私たちの主張
Captivation Network臨床共同研究施設 抗議文(2010/10/29)
抗議文PDFファイル 会見動画(2010/10/30)
株式会社 朝日新聞社
代表取締役社長 秋山耿太郎 殿
報道と人権委員会 御中
抗 議 文
2010年10月29日
去る2010年10月15日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン東大医科研、提供先に』、社会面に『関連病院「なぜ知らせぬ」』と題する記事が掲載されました。
(当会注釈:朝日新聞10/15記事東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず参照)
社会面『関連病院「なぜ知らせぬ」』の記事には、臨床研究を実施している病院の関係者とされる人物への取材に基づいた生生しい内容の記事が掲載されており、この記事は読者に、東大医科研が有害事象を隠蔽したという印象を与えました。しかし、医学的事実の誤りに加え、捏造と考えられる重大な事実が判明いたしましたので、ここに強く抗議いたします。
(医学的事実の誤りについて)
第1、我々は東大医科研病院の共同研究施設ではなく、独自の臨床研究が行われた東大医科研病院の有害事象について、情報の提示を受ける立場にはありません。したがって、記事見出しの「なぜ知らせぬ」という表現は、我々自身も不自然な印象を受けます。
第2、本有害事象は、
発表された論文(当会注釈:論文中Case 2)からも原病である膵癌の悪化に伴った食道静脈瘤からの出血と判断されています。進行がんの一般臨床において、出血が起こりうることは少なからず起こることであり、出血のリスクを有する進行がんの患者さんにご協力を頂き臨床研究を実施する危険性について、我々の中では日常的に議論され常識となっております。
第3、原病の悪化に伴う出血の有害事象については、医科研病院の有害事象が発生する以前に、既に我々のネットワークの施設で経験をしています。ペプチドワクチンによる有害事象とは考えられないが臨床研究実施中に起こった有害事象として、2008年2月1日の「第1回がんペプチドワクチン全国ネットワーク共同研究進捗報告会」にて報告がなされ情報共有が済んでおります。したがって、ペプチドワクチンとの関連性が極めて低いと判断され、原病の悪化に伴うことが臨床的に明らかな出血という既知の事象
(当会注釈:前記2008年2月1日報告会で出血について情報共有済。医科研症例の出血は2008年10月発症)について、この時点での情報共有は不要と考えます。
(捏造と考えられる重大な事実について)
記事には、『記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」』とあります。
我々は東大医科学研究所ヒトゲノム解析センターとの共同研究として臨床研究を実施している研究者、関係者であり、我々の中にしかこの「関係者」は存在し得ないはずです。しかし、我々の中で認知しうるかぎりの範囲の施設内関係者に調査した結果、我々の施設の中には、直接取材は受けたが、朝日新聞記事内容に該当するような応答をした「関係者」は存在しませんでした。
我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、
出河編集委員、
野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、
出河編集委員、
野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認いたしました。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10月15日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと判断せざるを得ません。朝日新聞の取材過程の適切性についての検証と、記事の根拠となった事実関係の真相究明を求めると同時に、記事となった「関係者」が本当に存在するのか、我々は大いに疑問を持っており、その根拠の提示を求めるものであります。
また、10月16日、
朝日新聞社説においては、捏造の疑いのある前日の社会面記事に基づいて、
『研究者の良心が問われる』との見出しで、ナチス・ドイツの人体実験まで引用し、読者に悪印象を植え付ける形で、われわれ研究者を批判する記事が掲載されました。これら一連の報道は、われわれ臨床研究を実施している研究者への悪意に満ちた重大な人権侵害であり、全面的な謝罪を求めるものです。
今回の捏造と考えられる重大な事実について、我々と患者さんを含めた社会が納得できるように、一連記事と同程度の1面記事を含めた紙面においての事実関係の調査結果の掲載を要求すると同時に、われわれ研究者への悪意に満ちた重大な人権侵害に対する全面的な謝罪を求め、ここに抗議いたします。
