INDEX PAGE
主なコンテンツ
ご挨拶
共通掲示板




メール リンク集
生活お役立ち用語辞典
芸術 駐車他違反取り締まり 解像感(補追)
<−簡易コンテンツへ・説明付きコンテンツへ−>
(フレームあり版のメニューと一緒です)(趣味で作ったバナーと、各ページの説明が書いてあります)
ご挨拶
先日実家で、父親が保険の証券を探していた。何か契約の関係で、探さないといけないらしい。ところが見つからず、『まあ見つかるやろう』といういい加減な話で終わった。
次の日くらいに飯を食っていたら、電話が掛かってきた。どうやら証券屋さんの営業電話らしく、『損だから、そんなの要らない』と断ったらしい。
さらに次の日、玄関の呼び鈴が鳴った。『昨日の営業ちゃうか〜』と私が言ったら、案の定そう。
契約を断られた次の日に営業を掛けてくると言うことは、『必要以上に熱心』な営業である可能性が高い。手っとり早く言えば、『何度も言われたら何となく契約しないといけないような気分になる』心理効果を利用した営業だ。特に老人相手だと、疲れてくると『現状から逃げ出したい』という気持ちになり易いしそうなるのも早く、向こうから見ればえげつなくチョロい仕事だ。要するに世の中で問題になっている、『ボケ老人が騙された〜』とか叫んでいる、あれである。もっとも現実にはこの手口に引っ掛かっているのは、歳とかボケとか関係無いみたいなんだけどね。
でまあ父親は、結構長いこと、外で話していた。何か物凄く嫌な予感がしたので耳を澄ませていると、『いやだから、もう断ったやろう?』『何か契約切り換えたらウチが得するんかいな?損ちゃいますん?』断る声がしているのに、『いやだから』と、いかにも同じことを繰り返し繰り返し『説明』しているらしい営業マン。悪どい営業の典型的な手口だと感じて外に出てみると、相手は三菱東京UFJ銀行の営業マンだった。
と言う訳で詳しく話を聞いていると、元本保証の10年満期の保険商品を、運用実績が元本の7割近くまで下がってしまっているので、一旦解約してもっと高利回りのファンド商品に切り換えてはどうですか?ということらしい。
えーと、この契約の切り替えで、当方のどこにメリットがあるんでしょうか?答えられる人は居るでしょうか。え、『銀行屋さんが勧めているのだから、お得に違いない?』。この発想は以前横行した、生命保険会社が古い高利回りの積立型の保険商品を『客を騙して』契約換えさせていた時に、多くの人が騙されたのと全く同じ論法です。
ちょっと契約書を見直してみれば一目瞭然ですが、この手の商品は途中で解約すると解約手数料で何割もさっ引かれ、金利が貰えるどころか解約した方は『確実に』大損になります(プラスアルファが貰えるのは、どんなに運用益が出ようとも、基本的に満期になった前後だけだから)。そして保険の切り換え『詐欺(敢えて詐欺と断言します)』が横行したとき金利が物凄く下がっていましたから、契約者は保証されていた筈の元本を自分の都合とは何の関係もなく棄損された挙句、見下げ果てた低利の契約に掛け替えさせられていた訳です。『そのまま持っていれば何の損もない』契約を、『切り換えるだけで損をする』契約に(これがどうして詐欺として立件されなかったのか、全く理解出来ない)。
因みに、今回三菱東京UFJ銀行の営業マンが解約を勧めた保険は、ホンの数年前、要するに既に充分に低金利になってからの商品です。それを運用実績が一番酷く下がった頃に途中解約させて、元本を捨ててハイリスク商品に切り換えてはと勧めた訳ですね。
もしこれが、非元本保証型のファンド商品だったのなら、まあ言うほど見下げ果てた酷い営業だったとばかりも言えないでしょう。でも、どうして『元本保証』商品と知っていて、元本が3割も目減りしたときに何割も解約手数料を払わせてまで、『解約してハイリスク商品を買ってはどうですか?』と勧めることが出来るのでしょうか?私には、まずその考え方が小麦粉1粒分も理解出来ません。しかも、相手が断っているのに、延々と何回もしつこく勧めてまで。
兎に角、この手の営業を受けた場合に、これだけは覚えておいて頂きたい。途中で一度でも『これって損じゃない?』と気付いた時は、梃子でもその営業の言葉に頷いてはいけません。逆に言えば、『これは損だ』と気が付いたという事実だけは、絶対に忘れない樣にしましょう。
冒頭父親が保険の証券を探していたと書きましたが、考えてみると既に父親は、一度『騙されていた』訳です。たまたま証券が見つからなかったお蔭で、手持ちの大切な財産を3割も棄損されずに済んだに過ぎません(おお恐!!)。この日だって、後30分単独で遣り取りしていたら、自分が損をさせられようとしているという事実を忘れて、気が付いたら判子を押してしまっていたかもしれません(生きているのが辛いクラスの恐ろしさですね!)。
ところでどうして営業マンは、何度も同じ説明を繰り返すのか?それは、『ハイリターンです』という言葉に相手が『一瞬』騙されるのを、待っているからです。『元本保証だったのに』という重要な事実を、『一瞬失念していた』瞬間を狙い澄ましているからです。あなたの中に『ここまで熱心に勧められるのだから、これって実は得なのかな』というお人好しな思い込みが、『一瞬』でも産まれるのを期待しているのです。そこには、一かけらの誠意もありません。このことだけは、絶対に忘れてはなりません。あなたの『一瞬』の勘違いや『一瞬』の思い込みこそが、彼等の最大の武器なのです。
兎に角忘れてはならないことは、営業マンは自分の都合だけで営業しているということです。上司から『この商品を売れ!』と言われたら、それが如何に不誠実な営業であると気付いていたとしても、平気で魂を売ります。
考えても見てください、悪魔に魂をまだ売っていない人は、あなたのところに不誠実な営業をしになど来れる筈がありません。不誠実な営業をあなたに仕掛けてきた時点で、その人はあなたにとって厳然たる『敵』なのです(因みに、自分が何をどう営業しているのかも理解出来ていない頓珍漢な営業マンがパワーだけでごり押ししてくる場合、自分の行為の犯罪性に気付いていない分天使の顔でやって来る危険があることも、理解しておいて下さい)。
あなたは、『悪魔に魂を売った敵』の言葉を、信じますか?『信じるわけ無いじゃない』そう何も考えずに言い切ったあなたは、多分騙されます。腕の良い営業マンというのは、自分が『悪魔に魂を売った敵』だという事実を、あなたに忘れさせる天才だからこそ、『腕の良い営業マン』になれるのですから。
要するにあなたは、先ず眼の前に居る営業マンが『悪魔』で『敵』なのかどうかを、見抜く眼を何とか育てなくてはなりません。その為に一番大切なことは、あなたが眼の前の物事を『きちんと』理解し、評価することですね。
あと、相手を肩書で信じないで下さい。『三菱東京UFJ銀行社員である』という肩書は、多くの人に取ってとても強力な信頼感を与える肩書だと思います。私も、こんな酷い営業を眼前にするまで、ここまで酷いとは思っていませんでした。まあ多分現実には『銀行社員』などではなく、人材派遣会社などから派遣された明日にも首を切られるような立場の人なのかもしれませんが、『三菱東京UFJ銀行』の名前を書いた名刺を持っていたのは間違いありません(おお恐)。
私はその営業マンに対して『詐欺と言われても仕方ありませんよ?』と何度も言いましたが、向こうも(如何にも言い慣れた風情で)『結果論としてそう言われてしまっても仕方ありませんが』と何度も繰り返していました。私は保険商品の運用実績の酷さのことを言っているのかと思っていたので、『まあそんなもんだよな』と苦虫を噛み潰していたのですが‥‥。
よく考えてみても頂きたい。『元本保証商品を解約』この時点で、損失が確定します。なのに保険を解約せずに放っておけば、元本は棄損されません。元本保証の商品を自ら選んで買ったのに、必要のない損をゴリ押しさられた挙句にハイリスク商品を押しつけられそうになった訳です。
多分多くの人は、『そんな客の利益にもならないことをしたって、向こうは何の得にもならないのに、何でそんなことをするんだろう?』と思うでしょう。でも考えてみてください、向こうは営業マンです。この犯罪的取引を一つ成立させるだけで、『営業実績』という喉から手が出る程欲しいものが向こうは手に入る訳です。月何十万かの給料を得るために、相手に300万とかの損害を平気で掛けさせる。ノルマは月一件では無いでしょうから、その被害者は月当たり何十人にも上る訳です(もし彼が即座にクビにならずに、継続して仕事を続けられているのであれば)。
勿論銀行は取引手数料を保険屋さんから貰えるし、保険屋さんは運用実績が70パーセントとかいうとんでもない損失を、解約手数料分お客さんに少なく返すことによって、自分の無能の結果を利益にすら転換できるのです(ここは今気が付きました)。
こういうのを、何と言うか知っていますか?私に思い浮かぶ言葉は、『詐欺』。これだけです。『結果として』ではなく、話を持って来て契約させた段階で、詐欺の条件は既に充分に満たしていると思います。
因みにハイリスク・ハイリターン商品っていうのは、ローリスク・ローリターン商品の何倍もの損失を簡単に出す商品のことを言いまして、元本を棄損させられた挙句に能く判ってもいないのにこんなものを買わされた日には、溜まったものではありませんね。
取り敢えず三菱東京UFJ銀行の営業マンの方には、
「もしまたこんなお客さんの利益に反する酷い営業を繰り返すのなら、父親に言って御社の全ての預金を引き上げさせます。もしも営業マンから上司に『こんな犯罪的な営業は良くない』と言えないのなら、お客さんからのクレームとして、『こんな詐欺みたいな営業は止めるようにと強いクレームがあった』と報告してください」
と強く念押ししておきました。
正直、銀行の預金残高等の情報を流用しているからこの様な営業がしつこく来る訳で、今すぐにでも三菱東京UFJ銀行の預金を引き上げるべきなのではないかと、感じてしまう程ショッキングな営業でした。そもそも個人情報保護法の精神に照らして、銀行の預金情報や顧客リストをこの様な使い方に流用してもいいのか?と、疑問に思います。
(2010年 7月 1日追加)
ウィンドウズビスタにしてからエプソンのPX−G930でフォトショ5.5からプリントアウト出来なくて困っていたのだが、CS4からはプリントアウト出来ることに何ヶ月も掛かってから気が付いてしまった‥‥。つか、ビスタにしてからじゃなくってドライバーを最新版にしてからだったような気もするのだが、何にしても何故だ──(T_To。
因みに、PM−2000CやPM−670C使ってる時はオートファイン使うのが結果良かったのだが、PX−G930では動かなくなる前はフォトショップの制御みたいなのが割とモニタの表示に近かった。んで、改めてCS4で出すとまたオートファイン任せが一番いい結果に──。でも、ウィンドウズフォトギャラリーの方が色味は正確だな〜。トーンはフォトショップ経由の方がどのモードでも正確なんだけど。
(2010年 7月 1日追加)
某掲示板で、三脚選びに付いて私が書いた文章。出来れば写真関係のコーナーに纏め直しておきたいところだけれども、取り敢えず誰かのお役に立てばということで──。
−−−−−−以下改定引用−−−−−−
使えないクラスの三脚っていうのは明確にあるけれども、それよりましなクラス使っているんならば、別に無理して高いのとか重いの買わなくっても大丈夫だよ。確実に使えないのは、脚の付け根より上の構造部分がプラスチック製の奴ね。やたらデカくてごついの(カーボンのお蔭で死ぬほど重いとは限らなくなったけど)は、その必要性を感じてから買えばいいのよ。
中古の三脚だと三千円くらいでも意外と使えるの(程々って意味ね)が手に入るけれども、雲台はなかなかそこまで安くならないね〜。それでもスリックやベルボンの3ウェイだと、1万円以下で結構使えそうなのが中古で転がってた気がする。確か五千円くらいで見たような──。
そもそも三脚買い換えの必要性ですが‥‥。脚について言えば、一番伸ばして開いた状態で上から押してもしならない程度の三脚であれば、相棒としては充分な能力持ってる筈です。
雲台は、将来含めた使いたい機材の一番重くてバランスの悪い組み合わせのセットを載せてお辞儀(縦横とも)させたとき、しっかり締めめば止まるのであればオッケー。
上記は基本的な目安ですが、それさえ満たしていればカメラを手で持ってそっとレリーズしてやれば、意外と厳しい条件でも使い物になると思います(腕の質量が、ミラーブレ吸収に貢献するので)。逆に言えばレリーズタッチの練習をしてもおっつかなくなったときに初めて、高い三脚・雲台に買い換える『必要』があるってことですよね。
実際に買い換える際は、トップヘビーになる組み合わせは避けることと、そして『持ち運べない機材は使わなくなる』という原則を覚えておけば、失敗は少ないかと(^-^)。
(2010年 6月30日追加)
何のことはない、朝日新聞のテレビコーナーのコラム記事のことである。山奥に住み込んで自給自足生活をしている人のドキュメント番組に関する記事が載っていた。
そこには、『携帯の電波は蜜蜂が減少している原因である可能性がある』とドキュメント対象が言おうとしたことに対して、『携帯は既に普及しているから、番組の総意として流すのは難しい』と制作側が反対した旨が書いてあった。
あさて、ここにこの記事を取り上げた理由をご理解して頂けるだろうか?この制作者が言っていることは、『既に車が沢山普及しているから、車が街を走ってると人を跳ねたり公害を起こすことがあると口にしてはいけない』と自主規制する様なことが書いてある訳である。
あなたならどうしますか?車が人を轢くのならば、人を轢かないで済むような方策を考えるのが筋でしょう。車が既に普及してしまっているのであれば、尚更です。排ガス公害は、車の排ガスが少しでも少なくなるように努力すればいい。
但しこれは、この問題を皆が『聞く機会が与えられている』からこそ『対策を考える』ことが可能になるのであって、『気が付いたメディア』に依って『秘匿されて』しまっては、対策を考える機会が失われてしまいます。携帯に付いて言うならば、病院内での使用が認められているポケベルやPHSの存在を考えればいいでしょう。
敢えて直接答えは書きませんでしたが、理解して頂けましたでしょうか?『問題』の存在を秘匿するのはマスコミとして一番避けるべき、恥ずべき行為ですし、特にこの思考パターン、即ち『ヤバいことには眼を瞑って黙っておこう。私が問題提起したら、騒ぎになるやん?』という『超』が頭に百個ほど付く責任回避思考、ましてや問題から眼を逸らす傾向は、現代の日本人の典型的行動パターンでもある訳です。
問題を秘匿する行為も、問題から眼を逸らす行為も、問題を避けるのも、危険な行為だと思うのですけれどもね。何しろ今の日本は、過去の資産を食い潰して、日が水面下に沈もうとしている状態なのですから。ちょっとサッカーの代表が望外の成果を上げた位で、その問題が明後日に消えて日本が『日の昇る国』に変わる訳ではありません。
ところで最近のネットの書き込みを見ていると、やたら『答え』だけ書いて欲しがる傾向が強くてなんかなーと思っていたのですが、要するに答えを直接書いてもらえないと理解できない程、自分の頭で考えようとする能力と能力が欠如した子供が増えてきているっていうことなんでしょうかね?
過程が書かれているから初めて『理解』出来るのに、示してもらった『結果』を丸暗記していることを『知っている』とか『理解している』ことと思い違いしている人が、多すぎるのが気になります。知識として『知る』ことが大切なのではなく、『知ったこと』を『理解する』ことこそが、大切なのですけれどもね。
知っていることは活かされることすら稀ですが、理解することはその次を生み出すことに繋がります。何故なら、その『次』を生み出すための思考の基盤となり得るからです。
例えば、最近プレート状の部材を連結してチェーンの代わりに繋ぐ自転車やバイクの鍵が出ているようですが、遊びの少ない板を連結すれば、それは一枚の梃子になります。その梃子はリベット状のパーツで連結されている訳ですから、梃子を使ってやればリベットを吹っ飛ばすことが簡単なのはたいして時間を掛けずに思い付くことが可能です。私の場合、三秒掛かりませんでした。
三秒掛からず欠陥が露顕する製品というのは、要するに『欠陥品』と考えてもたいした語弊はありませんよね(苦笑)。そこで私が考えたのは、『きっとその製品を考えた人は、欠陥に近い欠点を補う方法を考えたのだろう』ということです。
例えば、プレート状の部材がリベット状の部材をへし折るだけの剛性を持っていなければ、この鍵は梃子を実質的に失ったことになり、『欠陥』を失います。ブレートが曲がると収納性が高いというこの製品の美質が失われてしまいますが、『盗難に耐える』という役割を果たした後のことですから、まあそれは仕方のないことと言えないこともないでしょう。
で、そんな風に弱点を回避した製品が売られているのかと思っていたのですが‥‥。私の知っているのとは別のもっと高級品らしき製品でのお話ですが、私の三秒掛からず(正確には製品の構造を聞いた時点で判ったので、〇秒以下とも言えますが)判った欠陥をしっかり持っていることが、証明されている動画を見てしまいました。
へえ〜〜〜〜〜
因みに、リベット状の部品がやたら剛性が高いと、連結穴部分を破断させやすくなります。リベットの軸が延びると、その僅かな隙間とプレートの短い側との間を利用して、これまた梃子の原理が働きます。だからこのリベット状部品の軸は、こ製品に於いて一番丈夫で延びにくくなっている必要があります。
面白いのは、リベットの頭。ここは変形しやすい方がプレートのチェーン代わりとしての機能上、強靱性が高まります。但し軸が延びては行けない関係上、許されるのは、元は鍋ネジのヘッドみたいな形だったのが、皿ネジみたいな形に変形する方向で、の変形です。何でかというと、軸がプレートに対して梃子の支点として働かない樣にすると同時に、軸の穴の破断回避にも有利に働くからです。
多分この辺の感覚は、沢山物を作って使ってみた人じゃないと、判らないんじゃないでしょうかね?はっきり言えば、学校で脆性破壊とか剛性とか習ったり、製図やCADやったところで身に付かないと思います。でもこの文章を読んで、平たい板にネジ穴をあけた金具をネジとナットで繋いでグダグダ遊んでみれば、『知る』のではなく『理解』出来ちゃうかもしれません。
こんな風に『理解する』のは、『知る』ことの五倍から三十倍くらいは、面白い経験だと思いますよ?だって、人の『知らない』ことだって『判っちゃえる』ってことなんですから(^-^)。そしてここに書かれていることの誤りを何か発見してしまったら、そう、あなたの理解したことは、『ホンモノ』だっていうことです(^-^)v。
(2010年 6月28日追加)
有名な同人ゲームの『ひぐらしのなく頃に』の作者が、ゲームでは『常識だと異常なことが当たり前に通っていても気にするな。またどこにも説明されていないけれども、何故か読者はみんな知っていることになっていること(お約束)があるけれども、そういうのも気にするな。それがこの手のゲームというものだ』みたいなことを書いているのを、昔読んだ記憶があります。
ゲームの業界内ではそれで問題ない訳ですし、デジタルイメージ業界に於いても同じだと思っている人がいる様なんですが‥‥。現実にはデジカメの原理のかなりの部分について知らない人も居るし、勿論私よりよっぽど詳しく且つ深く理解している人も居る(当たり前です)。
別に私より詳しい人だけを前提に書くならば、私はそもそも『ネタ』くらいしか書き込む必要はない訳ですし。しかし逆に私より詳しくない人も居る訳で、そういう人の為には結局、『何故それが問題か?』が判るギリギリの解説は必要でしょう。じゃなきゃ私は初めから、そこに書き込む必要性すら感じることは無かったでしょう(笑)。
ゲーム業界は既に熟成していて、業界内のお約束に付いていけなかった人は新規参入しないだけだし(それって、将来的に業界が衰退するってことなんだけどね)、『何となく』付いていけた人がゲームを始め、続ければいい。ゲームを買う買わない、やるやらないは『個人的な経験』であり、個人的に決断をしてしまう権利が誰にでもその個人にあるのだから。
しかしデジカメ関係の掲示板っていうのは『公共の場』な訳で、『判らないから判りたい』人も居る訳です。そこに皆知ってるんだから基礎的な説明はいいジャンって人以外の『存在を認めない』ならば、逆にそんな人は出て行けばいいと思う。そんなこと言ってる奴が大抵一番基礎や話題になっている内容を理解していないっていうのは置いといて(苦笑)、多様な参加者の参加を認めない人が居るっていうのは、『空気読めない』とかいう以上に『場を壊す』行為ですもんね。
そういう意味では、マイナーなゲームで『古株』で『有名人』でひょっとしたら『ヒーロー』ですらあるのかもしれない連中が、『あいつ嫌いだから』という理由で誰かを追放しようとするような行動も、やっぱり『君達こそが要らない』っていう典型的な酷い行いだと思いますね。だって誰かが権力を握って他の誰かを追放するような権利を持っている集団では、他の人達だって安心して楽しめないやん?
(2010年 6月20日追加)
たまたま『オビツ60素体用お腹・腰&膝改造パーツの中間報告』ページなどを見返していたのだが、我ながら意外と頑張ってんなーと(大汗)。一応太股と下腿の退縮にも成功しているから、膝パーツの量産さえ何とかなっていれば、かなりいい線行っていたんではないかと‥‥。まあ、実際にネジで締め込んだ時の関節の固さとか色々と検証出来ていないことはあるので、膝の強度と動作テストは別途必要なんだけれどもね。
しかし、色合わせしてレジンで複製取ってくれる業者さんって無いもんですかねー。以前marsさんに業者さんを教えて貰ったのだが、肝心なときにその業者さんの名前を思い出せなくなってしまいまして‥‥(大汗)。ダイキ工業さんでは、『色が合わせられない』なんて言い出すし‥‥。いやはや。
何にしても、吊るしのままのオビツ60素体だとまだいろいろと限界があったりもするけれども、こうやって外皮を付け替えたり骨格をオビツ50のものと入れ換えたりすることによって、まだまだ可能性も限界も高いものにしていくことが出来るんだなと、最近とみに思ったり。
(2010年 5月26日追加)
先日私の応援している地元の写真屋さんから留守電が入っていて、何事かと覗きに行ったときに立ち話をしていて、銀塩フィルムの話になった。
正直この何年か資金不足でリバーサルでの撮影をしていないが、一番期待しているのはベルビア100Fである。プロビアは何か墨っぽいし、ベルビア100は何か違う気がする。粒状性でプロビア(今2で合ってたかな?)に多少負けたとしても、好みの色の濃さが期待できるベルビア100Fには、出た当時にテストもしたし、かなりの期待感がある。
ベルビア100を使う位だったら、限定発売で終わったが是非ともフォルティアを使ってみたかった。あそこまで行くと『笑える』と表現していい位のものを感じるが、同時に濃い癖に抜ける樣なクリアな発色にはとても惹かれるものを感じた。これが『濃い(恋)』って奴でしょうか?ってギャグをブチ噛ましたくもなるものである(笑)。はっきり言って、ベルビア50ですら、個人的には半端。
ただまあ、フォルティアは『常用』するのには向いていない。狙いがはっきりした写真向けのフィルムだった。勿論、だからこそ存在意義があるわけである。アグファのフィルムが、立ち位置は『常用』狙いである筈なのに、日本人なら誰もが『変』と言うのとは、存在の根本からして違う。まあだからこそ、定番にならずにそのままテスト販売で終了してしまった訳だが。ううーむ、勿体ない(同時に仕方ない)。
とまあ使いたかったフィルムは兎も角、では実際に常用していたフィルムで一番好きなフィルムは何か?そう考えると、昔は100D(初代RDP)だと思っていたのだが、良く考えてみると違う。50D(RFP)こそはしっかりとした濃度、綺麗な色、墨の無い描写で大好きだった。50Dは主にRTSにパノラマアダプターを入れたボディーで使っていたので、コンタックスのちょっとオレンジ寄りの発色との相性が良かったということもあるのだろう。でも、100Dを同じコンタックスで使っていても、そこまで『好き──!!』と思っていた訳でもない。
兎に角解像度が高いとか粒状性が良いとか言う以前に、色が好きだった。パノラマアダプターを使うと何故かプリントサイズが大きくなるのだが、勿論、それで粒状性が負けるなんてことも無い。RDP系は2以降墨乗りする設計に変わってしまってそこが不満だったのだが、初代RDPは暗部の発色が微妙に濁る面もあったのが、それが無いのもいい。多分同じ世代で同じ様式で設計しながら、たまたま50Dの方がバランスが良かったのだろう。
でまあ、銀塩フィルムというのは生産が終わる度に惜しまれたりする訳だけれども、個人的なオールタイムベストフィルムということで、出来れば生産が復活すればいいのになーとか、最後まで生産する銀塩フィルムがあるならば、それはプロビアではなくって50Dだといいのになーなんてことを、思ってしまう訳だ。
いやまあプロビア2は感度が50Dの倍ある上に、粒状性が改善したお蔭で初代プロビア(RDP2)とは比べ物にならない魅力的なフィルムだけれども、基本的に100D、50Dとは型番を引き継いでるのが不満に感じる位に別物なんだよね。正直使い込んでいないベルビア100Fを除けば、今存在するリバーサルフィルムの中で個人的にはベストオブベストだと思う。でも、万能フィルムかともてはやされたアスティアが万民に受け入れられた訳では無かったように、プロビア2も性能と無難さを優先され、プロのツールっぽいけど華やかさは欠いていた。
うーん何て言おう。50Dの良さって、深い青と言うよりも、豊かな濃い水色の空なんだよね。それはベルビアやフォルティアが描き出す世界とも違って、結局フィルムって一本一本、違う色の世界を持っているんだと思う。そして私は、50Dの描き出す色の世界が、好きだったなと。
ところでフィルムは兎も角どこのレンズが一番好きだろうということで、ふと考えてみた。そうすると意外や意外、そんなにたいして使った訳でもない、ブロニカのETR用のレンズが一番好きだったことに気が付いた。
RZ用のレンズは意外とパーフェクトだけど、ちょっと硬くて詰まんない描写をするかな。FDレンズなんて、色は綺麗だけど青被りし易く、もっと固い印象。どうしてニコン対キャノンFDで、世間ではキャノンの方が柔らかい描写をすることになっていたのか、未だに全く理解できない。
コンタックスは、FDに比べるとよっぽど魅力的だったけれども、正直少しオレンジ色が強くて、色としてそんなにいいとは思わない。ただ、FDみたいにコントラストが強すぎてハイライト側が抜けるとか、そういう感じが無いのはとても好き。というか、RDP系で露出をかなり切り詰めた緑の描写はかなり好きかもしんない。
ペンタックスはタクマー55F1.8と35F2(どっちもsmc)、それにA50F1.4以外はほとんど使ってないという特殊な使い方だけど、タクマー系の色の濃さには笑える。一方A50F1.4は何故か曇りや雨の日以外使った記憶がなくって、繊細に濡れた街角を描写する感じに結構惚れ込んでいたり。でも曇天でいい描写をするって言うことは、晴れた日はどうなんだろう──?
