「おい! ちょっとこっちにきてくれ!」
一人の男が声を上げて叫んだ。
「バカヤロウ! 未開地域で叫ぶとか何考えてんだ!」
アンタも叫んでるよ、という突っ込みはスルーされた。だが、
「こっちに赤ん坊が居るんですよ――、人間の!!」
誰もが、はあ? と顔をゆがめた。ここは東北、シベリア未開地域。まだ、聖譜の関係からあまり開発も進められていないまさに未開地域だ。珪素系生命体や亜人が住んでいることから人間にとってはまさに危険な土地だ。だというのに、こんな場所に赤ん坊なんて居るわけがない。
「幻覚か? 幻覚なんだな? だからきのこはアレだけ食うなといったのに」
「本当ですよ! ほら」
巨大化した木々を軽く掻き分けて奥に行き、何かを抱きかかえる。
「だから、それは幻覚……、嘘だろ?」
一人の防護スーツを着込んだ男性に抱きかかえられたのは確かに人間の赤ん坊だった。赤ん坊は死んでいるかのように目を瞑り、眠っている。だが、心臓は確かに血をめぐらせ、寝息が命の重さを感じさせる。
「A班、全員キャンプに戻るぞ、子供の居る奴は手伝え、ぐずらせた奴は――そうだな、IZUMOの売店で売られてるスペシャルおばあちゃんのゴマ味噌ペッパークリームコロッケパンちょっぴり切ない恋の味風味を食わせてやる」
ひい、と誰もが声を上げた。スペシャルおばあちゃんシリーズはIZUMOの食料開発部で作られている名物料理である。うたい文句は『これを食べれば何処へでもトベる』。奇妙な物好きにはたまらない一品だ。
「さあて、どうしようかねえ」
問題はつれて帰ってからだ。IZUMOにつれて帰れば、誰もが騒ぐだろう。誰の隠し子だ、と。それはまだ良い、最悪サンプルとしてばらされ……、
「――ないない」
男は頭をふった。むしろ、奇妙な知恵をいれられる可能性のほうが高い。
「はあ、引き取り手どうするかねえ」
男は一言ぼやいた。
※
――十八年後、極東
「おぉぉぉおおおぉおぉ!!」
一人の少年が拳撃を振るっていた。既にその速さは超高速、目に追うことが出来ないほどの速さで振るわれている。だが、
「甘い甘い」
それをたやすく防いでいるのは一人の女性だった。胸には『真喜子・オリオトライ』と記されたネームプレートがある。オリオトライが持っているのはIZUMO製の製品の長剣である。特徴的な柄のそれは斬撃重視の一刀だ。それを使い、反らすよう、なでるように少年の拳撃を受け流しているのだ。
「隙ありぃい!!」
拳撃のフェイントから織り交ぜるように放った蹴り。だが、それを見越していたかのようにオリオトライはその蹴りを長剣の腹で受ける。吹き飛んだ。だが、ダメージはないだろう。少年は思う。蹴りに重さを感じられなかった、と。おそらく、自分から後ろに飛ぶことでダメージを受け流したのだ。
――この化け物め!