Captivation Network臨床共同研究施設
76名医師名記載あり、省略
抗議文PDFファイル参照
日本医学会
会長 髙久史麿
2010年10月15日の朝日新聞朝刊1面に、『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン 東大医科研、提供先に』と題する記事が掲載されました。
記事は、東京大学医科学研究所附属病院での「がんワクチン」臨床試験中に、膵臓がんの患者さんに起きた消化管出血が、「『重篤な有害事象』と院内で報告されていたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかった、また医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった、と報じるものでした。一般の読者がこの記事を読まれた場合、「東大医科研が、臨床試験でがんワクチンが原因の消化管出血が生じているにもかかわらず、他の施設に情報を提供せず隠ぺいした」という印象をお持ちになられると思います。
しかし医学的真実は異なります。医科研病院が情報隠蔽をしていたわけではありません。
まず、この臨床試験は難治性の膵臓がん患者さんを対象としたものであり、抗がん剤とがんワクチンを併用したものでした。難治性の膵臓癌で、消化管出血が生じることがあることは医学的常識です。当該患者さんも、膵臓がんの進行により、食道からの出血を来していました。あえて他の施設に消化管出血を報告することは通常行われません。さらに、この臨床試験は医科研病院単独で行われたものであり、他の施設に報告する義務はありませんでした。以上から、医科研病院が情報隠蔽をしていたわけではないことがわかります。
さらに記事には問題があります。それは、日本のトップレベルの業績を持つ中村祐輔教授を不当に貶める報道内容であったことです。
2010年10月15日の朝日新聞社会面は、「患者出血「なぜ知らせぬ」ワクチン臨床試験協力の病院、困惑」「薬の開発優先批判免れない」となっています。本文中では、中村祐輔教授が、未承認のペプチドの開発者であること、中村教授を代表者とする研究グループが中心となり、上記ペプチドの製造販売承認を得ようとしていること、中村教授が、上記研究成果の事業化を目的としたオンコセラピー・サイエンス社(大学発ベンチャー)の筆頭株主であること、消化管出血の事実が他の施設に伝えられなかったことを摘示し、「被験者の確保が難しくなって製品化が遅れる事態を避けようとしたのではないかという疑念すら抱かせるもので、被験者の安全よりも薬の開発を優先させたとの批判は免れない」との内容が述べられています。
しかしながらこの記事の内容も誤っています。中村祐輔教授は、がんペプチドワクチンの開発者ではなく、特許も保有しておらず、医科研病院の臨床試験の責任者ではありません。責任を有する立場でない中村祐輔教授を批判するのは、お門違いであり、重大な人権侵害です。
この記事の影響により、関係各所のみならず多くの医療機関に患者さんやご家族からの問い合わせが殺到しました。
新たな治療法や治療薬の開発は、多くのがん患者さんにとって大きな願いです。しかしながら、誤った報道から、がん臨床研究の停滞や、がん患者さんの不安の増大が懸念されます。
以上の理由により、日本医学会は日本癌学会ならびに日本がん免疫学会の抗議声明を支持します。
参考:
朝日新聞の記事(10月15・16日)に関して−がん関連二学会からの抗議声明−
朝日新聞社に適切な医療報道を求めます(2010/10/27)(2010/10/28記事追記)
提言・署名募集PDFファイル(2010/10/28記事追記)
医療報道を考える臨床医の会
発起人代表 帝京大学ちば総合医療センター 教授 小松恒彦
私たちは、全国の病院・診療所に勤務し、患者さんと共に、日々臨床現場で診療を行っている医師です。
朝日新聞社のがんワクチン報道に対し抗議し、当該記事の訂正・謝罪、同社のガバナンス(組織統治)体制の再構築を求め、署名募集を行います。
去る2010年10月15日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン 東大医科研、提供先に』と題する
記事が掲載されました。記事には医学的誤り・事実誤認が多数含まれ、患者視点に欠けた医療不信を煽るものでした。記事報道を受け、当該臨床研究のみならず、他のがん臨床研究の停止という事態も生じました。
10月20日には、患者会41団体が
「がん臨床研究の適切な推進に関する声明文」を発表しました。声明は「臨床研究による有害事象などの報道について、一般国民に誤解を与えず、事実を分かりやすく伝える報道を行う」ことを求めるものでした。しかし10月21日の朝日新聞朝刊は、『がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適正化を」』と、患者会で問題とされたのが、報道ではなく臨床研究であるかのように重ねて歪曲を行いました。