今更ながら、何か気になるな〜。フィルム、買う金ネーけど(T_T)〜。
EFレンズでは、最初に買った28−70F3.5−4.5II以外のレンズは大体気に入ってたりする。と言うより、28−70F2.8L以降の高級レンズか。
135F2.8ソフトレンズもそうだけど、古い安いレンズはどうも色が抜けて、詰まんない発色をする印象が。でも28−70F2.8は豊かな柔らかさをもった描写と、程々の濃さを持ちながら何故か彩度の高くない(苦笑)、レンズとしてレトロなのではなく空気としてレトロなイメージの色調を出すような気がする。まあ多分、FD時代と比べて茶色っぽいんでしょうね。一方EFの古いレンズは、多分コーティングがヘボいんだろうって思える、それこそ古臭いレンズの様なトーンがあったような気がする。世間で安くて性能がいいと評判の50F1.8なんて、設計年代の通り文字通り古臭い描写だし。
じゃあお気に入りだというETR用のレンズはどうなんだと言えば、ペンタックスのA50F1.4と同じく、日陰用のレンズなんじゃないかという気がする。少なくとも日陰で撮る分には、柔らかくてとても魅力的な描写をするレンズだ。個人的にカリカリ系とかコントラストの強い描写のレンズは好きじゃ無いのだが、良く考えで張ると日陰で映えるレンズって日向ではカンカンに写るんだよな(大汗)。
まあ日向でも日陰でも良く写るレンズといえば、結局コンタックスということになってしまうんだろうか──?なんか詰まんない結論だなー(苦笑)。でも、最近のEFレンズは、結構いい。って、手持ちで気に入ってるのは件の28−70F2.8とEF50F1.4と80−200F2.8Lか。って、今となってはもう既に全部古いやん(笑)。
まあ何のかんの言っても、結局気に入るかどうかなんてものは、実際に使ってみてからの話にはなっちゃうのかな?でも最近では、ネットで絞りとレンズの種類情報付きの写真がゴロゴロしているので、昔よりは使用前にレンズの印象を掴みやすくなっているのは有り難いですな〜。シグマの15−30F3.5−4.5なんて、事前に見せて頂いた写真の印象、そのまんまのレンズでした。
縮小した写真だけ見ても仕方ないですが、フルサイズのデータを見られるっていうのは、要はそう言うことですよね!!最新のシグマのレンズは、解像度は勿論ボケ味も結構良さそうなんですが、唯一色の豊かさはどうなんだろうって、ちょびっと不安に思っていたりします。シグマの団子三兄弟の長男、20F1.8マクロなんかはネットで見た写真とかからすると、恐いくらい色が豊かそうなんですが‥‥。
末弟の28F1.8マクロを使っていますが、優等生ではあるものの、色の豊かさという点では落第ではないものの、及第点レベルかな?それ以外の面では、申し分無いのですが‥‥。
(2010年 4月21日追加)
デジカメウォッチの、富士のファインピクスHS10の記事を読みました。5軸補正はペンタックスがいつかやると信じていたんですが、実際に実現したのはフジだったのねん。いずれにせよ、135サイズ720ミリ相当で1/45で全カット手振れ補正OKとか言われると、その効果に感動ですな〜(T_T)o。
ただじゃあ現物の画はと見てみると、幾らなんでも画質酷過ぎ(T_T)〜。実際の解像度とか込みで考えると、三百万画素の方が綺麗で御利益があるんじゃないの?という感じで‥‥。
最低感度で白いもの撮っても、三ピクセル程もあるノイズで輪郭線が太ってるって、そりゃー題目分の手振れ補正効果が得られもするよね。何せそれって、目標許容錯乱円サイズが三倍になるってことですから。
つか、ボディーの気合の入りっ振りとか大きさを見ていると、APS−Cクラスの撮像素子か、せめてフォーサーズでやれよと言いたくもなりますわな。マイクロフォーサーズでもいいから、兎に角ハニカムにしてダブルダイヤルで同じスタッフで作らせたら、かなり良いものを作ってくれそうな予感がするんですが。だって結局全てを台無しにしているのは、撮像素子の選択でしょう?
知り合いの新しいイクシリムで少し撮る機会があって、そのレスポンスに驚いた。
これは、まごうことなくメーカーの技術者は自分達の今までに積み上げてきた技術を誇っていいと思う。
でも、画を見た瞬間に『駄目だこりゃ』とも思ってしまう。
名目上の高感度を得ても、手に入る画質が絶対的に酷すぎる。
どうせ1/2.3インチ系でなくてはならないと言うんだったら、500万画素以下の撮像素子載っけて『綺麗!速い!氣持ちイイ!!』『充分画質は美しい』なんてなコマーシャル路線でいって欲しいもんですな。
個人的には画素数としては600万画素欲しいけれども、300万画素時代はローパスの切れはイマイチだったけれども画質は無茶苦茶気になることは無かった。
500万画素時代はどっちも気になったけれども、『そろそろ破綻するな』という感じで限界ギリギリのラインには乗ってたかなと。
そういう意味では、配線ルールが細かくなって最新技術だと700万画素でもそれなりに昔より見れる画が得られそうな気もするけれども、『絶対的に綺麗な画』で既存機種と差別化図りたかったら、300〜500万画素位まで落とした方が商品としての価値を持ち得ると思うな。
所詮その方が、Lサイズは愚か4つ切りまで伸ばしてもそっちの方が綺麗そうだもん。
1000万画素と言わず、1200万画素を3の自乗で割っても130万画素にしかならないんだよ(ちょっとビックリした)?
2の自乗で割ってすら、やっとこさ300万画素。
にも関わらず、その画はブツブツだらけなんだもんね。
300万画素とどっちがいいかなんて、一目瞭然じゃない。
だって300万画素機では当時の機種ですら、ここまでノイズ、気にならないもん。
(2010年 4月20日追加)
先日友人に『飯奢ったるから、飲み屋の写真撮れ』と言われて、コンデジでいいのか判らなかったので30Dを軽量化する為に必死こいて頑張った。まあ縦位置グリップを外して、普段使いのシグマの15−30をキャノンの18−55ISと交換しただけのお話なんだけれども。いやね、電車賃を浮かす為に結構歩く予定だったのだけれども、普段の構成の30Dをリュックに入れると、背中にゴツゴツ当たってまともに歩けないのよね。
まあ当日までに連絡が付くか怪しかったので30Dの準備を大慌てでやった訳だけど、結局『コンデジでオッケーよ』と言われたものの30Dは持って行った。んで、半端に時間がある物だから、日本橋を歩くのは諦めたものの、天王寺のソフマップへ。そしたら、前から探していたkissデジNが13800円で売っていましたよ。
これがどのくらいのインパクトかと言うと、標準レンズ付きで少し前まで24800円位かなー、その当時でレンズ無しで19800円くらいかなー。何々、相場下がるの?レンズ無で17800円位?悩む値段だよね。次見掛けたら17800円より安かったら悩むよね、とか思っていたら、13800円である。
ええ、そこまで下がったら財布が厳しくても買ってしまうかもって思ってたら、半年後と思ってた値段がいきなり眼の前に。所謂馬の前に人参状態ですね。しかも前日リュックに入れたくない大きさのカメラに悩まされた直後だっただけに、清水の舞台から飛び下りてしまいましたよ。そんな端金で何言ってんねんて言う方は、人それぞれの懐事情って奴をご理解頂きたい(ナムナム)。
まあこの価格帯で相場より四千円も安い訳ですから、勿論それなりの理由はあります。ファインダーに埃とか、背面液晶に埃とか、そんなの可愛く見えるくらいの状態で、グリップのゴムは剥げまくり、レンズマウントのエプロン部は白いこすれだらけ(これは店に来てから製品を触った、お客さんの爪の跡だったかもしんない)。ピカピカの中古だと如何にも『使わなかったんだろうなー』って感じですが、ここまで使い込んでるとなると扱いの荒さは兎も角(いいのかそっちは?)、レリーズ回数が気になるところ。まあ私は極端にショット数の多い方ではありませんから、今動いてるなら多少は何とか‥‥ということにしておきました(苦笑)。
ところでkissX4を触っていると、連写中に露出補正を受け付けていない時間があってビックリしたんですが(X3でも確認)、kissNはそんなことは無い様でした。それは良いんですが、露出補正ボタンと連写モード切り替えボタンを押し間違え易過ぎ。連写モードなんて意識的に押すときしか要らないんだから、バリア付けとくべきでしょう。っちゅー訳で、速攻でそうしましたが(苦笑)。
十字キーに依るダイレクトAFポイント選択は、MF時にまで作動するのはいい加減にして欲しいですね‥‥。昔はAFポイントと評価測光の連動はAF撮影時しか無かった筈だと思うんですが、今はMF時も連動するようになったんだろうか?しないなら『何考えてやがるんだこの馬鹿野郎!?』ですし、連動するならするで便利に感じる人も居るでしょうけれども、私はちょっち不便。
プロ機ですらそんな機能はオンオフ出来るべきですし、弩の付く素人向けの機種でそんな機能、寧ろ有害である局面の方が多いです。kissデジ級でMF時のAFポイント連動露出なんて、付けてたらそのセンスを疑う‥‥。
正直AFを使うときは是非ともダイレクトAFポイント選択は欲しいんですが、ISO感度を変える時の不便さに、一旦諦めました。これはまた戻すかもしんない。一応背面液晶の消えている状態では、ダイレクトAFポイント選択が生きていても十字キーでISO感度設定が生きてるんですが、いちいち『二秒待て!』というのはかったる過ぎ。そもそも、タイミングで動作が違うなんて操作ミスの元だし。
この辺の、『考えれば判るだろう?』式の粗が現行機でどの程度直っているのか、興味津々なんですけれどもね。まあだから、こんな古くさい機種のインプレッションみたいなことを、糞真面目に書いていたりもする訳で。もっとも、露出補正を受け付けないなんていうバグを新たに作り込むメーカーのやることですから、あんまり信用していないですけど
ファインダーは、意外とピントを合わせやすいですよね。モアレが出るのでそういう局面では使い難いですが、それは(情けないことに)30Dでも一緒。それより、ちゃちいマイクロプリズム系のスクリーンのお蔭でピントの逃げが早いことによる利点が大きいと思います。どうせ中堅機もフレネルレンズ入れてモアレ出るんだったら、被写界深度が正確に読める程拘って作ってないならこれでいいんじゃね?とか開き直ってみたくもなる。パターン系のスクリーンってランダム系よりピッチが細かいらしく、他のアドバンテージを発揮してくれないならこの利点だけでも結構大きい。
kissデジNで一番気になっていたのはシャッターを半押ししないと露出補正値がファインダーに出ないことなんですが、受け付けない時間が無いとかはない分、kissX4なんかよりは使い易いですね。先に補正値合わせてから、半押ししたときに後から表示を確認してチェックしたり。んで、全然違う数字にビビったりして──(の_の)v-〜。とは言え、やっぱりこれは改善して欲しいです。特に受け付けないタイミングのあるX4なんかは、切実な筈。
ところでEF18−55ISって絞ると程々シャープで良いレンズらしいんだけど、暗いからって開放で撮るとどうしようもないヘボレンズでして、ピント来てないんじゃないのって位甘いです。となると、F6.3以上F7.1位で使おうとすると、露出の加減で直ぐに手振れ限界が来る。露出補正と同時に、絞りも弄くらないといけなくなる訳です。
kissデジは有り難いことに露出補正ボタンを押しっ放しでもきちんとレリーズ出来るので、露出補正だけやっている分にはまあそんなに使い勝手は気にならないです(勿論、ダブルダイヤルよりは遥かに劣ります)。しかし、絞りの補正も絡むと、これはもう幾らなんでも‥‥状態になる訳で。
って訳でキャノンさん、いい加減『軽量機(エントリーである必要はない)』にも、ダブルダイヤル出しちゃどうっすかね?一ダイヤル機でしょぼい違いで二機種出すよりも、もうちょい利幅の大きい機種で数出した方がお得だと思うのですが。ニコンの最多販売機が、一ダイヤル機じゃなくって二ダイヤル機の安い方であるっていうのも、kissデジ系を初めて本格的に使ってみて、よーく理解出来ました。
キャノンとしては7Dを出した関係で、二桁D系が半端になってしまったのは判ります。となると、二桁Dで連写速度上げるのは止めにして、秒五コマ程度にして小型軽量化に尽力し、kissデジ並の数を売る方向にシフトしてはどうでしょうかね?外皮もプラスチック系にした方が、軽くて安くていいと思います。寒中撮影の関係で、喜ばれますよ(指の張りつきとかが、無くなる)?剛性を確保すると値段も重量も変わらないって言うんならば、まあ別にマグネシュウムのままでも構いませんが。
あ、画素数は出来れば一千万画素以下で。出ても欲しくない低画質機なんて、発売されても私にはメリットがありません(苦笑)。kissデジNが安くなるのを待っていたのは、画質上一番魅力的だからです。千万画素以上は、正直フルサイズでいいや。
(2010年 4月12日追加)
パナソニックの言うところの『超解像』とかいう技術の載っかった初代のカメラ、FX66の撮影画像を見た。見た瞬間、パナソニックの本社と工場を爆破したくなるくらいの、激しい怒りと嫌悪を感じた。だって言っている内容と、全く真逆のことが平気で行われているんだもん。
なる程、確かに平坦部の塗り潰しは約束通り行われていると言えよう(元のデータが酷すぎて、青空を黄色い斑が満たしてるけど)。でもなにあのエッジ部の扱い?LX3もそうとう酷いなーと思っていたけれども、あれの倍くらいの太さで(本当は同じ位なのかもね?LX側に取って悪い意味で)、クレヨンで引いたみたいな白い線が‥‥。エッジの乱れ具合が、これまたクレヨンそっくり。これじゃあ、携帯以下だよ。
おいおい、シャープネスのエッジラインを細く繊細にして、解像度を上げられる技術じゃなかったのかい?少なくともメーカーの作った資料を使った技術説明のヨイショページでは、そういうチューニングの写真が参考に上げられていた。でもこれじゃー、携帯の内蔵カメラ並の酷い、ノイズにリンギングラインだよ。
はっきり言う、FX66の『超解像』モードの写真は、画質という面でコンパクトデジカメの存在意義を完璧にスポイルしている。カメラ機能付きの携帯持っていたら、画質目的では買う必要無し!!
とここで終わっていたら、内容が余りに過激過ぎて多少表現を丸くしようっかー?と悩むところ(苦笑)。あいや、デジカメジンのスレッドにはたいして代わり映えしない論調で書き込んだけどね。
ところが!ところが、ここからがもっと重要な発見だった。キャノンの多分同じ撮像素子を載っけた(少なくともクラスは同じ)IXY400Fの画像とFX66の『通常』モードの画を比べてみてみよう。IXYの方の画質は残念ながら、超解像モードの方と比べたくなる位のノイズ塗れの相当酷い代物だ。はっきり言えば、こんなカメラ要らない。唯一の美点は、FX66の超解像と比べるとリンギングラインがそんなに気にならないとこくらい。
ところがFX66のノーマルモードは、青空の描写で撮像素子由来のノイズに負けているのは止むを得ないところなのだが、それ以外のところが綺麗!まあ人並み(?)には解像もしているみたいだし。少なくとも、IXY400Fの側にアドバンテージを認める部分は、レンズも描写も解像度もノイズも、一つも認められない。ノイズが酷すぎて、直線がよれよれになっちゃう位酷いっていうのもあるし(キャノン以外も含めて五百万画素以下の時代のコンデジでは、こんな現象見た記憶ない)。
なる程。判りた(>_<)


!!!!超解像モードでパナソニックが本当にやりたかったのは、このノーマルモードだったのだ(○
。○)(多分)!!今までは通常のモードで『客受け』の良い画作りを要求されていたのを、超解像モードを『ダシ』にして、『本当に良い画作り』をこのノーマルモードでこっそりと『やっちゃった』のではないだろうか?そう考えると、この『あと五年早くやれよ』と言いたくなる通常モードの画作りも、物凄く納得が行く。超解像モードが、極端な糞である、理由も‥‥

ただ、超解像モードの平坦部への塗り潰しはやっぱり、ノーマルモードの変形として欲しい。メーカーでは『お客さんが選択出来ること』として超解像をオンオフ出来ることをやたら熱心にアピールしていたのだから、ノーマルモードでの平坦面への塗り潰しのスイッチだけは、是非とも追加して欲しいものだ(そう言えばやたら『外せる』ことを強調していたのは、こういう結果になることを既に知っていたからなんだろうか?)。
あと、FX66を見ていてノーマルモードに於いてすら一つだけ勿体ないことが。それは1/2.3インチ系のこの撮像素子が、どこまでシャープネスを落とそうがノイズをどうしようもない、糞CCDだということ。あれだけ物凄いノイズリダクションが入っているのが透けて見える超解像モードですら、青空が黄色い斑で覆い尽くされている。数ドット以上の規模のノイズリダクションを持ってしても、露骨に黄色い斑がガンガン載っているのである。これは頂けない。あれを見ていると、平坦部ではカラーノイズリダクションも熱心にやればいいのになと、思わず呟いてしまいたくなる(まあ超解像の判定にCPUパワーを割いていて、そこまで余裕が無いのかもしれないが)。
このFX66のノーマルモードの画作りは、正直1/2.3インチ系だと七百万画素以下の撮像素子にこそ載せるべき物なんじゃないかと思う。本当にいい画質の画が欲しかったら、三百万画素以下にまで、戻すべきなんだけどね。
実は超解像モードって、本来このノーマルモードみたいな画作りに援用すべき考え方なんだけれどもね。出てくるのが遅すぎた&ノーマルモードとセッティング逆じゃね?っていうのが、FX66の画を見ていて感じるところです。
同時に、メーカーに集まるユーザーからのレスポンスがどういうものであるのか、要するに日本市場のお客さんがどんな眼をしているのか、とても勉強になった気がする。結局この画作りって、L版にしたときにギンギンに輪郭補強が見える樣にっていう設定なんですよね。
だったら同じ1/2.3インチ系だとしても三百万画素位にしておけば、青空のノイズなんてほとんど出ないし、写真屋さんのプリンタに丸め入れられて変なディティールになったりする心配も少ない。FX66の画像なんてどこまで縮小掛けても、青空の黄色い斑は消えませんよ(証明写真サイズまで落とさないと無理でない?)。まあ解像度が同じ位あると嬉しいとしたって、こりゃー五百万画素位の実力ですよ、超解像モードでは。
正直ノーマルモードで使わないんだったら、一千万画素以下の今手持ちで使ってるカメラを大切にして上げてくださいって言うのが、正直な感想ですね。今使ってるのが1/2.3インチ系の千二百万画素クラスで、FX66はノーマルモード使いますって言うマニアさんだったら、お勧めしてもいいかなと思いますけど。でも青空のノイズがあるから、なー。
あれだけ酷いノイズで、よくもまあディティールの無いところと識別が可能なもんだな──(-_-
)。
因みに、画を基準にして今買うだけの価値があるカメラって、DPシリーズを別にすればキャノンのS90とG11とリコーのGR3位しか思い浮かばなかったりして(LX11は色は好きだけれども、やっぱりあの、太っとい消せないリンギングがね)。GR3は汎用性の低さを考えると欲しい人は自分の基準で選ぶだろうとして、G11よりもS90の方が何かレスポンシブだし、インターフェイスも使いやすいと思う。スペック上は、G11の方が連写速度とか高い筈なんだけどねー?
なんにせよ、本来なら使い勝手で圧倒的なアドバンテージが無ければならない筈のGシリーズの開発スタッフの皆さんには、次はもっと奮起して頂きたいものだ。確かにG11のあのカメラっぽいゴツゴツとしたディテールがコンパクトに纏まっているところには魅力を感じるけれども、一番重要な基本性能である撮り易さで負けるのは、如何なものかと。スタイリッシュさを狙ったS90にその点で負けるのは構わないと思うんだけれども、そこに使い勝手を持ち込んだS90スタッフの優秀さは素晴らしいと思う(格好の為には基本を捨て去るIXYスタッフには、爪の垢でも分けて貰って煎じて飲んで欲しいものだが)。
ってな訳で、私はS90が欲しくて堪らない。勿論QV−R61には手振れ補正が無いとか、まともなレンズが付いてきた試しがないだとか、ISO64以外は糞だとか色々と限界はあった。S90はその全てを改善してくれそうな予感がある。しかし、それにも関わらず買い換える必要を感じるだけの使い勝手と画質を持ったカメラは今まで出なかったのである。使い勝手を度外視しても、魅力的な機種があったのは七百万画素の時代まで。
S90は六百万画素機からやっとこさ買い換えるだけの価値のある画が得られて、しかもレスポンスは程々で使い勝手もいい。このまま画素数ばかり水増ししてゴミの様なカメラしか市場からなくなるかと思っていたので、とても有り難い製品だと思う。
(2010年 4月12日追加)
某板の某スレッドの主。
なんにもやってないのにいきなりアク禁要請出したり、
匿名でコソコソと何時もの個人攻撃荒らしソックリのこと書き込んでたり、
『ひょっとしてあの人?』と思っていたけど、
やっぱりそうでないと考えるのは難しいな。
一頃は、実は誠実な人なのかなーと期待もしていたのだが、
最後の最後で裏切られたか(結構、予想の範疇内ではあったけど)。
あの文章を外さないっていうことは、そういうことだよっていう、
最後の試金石だったんだけどな。
だいたい『携帯から書き込んでるので、
毎回アドレス変わります』なんて言いながら、
その携帯で書き込んだ前後に、
別のアドレスで間に挟むように書き込んでるし
(違うアドレスからスレ主として書き込んでました)。
スレッドの住人は、自作自演の存在に気が付いていないんだろうか?
初め成り済ましかと思ったけど、成り済ましに対するコメントとか無かったし、
お得意のアク禁要請とかも出してないし。
余所の掲示板は見に行っていませんと言いながら、書き込んでるよねー。
『お休み』って書いてから、匿名で書き込んで無かった?