内心で悪態をつく。先程からの拳撃は通常人間の倍以上の内燃排気をつぎ込んだ高速打撃だ。
「ヤタ、流体炉をフル稼働、コード打ってくれ」
『了解』
ヤタ、と呼ばれた烏型の走狗が小さく呟くと表示枠が表れ、そして何かを書き記す。
『流体炉リミット――解除、内燃レベルをフェイズ3に移行。
擬似流体脈――正常稼動。
擬似神経――痛覚の遮断完了。
人工筋肉――20%から80%までリミット解除。
フルドライブモードに移行――完了。
コード入力――完了』
「行くぞ」
少年の体から流体光があふれ出した。纏った流体光は薄く発光。そして、少年は構え、
「コード――麒麟!!」
言葉と同時、脚を一瞬でバネのように収縮させ、飛翔、振り上げた両腕から凝縮された流体が飛び出した。
※
「うわ! こんなに贅沢に排気できるなんてうらやましいわ」
凝縮された流体を見てオリオトライは呟く。上から雨霰のように降り注ぐ光弾を見れば嫌でもそう思う。それ全てが流体で構築されていることを考えれば本来は人間の出来る範疇外のことだ、もしかしたら魔神系より多く排気できているかもしれない。だが、
「む、まだまだ密度に差があるわね」
身を翻すように光弾を回避し、時に剣であしらいながら冷静に点数をつけていく。
衝撃、
大地を割らんばかりの衝撃がオリオトライを襲った。目の前には少年。
――流石風紀委員、火力は段違いね。
だが、
「教師として、まだまだ負けらんないのよね」
オリオトライは拳撃の隙間をぬい、少年に蹴りを飛ばした。
※
一筋の光が疾走する弾丸の如く煌いた。その光は轟音を立て、一つの建物を崩壊させた。
※
「まっつあん、大丈夫?」
間延びしたような声、ブラックアウトしていた意識が徐々に取り戻されていく。
二人の少女だ。一人は美しい金色と陽光をより結んだような金髪と青天の光を結んだかのような金の翼を持ち、端整な顔には笑みを貼り付けている少女。腕章には“第三特務 マルゴット・ナイト”とある。
もう一人は対照的に均整な顔を仏頂面にした少女だ。こちらは漆黒の闇と月光を編んだような深い黒髪と、夜の黒で出来ているかのような翼を持っている。こちらの腕章には“第四特務 マルガ・ナルゼ”とあった。
「双嬢(ツヴァイフローレン)か」
頭を右手で掻きながら上体を起こす。と、一つ咽るような咳を一つする。妙に埃っぽい。見回してみれば、
「……廃墟?」
ここは廃墟だった。崩れ落ちた建物の残骸が痛ましい。
「何で俺はこんなところに寝てるんだろうか」
首を捻る。
「……アンタ、模擬戦の事覚えてないの?」
「模擬戦? ――あ」
思い出す。先程まで行われていた模擬戦だ。最後の最後、技を出し切ることなく終わってしまった。思い出すだけで腸が煮えくり返りそうだ。
「クソ……、結局今回も一打すら入れられずに終わりかよ」
「ま、仕方ないわね。まあ、あの蛮人にあそこまで詰めることが出来るのは風紀委員のアンタくらいよ、そこは褒めてあげるわ」
驚き、
「ハ、あの白嬢(ヴァイスフローレン)が黒嬢(シュバルツフローレン)以外を褒めるとはな。明日は槍か?」
「失礼ね、私だって人は褒めるわよ――、そうよね、マルゴット」
うん、とナイトは言い、
「ガッちゃん裏は打算と欲望ばかりだけどね」
「黒いな、お前」
ナイトはまあまあ、と手を振った。
「んで、何で双嬢がここに来てんの? ――まさか」
はっ、と何かに気づいたかのように、
「俺に惚れた?」
「馬鹿言うのは止めなさい」
「まっつあん、それは流石に妄想が過ぎると思うんだ」
双嬢は即座に否定。だよなあ、と笑い。
「んで、結局なんでここに居るわけだ? まだ授業中だろうに」
「んー、話すと結構短いんだけど」
「短いのかよ」
「まっつあんが、模擬戦で気絶したんだけど、あの後誰もまっつあんが気絶してるのを覚えてなかったの。それで、教室に戻ってからソーチョーが『あれ、イッチーは? サボりか?』って言ったからみんなやっと思い出したんだよね」
黒髪の少女がペッとつばを吐くようなしぐさをし、
「そんで、あの蛮族教師が『ナルゼ、ナイト、ひとっとびして様子見てきてくんない?』なんていうもんだから私達がとばっちり喰らっちゃったわけよ」
「あー、そりゃ悪かった」
ばつが悪そうに頭をかく。立ち上がり、
「ま、そういうことなら先に戻ってくれ、さっさと戻るから」
軽いストレッチで体をほぐす。屈伸、伸脚、アキレス腱を伸ばし、軽く飛び跳ね、
「じゃあ、行くとしますか――、ヤタ」
『ああ』
「こっから教導院まで二十分で戻るぞ」
『了解、排気量は?』
「任せる」
『了解』
「じゃあ、行こうか」
身をかがめ、クラウチングスタートの体勢を取り、野獣のような笑みを見せ、
「Get Set Ready?」
――GO Ahead!!