10月22日以降、
医科学研究所清木元治所長、
2学会(日本癌学会・日本がん免疫学会)、
オンコセラピー・サイエンス社、そして
日本医学会高久史麿会長から朝日新聞報道に対する抗議声明が出されました。抗議では、記事に事実誤認および捏造の疑いがあることが指摘されています。読売・毎日・日経・週刊現代の各紙誌がこの声明を報じましたが、朝日新聞は
10月23日記事、
10月28日記事で同社広報部の「記事は確かな取材に基づくものです」とのコメントを記し、当該記事について真摯に検証する姿勢を見せておりません。
以上の経過から、朝日新聞社は、信頼される言論報道機関としてのガバナンスに欠けていると判断せざるを得ません。
私たちは、朝日新聞社に対して適切な医療報道を求め、以下の提言を行います。職種を問わず賛同いただける皆様からの署名も募集いたします(医療従事者以外のご署名も大歓迎です)。
署名は、朝日新聞社の社長及び『報道と人権委員会』(社内第三者機関)に提出いたします。
記
(1) 東大医科研がんペプチドワクチン記事の訂正・謝罪を行うこと
(2) 同記事の取材過程の検証を行い、再発防止策を立て、公表すること
(3) 今後、がん診療・研究など医療に関しては事実を分かりやすく冷静に伝えること
以上
朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事について(2010/10/20)
東京大学医科学研究所所長 清木元治
国民の2人に1人が、がんになる時代となり、有効な予防法や治療法の確立は、研究者や医療者にとって、ますます重要な任務になっています。
また、治療法の開発に欠かせない臨床試験や治験は、がん患者様の尊い意思と医療者への信頼があってこそ、はじめて成り立つものであり、東京大学医科学研究所では、基礎研究の成果を新たな治療法の開発につなげるために、日夜、研究者や医療者が努力しています。
2010年10月15日付朝日新聞の1面では、当研究所で開発した「がんワクチン」に関しまして附属病院で行いました臨床試験中、2008年、膵臓がんの患者様に起きた消化管出血について、「『重篤な有害事象』と院内で報告されましたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかった」と報じられ、臨床試験の実施体制やその背景に様々な疑問を抱かせる記事となっております。
しかしながら、この記事には、多数の誤りが見られます。
まず、この消化管出血は、すい臓がんの進行によるものと判断されており、適切な治療を受けて消化管出血は治癒しています。
(当会注釈:2010年9月25日公開、Clinical Journal of Gastroenterology, Gastrointestinal bleeding during anti-angiogenic peptide vaccination in combination with gemcitabine for advanced pancreatic cancer , Case 2を参照。)
また、附属病院で実施された臨床試験は、単施設で実施したものであり、他の大学病院等の臨床研究とは、ワクチンの種類、投与回数が異なっております。
さらに、最も基本的な、ワクチン開発者の名称が異なっております。
より詳しくは、
『臨床試験中のがん治療ワクチン」に関する記事について(患者様へのご説明)』(PDFファイルが開きます)をご覧下さいませ。
この記事が出されて以降、本学には「がんワクチンで消化管出血するのでしょうか?」という問い合わせが相次いでいます。
また、標準治療を断念せざるを得なくなった患者様からは、「これで臨床試験が停止するのではないか」という心配の声も頂いています。
このような記事を目にして不安を抱かれた、全国の患者様の動揺を心から憂いております。
そして、この記事は、日本の医療の発展のために、これまで真摯に臨床試験に取り組んできた、全国の医師、看護師、臨床試験コーディネーターらを大いに落胆させていることも気がかりでございます。
この記事は、先端医療の発展を踏みにじるものです。
医科学研究所は2010年2月の取材依頼以降、副所長名で1度、所長名で2度、質問に対する真摯な回答を適宜行って参りました。
その取材過程のなかで、記事のなかで述べられている誤りについても、既に根拠を示して回答してきています。
にもかかわらず、このような記事を、社内でいくつものチェックをすり抜けてトップニュースとして掲載する朝日新聞社の見識には、大いに不信を抱かざるを得ません。
果たして、この記事はいったいどのような目的で書かれたものなのでしょうか?
