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諏訪耕平の研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-10-31

友人が語った、「一生恨まれても構わない」という覚悟

ある友人は今仕事が少しきつい時期だそうだが、「新入社員の頃に比べれば全然楽」と言っていた。それで、「新入社員の頃のつらい経験が今活きているわけだけど、となると、新入社員というのはできるだけつらい思いをしてもらったほうがいいのかな?」と聞くと、友人は少し黙って、「それはちょっと違うんじゃないかと思う」と答えた。

「ああいう思いをするのは自分で最後にしたい」と友人は言うので、「でも新入社員の頃につらい思いをしておかないと後がきついんじゃないの?」と聞くと、「それなりにやるんだと思う」と友人は答えた。

実は、僕もそんな風に思わないでもない。確かにつらい経験というのはその後の人生の糧になるが、じゃあ無理矢理つらい経験をしたほうがいいかというと、そこは少し考え込んでしまう。人生なんてどうせつらいんだから、無理にしなくてもいいんじゃないかという気がする。

でも、最近話題になった餃子の王将にしてもくら寿司にしても、狙いはここらへんにあるようにも思う。最初に研修でかなりしんどい思いをしておけば、かなりタフな新入社員が出来上がるというのが狙いなんじゃないだろうか。

そういえば昔あるビジネス雑誌で、某IT企業の社長もそんなことを言っていた。「うちでは、最初みんなで新入社員を『つめる』んです。徹底的に厳しく接する。そこから這い上がってきた連中は必ず我が社の財産になる」。当時僕は「うわ、こんな会社行きたくねえな」と思ったが、一理あるのだろうとも思う。

さらに別の友人の話。「うちの会社では200人ぐらい新入社員をとるけど、100人ぐらいは辞める前提。最初にそこで生き残ってもらわないとどうせ続かない」。僕がその友人に、「辞める100人はかわいそうだねえ」と言うと、友人は「まあでも仕方ないよね」と言った。

最初の友人の話に戻る。僕が「確かにつらい経験は財産になるけど、そういうつらい思いを味あわせてきた相手に後で感謝するかっていうとそれはちょっと違うんだよね」と言うと、友人は「そう!それはその通り!」と言ってきた。その友人は1年ほど前職場のお局様に目をつけられてかなりしごかれたそうで(そのころのエピソードで僕が「それはひどいな」と思ったのは、休日に電話をかけてきて1時間怒鳴られたというものだった)、今となってはその経験は確かに財産なのだが、その相手のことはいまだに許せないそうだ。アンビバレントかもしれないが、その感覚はよく分かる。

「相手にとっていい経験になるのかもしれないけど、自分がやるとしたら、一生恨まれても仕方ないぐらいのつもりでやる」とその友人は言った。僕はその言葉に強く手を打った。このへんの議論において僕が漠然と持っていた違和感、それは、「新入社員をいじめた連中は、あとで本当に新入社員と信頼関係を結ぶことができるんだろうか」というものだった。僕自身、その人のおかげで今の自分があるというような人は何人かいるが、中には、いまだに恐らく心からの笑顔では会話できない人もいる。

その流れでその友人が話してくれた話は、少し状況は違うが、構造は同じなんだなと思わせてくれるものだった。その友人には彼氏がいるのだが、その彼氏が、仕事でひどくつらい思いをしていた時期があったそうだ。友人はなんとか彼氏の助けになりたいと、毎日愚痴も黙って聞いていたそうだが、そのうち彼氏は、「何も知らないで偉そうに言うな」とか「あー、分かってないな」だとか、その友人をはけ口にするようになった。

それほど極端なものではなく、最後には「ごめん」と言ってくれるようなものだったそうだが、友人は徐々に彼氏と話をするのが嫌になっていった。それで、ある日、「これ以上愚痴ばっかり言うならもう会いたくない」と言ったそうだ。そのころ彼氏は仕事がどん底と言ってもいいような状態だったそうで、その友人の別れ話は死ぬほど応えたらしい。そうなることは友人もある程度予想していたが、友人もまた限界だったそうだ。

結局2人はなんとか関係を持ち直し、今に至るまで付き合い続けているのだが、その彼氏がいまだにその一点では友人のことを信用しきれていないということを友人は感じているらしい。それを聞いて僕は「そこはなんとか解決したいよねえ」と言うと、友人は、「いや、覚悟してたから。こうなるのは。一生許してくれなくても構わない」と言った。

僕はこの言葉にいたく感動した。この友人には、後輩に厳しく接するにせよ、彼氏に別れ話を持ち出すにせよ、「恨まれても仕方がない」という覚悟がある。「うちでは新入社員に皆で厳しく当たるんですよ」と言っていた社長に対して僕が持っていた違和感、それは、彼が笑顔でインタビューに答えていたことだった。「恨まれる覚悟で」というニュアンスを感じられなかったのだ。

最近、「褒めるだけじゃなくて怒ってあげることが大事」という言説をよく聞くが、こういう言い方からは、「怒ってあげることが相手のためになる」というニュアンスを感じる。そういう感覚で怒る場合、恐らく「恨まれることを覚悟で」とは思っていないだろう。友人は恐らく、「怒ってあげる」ときも、恨まれることを覚悟して怒る。僕はそんな友人の態度を見事だと感じた。ということはすなわち、そういう覚悟がない人については、何か違和感を持ち続けることになるのだろうと思う。

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