●活動状況:過去培ってきた独自のノウハウをベースに起業プロデュース・サプライチェーンマネジメントおよびIT戦略を駆使しながら企業の強みを伸ばすビジネスプロデュースを実施中。
●モットー:失敗を包み隠さず公開し、自身や周囲にいる個人・企業を問わずその成長に寄与することを目的にする。加えて、ベンチャーの起業から無に帰す原体験をベースにニュービジネスのプロデュースを実施する中で互いに成長を遂げていく。
●ライフワーク:プレアデス星団を中心に26,000年で公転する太陽系が高密度エネルギー帯域に入り地球環境の悪化が激しくなる今、その現状認識と地球人としてその悪化を少しでも和らげるための活動
ベンチャーの起業から傷つきボロボロにすり切れながら倒れてしまった経験を持つ男
TV・マスコミ各誌に取り上げられビジネスは順風満帆、プライベートでも株式投資・不動産投資・その他証券投資などで資産を増やす。昼は仕事に夜は華やぐ街に繰り出し英気を養う毎日、そんな向かうところ敵なしの、絵に描いたようなサクセスストーリー。
1991年年末、友人から紹介された会社経営者に資金提供をするも代表者は夜逃げ、その会社も翌年3月に倒産。
1992年7月、取引先が続けて倒産、その頃から徐々に資金繰りが悪化し社員数名を残し業務を続けるが、大きく広げた部隊を縮小しての事業維持は大変な労力であった。
未払いによる裁判、事業金融、サラ金、質屋、街金、暴力金融と無理を承知の無謀な金融、差し押さえ、この時から8年間もの長きにわたり連日連夜悪夢の資金繰り生活が続くとは知る由もなかった。
1993年に入ってから車を大破させる事故が相次ぎ、数年間で6回の事故に遭うが何れも無傷。
苦しい資金繰りや交通事故を通して家族愛、人間愛にことあるごとに触れ、新たな人との出会い、ビジネスチャンスを与えられながら自分は生かされていることを知るようになる。
1993年11月、一回目の不渡りを出す。これにより資金繰りは悪化の一途。しかしながら夜な夜な仕事をしながら金利の一部を払い続けジャンプジャンプの綱渡り。
1997年10月、五度目の不渡りでついに事実上の株式会社ウイングの倒産。なおも頑張り続け債権者への支払を行うが、1998年10月に個人破産の申立て。しかしそのとき裁判所に予納金が収められず自己破産はできず債務の支払いをそれから1年半続け、その資金をようやく作り2000年5月に自己破産の宣告を受けるが、免責を受けるまでなおもその先半年を待たなければならなかった。
ゼロから起業し、無に帰す体験。その闘いは壮烈でした。
プロフィール:
1976年3月
読売東京理工専門学校建築学科卒業(最終学歴)
1987年8月
株式会社ウイング(アプリケーションソフト開発・物流コンサルティング会社)設立、代表取締役に就任
1992年5月
株式会社レーサムリサーチ(資産形成コンサルティング会社)設立、取締役に就任
(潟戟[サムリサーチは平成13年4月ジャスダック上場、平成20年1月に潟戟[サムに社名変更)
1993年11月
株式会社ネオメディアウイング(マルチメディアエデュテイメントの企画・制作・販売会社)設立、代表取締役に就任
株式会社ウイング、一回目の不渡り
1994年6月
マルチメディアエデュテイメントとして日本初の“Multimedia Newton”シリーズ(CD-ROM)全国一斉発売、編集長として活躍
1994年7月
株式会社レーサムリサーチ、取締役を退任
1994年9月
株式会社ウイング、再度一回目の不渡り
1995年7月
株式会社ウイングラボ(教育・福祉・環境・エネルギーに関する情報発信会社)設立、代表取締役に就任
1995年9月
株式会社央盛興行(マルチメディアコンテンツ販売及びイベント興行会社)設立、代表取締役に就任
1996年4月
株式会社ウイング、再々度一回目の不渡り
1997年1月
ジークライト株式会社(地球環境改善運営会社)経営権(111千株:50.5%)を株式譲渡等契約書締結により取得
1997年3月
有限会社山嘉(環境・エネルギー製品の開発・販売会社)設立、代表取締役に就任
1997年4月
住友タスクフォース株式会社(地球環境改善の調査・研究・開発会社)設立、取締役に就任
1997年6月
株式会社ウイング、再々々度一回目の不渡り
1997年10月
株式会社ウイング、ついに二回目の不渡りにより事実上の倒産
1998年1月
株式会社環境科学技術センター(地球環境改善製品の企画・研究・開発会社)設立、取締役に就任
1998年10月
山中俊次の個人自己破産申立て(10月7日東京地方裁判所に破産申立て、債務総額761,298,063円)
1998年10月以降
株式会社ネオメディアウイング、株式会社ウイングラボ、株式会社央盛興業、有限会社山嘉、住友タスクフォース、株式会社環境科学技術センターの役員をそれぞれ辞任
2000年5月
山中俊次の個人自己破産(5月2日東京地方裁判所より破産宣告)
2000年10月
山中俊次の個人自己破産免責決定(10月12日東京地方裁判所にて)
2001年1月
株式会社ウイングラボ代表取締役に就任し、起業/IT/サプライチェーンコンサルティングなどの業務をこなす
2003年11月
世界に類を見ない立体映像と火と水と空をテーマとしたオリンピック級の技量を持つ人間が奏でる、世界最大のショービジネス“WET(仮称)”の東京公演の準備作業開始
2004年3月
個人情報保護法施行を前にして、個人・法人のリスクマネジメントの施策として“メッセージングマスターの教育・育成・資格制度の確立”を目指し東奔西走の毎日
略歴とプロフィールはこちらへ
営業経歴の詳細はこちらへ