なんてことを思われるのは、
複数の書き込み手段を持ちながら、
一つしか無い振りをしているからな訳で。
まあ結局のところそのスレ主が、
彼の人と同一人物であろうと別人であろうと、
火の粉を自力で払うのは難しいやねと。
そのことだけは相変わらずで思い知らされますなー。
そうそう、『香織淳士は嘘や間違いばっかり書いている』って言って、
大嘘の説明を『これが真実だ!!』って、
粘着して書き込んでくるエグいのが居るけど、
嘘が嘘だと判らない位の門外漢とか、
彼の嘘つき呼ばわりしか見てない人から見たら、
彼が本当のことを言っているように見えるんだろうね。
それって、EOSデジタル板で散々やって来た手口やん。
不思議なことに、匿名で口汚く罵ってる彼の言葉は信じられて、
私が丁寧に嘘を解きほぐしても誰も目を向けないっていうのは、
苦しいことですよ。
独りの人間が何人もの振りをして声高に叫んでいれば、
嘘でもそっちが本当になる。
その恐さを自分の体験として経験しないと、
98パーセントの日本人は理解しようともしないし同情もしない。
日本で荒らしがのさばっている、結局それが原因なんですよね。
『正義はお上に要求するものであって、私がするものではない』。
アハハハハハ。
とまあ、ご挨拶が推敲の終わってない文章の重みで更新出来ないのでこんなとこに書いてますが、それだけだとなんなので写真など。
折角なので、kissデジNの運用試験で撮った写真の続きをば。
取り敢えず連写モード設定ボタンに囲い付けたので、
押し間違えは無くなったものの、
基本的に露出補正ボタンがちびっと遠いな〜。
あと、お金も無いし付けたら意味無くなるけど、
立て位置グリップが欲しくなるわな。
まあ30Dと比べたら、
それでも鞄の中から背中を攻撃しては来ないんだろうけど。
追記)
一般人の振りして例の人ソックリの書き込みをやったことを持ち出して、
ふざけた画像張って茶化したりとか、上の話題の人やってくれる。
みんな『香織淳士は要んね〜』とかいう、
フィルター掛けて見てるから気にしてないけど、
自分が同じ扱い受けたらどう思うだろうとか思わないんだろうな。
でなきゃ、こんなのと仲良くしようという発想すら虫酸が走ると思うんだが。
これが『優しい日本人』の実態と──。
排除のゲームはだーい好き(*^-^*)!!
(2010年 4月10日追加)
『人間らしい弱さが無いので同情する気にもなれん
』とかいうことを書かれると思うんだが、そんなことが自分のやっていることの『口実』とか『免罪』になるとでも思っているのだろうか?『奴は強そうだ。だから気に食わん。だから奴に石をぶつけても罪にならないし、嘘八百を並べて中傷しても構わない。俺は弱い奴だが英雄だ!!』とでも言いたい訳?
一度自分の家族と知り合いに、『誰に』の部分を伏せて自分が何年もやって来たことを『それってどう思う?』と聞いてみて頂きたい。多分君の友人は普段君の言動に染められているから、『あいつ相手だったら当然の報いだ』とか同意してくれるかもしれませんが(同調圧力って言葉知ってます?)、不特定の誰かに対しての話と聞けば、『それ、ストーカーやろう?しかもネットで何年も誹謗中傷繰り返してきたとしたら、それは犯罪だよ?』と言うはず。
そもそも『人間らしい弱さが無い』って何?別にあなたの相手をしていなくったって、こっちだって『死んだ方がましちゃうか?っつーか死にさらせ』と自分に言いたくなるときもあるし、あなたの相手をしていると死にたくもなる。ただ、ネットでそういうことを書くとその内容そのものを『問題だ』とか言って叩きたがる人は出てくる訳で、要するに、ネットに発言の自由なんていうものは、意外と無かったりする訳よ。
そもそも、あなたのやって来たことこそは『攻撃的』な行動な訳で、あなたの行動の攻撃性は私なんかよりもっと凄い上だと思うよ。だって私はあなたになんにもしていなくても毎日のように嫌がらせを繰り返しているけれども、私は基本的にあなたの行為が酷くなったときに制止するのを目的にあなたの『今やっていること』を指摘する位だ。
あなたが私の悪口を書く以外のことをやっているところをこの度たまたま発見した訳だけれど。固定IPの環境で書き込みながら可変アドレスの書き込み環境を利用して自演したり、『ホーム』でもそんなことを繰り返していたんだなーと。ちょっとあきれ返りました。きっとあなたが私を憎む程に妬んでいる樣に見える一番の原因は、私が『私である』ということを示した上で、ややこしい話になるのを覚悟で『言うべきことを言う』樣にしているっていう部分なのでしょうね。
でも考えてもみて下さい。あなたも人の悪口書いて足引っ張ろうなんてさえしなければ、別にあなたの名前で何をやろうと問題は無い訳です。それをわざわざ可変IPを使って身を隠しながらお痛をして回るからコソコソしなくてはならない訳です。
多分自分のお人形趣味が『恥ずかしいもの』という意識があるから、あなたはあなたとして振る舞うことが出来ない。自分が人形絡みのことをやっていることを、周りの人に知られたくない。でも考えてみて頂きたい。今どき車に入れ込んでいても『何時代後れなことやってんのん?』、ゲームに入れ込んでも『ゲームなんか』、酒煙草なら『体に悪いで』、テニスなら『何格好つけてんねんな』。何をやっていたって、馬鹿にしたような突っ込みを受けることはあります。
じゃあ、勇気をもってあなたの持っているお人形さんを誰かに見せてみましょう。オドオドせずに、堂々と見せるのがコツですが(笑)。
エクセレンを見せれば大抵の人は言うでしょう、『綺麗なお人形さんやね』。コロンを見せれば『可愛いー』!!しかもあなたの予想に反して、意外と半分以上の人が(少なくともお人形さんそのものに対しては)そういう反応を見せると思います。ええ、道明寺天満宮で写真を撮っていて実際にそういう反応の比率の方が高くて、私がビックリする位です(苦笑)。
結局あなたが私を羨ましく思う一番の原因は、あなたがあなたの愛しているものに対して周りから変に見られるのを恐れ過ぎているからだけです。そんな理由で何年も絡まれ、誹謗中傷を浴びる方としてはとんだ大迷惑ですが、あなたは人から否定されるのを恐れ過ぎ。そんなに、百人の人が居たら百人の人全員から、肯定されなければならないものですか?あなたが多分羨むであろう弩ハンサムなイケメンだって、百人全員から愛されたり受け入れられたりするものではありません。
『完璧で無いなら生きている資格がない』んだったら、私なんて生きている資格はありませんね。あなたでなくっても私のことを嫌いな人は五万と居ますし、やりたいことで飯を食う能力も才能も無い、足は短いし髪の毛はどうしても撥ねるし、モテた試しもない。多分どう見ても、『俺は蛆虫だ』なんて悩んでらっしゃる大抵の方に対して三倍くらい生きる資格は無いと思います。ええ、実際生きているのが嫌な位ですよ(苦笑)。
『嫌われ者が堂々と生きている』樣に見えるからヴザいと思うんでしょうが、安心してください、私に居場所なんてほとんど無いですから。きっとあなたはその私からほんの最後の居場所を奪うことに依って自分は満たされると思ってらっしゃるんでしょうが、正真正銘の犯罪者にでもなりたいんで無かったら、もう少し妥協することを覚えてください。あなたみたいなタイプは、本当に相手を死なせてしまったら、『犯罪者である自分』に耐えられなくなるでしょうから。
(2010年 4月 4日追加)
>昔の「ファジー」とかのキーワードとかと同じような臭いがしますねー
書いてある内容を読んでみると、実は『超・解像』でも何でもなく、ファジー技術『そのまんま』。
『超解像』と言われると輪郭分析して2〜4倍に拡大したときにディティールを補間してエッジを与え直してくれるのかと想像してしまうが、現実には『必要ないところにエッジを掛けないことによって、逆に必要なところにより強いエッジを与える技術』でしかない(『ファジー適切シャープネス』辺りが妥当な表現かと)。
そのエッジを掛けるところと掛けないところに遷移領域を与えて『曖昧に上手いこと繋ぐ』という発想がそもそもファジー技術の発想(別に既にある技術を採用し続けるのは悪いことでも何でもない)。
ただまあ、『名前は』誇大広告だけれども、内容が伴っていない訳で無いだけましかと。
実はこれは『解像度を増やす』方向の技術ではなくって、『非ディティール部を綺麗にする』方向の技術と考えて差し支えないかと。
今までシャープネスの設定の高いカメラは軒並み空がブーツブツ(一眼レフデジカメでも同様)だったのが、シャープネスを高い眼に設定しても空が滑らかに綺麗になる訳です(平滑化までやるのかと思ったら、そこまではしないらしい)。
もう一つメーカーの方向性として変わったのは、サンプル写真やインタビュー内容を読んでいると、エッジ強調の方向性もペンタックスのファインシャープネスに近いチューニングに変えてきたらしいこと。
元々シャープネスを上げるとやたら輪郭線が太くなっていたのは、シャープネスの直径の設定を細くすると平坦部のノイズを拾いやすくなるからで、平坦部を切り分けたお蔭で、結果としてシャープネスの直径を小さくすることが出来た訳です(好意的に考えるなら、この結果として実『解像度』が上がることを『超解像』と呼んでいるんだろうか‥‥?)。
出来ればこのチューニングをLX3に採用して欲しかったというか、LX4に撮像素子継続で突っ込んでくれば、唯一と言っていい画質上の欠点が改善して大歓迎ですな、個人的に(あの酷いリンギングラインが、どうにも好きになれなかったので)。
但し、シャープネス最弱にしても白い線が残るようなチューニングではなく、調整の幅を広げてシャープネス0も実現して欲しい(これが出来てるならLX4は必要無いけど、出来ないならLX4も要らん)。
各機能のユーザーによるオンオフに対してここまで高い見識を見せておきながら、画作りの幅に関してここまでユーザーの判断力を軽視しているのは、『自分でやっといて文句を付ける頓珍漢なユーザー』を恐れて、客層を狭め過ぎていると思う。
少なくともLX3なんかは、そういうユーザー層を視野に置いた製品でも無いだろうに‥‥。
まあ何にしろ、今まで写真の仕上げとして行ってきた画質調整を、カメラ側が予めやってくれるという意味では正に、1さんの仰る通りなんではないかと思います。
それは、きっと素敵なことだよ──。
不要であれば、機能をオフにだって出来るんだし(^-^)。
(2010年 3月24日追加)
東京都の『非実在青少年』がどうとかいう気狂いみたいな条例。
元々『発禁』と聞いていたのに、
朝日新聞の記事では『18禁扱い』と書いてあって、
『あれ、どっちが本当なの?』と思っていたら。
エロ漫画禁止条例と戦っていた方から聞いた話だと、
新聞の記事の方が間違っているらしいです。
これってひょっとすると、
メディアを通して偽情報を流して外野を安心させている間に、
無茶苦茶な内容の法案を無理やり通そうという病的な禁じ手だろうか?
実際『発禁』ではなくって『18禁』と聞けば、
割合『妥当』っぽい内容に見えてしまうので、
本当にそうだとするとかなり『恐ろしい』ことだと思う。
だって成立時に於いて『嘘』で非常識な内容を通すような連中である、
一旦法律が通ってしまえばどんな酷い拡大解釈が暴走するか、
判ったもんじゃないというより見え見えである。
元々エロ漫画禁止条例とかその手の法律っていうのは、
拡大解釈して業者を締め上げて、
警察・官僚OBが甘い汁を吸うためにあるのだから。
と言う訳で、『発禁』なのか『18禁』なのか、
本当のところはどうなのかきっちりと注視していく必要があると思う。
ってーか『18禁』ということであれば、
初めから猥褻シーンは18禁なんだから、
こんな条例は話の俎上にも載らない筈なんだけどなー?
一番不条理なのはこの条例が通ると、
『子供に猥褻行為をするのは犯罪だよ?』って問題提起する作品を書くのが、
難しくなってしまうことではないだろうか。
家庭で性教育的話題を禁じているような(異様な)抑圧的家庭では、
子供達は寧ろこの様な必要な情報から遠ざけられてしまうだろう。
結局この都条例って性的変質者が犯罪を犯しても、
子供達が気付き難い状況を作る為に作られてるんじゃないだろうか?
そういう意味でも、この条例の成立には、とてもとても、とっても反対である。
性行為っていうのはもっとオープンに情報を開示しないと、
抑圧的で歪んだ状況を生むんじゃないかなー?
エロ漫画規制派の方が性教育に対して抑圧的であるということに、
とても脅威を感じる。
はっきり言えば、青少年にエイズが蔓延しているとすれば、
元凶はこいつらだろう。
それは『青少年の健全な育成』から、とてもかけ離れた状況だと思う。
だって『兎に角結婚して子供作るまでは、コンドーム使え』の一言すら、
子供達が聞く機会を奪っているのだから。
実態を無視してその様な状況を作り出しているのが、
一部狂信的宗教者とか天下り先作りに熱心な警察官僚OBであるというのであれば、
その様な人達こそ規制を受けるべきだろう。
先ずは子供達の性病とエイズ罹患率の実態が知りたいものだ。
(2010年 3月18日追加)
ううーむ、動画が無いのは気にならないけれども、手振れ補正がないのはちょびっと残念。
まあしかしその辺も覚悟はしていたとして(フィールドカメラとしては欲しいけど、『中判は三脚使うから』って言い切っちゃう人も多いし)、ローパスフィルター無しは不安っちゃー不安な感じですね。
ZDと違って、後から装着も出来ないし。
しかも、自前の現像ソフトではモアレ回避機能はパスして、サードパーティー製ソフトにお任せしますって‥‥。
まあ結局、価格競争力を重視した結果として見切っちゃったってことなんでしょうね。
このカメラの量産でコストが下がった時分に、ローパスフィルターへのニーズを反映して、値下げを取るかローパスフィルター搭載かを選ぶ算段なんではないかなと(多分二年後位?)。
ZDの画を見ている分にはローパスフィルター有りの画の方がいいと個人的に思いましたが(但し発売前後の時期での判断)、ライカの評判が解像度の高さという面で悪くないことを考えると、意外とこのままでいいという意見が主導的になる可能性もありますね。
その辺は、周辺のモアレ除去ソフトの性能次第かなと。
まあなかなか買える値段では無いとは言え、135サイズ一眼レフデジカメの高画素機と同程度の値段でこのカメラが買えるというのはやっぱりバーゲンプライスな訳で、そして革命的なことには間違いないんではないかなと思います。
D1ショック再びってことになるんではないでしょうかね。
ZDも当時としては同じくらいの意味合いを持ち得る値段だったと思うんですが(でも、百万切れなかったのは大きいですが)、AF化でレンズの互換性を失った後だったせいで、失敗したと思います。
そういう意味では今にして思うと、645のAFマウントの仕様を策定した時点で、マミヤの命運は終わっていたのかもしれませんね‥‥。
実際問題として、そのせいだけでもマミヤのAF機は輝いて見えませんでしたし。
その点レンズの互換性というペンタックスの美点を残した今回の製品は、それだけでも成功する資質を持っているんではないかと、買えない外野ですらワクワクしてしまいますね(^-^)。
個人的に、もうちょい格好よく思えたらもっと嬉しかったのですが(笑)。
マウント周りを半球形にトリミングしてると思い込んでいたんですが、思い違いだったか‥‥。
(2010年 3月10日追加)
ディスイズタナカな日記に依ると、キャノンの1D4からピクチャースタイルのシャープネスの線が強く太いものに変更されたんだそうで。キャノンの言い分としてはプロからの要望で、画素数が増えると線が太く強くないと『効きが悪い印象』になるんだとか。
これには、二つ嘘を感じる様な気がする。一つは、画素数が増えると画面に載ってくるノイズがきつくなる。そうすると、シャープネスの線を太くしないと『ノイズを強調』するようになってしまう、これを回避するのが目的だったんではないかということ。もう一つはシャープネスの『効きが悪い』のが問題ではなくって、カメラマンがピンボケや手振れをデフォルトで誤魔化して貰うために、キャノン側に要望を出したんではないかということ。画質より、自分の腕の悪さ(まあ、機材のピント精度の低さもか)隠しと言うわけだ。
まあ前者については、だったら7Dもそうしないと厳しいカメラだし(50Dはもっと酷そうだけど‥‥
)、後者だったらキャノンの責任じゃないということになるんだけれども(苦笑)、ペンタックスがファインシャープネスでシャープネスの直径を小さくして評価を上げたのに、酷いセンスのお話だなーと思いました。そもそもシャープネスなんて、掛けるにしても最小、特に直径は小さければ小さければいいに決まってんだろうと、画質に煩い人種としては声を大にして言いたくなってしまう。
因みにシャープネス(正確にはアンシャープマスクっていうことになるんだろうか?)に関しては雰囲気だけが伝わっていて具体的なイメージが無い人が多いと思うので、ついでに簡単に解説しておくと──。
フォトショップを見ていると、アンシャープマスクの設定にはパーセントと直径という項目がある。直径は、強調したいディティールのサイズと思えばいい。直径1ピクセルのディティールを強調したければ1、もっと大きくて5ピクセルのディティールを強調したければ5を選ぶという発想で居れば方向としては間違ってない。
例えば幅1ピクセルの長さ5ピクセルの睫毛がホンの少し、0.3ピクセル分くらいブレてる(ボケてる)と感じたら、0.2〜0.8位の数字を設定する訳だ。ブレ量がもっと大きかったら1とか3とか5とか、ブレ幅に合わせて数字を大きくしていけばいい。但しその場合、小さなディティールに対してはあまりシャープネスは作用しない。まあそれならそれで、二段階に分けてシャープネスを掛ければいい訳だけれども。
パーセントは素直に『度合い』と考えればいいから、弱く掛けたかったら小さなパーセントで、強く掛けたかったら30とか50と言った数字を設定すればいい訳だ。ホンの少し振れている気がするな〜って時には18〜25パーセント位、このブレっ振りは半端ではないとなったら、それでも誤魔化したかったら30〜50パーセントとか掛けざるを得ないだろう。まあ、そこまで酷い写真だったら、仕事でミスカットを出せないとかいう事情が無い限りは、セレクトで排除するのが一番なのだが‥‥。
あさて、ここで注意したいのは、シャープネスを掛けるというのは画像を破壊する行為だということだ。特に30パーセント以上のアンシャープマスクを掛けると、輪郭の周りに白や黒の線が浮いてくる(これをリンギングと言う)。これはシャープネスの直径を大きくすればするほど目立ちやすくなる。勿論、元の画像に無い線が発生しているのだから、これは画質破壊以外の何物でも無い。と言うか、画面が破綻していると言っていいだろう。
この線は後から取り除くことは不可能なので、後から後悔したくなければカメラのシャープネスの設定を少しでも低く設定することをお勧めしたい。もしシャープネスが足りないとか、ピンボケや手振れ、被写体ブレをしフォローしたかったら、後からフォトショップなりなんなりを使って好きなだけ掛ければいい。別に元画像にシャープネスが掛かっていなくても、印刷の段階でシャープネスを補強してくれる有り難い(個人的には全く有り難くない)機種もある様な無い様な‥‥(写真屋のデジタルプリントはかなりエグくこれが掛かる)。
面白いことに気付いたのだが、バリピンで手振れもないシャープに撮れた写真であればある程、デフォルトで強くシャープネスが掛かる。ベイヤータイプのデジカメではピクセル単位のピントは出ないと信じられているけれども、直線上のディティールについては実は、一眼レフタイプでは結構それに近い解像を実現している。なのに全然そうは信じられていない原因は、ピンボケと手振れである。
手持ちの30DでRAWで撮った写真をDPPで現像すると、まあ大抵の写真はシャープネス3もあれば充分で、出来の良い写真はシャープネス2に下げないとリンギングが発生する。どういうことかと思ったら、シャープネス3を要求する写真というのは、ボケるかブレていた訳だ。
特にこれはシャープに撮れているなーと思ったら、一遍騙されたと思ってシャープネス1にしてみましょう。そういう写真では、ピクセル等倍で見てもシャープネス無しでもビックリするほどきちんと解像しているものである。あさて、そんな宝石みたいに綺麗に撮れた写真を、あなたは太っとい白い線で汚染された写真にしたいですか?
因みに、シャープネスの掛かった写真ではレンズの描写の細目が失われてしまいます。有体に言えば、コンパクトデジカメで撮ったのと変わりなくなってしまう訳です(正確には、コンパクトデジカメでもシャープネスを下げると改善するけど)。レンズの描写を本当に知りたかったら、一度シャープネスをギリギリまで下げてみましょう。RAWを使うと、どの位の設定が相応しいか、若しくは好みかインタラクティブに知ることが出来ますよ。
キャノンはまだ割と他の会社と比べるとシャープネスの設定は弱いめな方だったんですが、ピクチャースタイル搭載以降かなりモラルハザード気味だったので、それが悪化したのだとしたら残念ですねー。画素数が増えたからシャープネスを太く強くしましたって、それって画素数が増えた分解像度を下げましたっていうのと実は同じ意味なんですが‥‥。結局、『画素数が増えました。高解像度です』って良いながら、プリントサイズの基準は『ええ、相変わらずL判です』って言ってるのに等しいと思う──(-_-
)。
だったら、画素数増えてもノイズが酷くなってダイナミックレンジ上も不利になるだけなんだから、画素数落としたらいいやん?その方がデータが重いって悲鳴上げてるお客さんだって、喜ぶでしょう。
まあ、『客が馬鹿過ぎる』って言うのがキャノンの言い分な訳ですが‥‥。商売というのは政治家と同じでお客さんが求める水準に近付くものなので、メーカーばかりを責めるのは可哀そうなのかもしれませんね(T_T)〜。ネット上の論議で解像度と解像感の分離を進めるだけで物凄く掛かった位ですから、一歩一歩少しずつ啓蒙していくしか無いんでしょうけれどもね。
(2010年 2月20日追加)
兄貴殿のお買い物に付き合って、ついでにコンデジ見ながら話していた内容を考えると、運動会カメラとしての一眼レフは無くならないと思う。
だから中国、東南アジア、アフリカの順で新しい需要が湧いてくるから‥‥と思ってはたと気が付いた。
中国、東南アジア、アフリカの学校って運動会あるんだろうか──(大汗)?
何にしろ、大型撮像素子用のレンズはエレメントの重さの関係で動画に機敏に対応するのは限界あるから、その限界が突破されるまでは一眼レフは無くならないんではないかと。
パナ機&専用のレンズの場合、動画で走ってる子供とかへの追随性は結局のところ、どこまで行けるんだろう?
あれが運動会に対応出来ているんだったら、やっぱり一眼レフの未来は近未来に於いてすら明るくないかも‥‥。
結局のところkissデジクラスが売れているのは運動会用であって、要は連写と動体へのAF追従さえ何とかなれば、実は入門一眼レフユーザーって思ってる程画質が気になってる訳ではないと思う。
そういう意味では、最新の1/1.7インチ一千万画素CCDは性能的には一眼レフデジカメキラー足りうる画質あるなーと思うし。
となると、わざと1/1.7インチ系も画素数を再度水増しして、『ほら、やっぱり一眼レフデジカメの方が綺麗でしょう?』って営業路線は、あり得るかな(既に一眼レフ側が画質悪すぎるかも〜ん)?