朝日新聞社は、このような記事を掲載するに至った経緯や責任を明らかにするべきだと考えます。
なお、この衝撃的な朝日新聞記事に対する個人的な所感は、以下
『朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日)に見られる事実の歪曲について』をご覧ください。
以上
朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日)に見られる事実の歪曲について(2010/10/20)
東京大学医科学研究所 教授 清木元治
2010年10月15日付朝日新聞の1面トップに、
「『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」(東京版)との見出しで、当研究所で開発した「がんワクチン」に関して附属病院で行った臨床試験中、2008 年に膵臓がんの患者さんに起きた消化管出血について、「『重篤な有害事象』と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった」と
野呂雅之論説委員、
出河雅彦編集委員の名前で書かれています。
また、関連記事が同日39 面にも掲載されています(その他には、同夕刊12面、
16 日社説、36 面)。
特に15 日付朝刊トップの記事は、判りにくい記事である上に、基本的な事実誤認があり、関係者の発言などを部分的に引用することにより事実が巧妙に歪曲されていると感じざるを得ません。
判り難くい記事の内容を補足する形で、更なる解説を出河編集委員が書いているという複雑な構図の記事です。
この構図を見ると、記事の大部分を占める医科学研究所の臨床試験に関するところでは、何らかの法令や指針の違反、人的被害があったとは述べられていないので、記事は解説部分にある出河編集委員の主張を書く為の話題として、医科学研究所を利用しているだけのように思えます。
しかし、一般の読者には、「医科学研究所のがんワクチンによる副作用で出血があるようだ。それにもかかわらず、医科学研究所は報告しておらず、医療倫理上問題がある」と思わせるに十分な見出しです。
なぜこのような記事を書くのか理由は判りませんが、実に巧妙な仕掛けでがんワクチンおよび関連する臨床試験つぶしを意図しているとしか思えませんし、これまで朝日新聞の野呂論説委員、出河編集委員連名の取材に対して医科学研究所が真摯に情報を提供したことに対する裏切り行為と感じざるを得ません。
その1:前提を無視して構図を変える記事づくり
記事の中では、ワクチン投与による消化管出血を重大な副作用であるとの印象を読者に与えることを意図して、医科学研究所が提供した情報から記事に載せる事実関係の取捨選択がなされています。
まず、医科学研究所は朝日新聞社からの取材に対して、「今回のような出血は末期のすい臓がんの場合にはその経過の中で自然に起こりうることであること」を繰り返し説明してきました。
(当会注釈: 2008年10月発症、Clinical Journal of Gastroenterology, Gastrointestinal bleeding during anti-angiogenic peptide vaccination in combination with gemcitabine for advanced pancreatic cancer 論文中考察でも議論。2010年9月25日論文公開)
それと関連して、和歌山県立医大で以前に類似の出血について報告があったことも取材への対応のなかで述べています。
(当会注釈: 2008年2月1日開催のCaptivation Network会議で別施設の消化管出血が報告され、多施設間で情報共有されていた。さらに上述論文の引用文献、Cancer Science, Phase I clinical trial using peptide vaccine for human vascular endothelial growth factor receptor 2 in combination with gemcitabine for patients with advanced pancreatic cancerを参照。2009年10月27日論文公開)
これらは、今回の出血がワクチン投与とは関係なく原疾患の経過の中で起こりうる事象であることを読者が理解するためには必須の情報です。
しかし、今回の記事ではまったく無視されています。この情報を提供しない限り、出血がワクチン投与による重大な副作用であると読者は誤解しますし、そのように読者に思わせることにより、「それほど重要なことを医科学研究所は他施設に伝えていない」と批判させる根拠を意図的に作っているという印象を持たざるを得ません。
事実、今回の記事では「消化管出血例を他施設に伝えていなかった」ということが最も重要な争点として描かれており、厚生労働省「臨床研究に関する倫理指針」では報告義務がないかもしれないが、報告するのが研究者の良心だろうというのが朝日新聞社の主張です(
16 日3 面社説)。
その為には、今回の出血が「通常ではありえない重大な副作用があった」という読者の誤解が不可欠であったと思われます。