疾走した。
※
「おーおー、今日も頑張ってるねえ、正宗君は」
「Jud.、ですが、あまり看板を傷つけないでほしいものです。――以上」
展望台デッキには二つの影があった。一人はキセルを加えた壮年の男性。胸には“武蔵アリアダスト学院長・酒井・忠次の文字が入ったプレートがついている。もう一人は女性だ。侍女服を纏っており、方には“武蔵”と記された腕章がある。
「それにしても、彼がここに来てからもう十八年にもなるんだなあ」
「ええ、当時は聖連が荒れに荒れたと記憶しています。――以上」
酒井はふう、と一息つき、
「厄介払いのためにここに送りつけられてきたと思えば、今度はまた新たに厄介を押し付けられる。なかなか難儀なモンだ」
「ええ、十年前、極東とP.A.ODAが正式に同盟を結んだのとほぼ同時に雑賀・孫一と伊達・政宗の分割襲名を行い、P.A.ODAへの牽制としての役割を持っていたと記憶しています。――以上」
分割襲名は雑賀・正宗にのみ適応される特別な襲名方法だ。雑賀・孫一と伊達・政宗の名をまさに分割して襲名しているという本来ならば考えられない襲名方法でもある。
「まあ、正宗君もなかなかのやり手だがね、確か襲名の時に銃器の使用権をもぎ取ったんだっけ?」
酒井は思い出す。十年前、まだ八歳だった少年が聖連の大人相手に『雑賀・孫一は銃器を使用したのだから歴史再現的に自分が銃器を持つのは何の問題もない』などと嘯き、賄賂に搦め手、と聖連で大立ち回りを繰り広げたのはなかなか痛快な記憶だ。結局、最後は権利を金で買っていたが。
「正宗君が政治系の人間だったらねえ」
「Jud.、ですが、雑賀様はそれを望まないでしょう」
酒井は知っているよ、と立ち上がり、
「んじゃ、そろそろ俺は戻るよ」
「どちらへ」
首だけを後ろに向け、
「ん? ああ、ま、面倒だが準備って奴さ。手土産の一つも持っていかんと格好もつかないだろう?」
「そうですか、ではお適度に気をつけ下さい。――以上」
へえへえ、と酒井は右手を振った。
※
授業が終われば放課後である。それはどの教導院でも変わらないことだ。
雑賀・正宗の放課後はほぼ毎日同じサイクルで行われている。仕込みをしたり、掃除をしたり、とそんなところだ。
入り口に向かい自作した暖簾を下げる。喫茶『漢』それが雑賀の経営している店の名だ。その名の通り、女人禁制の男子の楽園だ。客層は主に三十~四十代の男性が多い。嫁の料理も上手いが、一人暮らしのときに自炊した料理の味を懐かしみに来る人が多い。また、彼女の居ない男性なども入り浸る。
それなりに凝った酒場風の店内を見回し、
「掃除は完璧、と」
額の汗を拭いた。後は開店するだけだが、汗を掻いたままでは衛生面的にはよろしくないだろう。
――風呂にでも入るか。
適当に十分も入ればいいだろう、と店内の奥に引っ込もうとしたときだった。
「やっほー、いっちーいるかー?」
馬鹿みたいに大げさな開閉音を立て入ってきたのは一人の少年だ。茶髪に着込んだ鎖付の長ラン制服といえばどこか不良を想像してしまいそうだが、浮かべている笑みと発している人のよさそうなオーラが不良ではないことを認識させる。
「総長か、一応まだ開店じゃないんだが?」
総長、と呼ばれた少年は笑い、
「トーリで良いって言ったろーいっちー、ってそんなことよりもさ、今日は俺の告白前夜で騒ぐから夜学校集合な」
「ははは、俺の都合は無視でございますか? このヤロウ」
「おいおい、いっちーもっと愛想良くいこうぜ? そんなんだからナルゼの同人のネタにされるんだぜ?」
「ファック! この前出回ってた俺×シロジロの同人の出所はアイツか!!」
そう怒るなよ、と総長――、トーリは言う。
「ったく、白嬢のアマ、報復覚悟してろってんだ」
悪態を吐き、トーリを見て、
「んで、集合は何時だよ」
問う。
「ん? 八時ごろからだな、それまでに集合しないと何かが起こるぜ?」
「へー、そりゃ怖い」
正宗はおどけてみせる。
――はあ、今日の店じまいは七時ごろか。