兄貴殿はコンデジの連写速度の遅さも問題にしてたけど、こんなのCMOS系に移行してメモリ積めば済む問題だし、ビデオと一緒で撮像素子が小さいと動画時のAFもそんなに問題にならないだろうしね。
だからこそ、1/1.8インチ系のデジカメは消されようとしているんだろうか(って、一眼レフ作ってないメーカーのラインナップから消えたんだっけ?)。
K−7の性能は、別にどんなカメラでもそりゃ性能もっと上がるに越したこたないけど、必要にして充分という水準は既に満たしていると感じるけどなー。
勿論、画素数を別にしてK20Dのタイミングで出してくれていればそれに越したことは無かったろうけど、現行機として見ても特に魅力を欠くとは思えませぬ。
(2010年 2月 2日追加)
ネットの掲示板を覗いていると、異様に管理人さんが荒らしに対して寛容に見えて違和感を抱く場合が多い気がする。んで、さる板を見ていて気が付いた。荒らしに寛容なのではなくって、荒らしが大好きなんではないだろうかと。
まあ元々ネット関連は反権力・親アナーキスト的気質があるとか無いとかいうイメージを持っている人が居るとかだが、だからってゴミが好きとかは無いよねーとか思っていたのだが、多分そういうことなんだろうなー。しかも、そういう板もあるよねではなくって、大手にはそういう板の方が多そうってところが、笑える。
まあ日本人って大雑把に見て陰口とか大好きな訳だから、大手になるっていうことはその管理人さんが、日本人の気質を共有しているっていうことなんでしょう(-_-)v-〜。
(2010年 1月11日追加)
そろそろその内陸の人件費の安い層が品切れ気味とかいう話で、物価上昇と元高と合わせて中国は四年後位をピークに、世界の安物工場の地位をベトナム、カンボジア辺りに速攻で譲ると思うけどね(多分それはインドではない)。
中国人の真価が問われるのはその後だけれども、せめて技術力・品質でベトナム・カンボジアに対して優位性を誇示出来るようになっていないと、あっと言う間に今の日本以下の立場になってしまうだろうなー(カンボジアは判らないがベトナム人は労働者としての質は高いらしいので、それは困難だろう)。
そうなられてしまうとかなり長い大恐慌の発生源になってしまうので(半端な購買力を持っていた物凄い人口が失業者の山と化したとき、国際的な景況感の悪化は如何程か)、上手いこと切り抜けて欲しいものだ。
まあ中国政府はその辺、今までの動きを見ている限りでは割と現状認識能力と対処能力は高い方だとは思うんだけれども。
でも本当に恐れるべきは、中国経済のバブルが弾けた後の、食料危機だと思う。
これからの数年間で増えた所得にあかせて食生活が豊かになった中国人が世界中の穀物を買い漁るだろうし、更にその後高失業率で購買力がガタ落ちになったとき、上昇した物価が中国人民の食糧事情に止めを刺すだろう。
中国が内戦状態にでもなろう物なら日本も余波喰らうから、人ごとじゃないよ。
(2010年 1月 7日追加)
表題記事中にどうしてカーリングのストーンが曲がるのか判っていないという説明があるのですが、記事中の文章に既に答があると思い、投書させて頂きました。
スピードが遅くなると回転を掛けたストーンが曲がり始めるということで、ストーンが曲がる原動力を生み出しているのは、ストーンの回転で左右に生じる氷面に対する相対速度差でしょう。
聞くところに依るとスケートの刃が氷上を滑る理由もまだ証明されていないということですが(どう見ても擦過熱に寄って解けた氷が潤滑材になっている樣に思えますが。また熱の存在は、氷が刃の表面で再結晶化することを妨げます。紙やすりで激しく物の表面を擦ると火傷出来ますし)、現象として考えるに、氷上を滑る物体はある限界速度(rvとします)を下回ると急激に抵抗が大きくなるものと思われます。
この限界速度rvを起点に考えると判りやすいのですが、回転する投げられたストーンの左右では、片側では相対速度がrvよりも速くなり、片側ではrvよりも遅くなります。
回転に寄って生ずるストーンの中心と左右で生ずる氷面との相対速度差を差分速度sv・−sv、ストーン中心部の速度をVとすると、V−sv<rvとなった瞬間に、ストーンの戻る方向に回っている側は、急激に激しい抵抗に晒される樣になり、そちらに曲がり始めると言う訳です。
上記を、『有岡仮説』とでもしておいて下さい(笑)。
この仮説を証明するためには、ストーンをバネ秤に掛けてスピードを変えて引っ張ってやるだけで済みます。
仮説通り抵抗が急激に激しくなるスピードが存在し、ストーンが曲がり始めるスピードとそれが一致した時点で、私の仮説は100パーセント正しいであろうと推測出来ます。
但し正確には、ストーンはかなりの慣性自重を持っている為に、曲がり始めるのはV−sv<rvとなったタイミングよりも 多少なりとも遅れるものと思われます。
まあ計測の結果急激に抵抗が増えるスピードというものが実在しなかったとしても、スピードと抵抗に反比例の関係が確認された時点で私の推測が正しい可能性は充分に高まるのですが。
尚、急激に抵抗が増えるスピードというのが存在するというのは、ストーンが曲がり始めるのはスピードが遅くなってからという記述に基づいています。
また、rvは氷温及び冷熱(実質氷の厚み)、室温、ベブルの直径及び尖り方、ベブルの水質・氷質(結晶の荒さ、固さ、温度)、ストーンの平滑性、素材(熱伝導度、比熱、氷との摩擦力)、底面の直径・接氷面の幅、温度、重さと言ったものに大きな影響を受けると考えられます。
とまあ上記のようなことを本文を読み終わるより遥かに前に考察し終わった訳ですが、それに基づいて考えると、ストーンの前と後ろがどうという本文にあった科学者の仮説というのは記者さんが勘違いして書かれたのではないかという気がするのですが‥‥。
もし間違っていなかったのであれば間違っていなかったで、上記の私の仮説もそれなりに曲がる理由解明のお役に立つのではないかなと思います。
もし実証実験をして論文を書かれるときは、是非、私の名前もご記載くださいとお伝え下さい(笑)。
(2010年 1月 5日追加)
リコーのGXRのシステムを正当化しようと努力しているのを見ていると、却って違和感が湧きますなー。結局のところ、レンズユニットが撮像部とレンズに分けられたら誰も文句を言わない訳で(それどころか大絶賛!!)、それが一体化しているせいでレンズ資産も撮像部も違う何かを使いたかったら、全部買い換え。
画像処理部だけ更新出来たら連写のレスポンスが上がるのにそれも無いし、ピント制御系が交換出来たらレスポンスが上がるのにそれも出来ない。ファームウェアで多少の改善はあり得るかもしれませんが、レンズが足を引っ張っているのに撮像素子も一緒に沈没。画素数を増やしたかってもやっぱりレンズごと、画像処理部ごと交換。正直GXRの構成って、レンズユニットを買ったときに『ボディーが付いてない(○
。○)!!』っていうのが問題であって──って感じですよねー(苦笑)。
まあリコーという会社が継続し続けるのであれば、最低でももう一つ(多くても二つ)ボディーが発売されて、そして何より、マウントだけの付いたレンズユニットに相当するものが発売されるでしょうね。でなければ、『史上最悪の愚行製品』と呼ばれかねないもの。それは会社が傾くって言うことであって‥‥。
マウントはきっと、オリジナルの専用マウントとMマウント、あとはあったとしてもLマウントとKマウントかな?本当はそこまでやっちゃったらFD、フォーサーズ、F、MDマウント位は出したいところでしょうけれども、その辺はパテントの絡みでサードパーティーにお任せってところでしょうか。
実質撮像部はリコー本体にしか出せないだろうから、マウント取り付け台座みたいなレンズユニットこそは、皆から待ち望まれているのかもしんない(苦笑)。勿論、富士のハニカム、シグマのフォビオンが参入して、フォーサーズやAPS−C、フルサイズのユニットを提供してくれたら、笑いが止まらない位に楽しい事態になるんですが、流石にそれはねー(’-’)。
ちなみにそれって、私が会社勤め始めた頃に夢みたカメラシステムそのものだったりする(大汗)。やっぱり、マウントは自在に交換出来るべきっしょー(苦笑)。
(2009年12月25日追加)
以前『プロの俺様に何教えようとしてくれてんねん──?』という素晴らしい傲岸不遜な台詞をくれた人が、別分野だがその人がプロな領域に於いてお粗末な意見をくれていた。いやまあ、最新のトレンドに関して知らないことがあったみたいだなというだけのお話なんだけどね。
本音として、私だって自分の専門と他人から思われている分野で、知らなかったり気が付いていなかったりすることは山程あるから、そんな詰まらないことに一々目くじら立てる気は毛頭ない。ただ、あれだけ偉そうに振る舞った後自分が曝した醜態の後で、少しは考え方に修正が入るのかなーと、そこが気になってしまったり‥‥。結局『俺はプロなのに』なんて言う矜持は、自分自身に恥を書かせるだけのものだったりするしね(苦笑)。
しかし、質問に答えた人よりも質問者の方が詳しかったりする現象というのは、今の世の中油断しているとえてして起こってしまうことだったりする訳で、桑原桑原です(大汗)。グラフィックカードをCPUのアクセラレーターとして使うって技術って、どの程度の認知度があるのかなー?
(2009年12月24日追加)
忘れてた。
関西テレビで『マナーの悪い自転車』とか言って特集してたんだけど、
オイ、一旦停止無視で自転車轢いてる場面を三回映して、
『マナーの悪い自転車』って何?
しかも異様に車寄りの意見言う奴しか居ないし。
番組の途中に抗議の電話する人が居るみたいだけど、
真似しようにも番号が判らないのが残念でしたね。
そう言えば人が轢かれてるシーンって、一旦停止無視と、
信号で曲がった後歩道で自転車を撥ねたシーンがほとんどだったっけ。
自転車を悪者に出来るシーンは、見落としていない限りはなかったと思う。
そんな中、脚本読んでるだけのキャスターももう少し、
知能を働かせて仕事をしては頂けないものかと──。
あの映像を見ながら、
『自転車乗ってるマナーの悪い連中はどうにかすべき』って論調が、
どうして可能なのか私には判りません。
前半自転車のマナーの悪い走り方って映してるシーンも、
何か道の構造の方に問題があった気がするんだが‥‥
(あんまり自転車で通りたくなる様な道では無かったが)。
つー訳で、寧ろ一旦停止無視はいけないよって、
啓発番組にして欲しい位の変チクリンな番組でした。
実際その二時間前位に、
T字路の一旦停止路側から時速二十キロ位で飛び出してくる糞車に、
殺されるかと思ったところでしたから、尚更──(-_-)v-〜。
自転車乗ってたら、絶対に回避不能でしたね。
車体の2/3飛び出して歩行者見て急ブレーキ掛けてから安全確認したって、
何の価値もねーんだよ、と藤井寺を走っているまだ四角かった時代の終焉頃の、
朱色寄りの真っ赤なボルボステーションワゴン(だと思う)に乗ったおっさんに言いたい。
(2009年12月22日追加)
ちょっとさり気なく面白過ぎる問題を考え出してしまったようなので、ここに提起しておかせて頂きます。私のアンチ君が自分の攻撃スレッドの参加者を増やせないかと、虎視眈々と狙っているようなので、そちらでも書き込みを増やす面白い材料になるかも──(多分)?
元は、甥っ子君に国語の読解力を付けさせてやれないかと適当に丁稚上げた、文章なのですが‥‥。
出題文
『隣の花は綺麗だと言った人が居るのを私は知っているが、
その人の家の花はとても綺麗だ。
私の家の花も綺麗だ。
はて、その言葉を言ったのは誰だっただろうか?
隣の家の人かもしれないし、私だったかもしれない。
隣の家の人の隣の人かもしれないし、
全く関係のない誰かだったかもしれない。』
問1)誰の家の花は綺麗だと文章中明記されているか、
問2)花が綺麗な可能性のあるのは誰の家か
問3)言葉を言った可能性があるのは誰か
この問題は家族や友達と頭を寄せ合って、先ずは個別に自分の紙に答を書き、その後で皆で自分の意見を発表し合うことをお勧めします。そして互いの意見が正しそうかどうか、自分の答えに至った論拠を話し合いましょう。
元々、一つの出題文に対して多面的な読み方を出来るようにと、(かなり適当に)考えた文章だったのですが、実をいうと意外と場合分けの難しい集合の問題になっていたりします。国語の問題なのに、七面倒臭い集合の問題になっている。これがこの問題の持っている難しさの原因なのですが、実は結構似たような問題を、国語の文章の読解問題では抱えているのではないのかなと、そんな気がしたこともあって作った文章でした。
私の答は‥‥。意外とシンプルなのですが、これを読んじゃうと思考停止して私の答を鵜呑みにする人が出そうなので、ここには敢えて直接書かないでおきましょう。特に問1)の答は丸と出来る答を書けるのですが(でも、解釈論によっては正解ではないことも私は知っている)、問2)問3)の答えに付いては正しいのかあんまり自信がありません(大汗)。つか、人の認識能力を惑わす文章だなー、これ。
取り止めがなく見えて実はロジカルな文章なので、いつかこの答を解くために長大な論文を書く人が出たら楽しいなーとか、そんなことを思ってしまったのでした(笑)。
(2009年12月 4日追加)
某デジカメ系のコミュニティーの重鎮の方。元物撮り系のカメラマンだったらしいのだが、写真のセンスに限界を感じてフォトショップを使ったレタッチャー経由でまあ色々となさっていたらしい。その博識や丁寧な画質参考資料の提示振りだけでなく、何より写真のセンスに関する謙虚さで尊敬していたのだが‥‥。
以前はコミュニティーでの立場から自らを特別扱いすることを自ら戒める謙虚さを備えていたものの、どうも最近はメーカーからの特別な扱いに関して自らを特別視する傾向が出てきたような‥‥。しかもカメラマンとしての自分に対しては謙虚ではあるものの、結局『俺はレタッチのプロだったんだよ。知ってるだろう?!』と、よくある偉そうな人の『黙ってろ』っ振り。
まあ確かに私も彼がレタッチのプロだったこととか、一応自分が何を出来るかに関して自信を持っていること自体は見てきて知っていたり感じていたりはしたものの、逆にプロだからといって『何でも知っている』という訳では無いことも知っている。大体先方が『俺のこと知ってるだろう?』って言うんであれば、じゃあ『あんたも私のこと知ってるだろう?』と突っ込み入れたくもなるし、はっきり言えばネットコミュニティーに於ける知り合いでしかない相手に対して『俺について全て判ってるよな?』と言うのは、『それだけ俺様はお前たちに知られていなければならない』という傲慢さ以外の何物でも無い。正直、よく知っている相手であっても、自分に付いて知っていても良さそうなことを知らなかったとしても、『まあそうゆうこともあるわな』という風に扱うのがネットのマナーであり大前提だと思うのだが‥‥。
まあ正直、人間の大きさというものは嫌いな人に対する扱いに出るものだと私は思っている。嫌いな相手に対して『こいつ嫌いだからどう扱ってもいい』なんていうのは、先ず尊敬されざる人物の振る舞いだろう。そういう意味でもなんかなーと思っていたところに、間違った『プロの矜持』を見せられると、そこには嫌悪と言う前に軽蔑しか残らなかったりするのが、ちょびっと悲しかったりする。
(2009年11月14日追加)
先日の朝日新聞の今やってるドラマに関する特集記事で、苛めをする方に対する親近感と、苛められる方に対する嫌悪感が駄々漏れの対談を見てビックリしてしまった。昔はこういう時は、仮に苛めている方に対して肩入れしていたとしても苛めという行為への後ろ暗さからなんらかの誤魔化しみたいなものがあったものだが、見事に苛められる方に対する嫌悪と苛めるものへの共感が高らかに謳われていて、目を丸くするというよりも吐き気がしたといいますか‥‥。時代が変わりましたねー。まあ、ゴールデンタイムのバラエティーで芸人が苛められているのを見て、スタジオの芸人が嬉しそうにキャッキャしているのが大写しにされる時代ですもんね。
しかし、苛められている方は高いところに居て苛めている奴を見下しているんですか?三〜四人居る中で一人くらいがそういうコメントをするのは昔からある手法ですが、二人並んでそうそうと頷き合っているのにはビックリしました(他の連中は、コメントせず。好意的に取るならば、ひょっとして共感圧力の前に遠慮した?自分の意見言えないんならぱ、対談記事に混ざるなよ)。この奇妙な『同じ意見』の並びっ振りには、よくある『架空対談』でライターが自分の意見を読者に押し付けてるんじゃないかと『期待』してしまう程ですよ。大体、苛められている方だって別に自分が『お偉い』から状況に甘んじているんではなくって、『相手も大人なんだからいい加減にしろよな』って思うのが精々のところ。
もし対談の参加者(本当に居たのか?)の苛め側の心理が正しかったとするならば、『お前たちがやっているのは、自分の心の中を覗き込んで勝手に嫌悪と憎悪を増幅しているだけ。今すぐ首吊って死んでこい』位の言葉しか思い浮かびませんでした。いやはや、あんな記事を平気で載っける朝日新聞のデスクさんも、首洗っといた方がいいんじゃない?苛められている人達は、あなたの様な人達をとても憎悪しているもんですよ。
ええ、苛めを看過している人達は、文字通りの意味で苛めに『参加』しているのですから。君達の大好きな『空気』っていうものを作り出しながらね。
まあしかしなんですかね。お蔭様で日本で苛めてドラマが常に人気がある理由が、よく判った記事でした。
ははーん、ああいう反吐が出るドラマを好きな人達って、そういう風に見ていたんだ。私ゃまた馬鹿だから、苛められてる方の立場の人達がそれを覆す瞬間だけを待ち詫びて、我慢しながら見ているものと思い込んでいましたが。
もし、途中まで散々苛めている方に感情移入しながら、最後の逆転シーンだけ苛められてる方に感情移入しながら見ているんなら‥‥。いえ、何でもありません(-_-)v-〜。
(2009年11月14日追加)
耐震強化型の木造建築と、従来基準の木造建築を地震発生台に載せて比べた映像がテレビで流れていましたが‥‥。あの壊れ方を見て、何やかやと言い訳をするのは、奇怪しいと思った。つーか『今のやり方』の耐震補強が考え方から間違っていることを、あの動画は証明してくれていると思う。潰れているのを見ての後知恵ではあるものの、逆にああいう潰れ方をするのは必然だよなと。そのことを、あれを見た後になってまでも否定し続けようとするならば、それはもう科学者とも技術者とも言えないだろう。
元々補強金具を使った木造建築の耐震補強の考え方というのは、想定した震度・地震波の性質内『では』壊れないという考え方。しかし耐震補強用の金具を見たことがあれば判ると思うけれども、あれって限度を超えると、一気に強度を失ってしまうよね。それについては、振動台の実験を見るまでもなく一目瞭然な筈だ(見て判らないならば、センスがないから耐震建築に関する舞台から下りた方がいい。鉄の薄板素材は、一定以上変形すると強度がガタ落ちして戻らない)。
また斜交い。これは『剛性』を上げる発想な訳だけれども、元々日本式の家屋設計というのは『免震』であって、だから斜交いを増やすということには昔から違和感はあった。どうして日本家屋が免震構造を取っているかと言えば、『過負荷が掛かれば軸である木材が折れてしまうから』。斜交いの存在は、この考え方を否定している。
日本の家屋の柱の太さは、元々剛体構造を前提としていない訳だ。そこに斜交いを持ち込むことは、強度計算を一度ふいにするということである。多分斜交いを重視する人達は、このことを全く意識していない。そこに疑問を感じる訳です。確か昭和何年かの耐震基準の変更で柱材が太くなった記憶はあるんだけど、結局それでも剛体構造で支えられるのは、せいぜい二階建て位までなんではないかと思う(生憎と強度計算の専門化ではないので、式を組んで算術上の証明を出来ないのは残念だ)。
そういう意味では、今回の振動試験が三階建て以上だっだのは、見かけ上木造住宅メーカーには不幸だった様に見えるかもしれないが、寧ろ極めて幸運だったと言えるだろう。私にとって不幸だったのは、住宅メーカーに対して木造家屋に関する免震型構造について売り込みをしようかと企んでいたのに、その前にあんな映像が出てしまったことだが──。私が売り込んだ後だったら、とても有り難いタイミングだったのに(笑)。まあ、ズボラこいて売り込みの実行はしないままだろうけどね(声掛けて貰えたら、行きますが)
木造高層建築(三階建て以上)の構造についてのヒントは、五重の塔や城郭建築に、千年以上も前から既に答は示されている。弱点は、設計が難しいことと、施工技術が要求されるであろうこと、そしてコストか。あと、下の階よりも上の階の方が細くなくてはならないことかな。軒が重いことが耐震性から不思議だと言われることがあるけれども、寧ろ軒は重くなくてはバランスが取れない訳で(何しろ上の階の全てとバランスしなくてはならないのだから、瓦の載ったあの重い軒の方が寧ろ機能的ですらあるかもしれない)。寺社の建築は極めて高度で恐らく城郭の数倍の耐震性があるのかもしれないけれどもコスト的に今のチープな建築に転用するのは難しく、もう少しシンプルな城郭建築の考え方でも充分に利用価値はあるだろう(基本構成は一緒みたいだし)。
一方現在行われている木造建築の耐震補強の考え方も、改善すればもう少し使えるものになるかとも思ったけれども‥‥。結局のところ、そんなものは捨て去ってしまった方がより合理的で、明らかに効果的だろう。少なくとも木造という時点で材質の強度上、上にも書いたけど通用するのは二階建てまでが精一杯だろう。特に、一階の端(この端というのが最悪な訳だけれども)に駐車場を設けた建物では、木造で剛構造というのは論理的にもあり得ないと思う。トイレか階段室位の幅が取れれば、話も変わってくるだろうけど(敷地に依っては、その時点で反対側には風呂場が置けたらいい方だよな)。
上屋が剛体として振る舞うのであれば、建物の足元に近いところほど剛性を上げざるを得ない。なんでそんな常識が建築業界には存在しないのか不思議で仕方がないが、その常識の欠如が『足元が折れました』というあの倒壊の答えなのは一目瞭然だろう。免震・いなしの考え方に戻らないと、日本の伝統的木造建築物は地上から消え去るしかないと思うし、斜交いの数を規定した建築基準法は廃止して改定すべきだろう。構造を規定すべきは、柱の組み合わせ部位の柔軟性と折れ難さだ。柱そのものの太さを増やすのは、柔軟性を持たせた上で柱の垂直を確保する上でも、意味があると思うが。最悪、クレーン車かパワーショベルで横から押して戻したときに、元の形に戻ってくれればそれでいいんだけどね。
ところで私が住宅建築会社に売り込もうとしたそもそものアイディアの一つの柱は、壁面を緩やかに壊すことによって構造を守ろうというもの。日本の建築は元来、竹を編んだものに稲藁を練り込んだ土壁で覆うものだ。実はこの構造は鉄骨鉄筋コンクリートに近いが、一番の違いは壁には壊れて頂いて柱のみ再利用し、大きな地震の際には全体が倒壊するの防ぐのを前提としていること。鉄筋コンクリートでは壁そのものの強度が建物の強度だから壁を大切にするが、日本家屋は完璧に柱構造である。壁の存在は風雨を防ぐと同時に、地震の際にはゆっくりと壊れてエネルギーを吸収する緩衝材でしか無い(テレビで変形エネルギーを熱に変える素晴らしい発想を宣伝しているが、果たして何度もの地震のエネルギーを吸収できるのかどうかは疑わしい気が‥‥。となると一度作動してしまうと、結局壁ごと交換なのではないかという疑問が。また一度の地震の途中で容量をオーバーしてしまったときどうなるのか。実際どうなんだろう?)。
壁は塗り直せるが、柱の壊れた家は土台から立て直すしか無い。だったら、木造プレハブにして壁はユニット化して地震の度に取り替えればいい。地震保険や積み立てをするにしても家全体を立て直すよりお互い低コストで済むし、家はより安く、地震に対して『安心』になり(勿論『無傷』ではないが、その変わり失われもしない)、住宅屋は早急に補修を済ませるというサービスを提供することが出来、それが商売にもなる。あわよくばこのユニット化された壁面を規格化出来れば、壁面の性能を競った上で施工業者以外のメーカー品でも壁補修に使用出来ることになるだろう。これはメーカーに依る修理の囲い込み化よりも、全国民的に大きなメリットになる。そして大きな地震があったときには、全国の業者から必要な壁材を早急に取り寄せることが可能になるのだ。工期自体も短くなるので、施工の順番待ちも短くなる。性能の良い壁面を提供できたメーカーは、極めて高い評価と受注を得ることも出来よう(品質の悪いものしか作ることの出来ないメーカーに対して気づかう必然性は、私は知らない)。
因みに、『壁を緩やかに壊す』と書いたけれども実は壊れる必要は特に無い訳で、理想的にはカーボンファイバー、その他柔軟性を維持したファイバー(ロープを含む)レジステッド素材を使った免震壁を提供する業者があっても良い。と言うか元々こちらを軸に売り込もうかとも思ったのだけれども、よく考えてみると住宅価格がベラボウになるので諦めたと言いますか‥‥。ただ、壁面のユニット化が達成されるのであればそういう差別化された高級壁材を作る会社も当然出てくるし、お金に余裕があればそういう壁材を選ぶ人も出てくるだろう。実際問題として、地震の後の壁面補修費用を考えれば、その部材が充分な性能を持っているならばそれに投資する意味はあると思う。何しろ今はお金があったとしても、二十年後はどうか判らないもんね‥‥。
因みに、『緩やかに壊れる』素材としては、ロープやナイロンネットの様な物で補強されたコンクリートパネルの様なものを考えています。砂利の様な骨材だって、別に耐候性さえあれば樹脂系で軽くしたり柔軟性を増やしたりとか、色々と選択肢はある訳で。
なんだったら難燃性の樹脂素材の井形を斜めに入れて、両側をFRPのパネルで覆って井形の隙間にグラスファイバーを詰め込み、表面を紫外線防護塗料で覆ったり、FRPの代わりに合板で覆ったって良いのだから。要は強度は柱に持たせている訳で、後は2×4の壁としての機能だけあればいい。
あと高層木造建築についても姫路城の骨格模型を見て、昔見た五重の塔の構造図を思い出した訳だけれども、図で示さないと説明し難いかなと。手っとり早く言うと、軒を使って振動をバランスさせて、しかもそれより上に伝わる振幅を低減して(多分1/3位が目標なのではないかと)、しかも上の階と下の階の揺動タイミングをずらして、いろんな振動周期に対して上階に於ける最大振幅が最小限になるようにセッティングしているのではないかと思う。
恐らく設計時には模型を使った検証・検討もしたことと思われるが、軒を使ったオフセット量の設定とかはかなり山勘だったろうと思われ(でなきゃいつまで経っても設計が終わらない)、各建築物の動体解析みたいなことをやってみると面白いことになると思う。もし結果にバラツキが大きかったり不適切な設計もあるようであればただの『山勘』でオフセット量を設定していたことになるし、高度な結果に安定するようであれば模型を使ってきちんとした検証をする習慣があったか、若しくはオフセット量の設定に関するノウハウが伝授され続けてきたということなのだろう。実を言えば、宮大工さんにその辺をインタビューしてみたいのだが。
この考え方は現代の高層建築物でも応用可能であって、建築重量は増えるけれども、肝腎な時に故障していたらどうなるんだ?という機械駆動の釣り合い重りを必要としないという点では、有益なんではないだろうか?どうせ地震があれば上屋の揺動は避けられない訳だから、許容揺動量を予め設計に反映させて強度を決めて、考えられる全ての地震振幅・周期に対してその強度内に揺れ幅を納めることは、今の計算能力では充分に演算可能なのではないかと思う。
ところで折角なので五重の塔の心柱について触れると、最上階以外の軒が上階を重しとして支えられているのに対し、最上階ではそれが無いことを補うと同時に、仮想の最上階をもう一段上に積みまして居ると考えれば簡単に説明がつく。同時に、地震の際に最上階に対する空間アンカーみたいな役割も果たしていたことだろう。各階を通して地震の振動は軒で緩和され、吸収された挙句、心柱で仮想的に空中に固定された五階の屋根で強制的に収束させられる訳だ。当然、理想的な設計に成功していたならば、心柱をアンカーとしなくても元々五階の屋根は振動周期と関係なくほぼ揺動の平衡点となっている筈である(私がそこまで見事な設計が可能なのであれば、それを四階か四階と三階の間に置くが)。実際にそこまで見事に設計がなされていたのかは地震が起きてそれをビデオにでも録ってみないと確認は難しいが(でないと専用の動体解析ソフトでも作らないと無理だろう)、でなければ心柱は塔内で暴れて寧ろ建築的にはマイナスになり、とっくの昔に多くの五重の塔は倒壊していた筈である。
何にしても、経験と様式の積み重ねがあったにしても、あのような構造をバランスさせ、いや、それ以前に考案した大昔の建築家は、稀代の天才と呼ぶより他は思い浮かばなくはある。中学か高校の時に教科書に載った図面を見て設計の考え方は理解は出来たけれども、仮に同じ発想が出来たとしても私に具現化はとても不可能だなと肝を潰したものだ。二十年前ならコンピューターを使っても同じレベルで設計出来たかは怪しいだろうし、今作るとしても向上したCPUパワーを活かして、パラメータを適当に打ち込んで解析結果を収束していく様な方法でないと到底正解には辿り着けまい(あいや、それを自動化すればいい訳か?)。先人、恐るべし(>_<)


現代の和風建築は、そこから千年以上遅れているとは思うけれども、まあ予算天井知らずの芸術品と普及品ですからねー(レーシングカーと軽自動車の開きよりも、遥かに差は大きいですよね)。城郭建築は、その良いバランス点を教えてくれているのではないだろうか。もっとも簡略化の分、部材の強度に頼ってる気もするけど。
(2009年10月30日追加)
本屋で『そらのおとしもの』の漫画が置いてあって、さり気なく作者名を見ていて記憶のある名前なのに気が付いた。あれ、この名前ってひょっとして、『私の救世主さま』の人じゃね?!
