ。
 兄は自分が前世の記憶を持った転生者だと思い込んでいるのだ。
 その妄想の中では、兄は日本という架空の国で育った一般的な高校生であり、なんとこの世界は漫画の世界らしい。
 なんとも馬鹿らしい話だが、その妄想の中には、クルタよりも洗練された念の技法が描かれていたりと、中々侮れないものがある。
 しかも兄はその妄想――恐らく夢か何かで見たのを、本当のことだと勘違いしてしまったのだろう――を実行してしまい、何がどう間違ったのか、本当に念を修得してしまった。
 念とは、生体オーラであると同時に、思念エネルギーでもある。
 きっと、妄想とはいえ本人の中で真実とまでなった思い込みは、オーラに強い影響を与えたのだろう。
 そして、兄は念を修得してしまった。……まぁこれも一種の才能か。
 問題なのは、兄がその妄想の通りに現実が進むと思っていることであり、その妄想の中で私達が漫画のキャラクターで、このままではクルタが滅ぶと思っていることだ。
 ……正直これにはついていけない。
 私達はちゃんとこうして存在しているし、兄と触れ合っている。
 それは兄も理解していて、私達が実際の人間だということは理解している。
 にもかかわらず、この世界が漫画の通りに進むと思い込んでいる。明らかな矛盾。
 はっきり言って救いがたいが、それが思い込み、念というものなのだろう。
 念の修行とは、時として人を頑固さんにしてしまうこともあるそうなのだ。
 それに、この妄想が兄に目的を与えるならそれでいい。
 私は兄がクルタ滅亡を防ごうと血反吐を吐くほど頑張っているのを知っているし、その目的が私や家族などの身の回りの人を守るためだということも知っている。
 たとえそれが妄想だとしても、私を守ろうとする兄の愛は嬉しいものだし、その努力は確実に兄の力となる。人間、ある程度の目標があった方が成長するものだ。

「さ、そんなことより今日は何して遊ぶ?」

「そんなこと!? いやいや、俺のアイデンティティーに直結する重要な問題なんですけど!」

「そうだね。いつものようにかくれんぼでいいんじゃないかな?」

「無視か!」

 ガックリとしょぼくれる兄を見て、私とクラピカはガッツポーズをとる。私達は、いつも自信満々の兄がしょぼくれる姿が密かに好きなのだ。だからこうして時々いじめてしまう。
 だがまぁ、目的は果たしたし、そろそろフォローをしてあげよう。

「ねぇねぇ、おにぃ、遊ぼ?」

 ちょこんと兄の服を摘み、上目遣い。
 するとたちまち兄の整った顔がだらしなく崩れ、デレッデレッになった。

「しっかたないなぁ、フィアがそこまで言うなら遊ぼうか!」

(相変わらず妹に甘いなぁ……)

 そんな兄をクラピカが生暖かい目で見ていた。


 さてかくれんぼである。
 このかくれんぼはいつも決まったルールがある。
それは、兄が必ず鬼をやるということ。
 そして、まだ見つかってないものが見つかったものをタッチすれば再び100をカウントして再スタートということだ。
 これは、兄が提案したルールで、その思惑の下には、自身の円(オーラを円状に薄く広げて、辺りを探索する高等技術)の鍛練、更に私達が気配を消して隠れる鍛練を積ませるという目論見がある。
 前者は自身の修行、後者はいつかくる蜘蛛旅行(?)とかいう変態集団の襲撃に備えた鍛練だ。
 まぁ、かくれんぼの鬼などおもしろくないし、進んで鬼をやってくれるというのだから文句などある筈もない。
 それはクラピカも同じで、いつもこのルールで遊んでいる。
 そのせいか、兄の目論見通り私達の気配遮断の技術は日に日に上達し、時に私とクラピカは兄に内緒で集まって、野生動物の気配の消し方を研究したりと、秘密の特訓をしている。
 この秘密の特訓は、誰にも秘密で、大切な何かをクラピカと共有している感じがしてワクワクする。

「よし、じゃあスタート。1、2、3………」

 兄が目を瞑りカウントし始める。
 同時に私とクラピカが気配を消す。
 とはいっても、私達はまだまだ未熟。動きながらの気配遮断は不完全だ。故にある程度離れてから隠れ気配を消す。
 ちなみに、兄はまだ円を使っていない。逃げた方向を探るのはアンフェアだからだ。
 ある程度離れると、兄が私達の気配を見失ったことがわかった。
 私の読心は、ターゲットを一人に絞るなら数百メートルまでトレースすることができる。これで、兄の動向を探るのだ。
 森に入り、ちょうどよさげな木の上に登る。この時重要なのが、登った痕跡を残さないこと。そして地上よりも3メートルは離れること。
 兄の円はまだまだ未熟で、どれだけ総オーラが増えても中々範囲が広まらない。多分、苦手なんだろう。
 その兄が広げたままでいられる範囲がだいたい3メートル。瞬間的なら5メートルまで行けるが、ほんの数秒しか持たない。
 故に、怪しいな、と思われない限り3メートル猶予を持てば見つかることはなかった。

 木の上に登った私は、深呼吸し、体をリラックスしていく。
 辺りの空気に、自分が溶け込んで行くイメージ。自分という自我が溶け、世界と自分が一体化する感覚。
 徐々に自分を纏うもやのようなものを感じ始める。
 それは、世界と溶け込むには邪魔な要素で、まるで白いキャンパスに落ちた赤いペンキのよう。
 人間という動物が放つ自我は他の動植物のそれとは一線を画しているのだ。
 故に、私はその自我を少しずつ抑えていく。
 だが、完全には抑えない。
 かくれんぼをしているうちに、私はもやを完全に断つ術を手に入れたが、完全に断っては逆に目立つことを知った。
 どんな小さな植物や動物だって、大なり小なりの気配を持っているのだ。持っていないのは完全な無機物くらい。
 そして、木という気配の中に空白の気配があるのは不自然。
 故に私はちょうど周りの植物と同じくらいの気配にもやを調整したあと、徐々にもやが放つ気配を周りの植物が放つ気配に近づけていった。
 やがて、私のもやと植物が放つもやがほぼ完全に一致する。
 それを確認すると、私はそのまま意識を自分の中に埋没させていった。
 この状態の私は凄く調子が良い。
 恐らく最高に集中している状態なのだろう。
 やがて、自分のモノではない気配を自分の中に感じ始める。
 それは私が生まれた時から感じていた気配。“読心”を使う時には、必ず微かに感じる気配。
 最早それは私の気配と完全に一致しているのだけど、それには確かに私じゃない意志を感じた。

(あなたは誰?)

 問い掛ける。
 いつもなら問い掛けても、応える気配を感じるだけで聞き取れないが、今日は調子が良い。もしかしたらいけるかもしれない。

『――私ハ貴方デス』

(!?)

 驚き。まさか答えが返ってくるなんて……。
 精神の乱れに、植物と同調していたもやの波長が乱れる。

(落ち着いて、私。円周率を数えるの。3.141592………、円周率は無限に続く黄金の数字。6535……私の心にデジタルのような冷静さを与えてくれるわ………8979)

 円周率を数え、精神を安定させていく。これは円周率を知った頃からついた癖。永遠に続くという円周率の特性を知った私は、円周率をなぜか気に入り心を落ち着かせる時には円周率を数えるようになった。

(貴方は私? 一体どういうこと? 貴方からは確かに私以外の意志を感じるわ)

 再び声に問い掛ける。すると、再び男とも女ともつかない声が帰ってきた。

『私ハ貴方……。ケレド同時二貴方デハナイ。カツテノ貴方。ソシテ今ノ貴方の精神……オーラガ融合シタ存在……』

(かつての私……? 3238……どういうこと? 4626……)

『私ノ名前ヲ呼ンデクダサイ。私ハコレカラモコノサキモ貴方ト共二アリマス。私ノ名前ヲ呼ンデクダサイ。私ハイツデモ貴方ト共二……』

(貴方は一体なんなの? 私の読心はアナタの力なの? 貴方は一体………)

『早ク貴方ヲ思イ出シテクダサイ。マスター……私ハ貴方ノ半身……。私ノ名前ハ―――』

「フィアみーつけた!」

「!?」

 突然掛けられた声に身体をびくつかせる。
 目の前には兄が笑顔で立っていた。
 いつの間にか見つかっていたようだ。

「今日はお粗末だったなぁ。気配がタダ盛れだったぞ?」

「あ………う、うん。今日は調子が良く……じゃなくて悪くって……」

 どうやら対話に夢中で兄に気付かなかったようだ。いつの間にか気配遮断も切れていたよう。

「あー、じゃあ今日はやめようか。クラピカも見つけたし、お開きだな」

 兄が心配そうな顔をし、言った。
 いつもなら、あと二三セットはするのだが………。
「うん………そうする? ごめんね?」

 今日は、さっきのことが気になった。

「気にするなよ! フィアの身体が一番大事だ。クラピカだってそう言う」

 兄はそう言ってニカッと笑う。私は兄のこの笑顔が好きだった。

「うん………ありがと」

 差し出された手を掴み木を降りる。
 牢屋(見つかった人が待機する地面にかかれた円)で待っていたクラピカに体調不良を深刻すると、快く解散を了承してくれた。

 兄と手をつないで帰る帰り道。
 私の頭に残るのは先の対話。
 彼、あるいは彼女はいくつも気になることを言っていた。
 かつての私。今の私。その2つが交ざりあってできたというあれ。
 かつての私とはどういうことだろうか。そういえばあれはオーラがどうとか言っていた。

(オーラ………オーラって念のあれよね? でも私はまだ念は使えない……どういうこと?)

 わからない。わからないことだらけだ。

「……どうした? 難しい顔してさ。やっぱ体調悪いか?」

「……ううん。ちょっと考え事」

 首を振って否定。実際それほど体調は悪くない。

「……そっか。なんかあったら兄ちゃんに言えよ? 俺がフィアを助けてやるからさ、今度は必ず………どんなことからも、さ」

 どんなことからも、か。また妄想の話だろうか。だが、実際にこの兄はどんなことからも私を助けてくれるだろう。そんな確信があった。
 だから私は笑顔で言った。

「ありがとう、おにぃ」

 兄は微笑み、少しだけ握った手に力を込めた。
 私もそれを握り返し、ふと思った。
 森の方を振りかえる。

(そういえば、名前、聞き損ねたな)

 おぼろげに聞こえた気はするが、うまく聞き取れなかった。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

 首を振ると歩きだす。
 今日だって会話できたんだ。また今度聞けばいい。


 結局、あの声と会話できたのは二年後。
 私が日常を失った日だった。




[22744] 三話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:82c62e44
Date: 2010/11/01 15:11
 最近兄がピリピリしている。
 先日クラピカが12の誕生日を迎えた辺りから、常に緊張した気配を纏っている。
 あまり笑わなくなったし、何かあったのかとか、大丈夫かとかクラピカに問われても、なんでもないと返す。
 ……理由はわかっている。
 襲撃が近いのだ。蜘蛛とかいう奴らの。
 兄の知識の中では、クルタはクラピカを残して皆殺されてしまうらしい。
 なぜクラピカ? とか色々疑問はあるが、本当にそいつらはやってくるのだろうか。
 クルタの戦士は強い。
 15の戦士の儀を迎えて以降常に狩りの中で鍛練を積み続けているのだ。大人連中は歴戦の戦士と言っていい。
 対して、その蜘蛛とやらは皆が若者。しかも現在は原作とやらの4年前だ。4年後よりも強いということはないだろう。
 私は安心していた。
 クルタの戦士は強いと。
 数も敵より多く、日々鍛練を積んでいるクルタの戦士が負ける筈がないと、そう思い込んでいた。
 そして、更に言えばこれはただの兄の妄想だと思い込んでいた。
 あとから振りかえれば、なんと傲慢な考えか。
 私はその傲慢のツケを支払わされることとなる。



 今日もまた、私は兄と喧嘩した。
 理由は私の進学の件だ。
 兄は最近、しきりに都市の学校へと私を通わそうとする。
 私は頭も良く、勉強にも熱心なのだから都市の学校でしっかりと学ばせる方が良いと。
 だが、そんなものは建前だ。
 兄の真の目的は、私を一時的にクルタから隔離すること。
 せめて私だけでも蜘蛛の襲撃とは無縁の場所に居て貰おうというわけだ。
 ……はっきり言って迷惑である。
 来るかもわからない蜘蛛の襲撃に備えて、都市に行くなど冗談ではない。
 なんてったって、クルタから一度も出たことのない私にとって、都会は恐怖の対象なのだ。
 都会では、誰も他人に心を開かず、道端で他人が殺されても見て見ぬ振り。マフィアだが、ギャングとかいう怖い人たちが街中を闊歩し、肩がぶつかったからという理由で殺されるまで殴られたり、女の場合は乱暴された挙句に売られてしまうらしい。
 そして特に怖いのがプロハンター。
 こいつらはハンターライセンスという特別な資格を有しており、なんとそのカードを持っている人間は人を殺しても罪に問われないのだとか……。恐ろしい。
 そんな恐ろしい場所に妹を送り込もうだなんて、妹想いの良い兄だと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。
 私がそういって兄に訴えても、兄は都会はそんなところではない。完全にフィアの思い込みだから。勘違いだから! と聞く耳を持たない。
 全く、どうしてそんなことが兄にわかるのか。兄だって一度も都会に行ったことはないのだ。行ったこともないのにわかるはずもない(この時はそれが自分にも当てはまるとは思ってなかった)。
 それに、都会に行ったらクルタの友達に会えなくなる。都会の学校は全寮生だから、一人、あるいは知らない人と寝食を共にすることになる。もしかしたら、田舎者だといじめに会うかもしれない。
 そして、何よりも、クラピカに会えなくなるのが辛い。
 最近、私は気付いた。自分はクラピカが好きなのだと。
 いつも一緒にいたのだ。魅力的なクラピカに惹かれるのは必然とも言えた。
 というかむしろ、クラピカの方が私の事を先に好きになったのだ。
 偶然クラピカの心の声を聞いた私は、もうクラピカを意識せざるを得なかった。
 自然とクラピカの目を気にするようになったし、クラピカと話している時は心が弾む。
 かつてはかくれんぼの反省会だった密会は、ただ会いたいが為の密会と化していた。
 徐々に互いの心が惹かれあうのを自覚する。
 今はまだお互いに子供だから付き合うだの恋人だのは早いが、クラピカが15になったら私達は自然と付き合うことになるだろう。そんな確信にも似た予感がある。クラピカも、そう思っている。
 形こそ正式なものではないが、それはもう恋人同士の関係といっても過言ではないだろう。………と私は勝手に思っている。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、兄は断固として私を都会に行かせようとする。
 最悪なのが、両親がそれに微妙に賛成気味なことだ。
 どうやら両親も前々から私にしっかりとした教育を受けさせたいと思っていたらしい。
 今日も3人掛かりで私を説得しようとしてきた家族に、私はついにキレた。

「私の人生を勝手に決めないでよ!」

 と、我ながら子供じみた事を言って家を飛び出した私は、ほこらへと逃げ込んだ。
 ほこらとは、クルタが成人の儀に使用するところで、そこには緋々色金“ヒヒイロガネ”という特殊な金属が安置されている。
 横5センチ、縦10センチほどのそれは、私達緋の眼と同じ色を有しており、クルタの“神”がクルタの民へと、その瞳の輝きと共に与えたものなのだと伝承では伝わっている。
 まぁ正直私はその伝承は眉唾だと思っているが、ヒヒイロガネを持っているととても落ち着き、力が漲ってくるのを感じる。
 ほこらは、普段は立ち入り禁止となっており、人が寄り付くことはない。
 故に、私は偶然5歳のころにここを見つけて以来、このほこらを秘密基地として活用し、一人になりたい時や、なんか落ち着きたい時に来ていたのだ。

 ほこらについた私は、ヒヒイロガネを取り出すと、それをぎゅっと握り締めた。
 すると、どんどんこころが落ち着いてくるのがわかる。
 私はそうしながら、これからどうするか考えた。
 期限が迫っているのだろう。ここ最近の兄のしつこさは目に余るものがある。恐らくは、私が頷くまで執拗に迫ってくるだろう。
 ならば、少しだけ付き合ってみるのも良いかもしれない。
 問題は、この年の来るであろう蜘蛛をどうかわすかなのだ。
 ならば、一年ほどクルタを離れて、兄が安心した頃に戻ってくれば良い。
 それで、万事解決。
 兄は蜘蛛など存在せず、妄想から現実を見るようになり、私はクラピカと一緒に入られる。うん。ハッピーエンドだ。
 考えの纏った私は、いつの間にか口に含んでいたヒヒイロガネを取り出して布で拭いた。
 いつもこうなのだ。
 気が付くと、いつの間にかヒヒイロガネを撫でたり、頬擦りしたり、匂いを嗅いだり、舐めたり噛んだりしている。
 我ながら異常だとは思うが、無意識の行動なのだ。きっと、私ではなくヒヒイロガネが悪いのだろう。そうに決まっている。
 そう納得して、立ち上がった私は、ほこらに人の気配が近づいてくるのを感じ慌てヒヒイロガネをポケットにしまうと気配を消した。
 そっと隙間から伺うと、そこにいたのはクラピカだった。
 ほっとした私は、ほこらから出た。

「おはよう、クラピカ」

「あぁ、フィアおはよう。こっちに向かうのが見えたからついて来たんだが………こんなほこらがあったんだな」

 クラピカはそういってほこらを覗き込む。

「フィアはここで何を?」

「べ、別に何も?」

 ちょっと、どもった。落ち着け、フィア。円周率を数えるんだ。3.141592………円周率は終わることのない無限少数……6535……きっと私に氷のような冷静さを与えてくれる……8979……。

「見たところほこらみたいだが……何があったのだろうか?」

「うーん……ちょっとわからないな」

 私は素知らぬ顔で言った。円周率が私に氷のような冷静さを与えてくれる。

「そうか。………ところで都会に行くというのは本当か?」

(?!)

「……どこでそれを」

「やっぱり本当か……。クラークが言っていた。フィアは近いうち都会に行くことになるから別れを済ませておけ、と」

(勝手な事を……)

 心のうちで少なからず兄への怒りが込み上げる。

「まだ、決まったわけじゃないけどね……。両親やおにぃはかなり私を学校に行かせたいみたい」

「そう、か………。淋しくなるな」

「そんな顔をしないでよ、クラピカ。仮に言ったとしても、一年で帰ってくるわ。……どんなに遅くなっても、クラピカが15になるまでには必ず帰るわ」

 その台詞にクラピカはハッと顔を上げると、顔を赤くした。

「そ、そうか……」

「う、うん」

 なぜかつられてこちらも赤くなる。
 そのままお互いもじもじとしてしまい、微妙な空気が流れた。
 と、その時

 ドォン………!!!!

「「!?」」

 待機を揺るがす爆音。
 方角はクルタの集落の方である。
 私はクラピカと顔を見合わせると、集落の方へ向かった。
 集落へと走る私の脳裏に走るのは、兄の妄想。蜘蛛の襲来。
 まさか。まさかまさか。まさかまさかまさかまさかまさかまさか?!
 それだけが頭を巡り、胸がきゅうきゅうと締め付けられる。
 足がガクガクと震え、うまく走れない。
 きっと、立ち止まったら、腰が抜けてしまうだろう。
 頭に過るのは襲来に向けて鍛えていた兄の姿。
 それに備えていた兄が、おとなしくしているだろうか?