正宗は苦笑し、
「七時半にはそっちに向かうよ」
「おう、じゃあまた後でな!」
言うが速いがトーリは去って行く。
――相変わらず、元気のいい奴。
走っていったトーリを見て呟いた。
※
正宗が向かったのは武蔵アリアダスト教導院の昇降口に位置する場所だ。
「うぃーっす、って、ありゃ主賓は?」
もう当たりは暗い。もう月が見える時間帯。明かりは橋や校庭上の灯篭と雰囲気はそれなりによい。
「雑賀か」
反応したのは一人の男だった。無精ひげを生やした無表情の男は周囲は座っているというのに一人だけ立っている。腕章には“会計 シロジロ・ベルトーニ”とある。
「ああ、そうだ。と、会計、主賓が居ないのはどういうことだ?」
主賓とは総長、トーリのことだ。今、みんなが集まっているのはトーリの告白前夜祭なのだからトーリが居ないというのは少々おかしいのではないだろうか。
「フフフ、雑賀は愚弟の居場所が知りたいのね? 知りたいのね? 教えないわ」
言うのは極東以外ならばどんな男でも、時には女でも目を引くだろう女性だ。着崩した制服もいっそう美しさを引き立たせるアイテムとなっているあたりは脱帽としか言いようがない。風紀委員としてはそれを咎めねばいけぬはずなのだが、言っても無意味なのでそこは無視。
「横から言葉をありがとう。だが、一人で勝手に自己完結するのはどうかと思うんだ。賢姉殿」
「あら、私は貴方の姉じゃないわ。だからベルフローレ・葵と呼びなさい」
「はいはい分かりましたよ葵姉殿」
「駄目よ、雑賀。葵姉なんて、“青い姉”みたいで何処の亜人か分からなくなるじゃない。だからベルフローレ・葵よ」
「喜美ちゃんさいしょっから飛ばしてるねー」
「マルゴット、朝も言ったけど葵・喜美なんて、“青い黄身”みたいに何処の尻から生まれた卵かわからないわ」
いや、分かると思うんだけどなあ、という呟きは当然の事ながら無視される。
まあ、いいかと持っていた包みを輪の中心に置き、布を開く。中から出てきたのは少々大きめの重箱だ。五段に積み重ねられた重箱はそれなりに圧巻であった。
「む、雑賀殿これは?」
問うのは口元を布で被った少年だった。大き目の鍔付帽子を深く被っており表情も良く見えない。腕章には“第一特務 点蔵・クロスユナイト”と記されていた。
「ああこれか? いや、総長殿が告白前夜祭なんていうもんだから祝い用の料理だな。まあ、そうは言ってもみんな夕食は食ってきただろうからデザート中心に軽食を突っ込んできた。味はそれなりに保障するぜ?」
「む、それはかたじけない」
声の方向を見れば居るのは一人……? 航空系の半竜だった。半竜は神々の時代に高重力下でも活動できるよう己の肉体を改造したものを言う。現在は数が減り希少な種族、身も蓋もない言い方をすればレア種族と言うことになる。腕章には“第二特務 キヨナリ・ウルキアガ”とあった。
「それより、姫様は?」
「ネイトなら今日は来てないわよ」
ナルゼは言う。
姫様と呼ばれるのはネイト・ミトツダイラという半狼の少女だ。
と、言うのも雑賀・正宗は雑賀と伊達を半分ずつ襲名している。諸説では雑賀・孫一と言うのは紀伊の鈴木家の頭首が名乗ったとされる名であり、雑賀・孫一と言うのは複数いるという説があるのだ。その中の一人に水戸松平、つまりネイト・ミトツダイラに使えたとされるものも居ることからネイトを姫様と呼ぶのだ。
「ふうん、まあ、良いけど。別に」
勿論、姫様といっているからといって敬っているわけではない。雑賀は雑賀・孫一と同時に伊達・正宗を分割襲名している。故に、身分はほぼ対等でもある。
「――と、じゃあ、ご開帳と行きましょうかね」
正宗は五段重箱の蓋を開く。おお、と誰かが声を漏らした。
中に入っていたのは色とりどりの洋菓子和菓子だ。
「ねえ」
一人が口を開いた。
「どうかしたかオーゲザヴァラー? アレルギーか? 小麦粉がいけないんだな? 大丈夫、安心してくれ芋羊羹もばっちり入ってるから」
そう言って重箱を次々と開いていく。どこかから唾を飲む音が聞こえた。