え、あれ程駄目なエロゲ展開をするアニメの原作が漫画であったことに、愕然とした。んでもってあのギトギトに暗くて黒い展開の漫画を描く人の作品であったことに、ビックリした。ついでに空から振ってきた天使(ロボ?商品?)が、言われてみれば脇キャラの一人でそんな絵柄の人が居るかもな〜レベルの印象で、全然『私の‥‥』の絵柄と繋がらないところにもビックリした(原作からああなのかは知らないが)。
でも考えてみればこの作者、糞みたいに真面目な展開(褒め言葉と思ってくれ)の傍らでどうしようも無くしょうもなくて駄目なギャグ(褒め言葉と──以下同文)を差し挟む人でもあったんだよなと。んで、そのどうしようもなく‥‥な展開を抜き出したものが、『そらのおとしもの』のここまでの展開なんだろう。言われてみれば、意味もなく天使とか絡んでくるのも、如何にもあの人らしいし。
で。原作者があの作者(ご免、名前言いたくないんじゃなくって、出て来ないの(T_T)〜)であるということで覚悟が要求されることに、今更ながら気が付いた。そうか、きっとこのあと、グズグズでグダグダな位、暗くて鬱陶しくて悲しくなってくるような展開が待っているんだろうなと(これは良くも悪くも。笑)。
そういや二人目の天使が話に加わるみたいだけど、如何にも鬱展開を連れてきそうな──ギャグにも向いてそうな気もするけど(笑)。
しかし、すっかりエロゲのコミカライズかと思っていたのに、最近の漫画はエロゲに内容が擦り寄ってきていて、どないかならないもんですかね〜。まあそれだけ馬鹿なネタがオッケーになってきているのはいいんだけど、気持ち悪い願望充足型の所謂中二病的展開だらけになるなら、嫌だなーと(エロ漫画は基本的に、全部これなんだけどね。でも必要とされる方向的に、しゃー無いやん(の_の)v-〜。スト漫とは、根本的に違うんだから)。
まあ考えてみると、ジュニア小説も話作りの上手さで誤魔化しては居ても、エロゲ並みか、それ以上にエグい願望充足型の設定だらけなのかもしれませんけれどもね。可愛い美少女という飴玉を十個位用意しておいて、ハーレム作ってから達成前提の試練用意しました〜って言われても‥‥。そうゆう作品『も』あるのは別に構わないと思うんですが、そうゆう作品『ばっかり』だとしたら恐いな。
『鬱エンドだと、人気出ないんで‥‥』と言う時、責任が購読者にあるのか編集者にあるのか、そこが悩ましい。ただ、腐ったような同じ作品ばかりなのに読者が気付いて全員どこかに行ってしまったら、その時の責任は明確に編集者に帰されてしまうでしょう。だってそこまで考えて仕事するのが、編集者の仕事なんだから。でなきゃ給料やボーナスと称してお客さんの懐から手数料ばっかり吸い取って、判断の誤りの責任を取らない証券マンと何にも変わらなくなってしまいます(の_の)v-〜。
もっとも同じ状況になったら証券会社と違って出版社は潰れてしまうので、給料も高くない(と思われる)出版社の人が証券マン並の感覚で居たら、失業が待っているだけなんですけれどもね。ただ、その自覚とか危機感が、足りてない気がするんですよ‥‥。つーかアニメ業界だって、出版社のことと思い込んでいたら同じ目に遭う訳で。現実問題として、とっくの昔にオタク世代の人達からは、『諦め』られちゃってるんですけれどもね。
惰性だけで買ってるような人達(しかもそういう人達が現実にDVDに金を出す中心人物だったり)が経済的な理由でアニメに出費するのを止めたとき、今のような作品を作り続けているなら、景気が良くなってももう二度と戻ってこないんじゃないかと思う。
(2009年10月28日追加)
何だか細目はよく判りませんが、視野率約100パーセントを謡うEOS7Dが、98パーセントの5D2よりも視野率が低いとか言って問題になっているそうです。確かに視野率約100パーセントと言うと99パーセント以上と言うのが、写真を撮ってきた人間に取ってもまあ『お約束』と感じるところでしょう。特に同一メーカーから視野率98パーセントのカメラが出ているのですから、それ以上でないと話になりません。
そこでまあ、どうして視野率が高そうに見える7Dよりも5D2の方が視野率が高くなったんだろうかと考えていて、ふと気が付きました。調整というのは、現実には『パーセント』ではなくって『ミリメートル』が単位です。別にミクロンやオングストロームやメートルを使ってもいいですが、要するに公差は比率ではなくって絶対量で定義されている筈です。
確かに全長1メートルの工業製品と100メートルの工業製品だと基本的な単位精度も一桁から二桁変わってきますが、長辺36ミリと23ミリ前後の製品では、工業製品として生産時に与えられる精度は代わりばえしません。クリアランスを取る為の冶具(名前何て言うんだっけかな?)も同じものを使うだろうと思います。
要するに、絶対量として同じ製品公差を持つ製品のファインダーサイズが1.5倍違う為に、パーセンテージとしての組み立て精度が高い結果として、視野率98パーセントを謡う製品の方が視野率約100パーセントの製品よりも視野率が高くなってしまったんではないでしょうかね。
でも、それなら5D2で視野率98パーセントを謡うのならば、7Dは97パーセントとしておけば良かったのにね。連写速度をコンマ単位で表示した最初のメーカーとしては、その程度の正確性の追求はあった方が、寧ろ態度として矛盾が無いと思う。
ところで、ペンタックスのK−7Dの視野率についてテスト撮影結果が載っていたのですが、テスト用の図表の輪郭線がギリギリ入る位の精度で、寧ろビックリしました(^-^;)>


(2009年10月23日追加)
某板で『妄信者』であるかないかということに付いて、『A社の製品の良い所を誉めて悪く言う人へ反論したらそれに認定するものですか?』と書いている人が居たんですが‥‥。『常にそう』であるのならば、やっぱそうなんじゃないの?
前に家の掲示板で荒らしの相手をしても無駄とか何とか説教をくれた人が、その人物と何故か何時も延々とやり合っているのですが、そいつ理解力と議論能力の両方が無い上に『俺の言ったことは証明がなくても根拠があり正しい。お前の言ったことは(説明があっても)根拠が薄弱であり証明になってない』なんていう素晴らしい不公正な野郎なので、『あなたもその人物の書き込みは一切無視したら?』と助言をして差し上げたい(T_T)o。
(2009年10月22日追加)
何かオリオン座の方から流星雨が降るとかいうお話で、家の近所の公民館の裏が一番暗いので、そらちで昨日今日と流星観察をしておりました。もっとも、たいして見られませんでしたけど(T_T)〜。
つか、『気のせい?』と思っていた流星も意外と本物だったみたいで、良く考えてみると夜空が暗ければ暗い程、暗い流星までハッキリと認識出来るんですよねってことに、二日目にして漸く気が付いてしまったり。でも現実には水蒸気に反射した街の明りのせいで空の真ん中しか見えない暗いだし、たまたま同じ所に見に来られた方の双眼鏡をお借りすると、一番暗いところでも空が白く見えます。これにはビックリしました。正直、星が見えるエリアのど真ん中にオリオンがあった21日深夜なんかは、かなりラッキーだったってことなんでしょう。
ところでその方にお借りした双眼鏡ですが、ペンタックスの50ミリの7倍の双眼鏡でした。何故か裸眼ではピントリングを幾ら回しても全くピントが合わなかったのですが、眼鏡を掛けるとその星像のクリアさにビックリ。初めツァイスの5万くらいする双眼鏡かと思いましたが、2万位で買われたというお話。前から見たらマルチコートで視野が広く恐らく像面歪曲も無さそうで(安い双眼鏡の周辺像がぼやけて見えるのは、ピント位置が中心部と大きくズレているせいです)、『店で星を観察すると言ったらこれを勧められた』と仰るのが物凄く納得。
どうせ土星の輪の観測でもするのでなければ双眼鏡の倍率が高くても仕方ありませんし(所詮星は点にしか見えないから)、7倍より倍率が高くても手振れが酷くて星像が安定しないだけです。解像度さえ充分に高ければ、4倍位でも視野が広い方がよりメリットがある位かもしれません。
因みに、あんまり明るすぎて、大阪の空では星の無いところでも明るいグレーに見える位でした。それどころか、一体何等星まで見えているのか、隙間が無い位に星がびっしり。オリオン座の後ろって、銀河が通ってたっけ?って位です。私が冗談で買ってきた、黴の生えた40ミリの8−17倍の双眼鏡ではそこまで明るくなく、単焦点で50ミリであるって言うことは、とても凄いことなんですね。夜の位高山に上がる機会があるのであれば、是非ともこのペンタックスの双眼鏡が欲しいなーと思いました。
ところで、21日は写真を撮りながら星空を見上げていた訳ですが、そこに時折、女性の啜り泣きの様なヒーンという囁き声が。犬も情けない声を出すとそんな風に聞こえることがあるので、近所の小型の飼い犬かと思ったのですが、実はアライグマでした‥‥。弩ビックリ(○
。○)!!
(2009年10月22日追加)
何か無茶苦茶なことを息巻いている亀井何とか相(何大臣だっけ?)は兎も角として、自民党の決めた子供関係の手当を取り止めて云々とか、民主党も『自民党がやったことを否定したいだけなんではないか?』と疑いたくなるようなやり口ですな。普通あの手の公約は間に合わないなら取り敢えず今年度は自民党の決めたものを執行しておいて、マニュフェストに載せていた内容は次の年度から執行すればいいだけのお話である。わざわざ間に合わなかった分まで強行して現場を混乱させる必要はどこにも無い。
あと、羽田空港のハブ化の県だとか、亀井何とか相の件を別にしても本当に政府として方針を決めた上での発言なのか、どうにも疑わしい感じが強すぎる。正直このままでは方向性がバラバラの身勝手な船頭が、民主党政権を内側から食い破って終わっちゃうんではないかと不安ですな。しかも、最悪の財政赤字を残して。
正直民主党政権は、財政の健全性ということを幾らなんでも軽視し過ぎなんではないだろうか?これでは、サラ金でリボルビングを選択して自己破産するローン中毒者と、何ら変わり無いんではないかと思う。
(2009年10月16日追加)
某板でガンを飛ばすを『眼を飛ばす』と表記してあるのを見掛けた。んでもって眼ん玉を飛ばす妖怪って居たっけ‥‥とか沈思黙考すること二秒。え、エイリアンナイン‥‥

ところで橋の下大阪府知事が前原国交相に関西空港の件で直談判しようとしたら、国交相がとんでもないこと言い出しましたが──。だったら成田要らねーんじゃねえの?地元が今まで経緯がどうとか心情論を云々し始めて現状維持を言い出すのは、伊丹空港とか八ツ場ダムでもう沢山。結局欲しいのは補助金というのが本音だろう。
勿論、気分論も実在するのは疑いの余地も無いと思うが、逆に言うとそんなものが巨額の無駄金を全国民に支払わせる口実として通用するとでも思っているんだろうか?八ツ場ダムだったら現地の人達の生活再建資金みたいなのを支給することに合理性があると思うけれども(何せ『自民党によって』何十年にも渡って圧迫を受けてきた『被害者』なのだから。『前原国交相の』じゃ無いよね)。
マジな話、大した興味も無い外野としては成田が『二十四時間空港』で、羽田が『昼間のみ運行』だと思い込んでいましたよ。それが逆と言われると、どう見ても要らない子は成田の方だろう。一覧表を見るとビックリするが、成田の方が圧倒的に運行機数も少ない(これはそのまま、キャパシティーが小さいことを意味する)。正直、一体何のために成田で住民踏み潰してまで空港を作っていたのか、外野には全く理解できない。だったら成田の分のキャパシティーを大阪に引っ張ってきた方が合理的だろう。
私個人としては、関空・伊丹だと関空の方が要らない子だと思っていたりするのだが、もし伊丹の方のキャパシティーが増やせないと言うのなら、関空建設当初の予定通り伊丹を潰すしか無いんではないかと思う。確かに国内路線客的にはどう見ても伊丹の方が使い勝手が良く関空なんて『要らない』というのが本音だが、物事には経費というものがある。羽田・成田の関係もそうだけれども、関空・伊丹両方があることによって経済が成り立たないのであれば、残すべき方がどちらなのかを計算し尽くして、止むを得ない方を切り捨てるのは民間企業なら『当然の話』だろう。勿論『国策として支える』というのならそれはそれで有りなのだが、現実に政府はそれを拒絶しているし。
ついでに言うならば、国内の空港も五年程度の猶予を残して、全て空港特会からのおこぼれを廃止すべきなのでは?今まで『何でこんなに日本の空港の使用料は高いんだ?』と疑問に思ってきたけれども、結局今回の騒ぎで蓋を開けてみれば、着陸料は不要な空港の建設費と維持費になっていた訳だ。いや何て言うの?各県の政治家の『俺ん家に空港があると嬉しい』という気分論で全ての県に空港を作ろうだなんて馬鹿げ過ぎている。結局土建屋と公務員の天下り先作りの為に空港使用料は掠め取られ続けて来た訳かいな。んで結果として、日本の空港は成田も羽田も関空も伊丹も、国際的ハブは愚かそもそもの競争力を奪われ続けてきた訳である。民主党、とっとと全ての地方空港を切れ!!と言いたい。
勿論、何十年も自民党政権が続かなければこんな阿呆らしいことにはならなかっただろう。日本国民が延々と『現状維持の方が、手堅いかなー──?という気分論を続けてきた結果が、これな訳ではあるわな。
ところで長野県だったかが『気分論』臭く『俺ん家にリニア新幹線の駅を作れ!』と騒いでいるが、長野経由とアルプス貫通でのリニア新幹線の事業予算の数字を見てもこんなことを言い続けられるのだろうか?九兆円代と八兆円代で、一兆もの予算の違いがあるのである。これがお菓子を買うのに『百円のにしようか〜?百十円のにしようか〜?』って言うんならば、財布の余裕で贅沢をすればいい。しかし実際には、一兆円である。
一兆円の利益を例えば二十年間に産み出せる会社がどれだけあるだろうか?『我が儘』でそんなことを民間に要求できる馬鹿が居たら、一度顔を見てみたいと思う。もし本気で駅が欲しいのならば、長野県がその一兆円を負担すると約束すべきだろう。勿論出来ないと思うが(-_-)v-〜。しかもリニアは飛行機と喧嘩をしないといけない。そこで一時間が一時間十分になったらどうなるだろう?長野県が要求していることは、実のところリニア新幹線の競争力の根幹に関わることな訳だ。
経済合理性がなく、JR東海にもお客さんにも一円のメリットもなく、デメリットだけは山程。勿論、アルプス貫通トンネルが褶曲で破断とかしたら『それ見たことか』となる訳だが、取り敢えず『何とかなるっしょ』とリスクテイカーであるJR東海自身が判断した訳だから、詰まらない見栄や欲望で他人に金を使えと長野県が要求するのは、お門違いというより『あんた正気?』と聞きたくなるところですな。同じ要求を、全ての見積もりを見た後でも言えたら、そんな奴とは知り合いにすらなりたくないかも?
取り敢えず長野県の要求は、せめて建設資金の上昇分と長野よりも向こうに向かう乗客の運賃の一〜二割りを補助する位の気概がなければ、とても出来ない類のものなんではないかと思う。それを本当に実行したら感動するが、結局周りにデメリットをまき散らすだけなので、やっぱり止めて欲しい。
(2009年10月16日追加)
しょうもないことで人のことを嫌いだーとか言って口も聞きたくないという態度を取る人って、お子様なんだなとは思っていましたが、もっと酷いのかも──(苦笑)。
某屋外スポーツになるのかな?良い場所が空いていなくって入り口脇のところで『ううーん、ここでいいか悩むなー』と悩んでいたら、かなり条件の悪い場所に行ってくれと言われて、まあ仕方ないよなとそちらに移動。ところがそこに行くには狭いところを通らないと行けない上に、上が狭くて荷物を抱えたままではかなり通るのが困難。一人でバカでかいレジャーシートを広げてそこへの通路を塞いで居る人(と言っても、そこに『行ってくれ』と言われなければ好き好んで行く奴は居ない様な場所なので、そこに人が居るの自体は悪いことではない)に、端っこを折って通れるようにして貰える様にお願いすると、いきなり怒り出して断固拒否。空荷でもバランス取りながら通らないと行けないような条件で、この後一日中そこを通らないといけないのだが‥‥。
因みにその人、私のことがやたら嫌いらしく、敢えてこちらから声を掛けるようにしているのだが、何時も返事もしたくない、声掛けんといてーという雰囲気。で、『荷物降ろして通ればいいやろう』と。まあつかえているのは長い荷物だから、それを降ろせばかろうじて通れなくはない。とは言え手術したばかりで腰の調子もまだまだだし、面倒臭いということを別にしても重い荷物を抱えた状態であまり余計に屈みたくない(やった人は判るだろうが、大体ぎっくり腰とか腰を痛めるのは中腰の姿勢である)。そもそも、通路を空ける為にやたら不便な通り難いところに行けと言われているのだから、こちらも最低限の通路を確保して貰うことを要求する権利はあると思うのだが。
ってな状況で、止むなく荷物を抱えたまま上のつっかえるところを二、三度超えようとして、立ち往生する私。件の人物は、今まで私に向けたことの無い様なにこやかな笑顔を浮かべたまま、『荷物置けばいいやろうが』とか繰り返している。
ところで脚とか腰とか悪くしたことのある様な人だと、初めどうしても超えられない様に思えた場所でも、バランスを取るコツを掴んだり、不安を無視してやってみたら突然クリア出来た経験とかおありだろうと思う。それで次に同じ破棄はもう大丈夫と思ったら、また立ち往生したりする訳だが‥‥(笑)。で、有り難いことに何とかクリア出来た。その瞬間である。
「荷物置いたらええと言ってるやろうが!!」
件の人物は周りの人達が全員唖然とする様な大声を上げた。はっきり言う。私が困っているのを見て意地悪するのをとても喜んでいて、私に言うことを聞かせようと楽しみにしていたのが失敗したのに失望し、ムカ付き、怒鳴ったのだ。見下げ果てた話である。私は敢えて『済みません、シート端を折って貰えなくても通れましたね』と、わざと彼の怒りとは関係の無いことを謝った振りだけしておいた。
その後、件の人物の仲良くしている人達(たまたま私も特に仲のいい人でもある)がやって来て、さっき通るのもやっとだった所を塞ぐ様に場所を取った。オイオイ、これじゃーマジで通られへんやんけ。でもまあ、状況を判ってない奴に文句言うのもなー。と言うか、そこ塞がれると通れなくなるのが判っていて、『そこあかんで』とか声を掛けないのかこの人物はと。つか、多分敢えて『そこに敷けや』と言ったんだろうなと考えると、『そこ困るやけど』とすら言い難い雰囲気である。で、そのあと件の人物は、私が話し掛けても全く無視。お子様かい。
今までは仲良くしようかなという意志もあったけれども、ここまで酷いと流石に、そうゆう意志も無くなるわなと。結局帰りしな、伝達事項を聞いて居なかったら困るだろうなと思って、声を掛けたけど。当然の如く形式的な『有難う』とかも無しである。勿論、他の人だったら別に有難う無しでも気にならないが、敢えて言わなかったのバレバレな分、そいつだけはムカ付く(苦笑)。
(2009年10月 6日追加)
たまたまパナソニックのG1に同7−14ズームで撮った画像をライトルームとRAW
Therapeeなるソフトで現像した比較画像を見る機会があったのだが、正直ライトルーム、酷いですね。初めはノイズリダクション&シャープネスの直径(リンギングラインの太さ)の問題かと思っていたんですが、そうじゃなくって現像後の画像が、画面中心部も含めてライトルームの方が大きい。歪曲収差補正の弊害なのか何なのかは判りませんが、ライトルームの現像結果は全面的にほんの僅かばかり拡大が掛かっていたのです。
あさて、ここでどうしてその微妙な拡大が『酷い』のか、判らない人も居るかもしれませんので解説しておきましょう。デジタル画像を構成するピクセルと言うのは、考えると判ると思うんですが一つ一つを数パーセントずつ引き伸ばすということは出来ません。二百パーセントに拡大とか言えば、隣同士のピクセルの中間の色を間に埋めていけばいいやで済みますが(これを補間と言います)、隣十パーセント、反対側九十パーセントなんていう補間がどれだけ正確な補間が期待できるでしょうか?実はデジタルデータというものは、拡大縮小に弱いのです。フィルムを使った写真では光学的に元の画を拡大しているだけですが、この補間が伴うのがデジタルでの拡大縮小の弱点な訳です。
では理想的な現像処理では、どうすればいいのでしょうか?簡単です。拡大縮小を極力発生させなければいい訳です。今回の例で言えば、歪曲補正を掛けるにしても、画面中心部はあくまでも元画像に対してピクセルの一対一対応を徹底し、周辺部のみピクセルがズレるのも止むを得ないというスタンスです。これなら、周辺部は色収差補正の恩恵を受けつつ、中心部でデメリットが発生することを回避できます。画面全体としての画素数がもし仮に三パーセント少なくなってしまったとしても、現実の画面上の解像度はその方が圧倒的に向上します。と言いますか、ライトルームとRAW
Therapeeではちょっと信じ難い程の解像度差が生じていて、木の葉の表現などライトルームの現像結果を見ればG1と7−14レンズのの画質に対する失望を生じせしめる位のものです。一方RAW
Therapeeの現像結果は、ほぼピクセル単位の解像がされていて(その代わりノイズ塗れですが)、結構感動ものでした。もっとも、この結果にノイズリダクションを入れたら、ライトルームよりは遥かにましでしょうが、かなり解像度が低下してしまうのもまた間違いありません。
ここで気が付いてしまった訳ですが‥‥。最近の一眼レフを含むデジカメは、見掛けの画素数アップに励むばかりで結果としてノイズを増殖し、増えたノイズを潰すことに腐心することで結局の所実用的には解像度は増えてなんていないんだなーと。
これはEOS40D、50Dとカタログを見ていると露骨に感じるところだろうと思います。ISO400でも段々粉っぽくなった上に粉が激しくなりすぎて、何か天ぷら粉で画を描いたみたいになって段々細部が見えなくなっていきます。ISO100でも暗部描写があっさり溶けちゃってますし、これはコンパクトデジカメとあんまり代わりばえしないよなーと。昔ニコンのD2Xが出たときに『コンデジの王様』と不名誉な称号を得ましたが、これは酷いホワイトノイズとコントラストの強い画作りのせいでした。50Dも方向性こそ違いますが、『コンデジの王様』を襲名してもなんだか差し支えないかな〜と。
7Dは50Dよりはましだという下馬評ですが、ハイライト優先と階調補正が同時に使用出来なくなっていたり、50Dよりも撮像素子取得画像の足腰が弱くなっているのは明白で、EFマウントユーザーの一人としては『コンデジの王様』の称号を戴冠していないことを祈るばかりです。
(2009年10月 6日追加)
『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ版の二周目のパソゲーの回、初めSF系の新番組かと思ってしまいました(笑)。と言うか、全体として何が面白いのか判り難いこのアニメにしては、結構素直に面白かったかも〜ん。まあそもそも、二期製作分よりも一期製作分の方が面白いというのはあるのだろうけれども。
一期開始時のワクワク感というのはあの極端な構成とか大胆な感覚に対する『ワクワクの予感』であって、現実に作品が面白かったからって訳でも無かったですもんね(苦笑)。それだけに、『ああ、面白い回もあったんだ〜』って感じ。それに一週目の放送では、所謂『俺の嫁』的キャラがあっさり人身売買の具(苦笑)にされてしまったことに対するムカ付きとか『大丈夫なんかい』とかいろいろ素直に楽しめる雰囲気じゃ無かったとかありましたが、今回は結果知ってる状態で見れてますし──(の_の)v-〜。
は兎も角、今まで『涼宮ハルヒの憂鬱のどこがいいんだ──?』と不思議に思ってきた疑問の答が、やっと判った気がしました。なる程、確かにハルヒは神様で彼女自身に自分を投影するんならお子様な読者・視聴者が良い気分になれたりすることもあるのかもしれない。でもこの作品のターゲット読者はキョン君に自己投影をする立場の男の子がメインだろうに。となると、下僕の様に扱われ、尊大で偉そうだが中身の無い空っぽ暴走クレイジー女の尻拭いばかりさせられる作品のどこがいいんだと。
で、遅ればせながら漸く気が付いた。なる程この回をよく見てみると、キョンはハルヒのフォローをしているばかりでなく、ただ一人『一般人』として『超能力者や異星人や未来人』と交歓している事実を『自覚的に知りながら楽しみ(いや、本人は楽しんでないと言うだろうけど)』、ましてや『神様』をあしらっているのは、実はこの作品の主人公たるキョンなのだ。言い換えると、実はこの作品世界を操っているのは全知全能の神たるハルヒではなく、神官のキョン君なのだ。と取ることも出来る。
今まで『奴隷』と思っていたものが『実質的な神』と捉えると、なる程誇大妄想的欲求に取り憑かれた少年・青年諸君の需要にこの作品が応えたのも理解できるなーなんて、二週目も後半にならないと気が付かない私も大馬鹿野郎だが、いや全く。
ところで『ハルヒ』の文化祭のお話。二曲目が『ウルトラマン(?)』から差し替えられちゃってますね──。ビックリしました。しかも、録音が果てし無く下手(大汗)。
普通この手のシーンってエコーブワブワ利かせて、ドラムの音を鬱陶しい位デカく収録してその次にギターを出し、ボーカルはその隙間から漂ってくる様に収録します。これはロックっぽさを強調するのと、実際の現場の音響がそんな塩梅だから。いい加減な記憶だと、一週目だとその辺の基本は抑えていた筈。まあ、割りかしボーカルは重視眼だったかもしれませんが。
ところが今回の録音だと、『テレビの低音用スピーカーがぶっ壊れでもした──?』と聞きたくなる位、ハルヒのボーカルばっかりが聞こえてきます。自慢じゃありませんがドラム重視の録音が大っ嫌いで『そうゆう録音する糞は消えろ』と毒づく部類の人間である私ですらそう思う位ですから、かなり酷いもんですよね。ギターの音に至っては、蚊の鳴く位ですか。で、思った『お前ら、そこまでして平野綾(ハルヒの声)売り出したいんかい‥‥
』。
正直、これはプロの仕事ではないと思います。しかも『営業の都合』、それもアニメのではなくって声優プロダクションの都合が露骨に滲み出した様な改悪に、ちょっと冷めまくりましたね。いやはやです。『京アニも終わり──?』と言う囁きが、脳裏で囁くって言ったら、言い過ぎでしょうか(苦笑)?