(お願いおにぃ、馬鹿な真似はしないで……)

 幾ら才能がある“瞳の子”とはいえ、兄はまだ12の子供。
 集落の男はその大半が戦士だ。彼らに任せておけば、きっと大丈夫。
 だから、私は兄が無謀な真似をしていないか、それだけが心配だった。
 くしゃりと歪む眉。
 それでも涙はこらえて走ると、ぎゅっと手を握られた。

「大丈夫だ。俺が、君を守る」

 クラピカがまっすぐ私を見つめて言った。
 その強い視線が、とても心強かった。



 集落は、火の海とかしていた。

「あ、あ、あ………」

 あり得ない。あってはならない光景に、腰が抜けた。

「こんな……馬鹿な……」

 クラピカは、顔面蒼白になり、目の前の現実を認められないように何度もかぶりを振った。
 そのクラピカを見上げ、その先に私は見つけてはならないものを見つけてしまった。
 赤い液体の海に沈んだそれは、上半身と下半身が引きちぎられており、人としての原型をとどめていない。
 マシンガンか、あるいはショットガンか、無数の穴を身体に空けられたそれは、私達の方に暗い眼窩を向けていた。
 けれど、例えその目を失っていても、私がその顔を見間違うわけがない。

「あ、あぁ、あ、あ………」

 声にならない声が漏れる。視界が徐々に紅く染まっていった。
 私の視線を辿ったクラピカが、顔を強ばらせた。

「あれは………」

「お父さん………!」

 それは、私の父だった。
 クルタでも、最高レベルの戦士である父。
 それが、まるで紙のように引きちぎられて、生ゴミの如く打ち捨てられていた。

「う、うぇぇえぅぇぇ……!」

 嘔吐する。
 頭の片隅で、「あぁ、クラピカの前で吐いちゃった。嫌われちゃうかも……」と現実逃避の声が聞こえた。

「うぁぁ……」

 クラピカがジリジリと後ろに下がる。
 顔を上げ、クラピカの視線の先を見ると、そこには20程の若い金髪のがいた。特徴的な鷲鼻が気になるも、切れ長の瞳のなかなかの美人。けれど、その威圧感は彼女がただの美人でないことを証明していた。

「………念能力者じゃない、か。頭部とのセットがつくれそうね」

 そういって彼女は手に持った拳銃をこちらに向ける。その銃口が向けられているのは……私。

「あぁ……クラピカ……助け」

「ウアァァアアアア!」

 震える声で助けを求める私の声を遮ったのはクラピカの悲鳴。
 そしてクラピカはそのまま踵を返し、逃げ出した。

(…………え?)

 愕然と。
 銃口を向けられているいる事すら忘れて、呆然とそれを見る。

(え? だって……え? 守るって………え?)

 混乱する。どうして? 意味がわからない。
 めまいがして、私は膝をついた。

「……憐れね。恋人に見捨てられたか。安心しなさい。あんな男の風上に置けない奴は、後で私が必ず殺すから」

「……………」

 これが、絶望というヤツなのだろうか。
 心が酷く空虚だ。
 裏切られた。
 その想いだけが胸を占める。
 こんなの……こんなのってあんまりだ。……こんな醜い現実……死よりも酷いじゃないか。
 赤かった視界が色を取り戻していく。
 感情の高ぶりが収まってきたのだ。

「それじゃ……さようなら」

 ゆっくりと顔を上げて、死の象徴を見つめた。
 そしてその引き金が引かれる瞬間

「オラァ…!」

 私の希望が飛び込んで来た。



「俺の妹に何してやがる!」

「おにぃ……」

 飛び込んで来た兄は、なんと飛来する弾丸を拳ではねのけると、開口一番そういった。
 その身体には無数の切り傷を負っており、生きているのが不思議な位だった。
 けれどその背中は今まで見たどの背中よりも大きく、なぜか心臓が強く鼓動しはじめるのを感じた。

「おい聞いてんのか、鷲鼻!」

 兄が左手に持った剣を彼女に向けた。
 彼女はその剣を見て、言った。

「その剣は………あなた、どうやって取ったの?」

 彼女は信じらんない、という眼で兄を見る。
 兄はニヤリと笑うと、

「俺を襲った似非中国人を返り討ちにしてぶんどったんだよ」

「っ……フェイタンを? あなたが?」

 彼女は警戒した様子で、兄を見る。

「糞楽勝だったぜ、鷲鼻。すぐにアンタもあの世に送ってやるよ」

 そういって兄は大きく踏み込んだ。



 戦いは、やや兄の有利に進んだ。
 負傷しているとはいえ、戦闘能力は兄の方が上のようで、彼女は追い詰められそうになる度に私に銃口を向けることで体制を整えていた。
 私は、自分が足手纏いになっていることはわかっていたが、下手に動いて兄の邪魔になることが怖くて、動くことができなかった。
 そして、その瞬間はついに訪れた。
 突然、兄の身体が、糸の切れた人形のように倒れたのだ。

「ぐ、糞………」

 見れば、爛々と光っていた兄の緋の眼が光を失っていた。

「……ふぅ。ガソリン切れね。正直………危なかったわ」

 そういって彼女は、兄をボールのように蹴り飛ばす。
 ボギン! と不吉な音を立てて、兄はこちらに飛んできた。

「おにぃ! おにぃ……! お、にぃ…………」

 私は飛んできた兄を見て、言葉を失った。
 兄は、背中から真っ二つに折れ曲がっていた。
 兄が、生物として大切な何かを失いつつあるのがはっきりとわかった。
 兄はグフグフと血を溢れだし、言った。

「に、……げぇ、ぉ……」

「おにぃ……! おにぃ! おにぃ! あぁアアァ、おにぃ!」

 私は身体を震わした。
 兄を失う恐怖に。目の前で大切な何かを失う絶望に。――そして目の前の兄の気高さに感動に。
 悲しみと感動に身を震わせた。
 あぁなんと気高いその魂。
 これほどまでに気高い存在がいるだろうか。
 私はこの瞬間悟った。
 人の価値とは、死が迫った時に決まると。
 クラピカは身の危険が迫った時に逃げ出した。あれが彼の本質。
 兄は死が背後に迫っても、私を守る為に強敵へと挑んだ。そして今、死にゆくその瞬間にも私を案じている。
 なんという精神!
 私は間違っていた。なぜあんなクラピカとかいうクズにうつつを抜かしていたのだろう。身近にこんなにも素敵な人がいたというのに。
 圧倒的な後悔。身を切る程の悔恨。
 だがそれは後回し。
 今は兄を助ける。それが最優先。それが私の使命。私の存在理由。
 深く深く自我を己へと深行させる。私の10年間の全てを超高速で検索する。
 この状況を打破しうる可能性を見つけだす。
 検索結果は0。可能性も0。だから?
 かつての私なら諦めただろう。だが今の私は違う。
 愛という絶対の真理を悟った私に、諦めという文字はない。
 私のちっぽけな人生ではこの状況を打破できないのは分かり切っていた。
 ならばどうすればいい? 簡単だ。
 今の私にないのなら、“更に前の私まで遡ればいい”。運命を切り開ける“私”を見付けるまで遡り続ける。
 きっとそうなれば“今の私”は消えるだろう。だからどうした?
 兄が救えるなら私位好きなだけくれてやる。だが一つだけ、この“絶対の真理/愛”だけは譲らない。
 例えどんな“私”になったとしても、その私は絶対にこの“愛”に縛られるだろう。
 それが“私”が兄へと捧げる無償の愛。“私”が私へと課す“制約と誓約”。
 さぁ深く深く深く深行せよ。
 この身はただ、最愛の君の為に。



 パクノダは、虫の息の兄にしがみつく少女の気配が変わったことに眉を潜めた。
 先ほどまでの無害な羊のような気配が払拭され、今まで見たこともないようなまがまがしくも神々しい、矛盾を孕んだ気配となりつつある。
 パクノダはこの気配に似たものを知っていた。
 かつてみた、“聖人の遺体に残された死者の念”とあまりに酷似しているのだ。
 死者の念というまがまがしさはそのままに、人々を救う為に生きたまま己を生け贄に捧げたとある聖人の神々しいオーラ。
 その聖人が残した死者の念は、その聖人を崇める尊敬の念を吸収し、一つの奇跡を起こした。
 すなわち、“自己の蘇生”。
 念の、人としての限界を超えた能力。
 それを起こした聖人を、人々は崇め、今ではその宗教は世界最大の宗教となっている。
 その宗教を興した聖人。その遺体を見た事があるパクノダに、強烈な既視勘を抱かせる目の前の少女は、否応なしにパクノダに警戒心を与えた。

(……何をしでかすかわかったものじゃないわね。さっさと殺してしまいましょう)

 パクノダがすぐに少女を殺さなかったのは、少女に同情したからではない。
 少女の瞳を緋の眼にするためだ。
 兄の死という悲劇に、緋の眼となった少女を殺し、それを回収する。それが目的だったのだ。

「お別れは済んだかしら? じゃあそろそろ死になさい」

 少女に歩み寄り、銃口をこめかみに当てる。
 そして引き金を引く瞬間、少女が呟いた。

「“引き継がれし死者の念/サトリ”」

 銃声。次の瞬間、パクノダはわが眼を疑った。

「な、何……!?」

 放たれた銃弾が、少女の頭の前で停止していた。

(止められた?! 馬鹿な、先ほどまでただの小娘だったこの子に!? まさか、無意識の念?!)

 慌て離れようとして、何かが耳元で囁いた。

『“驚愕”シタナ?』

 そして気付けばパクノダのは廃屋に身体を突っ込んでいた。

「がっ、あっアァァア……?!」

(一体、何が………!?)

 全身が激しく痛む。見れば、全身に重度の打撲を負っていた。
 骨折しているところも、一ヶ所や二ヶ所ではない。
 まるで全身に何十発ものラッシュを食らったかのような。

(馬鹿な!? あり得ない! そんな瞬間はなかった。まさか、これがあの少女の念!?)

「記憶ってよぉ、どこに保存されてるんだろうな? 気にならねぇか?」

 気が付けば少女が目の前に立っていた。
 パクノダは気付く。
 最早、あった頃の気配は完全に消えている。口調までも変わっていては、気付かない方が不可能だ。

「現代の医学だとよ、記憶ってのは脳に保管されてるそーだ。けどよ、こういう事例も残ってる。成人男性の心臓移植された女性が、夢としてその成人男性の記憶を見るって事例だ。もちろんその女性はその男の事なんてこれっぽっちも知りやしない。にもかかわらず夢を見るんだ。不思議だよなぁ?」

 少女がパクノダに語り掛ける。
 少女の発言は、平時であれば自身の能力も関係して興味深い話題であるが、今はそれよりも自分が窮地に追い込まれていることがパクノダにとって重要だった。

「じゃあ記憶は、脳だけでなく心臓にも保管されるのか? っていうとこれまた違う。なぜなら、角膜移植された男が、見たことのない景色を幻視する事例もあるからだ。さっきの心臓の理論なら角膜にも記憶が保存されることになる。……さすがにこいつはおかしいよなぁ」

「………」

 パクノダは、大人しく話を聞く振りをして体力を回復させていた。先のダメージが思った以上に大きかったからだ。
 そしてなにより、この異常の原因を探る時間が欲しかった。

「そこで俺は考えた。記憶とは脳でなく魂……そう、オーラに保存されているのではないかと。心臓の記憶や、角膜の幻は、その部位に残ったオーラの残子が見せたものじゃないのかと、な。どうだ? なかなかいい考察じゃないか?
 ――答えてくれよ、パクノダさんよぉ。サイコメトリーの能力を持つあんたならわかるんじゃねぇかと俺は期待してるんだぜ?」

 その瞬間パクノダは心のそこから驚愕した。

(な、どうして私の能力を――――?!)

 その瞬間、再び声がした。

『“驚愕”シタナ?』

 そして気が付けばパクノダは廃屋の外へと吹き飛ばされていた。

「がっ、ガァ……!」

 今度のダメージはもっと酷い。
 確実に身体中の骨が折れている。幾らかの骨は臓器に刺さっているだろう。

(こんな………何が!?)

 わからない。わからないままに、敵の能力に翻弄されている。
 こんなにも、正体の知れない能力は、見たことがない。
 まるで、団長であるクロロにも似た正体の知れなさ。
 その不可思議さは、パクノダに深淵を覗き込むような恐怖を与えた。

「ま、いいや。実はさして興味はないんだ。重要なのは、今俺がこうして立っていること。それで十分だ。そうだろう?」

 そういって少女が銃口をパクノダに向ける。
 そこでようやくパクノダは拳銃を奪われていることに気付いた。

「そろそろ終わりにしようぜ。早くしないとおにぃが間に合わなくなる。全く……目覚めたら男を愛してたなんて悪い悪夢だ。だが決して悪くない気分なのが怖いところだよな。それじゃあ、さらばだ」

「……っ!」

 なんとか抵抗しようとし、そこでパクノダの意識は途絶えた。




「さて、とだ」

 俺は虫の息となっている“愛しい人”の前で思考した。
 目の前の人物は、もう明らかに死体といっても過言ではない状態だが、なんとか生きつないでいる。
 その理由がその肌に当てられたヒヒイロガネだ。
 さすがはクルタの秘宝というべきか、ヒヒイロガネは持ち主のオーラを増やし、半自動的に強化する機能がついていた。
 それをクラークに持たせることで、生命力を強化していたのだ。

「頼むから街まで持ってくれよ、おにぃさま」

 俺は何故か見ているだけで愛しい気持ちが沸き上がるこの身体の兄の頬を撫でると、“サトリ”を具現化させた。
 現れたのは3メートル近い緋色の騎士。
 全身をヒヒイロガネの鎧に身を包んだ騎士は、そっとおれとクラークを抱き上げると、信じられない速度で走り始めた。
 この速度なら、なんとか間に合うだろう。
 後ろから、クルタの皆の悲鳴や怒号が聞こえるのを耳にしながら、俺は街へと向かった。
 どうしてこんなことになったのかを思い出しながら。




[22744] 四話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:5e775f31
Date: 2010/11/02 19:25
 突然のことだった。
 たゆたう“海”にいた俺は、緋色の濁流に呑み込まれ、気付けばこの少女の器へと押し込まれていた。
 長らく失っていた肉体の感覚を感じる。
 膝をつき、傍らの兄の手を握っている俺。その手は細く、小さく、間違いなく幼い子供のもの。記憶にある“俺”の手とは似てもにつかない華奢な手。けれど、その手は紛れもない自分の手だという意識があった。
 辺りは火に囲まれ、悲鳴と怒号が響き渡る。
 不思議な感覚だった。自分が城上新人であると同時に、フィアという少女である感覚。矛盾したそれに、しかし俺は違和感を感じなかった。
 視線を落とす。
 地面に横たわる、少女の兄。それを見た俺は、自分の内から気が狂いそうになるほどのいとおしさが湧き出るのを自覚した。
 それが生み出されているのは少女によって残された核。
 自我も、記憶も、肉体すらも俺に捧げた少女が残した最も大切な一。
 核の力はシンプルなものだ。
 前世の自分の中で最も力を持った存在に、自我、記憶、肉体を捧げることで、その存在に圧倒的な力を与えるというもの。
 制約と誓約もシンプル。自分の兄クラークを愛すること。
 目覚めたら男を、しかも血のつながった実の兄を愛することとなった現状に、憂鬱になったが、それ以上の肉体を得た嬉しさがあった。
 生け贄となった今世の自分への罪悪感はない。
 なぜなら生け贄に捧げたのは他ならぬ自分自身だという意識があるからだ。
 それが、融合したということなのだろう。

「お別れは済んだかしら? じゃあそろそろ死になさい」

 気が付くと、こめかみに銃口が当てられていた。
 冷たい金属が否応なしに意識され、俺は苦笑する。
 なるほど、なかなかに絶望的な状況だ。
 この状況を打破し、最愛の兄を救うことが、俺に要求された仕事なのだと、この身体が教えてくれた。
 代金は前払いでいただいている。ならば精々頑張らなくては。
 うっすらと笑みを浮かべた俺は、その引き金が絞られる直前呟いた。

「“引き継がれし死者の念/サトリ”」

 瞬間、サトリが具現化する。
 長年“海”の中で見守り続けたそれは、暗闇の中、自分の身体が見えなくてもわかるように、鮮明に思い描けた。
 そして、イメージに必要なタイムラグは0。
 一瞬で具現化したサトリは、至近距離で放たれた弾丸をいとも簡単に摘んで止めた。その指先は、ピタリとも動かない。通常の念獣では考えられない精密で、素早く力に満ちた動作。ましてや、念に目覚めたばかりの小娘が操ってよいレベルの念獣ではなかった。

 通常、具現化された念獣を動かすには、術者のイメージが必要となる。
 複雑なイメージには、それだけの高度な操作性が要求され、満足に動かすだけでもかなりの修練を必要とする。
 そして最も重要なのが、術者のイメージである以上、何か特殊な力が付加されていない限り、“術者に不可能なことはできない”ということだ。
 そう、本人が飛来する弾丸を指で摘めないならば、イメージされた念獣も、例えその性能を有していても弾丸を止めることはできない。
 アクションゲームで、そのキャラクターが敵を倒す性能を有していても、プレイヤーが下手だと倒せないように。
 だが、俺の“サトリ”にそれは適応しない。
 なぜなら“サトリ”は俺の思い通りに動くが、“サトリ”自体が自我に目覚めた半自動の念獣なのだから。
 故に、“サトリ”は俺の意思を組んで動くが、その肉体を動かすのは他ならぬ“サトリ”自身。
 だからサトリは、念能力者の限界を超える。自分の肉体なのだから、100%の力を行使できる。
 だからこうして、ただの10歳の小娘が生み出した念獣でも、飛来する弾丸を受け止められるのだ。

「な、何……?!」

 驚愕する鷲鼻の女――パクノダ。既に俺の“サトリ”は、相手のパーソナルデータを読み込んでいた。
 驚愕により、パクノダの思考に一瞬の空白が生まれる。その隙を、“サトリ”は見逃さなかった。


『“驚愕”シタナ?』

 その瞬間、“サトリ”の能力“空白の時/ストップ・ザ・マインド”が作動する。
 “空白の時”は、相手の一瞬の思考停止を何倍にもし、数秒だけ相手の思考を止めることができる能力。
 これにより、相手は数秒間隙だらけになる。

『隙ダラケダゾ! ビッーーーーーッチ!! ウラアァー!ウラウラウラウラ ウラウラウラ ウラウラウラウラウラ ウラウラウラウラァアァアァーー!!!』

 “サトリ”が咆哮し、無数のラッシュをたたき込む。その回数は、一秒間に14発。7秒間思考を停止したパクノダは、優に100発近い拳打を受けることになる。
 吹き飛ぶパクノダ。廃屋に突っ込んだパクノダは、そこでようやく苦痛の声を漏らす。止まった思考によりせき止められた痛みが、まとめて襲ってきたのだ。

「がっ、あっアァァア……?!」

 俺はサトリを消し、パクノダに歩み寄った。

「記憶ってよぉ、どこに保存されてるんだろうな? 気にならねぇか?」

 “空白の時”は、止めた時間の5倍の時間が経つまでは使用することはできない。
 また、その間心を読むことも出来なくなる。
 故に、このまま会話をすることで、時間を回復させる。

「現代の医学だとよ、記憶ってのは脳に保管されてるそーだ。けどよ、こういう事例も残ってる。成人男性の心臓移植された女性が、夢としてその成人男性の記憶を見るって事例だ。もちろんその女性はその男の事なんてこれっぽっちも知りやしない。にもかかわらず夢を見るんだ。不思議だよなぁ?」

 正直今ガチンコで戦うのは不味い。何故ならば、“サトリ”は強力な念だが、俺自身は吹けば飛ぶような脆弱な小娘なのだ。
 故に、短時間で決着をつける。それゆえの“時間稼ぎ”。そしてこの時間稼ぎは必ず成功する。俺は確信があった。

「じゃあ記憶は、脳だけでなく心臓にも保管されるのか? っていうとこれまた違う。なぜなら、角膜移植された男が、見たことのない景色を幻視する事例もあるからだ。さっきの心臓の理論なら角膜にも記憶が保存されることになる。……さすがにこいつはおかしいよなぁ」

「………」

 そして、案の定パクノダは何のアクションも起こさなかった。相手も、時間の経過を望んでいるのだ。
 自分の身体が負ったダメージは低くない。だから、少しでもダメージを回復させる時間が欲しい。そういった逃げの思考。
 だがその安全を求める逃げの思考こそが、

「そこで俺は考えた。記憶とは脳でなく魂……そう、オーラに保存されているのではないかと。心臓の記憶や、角膜の幻は、その部位に残ったオーラの残子が見せたものじゃないのかと、な。どうだ? なかなかいい考察じゃないか? 答えてくれよ、パクノダさんよぉ。――サイコメトリーの能力を持つあんたならわかるんじゃねぇかと、俺は期待してるんだぜ?」

 パクノダを追い詰める“毒”!
 パクノダの驚愕を確認した俺は、“サトリ”を使用した。

『“驚愕”シタナ?』

 “空白の時”!