「いや、そうじゃなくて、歴史再現的にそれはどうかと思うんだ」
「大丈夫だ。特別な材料を使った羊羹で誤魔化すから。それに、他の所だって基本的にそうだろう?」
いいのかなーと呟くのは、会計補佐の少女、ハイディ・オーゲザヴァラーだ。
「いや、駄目なら捨てるけど?」
重箱を持ち上げるとわあ、と女性陣が悲鳴を上げた。
「ちょ、それは流石にもったいないと思うので私達で処理させてもらいますよ」
必死の形相で手を上げるのは大き目の眼鏡をかけた少女だ。周囲はナイスアデーレと賞賛を送る。
「まあ、冗談だって、最初ッから捨てる気なんてなかったし」
「ですよねー、そんなもったいないことするはずないですよね」
眼鏡の少女、アデーレはほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、とりあえず新作から味見してくれよ」
そういいながら皿にケーキをのせて分配していく。ザッハトルテだった。歴史再現で言うなら完全にアウトだが、見た目が黒いし特別な生地を使った羊羹とでも言っておけば何とかなるだろう。と、言うか大抵はそうやって誤魔化せているし、聖譜に出ていないからといって咎めるものもいない。誰だって美味いものを食いたいのだから見過ごすし、教導院でも目を瞑っている。原理としては同人誌が著作権だなんだと言われないのと同じようなものだ。
「へえ、ザッハトルテ。まだM.H.R.R(神聖ローマ帝国)の方に住んでた時に聞いたことはあるけど食べたことはないわね」
ナルゼの言葉にマルゴットが相槌を打つ。
「ザッハトルテ自体は前から作れたんだけど、最近になってようやく人様に出せるレベルまで達したんだよな。まあまずくはないから食ってみてくれよ」
フォークを入れザッハトルテを口に運ぶ。
――うん、美味い。
今まで課題だった生地のしっとり感も上手に出せているし、チョコレートも甘すぎないし、食感も良い。口に残る甘さもしつこくないのにしっかりと余韻は残る。
――完璧だな。
店のほうのレシピに加えても問題はないだろう。と、思ったときだった。
「ゲホっ!? 何これ、苦!?」
ナルゼが咽た。思わず計画通りと笑みを深めた。
「うう、苦いよこれ」
ナイトトも顔を歪めた。
「雑賀、アンタ一体何したの?」
雑賀は笑い。
「ああ、すまんすまん。間違えて漢チョコレートケーキを渡しちまった」
漢チョコレートケーキとは喫茶『漢』の名物料理の一つ。ビター百パーセントチョコレートを主な材料としており、とりあえず苦い漢の味のするチョコレートケーキだ。なお甘味は一切使われていない。 これを目当てにやってくる男も多い。だが、食べきれる男は多くなく、食べきれた男は真の漢として賞賛されるケーキでもある。
「雑賀! アンタ一体何か恨みでもあるって言うの!?」
「シャラップ! いつの間にか俺を同人ネタにしやがって」
「何よ、それくらい良いじゃない! 心の狭い野郎ね」
「俺はノーマルだっての! ったく、相手がベルトーニなんて嫁の報復が怖くないのか!?」
やっだ、私がシロ君の嫁だなんて! と身をくねらせているハイディは無視した。
「まー、俺からの報復は以上。後で嫁からキッツい報復くらっとけ、ついでに双嬢はそれ食いきらない限り別のケーキには手を出すなよ。勿論」
「何それ!?」
「私も!?」
「勿論。俺のモットーは連帯責任だしな」
横目で見ればザッハトルテを完食した面々は好きなケーキを各々選んで食している。うわミルフイユですよミルフイユだとか、この最中美味いさねだとか、この羊羹売り物にしたら相当売れるかもだとか、この饅頭美味すぎで御座るだとか、このポルポロン見たこと無い故郷の味を思い出させてくれるだとか、なかなか好感触な観想が多い。
「まあ、男でもなかなか食いきれる奴もいないし食いきれなくて当然なんだろうけどな」
少々意地が悪すぎるかななどと思いながらも、これ位の報復は当然だろうと思う。この前後輩の女子に寝取りですかと言われたときは本気で首をつろうと思ったのだ。これくらいは軽い方だろう。