ま、そんな素人仕事の酷い回の後でしたので、パソゲーの話はちょっぴりホッとする気持ちもありましたね。まあ、ますますハルヒが嫌いになる回でもありましたが。つか、文化祭当日という唯一ハルヒが人間に見える回の後、これかいと(苦笑)。つか、文化祭の回だけハルヒの価値観とか性格、浮いてるよね。
(2009年10月 6日追加)
ペンタックスのK−xというカメラに付いて、某デジカメ系の板で11点AFにも関わらずファインダー内のAFポイント表示(スーパーインポーズ表示)が無いことに対して喧々囂々の議論になっていた。それに関して、書いたはいいけれども長い目になったので投稿を止めた文(苦笑)について改定して載っけてみたり。
あさて、EOS1000が業界の革命児みたいに言われていますが、何故か判りますでしょうか?それは初心者向け、若しくはローエンド機にして初めて『この値段で全てを使いこなせる』ことを前提にしたインターフェイスのカメラだったからです。
K−xのスーパーインポーズ省略は結局の所、その気になっても(若しくはその必要性を痛感させられても)11点AFを『使いこなせない』ところ。勿論、ファインダーから眼を離してチンタラやってれば、11点のAFポイントを選択することは出来るんでしょう。でもそんな使い方は『プロでも覚えてろ』であって、寧ろ弩素人が要求される『使いこなし』じゃない。
『あれ、どこに合わせてたんだっけ?』と、100カット撮ってから『しまったー(>_<)?!?!』って言うのは、素人コンシャスじゃない。今どきの安カメラというのは素人が失敗しない様な方向性に進化・進歩しているし、そうであることを要求されている訳で、AF測距点が3つら11個に増えることよりもスーパーインポーズが付くことの方が本質的だし重要で実質的で実際的なんじゃないだろうか?
ローエンド機を買う人はカメラを使いこなす意志なんて無いという意見もあるけれども、スーパーインポーズ表示さえあればいつかは、それが何を表しているのかに気付く。でもスーパーインポーズ表示が無ければ、11点もあるAFはいつまでも使いこなされることはなく、そのユーザーはK−xに対して著しい不満を抱えて放り出す可能性が高いだろう。『何このカメラ、どこにピント合うか判らへんわ』。
他社機なら同じクラスでもインポーズ表示が付いていて、若しくは上位機種を買えばスーパーインポーズが付いていることを人から教えられて、さてあなたならどうするだろう?怒りと共に『次はペンタックスは選ばない』『K−7は高くて買えないし、買いたくない』となっても不思議は無い。だって折角11点測距を売り物にしているのに、その機能の為に使いこなしも難しく、スーパーインポーズ表示が無い為に訳の判らない使い勝手の代物になってしまっているのだから。『センターのAFポイントに固定して使え』と言われるなら、『だったら初めから1点AFにしとけ』というのが、そう言われてしまった人の実感だろう。
結局のところ『k−xにスーパーインポーズなんて無くてもいい』と言えるのは、K−xがターゲットとしている弩素人層ではなく、事前に仕様を真面目に勉強して納得ずくで選んだ人と、『それでも俺はペンタックスを応援するんだ』という人ではないだろうか。結果として『何も判らないし、使い始める前は使いこなそうとする意志も無かった』人程、『ペンタックスファン』とは程遠い存在に育ててしまうリスクが高い気がする。だって詳しそうな人にこのカメラ渡して意見を聞けば、かなりの人がこう答えるよね?
「何これ?測距点11個もあるのに、スーパーインポーズ無いのん?客舐めとんちゃうか?
こんなん、AF測距点が11個もあんのに、真ん中以外使い物にならへんやん。」
写真系の板を散々見てきた実感だけれども、自分の選択に対して否定的なことを言われて平気な人って、とことん吟味して、全てのデメリットを理解した上で選んだ様な極一部の通な人だけ。大多数の人はこんな風に言われちゃうと、感情的になって『ウッキー』ってなっちゃうよね──(’-’)。
だもんで、私はとても危惧してしまう訳です。ペンタックスの人達が、『カタログに載っける見掛け倒しのスペックを優先し、実を捨てる』とゆう極めて危険な選択を選んでしまったことを。3点測距だとファインダー下にLEDで測距点とか表示すれば済む話だったけれども、11点ともなるとそうゆう訳にも行かないしな〜(そうゆう細かい表示を見るのが苦手なご老人も多いし、見えてもそれをファインダー上に翻訳して見るのは難しい)。
自慢じゃ無いけど、Z−1以降のペンタックスのことを物凄く応援しているので、それだけに『ヤバい製品』は作らない様にして欲しいのだが‥‥。『お客さん』を『アンチファン』に育てかねない様な製品作りだけは、避けたいものです。
(2009年10月 6日追加)
八ツ場ダムの国交相会見か何だかで建設反対派は一人も来なかったとか言いながら、そもそも建設推進派が自治体牛耳った上に役人と結託して、建設反対派にはその日時等の情報が秘匿されていたとか。これこそ正に、自民党政権下に於ける官僚腐敗(自民党との癒着)の弊害の象徴みたいなもんだと思う。実際の所ダム建設続行に賛成だろうと反対だろうと、物申したかった人達も発言の機会を奪われていた訳だ。教育に関するヒアリングでも、似たような事件(そう、これは事件なんだよ)あったよね?
あと、ゲルマニウムローラーとか、あの辺の商品。消費者生活センターだったか忘れたけれども、とっくの昔に『全く効果に根拠無し』と判定が出ていて、効能を謡うことを禁止すると通達が出ていたりする。そんなゲルマニウム製品のコマーシャルがテレビで流れていて、ビックリした。あの、一見ピップエレキバンのコマーシャルソックリな奴。
テレビでコマーシャルが流れていると、盲目的に『きっときちんとした商品に違いない』『変な製品だったら放送局で広告が撥ねられてるだろう』と思い込む人は多い。でも、全然そんなことは無いことが、見事に証明されちゃった(苦笑)。そもそもテレビコマーシャルといえば、煙草のコマーシャルが流れなくなるまでに途轍もなく時間が掛かったことは記憶に新しい‥‥ことないのかな(大汗)?
煙害が周知の事実になってから、テレビコマーシャルが禁止になるまでには途轍もなく長い時間が掛かりました。あれは税金が取りたい政府をバックにした半国営企業、それも巨大企業がバックだからなし得た悪行なのかと思っていたのですが、その辺の雑誌に怪しげな広告を打つのがやっとだったところが流し始めたのが恐いところです。もしあのコマーシャルが規制されないままに時間が過ぎれば、視聴者の間には無意識に『ゲルマニウム製品は効能がある』というイメージが定着化されるでしょう。だって、『テレビで流れている』のですから。
ええ勿論、そんなものは効能を証明する一分の根拠にもなり得ません、本当のところは。でも、現実にはそう信じさせる効果が『実在』しているのです。ゲルマニウムには効能が無くっても、テレビコマーシャルには効能が存在しているのですから。
因みに、雑誌に99.99パーセントの純度を謡っているゲルマニウム製品の中には、ゲルマニウムがそもそも含まれていない製品も含まれていたそうです──オイ(^-^
)。
(2009年 9月30日追加)
『涼宮ハルヒの憂鬱』のなんとかエイトを見ていると、古泉はハルヒかみくるちゃんのどっちかが好きなのかなと思ったりしたんだけど、やっぱみくるちゃん派だったっぽいですね〜。キョン君が嫉妬丸出しで見ている中、これ幸と‥‥。
しかしハルヒ、キョン君を奴隷扱いだったんかい‥‥。つか、無条件容認ね──(餓鬼がよく夢みる態度だが)。にゃるほろ、奴隷が反乱起こしたと思ったら、『ご主人様』は大抵パニクって怒り狂うわなと、変なところだけリアルなのか、なのか?!?!つか、見ていて全く面白く無かったんだが──(苦笑)。
あそこで不快感を視聴者に持たせることによって後の展開が面白くなるのか?何とかエイトが全くそうでなかったのと同様、そんなことにはならなそうな感じ爆発で、『ハルヒ』新規制作分は伝説の(と個人的に思っている)『メダロット魂』級の腐れ監督が担当しているんではないかと、疑いたくなってしまったり。
監督といえば『らきすた』監督が『駄目だ』と烙印を押されて速攻で交替になったのが有名だけど、寧ろ交替が必要だったのは『ハルヒ』二期の方なんじゃないの──?と疑問に思ってしまったり。別に『らきすた』の方はあの脱力感ばっかのノリも嫌いじゃ無かったけど、『ハルヒ』二期は原作を言い訳に出来ない位、遊んでるのはいいけど糞過ぎっぽい(一応、最終結論を出すのは最終話を見てからだし(T_T)〜)。『原作付きアニメ』のいいところは、原作の糞な部分をフォロー出来るところだろうに。
原作付きアニメと言えば『鋼の錬金術師』。リメーク物が嫌いな上に、『つい最近やっていたばかりだろう?』と切る気満々で居たのだが、どうやら原作準拠っぽく話の展開が変わってくるに付け、やっぱ原作者スゲーと思ってしまう。スカーの過去話とか、兄貴の扱い一つ取ってもスゲーよ。
皆が見ているものの向こう側が見えるあれだけの才能を持った凄い人が(エドなんてこうやって見ると、知識の範囲内でしか動けない凡人に見える)、結局眼の前の弟の生命の方をあっさりと選んでしまう(まあ、じっくりと選ぶ時間も無かった訳だが)。そして救われた生命が、助けてくれた人の気持ちも何も理解する余裕も余地も無く、勘違いと愚かしさに満ちた行為をし、繰り返す──。その必然、悲しいばかりの納得力、一人一人に取っての正当性(そこには、眼の前に見えている事実を捩じ曲げる愚かしさすら大して介在していないのに)。
まあ同じ人間らしさを描いていて『ハルヒ』と『ハガレン』でこうも印象が違うのは、きっとハルヒのあの振る舞いのドラマティックさの欠片も無い卑近さの故なんだろうね。でも日本のドラマって元々眼の前のありふれた不快な行為の積み重ねで作られていたことを考えると、実は『ハルヒ』の方こそは日本のドラマの正統後継者なのかもしんない。私は、そうゆう話の作りがとてもとても苦手だったり、するんだけれども。
まあでも、キョンの一言が効いて情けなく自己嫌悪に落ち入れる辺り、ハルヒにもまともなところがあったというか、キョン君の存在はやっぱり大きいってことか。あと、みくるちゃんに対する嫉妬心を、ああいう小賢しい形でしか表現出来ないところは、まあプラスに評価してもいいかなと。個人的に。これが少女漫画だと‥‥(凍りついた笑い)。
(2009年 9月 6日追加)
そういや衆院選、予想外の民主の大勝でしたな。まさかマスコミが予想している通りの結果になるとは、あんまり思っていませんでした。いやもう、ギリギリ野党連合が勝てば御の字って感じで‥‥。
ところで実は、個人的に民主なんて自民と『同一』だと思っているので、基本的に要らない子扱いなのですが、折角一票入れてやったのだから(かなりイヤイヤ)、取り敢えず公務員改革だけは何とかして欲しい。それ以外は『別に良くなるとも思っていない』し期待もしていないから、マジでそれだけは最低限の踏み絵だと思う。つーか、非自民政権の時みたいなふざけた真似をまた官僚共がするならば、マジでお前ら要らんだろうと──(天下り禁止関係の法案の骨抜き化とかボイコットとか、そんなのばっかり)。
もう一つ気になってるのが、やたら地方分権と声高に叫んでる橋の下大阪府知事。あんたねー、大阪府下の自治体の分権も独立も権限も何一つ認めず大阪府独裁を敷こうとしながら、何寝言ホザいてんの?って感じ?
結局彼がやりたいのは『俺様に権限を寄越せ』でしかないのは見え見えで、きっと国政を握る立場に立とうものならば、全ての権限を俺に寄越せって言い出すんだろう。道州制の主張ですら、大阪府知事から近畿道知事に横滑りしたときの権限欲しさにしか見えない。でなければ、各自治体の独立を脅かすような戯言の連発なんて、出来ない筈なんだが。教育委員会がどうして公権力から独立しているのかを、思推することも出来ない様だし、本当に彼は、自由民主主義の世の中には要らない人材にしか見えないな。
裁判では『俺様の言い分を通すこと』が仕事だった訳なんだろうけれども、行政は『あんたの一勝一敗』ではなく、あんたの言い分に左右される『一人一人の市民の生活や人権』こそが大切な訳。この辺、認識を変えることが出来ない限りは、良き知事、良き政治家、良き首相になんてなれよう筈も無い、そう思う。でも、国政選挙に出たら何故か人気あるんだろうなー。千パーセントあり得ないと願いたいものだけど、千パーセント言い切った内容を裏切っても平気で通す府民が居るのだから、恐いよね。
この人とは傾向が違うけれども、何一つ約束を実現出来ず、現実に基づかない戯言みたいな約束を国民に何度もして踏み倒してきた舛添氏。多分この人自民大敗と麻生自主退陣のどさくさで、
自民党総裁は勿論狙うんだろうけれども(その為に打った布石だけは私も認める)、大阪府知事と同じで彼が如何に張り子の虎野郎であるかを、国民がどこまで意識しているのか。
『テレビで見てたから応援しちゃおう』いや、それじゃー他の国民が迷惑な訳で、『応援してるよ〜』とか感情論的なお話は、出来れば無しにして欲しいものだ。つーても結局、そうなっちゃうんだろうけれどもね。
まあ今回の民主政権は動かないけれども、来夏の参院選挙で舛添下で自民躍進とか、それはご勘弁願いたい。だって、官僚どもがまた政治家への利益誘導を餌に、天下り先確保運動に邁進するのが見えてるから。官僚の下らない策謀を阻止するには、衆参両院で自民党が敗退している状態の維持は、やはり必須だろう。
取り敢えずせめて政府が効率的でないと、企業が天下りに伴って被るオーバーヘッドが、余りにもデカすぎる。例えば住宅系の政府系の公団。何故か下請けから15パーセントのリベート要求してたるする訳ですよ(まあ十年以上前の話だが、現実にそう言ってるの聞いた)。どうして公団がバックリベートを下請けに要求するのか、その金がどこに消えるのかは未だに理解に苦しむ。しかしその時点で政府の投資の内十五パーセントは既に死に金になっている訳で、ここに天下り先が云々となると、どれだけ効率の悪い投資を政府はしていることか。
『公共投資が‥‥』って言う前に、その分の金が税金からさっ引かれることを考えてみて欲しい。一割や二割の減税が出来てしまう訳である。そのお金がどれだけ消費に回るか?若しくは日本の競争力を向上させるか?
も一つ。盲目的自民党支持者がよく『日雇派遣でやっと雇用が』って言うけれども、現実には日雇派遣は『雇用を切る』為の手段な訳で、『初めから日雇派遣的な労働を求めていた人』以外のどれだけ沢山の人が、『止むを得ず日雇化』していることか。原因を見ずに現状を元に物を言っても仕方がない。『日雇派遣を常雇いにしろ』こそが、本当に労働者が言うべきことだろう。
少なくとも不安定な日雇労働は、どう見ても常雇いの人間に比べて時間当たりコストは高くなるのが筋だ。何故なら、日雇労働は『明日の仕事が不確か』な調整労働力だからだ。 最近この私の考え方とヨーロッパの考え方が一致してきたらしく、外国の考え丸パクリ位しか出来ない政治家も、それに倣って欲しい所である。そうすれば日雇派遣の仕事は減るだろうけれども、その代わり常雇いの比率が増えるし、私も大手を振って日雇派遣の存在を認めるだろう。
但しその為には日雇には常雇いの人間比で、保険関係も含めて1.5倍〜倍くらいの賃金が支払われなければ、到底合理性があるとは言えまい。不安定な生活を維持するためには、その程度の加算賃金は必要な筈だ(つーか不安定さを考えると二倍でも足りねーよ)。 これを実現するのは政府しかあり得ない訳で、正直最低賃金が時給全国一律千円とかどう見ても不可能なことを言うよりも、こうゆうところから民主党には手を着けて頂きたいものだ。あと、日雇派遣の賃金を上げる分は高給取りからさっ引けばいい訳で、キャノンみたいに正社員はお貴族様、その下は日雇・偽装請負奴隷みたいな構造の会社は、『社会に必要ない』と思う。
(2009年 9月 1日追加)
今月号のカメラ雑誌見ていて、DP2の半押し後のレリーズタイムラグが0.65秒とか書いてあるのを見て、ビックリしました。本当にピント合わせ後にレリーズタイムラグが0.5秒を超えるようなゴミが、携帯のオマケでもあるまいにあり得るんだろうか?正直、パナの軽量版フォーサーズ、E−P1、LX3辺りと並んで一番欲しい『いつでも一緒』カメラの筆頭だったのに、これがマジだったらドヘーッとなってしまう。まあ、汎用性を考えればレンズ交換式かズーム付きの方が便利なのは間違いないんだけど。
腰のせいで大阪に出る機会もなく、雑誌の記事が大嘘か誤植だったのかどうかを確認する機会がかなり長くに渡って持てそうもなく、無念〜(T_T)。てーか、誤植だったら大問題だろう
あれ見た瞬間に買う気がショボンと来た人間は、私だけではあるまい。
それと日カメの方だったかいな、立体カメラ特集が組んであって、そこに載っていた中国製のブローニー三眼カメラ、萌え〜(
^-^
)。仮に役に立たないゴミだろうが場所の無駄だろうが、欲しくなるプリチーな雰囲気がありますな〜。もっとも、流石に中国製と謂えども二十六万すると聞くと、ほんの少々金回りが良くなったとしても冗談では買えたもんではありませんが。つか中古で五万位が、実際に買えるときにも限界でしょうな〜。
(2009年 8月26日追加)
座骨神経痛の手術のお蔭で時制が無茶苦茶になっていて今頃になって『涼宮ハルヒの憂鬱』の何とかエイトのラストを見たのだが、初めキョン君に仕切られたハルヒの狭量振りに‥‥となっていたものの、良く見ているとハミ児にされるのが恐かったんだよね。そう気が付くと、孤独を恐れる本当に普通の女の子だったんだなーって思ったりして。何せ夏休み開始三日で宿題を終えていることを自慢していたもんだから、放っておくと折角のイベントからはみ出しかねない‥‥。まあ、『独り』が恐かったのか、キョンと一緒の時間を過ごし損ねるのが惜しかったのかは、ラブコメかどうかの分水嶺ってことなんでしょうが
(笑)。
ところで『シャングリラ』の偉そうネーチャン、どうやらとうとう次週で裏切られるみたいですね。まあ、結構前に既に伏線貼られてましたから当然と言えば当然なんですが、連中、余りにもタイミングの見切り良過ぎ(苦笑)。日本の政治家・官僚連中も、この位に見切りが鋭いと嬉しいのですが。
もっとも、偉そうネーチャンに銃向けてると思い込ませておいて、眼鏡のマゾ姉ちゃんとかミクニ嬢に銃向けてたりするのかもしれませんけれどもね。あの表情だと、偉そうネーチャン以外あり得ねーとは思うけど。
(2009年 8月26日追加)
ついでに言うと、日本は不沈空母ではありません。戦争が始まったときに真っ先に何をするかは、ご存じでしょうか?敵の艦隊や航空・陸上戦力を攻めるのも必要ですが、工業地域と、そして通商破壊を行います。残念ながら日本の場合特に通商破壊が特に致命的で、三ヶ月から半年も経ったら、全ての商業インフラはストップします(だから私は、中国の空母保有に対してアジア全域の政府を糾合して、中国の空母保持を阻害すべきであると強く確信します)。中国が空母を持った時点で、日本は最低でも太平洋と中東領域、理想的には太平洋・インド洋・アリューシャン列島より上の制海権と、通商確保の為の空母と航空戦力を必要としてしまいます。これって、第二次大戦前の戦力が必要になるということです。しかもこれは通商ルートの確保の為だけであって、仮想敵国への反攻戦力を含みません。
多分官僚連中は『また日本が空母を持つ口実になるといいな〜』なんて夢心地なんでしょうけれども、そんな生半可なものではありません。中国の海軍強化というのは、そうゆう戦略状況を作り出すということです。
そうゆう状況を座してニヤ付いてるような連中が、果たして有能で頼りになる、働き者の外交官と言えるのでしょうか(まあこの辺は、政治家にも問題あると思いますが)?