 停止するパクノダ。そこにラッシュをたたき込む。
 そして今後の驚愕は先ほどよりも更に大きい。故に打ち込むことができる。爆弾を。

『油断シスギナンダヨォ! 雌豚ガァァアァ! ウラウラ ウラウラウラウラ ウラウラウラ ウラウラウラウラウラ!! Fuuuuuuuuuck Youuuuuーーーーー!!! ウラウラウラウラウラ ウラウラ ウラ ウラ ウラ ウラアァーーー!!』

 ボキボキと骨の折れる破壊音。十数秒に渡って連打を受けたパクノダは、全身の骨を砕かれて、外へと飛び出していった。

『ソシテ心ハ動キダス……』

「がっ、ガァ……!」

 パクノダがのたうち回る。ようやく、戦闘能力を完全に奪うことができた。
 俺は落ちたパクノダの拳銃を拾うと、中身を確かめる。
 残弾は1。ちょうどいい。
 具現化された弾や銃でもないようだ。

 パクノダに歩み寄りながら言う。

「ま、いいや。実はさして興味はないんだ。重要なのは、今俺がこうして立っていること。それで十分だ。そうだろう?」

 実際はただ時間稼ぎの為に話していただけだしな。
 俺はパクノダに銃口を向けると言った。

「そろそろ終わりにしようぜ。早くしないとおにぃが間に合わなくなる。全く……目覚めたら男を愛してたなんて悪い悪夢だ。だが決して悪くない気分なのが怖いところだよな。それじゃあ、さらばだ」

「……っ!」

 パクノダの心に抵抗の意志が生まれた瞬間、俺は埋め込んだ爆弾を作動させた。

 “空白爆弾/マインドオブザボム”。10秒以上思考を止めた時にのみ設置できる“心の爆弾”。これを爆破させることにより、一度だけ思考を好きなタイミングで停止させることができる。
 その程度時間は二秒ほどだが、十分だ。

 俺は引き金を引き、パクノダの頭を吹き飛ばした。






 “俺”が最後に覚えているのは、学校の帰り道だ。
 青信号。曲がり角。人通りの少ない道に、迫りくるブレーキ音とクラクション。暗転。衝撃。身体中に走る熱。薄れゆく意識。そして俺が思った最後の想い。

 次に覚えているのが、たゆたう意識。
 辺りには何もなく、けれど不思議と心地よい色彩に囲まれた空間。
 そこでは俺に肉体はなく、ただ薄紅色のオーラとなって、色彩の海を漂っていた。
 俺はただ、その海を眺め続けていた。
 海のなかでは、緩やかに変化が起こっていた。
 俺の他に存在する色たちは、やがて色を失い無色へと変わっていく。
 俺はそれが、この状態での死だとなんとなく気付いていた。
 やがて俺も色を失うのかとぼんやり思っていたが、俺は色を失わなかった。俺の中にある核が、無色の侵食をはねのけていたのだ。
 俺はその核が、なんなのかうっすらわかっていた。
 “サトリ”だ。俺が俺である証。俺の全て。
 今思考する俺は、その核にまとわり着く何かでしかなかった。
 核の色合いは、他の色合いとは一線を画していた。
 強烈な、波動すら感じる紅。
 やがて、サトリは人の形を宿していき、まとわりつく俺の一部と、無色達を吸収して自我を形成していった。それに合わせて、サトリはどんどん力を増していった。

 そんなある時、海の外側から声が届くようになった。
 他の色達は、もう答えるほどの自我を失っており、答えることができなかった。
 俺とサトリは、その声に返事を返したが、声は届かないようだった。
 するとそのうち、海の外側から色がくるようになった。
 やや薄めの緋色。
 量が少ないそれは、あっという間に核に取り込まれていった。
 俺と、緋色とサトリは、互いに影響を及ぼし合いながら変化していった。
 特にサトリの変化は、顕著だった。
 始めは10センチほどだった球体は、今では3メートル近くなり、完全な人型と化していた。
 深紅の肌を持つ核は、俺と緋色が交ざりあった所為か男とも女ともつかない形となっていた。
 一見髪の長い美女にも見えるが、乳房はなく、かといって男性器も女性器もなかった。
 その頃には、俺とサトリは簡単な会話をする事すら可能となっていた。
 会話をするうちに、ここがある少女の魂の中だということがわかってきた。
 色は俺より更に前の魂が残した記憶だ。
 記憶はかつての肉体のオーラの色を残しており、しかしやがて意志は薄れ消えてゆく。
 サトリがここまで強い自我を有し、力を持っている理由は、サトリによれば自分が死者の念だかららしい。
 良くわからなかったが、俺が俺であった証であるサトリが残るのは、嬉しかった。
 俺の自我は、死んだ以上消えても良かったが、サトリが消えることだけは許容できなかった。
 俺は、我が子を見守るような気持ちでサトリを見守り続けた。

 サトリは、海の外側、今世の俺に力を貸しているようだった。
 求めに応じ、読心の力を提供する。
 サトリは、少女ではなく俺が生み出した力だからか、うまく使えないようだったが、死者の念となり、また辺りの海を取り込んだサトリの力はかつてとは比べものにならないほどの力を有しており、力の極一部でも凄まじい力を発揮しているようだった。
 サトリが力を貸すたびに、外側から緋色が流れ込んでくるようになった。
 サトリは、それを取り込み力を増していった。
 俺は、それがサトリが力を貸す対価なのだろうな、と思っていた。

 緩やかに、けれど確かにサトリは進化していった。
 サトリが放つ波動は海を揺るがすようになり、最早無色は存在しなかった。
 海とはサトリであり、サトリとは海だった。その気になればサトリは俺を簡単に取り込めたが、取り込むことはなかった。
 サトリは、なぜか俺と少女に忠誠を誓っていた。
 おそらくは、俺と少女はサトリにとって親のようなものなのだろう。
 サトリは、自らを生み出した俺と少女に感謝しているようだった。

 月日が経つにつれ、そとからくる緋色の為か、サトリは形状が変化していた。
 いつのまにか両手が緋色の金属を纏うようになっており、それは肉体と同化しているようだった。
 緋色の金属はサトリの力を増加させる能力があるようで、金属が肌を占める割合が増える度にサトリの力は爆発的に増えていった。
 やがて金属がサトリの全身を覆う頃には、サトリは一人の騎士となっていた。
 サトリは、自分は完成したと言った。
 後は少女が私を呼べば海から外へと出られると。
 俺は我が子の成長が嬉しかった。
 その時、外側から声が聞こえた。
 サトリが返事をする。
 この頃には、サトリが放つ波動が大き過ぎて、俺の声は波動に掻き消されるようになっていた。
 そして俺は驚愕する。
 なんと少女とサトリの対話が初めて成立したのだ。
 少女とサトリの会話を聞いていた俺は、少女が円周率を数えるとおかしくなった。
 なぜならそれは、俺の癖だったからだ。
 あぁ、性別は違えど、彼女は俺なんだな。と思った。
 やがて対話を終えると、サトリは眠りについた。
 伝えることは伝えたと。
 俺は眠るサトリを見守り続けた。

 それから幾年かの年月が流れた。
 俺はその間サトリを見守り続けた。
 何もない穏やかな時間であったが、退屈ではなかった。
 この空間では、時間の感覚が曖昧なのだ。
 やがて、海に異変が起きた。
 世界はひび割れ、土石流のような緋色が流れ込んできた。
 その緋色は、長年親しんだ少女のものだったが、それが放つ気配はかつての少女のものではなかった。
 信じがたいほどの狂気に犯されたそれは、かつての薄い緋色からサトリに似た濃すぎる緋色へと変わっていた。
 緋色は俺にまとわり着き、外へと引き釣り出した。
 外にあったのは、少女の自我。
 それらは、自分の全てを俺へと捧げ、同時に俺に自らの“核/念”を植え込んだ。
 その核は、俺に一つ行動原理を作成すると、少女の全てを俺へと捧げた。

 それが今の俺の始まり。



 クルタ襲来から1週間が経過した。
 あのあとすぐに病院に担ぎ込まれたクラークは、なんとか一命を取り留めた。
 しかし、背骨をへし折られたクラークは、重度の全身麻痺と、いつ目覚めるともわからない昏睡状態が続くこととなった。俗にいう植物人間という奴だ。
 クラークが集中医療室に入るとすぐにポリスがやってきた。
 俺は自分がクルタ族であること。クルタ族が賊に襲われたこと。賊が蜘蛛と名乗っていたこと。兄は賊と戦い相討ちになったことを伝えた。
 自分は命からがら兄を背負って逃げてきたのだと。
 事情を聞いたポリスはすぐさまどこかへ連絡、俺を気遣いながらも、辺りを警戒していた。
 心を読むと、連絡したのは警察本部。すぐに護衛のもの達がやってくるそうだ。
 同時に、プロハンターを含めた特殊部隊が、クルタ族の救出へ向かうこととなる。
 翌日には、警察によってクルタ族が全滅したことが伝えられた。
 生き残りは俺たちだけらしい。
 一瞬クラピカは? とも思ったが、すぐに興味はなくなった。
 確かに今の俺は、この身体の兄クラークを愛している。だが、それはこの身体の持ち主の“念”の為だ。精神は半分以上が男のままであり、男に興味はない。
 今となっては、クラークの妄想は実際のものと理解しているし、クラークも形は違えど俺と同じ転生者なのだろう。しかし、前世の俺はハンターハンター(ジャンプは毎週読んでいたが、見たことも聞いたこともない。恐らくは存在しない………?)という漫画は知らないし、クラピカが主要キャラクターだとしてもどうでもいい。
 俺にとって重要なのは、俺とクラークと、“サトリ”だ。
 クルタ族が滅亡したのがわかると、警備は更に厳重となった。
 最早二人だけとなったクルタ族を保護しようというのだろう。
 それに、蜘蛛が討ち漏らした俺たちを奪いにくるのも警戒しているのだろう。
 マスコミなども押し寄せたが、警察が全て追い払ってくれた。正直、助かった。

 襲撃から5日後。ルクソ政府、人民課という奴らがやってきた。
 少数民族であり、緋の眼という非常に有名な特徴を持つクルタを保護しにきたそうだ。
 役人達によると、クルタ族が滅亡した以上、クルタ族が所有していた土地財産は俺達兄妹に四分の一つづ相続されることになるらしい。つまり、二人合わせてクルタ族が所有していた財産の半分が俺達のものになる。
 残りの半分は、四分の一が国へ、四分の一が“クルタ族の血を引く民間人”へと相続されることになる。
 クルタ族が所有していた土地は山二つ。そして、有事の際に蓄えられていた32億ジェニー。
 莫大、といっても良い遺産が相続されることとなったが、俺達が成人するまでは法的に相続権利がなく、成人した際に正式に相続されるそうだ。つまり、絵に描いた餅という事になる。
 そして俺は、成人するまでは“件のクルタ族の血を引く民間人”の元へと里子に出されることになるらしい。
 クラークの医療費については、国が一時建て替えることとなり、やはり俺が成人した際に払うこととなるらしい。
 その後は、2日ほど書類関係に時間を費やし、今は用意してもらったホテルへと滞在している。
 1週間以内には、里親が決まり、そこへ引っ越すことになるだろうと役人達は言っていた。
 国はあっという間にクルタ族の血縁者たちを探しだし、彼らに俺達兄妹の里親を募集したところ、立候補が殺到したらしい。
 無論、いうまでもなく莫大な相続金目当てである。
 当然国はそれがわかっているが、対処するつもりはない。それが、役人仕事という奴だ。
 まぁそれでも、あまりに生活が厳しいところや、前科など経歴に問題があるところは候補から除外され、比較的豊かでかつ問題の少ない家庭が選ばれることとなった。
 けれど、どの家庭が選ばれようが、結局はそいつらが財産目当てということには変わりない。
 この先の面倒を考えると、憂鬱だった。














 さて、里親の件は別として、俺にはやるべき事があった。
 “念”そして“原作”についての把握である。
 今、俺の前には一冊のノートがある。
 ノートの前半に書かれているのは、かつてフィアがクラークから読み取った“妄想”――つまり“原作”である。
 とはいっても、その内容は心を読んで得た非常に断片的なもの。クラークから読み取れたのは、その大半が“念”に関する知識だった。恐らくは、クラークの思考は、来るであろう蜘蛛の襲来にばかり向けられていたのだろう。故に“原作”の知識も、蜘蛛に関連するものが多い。
 “原作”の知識を軽く説明すると“ゴン”“キルア”“クラピカ”“レオリオ”“ヒソカ”“下剤ジュース”“1999年?”などの断片的な情報しかなく、第一部はほとんど空白で、第二部は細かいところはないものの、大まかな粗筋、そして念について関連しうる情報が書かれている。
 逆に第三部のヨークシン編が最も情報が多く、蜘蛛関係については、念を含めてかなり詳細だ。
 そして最後の知識が、第四部、グリードアイランド編。
 俺が最も気になるのがこれ。
 ゲーム中で手に入るアイテムはどれも魅力的で、是非手に入れたいものばかりだ。
 その中でも特に注目すべきものが、“大天使の息吹”。
  ありとあらゆる傷や病を癒せる魔法のカード。
 ゲームをクリアーすることで手に入るこのカードならば、クラークを癒せることができるのではないか?
 そう思うと、心臓が跳ねはじめ、きゅうきゅうと胸が締め付けられ始めた。
 “フィア”によって埋め込まれた念“絶対の真理/愛”によって埋め込まれたクラークへの愛。それは、俺の心を掻き乱し、狂おしいまでの愛情をクラークへと向けさせる。まるで、自分が恋する乙女になったかのような感覚。………自分で自分の想像に吐き気がした。
 はっきり言って、今の精神の7割近くが、男としてのものだ。
 それが気が付いたら男を愛していた……というのは抵抗がある。だが、フィアがこの身にかけた念の強さは、常軌を逸していた。
 自分のほぼ全てを、他者へと捧げるという狂った覚悟。それによって生み出された念が、弱いわけがなかった。
 だから、俺の意思を無視して、勝手にクラークへの恋心が生まれる。
 気が付けばクラークを最優先に考えている。
 この制約の最も恐ろしいところが、行動を強制させるところではなく、強制的に愛情をMAXにさせるところだ。
 つまり、これから先俺がクラークの為に起こす行動の全てが、自発的な行動だという事だ。
 させる、ではなく、したいと思わせる念。まさしくMCである。

「ふぅ………」

 俺はため息をつくと、ノートを更に捲る。
 ノートの前半はストーリーについて。後半は“念”についての知識だ。
 “念”についての知識は、かなりのところがクラークからの受け売りとなっている。クルタの戦士達からの情報は、クラークのものと比べて非常に偏っていた。
 クルタに伝っている知識は、纏・練・絶のみ。凝等の応用や高等技術はない。
 さらには発等の必殺技の知識もない。当然、制約と誓約も認識していない。
 何より酷いのが、系統についての知識もないことだ。
 ただひたすらに強化。強化強化強化。
 クルタの民には遺伝的に具現化、操作系が生まれやすいにもかかわらず、あの民族は馬鹿の一つ覚えのように強化だけを学んでいた。というか、それしか知らなかったというべきか。
 人によっては流モドキや、円モドキなどを使える人はいたが、それを技術として周りに広めようとするものはいなかった。
 発も、無意識に作るもの達はいたが、系統の知識がないため、己の系統と合わないものばかりだ。
 系統と発の方向性が一致することは重要だ。
 強化系が具現化系の能力、具現化系が強化系の能力など、最も悲惨な例だ。
 何故なら、系統によって習熟度と精度が段違いなのだから。

 ここは分かりやすく具現化系を基準に見てみよう。
 この身体――フィアが蓄えた知識によると、具現化とは明確なイメージが必要らしい。
 そのイメージが不完全なものだと、念は正常に作動しないし、具現化した物体を動かす時にも、その動作をしっかりイメージしないとそれは動かない。
 当然、他のことをしている時に、それをするのは困難だし、複雑なイメージであるほど操作は困難である。
 例えるならば、右手と左手の関係なのだ。
 右手と左手で同時に円を書く。これは誰にもできる。
 では次に右手と左手で違う記号を書く。そうなると一気に難易度はあがる。
 だが、訓練次第ではできるようになるだろう。
 なら別々に違う文字を書くのは? さらには文章を書いていくのは? 
 やがて必ず壁にぶち当たる。
 それが才能の壁。
 念にはそれが、あらかじめ設定されている。
 具現化系から最も離れた放出系は、訓練すれば記号を別々に書くところまで行ける。だが、その先には絶対にいけない。なぜなら、そういう風に生まれたから。
 その隣の強化系は、文字程度ならかけるようになる。そして、その隣、具現化系の隣でもある変化系は、簡単な単語くらいなら別々にかけるようになる。けれど、具現化系のように文章を別々にかけるようには絶対にならない。
 それが、生まれもったオーラの性質。
 その人が、どこまでいけるかが生まれつき定められてしまうのだ。
 そして、さらに言えば文字が別々に書けたとしても、具現化は綺麗にかけるが、他の系統は具現化系ほど綺麗に書けない。
 変化系は普通、強化系はやや歪み、放出系はみみずがのたくったようになる。
 これが、念の精度と威力。
 同じように記号を書いても、放出系と具現化では書ける記号の綺麗さが段違いとなる。
 そして、それを為すための集中力も違ってくる。
 放出系が額に汗を流しながらやることを、具現化系は鼻歌まじりにこなすことができる。
 この、その作業をどれほど楽にこなせるかを、念能力者はメモリといい、本人の分越えたことをやるのを、メモリ不足と呼ぶのだ。
 故に、系統と発が一致することは非常に重要となる。同じ現象を再現したとしても、かかる負担が全然違うのだ。


 とまぁ、偉そうに長々と書いたが、俺はまだそんなことを言う資格はない。
 何故なら“俺はまだ念を修得していないから”だ。
 “サトリ”は? と思うかもしれないが、どうもクラークの知識によると、念能力者とは“纏・練・絶・発”の四大行、そして応用技である“凝”をマスターしたものが定義される……らしい。
 そして俺がその中で修得しているものは、“発”のみ。つまり、サトリだ。
 “原作”の主人公、ゴンが修得に辿った道のりを正道とするならば、俺はいきなり発に跳んだイレギュラーとなる。
 そして、世の中で俗にいう“天才”“仙人”“超能力者”などは、俺と同じように正道を踏まず“発”に跳んだイレギュラーであり、そうしたイレギュラーをさしてクラークは“天然”と呼んでいた。
 確かに“天然”達も念能力者であるのだが、一般的に念能力者といって指し示されるのは前者のもの達である。
 そして俺もフィアも“天然”の能力者。つまり発を除けば、そんじょそこらの一般人と変わらないのだ。

 そういうわけで、俺の最初の目標は“念”を覚えることとなる。
 だが、ここで一つ問題がある。それは、やり方がわからないということだ。
 確かに“念”についての知識は豊富だ。
 だがそれだけである。
 いきなり体操競技の指南書を渡されて、さぁやってみろと言われてできる人間が、世の中にどれほどいるだろうか。
 答えは、ほぼ0だ。
 練習をし、尚且つしっかりとした師に仰いで、ようやくできることとなる。
 仮に独学でやったとしても、それは“技術の蓄積によって生み出された最適”から外れ、歪んだものとなる。
 その最も良い例が、“原作”のスカトロ(?)とかいう奴だろう。先に挙げた、別々に記号を書く程度の才能しかないのに、文章を書くことに挑戦し、それに才能の全てを費やしたという失敗者の代名詞のような奴だ。
 才能はあったという設定らしいから、しっかりとした師に仰げばかなりの使い手になった、ともクラークの知識にはあった。
 つまり、師を仰ぐというのは、“先人達が犯した失敗を歩まない”という点で非常に重要なのだ。
 故に俺がこれからするべきことは、独学での四大行の修得及び、師匠探しとなる。
 最悪俺は、天空闘技場(天空というからには浮いているのだろうか。今から楽しみである)のウィングとやらに教えを乞いに行くことを検討しながら、“纏”を身に付ける為の瞑想を始めた。




[22744] 五話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:31e9c7e5
Date: 2010/11/02 19:27
 俺はホテルのベッドの上で、全裸になると胡坐をかいて集中し始めた。
 里親に会うまで、時間はたっぷりある。
 それまでに、“念”の足掛かりくらいは見つけておきたかった。
 ちなみに全裸になるのはその方が集中できるからだ。かつての俺の癖である。性癖といってもいい。自室では半裸、寝るときや“ガス抜き”など集中あるいはリラックスしたい時は常に全裸だった。服を脱ぐと、落ち着くのだ。
 ちなみに、フィアも似たような癖があり、よく両親や兄にたしなめられていた。

