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【バンクーバー五輪】


フィギュア

<銀メダリスト浅田真央に聞く>

2010年3月2日 紙面から

銀メダルを手に笑顔を見せる浅田真央=バンクーバーで(隈崎稔樹撮影)

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 【バンクーバー=中村彰宏】フィギュアスケート女子で銀メダルを獲得した浅田真央(中京大)が大会閉幕の28日(日本時間3月1日)、本紙のインタビューに応じた。年齢制限に阻まれたトリノ五輪から4年を経てたどり着いた夢舞台。何を思い、何を感じたのか。そして4年後は。19歳の本音に迫った。

 −銀メダルをどう受け止めている。

 うれしさが50パーセント、悔しさが50パーセントです。銀メダルだったが、一夜明けて次へのステップだったかなと考えました。

 −演技直後や表彰式では悔しそうだった。

 競技が終わってすぐだったので悔しい思いもあったが、すごくたくさんの日本人の方が応援してくれて国旗がたくさん見えたので感動しました。

 −悔しさはどこから。

 やっぱりフリーの最後の二つのジャンプ。あそこまで今季ベストの演技ができていたので、その分、悔しさも倍あります。

 −フリップとトーループでの失敗は驚いた。

 やっぱりアクセルよりも簡単ですし。フリップはたまに失敗することもあるが、トーループは全くなかったので予想外だった。

 −ミスはどうして。

 最後の気持ちの揺れが、ミスにつながった。集中して跳べばよかったが、ここで大きな得点がもらえるって考えてしまった。今後にはいい経験だったと思うけど、バンクーバーでやってしまったことは取り返しがつかない。

 −得点については。

 すべてのジャンプを決めていれば、もっと伸びていたと思う。でも、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の加点はもう少しもらえてもいいのかな、と思う。すべてパーフェクトでやった上での結果を見てみたかった。

 −何が足りないのか。

 もちろん芸術面も大事だけど、やはり自分は技術面だと思う。ジャンプを決めなければ上にはいけない。キムヨナ選手(韓国)も2連続3回転とか高難度の技を入れているからトップにいられる。基礎点でもっと離すために、ほかのジャンプも練習したい。

 −今季はルッツもサルコーも跳ばなかった。

 タラソワ先生からすぐに練習しなさいと言われている。

 −2連続3回転も入れたい。

 そうですね。練習ではできているので。

 −今季2連続3回転を跳ばなかった理由は。

 トリプルアクセルを2回入れて2連続3回転もとなると、すごく大変なんですよ。それよりも確実なジャンプを決めるパターンを選んだ。

 −それは次への課題。

 ソチ五輪までにいろんなことに挑戦して、試合でやっていきたい。

 −キム・ヨナは今季で引退するかもしれない。

 もう一度、自分が勝ちたいという思いはあります。一緒に試合に出て、もう一度、しっかり自分も勝ちたい。

 −高難度のジャンプがもっと評価されていいのでは。

 この採点システムになってから、みんなのジャンプのレベルは一段落ちたと思います。でも、プルシェンコ選手が帰ってきて、みんなが4回転が必要だと思い始めているので、それで少し変わってきていると思う。

 −五輪はほかの試合とは違った。

 試合をやってる時は全然、変わらなかった。五輪は雰囲気が違うとたくさんの方に言われていたので、その覚悟をして練習してきました。だから、本番でも緊張はいつもと変わらない状態でできたと思う。フリーは歓声が大きかったのでキム・ヨナ選手がいい演技をしたんだというのは分かったが、しっかり気持ちを落ち着かせて滑りました。

 −想像以上の舞台だったと言っていたが。

 規模ですね。選手村に入って特別な舞台だと思いました。スピードの選手だったりスキーの選手だったり、世界中の人が選手村や会場に集まってメダルに向かって頑張っている。その規模の大きさに、自分も五輪に立てたんだと感じた。

 −この五輪は集大成なのか、通過点なのか。

 最初は小さいころからの集大成だと思っていた。練習中でも家にいても五輪で金メダルを取りたいと思ってましたし。終わってみたら、これは次へのステップなのかなという思いです。