第二次大戦の時は『満州』という『捨てられるもの』がありましたが、今の日本が侵略者に差し出すものがあるとしたら一体何なんでしょう。沖縄?北海道?佐渡島?台湾は対岸のミサイル群配備を座視している間に、戦略的には『戦争が始まった瞬間に終わり』という状況になってしまい、経済情勢も手伝って既に独立派風前の灯火です。官僚・政治家諸氏にはそうなる前に、中国の軍拡の動きに対して徹底的に牽制して、妨害する先見の明を見せて頂きたいものですね。中国は一隻目の大型空母就役の二十年後には、太平洋及びインド洋に於いて、アメリカ海軍と真っ向から退治する存在になっていると思います。それは中国人に取って、日清戦争以来の悲願なのですから。
(2009年 8月25日追加)
ところで散々財源の無い14兆だっけ?の無駄遣いをしたおっさんが、民主党の公約は財源が無いとかほざいてる様です。まずは自分の歩いてきた道を振り返ってみれば?と言いたい。そもそも日本の現状(糞みたいに自主性の無い外交、国民は中産階級どころか総奴隷化)を産み出したのは自分たちなのに、このまま政権を握らせてもらったら民主党よりも良くしてみせる、実績ある連中なんだそうな。ハー(のの)????
民主党が官僚が癌であると主張しているのは、正しいと思う。
そのことは非自民政権の時代に、官僚が全ての改革に対してボイコット運動をやった時点で、明白だと思う。彼らは天下りに関わる全ての利権の排除に対して、『仕事をしない』『法律作成を妨害し、骨抜きにする』という形で、正体を現しました。彼らがそうゆう暴挙に出られた根拠は、『なーに、次の選挙が終わったら、また自民党との癒着政治が復活するさ』です。事実そうなりました。
今回の選挙で大切なのは、非自民政権が最低二期、出来れば三期以上続くこと。自民党意外の政治家が農協の集まりに来たら、『お前たちの補助金を取り上げる』と脅す連中が、『公僕』と言えるでしょうか?既に公務員としての倫理違反である筈です。
そうでないならば、法律を作ってそいつらを自動的に全員クビにすべきでしょう(前年ながら、法律が効力を発揮するのは、法律施行後です)。
新聞の投書欄では偉そうに、『真面目に仕事をしている立派な官僚が存在している』とのたまっていますが、じゃあどうして天下り先の拡充に協力を拒否すると、出世コースから外されてしまうのでしょうか?熱心に仕事をしていると『俺たちも働かないといけないだろう?』と、突き上げを食らう職場が存在するのでしょうか?
本来官僚は、政治家の意図する法案実現の問題点を排除するのが仕事であって、法案作成を妨害し、骨抜きかするのが仕事ではありません。その様な仕事に熱心で有能な官僚のことを、『国賊』と言うのです。そして『国賊』でなければ出世コースから外れる。過去に国賊であった上に有能であった人だけが事務次官になるのであれば、そんな人が有能であったとしても、豚箱にでも入っていればいいというのが、『市民感情』という物なのではないかと、私などは『予想』してしまうのですけれどもね。少なくとも日本の外交官僚は、日本人同士の温くて気持ちの悪いお友達感覚の外交しか出来ていません。これが日本の『トップエリート』だとすると、当初にあった有能な官僚というのは一体どんなものを指すのやら‥‥。
正直政党は外部ブレーンを使って、『関係法令との調整』程度で済む程度の法案を文面として作成する能力をきちんと、持つべきでしょう。有り難いことに今では、オンブズマンとかNGOとか、ロハとか安い金額で喜んで国造りに参加してくれる人材がゴマンと居ます。先程も述べましたが、官僚のお仕事はそうして出来た原案を、『実現するための裏方』です。勿論、国を良くするための提言は、どんどん政治家に上げればいいでしょう。でも、誰もあなた方に日本の未来を『付託』していないという事実を忘れては、それは『僣越』というものです。『俺が前に立って日本を動かす』と言うのであれば政治家になるべきであって、公務員とは『進んで裏方になった者』でしかないのです。だからこそ、公務員には『選挙』がない。
あと、どうして日本人はこの思い違いから逃れられないのかなと、ずっと不思議に思っているのですが、公務員はクビにできます。職務怠慢、出社拒否した社員は、どんな会社でも『正当な理由』を持ってクビに出来るでしょう?どうして悪質な法令違反を犯した職員が、高級官僚であるというだけで閑職三年間で事務次官に戻れるのでしょう?
勿論、人数が多過ぎれば公務員だってクビが切れます。もし現状の法令上で問題があるならば、その法令をこそ正すべきです。
余剰人員を飼った上に、それに見合った新しい収入源を作れなかった会社は潰れますよね?それは国家も同じです(デフォルトって言う奴ですね)。国が破産したら紙幣は紙切れ同然、スーパーインフレに大恐慌、日本がそうなったら世界規模の同時不況でアメリカも恐らくデフォルト、対戦前の大恐慌なんて目じゃなくなるでしょう。
そうなりたくなければ、どうすべきか判りますよね?余剰な国家職員のクビを切って、天下りの巣窟の特殊法人の一掃、国土交通相だかが平気で『地元に利益誘導しました』なんていう『背任行為』の禁止(つーか逮捕)、この辺は外せません。
と言うわけで有権者諸氏に対して改めてお願いしたい。本当に日本を変えたかったら、取り敢えず自民党を政権から、最低でも二期、出来れば三期引き離して頂きたい。その上で民主・自民以外の第三党に政権を引き継ぐことが出来たとき、初めて日本から『官僚の弊害』が取り除かれると思います。
あと、腰痛の所為で適切な時期には書けませんでしたが、民主党は選挙運動と平行してオンブズマン・NGOと協力して、各省の無駄遣いを具体的に抉りだしてリストにしておいて欲しかったですね。そうすれば民主党の『財源問題』が、どの位の真実性を以て解決が可能かを示すことが出来たのに‥‥。つーか、その程度のことも始めない・判らない民主党には、結構絶望した──(>_<)゛゛゛゛(千里ちゃん版で行っときましょうか)。
そうそ、『どうせ民主党が勝つやん』とか思っている人。それこそ『眠っていて欲しい』森のおっさんの思うつぼやで〜。多分投票率が五十パーセント台までだったら、自民党過半数取るから。 自民党に入れる連中は、官僚と自民党政治家が粛々と積み上げてきた、『既得権益』が欲しい連中だから、選挙には絶対に自民党に入れる訳よ。自民党が屑であろうが無能であろうが関係なく、『天下り官僚』を受け入れて作り上げてきた、『既得権益構造』こそが目当てな訳。『自民党を見捨てる』と言ってるのは、小泉元首相のお蔭でその既得権益から外れた連中だけにしか過ぎない。
現状、確かに民主党は地滑り的勝利のチャンスを持っては居るけれども、結局皆が投票に行かなければただの絵に描いた餅にしか過ぎない訳で、餅が欲しいと思っているならば自分で行動するしかない。
何時も恐いなーと思うのは、日本人ってそれが判ってないことなんだよね。無差別にアンケートを取ったら、過半数が『今回は民主党の方がいい』と思ってる。でもその内の四〜六割は選挙に行かないから、現実の選挙では全く関係の無い数字が現実になる訳。
そう、君が何もしないということは、実は君の望みと未来と可能性を放棄するって言うことなんだよ。っていうことは、明確に伝えておきたい。私がこんなことをここに書いているのは、少しでも可能性を大切にしたかったからだっていうことは、ご理解頂けるだろうか──?
(2009年 8月25日追加)
『涼宮はるひの憂鬱』アニメ二期。『なんとかエイト』って繰り返される八日間って意味かと思っていたら、マジで八回やるつもりっぽいですな(まだ新作の八話見てません)。つーかそもそも、繰り返されてるの八日じゃ無かったみたいだし
(苦笑)。
正直二〜三回繰り返したら充分な内容であって、思わせぶりに八回もやるような内容じゃ無いよなと。だってそろそろいい加減、『宿題やれよ』って気分になってますし(笑)。特別新しい燃料追加も無いんだったら、三回目で充分な気がします。つーか長門さんを呼び止めるシーンの度に『こらキョン!!いい加減愛の告白しやがれ!』とか大番狂わせを期待するのも飽きた(の_の)v-〜。
もう一つどうでもいいお話ですが(どうでもよかったんかい)、『パンドラハーツ』。何話だったか前に主人公がアリスを助けに行ったんだか反対だったか(その位覚えとけ、自分!!)、突然現れた黒い髪の女の子がレギュラー顔で喋っているのを見て
。『誰?これ?』。
ええ、一応ヒロインらしいんですが、既に始まってから数話以上経っていたのに、彼女を見ても誰だかさっぱり判りませんでした。つーか記憶から綺麗さっぱり消えていました。確かに割と陰の薄いヒロインですが、ここまで陰の薄いヒロインは他に記憶にございません。つーかそもそも、この女の存在ってストーリーに関係あるのん?というのが、常日頃の感想でしたから。
いやまあ、どうやら彼女の正体と救済が物語の本筋だったらしいのですが
(の_の)。
こうなった原因は多分、第一話でアビスの意志とアリスが混同していた所為で、『折角可愛いのにね〜』と思いつつ、どうにも感情移入する機会を失したせいなんだろうな。せめてもう少し早い時期に、アビスの意志が再出演していたらねー。『咲』の存在が希薄な女の子よりも、遥かに存在が希薄だなー。てか、『サヨナラ絶望先生』の簾頭よりも、存在感の薄いヒロインなんて
(○
。○)!!
『サヨナラ絶望先生』と言えば
固形の麻薬がどうとか言っている歌手だか役者だか。バラエティーでの彼の言行録を見ていると、『人として軸がぶれている』が頭に駄々漏れになるのは、気のせい(苦笑)?
もっとも彼の立ち位置は基本的に、テレビの向こう側の女の子に持てる格好のいい人だった筈なんですが(多分)。
(2009年 8月 9日追加)
下記はデジカメジンのデジカメウォッチのGRデジタル3の実写画像記事を見ていて投稿した内容を再編集したものですが。実は書き込みでは、後半を削除しました。まあこの辺は文章が長いがどうたら、グダグダ言う人対策がメインですが‥‥。要するに彼等を『写真を愛するもの』として値踏みするに際して、『足元を見』ざるを得なかったってことですな(苦笑)。
文章が長いとか何とか言っている人は、このことの意味を理解出来るのだろうか?また、他の人に対して責任を取れるのだろうか(まあ、取る意志があったとしてのお話ですが
)ってなことを考えてしまうのでした。個人的には人を半人間みたいに扱うのは、とってもとても不快で嫌んなんですけれどもね。
と言うわけで以下の文章は
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/special/20090805_307174.html
の作例を見てのお話ということで‥‥。
気狂いみたいな強烈な発色とどんよりした魅力の無い発色が両方存在しているのを見ていて感じたのだが、実はベイリンググレアが酷いんじゃないのかな?強い光源の周囲に浮かぶ微妙な睫毛状の重複したフレアの感じからしても、極端に反射率の高い面が最低でも二面程度あるんではないかという印象が強い。うっすらと埃を被った様な汚れ方(水垢っぽいと言った方が近いか)をするとこうなるというイメージがあるのだが、新品でそれは流石に無いだろうと思うので、青いゴーストを産んでいるコーティングの癖なのかな〜?強い光線が入ると色がどんよりとするのは、逆光に弱いレンズの証拠ではあるが。
でもその絡み以外は割とレンズはいいんではないかという気がする。『描写が変?』と思ったら、それは被写界深度外であるのか(つぶさに見てみると思っているよりも被写界深度が浅いらしい)画像処理関連が悪さをしているだけな場合が多そうな気がする。
基本ハイライト飛び回避重視で露出が渋く、結果として極端に光の強い部分があるとS/Nがギリギリになってノイズリダクションに頼っている印象が強い。その上でとんでもなく太い(しかも強めな)輪郭強調を入れていて、ファイルサイズが小さいとしたらこの太いシャープネスで解像度をドドーンと下げているお蔭も大きいのではないだろうか?やたらと直径の大きな暗部ノイズが残っているが、これはノイズリダクション直径が大きいことと、シャープネスの直径を小さくできなかった元凶と見ることも出来るかも
(苦笑)。
上記の問題はRAWで露出を可能な限り一杯取れば結構改善を期待出来そうではあるけれど、しかしコンデジなのだからやっぱり、出来ればJPEG撮影時にファインシャープネスを設定してとてつもなく低い圧縮率を設定出来ればなーと。そうしたらこのカメラも、『名機』足り得たような気がする。まあこの辺はライバルたる、LX3にも同じことが言えるんだけれども
向こうにもRAW撮影機能は、あったかいなー?
つーかもしもファインで撮ってもこのグダグダで水の中で撮ったみたいな画質だったら、結構嫌だなー。小ボケした時の圧縮ルーチンの癖が、悪印象に一躍買っているんじゃないのかなーという気がする。もっとも原因の半分がノイズリダクションだろうと考えると、画質をノーマルからファインにしたところで改善する可能性は、五分五分だったりするんだけれども‥‥。
そもそもこんな『ノイズリダクションで苦労しました』−>『そのせいでアンシャープマスクの直径が下げられない』−>『結果として小ボケが気持ち悪くなりました』って画を見せる位だったら、画素数で英断を示しましたと言うなら七百万画素機位にして欲しかった気がする。少なくともリコーではGRデジタル初代(八百万画素)の時点で既に、画素数に画像処理が負けてたと思うし
。レンズの描写とか頑張っているところはとても伝わってくる頑張りを見せているのだから、時代に負けずに、もっと常識に喧嘩を売る様な選択があったんじゃないのかなーと、出来上がってきた画を見ているとそんな気がしてきます。
つーかLX3に勝ちたかったら、リコーの画像処理技術だと大型撮像素子を引っ張ってくるしかないよな、という気がしましたな
ビビッドなカラーと見掛けのS/Nを実現するために引き換えにした、途轍もないシャープネスの太さを見ていると何と言うか‥‥。向こうより太くても、上品に分かり難くすればいいって言う問題でもないと思う(^-^
)>



思うんだけれども、現場の人達が『これよりいいものを作りたかったら、次はもう大型撮像素子を使うしか無いです!!』って上に直訴したら、意外とゴーが出そうな気がする。リコーの上の人達がカメラメーカーだと思っているのであれば、DPシリーズやE−P1を見ていて我慢できるとは思えない。機はもう既に、きっと熟しているのですよ!!(ここより先は追加分の文章)でなかったら逆に、リコーのプレミアム戦略はもう先は無いんではないかなー。
GX100のシリーズはある意味究極のマクロ機として現行シリーズの発展形で問題ないと思うけれども、GRシリーズはもっとプレミアムでないと。そのプレミアムさとは何かと言えば、出来上がった写真の美しさ以外の何物でも無い訳で。
それは値段を取るための高級感とか、そういうのとは全く関係が無いと思う。そういう意味では、意味の無いGRデジタルシリーズのプレミアム路線というのは、その時点で間違っていたと思うんだよなー。
GR1の値段というのは、レンズに対して仕方の無かった値段という受け止められ方をしていたし、廉価版たるGR10だってその機能差分安くても、レンズの持つプレミアム性は疑いようが無かった。まあ言えばネガでも構わなければGR10だけど、リバーサルならGR1しか選択の余地が無い。しかし、8ミリフィルムに操作性を付与してプレミアムです、GRシリーズですと言われたって、誰も納得しないだろう。
DP1が出た時点で既に、現行GRデジタルシリーズは存在意義を失っていたんだと思うんだけどな。『あれはマイナーだから』という言い訳は、E−P1が出た時点で既に成り立たなくなっていると思う。実のところDP1の販売数の内の八割位は、真『GRデジタル』を欲していた層なんじゃないのかな。そういう意味ではレスポンスの改善した『DP1n』が真『GRデジタル』よりも前に販売された時点でGRデジタルシリーズの未来はなくなると思うと、シグマさんも人が悪い商売をしているなー(苦笑)。
(2009年 8月 9日追加)
『涼宮はるひの憂鬱』の今やってる分のアニメ。旧作の再放送と見せ掛けといて新作が混じってるとたまたま知ったのが遅く、最速放送と違うところでも録画したもんだから、今見てるのがどのバージョンなのか訳が判らなくなってしまった
。
という状況の中でクリソツな話を三話も連続してやられると、マジで混乱する──(T_T)o。まあ何故か、浴衣が違うというのとウルトラマンマスクの色が違うというのは判ってしまうのが不思議だが‥‥(笑)。あ、プールと祭りの会場とかのカット割りが違うのも、何故か判るな。我ながら、どこを覚えているんだろうか‥‥

しかし、普通こうゆう間違い探しネタって言うのは二回しかやらんもんだと思うんだが、三回もやる?しかも、二回目で声を掛けた後、新学期始まってなかったっけ‥‥(中記憶違いでした
)?
それすら違うというのであれば、きっとはるひが求めている違いっていうのは、最後の予備日に会おうって、キョン君に誘われることなんでしょうね。結局、第一話であれ程普通の恋愛を馬鹿にしながらも、彼女の求めているのは普通のラブロマンスだったんだってことなのかなー
とか思ったり。
しかしここまで来るといっそのこと、最終回までこの繰り返しバリエーションにしてしまえよ、とか思えてしまうな〜。
そういや二回目と三回目で自転車の停め方が違ったけど、一回目はどう停めてたっけ?って、確認したら一回目ではそもそも自転車を降りていなかった(笑)。
しかしマジで判らないから、せめてサブタイに一週目とか二週目とか、付けておいて欲しいものだ‥‥(T_T)〜。
(2009年 7月 8日追加)
家の大きな方のお人形さんこと久遠嬢を連れて、駅前のロータリーで写真を撮ってきた(の_の)v-〜。まあ、駅前と言っても、昼日中だとほとんど交通量ゼロだが。
でまあ、15−30ばかりでも面白くないと手持ちの単焦点大口径系レンズを連れていった訳だが、開けめで撮ると30Dのモニターでは‥‥。ボケボケ(T_T)〜。どうしてもピントが確保出来なくって、ついでにプレビューを見るとボケがデカ過ぎる様なのでF8とかダサダサなところまで絞り込んで撮ってきまし。これじゃー、F1.4とかF1.8とかF2のレンズ持ってく意味ねーやんけ〜‥‥(T_T)〜。
で、家に帰ってパソコンでチェックをしてみると。ハッ‥‥
開放で撮った分も含めて、ちゃんとピント来てるみたいやん。何年この30Dのモニターは。ついでに、背景も絞り過ぎ(苦笑)。
正直なところ、30Dのファームウェアを作った奴が、何を考えてチューニングしていたのか全く理解が出来ない。もし内蔵しているプレビュー用JPEGデータが小さ過ぎるというのであれば、ピクセル等倍とかその二倍までとか、制限する機能が欲しい。ついでに言うと、拡大表示するならするで、ジャギジャギの補間無し画像を見せるべきだろう。その辺の感覚が、日本のメーカーって頭奇怪しいんじゃねーのと言いたくなる位、何にも考えてなさ過ぎ。拡大再生する理由とか、目的とか、頭使ったことないんじゃないのかな?眼が悪い爺様が見るにしたって、ボケた画像見せられたって見易くはねーよ。まあジャギジャギの画像も、訳が判り辛いが(苦笑)。
初めて30Dのモニターで画像を見たときは、その酷い色合いに自殺したくなるくらいのショックを受けた。パソコンで同じ絵を見て胸を撫で下ろしたんだけど、液晶の性能に由来する部分は兎も角、補間拡大画像を見せるセンスは、阿呆と言いたい。でも本当にバリピンが来たときには、その腐れファームウェアで拡大された画像を見てもきちんとピントがあって見えるのは、摩訶不思議と言いますか‥‥。何とかならんもんですかねー。
あさて、最近の機種は再生画像もまともになったって噂を風の便りに聞きますが、実際のところどんなもんなんでしょうかね。
(2009年 7月 8日追加)
洋モノポルノ見ていると、男優がチンコ立てるのに自分で皮使って扱いているシーンが結構出てきます(まあ、アメリカよりヨーロッパ物に多い気もしますが)。
じゃあ、自分の皮使って扱いてるから剥けないかと言えば剥ける訳で、『剥きようが無い』真性包茎は確かに射精し難いとか色々と問題が生じますが、実は仮性包茎って何の問題もないんですよね。そんな当たり前でないと困る内容が秘中の秘ですか?と聞きたくなるところに、日本のPTAと屑みたいなキリスト教系勢力が行ってきた、無法な情報統制が大きく陰を落としていると思います。
因みに、一気に剥けなくっても、頑張って段々剥ける範囲を広げていけば、皮(の開いてる部分の直径)が伸びてくるので大丈夫だよ。皮が伸びたら困るじゃないかと早合点する奴が出てきそうですが、長さじゃなくってあくまで穴の直径がデカくなることが大切な訳ね。
これ、地道に伸ばしていかないと意外と伸びないんだよね──(大汗)。別に3月計画とか半年計画、下手したら2年計画で伸ばせばいい問題だから、大人になってからでも問題ないから、地道にやっていけばいいと思う。
真性包茎のままだと、女の子に気持ち悪いとか気持ち良く悪くないとか言われる原因(外観ではなく、女の人の中に入っている状態で)になる様なので、こっちは切実だよな──(>_<)゛゛゛゛。
あ、縮んでる状態で皮を亀頭を潜らせて、勃起して大きくなってきて痛くて我慢出来なくなったら、皮を伸ばして亀頭を納め直す。こんな感じでやってくといいです。潜らせた状態で勃起してもだんだん痛くなくなってくるので、そうしたら目標達成(>_<)゛゛゛゛゛。勃起した状態で放っておいたら多少被っていても、
剥いて根っこに送っておけば大丈夫。雁首がはみ出しているので、やってる最中に被っちゃったら、その都度剥いてやればそんなに問題はない筈(多分。笑)。
こんなノウハウ、どこにも書いてないでしょう?それこそが、日本の持っている『大問題』そのものだと思う。エッチ関係は一番恥ずかしい問題だから(しかも差別やいじめの原因にもなるし)、問題にぶつかってからだと尚更友達にも聞き難い。下らない包茎手術の広告を青年誌を飾っている元凶ですな。勿論その大元の原因は、PTAとか教育委員会とかと言った、性知識そのものを嫌悪する生物としては頭の奇怪しい連中だったりする訳で。
そうそう、陰毛が長いとチンチンが縮んだ時に巻き込んで痛いので、子供の頃から陰毛は巻き込まない程度にカットしといた方がいいと思います。このノウハウにもっと早く気付いていたら、
もっと色々と要領よく‥‥(大汗)。
(2009年 7月 7日追加)
ネットで児童ポルノ法関連で『創作物まで規制するのはどうやねん?』に付いて議論しているのを見ていて適当につらつらと。
先ずどうして規制がしたいのか?簡単。官僚の天下り先数人分を確保するため。そう、彼等はその為だったら、全ての文化を焼け野原にしたって気にしない(苦笑)。数人分の天下り先を作るために、血税を数十億平気で無駄遣いさせる連中だからね。
もう一つ、官僚以外にも規制がしたい勢力が居る。宗教狂いである。そんなのオーム心理教と変わらない(冗談の積もりで書いたけど、現実にはマジで)ので、キリスト教系だろうと何か聞いたことの無い宗教だろうと、そんな奴らの言うことは無視した方がいい。人の心を無視して自分の要求を押し通そうとする連中のことなど、無視するに越したことは無い。そもそも、人の心を支配しようとする行為というのは、もっとも忌むべき不愉快な愚行ではないだろうか?