「ぶほぅ!?」
と、一人が噴出した。
「あ、言うの忘れてたが。それ上杉露西亜式ルーレット(ロシアンルーレット)で中に漢料理が含まれてるから」
誰もが唖然とした。
「おーい、悪い悪い遅れちまったぜ、って俺を除いて美味そうなもんくってんじゃねえか! くそ、これが仲間はずれって奴か!? 断固として俺は拒否するぜ!!」
その唖然とした状態の中、現れたのはやけにテンションの高いトーリだ。
「お、総長か、とりあえず落ち着け」
「ひゃっほう、いただきまーす。――ぶは!? マズ!? これはアレか!? なんだ!? 俺の未来予想図か!? 振られた俺の涙の味なのか!?」
「うはあい、一人突っ込みご苦労さんだから落ち着けまず頼むから」
結局、場が収束するのはケーキがなくなる頃だった。
※
「もう少し負からないか?」
「駄目だ、このラインが最低限度だ。これ以上は負からん」
正宗とシロジロはどちらも真剣な表情で表示枠を睨み合っていた。
今行われているのは交渉である。
取引されているのはチョコレート。新商品のザッハトルテに使われるチョコレートだ。
一概にチョコレートといっても風味が変われば味にも影響がでる。最高の風味を出すにはそれにあったチョコレートを選ぶのは当然である。
「清らか大市(サンメルカド)製のチョコレートは確かに人気だが流石に一キロ五千円はとりすぎだろう。三千百くらいがラインだろうに」
清らか大市は三征西班牙(トレスエスパニア)の企業座だ。武神や武器などの評判はあまりよろしくないところもあるが、チョコレートの人気は高く菓子職人のリピーターも多い。
「馬鹿者、本来ならば一キロ七千は取ってもいいところだ。アルマダ海戦も近くあちらの物価も徐々に上がってきている状態で五千は本来ならばギリギリなのだからこれが限界だ。これ以上は負からん」
「いやいや、それだと今回のザッハトルテ一個に使われたのは二百グラムだから五個で一つ千円以上になっちまうぞ」
「あの味ならば千円以上取ろうとも問題はあるまいだろう」
いやいや、と首を振り、
「あくまでこれは俺が喫茶で出すケーキだからそれじゃ駄目なんだよ。野郎の財布の中なんて大抵は寂しいんだぞ? 最高でも八百円じゃないと売れないんだよ」
「知らん。こちらも商売だ。利益が出ねば意味がないだろう」
くそう、と歯噛みする。確かにシロジロの言い分も分かる。商人が利益を出さずに損を出すというのは基本的にあってはいけないことだ。もし損を出してしまえば他商人から舐められる理由にもなるし、付け入られる隙にもなる。故に、五千円というのは現在で言えば良心的な価格で売ろうとしてくれているのだ。だが、こちらとしてもそれでは商売上がったりになってしまう。三千円ならば何とか一つ千円以内で収めることが出来る。それでも八百円ほどにはなりそうであるが千円内ならギリギリ、デザートで千円以上にもなれば男性は買おうとは思わないだろう。
「それに、客層を限定しなければ、その腕なら千円以上でもすぐに女性は食いつくだろうに」
「それは駄目、絶対」
「何故だ? 料理人ならば多くの人に作った料理を振舞うのが喜びだろうに」
「あの場所はな、聖域なんだよ。普段、甘党だというのにギャップで苦しむ男性が一人でも入れるような店なんだよ。そりゃあ、女性に門戸を開けば客層は増えてそこそこ収入は出るかもしれないけどな、だからと言って男の憩いの場を奪うのは駄目なんだよ」
力説してみるものの伝わらないだろう。もしも今、『雑賀×シロジロ』の件で折檻されているナルゼに聞かれたら確実にネタにされそうだ。
「そこまで安さにこだわるならば島津・アフリカ諸国の方から仕入れればいいだろう。あちらならば一キロ二千程だが?」
「駄目だ。試作したザッハトルテに一番あうのは清らか大市の方のチョコレートが一番だ。そこを譲ることは出来ない」
「ならば五千だ。びた一文負けんぞ」
むう、と唸る。
――やっぱ、ここら辺が手打ちか?
