投資情報サイトの『投資比較サイト』提供アイコン

トップ | ログイン

300万遍唱題と御書拝読の功徳  

2010年 11月 07日

◇「おにのかくれ部屋」に掲載された体験談②

以下の文章は、おにゆりさんのHP、「おにのかくれ部屋」に掲載されていた、もう1つの体験談です。
この体験談は、HPの内容と少し異なる点があります。
その理由は、当時のおにゆりさんに対する私のパソコンメールが現存しないからです。
この体験は、元々、私が3圏合同の壮年大会で体験発表したもの。今回、その元原稿を、当ブログの保管用に修正いたしました。

       ◇御書の功徳(御書拝読2回・本流2世帯・300万遍唱題の功徳)

私は26歳の時に、仕事に悩み、100万遍のお題目をあげたことがあります。
その功徳で、次の会社に入社、研究室を任される立場になりました。
やがて会社は、社員数2000名を超える一部上場企業へと発展。しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、私は10年以上も「勤行もしない、活動もしない、聖教新聞も読まない」という、完全な退転生活を続けてしまいました。そして、福運が切れて、やがて大変な事態に遭遇することになりました。
39歳の時のこと。仕事の研究過程で、私は会社が「導入・販売している商品」の1つに、重大な欠陥があることを発見しました。
それは発覚すると社会問題化する商品でした。改善の余地のない欠陥でしたから、私は、その商品の「取り扱い中止」を会社に求めました。しかし、その商品が当時、良く売れていたということもあり、会社は販売を続けました。
私は、幾度も、事業部門とその責任者である常務に商品の問題を指摘し続けました。
私の行動に対し、追い詰められた常務と事業部長は、「菊川は乱暴な発言をするヤツだ」とか、「組織を乱すヤツ」だとか、陰湿な悪いうわさを流すようになり、あげくの果てに、頼りの社長までが黙認してしまったのです。
このことが原因して、私は「窓際族」になりました。
ある日、組織から突然外され、出社しても、何も仕事がない日々が、2年以上も続きました。
本当に辛い、本当に苦しい生活でした。
当時、悩みを抱えていたのは、私だけではありません。
妻も同時期に、隣人からイジメられ、苦しんでいました。
隣の家の奥さんが、うちの妻と隣の旦那が浮気をしているという妄想に取り付かれ、妻に罵声を浴びせたり、ゴミを投げつけたり、おちおち自宅の庭にも出られない状況になってしまったのです。
妻は悩み、食事も喉を通らなくなりました。
夫婦そろって、私は会社で、妻は自宅でと、2人してイジメられる生活になったのです。
この大きな悩みの中で、私は40歳から、信心を再開いたしました。
朝晩の勤行・唱題、折伏、御書の拝読を忍耐強く続け、300万遍の唱題と、2世帯の本尊流布、御書全集2回の拝読を果たしました。

さて、3年間の信心で、何がどのように変わったのか、どのような現証が出たのかを以下にお話します。

まず、会社がどうなったのかということですが、私が窓際族になって1年後から傾き始め、やがて経営状態が極度に悪化、何と上半期売上げが全年度対比50%近くにダウンという最悪の事態となったのです。
そして、私をイジメた事業部長が退社、問題商品を黙認した社長が業績不振の責任を取って辞任に追い込まれ、さらに、全社員の四分の一に当たる約400名が、業績不振のあおりを受け、リストラされてしまいました。
これに対し私は、不思議なことにリストラの対象にはならず、むしろ窓際族になったお陰で、御書をまるまる2回も読むことができましたし、法華経二十八品の他、様々な学会書物を、職場でじっくりと勉強することができました。
このことに加え、本当に驚いたのですが、新社長の就任に伴い、私は研究所の責任者として正式な任命を頂き、完全な職場復帰を果たすことができました。
この時、新社長は、「私の懐刀として頑張ってもらいたい」とまで言ってくれました。
妻のイジメの問題に関しては、隣のオバさんの病気が直らないので引越しをしようと思い、まだ、窓際族の渦中、家を売ることにしました。
結果、たった一週間で、希望価格で家が売れました。そして、新しい土地に、2件目の家を建てることができました。不動産会社の人は好条件での家の売買に「こんなことは、まったく珍しいことなんですよ」とビックリしていました。
家の売却の時、会社の持ち株も同時に全て売りに出しました。株は売却した後、一時高値を付けましたが、結果として当時の5分の1以下の価格になりました。
この平成不況の真っ只中で、「窓際族」が家を建て直し、完全な職場復帰ができたことは、不思議なことでした。この仏法が「おとぎ話」ではなく、本当に力ある宗教であるということを、私は身をもって知りました。
まさに、「仏法とは道理なり。道理とは主に勝つものなり」又「わざわいの幸はこれなり。騒ぎが大なる幸となるなり」のご金言の通りでした。