 さて、オーラと言われてイメージするのは“俺”がいた“海”だ。
 フィアという少女の、本人が普段意識する事のなかった、存在の根底にあった海。
 輪廻転生を繰り返した魂の、生前の記憶が保管され、やがて浄化される場所。
 そこには、生前の肉体の記憶――つまりオーラが満ちていた。
 “纏”修得の段階は、第一段階オーラの知覚。第二段階精孔の開口。第三段階“纏”の修得となっている。
 つまり、生身の状態であの海の感覚を思い出せるようになるならば、俺は第一段階をクリアできるのでは? 十分に試す価値はあった。
 心を落ち着かせ、雑念を消してゆく。自分が大気に溶けてゆき、自我が希薄になる感覚。
 徐々に周りの気配が良く感じられるようになり、やがて自らの気配もわかるようになる。
 人は、普段自分の匂いが知覚しにくいように、自らの存在に酷く鈍感だ。自らの気配は、その最たるもの。あって当然のものなのだから、知覚しにくくて当然だ。
 しかし、こうして意識を研ぎ澄ましてゆけば、気配に敏感になり、やがて自らのものすら認識できるようになる。
 気配はもやのように認識され、それは大気へと溶け消えてゆく。
 それをさらに深く意識しようとして、気付いた。この感覚には覚えがある。
 俺とフィア。両方に共通する感覚。
 俺は海で、フィアはかくれんぼで、確かにこの感覚を体験している。
 海に満ちていたのはオーラ。そしてフィアが気配と認識していた“もや”。俺とフィアという点と点がつながり、ようやく俺は理解した。

(これがオーラ……か)

 あっさりと第一段階をクリアしたことに、思わず笑みがこぼれる。
 もう既に、この身体は“念”への一歩を踏み出していたのだ。
 恐らく、フィアの認識していた“もやの遮断”は、この分だと絶に違いない。
 ほくそ笑み、第二段階へと進めようとして、突然“サトリ”が語り掛けてきた。

『マスター……私ヲ喚ビダシテクダサイ。私ハフィアト共ニ“念”ヲ見続ケテキマシタ。マスターノオ手伝イガデキルデショウ』

 なるほど、確かに俺はフィアとして生きてきた感覚と記憶があるが、それゆえにそのフィアが勘違いしていたことは、俺も勘違いしてしまう可能性が高い。
 その点、念獣である“サトリ”は、“念”を勘違いしえない。
 フィアを通じて外を見続けてきたサトリならば、俺なんかがにわかにつけた知識よりも、よほど適確なアドバイスができるだろう。

(なるほど、頼む。“サトリ”)

 俺は頷き、“サトリ”を具現化した。
 一瞬のタイムラグもなく、3メートル近い緋色の騎士が生まれる。
 身長130センチほどの俺では、まさしく見上げるほどの巨人。
 騎士は跪くと言った。

『コレカラ私ガマスターノ精孔ヲ抉ジ開ケマス。既ニオーラヲ知覚シテイルマスターナラバスグニ纏ヲ修得スルデショウ。マスターは、貴方ガ思ッテイル以上ニ、“念”ニチカイ』

 精孔を抉じ開ける? そんな真似をして平気なのだろうか? クラークは瞑想で修得したようだが………。全てのエネルギーが抜けて、死に至ったりはしないだろうか?
 些か不安であったが、俺は“サトリ”を信じる事にした。この世で“サトリ”以上に信じられるモノはない。

「頼む」

『ワカリマシタ。デハ意識ヲ集中サセオーラヲ知覚シテクダサイ。精孔ヲ抉ジ開ケルトオーラガ爆発的ニ消耗サレマス。マスターノオーラハ凄マジイ“パワー”デスガ、決シテ量ハ多ナイ。恐ラクハ30秒以内ニオーラガ枯渇スルデショウ。
開ケタラスグニ身体ヲリラックスサセ、オーラガ身体ニ纏ワリツクイメージヲスルノデス』

 30秒か……短いな……。まぁ、いざとなったら“絶”をすればいいか。

『デハ、抉ジ開ケマス』

 そういうと、“サトリ”は具現化を解き俺の中へと戻っていった。
 そして、次の瞬間、ゾワリと背筋があわ立つような感覚の後、もやが全身から立ち上っていった。

(多い……! そしてもう既にダルくなってきた! これは……ッ! 30秒持たない!)

 緊張に身体が強張るが、敢えて身体から力を抜く。
 そして、イメージする。もやが、血流と共に肉体を循環していくイメージ。
 やがて力が抜けていくのがスピードが緩くなり、そこで俺は目を開けた。
 鏡を見ると、頭上から僅かにオーラが抜けていっているものの、肉体に今まで以上のもやが纏わりついているのがわかった。
 まだ完全に、とは言えないが、8割り方修得したといって過言ではないだろう。
 そのまま俺は、完全に“纏”を修得するまで瞑想を続け、オーラの抜けが完全になくなるのと同時に気絶するように眠りについた。



 “纏”を修得してから4日が経った。
 その間俺は、常に“纏”ができるように“纏”をし続けており、なんとか起きている間は“纏”をし続けられるようになった。
 まだ寝ている間もできるようにはならないが、いずれはなんとか修得したいと思っていた。
 寝ている間の“纏”は意外に難しい。起きている間は、頭の片隅で意識していればなんとか“纏”の体裁はとれるのだが、寝ていると当然意識はないわけで、“纏”は溶けてしまう。
 “纏”を自転車に例えるならば、“纏”ができるようになる=自転車に乗れるようになる。“纏”が起きている間は常にできるようになる=立ち漕ぎができるようになる。寝ている間も常に“纏”=両手離しができるようになる。
 といったところだろうか。
 いずれは簡単にできるようになるだろうが、補助輪がようやく外れたような初心者には、ちょっと遠い道のりだ。
 まぁ、地道に鍛練をこなしていくしかないだろう。

 さて、そしてクルタ滅亡から二週間が経った今、ようやく俺の里親が決まったようだ。
 名前はビオレ=クレンザーさん。クルタの血が四分の一入ったクォーターで、今年40歳のおばさん。緋の眼は発現しておらず、同い年の夫と、14歳の息子さんがいる。
 夫のジョイさんも、八分の一クルタの血が入っており、家族全員クルタの血が入っているということで選ばれたらしい。
 ……願わくば、善意の里親だといいが。

 ホテルのロビーに行くと、そこには病院へとやってきた役人と、俺の里親らしき人たちが紅茶を片手に談笑していた。
 ソファーには恰幅の良い、小太りの中年男性が座っている。顔が油でテカテカと光っているのが印象的だ。その隣には、やせ気味の中年女性。その顔は、やや神経質そうだ。
 その二人の隣で退屈そうに座っているティーンの少年も、やはり小太りだった。
 はっきり言って、3人の容姿には好感は持てない。
 これは俺だけかもしれないが、小太りの人間はすべからく拝金主義の性悪というイメージがある。
 無論、偏見だとわかっているが、……こうまで物語の中に出てきそうな性悪小太り一家だと、俺でなくともそういうイメージを持ってしまう。
 というか、もうはっきり言ってしまおう。ぶっちゃけ、ハリー〇ッターに出てくるダー〇リー一家にそっくりだ。瓜二つと言っていい。
 既にこの時点で嫌な予感しかしない。外見でフラグが立っているというか……。
 俺が里親らしき人たちを見て顔を引きつらせていると、役人が俺に気付いた。

「やぁ、フィアちゃん。こんにちは。この方たちが、君の里親になるクレンザーさんだ。ほら、挨拶をして」

 朗らかに言う役人だが、心の中では、

(………この子も可哀想に。こりゃハズレだな。これから先どんな目に逢うのやら)

 と思っていた。
 わかってるなら変えろ! 役人仕事が!
 一通り役人への罵詈雑言を吐いた後、俺は豚さん一家に向き直った。

「……フィア、です。名字はありません。よろしくお願いします」

 頭を下げ、ちらりと伺うと、父豚は好色そうな笑みを浮かべ、子豚は嗜虐的な表情を浮かべた。

(うっ………)

 その顔を見て、一瞬心を読むのを躊躇う。
 読心は俺のアイデンティティーであり、生き甲斐であるが、醜い性根の心を読むのは、時折ストレスなのだ。だれが好き好んで下衆の心情を知りたいと思うだろうか。
 が、今読んでおかないと、後でなにをされるかわかったものではない。ここは食わず嫌いをせず、残さず読まなければ。
 そう想い、心を読んだ俺は、すぐに後悔した。読むまでもなかったからだ。

(……ほぅ。なかなかの器量良しだな。これならばあと5年……いや、3年…………、むしろ今からでもイケるな。ふふん、どうせ相手は子供、大人には逆らえまい。じっくりとわしがわし好みに育てあげてやろう)

 殺すぞ、豚。

(……へぇ、なかなか可愛いじゃん。こいつは俺のペットで決まりだな。とりあえず俺と同じ部屋にして、部屋の中では常に全裸。俺の命令には絶対服従と。へへっ、今から楽しみだぜ……)

 ねぇよ。死ぬか? 子豚。

(……なにこの子。薄気味悪い。自分の部族が滅んだのに何で平然としているわけ? ……気持ち悪い。幾ら金のためとはいえ、こんな子供の世話なんてごめんだわ。さっさと遺産をぶんどって孤児院にでもぶちこんでしまおう)

 ……なんというか、凄く、まともだ。前の2つが酷すぎたせいか、最後の夫人が凄くまともに見える。
 勿論、相対的に、という話で普通にこの夫人も鬼畜なのだが、豚親子よりはマシだ。性奴隷になるくらいなら遺産ぶん取られた方が百倍マシだろう。少なくとも、俺はそうだ。

「ん、ジョイ=クレンザーだ。こちらは妻のビオレと息子のミューズ。君の兄となるな」

「よろしく」

 子豚が汗ばんだ手を差し出してくる。俺は、嫌々、本当に嫌々ながらそれを握った。

「さ、それでは後程の事は、これから新しいご家族となる皆様の方で」

 俺が子豚と握手するのを見た役人は、そういって自分の仕事は終わったとばかりに去っていった。
 事実上、見捨てたわけだ。
 俺が仮になんの力もないただの小娘フィアのままだった場合、この先に待ち受けていたのは地獄だろう。
 そして、それをあの役人は知りながら、何もせず去っていった。

(あの役人……覚えておこう)

 結局名前も知らなかった役人の顔を脳裏に刻み付けると、俺は豚一家に向き直った。

「これからよろしくお願いします」

(短い付き合いになるだろうけど)

 内心で、そう付け足しながら、頭を下げる。

「うむ。表に車を用意してある」

 そういって父豚は俺の肩を抱き寄せると、歩いていった。
 その感触に、全身の産毛を逆立てながら、振り払いたい衝動を全力で抑えつけ、豚と共にホテルを後にした。









 クレンザー家は、ヨークシンの南西、大都市ラッシュべガスにあった。
 ヨークシンがオークションで有名な街ならば、ラッシュべガスはカジノで有名な街だ。
 世界中から、ラッシュべガスのカジノを目指して沢山の観光客が来るため、特徴としてサービス業が非常に発達している。
 特に、ホテル街はホテルラッシュと呼ばれ、世界客室数ランキング10のうち7がラッシュべガスにあるほどだ。
 クレンザー氏は、その無数にあるホテルの中の1つを経営するオーナーだった。



 長かった。
 アイジエン大陸西岸部から飛行機に乗りヨルビアン大陸まで移動。その後飛行機を乗り換えてヨークシン郊外のリンゴーン空港まで行き、車に乗り換えヨークシンで一泊。
 翌朝再び車に乗り、ようやくラッシュべガスにたどり着いた。
 移動に費やした時間は、途中の宿泊を含めて4日。
 そして、この4日間で俺のささやかなプライドは木っ端微塵となった。
 前世の俺、城上新人には、人身掌握術……と言える程のものではないが、ある程度他者をコントロールする技術があった。
 小さな表情の動き、視線の誘導、動作、そして言葉で、周りの人間を好きに動かした。
 故に、俺は手始めにクレンザー家をコントロールしようと、全力で前世の技術を披露した。
 結果は失敗。
 俺は愕然とした。
 人身掌握術は、“サトリ”と並んで俺のアイデンティティーだ。
 “見”の力が“サトリ”ならば、“動”が人身掌握術。2つで一つの人間を作り上げて来たのに、突然片方が失われていることに今更気付いたのだ。
 ショックだった。
 肉体を失ったことと比べても、比較にならないほどのショック。
 どうして失われたのかを、必死で考え、ようやくわかった。
 肉体が変わったからだ。
 かつての俺が調査し続けたのは、あくまでも“城上新人”の肉体に対する反応。
 10歳の、しかも可愛らしい女の子に対する反応ではない。
 “城上新人”がやる行為と、“フィア”がやる行為では、相手が受け取る反応が180度違うのだ。
 どうしてこんな簡単な事に気付かなかったのだろう。簡単だ。それは、あまりにもこの肉体であることに違和感がなかったから。
 まるで自分がフィアとして10年間生きてきたかのように、違和感がない。
 故に、発見が遅れたのだ。
 それに、クレンザー家の男の下半身主義が拍車を掛けた。
 俺がなにをしようが、あちらはこちらを生きたオナホ程度にしか考えてないのだ。
 これには参った。
 交渉、というのはある程度対等の立場で初めて成立するものだ。
 ライオンが、ウサギと肉の交渉をするだろうか。答えは否だ。
 ウサギが、巣穴にいる自分の子供を渡すから見逃してくれと頼んでも、ライオンには届かない。なぜなら、ウサギを見つけた時点で巣穴の子供も自分のものなのだから。
 今の俺とクレンザー家の関係はまさにそれ。
 俺には“遺産”というカードがあるが、それは交渉の力とはなりえない。なぜなら、クレンザー家にとって俺の“遺産”は既にフィアのものではなくクレンザー家のものなのだから。
 そう“巣穴を見つけた/俺を引き取った”時点で、クレンザー家の頭の中では、遺産は自分達のものなのだ。
 だが、猶予はあった。
 向こうは、これから俺を懐柔し、諸々の書類を書かせなければならない。
 それまでは相手は俺を厚遇するはず。
 その間に人身掌握術を再調整し、クレンザー家に入り込めば、なんとかなるかもしれない。
 それまでが勝負。
 これは一種のゲームだ。
 クレンザー家は、俺を手なずけ、書類を書かせれば勝ち。期間は俺が成人するまで。俺はクレンザー家が痺れを切らすまでにクレンザー家の心を掌握すれば勝ち。
 なかなかシビアな条件のゲーム。だが、それがいい。
 家の中の皆が敵という環境が、かつての俺の環境を思い起こさせる。
 正直、燃える。
 こういう厳しい環境だからこそ、能力は磨かれる。
 そういう意味では、クレンザー家には感謝しなくてはならないだろう。
 さぁ、勝負だ。クレンザー!






 ………そう思っていた時期が俺にもありました。
 そんな諦観の思いで、俺は目の前の書類を見つめていた。
 クレンザー家の私宅の門扉を潜り、テーブルについた俺に出されたのは紅茶と書類の束。
 懐柔だとか、時間の猶予だとか、そんなものは全くなかった。
 着くなり速攻の先制攻撃。心を読める俺の隙を突くほどの流れるような自然な仕草だった。
 あたかも客人にスリッパを差し出すかのように、遺産譲与の書類が俺に差し出されたのだ。
 ここ数日の、豚親子のエロゲのような凌辱計画に嫌気がさし、読心を切っていたのが完全に裏目に出た形となった。

「………………」

「どうしたの? フィアちゃん。これは私達が本当の家族になるための書類なの。だから、早く書いてくれるかな?」

 俺が無言でいると、ビオレが口調は穏やかに、しかし断固とした雰囲気で促してきた。

「ん、もしかして書き方がわからないのかな? 大丈夫。ほとんどこちらで書き込んであるから、あとはここに名前を書くだけでいい」

 そういって空白部分を指差すジョイ氏。

(そういう問題じゃねぇんだよ……)

 俺は内心ため息をつくと、フィアを装い応えた。

「あの……そういう書類は全て役所の人たちが用意してくれたって聞いたんですけど……」

「うん。その書類が足りないことがわかったんだ。だから、あとはこれだけだよ」

(呼吸するように嘘をつくな! こいつは)

 俺はジョイ氏の面の皮に感嘆すると、続けた。

「でも………これって役所の人たちが絶対に書いちゃいけないって言ってた書類なんですけど……」

 俺がそう言った瞬間、リビングの雰囲気は一変した。
 ビオレ夫人は笑みを消し、ジョイ氏は忌々しそうな表情になり、子豚はイライラした感じになった。

「フィアちゃん……これから家族になる私達と、他人の役所の人たち……どっちが信じるのかしら?」

「そうだな。信じられていないというのは、実に悲しいことだ」

(いいから書けよ! クソガキが! 一著前に警戒してんじゃねぇ!)

(なんて生意気な小娘なのかしら!)

 表向き穏やかな風の二人だが、内心は荒れ狂っていた。
 正直、不味い。
 このままでは押し切られてしまうだろう。
 武力で抵抗するのも手だが、衣食住を失う可能性は高い。
 異常な力を持つ子供として、警察……最悪はハンター協会に救助を要請するかも知れない。それは、避けたかった。

 俺が必死で頭を巡らせていると、先ほどからイライラした様子だった子豚が突然キレた。

「いいからお前は俺たちの言うこと聞いてりゃいいんだよ! ペットの癖に生意気なんだよぉ!」

 怒鳴り散らし、俺のツインテールの片方を掴む子豚。

「痛っ……」

(この……! 豚が!)

 衝動的に“サトリ”を出しそうになるが、必死に抑える。今キレるのは不味い。

「早く書かねぇとこのゴキブリ見てぇな髪、全部剃っちまうぞ!」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねた。

(な、なんだ……?!)

 次の瞬間、“核”から猛烈な怒りが込み上げてくる。それは、クラークへの愛と同じ、制御不能なもの。
(ま、マズい……!)

 抵抗しようとするも、すぐに感情の激流に押し流された。
 そして視界と思考が赤く染まっていく。緋の眼の発現だ。つまり、それほどの激情。
 そして俺は抵抗を止め、感情に身を任せた。





 ジョイ=クレンザーは、突然リビングの空気が変わった事に気付いた。
 大気を揺るがすような得体の知れない威圧感。
 この威圧感に、ジョイは覚えがあった。
 怒気だ。
 まだジョイが若かった頃、当時父がホテルのオーナーをしていた頃の事。仕事で致命的なミスをしたジョイを叱った時の父の剣幕が、これと似た雰囲気であった。勿論、それとこれでは圧倒的に威圧感が違うが。
 前者が猛犬に牙を向けられたような恐怖だとすれば、目の前のこれは、まるで竜のあぎとを目の前にしたような……。
 そしてその威圧感が、目の前の少女から出ているとわかった時、ジョイは馬鹿馬鹿しいと首を振った。
 目の前のこれは、竜でも猛犬でもなく、ただの哀れな子羊だ。我々狼に、毛を全てむしりとられ、骨までしゃぶられる哀れな子羊。
 そんな存在に、一瞬でも威圧された自分が腹立たしかった。
 全く、甘くしたら付け上がりやがって。やはりガキは殴って教育せねば。
 そう思い、拳を握り締めたジョイだったが、背筋を流れる冷たい汗は止まらなかった。
 そしてその時、少女が何かを呟いた。


「……………………って?」

「……あ?」

 苛立たしそうに、けれど何処か怯えたように聞き返す息子を、少女は見上げると言った。

「この、俺の最高にキュートな髪型が……なんだって?」

(ひっ……!?)