と、
「……一つだけ、そちらの条件で飲める案がある」
「何?」
「簡単なことだ。そちらで作ったザッハトルテを私の商会で売れば良い。一日そうだな、先程一日四十個売りたいと言っていた。ならば八キロで四万だ。一ヶ月で換算すれば百二十万にも上る。だが、そちらのほうでそれだけ売れるわけがないだろう。だが、私のほうの商会に流せば話は別になる。女性は基本的に甘いものに目がない。勿論、腕の良さもかかわってくるだろうが今日食した限りでは少なくとも千二百はつけても問題はないだろう。私が保証する」
次々と表示枠に文字が映し出されていく。
「ハイディ、ベルトーニ商会で卸されているケーキ類の売り上げ女性平均は?」
ん? と、ハイディはナルゼの折檻を止めてシロジロのほうを向く。
「えーっとね、ベルトーニ商会で卸しているケーキは種類は省くけど一日に大体五百個かな。ピンキリだけど平均だと大体六百円くらい。それで、一日で売れる個数は大体四百個で一日平均だと二十四万円だね」
「そのうちで千円以上のものは?」
「百個くらい。主な購買層は富裕層の女性かな。遊びに行くときのお土産なんかで買う人が多いみたいだね」
「――だ、そうだ。さて、ここで纏めると」
・シロジロは一キロ最低五千で売りたい。
・正宗は一キロ三千で買いたい。
・一キロ三千で売ると少なくとも二千円は赤字。さらに赤字が増えることも。
「と、なる。だからまずは私のほうで八キロを二万四千でそちらに売ろう。だが、これでは一万六千円分の損失だ。故に、この一万六千円はベルトーニ商会でそちらのザッハトルテを売り出して回収する。こちらに三十を卸せばいい。そうすればそちらの分の二万四千は回収できる。そうすればそちらで十個売れば三万二千となる。そして最低ラインとしてこちらは少なくとも一万六千の赤字を回収しないといけないわけだが、そうなればプラス五百五十円、だが利益のことも念頭に入れれば七百円。そちらの提示とあわせれば大体現時点では千五百円だ」
「いやいやいや、流石に千五百円だと売れないだろ」
シロジロは鼻を鳴らし、
「それは売り場を考えていないからだ。売り場は富裕層の多く住む場だ。金持ちは金払いがいい、また、新しいものに目がない。金があるということはそれを手に入れる力があるということだからな。そこでならばまず売れないということはことはない。次は味だが、これも問題はない。あとは、大きさを半分ずつに分けて購買に売れば富裕層の子供が買っていく。千五百円だと手の出ないものも量と値段を半分にして売ればつい手が出てしまうというものだ。この三段構えで損失分は取り戻す。これならばどちらにも損失はなく、また利益を出すことも可能だ」
流石商人だと感心する。金勘定は得意中の得意だった。
「ま、仕方ないよな、それが手打ちか」
本当ならば働かなくても収入はくるし、多少の赤字なら何の問題もない。だが、それでも商売をやっているのだから赤字を出さないという気概くらいは必要だし、店を経営している以上赤字は出すわけにはいかない。ここら辺はプライドの問題でもあるが、本気でやらない道楽など道楽ではない。それが念頭だ。
「本当ならあんま店の外には出したくないけど、わがまま言うのは経営者として失格だしな。んで、輸送方法は?」
「こちらで手配しよう。そちらは朝のうちに三十個用意しておいてくれればいい」
「了解。まあ、なんだかんだ言ってこっちで売れるのだって大概安いのばっかだしな」
あと、軽食と定食
「それにしても」
「?」
「先程食したザッハトルテだが、あれはどう見てもプロ並みの味だ。前に上級商人を相手に接客をしたことがあったがあの時出されたケーキと甲乙つけることの出来ない味だったが。あの技術は何処で習得したものだ? 一朝一夕で習得した技術ではあれほどの味は出せまい」
ああ、と納得する。笑い、
「残念ながら企業秘密」
「まあ、残念ではないな。――その技術を習得できれば金にはなりそうだが時間とコストがかかりすぎる」
「俺も、人に教えれるほどの人間じゃねーよ」