以上が、私が実際に壮年大会で発表した体験談です。
このように、大きな現証を得た私でしたが、私の本当の功徳は、次にお話しする「心の変化」にあったのです。

               ◇私の心の変化に関する功徳のお話

私には子供がおりません。
子供がいないことは、他と比べる相対的な生き方しか知らない人間にとって、虚しさや後ろめたさが影のように寄り添うものです。
先に申し上げた職場での窓際生活の中で、馴れない御書を四苦八苦しながら読んでいるとき、国府(こう)入道夫妻への二編の御書に出逢いました。
佐渡の夫婦。跡目のいない夫婦は辛かったはず。周囲から、信心しているのに子供ができないではないか、と悪口も言われたのです。
何故、この夫婦は大聖人に赤誠を尽くしたのか。否、何故、尽くせたのか。何を望み、何を得て、一生を終えたのか。
深海のように静かな部屋の窓際で、私は、じっとこの二編の御書に目を凝らしました。
そのとき、私は気付いたのです。
「嗚呼、この2人は、子供のいない夫婦、あるいはお子さんを亡くされた夫婦に、大聖人のご指導を末法万年に残すために生まれてきたんだ」と‥。この時、私の眼から涙が溢れ出て、子供がいないという悩みが、一瞬にして心から消えました。
私は悟りました。「自分は、今の自分でいい」と。
心のモヤモヤが晴れ、帰郷した正月。田舎の母と2人で話し合いました。
「お母ちゃん、俺、子供いないけど、いいよネ」と聞くと、母はにっこり微笑んで、答えてくれました。「いいんだよ。子供が生まれても、悪い子もいる。いないというのも気楽でいい。そう思うことにしましょう」と。
私は、抜苦与楽の功徳を、確かに国府入道の御書から頂きました。

私はこの大きな体験を得て、さらに御書を読み進めました。
3度目の拝読を始めたとき、私の心には、1つの疑問が生じたのです。
「大聖人は、御書を通じて何を言われたのか。仏法の目的とは何か。幸福とは何か」という疑問でした。
御書には、幸せな結婚をして、子供が学業優秀で、十分な財産があり、健康で、皆が笑顔で生活している‥というような幸福論は述べられていません。
大聖人は、繰り返し、人生の目的を「成仏」と述べられていたのです。
「ともかく大聖人は、人生の目的を仏になることだと言われている。
成仏とは何だろう。一生を仏と成って生きるということか。まてよ…。他のために、幸せを作る行為の中に悦びがあるな…。私は窓際族だ。会社のためを思って戦った結果、こうなった。今、何の利益も生んでいないようでも、少なくとも薬にはなっている…」
そんなことを考えながら、一生成仏抄の表題を見ているときでした。様々なモヤモヤしたものが忽然と消えて、私の心の中に太陽が昇ったのです。
「そうか。仏になることが幸せなんだ!」
一瞬にして眼前が開け、私は美しい光に包まれました。
私は拳を握りしめて、一人、孤独な部屋の中で叫んだのです。
「等身大の広宣流布の人生を歩もう!」と。(完)

以上が、おにゆりさんのHPに投稿した私の体験談です。
元原稿とは少し違うかも知れません。
この記事は、過去、「御書の功徳」という記事を書いたとき、おにゆりさんが「この体験談を私のHPに掲載させていただけませんか?」という打診があり、過去の体験談を膨らませて作成したものです。

創価の森版「御書の功徳」の記事は、→ここをクリック!
創価の森版「300万遍の功徳」の記事は、→ここをクリック!
このシリーズの最初の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

by sokanomori | 2010-11-07 00:09 | 体 験

< 前のページ 次のページ >