 −金メダルへの思いは強くなった。

 ずっと取りたいと強く思っていました。それは今も同じ。でも、ソチが近づいたら、もっと強くなるかもしれない。

 −4年後に向けて。

 また、いいものを見せたいと思う。ソチ五輪まで4年もあるが、あっという間だと思うので、自分の新たな面も入れながら順調にいけたらいい。ソチも目標とは言わずに一つの通過点、階段だと考えて。

 −じゃあ8年後も。

 27歳ですか。それはちょっと考えますね。別にやろうと思えばできるんですけど。

 −来季の態勢は。

 自分もまだはっきりと決めていません。(タラソワ)先生もロシアで忙しいし、体調のこともあるので。今季は入れ違いになることもあったけど、まだちょっと分からないです。

 −タラソワコーチに指導を受けられない時期もあった。

 芸術面とかを見てもらいたかったというのはあるが、先生の体調や仕事もあって。自分が行けばよかったが、日本でやりたかったし、直前に行っても崩れてしまうかなと感じたので。

 −何らかの形で先生との関係は続けたいと。

 ステップに関しては先生に代わってから一段と評価してもらえるようになったし、違った自分の部分を出してもらえた。たくさんの経験をしている先生なので、まだまだ引き出しはたくさん持っていると思うし、まだまだ学ぶことがたくさんあると思う。1年間ずっとというのは難しいけど、短期で指導は受けたい。

 −プログラムは。

 ここ2シーズンは力強い曲だったので、もうちょっと落ち着いた曲、少しゆったりとした余裕のある曲を選びたい。

 −もっと自己主張をしてもいいのでは。

 でも、最後は自分で決めています。五輪前に日本で調整したのも。先生は1カ月前から入った方がいいって言ったんですけど。選手村に入らない案もあった。でも、すべて自分で決めました。

 −この4年間で一番つらかったことは。

 やっぱり(去年の)ロシア杯が終わってからです。自分でもびっくりしたぐらいジャンプが崩れていた。それに気付いてから練習してもできなかったので、その時が一番大変でした。(五輪に)出られるかな、間に合うかなという不安も。

 −あのころを考えたら、この結果はすごいと思う。

 良かったと思う部分もあり、悔しい部分も。150パーセントぐらい練習してきて、あそこまで完ぺきにできていたので、本当に最後の二つのジャンプが悔しいです。

 −4年間で一番うれしかったことは。

 やっぱり、このオリンピック。最終的にこのメダルを取れたことは良かったと思うし、今はすごく頑張って良かったと思ってます。

記者の質問に考え込み、あどけない表情を見せる浅田真央=バンクーバーで(隈崎稔樹撮影)

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 −ソチまでどう過ごしていきたい。

 大学では自分に必要な講義をしっかり受けてみたい。心理学とか。私生活も、この五輪を目指してずっとスケートしかしてこなかったので、マラソンやヨガやピラティス(主に筋肉の深層部を緩やかに鍛える運動)とかやってみたい。マラソンっていっても本格的にではないけど。おしゃれも楽しみたい。

 −恋も。

 したいですね。

 −相手は。

 これから探さないと。理想はイケメンです。かっこいい人がいい。

 −恋をすると演技の幅も広がる。

 はい。タラソワ先生からもそうアドバイスされてます。

 −ソチ五輪の時には23歳。どんな自分になっている。

 変わってないと思います、たぶん。(山田)満知子先生にも、たくさんの人に応援してもらえるスケーターになりなさいとよく言われているので、それに向かってずっとやっていくと思います。

 −支えてくれたお母さんへの思いは。

 5歳のころからすべて自分のために費やしてくれているので、銀メダルという形で取れたことは良かった。メダルをかけてあげました。

 −お母さんは何と。

 良かったねって。とりあえず無事に滑ってくれたから良かったって言ってくれました。

 【あさだ・まお】 12歳の全日本選手権で世界初といわれた3連続3回転ジャンプを、14歳の全日本ジュニア選手権でトリプルアクセルを初めて成功させた。15歳だった05年に初出場でGPファイナルを制したがトリノ五輪は年齢制限で出場できなかった。08年世界選手権で日本女子5人目の優勝。163センチ、50キロ。19歳。中京大1年。名古屋市出身。

 

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