 その少女の瞳を見た瞬間、ジョイは息を呑んだ。
 少女の瞳は、まるで幾万の血を吸い取ったかのような不気味な緋色となっていた。
 緋の眼。
 世界七大美色にも数えられている、クルタ族の特異体質。
 それを見たジョイは、緋の眼を七大美色に数えた人間をぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。
 これが七大美色? 正気か? こんなまがまがしい色……見たことがない。
 そして少女は少女の髪を無造作に掴んでいる息子の手を握ると、力一杯握り始めた。

「アッ……! ギャアアァァア!」

 一体その細い腕に、どれほどの力が籠められているのか。息子は聞くものの恐怖を煽る、まるで断末魔のような悲鳴を上げた。
 その手はミキミキと軋み、やがてボキンという音をたてて折れた。

「この俺の……! 世界一キュートな髪型がゴキブリみたいだとぉ?」

 少女が歯の隙間から絞りだすように言う。その口調は、怒りのあまりか、完全に変わっており、もはや先ほどまでの子羊のような彼女はどこにもいなかった。

「あっガッ、ギィィイイイイ!?」

 なんとか腕を振りほどこうと、暴れるミューズ。それを見てジョイは、わが息子ながらまるで豚のようだと思った。

「な、なにをしてるの?! ミューズちゃんを離しなさい!」

 そこでようやく唖然としていた妻は我に返り、金切り声を上げた。
 だが、少女が聞こえていないように、怒りに身を震わせる。

「こっ、この俺の! ツインテールがッ…! ゴ、ゴキブリみたいだとぉオオオ!? ふざけるなぁーー!! 豚ガァアアア! ウラウラウラウラァァー!」

 少女は咆哮すると、息子の手を握ったまま息子へとラッシュを繰り出す。
 しかし、おかしなことに少女が一発殴る度に息子は何十発も殴られたように翻弄され、少女が5発も殴ると、息子の腕は千切れ、物凄い勢いで壁に叩きつけられた。
 それは人が叩きつけられたというよりは、血袋を壁に叩きつけたような有様で、断じて人の死に様ではなかった。

「……………………………………い、イヤァァァァーーーー!!」

 その残骸とも言うべき息子の亡骸を見た妻は発狂したような悲鳴を上げると愛しい息子へと駈け寄り、

「やかましいぞ! 雌豚ガァ!」

「グピ」

 死んだ。
 ジョイは、その光景を確かに見て起きながら、現実のものとは思えなかった。
 なぜなら、少女は明らかに届かない距離から腕を振っただけにもかかわらず、妻の頭は磨り潰され、壁には蜘蛛の巣状の罅が入ってのだから。
 それを見て私は悟った。
 何が子羊だ。笑わせる。子羊は私達の方だった。
 そして、目の前の少女は龍。私達は少女の逆鱗に触れたのだ。

「はぁ………はぁ………はぁ……。円周率を数えろ……3.141592………円周率は終わることのない無限の道のり……6535……きっと俺の激情を静めてくれる……8979……」

 しばらく肩で息をしていた少女は、何故か円周率を数え始めると、落ち着き、私に向き直った。

「いや、参ったね。こんなことになるなんて思わなかった。自分の感情はわりと制御できる性質だと思ってたんだけどよ、まさかこんな爆弾抱えてるなんて思わなかった。こんな、我を忘れてキレるなんて初めてだ。こういうのをキレる若者っていうのか?」

 少女は髪を指先でクリクリと弄りながら聞いてきた。

「………そういえば、キレるってなにが語源なんだろうな? キレるキレるって皆言うけどよぉ、皆何がキレるかわかって使ってんのか? 良くマンガとかだと頭がプッツンっていく描写があるけどよぉ、つまり頭の血管がキレちまうってことか? けどよ、それってヤバくねぇか? だって頭の血管がキレちまうんだぜ? 死ぬだろ、普通。それともあれか? もうすぐ私の脳ミソの血管が怒りのあまりキレてしまうので、私を怒らせないでくださいって意味か? だったら警告的な意味が強いよなぁ。今使われてるキレるとはニュアンスが変わってくるよなぁ……………どう思うよ?」

「…………………」

 この家に来たときの大人しい様子はどこへやら。少女が吹っ切れたように饒舌に語り掛けてくる。あるいは、これが本性なのか。
 ジョイはそんな少女の様子を見ながら、迫りくる死の予感と抗っていた。

「そういえば“堪忍袋のおが切れる”ってことわざもあったな。おお! こっちが語源の方がしっくりくるな。けどよ、こっちはこっちで気になるものがあるよな。ぶっちゃけ、堪忍袋ってどこよ? 胃? 肝臓?小腸? それとも心臓? わかんねぇよなぁ、そういうのイラつかねぇか?」

 話ながら少女はツインテールを結びなおすと、言った。

「ま、ぶっちゃけどうでもいいんだけどな。さてこっからが本題だ。
今お前には選択肢が2つある。一つは俺に逆らい死ぬ道」

 少女は人差し指を立てると、ほんの僅か、ほんの僅かに左右に振った。
 それだけで、ジョイの目は指先に惹き付けられ、少女が指をスイーと動かすのに合わせて視線を動かした。
 指が移動した先は少女の顔の前。そこで指は停止し、少女は目を細めた。
 指先を追っていたジョイは必然少女と目が合うことになり、少女の瞳から目を逸らすことができなくなった。

「2つ、俺に全ての金を渡し、命だけは助かる道。

さぁ、どちらを選ぶ?」

 2つの道と謳って起きながら、実質選択肢は一つのようなものだった。

(ここは頷き、後で警察……いや、マフィアに助けを求めよう……)

 この街で、ある程度の地位にある人間は、すべからずマフィアと繋がりがある。
 警察ではこの少女に抵抗できないと思ったジョイは、ここは従う振りをして、少女に隙ができた時にマフィアに逃げ込むつもりだった。

「ここはとりあえず頷いて、マフィアに逃げ込もうと思っているな?」

(――――――?!!??!)

 ジョイは心底驚愕し、こちらを冷たい目で見つめる少女を、愕然と見つめた。

(なんでわかったんだ!? こいつは心が読めるのか?!)

「こいつは心が読めるのか? ……そう思ったな?」

 もはや、ジョイはガクガクと震えるだけだった。
 先ほどまでは竜の前にいると思っていた。
 けれど、今は底なしの闇を覗き込んでいるような………否、闇に覗き込まれているような不気味な恐怖を感じていた。

(こいつは人間じゃない………悪魔だ)

「俺は人間だよ。ただ、お前のような小さな人間の考えなど、全てお見通しだというだけだ」

 もうジョイは耐えられなかった。
 殺されるとわかっていながら、部屋から逃げ出し、ドアを抜けたと思った瞬間。
 なぜかジョイは先程と同じように少女の前に跪いていた。

(な、なんでーーーー!? 確かに今ドアから逃げたのに……!?)

「ずいぶんと舐めた真似をしてくれるじゃないか? だが無駄無駄無駄。
この俺からは、決して逃げられない」

 少女はただ、腕を組んだまま、ジョイを悠然と見下ろす。その様子は、ジョイが逃げ出す寸分前となんら変わりはなかった。

「う、うげぇぇぅぇぇぇ………」

 嘔吐した。あまりの恐怖に。理解できない現実に。
 ジョイの精神は崩壊しかけていた。

「おいおい、吐くほど恐がらなくてもいいじゃないか、ジョイ=クレンザー」

 嘔吐するジョイに、少女は威圧感を緩め、優しい声を出すと、ジョイの背中を撫で始めた。

「なぁ、ジョイ=クレンザー。あれを見てみろ。あれは一体なんだ?」

 そういって少女が指差したのは、肉塊。壁に張りついた、ジョイの妻子だった。

「………妻と息子……です」

「違うな」

「え?」

 思わずジョイが聞き返すと、少女は言った。

「あれはただのゴミだ」

 ジョイは呆然と少女を見つめた。その目は冷たく、本当にゴミを見る視線だった。
 少女はジョイに視線を移すと、言った。

「では次の質問だ。あれとお前を隔てるものとはなんだ?」

 あれと自分を隔てるもの? わからない。自分達は皆、少女の手のひらで弄ばれているという点で同じだ。先に死んだか、後に死ぬか程度の違いしかない。
 ゆえにジョイはこう答えた。

「わかり、ません……」

 首をふり、答えたジョイに、少女は耳元でそっと甘く囁いた。

「本当か? よく考えろ。実に簡単な問題だぞ?」

 そう言われても、ジョイはわからないものはわからなかった。

「わからないか。では教えてやろう。実に簡単な事だ。あのゴミとお前の違い。それは、――――――俺に逆らったか、否か、の違いだ」

 その瞬間、少女は先程までの可憐な少女の声を一変させて、まるで成人男性のような低い、ドスの聞いた声を出した。
 ハッと振り向いたジョイへ、少女はただ、にっこりと笑った。

(あぁ…………)

 その瞬間ジョイに生まれた感情は、恐怖でも諦観でもなく、安堵。
 この少女に従っていれば、決して自分は死なないという絶対の安心。
 そんな保証はどこにもないのに、「妻と息子は逆らったから死んだ。ならば逆説的に逆らわなければ、私は“絶対”に死なない」とジョイは考えた。
 そしてそれは、少女によって誘導された考えだった。
 ジョイは少女に跪いてつくと言った。

「貴方に永遠の忠誠を従います。――ボス」

 それを見た少女は徐々に顔を歪ませていき。

「…………フ。フハハ……。フハハハハ。フハハハハハハハハハハハハ!」

 死体の2つ転がったリビングで、少女の哄笑が響き渡った。




あとがき

主人公の外見は10歳前後のツインテールが似合う美幼女です。



[22744] 六話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:3943912c
Date: 2010/11/02 19:28
 ジョイの妻子を殺害してから、二週間が経過した。
 あれから俺は、事あるごとにジョイへの圧迫を強め、完全にジョイの反抗心を駆逐することに成功した。
 決定的だったのは、ジョイ自身に妻子の死体の始末をさせたことだろう。
 肉と骨に死体を分離させ、肉は挽肉機械で挽肉に、骨は粉骨機械で粉状にして捨てさせた。
 以来ジョイは生粋のベジタリアンとなり、ここの所凄まじい勢いで体重が落ちて来ている。
 ジョイはどうやらストレスで痩せるタイプの人間のようだ。
 この一件でジョイの反抗心は根こそぎ失われ、極めて俺に忠実な僕となった。
 が、当然いくら落としたといっても警戒を怠るわけにはいかない。少なくとも数日は俺もジョイを警戒せねばならず、それが俺を思わぬ方向に進歩させた。
 寝ている間の“サトリ”の具現化が可能になったのだ。
 当初の目的は寝ている間の“纏”の修得で、寝ている間も頭の片隅で“纏”を意識しながら寝ていたのだが、何をどう間違ったか俺は寝ている間に“サトリ”を具現化し、それを一晩中維持していた。
 朝“サトリ”に起こされた時は、度肝を抜かれたものだ。
 寝ている間の纏より先に寝ている間の具現化を修得するなんて、俺くらいのものだろう。
 結局、寝ている間の纏は修得できなかったが、もっと安全な手段を手に入れたので良しとしよう。


 さて、あのジョイの一件は、俺に一つの選択肢を与えた。
 それは、ジョイが言った「ボス」という一言。
 それまで俺は、“GI/グリードアイランド”をどう手に入れるか、全く思いつかなかった。
 勿論、主人公達と同じように大富豪バッテラに雇われ、GIをクリアするという手段も考えた。
 だが、大富豪バッテラがなぜクリアに報酬をつけるかを考えたら、その手段を取るわけにはいかない。
 なぜならバッテラの目的は十中八九クリア報酬であり、恐らくは目的は“魔女の若返り薬”。そして契約の際、バッテラはクリア報酬を全て自分に差し出すことという契約を突き付けてくるだろう。
 故に、同じくクリア報酬を目的とする俺とは、手を組めない。
 契約を反古にすることも手だが、その時は莫大な違約金が発生するだろう。
 それは、割りに合わない。
 ならば、自力で手に入れるしかない。そうすれば、クリアできる実力があるならば全てがおもいのままだ。
 が、ここで問題となるのがGIの異常なまでの値段である。
 なんせ、ホテルにいた頃調べて見たのだが、GIは発売当時ですら価格は58億。しかも現在はバッテラに170億近い懸賞金が掛けられている為、最低でも170億は必要だろう。
 そして俺は、そんな大金を稼ぐ方法は思いつかなかった。
 この世界には、天空闘技場なる場所があり、そこでは大金が稼げるらしいが、そんなところで戦えるわけがない。
 闘いにおいて最も重要なのは、相手に如何にして自分の情報を与えないかだ。
 にもかかわらず、TV放送がされた天空闘技場で戦う? 正気の沙汰とは思えない。
 それが許されるのは、他人に見せても問題のないような能力だ。主に強化系全般がそれに辺り、一番不味いのが操作系、具現化系、そして何よりも特質系だ。
 だから俺は天空闘技場で稼ぐことはできない。
 “サトリ”が使えない以上、俺は“ただ”の小娘なのだ。
 ツッコミ所は色々あるかもしれないが、少なくとも肉体はそうだ。
 ではどうすればいいか?
 凝を利用した目利きで稼ぐ?
 確かに俺の“サトリ”と組み合わせれば、最大限の利益を上げられるだろう。
 だが、何十年掛かるか分からないし、相手が大富豪である以上経済面で争うべきではないだろう。
 アプローチを変えるべきた。
 金ではない、違う道。
 そう、権力だ。
 だが、それも一筋縄ではいかない。
 まともな道では、それこそ目利き以上に時間が掛かるだろうし、何より目利きよりも成功率は低い。
 そこで、マフィアだ。
 マフィアで最も重要なのは力。
 権力、経済力、統制力、そして、武力。
 このどれが欠けてもマフィアは成り立たない。
 どれか一つでも劣っているならば、敵にそれを突かれる。それが裏社会。
 そして、この中で最も供給が難しいのが、武力だ。
 数ならば揃えられる。だが、この世界では数の力などなんの意味もない。
 たった一つの並外れた力に蹂躙される。それがこの世界の一般人だ。
 鍛えれば、どこまでもいけるこの世界で必要とされるのは量よりも質。
 そして高品質の武力は、とても少ない。
 故にどこのマフィアも餓えている。武力に。
 そこに俺の入り込む隙がある。
 “念”という裏技があるこの世界では、子供は子供ではない。
 だから俺も力さえあれば伸し上がれる。
 力を魅せ、懐に入り、やがて組織を得て、そしてトップに上り詰める。
 世界中のマフィアのトップ、あるいはそれに准ずる存在へと俺はなる。
 GIを手に入れ、大天使の息吹きを手に入れるために。



 とはいえ、俺は弱い。
 今の状態でマフィアに取り入ろうといっても、精々が下っぱだろう。
 俺は既に原作でも強者扱いであったらしい蜘蛛のメンバー、パクノダを倒しているが、パクノダが本当に強かった保証はない。
 パクノダが蜘蛛の中の非戦闘員であった場合、パクノダは雑魚も雑魚。一般人に毛の生えた存在である可能性も…………非常に低いながらあった。
 そもそも、騒がれている蜘蛛自体も、本当に強いのかはわからない。
 マフィアを一掃する力はあったらしいが、今は原作とやらの4年前だ。
 現時点では弱かった可能性がある。
 だから先ずは鍛練。少なくとも四大行、そして凝は修得しておきたい。
 それに合わせて身体トレーニングと、情報収集もしておきたいところだ。
 いくら念で強化されていようと、元の肉体が大したことがなければたかが知れている……らしい(純粋に念だけで構築された“サトリ”を見ていると、本当か? と思う)。
 だから、原作で言われている片方一トンもあるという試しの門を、最低でも開けられるようにならねば、いざ戦闘となった時は苦しいだろう。
 そして、情報収集。
 これは、どこの組“ファミリー”が有力で、尚且つ武力を最も欲しているかを調べる為にだ。
 仮に何処かのファミリーに入り込んだとしても、そこが底辺も底辺。弱小ファミリーだったら目もあてられないし、有力ファミリーに所属しても、武力供給が飽和状態だった場合、俺の活躍の場はないだろう。

 故に見極めが重要。
 できる限り力があり、尚且つ武力に餓えた、そんなファミリー。
 勿論簡単にはいかないだろう。
 だが、俺がある程度の力を身に付けるまでは、たっぷり時間がある。
 少しずつ、少しずつ前に進んで行けばいい。焦ることはない。
 それが目的への最短ルートなのだから。


 思い立ったが吉日。俺はさっそくジョイに様々な器具を用意させた。
 リストバンド、ジョッキ、ダンベルは勿論、日用品に見せかけた物も用意させた。
 クラークの記憶にあった、試しの門で使われていた物を再現した形だ。
 ………が、些か焦り過ぎたようで、日用品はどれも持ち上げることすらできず、大半は倉庫へとしまわれることとなった。
 とりあえずは、リストバンドや足枷、ジョッキなどを来て生活し、少しずつ筋力を増やしてはいるが、未だ合計20キロ程度が日常生活での限界だ。
 やはり俺の肉体は脆弱で、いつになったら一トンの扉が開けられるようになるのかと憂鬱になったが、考えてみれば悪くない。
 全部で20キロといえば、前世の俺ですら日常生活は困難な重さで、それが念なしの生身の10歳の体と考えると、驚くべき身体能力だ。
 しかも、最初は全然身動きできなかったにもかかわらず、3日もすれば軽い運動ならできるようになってきた。驚くべき成長である。

 念の方は、現在“練”の修得に入っている。
 体の中にオーラを溜め、精孔を一気に開けることで、オーラを噴出させる。
 そしてその噴出させたオーラを纏でとどめれば、練の完成だ。
 正直あまりに簡単にできたので、見本のない俺にはちゃんと成功したかわからず不安だったのだが、他に方法もわからないのでこれでやっていた。
 練の鍛練でわかったことは、全身の精孔の開き具合が完全でないということだ。
 頭や心臓の方はオーラが出る量が多く、足の方や、胴体の至るところに、量が少ないところがある。
 そこからオーラがたくさん出るように少しずつ調整していき、纏った練の形を整えていく。
 そんは風にしていると、あっという間にオーラが切れ、すぐに疲労困憊になる。
 オーラは寝れば回復するので、重りつきとなった布団で仮眠をとる。
 その際にヒヒイロガネを握って寝ることで体力の回復が早くなり、3時間ほどで8時間睡眠と同じくらい回復する。
 俺の筋力かつくのが早いのも、このヒヒイロガネによる超回復によるところが大きいだろう。
 ノートによれば、こうして毎日練をしていけば、オーラの総量(POP)が徐々に増加していくらしい。
 最低でも30分はできるようにならないと、お話にならないらしいので、ひとまずはそれが目標だ。