いや、人間でもないな、と小さく呟いた。
※
「えー、現在参りましたのは科学室、科学室でございます……、一人リポーターとか寂しすぎる!!」
正宗が着ていたのは科学室だった。ぶっちゃけると一番行きたくないところだ。きっと肝試しなら音楽室、図書室についで三本目に入るだろう科学室だ。怪談話でも真っ先に、動く骸骨型機動殻とか有名な怪談スポットでもある科学室だ。
「くそう、クロスユナイトもウルキアガも裏切りやがって……」
一緒に行こうぜ、と誘った瞬間背を向けた級友を思い出す。
『ははは、拙者図工室の方に向かおうと思ってるので御座る。故に、遺憾ながらそちらぬは向かえぬで御座る』
『ははは、奇遇だな点蔵、拙僧も図工室のほうに向かおうと思っていたところだ。まさに奇遇!!』
言うが速いが、高速で二人は去っていってしまったのである。
「な・に・が、奇遇だバカヤロウ!! 普通、異端とか異端とか異端なんてこういう生命弄りまわしてそうな場所にこそ出るだろうがよ!!」
木霊する自分の声にひぃ、と怯え、
「くそぅ、呪われたら化けて出てやる! 今度漢料理食わせてやるから覚悟しろよ、コンチクショウ!!」
と、肩の方を何かに触れられた気がした。冷たい感触が制服越しに伝わってくる。
「は、はは」
もう、後ろを見る気にはなれない。
叫び、全速力で駆け出した。
※
荒い息を吐きながら出たのは校庭だった。広い校庭には既に何人かの生徒やそれ以外の影が見える。ただし、中には全身タイツや何を言えば分からないようなコスプレをしている者までいた。
――相変わらず濃いな、ここは。
このキャラに比べたら自分はまだまだ薄味だろう、と頷き、周囲を見渡し、
「あ」
一人の少年だ。背丈は小柄で童顔、一見すれば少女のようにも見えるだろうし、実際女装させたらそれっぽく見えるだろうが、来ている男子制服がそれは違うと認識できる。
「これはこれは東殿でしたか、このような俗世によく御出でなさいました」
そして、その少年、東はかなりの重要人物であった。それも超を百かけても足らないレベルの超大物だ。
「あ、相変わらずだね雑賀は。それよりも、素に戻ったら?」
「はは、ま、ばれてるよなあ」
「うん、ばればれだね」
そう笑う少年を見て思う。
――これでも帝の息子なんだよな。
力は封じれて入るが、正真正銘、帝の息子なのである。
本来ならば京におり、俗世に出てくることはありえないのだが、諸事情により東はこの極東に来ているのである。
――それにしても、自分結構不敬罪な事考えてるよな。
いくら頼りなさそうに見えて、実際は本当に何も知らなかったりするけれど……、あれ?
いやいやいや、何考えてるんだよ俺、それは流石に馬鹿なこと考えすぎだろうに。
一人でボケ一人で突っ込む様子はなかなか変な光景だったようであり、東は、
「雑賀、どうしたの? いきなりぶつぶつ呟いて。黒魔術?」
風邪? とか、変なものでも食べた? と聞かないあたり、既に武蔵菌に軽度の感染をしていたようだった。
「いや、大丈夫だ。なんでもない、なんでもないから」
軽度、というのは武蔵菌の感染者にしてはあまりにも視線が純粋だったからだ。
いいなあ、と、思う。自分にもこんな純粋な時期があったんだなあということ思い出させてくれる当たりが自分の失ったものだろう。
「そのままでいてくれよ、東」
「?」
わけの分からない顔をしていたが、出来ればそのままでいてほしいと願うばかりだった。
と、爆発音が聞こえた。その音はどこか花火に似ている。だが、それは花火と言うにはどこか荒々しすぎた。
「火災か?」
「へ? 火事?」
見るかと問えば二つ返事で了承がきた。きっと、火事も見た事がないのだろう。……想像してみればしょっちゅう火事と言うのもなかなか嫌な状況だった。
「よし、じゃあ見に行こうぜ?」
「了解であります、雑賀隊員!」
訂正、武蔵菌の感染率は軽度ではなく中度であったようだった。
駆け出す。不敬罪だと思いながらも東を抱え走り出す。
これが、幕開けであるとはまだ知らなかった。