このことは「他施設の研究者」なる人物による「患者に知らせるべき情報だ」とのコメントによってもサポートされています。
進行性すい臓がん患者の消化管出血のリスクは、本来はワクチン投与にかかわらず主治医から説明されるべきことです。
取材過程で得た様々な情報から、出河編集委員にとって都合のよいコメントを選んで載せたと言わざるを得ません。
その2:「報告義務」と「重篤な有害事象」の根拠のない誤用
単独施設の臨床試験の場合でも、予想外の異変や、治療の副作用と想定されるような事象があれば、「臨床研究に関する倫理指針」の報告義務の範囲にかかわりなく、速やかに他施設に報告すべきでしょう。
しかし、日常的に原疾患の進行に伴って起こりうるような事象であり、臨床医であれば誰でもそのリスクを認知しているような情報については、その取り扱いの優先順位をよく考慮してしかるべきだと考えます。
煩雑で重要度の低い情報が飛び交っていると、本来、監視すべき重要な兆候を見逃す恐れがあります。
この点も出河編集委員・野呂論説委員には何度も説明しましたが、具体的な反論もないまま、報告する責務を怠ったかのような論調の記事にされてしまいました。
「重篤な有害事象」とは、「薬剤が投与された方に生じたあらゆる好ましくない医療上のできごとであり、当該薬剤との因果関係については問わない」と国際的に定められています。
また、「重篤な有害事象」には、「治療のため入院または入院期間の延長が必要となるもの」が含まれており、具体的には、風邪をひいて入院期間が延長された場合でも「重篤な有害事象」に該当します。
このことも繰り返し説明しましたが、記事には敢えて書かないことにより「重篤な有害事象」という医学用語を一人歩きさせ、一般読者には「重篤な副作用」が発生したかのように思わせる意図があったと感じざるを得ません。
実際に、この目論見が当たっていることは多くの人々のネットでの反応を見れば明らかです。
その3:インパクトのあるキーワードの濫用
本記事を朝刊のトップに持ってくるためのキーワードとして、人体実験的な医療(臨床試験)、東京大学、医科学研究所、ペプチドワクチン、消化管出血、重篤な有害事象、情報提供をしない医科研、中村祐輔教授名などはインパクトがあります。特に中村教授については当該ワクチンの開発者であり、それを製品化するオンコセラピー社との間で金銭的な私利私欲でつながっているとの想像を誘導しようとする意図が事実誤認に基づいた記事のいたるところに感じられます。
中村教授はペプチドワクチン開発の全国的な中心人物の一人であり、一面に記事を出すにも十分なネームバリューがあります。
しかし、本件のペプチド開発者は実は別人であり、特許にも中村教授は関与していません。
臨床試験に必要な品質でペプチドを作成することは非常に高価であるために、特区としてペプチド供給元となる責任者の立場です。
これらの情報も、取材過程で明らかにしてきたにもかかわらず、敢えて事実誤認するのには、何か事情があるのでしょうか。
その4:部分的な言葉の引用
朝日新聞の取材に対する厚生労働省のコメントとして「早急に伝えるべきだ」との見解が掲載されています。
しかし、「因果関係が疑われるとすれば」というような前置きが通常はあるはずであり、それを削除して引用することにより、医科研の対応に問題があったと厚生労働省が判断したかのようミスリードを演出した可能性があります。
以上のように、朝日新聞朝刊のトップ記事を書くために、医科学研究所では臨床試験の被験者に不利益をもたらす重大な事象さえ他施設に伝えることなく放置しているというストーリーを医科学研究所が提供した情報の勝手な取捨選択と勝手な事実誤認を結び付けることにより作ったと考えざるを得ません。
これほどまでしなければならなかった出河編集委員の目的は何なのでしょうか?
それが解説として述べられている出河編集委員の主張にあると思われます。
出河編集委員はこの解説を1 面で書きたい為に、医科学研究所で不適切ながんワクチンの臨床試験が行われたという如何にも大きな悪があるというイメージを仕立て上げなければならなかったのではないかと想像します。
解説部分では、臨床試験では法的な縛りがないので、患者に伝えられるべき重要な副作用情報が開発者の利害関係によって今回の医科学研究所の例に見られ得るように患者や医療関係者に伝えられないことがあるということを主張し、だから一律に法規制を掛けるべきだという、彼の従来の主張を繰り返しています。
適否は別にして、この議論は今回の医科学研究所の例を引くまでもなく成り立つことです。
しかし、医科学研究所の臨床試験に対する創作的な記事を書くことにより、医科学研究所の臨床試験のみならず我が国の医療開発に対して強引な急ブレーキを掛けようとしているだけでなく、標準的な治療法を失った多くのがん患者さんが臨床試験に期待せざるを得ない現在の状況をまったく考慮していません。
このことは自らがん患者である
片木美穂さんのMRIC への投稿に的確に述べられていると思います。
今回の朝日新聞の記事を見るとき、かなり昔のことですが、高邁な自然保護の主張を訴えるために自ら沖縄のサンゴ礁に傷つけた事件があったことをつい思い出してしまいます。