 そんなことを午前中から夕方まで繰り返すと、重りをリストバンドと足枷だけにして夜の街へと出る。
 この街は夜になると活気づき、人の多さが一気に増加する。
 特に、カジノにはマフィアや富豪が集まり、情報収集には最適となる。
 この街において、カジノとホテルは同意語だ。
 なぜなら、一定規模のカジノは、一定以上の客席数を有したホテルの付属品でしか国の許可を得ることができないからである。
 故に、大きく有名なホテルを渡り歩けば、マフィアや、それらと関係のある富豪たちの情報が入ってくるというわけだ。
 ちなみに、クレンザーが所有するホテルは、普通の中規模ホテルであり、ギリギリラッシュベガスのトップ30に入るくらいのホテルだ。
 あまり、質の良い情報は入ってこない。
 そしてそんなことを二週間も続けていけば、マフィアについてある程度知ることができるようになる。
 マフィアは、大きくわけて2つに分類される。
 一つは十老頭直系組。もう一つが傍系組だ。
 十老頭とは、世界中のマフィアの中で最も力のあるマフィアンコミュニティーのトップ達。十老頭の名の通り、10人の幹部達で構成されており、事実上のマフィアの王達というわけだ。
 彼らを敵に回すのは、裏社会を敵に回すに等しい。
 そして、そんな十老頭を親、あるいは孫などと仰ぐ十老頭系列のファミリーが、直系組である。
 十老頭とは血(比喩表現)の繋がりがない組である傍系組とは格別した影響力を有しており、傍系は弱小もいいところである。
 任されるシマも、田舎町まど旨味のないところで、将来性はない。
 対して直系組は、大都市などにシマを有しており、世間一般のイメージのマフィアは、こちらである。
 小さな町に一つづつあるのが傍系組。大都市にいくつもあるのが、直系組と考えてくれれば良いだろう。
 他にも、十老頭が自分の系列から選り抜いた武闘派構成員で構成された陰獣なる独立系組織も確認されたが、あまり権力とは関わりあいがなさそうな上に、色モノっぽい感じだったので、候補からは外した。
 さて、このラッシュベガスは大都市も大都市。この国有数の大都市である。その知名度は、首都ヨークシンと並ぶレベルである。
 ヨークシンのオークションで競りをした後に、ここのカジノで遊んで帰る。あるいは、ここのカジノで軍資金を稼いでオークションへと行く。というのが、この国に来た旅行客の定番メニューだ。
 当然、そのシマは直系組にのみ占められており、その数は7つ。一つの組が一つの七大ホテルをシマとして所有する形だ。
 それらの組は、その他の小中ホテルをシマとせんがために、日々争いを繰り返している。
 直系組の名前はそれぞれズキスファミリー、ナタカファミリー、トウサファミリー、ナハマッテカファミリー、イワレンコフファミリー、ツェッペリファミリー、ルパソファミリーだ。
 ズキス、ナタカ、トウサファミリーは、十老頭のジパングァの系列。ナハマッテカ、イワレンコフファミリーはリットルの系列。ツェッペリ、ルパソファミリーは、オクタネタの系列。
 当然十老頭に近い方が力は強く、チェッソ系列ならば、ナタカ>ズキス>トウサ。リットルならばイワレンコフ>ナハマッテカ。オクタネタでは、ツェッペリ>ルパソだ。
 全体の序列なら、ナタカ>イワレンコフ>ツェッペリ>ズキス>トウサ>ナハマッテカ>ルパソとなる。
 ジパングァ系列の力がやや高めなのは、ジパングァが表では有能な実業家でもあり、この街の七大ホテルのうち2つはジパングァが大株主となっているものだからだ。
 つまり、選ぶならばジパングァ系列が美味しいというわけだ。
 そしてジパングァ系列の中で俺が目をつけているのが、ズキスファミリーだ。
 現在、ズキスファミリーは、組頭のタロウ=ズキスが病死間近であり、組の後継者争いで揉めている。
 後継者は、タロウの甥であるジロウと、若頭であったサンジ=ゼンジの二人。
 通常ならば、若頭のサンジが継ぐのだが、サンジはタロウに若干嫌われており、対してジロウは血縁者の上、タロウに好まれており、器も大きいと評判で、組の天秤はややジロウに傾いている。
 故に、サンジは焦っているというわけだ。
 タロウが死ぬのは時間の問題。タロウが死ぬと同時に、抗争が勃発するだろう。
 そこで両者は戦力を集めているわけだが、サンジは旗色が悪い。
 サンジはそれなりに話のわかる男で、筋と義を大切にする男だが、いかんせん器が小さい。早い話が、嫉妬深い。
 そこが組員たちに疎まれ、やや劣勢なのだ。
 つまり、サンジは戦力を欲している。
 抗争ともなれば、影での暗殺争いとなるだろう。
 そこで必要となるのが、腕のいい暗殺者。つまり、念能力者だ。
 ここで問題となるのが、雇われの暗殺者では駄目だということ。
 雇われの暗殺者は、所詮は一時的な武力だ。すぐに消え失せる。
 仮にそれで暗殺に成功しても、旧ジロウ側の人間の勢力に暗殺されては、もともこもない。
 つまり、あくまでも自分の勢力の中で、これだけの力がある存在がいるぞ、ということを示さねばならないのだ。
 が、その肝心の武力が心許ない。
 ズキスファミリーが抱える念能力者は全部で15。そのうち、一流と呼べるレベルは精々5人。
 その5人のうち全てがジロウ側に行ってしまった上に、残りの10人のうち3人もジロウ側に行ってしまった。これで、サンジ側は数も質も相手に負けてしまったわけだ。
 当然サンジは焦っている。
 色々と相手側の念能力に工作を試みているが、うまくいかない。
 当然だ。誰が好き好んで、沈みゆく船に乗るだろうか。しかもそれは、小舟。
 誰もが安全で、豪華な船を選ぶ。
 サンジの敗北は、事情を知るものには、既に決定事項だった。
 それはサンジもわかっており、故にそこに、俺の付け入る隙があった。
 人間、どんなヤツでも崖っぷちの状況で助けられれば、恩を感じる。
 余程のクズでも、多少の好感を抱く。
 調べによれば、サンジは義を大切にする男だ。
 確かに多少嫉妬深いらしいが、それは己の土俵での話。
 現に、一般人では持ちえない力を持つ念能力者に、嫉妬する様子は見られない。
 俺はサンジに最高の恩を売れるタイミングを見計らっていた。




 とはいっても、俺がその念能力者達を圧倒できる力がなければ、それはとらぬ狸の皮算用。絵に描いた餅に等しい。
 タイムリミットはタロウが死ぬまでの極めて短い期間。
 その間に力をつけ、そいつらに抵抗できるまでにならなければならない……のだが、鍛練から1ヶ月経った今、問題が浮上し始めた。
 練の持続時間が伸びないのだ。
 筋力の方は順調だ。重りも全部で50キロに増え、食器や椅子等の日常品も重りつきへと変わった。
 だが、練は伸びない。
 クラークによれば、練は毎日気絶するまでやれば、月に最低7〜8分は伸びるらしい。
 俺はそれを日に二三回は繰り返している。
 理論的には、20分近く伸びていい筈だ。
 だが、実際に伸びたのは、3分弱。あまりに短い。
 ベッドの上にあぐらを組ながら考える。
 なぜ練の持続時間……POPが伸びないのか。
 オーラは生体エネルギーと精神エネルギーの混合体だ。ならば、それが伸びないのは、肉体が保有するエネルギーが少ないから……?
 だが、実際問題身体能力は伸びている。
 ならば、さらに伸びて良い筈だ。
 しかし伸びない。
 わからない。思い通りにいかないことが、イライラする。どうして真面目にやっているのに成果がでないのだろうか。
 ……………実は本当は理由は薄々気付いている。
 気付いてはいたが、認めたくはない事実。
 努力の量は足りているのに、結果に結び付かない。そんなこと、原因は一つだ。
 そう、俺に才能がない、ということだ。
 世の中には、いくら努力しても、一般人の平均にすら届かない、という奴はごまんといる。
 普通のヤツが10やって修得するものを、100やって修得できないヤツというのは確かにいるのだ。

(………………)

 顔をしかめ、うなだれる。
 俺は今まで、自分を天才だとは思ったことはない。
 自分を特別だとは思っても、天才だとは思わなかった。なぜなら、真の天才をその目で見て育ってきたから。
 だが、決して自分が無能だとは思ったこともない。
 どちらかと言えば秀才だとすら思っている。
 努力さえすれば、それに見合った結果がついてくる。そんな人生だった。
 だが、今。俺は初めて才能の壁というものにぶち当たっている。
 人の二三倍努力して、その十分の一も手に入らない絶望。
 これは苦しい。
 世の非才の人間達はこんな絶望を抱えて生きているのだろうか。尊敬に値する。

『ドウシマシタカ? マスター』

 俺が落ち込んでいると、具現化されていた“サトリ”が問いかけてきた。

「ん…………なかなか練の持続時間が伸びず、悩んでいた」

『ソレハ恐ラク私ノ所為デショウ』

「なに………?」

 “サトリ”の所為? どういうわけだ?

『“海”ヲ覚エテイマスカ?』

「ああ」

『アソコハ、マスターノオーラノ貯蓄庫デモアルノデス。ソシテ私ハアソコト半バ同化シテイマス。故二、マスターノ増加シタPOPノ大部分……恐ラクハ9割近クガ私二取リ込マレテイルノデショウ』

「………………………………………………………………………」

 俺は絶句していた。
 いつの間にそんなことになっていたんだ? というかこいつは本当に俺の念獣なのか? なんか俺の方が付属品で、“サトリ”の方が本体っぽくないか?

「……………おい。初耳だぞ」

『申シ訳アリマセン。私モ、マスターガ鍛練ヲ始メテカラワカリマシタノデ………』

「…………ふぅ。まぁいい。とりあえず、俺が鍛練した分は無駄にならず、お前にいっているんだな?」

『YES』

「そして今後も増やしたPOPのうち9割はお前に行く………。それを止めたり、お前から引き出したりすることはできるのか?」

『申シ訳アリマセン……』

「無理か…………。いや、これも一種の“制約”だな。その分はしっかり力になっているんだろう?」

『YES。決シテ無駄ニハナッテイマセン。ソレトモウ一ツ』

「まだあるのか………。なんだ?」

 これから先どれほど練をしても俺自身が扱えるオーラは増えないとわかり、やや憂鬱となっていた俺は、多少うんざりしながら問い返した。

『ハイ。ドウヤラ私トマスターノ念的技術はリンク、シテイルヨウデス』

「念的技術のリンク?」

『YES。コレヲ見テクダサイ』

 そうしてサトリは、徐々に指先へとオーラを動かしていった。
 それは、俺が鍛練の途中で息抜きにやっていた、流モドキであった。
 練をせずにオーラを動かしていくただの流モドキ。
 本体にオーラを一ヶ所に集めることができるのか、という実験がてらやってみたものだったのだが………。

『コレハ、今迄ハ私ニハデキナイコトデシタ。ケレド、マスターガ修得シタ途端、私ノ中二“技術”が流レ込ンデキタノデス』

「…………つまり、俺が鍛えれば鍛えるほどお前も念能力者として強くなる。というわけか?」

『YES』

 なるほど。……これからは練の訓練に合わせて“凝”、そして“流”の訓練をしていった方が良さそうだな
 俺は、“サトリ”の意見を踏まえて、鍛練プランを組み直した。





 それからの俺は、昼間は筋トレに併せて“凝”“流”の鍛練。練を気絶するまでやったあと仮眠を取ると、夜は情報収集というサイクルをこなした。
 俺は、劇的に、というわけではないが、徐々に強くなっていった。重りは一月に50キロづつ増えていき、“堅”は持続時間を月に3分づつ増えた。
 “凝”も型だけはなんとかできるようになり、“流”は高速移動は無理だが、身体中の至るところに自在に動かせるようになった。
 ラッシュの際は拳にオーラを集中させれば、威力の劇的な飛躍が見られるだろう。

 そして瞬く間に3ヶ月が過ぎ、遂にタロウ=ズキスが死んだ。
 ズキス組は後継者を巡り2つに分裂。
 当初は拮抗していたかに見えたジロウ、サンジの両者だが、同系列のトウサ組がジロウを正式な後継者と見なし、サンジをズキス組の裏切り者扱いすると、元々地力の面で劣っていたサンジ派は、一気に劣勢へと追い込まれた。
 サンジは私財を投うって念能力者の維持に努めたが、一般組員のなかにはジロウ派に寝返るものが続出し、サンジ派の敗北はほぼ決定した。
 そして、そこでようやく俺は動き出した。
 完全に負けてからでは遅い。今がベスト。ここで逆転することで、やっとサンジは俺に感謝する。
 タロウが死に、抗争が勃発してから1ヶ月が経過した時点のことだった。





「はぁ……はぁっ……く、くそっ!」

 サンジ=ギンジは追い詰められていた。
 人通りの少ない裏通り。そのまた裏路地。辺りに生ゴミが転がり、異臭漂うそこにサンジは壁に寄りかかって悪態をついてた。
 護衛の5人の念能力者は、皆殺され、地面にもの言わぬ死体として転がっている。
 サンジ自身も、右足に3発、右肩に一発。左腕に二発の弾丸を打ち込まれており、ろくに身動きすらできなかった。
 それをやったのは、目の前にいる3人。ジロウが放った刺客。ズキス組が誇る念能力者の中の最も強い5人のうちの3人。
 同じ念能力者にもかかわらず、数に勝っていたこちらの念能力者は瞬殺だった。
 これが念能力者だ。
 力の幅が個人で違いすぎる。
 それを、サンジは甘く見ていた。
 念能力者自体を、一般人では手の届かない存在と人くくりにしてしまったが為の失敗。
 能力者の中でも、実力はピンキリということを理解せず、数だけを見ていたツケを、今サンジは払っていた。
 サンジは悔いていた。
 失敗した。
 同じ金で囲うなら、強い奴を雇えばよかったと。
 同じ念能力者とどんぶり勘定でやるのではなく、本当に強い奴を雇えばよかったと。
 目の前のこいつらを雇えばよかったと、そうサンジは後悔していた。

「惨めだなぁ……ギンジよぉ。若頭として威張り散らしていたお前が、今はこうして地に這いつくばっている」

 刺客の一人、レインが言った。
 レインは頭に刺青を彫ったスキンヘッドの大男で、念能力者以外を見下す傾向にあり、サンジとは中が悪かった。
 故に、ジロウもレインを遣わしたのだろう。
 念能力者を素手で瞬殺できる彼等が、こうして銃を使ってサンジを追い詰めているのも、サンジをいたぶっているだけだ。

(クソックソッ!)

 すでにサンジが切れるカードはなく、故にサンジにできることと言えば悪態をつくぐらいなものだった。
「ねぇ、いまどんな気分? 十老頭直系マフィアの若頭だったあんたがくっせぇ路地裏で死にかけてるってどんな気分? ちょっと私に教えて下さいよぉ〜」

 レインがカクカクと頭を振りながらサンジを挑発すると、斜め後ろに立っていた男がレインの肩を掴んでやめさせた。

「おい、いい加減に遊ぶのはやめとけ。俺ははやいとこ依頼金を貰ってカジノで一遊びしたいんだ。それになんかその仕草は見てるこっちがイラつく」

 レインを嗜めたのは、アックェ。ギャンブル中毒で、サンジもいくらか金を融通したことのある相手だ。
 大方、今回のサンジの暗殺も、借金の踏み倒しを兼ねてのことだろう。

(あぁ……! クソッ! 死にたくねぇ! 誰か!)

 明確な死の予感に恐怖し、心で泣き言を漏らすが、決して表情には出さない。
 それが、マフィアとしての最後の意地だった。

「………ま、それもそうだな。最後に嫉妬豚のいい姿が見れてスッとしたし、殺すか」

 そう言って銃を向けるレイン。
 その暗い銃口を見て、サンジは心の中で叫んだ。

(誰か助けてくれ! なんでもする! 一生掛けて恩を返す! だから神よ! どうか救いを!)

 そんなサンジの心の悲鳴を嘲笑うかのように銃の引き金は引かれ、

「な、なんだとぉー!?」

 レインの驚愕の声が響いた。
 サンジはわが眼を疑った。
 サンジの目の前で、放たれた銃弾が宙に停止していたのだ。
 慌ててサンジから距離をとるレイン。それを見ていた二人も、警戒を強めた。

「………実に良い夜だ。月から幸運が形となって降ってきそうな、そんな夜……」

 暗闇から、一つの人影が姿を現した。

「そんな良い夜に殺しだなんて、無粋だとは思わないか?」

 現れたのは一人の少女。見た目は、10歳ほどだろうか。闇より黒く長髪を、ツインテールに括った少女。
 ノースリーブのタートルネックのシャツに、ホットパンツから露出した太ももがみずみずしい少女は、どこからどう見ても普通の少女であったが、その身からあふれ出る何か……そうカリスマとも呼ぶべきに何かが、少女がただの少女でないことを証明していた。
 サンジは、暗闇から現れた少女に、目を奪われた。
 少女からは、誘蛾灯のようにある特定の人物を惹き付ける波動のようなものが出ており、それがサンジを魂レベルで惹き付けたのだ。
 そんなサンジの熱い視線に気付いたのか、少女は、艶やかな目をスッとサンジに向けると、薄く微笑んだ。
 その微笑みを見たサンジは一瞬で心を奪われ、そしてロリコン紳士へと墜ちた。

「…………念能力者か」

 ずっと沈黙を保ったままだった最後の一人が問いかけた。
 その男の外見は、特徴がないことだろうか。
 どこにでもいそうな顔、どこにでもいそうな体格、そして普通の服を好み、通りすがりにターゲットを殺していく。ラベオは、そんな暗殺者だった。

「……この豚に雇われた護衛か?」

 レインが警戒しつつ問いかける。

「……大した“陰”だな。弾を止められるまで気付かなかった」

 ラベオがそう称賛するが、少女はレインの質問もラベオの称賛も無視すると、サンジの目の前に歩みよった。

「今、お前の前にお前が心の底から欲するものがあるとしよう」

 突然語り掛けてくる少女。そして、不思議と周りの人間は、少女の語りを止める気にはならなかった。

「それはお前が、“すべてを投げ出しても”欲しいと欲するものだ。だが、それは分厚い金庫に納められていて、お前はそれを手に入れることができない。目の前にあるのに、だ」

 サンジは、命の危険が迫っているにもかかわらず、状況を忘れて少女の話に聞き入った。

「当然お前はそれが欲しい。だが、お前には金庫を開ける手段がなく、けれどそれを諦めることもできない。なぜならそれは、お前が生涯を賭して探し求めてきたものだからだ。

―――そんなとき、お前はどうする?」

 金庫は開かない。けれどその中身を諦めることもできない。
 難しい問題だ。
 サンジには答えはわからなかった。故に問いかけた。

「わからねぇ………どうすればいいんだ?」

「わからない? 答えは目の前にあるぞ? よく考えてみろ」

 サンジは考え、それでも答えはわからなかった。

「わからないか? じゃあ教えてやろう。実に簡単な、シンプルな答えだ。

――この俺に、一言頼めばいい。私の全てを差し出しますから、金庫を開けてくださいと、な」

 その瞬間、少女はカッと目を見開き、サンジの目を覗き込んだ。
 それは、まるでサンジに心の奥底まで覗き込まれるような錯覚を与え、

「――貴方に私の全てを差し出します。どうか金庫を開けてください」

 サンジは少女に完全に心を掌握された。
 跪いたサンジへ、少女は満足気に嗤うと、サンジへ手を差し出し言った。

「おめでとう、サンジ=ギンジ。今金庫の扉は開かれた。お前は今ようやく手に入れることができたのだ。お前が生まれた頃から欲していた“宝”―――絶対なる安心を、な」

 少女は、雰囲気に呑まれ、硬直していた3人へと向き直ると、言った。

「さぁ、どうする? お前らもこの俺に忠誠を誓うならば“宝/安心”をわけ与えてやろう。だが、そうでないならば、

――――――死ね」

 そういって嗤った少女の瞳は、暗闇の中でも爛々と紅く輝いていた。






[22744] 七話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:3943912c
Date: 2010/11/04 18:07


「…………忠誠だと?」

 レインが吐き捨てるように言う。

「いきなり現れて、ずいぶんと嘗めた言い草だな、クソガキ」

 アックェもレインに同調するように言うと、自慢のベンズナイフを取り出した。

「………ん? ほう。ずいぶん良いナイフだな。何という名前のナイフだ?」

 少女が問いかける。その眼には、オーラが集まったおり、それは少女が凝が使える証明だった。

 意外かと思われるが、凝を使える念能力者は、少ない。
 大抵の人間は、四大行を取得した辺りで、鍛練をやめる。
 なぜなら、念は応用技から一気に難易度が跳ね上がり、修得には長い期間が掛かるからだ。
 基本の四大行ですから、修得だけで数年かけるものも少なくない。
 それゆえに、四大行の発……すなわち固有念能力を手に入れた時点で、念技術を磨くのをやめ、自分の趣向にあった発を磨く方に情熱を傾ける人間がほとんどだ。
 そうなれば、応用技をどれほどマスターしているかが、一流や二流などの格付けとなってくる。
 四大行すらできない奴は半人前、四大行が出来て精々、三流。凝と堅がある程度形になって、ようやく二流。そして、一流とは“流、円、陰、硬、周”等の高等応用技を全てマスターしたものを差す。
 そんな実力者たちは全体の一握り。
 そしてアックェの見立てでは、少女の凝までのスピードを見るに、間違いなく流は修得していた。
 さらに、先ほどの弾を止めた念。
 それがアックェには見えなかった。
 凝をしてすら、薄らと緋色の何かが蠢くようにしかアックェには認識できなかったのだ。
 恐ろしいまでの高レベルの陰。
 仮にも一流であるアックェすら、完全には認識できないということは、少女が超一流の念能力者ということか、あるいは“具現化されたものに、あらかじめ陰の特性が備わっているか、だ”。
 アックェにはそれが判断つかなかった。
 少女のオーラは、一言で言えば、不自然だ。
 ある程度の技術ある念能力者ならば、その纏われたオーラの流れは流麗。そのオーラの整い方で、その念能力者の実力の程度は、ある程度わかる。
 そして見たところ、少女が纏ったオーラは非常に拙い。
 一流が纏ったオーラが、研磨された宝石ならば、少女が纏うオーラは削り出されたばかりの原石のようだ。
 一言でいえば、荒削り。
 こういうタイプの念能力者は、独学でやってきたか、覚えたてのどちらかである。
 つまり、アックェの経験則から言って、少女は精々が二流と言ったところなのだが、……それを少女のオーラが否定する。
 少女のオーラは、異質だ。
 異常なまでにまがまがしい印象を与える一方で、神聖さを与える。
 じっと見つめていると、心を絡めとられそうな、そんなオーラ。
 念能力者であるアックェたちだからこそ耐えられるが、一般人のギンジなどは既に心酔したかのような表情を浮かべていた。
 考えられるのは、少女の発だが、アックェが裏社会で磨いてきた感が、あれは少女の念ではないと告げていた。
 カジノではさっぱり当たらないアックェの感だが、こと戦闘に関しては冴え渡る。
 そして何よりも、少女のオーラは桁違いに力強かった。
 アックェの同じ量のオーラの数十倍のパワーがありそうな、そんな波動すら感じるオーラ。
 オーラとは、生体エネルギーと精神エネルギーの混合体。そして、その性質上、オーラは精神状態の影響を強く受ける。
 強い精神力から生まれるオーラは、弱い精神力から生まれるオーラの数倍のパワーを誇り、同じオーラの量でも、弱いオーラは抵抗すらままならない。
 ようは、容器と液体の関係である。

 ここに、2つのペットボトルがあったとする。一つは500ミリリットルのペットボトル、もう一つは1リットルのペットボトルだ。
 ペットボトルの容量は、念能力者のオーラ量、POPを表している。そして、中に詰まっている液体が、オーラだ。
 ただし、その中身は違う。
 1リットルの方に詰まっているのはただの水だが、500ミリリットルの方に詰まっているのは、溶けた金だ。
 さて、この2つのペットボトルで人を殴った場合、どちらの威力が大きいでしょうか?

 これが、“念”の強さである。念能力者の強弱が、オーラの多寡では決まらないと言われている由縁だ。
 そして見たところ、少女のオーラは、金だった。
 異常、とまでに“念”が籠められたオーラ。
 普通ではない。恐らくは、種がある。
 考えられる原因は2つ。純粋に少女の精神力が桁違いか、あるいは強い“制約と誓約”を己に掛けているか、だ。
 オーラの基本的な質は、地道な精神修行か、精神の高揚でしか上昇しない。
 しかし、物事には大抵、裏技、というものが存在する。
 念に関しては、“制約と誓約”がそれに値する。
 “絶対に遵守する”という覚悟が、オーラの質をあげるのだ。そして、そのルールが難しいほど、オーラの質は跳ね掛かる。
 ようは、アックェの大好きなギャンブルと同じだ。役が高いほど、点数は高い。
 そしてそれは反面、“弱点”が多い事を証明する。
 己が己に掛けたルールが、術者の行動を制限するのだ。
 故に、“制約と誓約”で力を得た物は、とても脆い。そこに、アックェたちの勝機はあった。

「……そのナイフは、ベンズナイフという。100年ほど昔、大量殺人者が記念として作ったナイフで、コレクター、実用派問わず熱狂的なファンがいる」

 少女の質問に答えたのは、いつも寡黙なラベオだった。
 アックェは、いつになく饒舌なラベオに少なからず驚いた。
 ラベオが10文字以上連続して話すのを見るのは、これが初めてだったからだ。

「ほぅ………ベンズナイフ、ね。なるほど、できることならば俺も一本か二本欲しいものだ。

………ところで、俺の質問への答えはNO、でいいのか?」

「当たり前だ、ボケがぁ!」

 レインが吠え、己の発、【太っ腹な小拳銃/ハンドマシンガン】を発動する。
 “ハンドマシンガン”は、レインが誇る放出系能力だ。あらかじめ定められた保管庫の弾を愛用の拳銃に転位させることで、無制限に連射することができる。
 また、弾にオーラを纏で止めておけば、オーラが尽きても威力の弱い念弾として使えるし、それにさらに周と併合させれば、かなり厄介な能力となる。
 はっきり言って、単純だが良く考えられたやり辛い能力だ。
 少女はレインが拳銃を構えると鼻を鳴らし、腕を組んだ。
 そして、少女の前に、2つの拳が具現化される。

(いや、具現化ではないな……。オーラを拳に集めた所為で陰が弱まったんだ。本体も、恐らくは少女の前にいる………)

「俺の“ハンドマシンガン”で、蜂の巣になっちまいなぁ!」

 レインが両手の拳銃から、銃弾を打ち出していく。オーラによって強化された拳銃は決して誤作動を起こすことなく、また、そのあまりのクイックショットにも耐え得る耐久力を有している。
 大抵の敵は、この段幕に耐え切れず、蜂の巣となる。そうやって死んでいく敵をアックェは何人も見てきた。
 だが、

「……フン」

『ウラウラウラウラウラウラァア!!』

「馬鹿な! 俺の念弾が全て弾かれていくだと?!」

 この少女は今までの敵とはレベルが違った。
 アックェは驚愕する。

(この動き! レインの念弾を弾く耐久性! かなり高レベルの具現化能力と操作能力を併せ持っている。ただの操作系ではこれほどの具現化は不可能! だが、具現化系ではこの高速稼働もメモリ不足。まさか特質系!? ―――ならば!)

 アックェは、少女の念獣がレインの段幕に足止めされている間に少女へ近接戦を仕掛けることにした。
 特質系の弱点は、ズバリ生身による近接戦。強化系から離れているが故、肉体の強化が、練度、精度共に劣りやすいのだ。
 アックェは、強化系のラベオに目配せをすると、壁を蹴り、少女へと奇襲を掛けた。

「【並行襲斬/パラレルナイフ】!」

 アックェの発、【並行襲斬/パラレルナイフ】は、オーラを刃状にすることで、一振りで無数の斬撃を出す技だ。一撃一撃の威力は全て均等。まさしくパラレルにふさわしい技だ。

「ハァッ!」

 放たれた斬撃は合計10。両手のベンズナイフで、これ見よがしに首と心臓を狙うことで、相手の意識をそこに向けさせる。そして本命のオーラの刃で、手足を切り裂き機動力を奪う――と見せかけて、真の本命は死角から襲う陰で隠された刃だ。
 このコンボを初見で見切れるものは居らず、必ず最後の刃で深手を負う。そうなればもう、アックェの必勝パターンだった。
 この攻撃を見切るのは、心を読みでもしない限り不可能!
 そんなアックェの絶対の自信は、あっさりと破られた。

「――小物らしい賢しい手だな」

 そういうと、少女は後方にふわりと回転。それだけで、アックェの攻撃は全て躱されてしまった。
 まるで、どこに攻撃が来るかわかっていたかのような、華麗な回避。
 絶対の自信が打ち砕かれたアックェは叫んだ。

「な、なんだと―――ッ!?」

 それを見た少女はニヤリと笑い、

「『“驚愕”シタナ?』」

 そして気付けばアックェは手足の骨を砕かれて、壁へとめり込んでいた。

「ガアァァァ………!?」

(馬鹿なァ……?! 一体ッ。何が………!)

「アックェ!? クソッ、何やってんだ?!」

 レインが弾幕を維持したまま叫ぶが、それはこちらが知りたかった。

「アックェ……お前は殺さない。なぜなら、俺はお前が欲しくなったからだ。だから奴らを倒した後でもう一度聞いてやろう。俺の中身になるかどうかを、な」

 少女はアックェにそういうと、レインに向き直り、

「だが、お前は要らん。死ね。―――【空白爆弾/マインドオブザボム】」

 指をパチンと鳴らすと、次の瞬間にはレインは緋色の腕へとさし貫かれていた。

「グォオォオオオッ……?! ガッ! ガァ……! な、何が!?」

(レイン!? そんな、いつの間に?!)

 レインの返り血を浴びた緋色の腕は、徐々に姿を現していき、やがて陰がとけたのか、緋色の騎士が現れた。
 その騎士の、陰によって隠されていた膨大で濃密なオーラを見たアックェは、自分たちの敗北を悟った。

(あれは駄目だ……。レベルが違い過ぎる)

 理解不能な現象。そして異質なオーラ。さらには自身の戦闘不能に、絶対の自信すら折られたアックェは、完全に心が折れた。

 そして、

『生キ汚ネェンダヨッ! カスガァ! ウラウラウラウラ ウラウラウラウラウラ ウラウラウラウラァァァアーーーー!』

 騎士のラッシュを食らったレインは肉塊へと変貌し、壁へと叩きつけられる。
 その死に様は、撲殺されたというよりは、爆破されたといった方が的確な惨状であった。

「さて、………なぜお前はこの二人に協力しなかったんだ? ずっとそこで黙って見ていたな? 何故だ」

 少女はまるで答えがわかっていると言わんばかりににやつきながらラベオに問うた。

 ラベオは、少女の視線を真っ向に見返し、答えた。

「……この前、ペニスにピアスを開けた」

 アックェはラベオが何を言い出したのかわからなかった。

(……気でも……、狂ったか?)

「特に根拠はなかったが、セックスしてたらふと思い浮かんだんだ。ペニスにピアスを開けたらきっと俺は強くなる、とな」

(こ、コイツ……こんなヤツだったのか……)

 アックェは、手足の痛みすら忘れてラベオにどん引きする。

「そして、その場で彼女にピアスを開けて貰ったら、彼女に逃げられた。だが、それから確かに、俺の中のなにかが拓けた」

 ラベオの頭がおかしい話を、少女は面白そうに聞いていた。
 アックェすらどん引きの話なのだ。少女の年頃なら更に抵抗が強いのが普通だが……。少女はまるで不快に感じたような様子はなかった。

「その時から、俺は“思いつき”を大事にすることにした。なぜなら、“思いつき”は神が俺を強くするために与えた贈り物だからだ。
この前もコンビニでうまいBowを在庫を含めてまとめ買いしたし、レンタルビデオ屋でスカトロもののAVを全部レンタルした事もある。1ヶ月前に借りたが、まだ返してない。毎日10リットルの飲むヨーグルトを飲んだら腹を壊した。

なぜ俺がこんなことをするかわかるか?

“信仰”だよ。“思いつき/啓示”をこなしていくことで、俺は神に信仰を示しているんだ。

だから、俺の中で思いつきは何よりも優先される。

そして、さっきアンタを見たときから、俺に“思いつき”が囁き続けてる。コイツについていけば、俺は更に先に進んでいける、ってな」

 そこでラベオはオーラを漲らせながら言った。

「なぁ、アンタは俺に“道”を示してくれんのか?」

 そのラベオのオーラを見たアックェは驚いた。ついこの間までは、アックェ、レイン、ラベオは同程度の念能力者であったはずなのに、ラベオは少し見ぬ間にオーラの質、量共に格段に成長していたのだ。

「それはお前次第だが、確実に“今”と違う道が歩めることは保証しよう」

「…………そうか。じゃあアンタについていこう。だが!」

 そう言いラベオは練。濃密なオーラが溢れだす。

「戦わずに軍門に下るのは、負け犬のすることだ。俺に、忠誠を誓わせたいのなら、俺に証を刻みこんでくれ―――ピアスのように、な」

 少女の反応が気になったアックェは少女の方を見て、後悔した。
 少女は笑っていた。凄まじい表情で。
 その表情を見て、アックェは笑顔とは本来威嚇のものだという話を思い出した。

「――いいだろう。俺が刻みつけてやろう。“恐怖/fear”をな」






 初めての本格的な念能力者との真剣勝負に、俺は心を躍らせていた。
 ……わけがなかった。
 誰が強敵との闘いを楽しむだろうか。
 バトルジャンキーなら話は別だろうが、俺はそういうのとはほど遠い人間だ。
 危険な橋は、必要ないなら渡らない。
 勿論その先に得るものがあるならばわたるが、危険を捜し求めて生きているバトルジャンキーの生き方は、理解できない。
 その点でいえば、目の前のこいつはその理解できないもの代表だった。
 しかも、そのオーラは先の二人の何倍も力強い。
 はっきり言って、最初から三人でかかって来られたら、不味かった。
 正直に告白しよう。俺はほとんど初めてといっていい念能力者同士の殺しあいに、内心いっぱいいっぱいだった。
 パクノダとの闘いは、こちらの不意討ちで勝てたのが大きい。相手に何の猶予も与えず、押し切る。そんな勝ち方。
 それに対して今回は、ほとんど真っ向からのぶつかりあい。
 そりゃあ、最初に度肝を抜く登場で、刺青の男に【空白爆弾/マインドオブザボム】を仕込んだが、三対一という差があるのだから、これくらいのハンデは欲しいところだ。
 今回の俺の勝負所は、大きく2つ。
 一つは、俺がギンジを落とすまでの間相手に戦闘をさせないこと。
 もう一つが、圧倒的な戦闘力を見せることで、ギンジの信頼を勝ち取り、また、相手の念能力者を配下にすることだ。
 一つ目の課題については、ギンジへのカリスマ性の演出を兼ねた牽制でクリアさせて貰った。
 いかにもな登場の仕方をすることで、その場の人間の視線を釘付けとする。
 そして、そのまま一方的に話すことで場の主導権を握る。
 当然その間は、一見隙だらけにも見えるだろうが、普通はこんな現れ方をした人間には必要以上の警戒をする。また、弾丸をとめることで、暗に念能力者ということを示し、警戒を強めさせる。
 一流であればあるほど、人は用心深くなる。それは、彼らも同じだったようで、少しでもこちらの情報を得てから戦おうと、様子見に入った。
 彼らが一流であることは“サトリ”でわかっていたから、高確立で様子見に入ることは予測済み。
 そして、命の危機に晒され、それを救われたことで心に隙が出来たギンジの掌握が済み、ようやく第一段階のクリア。
 しかし、困難なのは第二段階の、三対一で華麗に圧倒的に勝つことだ。
 しかも、欲を言えば、俺はこの戦闘で念能力者の配下を欲しいと思っていた。
 表で権力を握るための部下がギンジならば、戦闘力としての部下に、彼らのうち一人でも欲しかった。
 そして、そのためには、最低一人は圧倒的に叩きつぶし、また禍根の残らぬよう見せしめとして殺しておく必要があった。
 殺す候補は、俺に靡く可能性が低く、また俺のカリスマ性を演出させる為の華麗な戦闘を妨害する能力者。そう、刺青の男、レインだ。
 正直、こいつの能力を知った俺は、舌打ちをしたくなった。
 なぜなら俺本体は、未だオーラ量が非常に少なく、防御力が低いからだ。
 レインのような威力がそこそこ高く、数も多い念弾との相性は最悪だ。
 故に、レインとの闘いは“サトリ”を当てるしかない。
 つまり、もう二人は俺本体が相手しなければならないのだ。
 勿論、危なくなればレインの“空白爆弾”を作動させて一気に片をつけるが、レインの“空白爆弾”は演出にとって起きたかった。

 そして始まった戦闘。
 そこで朗報だったのが、三人のうち一人が、どういうわけか、俺の“言うだけならタダ”的な提案に心を揺さ振られ、参戦して来なかったことと、どうやら俺のオーラは念能力者から見ても非常に異質だということがわかったことだ。
 恐らくはフィアの【絶対の真理/愛】の影響と、“サトリ”が死者の念であることが原因だとは思われるが、俺の異質なオーラが、はからずも人を妖しく惹き付ける波長を有していることがわかったのは僥倖だった。つまり、それは何をせずとも皆俺に大なり小なりのカリスマを感じるということだ。そしてそれは、俺の演出と合わされば、掌握の苦労が激減するということでもある。

 戦闘自体は、俺の予想通りに進んだ。
 “サトリ”はレインの弾幕に釘付けとなり、俺はアックェというギャンブル中毒をタイマンで相手取ることになった。
 そして、アックェとのタイマンが、今回の正念場だった。
 読心を最大限に活用し、アックェの攻撃を完全に読み切る。
 その際に重要なのが、決して焦る様子を見せず、軽々と躱したように魅せることだ。
 アックェが“パラレルナイフ”の奇襲に絶対の自信を持っていたことはわかっていたから、それを軽々と躱してやれば、必ずアックェは“驚愕”するだろうと俺は踏んでいた。
 そしてその目論見は成功した。
 我ながら完璧なタイミングで回避に成功した俺は、すかさず【空白の時/ストップ・ザ・マインド】を作動。両手に全オーラを集め、アックェの両手両足にラッシュを叩き込んだ。
 レインの目には、アックェが回避されたショックで坊たちになったように見えていただろう。
 そして、“空白の時”が解除されると直ぐに、レインがアックェへネタバラしをしないうちにレインを片付ける。
 指を鳴らすと同時に、アックェとレインの【空白爆弾/マインドオブザボム】を作動。レインを串刺しにし、アックェにはあたかも突然レインが串刺しになったかのように見せ掛ける。
 そこで、演出は完了した。

 完璧に、思い通りにいった。自分に甘いと言われ兼ねないが、100点満点を点けても良いくらいだ。
 後は、半ば仲間になったも同然のラベオの引き抜きだけ………のはずだった。
 だが、ラベオは何をとち狂ったか、仲間になっても良いが、俺を倒してからにしろ、とマンガの主要仲間キャラのような事をいい出した。
 そして漲るオーラ。
 それは明らかにアックェとレイン二人分ほどのパワーを有したオーラ。
 しかも、相手は特質系とは対極にある強化系。
 正直に言えば、戦いたくはない。だが、ここで引き下がることも、怖気づいた様子を見せることもできない。そうなれば、今までの努力が灰塵に帰する。
 それに、よくよく考えれば、これは悪い流れではない。
 特質系の対極にある強化系。それと真っ正面にぶつかり合いになった場合、“サトリ”はどれほどの戦闘力を発揮できるのか。打ち合いで、押し勝てるのか。それが知りたい。
 故に俺は笑った。
 威嚇の意を籠めて。

「――いいだろう。俺が刻みつけてやろう。“恐怖/fear”をな」






[22744] 八話
Name: 顎雪◆3afef9b8 ID:d56478ac
Date: 2010/11/06 21:23
「……そういえば、アンタの名前を聞いてなかったな。俺はラベオ。アンタは?」

 徐々に高まっていく緊張感。濃密なオーラがぶつかり合い、空気がビリビリと震えるようなそんな雰囲気の中、ラベオはコキコキと首を鳴らしながら問い掛けた。

「フム。そういえば言ってなかったな。俺はフィア。お前たちの主となるお……んな、だ。覚えておけ」

(なぜ一瞬つまった?)

 一瞬ラベオは眉をひそめたが、気にせず続けた。

「それは、アンタが俺に勝ったら、の話だ、な!」

 そう言うなり、ラベオはポケットからパチンコ玉を取り出すと、指弾の要領で、フィアへと放った。
 周によって強化されたパチンコ玉は、念弾となってフィアへと飛んでいくが、容易く念獣に弾かれる。
 だが、ラベオにとってそんなもの、ただの闘いの開始の合図のようなものでしかなかった。
 ラベオは壁を蹴り、少女の死角へ周りこむ。壁を蹴って移動する際に、アックェの顔を踏ん付けた気もしたが、気にせず蹴りを放った。しかし、一瞬で回り込まれた騎士に防がれる。そして、騎士はそのままラベオにラッシュを放った。

『ウラウラウラウラ!!』

「ぐっ」

(やはりこの念獣かなり強い!)

 着地したラベオは騎士のラッシュをなんとかさばきながら後退していくが、ラベオの堅を越え、騎士はダメージを蓄積させてゆく。
 レインの弾幕をなんなくさばく騎士を見て、ラベオはこの緋色の騎士のラッシュの早さは知っていたつもりだったが、一撃一撃がこんなにも重いとは思ってもみなかった。
 恐らく、騎士の一撃三個分で、ラベオの全力の一撃分はあるだろう。
 しかもそれは騎士がオーラを両手に集めていない、所謂攻防力50の状態での話だ。恐らく攻防力80……いや70ですら、騎士の一撃はラベオを越え、あっという間にラベオを倒すだろう。
 つまり、この騎士と真っ向から戦うのは、馬鹿のすることだということだ。
 相手は恐らく特質系。そして特質系は近接が弱点と相場は決まっている。
 しかしながら近接戦を挑みたいラベオの内心とは裏腹に、ラベオと少女との距離は開く一方だった。
 そうしてどんどん少女との距離が遠ざかっていったラベオは、ある地点から騎士の力がガクンと落ちた事がわかった。

(これは……!)