今回、傷つけられたのは、医科学研究所における臨床試験にかかわる本当の姿であり、医療開発に携わる研究者たちであり、更には新しい医療に希望をつなごうとしている全国の患者の気持ちです。
法規制論議についてはマスコミの取材と記事についても医療倫理と同様のことが言えるのではないかと思います。
沖縄の事件のように事実を捏造して記事を書くのは論外ですが、事実や個人の発言をいったんバラバラにして、あとで断片をつなぎ合わせる手法を用いればかなりの話を創作することは可能です。
これらも捏造に近いと思いますが、許せる範囲のものからかなり事実と乖離したグレーなものまであるでしょう。
しかし、新聞記事の影響は絶大であり、これで被害が及ぶ人たちのことを考えればキッチリと法的に規制をかけて罰則を整えないと、報道被害をなくすることはできないと言う意見も出てきそうです。
しかし、そういった議論があまり健全でないことは言うに及びません。
社会には法的な規制がかけにくい先端部分で新しい発展が生まれ、人類に貢献し、社会の健全性が保たれる仕組みとなることも多々あります。無論そこでは関係者の高いモラルと善意が必要であることは言うまでもありません。
今回の報道では、新しい医療開発に取り組む多くのまじめな研究者・医師が傷つき、多くのがん患者が動揺を感じ、大きな不安を抱えたままとなっている現状を忘れるべきではないでしょう。
朝日新聞は10 月16 日に、
「医科学研究所は今回の出血を他施設に伝えるべきであった」という社説をもう一度掲げて、
「研究者の良心が問われる」という表題を付けています。
良心は自らを振り返りつつ問うべき問題であり、自説を主張するためには手段を選ばない記事を書いた記者の良心はどこに行ったのでしょうか。
また、朝日新聞という大組織が今回のような常軌を逸した記事を1 面に掲載したことが正しいと判断するのであれば別ですが、そうでなければ社内におけるチェックシステムが機能していないということではないでしょうか。
権力を持つ者が自ら作ったストーリーに執着するあまり、大きな過ちを犯したケースは大阪地検特捜部であったばかりです。高い専門性の職業にかかわるものとして常に意識すべき問題が改めて提起されたと考えます。
大丈夫か朝日新聞の報道姿勢(2010/10/24)
東京大学医科学研究所 教授 清木元治
平成22年10月15日の朝日新聞朝刊に東京大学医科学研究におけるペプチドワクチンの臨床試験についての報道がありました。
これに対して、10月20日に 41のがん患者団体が厚生労働省で記者会見を開き、我国の臨床試験が停滞することを憂慮するとの声明文を公表しました。
朝日新聞は翌日21日に、"患者団体「研究の適正化を」"と題する記事(朝刊38面)を書いています。
この記事が記者会見の声明文の真意を伝える報道であれば朝日新聞の公正な立場が評価されるところですが、よく読んでみますと声明文の一部分を削除して掲載することにより、声明の意図をすり替えているように読めます。
声明文の一部をそのまま掲載いたしますと:
「臨床試験による有害事象などの報道に関しては,がん患者も含む一般国民の視点を考え,誤解を与えるような不適切な報道ではなく,事実を分かりやすく伝えるよう,冷静な報道を求めます。」
全文は
膵臓がんサバイバーへの挑戦 41患者団体が共同声明(2010/10/20)
http://pancreatic.cocolog-nifty.com/oncle/2010/10/37-3925.html
卵巣がん体験者の会スマイリー 活動報告 20日13時から厚生労働日比谷クラブで記者会見をします(2010/10/19)
http://smiley.e-ryouiku.net/?day=20101019
ロハス・メディカル ブログ 朝日新聞報道に対して41患者団体が共同声明(2010/10/20)
http://lohasmedical.jp/blog/2010/10/37.php
ところが朝日記事の声明文説明では:
「有害事象などの報道では,がん患者も含む一般国民の視点を考え,事実を分かりやすく伝えることを求めている。」
となっており、 なんと「誤解を与えるような不適切な報道ではなく」の部分が削除されています。
本来の声明文は、臨床試験を行う研究者・医師、行政関係者、報道関係者に向けられており、特に上記に相当する部分では報道に対して「誤解を与えるような不適切な報道」を慎んでほしいとの切実な要望が述べられています。
科学論文の世界では、事実の一部をなかったことにして解釈を意図的に変えることを捏造と呼んでおり、この捏造の定義に異論を唱える人はいらっしゃらないでしょう。
朝日新聞の10月15日から始まった一連の関連記事を読むと、実際の事実関係と書きぶりによって影響を与えようとしている目的との間に大きなギャップを感じざるを得ません。
社会に対して大きな権力を持ち責任を担う朝日新聞の中で、急速に報道モラルと体質の劣化が起こっているのではないかと思わせられ大変心配になります。
「医療や臨床試験の中では人権保護が重要だ」と主張している担当記者の人権意識は、単にインパクトある大きな記事を書く為の看板であり、最も根幹である保護されるべき対象が欠落しているのではないかと思わせられます。