 その瞬間、ラベオは足で地面に線をつけると、一気に後退。
 騎士も追走するが、突如追走をやめ、少女のそばへと戻っていった。
 ラベオは、一本目の線と、騎士が追走を止めた地点を見比べる。
 一本目の線は、少女から3メートル離れた地点。追走を止めたのは、その倍の6メートル地点だ。
 ラベオが少女の表現を伺うと、少女は先ほどど違い、やや険しい顔つきをしていた。

(……読めたぞ。あいつは具現化、特質、操作をバランス良く高レベルに鍛え上げた念能力者だが、反面変化、強化、放出のレベルはさほど高くない。その放出の未熟さ故に、騎士がパワーを保てるのは3メートル……が限度。そこからは急激にパワーが落ち、また6メートル以上は術者から離れることすらできない。
そしてそれは、あいつが苦手な近接戦の範囲内でしか満足に戦えないことを示している。常に自らの危険な範囲で戦うリスク……。恐らくはそれがあいつの“制約と誓約”!)

 ラベオは思う。たまらないと。
 少しずつ。少しずつ。闘いながら相手の情報を得ることは、ラベオに強い充実感と昂揚感を与えた。
 闘いの中で知恵を振り絞り、相手を知ることで、戦略立てて戦うことこそが、闘いの醍醐味だとラベオは思っていた。
 相手の系統。能力。系統の熟練度。そして“制約と誓約/秘密”。
 それを暴いていくのは、まるで極上の美女の服を一枚づつ剥いでいくような、そんな背徳感がある。
 それが、目の前の少女のような美少女であるなら尚更のこと。
 些か青い果実過ぎる気もするが、それがまたいい。
 ラベオは、この前ピアスを開けたばかりの逸物が固く隆起していくのを感じながら、思考をフル回転させていた。
 思い出すのは、レインとアックェの戦闘時に見せた少女の行動。
 アックェのナイフを華麗に避けた動作。そして、抵抗する様子も見せず坊たちでラッシュを食らい続けたアックェと、突然銃撃を止め、騎士が背後に回っても、何の反応も見せなかったレイン。
 その二人に共通することは、どちらも“まるで何が起こったかわからないように混乱”していたことだ。
 十中八九少女の発だが、詳細はわからない。
 故に、ラベオは少女の行動を一つ一つ検証していった。
 まず、アックェの“パラレルナイフ”を完全に避け切った事自体がおかしい。
 あの“パラレルナイフ”は良く出来ている。初見でしか効果のないところはあるが、しかしそれだけに初見のダメージがでかい。まず初見で傷を負わない奴はいない。
 知っているラベオすら、どこから来るとも知れない陰の刃を円なしで避けることはできない。
 しかし、少女は円を使った様子はなかった。ラベオはあの戦闘をすべて凝で見ていたから、これは間違いない。
 つまり、素面の状態でアックェの攻撃を見切ったことになる。
 不可能だ。あり得ない。そんなことは、あらかじめどこに攻撃が来るかわかってでもいないと………不、可能……。

(あらかじめ……どこに、攻撃が来るか……わかって……?)

「……………………」

 ポツリポツリと雫が顔に当たる。雨が降り始めていた。

 ラベオは、少女を静かに見つめる。
 少女もラベオを静かに見つめている。
 先ほどラベオが騎士の行動範囲を外れた時と同様に、立ち向かうならば受けて立ってやると言わんばかりに腕を組んで立っている。
 ラベオはその少女の落ち着き払った姿を見ながら、推測を頭にまとめていった。

(そうだ。あらかじめどこに攻撃が来るかわかっていたならば、攻撃を躱すことはさほど難しい話ではない。だが、問題はそんな発を作れるのか、だ)

 攻撃される場所がわかる発……。考えられる可能性は3つ。一つは単純に、アックェの行動が少女に操作されていた場合。当然、自分が場所を指定するのだから、攻撃される場所はわかっている。これは操作系の能力者ならば不可能ではない。最も現実的なパターンだ。
 次に二つ目が、少女が未来を見通す能力者である場合。その場合は、恐らくは数秒程度の敵の先読み、といったところだろう。これは、系統でいえば特質系に入る。そして少女の系統は特質系。一致している。
 そして最後に、“少女がアックェの心、あるいは思考を読んでいた”場合だ。
 ラベオが攻撃される場所をわかっていたのでは? と推測した時に、一番最初に頭に浮かんだのが、これ。
 推測の中で、最も簡単で、そして厄介な答え。
 はっきり言おう。心を読める能力など、最悪だ。こちらの行動は相手に筒抜けで、しかも最も隠して起きたい発の詳細がまるわかりとなってしまう。
 まるで悪魔の如き能力。人が有してはいけない、禁忌の力。

(なぁおい。もしかして今こうして俺が考えてることも、アンタにはわかっているのか?)

 そう心の中で、問い掛けるが、少女に変化は現れない。もしポーカーフェイスだとするならば、大した演技力だ。
 しばらくそうして睨み合っていたが、やがて痺れを切らしたのか、少女が腕組みを解き、こちらに歩みだした。

「どうした? いつまでそうしているつもりだ? こないなら、こちらから行くぞ?」

(こうなれば、やるだけやってやろう)

 そしてラベオは己の発、【気まぐれ一途な狂信者/ルナティックビリーバー】を発動させた。
 “ルナティックビリーバー”は、自らの信仰の分だけオーラを上乗せして、速さ、攻撃力、防御力そして回復力のいずれかを強化できる。強化されるものは一つだけだが、好きなタイミングでチャンネルを変えることができた。
 ラベオは速度チャンネルへと変えると、壁を蹴って移動し続ける。
 その速度は人の移動限界を超えており、まるでスーパーボールのような高速移動。途中で何回かアックェを踏んだのか、気持ち悪い感触が足に伝わってきたが、その甲斐あって、ついに騎士がラベオの動きについていけなくなってきた。そして、騎士を振り切るとラベオは少女に接近、そして“防御力”へとチャンネルを切り替えると、少女へとラベオは蹴りを放った。
 この際、ラベオは一つの細工をした。ガマクという技術を用い、重心を移動させて蹴ったのだ。
 ガマク、というのは、筋肉を用いて普通ではない重心移動をさせる技術で、これを使うことで今から蹴りを放つように見せ掛けた足に重心を移動させ、重心がかかったように見せ掛けた足で蹴りを放つことができる。
 つまり、超高等なフェイントが掛けられるのだ。そして、それを避けることは、初見では不可能。
 しかし、少女は蹴るように見せ掛けた足ではなく、重心のかかったように見せ掛けた足の方を警戒してガードを上げた。つまり、見切っている。
 それを確認したラベオは、再び見た目ではわからぬように重心を移動させた。
 その瞬間、確かに少女が微かに驚きの色を浮かべたのを確認し、そしてラベオは追い付いてきた騎士のラッシュをもろに受けることとなった。

『ウラウラウラウラウラウラウラウラ!!』

「…………っ……!」

 “ルナティックビリーバー”で強化された防御力すら通してくる威力。見ればその両手にはオーラが集まっており、やはり危惧した通り、“ルナティックビリーバー”を使ってですらこのざまなのだ、通常の状態ではひとたまりもなかったに違いない。しかしそれでも、攻防力80のラッシュはラベオのガードを突き破り、ダメージを与えてくる。
 そして、ラベオがラッシュの雨を抜けた時には、盾にしていた左腕は粉々に骨折していた。

(なんて威力だ……。強化系の俺の防御力を軽く上回る攻撃力……。具現化された念獣のパワーじゃない。一体どんな念を籠めているんだ……? だが!)

 ラベオはチャンネルを回復力に回し、折れた腕にオーラを回す。すると、粉々に折れた左腕があっという間に元通りとなった。

「……掌握したぞ、フィア! アンタの能力はズバリ“思考を読む能力”! アンタは今その能力を使い、俺のガマクを見切ったんだろう。そして、アックェの時も思考を読んであのナイフ群を抜けた………」

「………………」

「そしてもう1つ。アンタには能力がある。それは“対象の認識を止める”能力。アンタは対象の認識を、数秒程度止めることができるんだ。そしてその能力を使って、アックェとレインを抵抗すらさせずに葬りさった」

 ラベオは、少女を指差し言った。

「……見せすぎたな。アンタは見せすぎた。このラベオに、そこまで見せたなら、それはもう能力の詳細を言ったも同然なんだ。
俺がアンタがあの二人と戦っている間、ただ見てるだけと思っていたのか? 違うね。俺も戦っていたのさ。ただ拳を交えていなかっただけ。知ってるか? 戦いっていうのは。いいか? 戦いとは! 戦う前から始まっているんだ。アンタはそれを怠った。覚えておけ。この先もしアンタが俺に負けたとするならば、アンタの敗因は“俺の灰色の脳ミソを舐めたこと”だ!」

 辺りに小さな沈黙が落ちる。

「………………フッ。まずはお前の明晰な頭脳を賞賛しよう。俺は、一点の曇りもなく、お前の観察力と推測力、そして情報の為には仲間を切り捨てることすら厭わない冷徹な心を、心から尊敬する。故に! 俺は天に感謝を捧げようと思う……。今日という日に、お前に出会えた幸運を、神に感謝しよう。俺が、この慢心、そう、この絶対の能力に対する慢心によって、致命的な失敗を犯す前に、お前という優れた知恵と観察力を持つ存在に出会えたことを感謝する。

そして何よりも、お前ほどの男を部下にできる幸運に、な」

 少女は腰に腕を当てると、ラベオを指差した。

「お前には非常にたくさんのことを教えてもらった。能力をみだりに見せることは相手に能力の詳細を教えるも同然だということ。相手を舐めると、必ずしっぺ返しを食らうということ。そして、自分を信じすぎてもいけない、ということ。
だが、1つ。1つだけお前に言い返させて貰おう」
 いつのまにか、雨は大降りとなっていた。
 ゴロゴロと雷が鳴る音が響き、カッと今までで一番強く夜空が光った時、ラベオは少女に見下ろされた。
 自分よりも圧倒的に背の低い少女に見下ろされた、というのもおかしな話だが、ラベオは確かに見下ろされた。
 視覚的な話ではない。存在として見下ろされた。そんな感覚だった。

「戦いは、戦う前から始まっている、だと? そんなことはわかっている。いいか? まだわかっていないようだから教えてやる。俺は、お前が“戦いが始まったと感じているずっと前から”………既に戦い始めてたんだぜ?」

「……なんだと?」

「まだわからないか。じゃあ教えてやろう。俺は既に、お前の発の能力と制約と誓約を知っているということだ。お前の発“ルナティックビリーバー”の制約は、“1日に5回しかチャンネルを変えられない”こと。そして“同じチャンネルには2つクッションを挟まないと変えられない”こと。そしてお前は既に俺と戦う前に一度チャンネルを変えている……。さて、お前はあと何回チャンネルを変えることができるかな?」

 少女の指摘に、ラベオは冷や汗が流れるのを感じた。

「お前は俺の能力を探る為に自らの意志でチャンネルを変えたと思っているだろうが、それは違う。お前はこの俺にチャンネルを消費させられたんだ。……耐え難かっただろう? 目の前に難解な問の答えが転がっているという誘惑には。目の前に欲しているものがある時、人はその誘惑に耐えることができない。……況してやそれが“安全に手に入るかもしれない”となれば尚更のこと。

そして予告しよう。お前はこれから、俺との戦いの中で、何度も誘惑に負けるだろう。アダムとイヴが知恵の実の誘惑に負けたように………」

「ほざけぇェェェ! くそガキがぁ! このラベオはもう! お前の弱点を見抜いているぞッ! フィアーーーー!!」

 そう叫びながら、ラベオは少女へと向かっていった。
 当然騎士がその前に立ちふさがるが、ラベオは今度は騎士を避けなかった。

「退きな! 木偶の坊!」

『小賢シイゾ! ザコガァ! ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラァー!』

「ウォオオォーーー!!」

 ラベオは騎士のラッシュを受けながらも、攻撃をし返す。騎士のオーラは攻防力50となっている。防御力チャンネルならば、多少のダメージはあるが死ぬことはない。
 そして、やがて騎士は焦れたのか、両手にオーラを集め始める。

(この時を待っていたぞ!)

 その瞬間ラベオはチャンネルを攻撃力へと変更。右腕に全オーラを集めると、騎士を迎え討とうとして、

(やはりこちらだぁ!)

 “思いつき”に従って右足へと全オーラを流で移動させた。

「うらぁ!」

 そしてラベオの急の気まぐれに対応できなかったのか、若干、本当に若干動きが鈍った騎士へのラベオの全力の蹴が突き刺さる。

『ナ、ニィィィイイィィィィ!!?!??!』

 ラベオの蹴りは騎士のわき腹に僅かに罅を入れると、騎士を壁へと叩きつけた。
 ラベオは、スウェーバックで躱したにもかかわらず鼻先まで迫っていた騎士の拳に、冷や汗を流す。そして同時に賭けに勝ったことを確信した。

「ぐっぐぅ……!? これは……?!」

 見れば少女がわき腹を押さえ呻いている。

(ダメージのフィードバック! さては制約だな? 勝機!)

 邪魔がなくなった道を駆け、ラベオはフィアへと迫る。

(アンタの弱点はズバリ“思いつき”! 思考を読むアンタは、無意識のうちに相手の思考を元に行動してしまう! 故に“思いつき”などの機転の効いた行動に非常に弱い。つまりアドリブに弱いってことだ。
そして何よりも致命的なのが、アンタにそれに咄嗟に対応できる技量がないこと! 見ればわかるぞ!! アンタがオーラの扱いに慣れていないってことがなぁ!)

「くっ!」

 ここで少女が初めて堅をする。
 しかし、そのオーラ量はラベオと比べてかなり少ない。

(さてはオーラの大半を騎士に回しているな!? だんだんアンタの制約と誓約の全貌が見えて来たぞ! フィア!)

「もうアンタを守る騎士様はいないぜ! お姫様よぉ!」

(ここが正念場!)

 ラベオは両手のみに全オーラを集中させる。

「Belieeeeeeeve in! Goooooooooood!!!!!」

「グォォォォォォォォッッッ!!?」

 無数のラッシュが少女へと決まる。

(手応えあり!)

 6メートルという行動範囲内から叩きだされた騎士が消えてゆくのを見たラベオは勝利を確信した。

(――――神よ。また貴方の加護で私は勝つ事ができました。この勝利を貴方へ捧げます)

 ラベオは膝をつき、神へと祈る。
 強敵との戦いの後はいつも、ラベオはこうして神に祈りを捧げていた。
 が、

「………ぐっ。……フ、フフフフ……」

 バッ、っとラベオは振り向く。
 そこには瓦礫の山から起き上がる少女と、再び具現化された騎士の姿があった。

(馬鹿な! 強化系は特質系から最も離れた系統! 必然強化系の発は威力精度ともに劣り、使い物にならないはず。況してやこの俺の、強化系の全力の行為を防げるわけがない! オーラの質に差があってもだ!)

「………予告ジャンケン」

 唐突に少女が語りだす。

「……何?」

「予告ジャンケンだよ。知ってるか? 自分が次に出す手を予告してから戦う変則ジャンケンだ……。これをすることによって、単純なはずのジャンケンが非常に高度な心理戦へと様変わりする……」

 少女は、恐らくは折れているわき腹を押さえながら、そう言った。口からは、血が一筋垂れている。それを飲み込むと、少女はダメージを感じさせないしっかりとした口調で語りはじめた。

「………………何がいいたい?」

「俺はこれが得意でね……。おっと、勘違いするなよ。能力は関係ない。ただ、一つ一つは意味のない行動の積み重ねで、相手の言動を操作するのが得意なんだ。……特に、ジャンケンみたいな限定された状況では、操れないものはないくらいだった」

 言いながら、少女は少しずつラベオに近づいてくる。

「予告ジャンケンをしようじゃないか……ラベオ。但しこの予告ジャンケンは変則ルールだ。俺が出す手を予告するのではなく、お前が出す手を予告する。お前は必ず、俺の言うとおりの行動をして、負けるだろう……」

 少女がそういってラベオへと人差し指を向けた。
 その瞬間、ラベオは心臓をわしづかみにされたような恐怖を感じた。
 はっきり言おう。ラベオは恐怖していた。
 目の前の少女の、得体の知れないタフさにだ。
 少女の系統が特質系であることは間違いない。だからこそ、不可解だ。少女が強化系のラベオのラッシュを受けて立ち上がれるわけがないのだ。

「いいか? 予告するぞ? ちゃんと聞けよ? “お前は必ず、俺が目の前にいるにもかかわらず、後ろを振り向いて”―――負ける」

(……………………)

 無言でラベオは堅をする。どのような不意討ちを食らってもよいように。

「…………フフフフ。なぁまだ気付かないか? 俺の念獣を良く見てみろよ。何か、さっきと違わないか?」

 騎士を見たラベオは、良く騎士を観察し、気付いた。

(右手が……ない!)

「こいつの右手は、大分前から“レインの拳銃でお前を狙っているぞ”! ラベオ!」

(振り向くな! こいつは罠だ!)

 ラベオは後ろを振り向きたい衝動を抑え、少女を凝視する。しかし、ラベオの中では着実に、疑いの種が芽吹き、成長していった。

(だが本当に罠なのか? こいつの狙いは、こういって俺に後ろを向かせずにいることなんじゃないのか?! 俺の背後では本当に罠が構築されつつあるんじゃないのか?)

 そんな疑心暗鬼に陥ったラベオは、その瞬間、カチリという音が聞こえて、

(う、ウォォォォォォォォーー!?)

 もう耐えられなかった。
 そして振り返ったラベオの前にあったのは、開いた懐中時計。

(ナニィィィイイィィィィ!?)

「誘惑に………負けたな? お前の負けだ。ラベオ。【空白の時/ストップ・ザ・マインド】」

 そこでラベオの意識は途絶えた。




『ウラウラウラウラウラウラ ウラウラウラ ウラウラウラウラウラ!! Fuuuuuuuuuck Youuuuuーーーーー!!! ウラウラウラウラウラ ウラウラ ウラ ウラ ウラ ウラアァーーー!!』

 ラベオを振り向かせ、騙されたことに驚愕したラベオの心を【空白の時/ストップ・ザ・マインド】にて止めると、俺は間髪入れずにラッシュを叩き込んだ。
 心が止まったことで、堅が解け、ただの纏のみとなったラベオは、“サトリ”のラッシュを受け全身の骨を砕かれながら壁へとめり込む。

「………………お前は俺の能力はわかったが、俺と同じように心を読むことはできない。それが、お前の敗因だよ」

 それを見届けて、俺はため息をついた。
 正直、かなり、かなりの強敵だった。
 まさか俺の能力の大半を見抜かれるとは、誰が予想するだろうか。しかも、しかもだ。奴は俺自身が知らなかった“制約と誓約”をも暴き出した。
 すなわち、射程距離と、ダメージのフィードバックである。
 俺は今まで、“サトリ”が通常のパワーを発揮できるのが3メートルまでだということも、活動範囲が6メートルまでだということも知らなかった。
 そして緋の眼発現時はすべての系統が威力精度ともに100%になるという体質を考慮すれば、通常時はさらに短くなるだろう。
 それを、ラベオは暴きだした。
 そしてダメージのフィードバック。
 これにはゾッとした。今回は格下が相手だから肋骨に罅が入るくらいで済んだが、俺よりも強い相手にダメージを与えられていたら、最悪死んでいたかもしれない。
 この2つがわかっただけでも、今日戦った意味はあった。
 だが、

「……完全に。完全に! ……負けた気分だ。地力の差でなんとか価値は拾えたが、もし逆だったら確実に……負けていた。試合に勝って、勝負に負けた……。まさにそんな感じだ。技量、経験、そして頭脳。すべてに於いて俺はお前に劣っていた。おい、聞いてるか? ラベオ。だから俺は、アンタに敬意を表して、ずっと“纏”のみで戦ってたんだぜ? いいか? ラベオ。もし俺を裏切ったら……次はリミッターはつけない。よぉく魂に刻み付けておくんだな」

 俺は気絶したラベオに無駄な忠告する。そして、ラベオに踏まれて気絶したアックェと、これまた同じくオーラとオーラのぶつかり合いの余波に耐え切れず気絶したゼンジを“サトリ”に担がせると、俺自身もラベオを背負い、この場を後にした。ラベオのラッシュで完全に骨折した肋骨が傷んだが、気にせず跳躍した。

(ラベオ。お前は良いぞ。お前は良い。頭が切れ、強く、そして信仰深い。お前を俺の右腕にしてやる。だから、神ではなく俺を信仰しろ。神は信仰へ応えないが、俺は応えるぞ、ラベオ!)

 心の中でラベオに語り掛けながら、夜の街を跳ぶ。

 雨は止んでいた。


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