あと、肝腎な規制の根拠たる規制の効果について。被害者の居る実写型の児童ポルノは兎も角として、ポルノの公認が性犯罪を抑止するという統計は、実在するという噂を聞いた。その逆は聞いたことが無い。要するに、なる程、二次創作物だろうと児童ポルノは劣情を催させるのかもしれないが、ガス抜きが無いが故の実犯罪の増加の害の方が、圧倒的に大きい訳だ。
手っとり早く言えば、(女性は知らないが)マスターベーション禁止の社会と公認の世の中を考えれば、マスターベーションの結果性欲の下がった状況の方が、そうでない状況よりも『何でもいいから女を押し倒したい』という欲望は下がる。そこら中の男性に聞いてみて欲しいが、多分これを否定する男はあんまり居ないだろう(居たら、そいつとはあまり友達になりたくないが)。
結局エロ本資産(ゲーム、ビデオ、漫画等全ての媒体を含む)というのはマスターベーションの極めて重要な道具な訳であって、それを取り上げられれば持て余された性欲は現物(リアルの女性なり児童なり)に向かうのは論を待たないと思うのだが、規制派はきっと言われても理解出来ないんだろうなー。
精巣の無い女性は男性よりはまだ生理的欲求は少ない可能性があるが、いずれにせよ欲求不満の解消という面に於いて、マスターベーションの禁止の心理的影響は方向性としては代わり映えしないんだろう。と言うか、アフリカでは女性の性欲を抑制するためにクリトリスの切除が行われているそうだが(言葉は同じでも、ユダヤ教が男性に要求しているのとは真逆の方向性)、結局これも女性の性欲が肉体的な欲求から来ていることを認めてのことと言えなくもないだろう。
ところで
。気が付いて爆笑してしまったのだが、キリスト教徒の大好きな天使。日本の今騒がれている児童ポルノ法的観点に立てば、あれは児童ポルノそのものとしか言いようがない(爆笑)。児童ポルノ禁止法推進派の変質者(ご免、私にはそうとしか見えない)達はヨーロッパに於ける児童ポルノ法の存在云々としきりと喧伝しているが、だったらヨーロッパに行って天使像の打ち壊し運動でも実践してみよう。どこの教会に行っても、数枚以上の絵画と数十体の天使たちが、あなたに打ち壊されるのを待っている筈だ(’-’)v-〜。
あ、裸のキューピー人形とキューピーマークも駄目か。ケロヨンだってカエルの顔をしているが、現実にはヌードの子供にしか見えない。源氏物語は児童性愛小説だという指摘を見掛けたが、なる程、そうだよなー(苦笑)。
そもそも日本では男子十五歳前後で成人だし、女の子が十三歳以下で結婚したのは日本だけではない。実際の性交はお互い子供が出来る位になってからな、だったのではないかと思うが、雑誌の小学校に於ける性交率が何パーセントではないが、もう少し現実的に行こうや。いや、私だってコンドームがどうしているのかも理解していない餓鬼のセックスには、大反対だが(苦笑)。
まあ正直言って、文化も考え方も何もかも違う連中のやっていることを、どうして有り難がって『日本も同じにしなくてはならない』ってなるのかは全くもって不明だなー。『グローバル化』とかいう意味不明な言葉を並べて時価会計だのアメリカ式のやり方を無理やり移入してきた日本だが、本当にそれが全部正しいと思ってる奴、ほとんど居ないでしょう?いや、テレビ見てるだけで何にも考えてない人とかは、そんなこと聞かれても判らないかもですが。
テレビを見ていることが悪いんじゃなくって、そこにさり気なく示されている情報を聞き流すんじゃなくって、きちんと自分でも考えてみないとね。恣意的に一方の価値観に偏っている場合が多いけど、それでも自分の頭で考えてみれば、矛盾した部分にも気付ける筈だ。
(2009年 6月30日追加)
大昔からどうゆう酒が『美味い』と思われているのかずーっと探っているのだが、もう一つよく判らない。
日本酒だと辛いだけの芳醇味の無い酒から辛いけど甘い酒、臭みのある酒、原酒系に多い豊かな芳醇味と甘味を持ち、時には炭酸味のあるものも。どれに付いても美味いという人も居れば美味くないという人も居るだろう。
ビールだとスーパードライ(特に出たばかりの頃)みたいにマジでドライですっきりしているだけで、少し辛口だけどそれだけの酒とか、キリンラガーみたいにホップがやたら効いて苦く、味は濃いわけではないがそれなりにあるまあまあすっきりした味とか、銀河高原ビールみたいにクリーミーな泡に甘味の感じられるもの、エビスの芳醇味高く味の濃いものもあれば、プレミアムモルツの様にキリンラガーのホップが極端にきつくなった様なのに、ギネスの黒みたいに焦げたコーヒーみたいな味のものもある。やっぱそのどれについても、美味しいと言う人は居るだろうし、不味いと言う人も居るだろう。
赤ワインだと、渋いの、苦いの(これは大抵、保管が悪い状態で古くなった酒石酸の出来たワインに多い)、渋みの中に甘味も芳醇身もあるもの、泥臭い味のもの、弱い苦みと軽い渋みがあるのに強い甘味と芳醇味が強いもの、白ワインなら渋くて淡白だがほんのり甘味のあるもの(このタイプで芳醇味が強いものは記憶に無い)、芳醇味が強いもののガムっぽい香気成分の強いもの(リースリング系の何割かはこれっぽい)、程々芳醇味が強く、さっきのとは違う香気が強く、匂い的には赤ワインに近いもの、甘くて炭酸身が強いけど意外と味が薄いもの(若い白ワインにたまに見掛ける)。やはりこれらだって、美味しいと言う人も居るだろうし美味しくないという人も居るだろう。
とまあ、個人的に覚えのある味を適当に並べてみた訳だが、あなたはどれが口に合いそうだろうか?
個人的には、日本酒だと芳醇身が強く可能なら甘口、炭酸味がある位の臭みの無い酒(事実上原酒だ)なら『好き』と言えるが、それ以外のは良くて『まあ飲んでもいいか』、臭みの強い日本酒(ほとんどが醸造用アルコール入り)は味見以上には飲みたくも無い。
ビールだと銀河高原ビールとか、エビス、ギネスの金色の缶の方にサッポロの生、黒生、確かオリオンビールもエビスソックリだった筈。こう書くとビール好きに見えるかも知れないが、現実にはビールなんて何でこの世に存在するのかも判らない(笑)。
赤ワインは渋いのが多くてあんまり口に合わないが、白も含めて芳醇身が強く甘身の強いものが好みだが、大抵そうゆうワインはそれらに弱い渋みか弱い苦み、時に強い香気が伴っている場合が多い。ポルトで買った一瓶五ユーロ位の赤のポートワインがそうで、少し苦いのだがそんなワインがこんなにも甘くて芳醇身を持てるのかとビックリしたものだ。でも、淡白でも甘味と芳醇味の強い炭酸身の強い白ワインなんかも結構好きだし、少し酸味があるけど物凄く濃い甘味のスペイン産のワインも美味しかった。
ここで再びあなたに聞いてみたいのだが、私の好みとあなたの好みは合致しただろうか?まあ多分、七割位の人は意見が合わなかった筈だ。それにワインの表現など、それなりに飲んだことのある人でも『甘くて苦くて渋くて芳醇だ?何言ってんの?頭奇怪しいんちゃう?』とかいう人すら居るだろう(笑)。家の家族だって、私の言っていることを素で理解できる様になるまでにワイン十本分位掛かった筈だ。初めに感じる味と飲んでいる最中の味、飲んだ直後の残り味の違いまで意識している人がどれだけ居るだろう?
まあ、美味い不味いの判断は、そんなの全然判らなくっても全然構わないんだけどね(笑)。
とそれはいいんだけど、じゃあどうしてこんなことを言い出したのか?それは、朝日新聞の土曜版に千円までのワインでどれが美味しいかをランキングしている記事を見たから。まあ、ここまで来たら何が言いたいのかは『皆まで言うな』なんじゃないかと思う。いや、出来れば皆まで言われなくっても判って欲しいというか‥‥(苦笑)。
正直、ワインの『最高金賞受賞』とか言ってるの、阿呆らしいから止めてくんないっていうのが個人的な正直な印象。勿論、千円以下のワインについても、ご同様だ。だってそうだろう、あなたの味覚に合うのかどうかも判らない代物に『〇〇年度最高金賞受賞』と付けられたって、そんなの美味しいという保障にもなんにもならない。それに対して『このワインの良さも判らないのか?』。お前は私の舌の好みを知っているのかと聞きたい。
例えば泥臭系のワインは、個人的にあんまり飲みたくない。赤ワインは口に合わない可能性が高いので何時もグラスに控えめに入れてもらうのだが、『飲物が無いから止むを得ず』と言うのでなければまあお代わりはしないだろう。あいや、『実は美味いのかもしれない』と再トライすることはあるか。でも、やっぱり口に合わないものだ。でも、家の兄貴も親父殿(どちらも酒好き)も、『重い』とか『フルボディーだ』とか言って、『こうゆうのが好きなんだ』と喜んで飲んでいる。時には泥臭で渋い系のワインすら『美味い』と言って飲んでいる。
まあこうゆう私の様な素人には二重苦としか思えないワインでも、美味しいと言われる場合は芳醇身が強い場合が多いが(酒飲みには、甘さと酸味はあんまり関係ないらしい)。流石に二重苦な癖に水臭くて芳醇味も無い赤ワインは、あんまり評判が良かった記憶は無い(まあこうゆうワインの苦みって言うのは、普通に言う苦みと違って酒石酸の独特の苦みだったりするのだが)。
まあ米系の焼酎と芋焼酎、ソバ焼酎のどれが好みかと聞くのと同じで、本来『一つの結論』なんて無い筈のものに格付けしているのである。しかも千九百何年ものがどうとか有り難そうにしているが、古いワインには酒石酸が溜まるもの。ビンテージワインは基本糖度の高い味の濃いものが選ばれる様だが(でないと段々旨味が酒石酸に変わって、味の薄い変な味がするだけの液体になってしまうから)、果たして一体どんな味がするのやら‥‥。ひょっとすると、『判ったような顔』をするのが目的であって、十人中九人は心の中で顔を顰めているのではないかと、疑わずにいられない。
取り敢えずワインに付いて言うならば、なろうことなら750cc辺り三百八十円以下で『俺の見つけた美味しいワイン(自分の口に合うっていう意味ね)』を競い合う時代になって欲しいものだ。そもそもそれが出来ない人が、一本五千円のワインに対して本当に美味しいと思っているのかどうかすら、疑わしいと思う。いやまあまだ一本三百八十円のワインなんて、あるのかどうかも疑わしい状態なんだけれども(笑)。
(2009年 6月29日追加)
昔エクセントリック某というサークルに誘われたことがあるのだが、最初に見せられたロゴが英語で、どうしても『エレクトリック』と覚え間違ってしまい、なかなか本当の名前が覚えられない上に間違った名前の方がどうしても先に出てしまいます。はい、私が阿呆なせいですね(苦笑)。
何かそれを『自分達のことをどうでもいい奴と思っている』とか思い込んだらしく、追い出された上に逆恨みまでされてるっぽいのだが、いい加減私が阿呆だからだという可能性に気付いては頂けないものかと‥‥。大体、『エキセントリックって何?』という状態で、どうしてもエキセントリック某という名前が覚えられなかったのは仕方ないという面もあったり無かったりだったのだが‥‥。ええ、英語は文法で覚えるタイプで単語には興味無かったもんで、エキセントリックの意味そのとき初めて知ったの(苦笑)。
と言うわけでいい加減、あなたたちのことを軽んじてる訳でも無ければ馬鹿にした訳でも、ましてや下に見てる訳でも何でもないっていうこと、理解して貰えないかなー。ここのこと毎日の様にウォッチしていることは知ってるので、宜しくお願いします。
(2009年 6月24日追加)
一眼レフカメラの手振れに付いて、『1/60秒シャッターで実質解像度は1/4以下』とかいう記事を読んだ。内容は書いてある通りだったりするのだが、『例えば1/60秒において写真の実質的な解像度は,ミラーとシャッターの衝撃によって1/4以下に低下していた。2000万画素で撮っても実は,最高でも500万画素ほどの解像度の写真しか撮れていないことを意味する。』んだそうである。
でも、考えても見て欲しい。一眼レフカメラのミラーブレもシャッターブレも、その機種のそのシャッター速度に於けるブレ量はほぼ一定である。この量はフィルム上の像の移動量で定義される筈な訳だが、デジタルカメラ解像度も、レンズ側の解像度もその機種、レンズ毎に違う。二千万画素のカメラの解像度が1/4になる条件でも、五百万画素のデジカメでは解像度はフルに出ていることになる。
となるとこの記事は正確には、解像度が『1/4になる』のではなくって『五百万画素相当の実力しか発揮できなくなる』であるべきだったんだろうなーと。その際、ボディーが同じで撮像素子だけが違うカメラを想定すると、撮像素子が四千万画素であろうと一千万画素であろうと七百万画素であろうと、撮影結果は常に五百万画素相当ということになる。勿論、三百万画素の撮像素子から五百万画素の画像が得られるという現象は起こらないが(笑)。
因みに、どのレンズを着けても二千万画素のカメラ以上の解像度があるとは限らない訳で、手振れでレンズの性能が発揮できなかったとしても、ボディー側の事情と同じようなことが起こる。レンズの解像度が千万画素相当だったとしてもやっぱり五百万画素程度の分解能しか得られないし、レンズの解像度が五千万画素相当あったとしても、やっぱり五百万画素相当。そして五百万画素相当のレンズだっても五百万画素相当の結果となる。三百万画素相当のレンズだったら、結果は三百万画素相当の結果という訳だ。
但し五百万画素撮像素子のカメラを使う場合でも、手振れの影響やレンズの性能が五百万画素分ギリギリな場合よりも、手振れの影響が無い、若しくはレンズの解像度がもっと高い方が、得られる像は解像度も解像感も高いキリッとした絵になるのもお忘れ無く。写真のブレと言うのは、一ピクセル分よりも小さなブレでも像に影響を与えますので。
(2009年 6月24日追加)
まず、ここを見て欲しい。
http://www.digicamezine.com/mt-static/2009/06/1979watch.html
ここの冒頭でデジカメジンというサイトに出入りしている人達のことを罵倒するのが目的の書き込みをやっている奴が居るんだけど、4番目のレスでそいつが何時も私に個人攻撃を繰り返している個人攻撃荒らし野郎であることが判明。要するに、私に対する攻撃そのものが無差別な『荒らし』行為の一端でしか無かったと言うわけである。何か、阿呆らしくなる。
まあ、写真関係の板を昔から何時も見ていた人でないと何のことか判らないかもしれないが、そこら中の板で私の中傷を書いて嫌がらせをしていた奴がただの真正荒らしだと判明して、ちょっとホッとしたっていうところですか。だってターゲットは、誰でも良かったってことなんだもん(苦笑)。M−KEYさんにやたら絡んでいる奴が一頃居たけど、これで別人の可能性かなり下がったかな〜。
ところでこいつ2ちゃんねるの人形板で私の悪口スレッドを作ってた奴が写真板に進出したみたいなんだけど(だから未だに、人形関係のネタにやたら触れたがる)、総〇氏(後に〇eと改名)とは別人だと主張しているけど本当なんかいな?取り敢えず、一頃写真板で暴れまくっていたと〇氏と同一人物であるのだけは、間違いようも無いけど。
しかしまあ、私を攻撃するために人形板から写真板に引っ越してきて、そのままただの無差別荒らし野郎に昇格したんだとしたら、何とも嫌な話だなー‥‥(大汗)。でも手口からすると、2ちゃんねるの人形板で暴れてた時代から既に、真正の荒らし野郎であった可能性はとてもとても高いと思うが。
因みに、総〇氏が2ちゃんねるで嬉しそうに私の悪口書いてるのは、一度目撃済み。
(2009年 6月24日追加)
何か『A君の戦争』とかいう漫画(原作は小説らしいですが)があるようですが、そこにオタクの男の子が異世界に落とされて、特技の歴史と戦争シュミレーションゲームの腕前を活かして‥‥なんてお話らしい。きっとオタク連中が、『ウンウン』なんて頷きながら、自分自身の姿をそこに投影して読むように出来てるんでしょう。
でもね、腐れオタク根性っていうのは、『自分がやらなきゃどうしようもない』から動くんではなくって、そんなときにも影にコソコソと隠れて縮こまって、他人事の振りして嵐が通りすぎるのを待つのがデフォなんじゃありませんでしたっけ?そして、動くことが出来る人をとことん妬みから蔑んで憎む
。
なんて言われない様に、頑張れ男の子
!ってお話だったりは、するのかな〜?
そう言えば盲目でどこぞのピアノコンクールで優勝された方の新聞の記事。今までも苦労してきて、後悔することもあったけど、ここで華開いて諦めないで良かった式の文章書いてる人が居たんですが、そんな文章を平気で紙面に載せるという事実に、絶望した(勿論『さよなら絶望先生』風に)。個人的に『どんなに大変なハンディを持って生まれてきても、生まれてきたそれだけで嬉しいんだよ』式の強がりともお為ごかしとも付かない台詞を見るのもかなり嫌んですが、だからと言って『お前はハンディを持って生まれてきたが、特技が無ければ居ない方がいい』と読み替えられる文章を、新聞紙が隙を見せて平気で載せちゃうとは‥‥。
いやね、ハッキリ言って人に自慢出来るだけの特技や才能や能力を持って生まれてくる人間って言うのは、とても少数です。だって少数だから、『特別』なのですから(ある意味、それはハンディについても同じことが言えますが)。だから、『特別』じゃないと、難しいことを抱えているかどうかは別にして『生まれてきちゃいけない』なんて言われると、とても不快絶望を覚えるなーと。
まあ、もし仮に自分に特別な才能やらがあったとして、それが理由で『俺は生きていてもいいんだ』って思うような惨めで情けない人生は、送りたくは無いですが。でも、そう思うよすががあるの自体は羨ましいだろうな(苦笑)。
で、さっきの『A君の戦争』のお話に戻ったりして。そう、特別な才能を持っている可能性なんて言うものは、中学のクラスで毎年トップの成績を取るのと同じくらい稀有なことな訳で、そんな特別な才能を持った奴と自分を同一視しろだなんて、出来る人は羨ましいもんだね
(の_の)v-〜。
(2009年 6月20日追加)
オリンパスのE−P1が二色で売り出されましたが、売り出されたレンズとボディーの色の組み合わせを変えたかったら、セットで買えないから高くなるじゃないかと嘆く声が。
そんなときはどうすればいいか?簡単です。大型店のオリンパス製品売り場の前で粘って、E−P1を買う人に、『そういえばこのカメラ、このレンズとこのレンズの組み合わせ面白いですよね』とか提案する。相手が同意してくれれば、互いに一セットずつ買って、レンズをバーターすればいい。保証書の好感もお忘れ無く。
なんて、本当にそうしたかったら私ならそうしますが、今どきの格好がどうとか言ってしゃれもギャグも判らない世代だと、『んな訳あるかよ』なら兎も角『信じらんね〜』とかヌカすんでしょうね。特にオタク自称してる連中(笑)。
金で物事を解決しようと無駄金捨てるよりも、恥も外聞も捨てた上で笑い話になるなとニヤリと笑える奴の方が、格好良くてクールに決まってるでしょう。男の価値は、チンコではなくってハートのデカさで決まる、とか(笑)。まあ、ギャグの判る懐の広い女の子以外には、受けないでしょうけどね(の_の)v-〜。
(2009年 6月20日追加)
どうでも良さそうで全くどうでも良くないお話だが、アニメの殿堂とか言ってるあれ。お題目に対して必要な機能は何だろうかと考えてみたことはおありだろうか?
まず間違いなく必要なのは、場所。但しそれは、新築である必要はないし、見掛けが立派である必要もない。せいぜいがとこ、大阪府庁舎が入庁するかも知れなかったビルでもなんでもいいから、有り物の箱を安く借り叩けばいい。あそこで『立派な建物が
』なんて言っているのは、土建屋とタイアップして小銭を恵んで貰おうとしている物乞いだけだ。
そして肝腎な機能。日本の重要な経済コンテンツであるアニメがどうとかで国際的なアピールがどうとかと言うんであれば、下らない図書館の視聴覚ルームではなく、カンヌ映画祭が常設みたいな、商談ルーム。日本国内のアニメ制作会社の対外営業窓口にただ同然でスペースを提供すればいい。但しそんなものは場末の裏びれたビルでも充分な訳で、建物そのものがモニュメントみたいな下品な代物である必要はない。『ここに来れば最新のアニメの商談が出来る場所』というものが分かりやすくそこにあることが大事な訳だ。
その為に必要な機能。海外との契約に関してノウハウのあるアシスタント。通訳の申し込み窓口。自前で環境のあるアニメ制作会社は少ないから、そういうのが『何時でも頼める』状態で近くに居て、窓口を探す必要すらないとしたら海外展開に関してとても前向きになれる筈だ。
そして海外から商談に来た人が活用できるライブラリー。ライブラリーは維持は政府の役目だが、中に入るコンテンツは各制作会社に無償で提供して貰う。当たり前だろう、それでただで売り込みが出来るのは、制作会社の方なんだから。まあ結局、視聴覚ルームは必要になるわけだが、その対象は日本人の『アニメが好き〜』とか無邪気にのたまってるお子さまではなく、先ずはアニメの買い取りに来た業者(これは国内でもいい)、次は研究者、その次が熱心なオタクだ。子供向きのアニメなら、テレビで何時でもタダで見れる。子供の出番があるとしたら、それは余力を利用した最後。だってその子等の為には、地方の図書館が機能しているんだから(個人的に視聴覚ルームなんて本箱置き場に変えてしまえと思うけど。視聴覚ルームが欲しかったら、専用の図書館でも建ててろ)。
正直アニメの顕彰なんてしたいんなら、せいぜい15畳くらいの部屋にポスター並べて無意味にビデオを垂れ流してればいい。そんなものの為に、馬鹿高い金を払って箱物を建てる必要なんて全くない。国会図書館の近くの潰れた小学校でも探し出して一部屋借りて、残りは地域コミュニティーの為の溜まり場にでもしてれば充分である。それが本当に重要な機能だと言うのであれば、経済産業省(今でも本当にそんな名前だったっけ?)の中に一部屋作れよ。
『日本国内の』アニメ産業を振興したいのであれば、営業力を付けるために背中を押すべきだろう。その為に必要が無いことが一番ハッキリしているのは、『アニメの殿堂』だと思う。そもそも、中に入れるコンテンツも『思い浮かびません』とか言ってる糞が、『機能を入れる容れ物』たる建物の構想が練れる訳がねーんだから。やたら敗者復活した、道路建設と本当に同根だよね。
因みに、今日本のアニメを壊しているのはアニメの制作費を何日もしないで搾取している代理店とか何とかいうのだと言われている。テレビ局の枠を握っていて、制作会社との間に入って利益を独り占めしている訳だ。
残るのが、老後は愚か明日すらあるのか無いのかのアニメーター。奴隷労働と超低賃金で、親の臑噛りの趣味人が、採算性無視して人生をドブに捨てる覚悟がなければ成り立たない。そんな動画マンという下積みを潜り抜けた上に原画マンとしての才能を持っている人がどれだけ居るか?
今や動画のほとんどが外国への外注で、だから動画マンが日本に育たない。動画をやる人間が国内に居ないから、新しい原画マンが育たない。原画マンが居ないとなれば、演出も監督もどうやって育つのか(まあ、演出は撮影の方でも育ててるそうだが)?実は、既に国内のアニメ製作は根っこが腐り落ちる段階な訳で‥‥。
正直、日本のアニメコンテンツを世界に広めるという以前に、腐って倒れる寸前の日本のアニメ産業を復興する為には、アニメーターへの『まともな賃金』が支払われるようにならなくては。
でも、最低賃金を定義するだけでは話にならない。何故なら、そんなことを言われても中間搾取を受けている制作会社でにそんな原資が無いので、ますます国内製作の空洞化が進むだけ。テレビ局から制作会社に支払われるはずだったお金を、中間搾取者から取り上げて資金の流れを正常化する為の法案なり契約の雛型を作り直すのが、政府としての急務だろう。
実を言うと今は箱者を作っている場合ではなく、根っこが腐り切って一気に気が倒壊する寸前の、日本のアニメの製作現場を作り直すのが急務なのである。夜中に流れているアニメの数を見て『今は日本のアニメの最盛期』なんて楽しい戯言を言っている人も居るのかもしれないが、二十年後には国産スタジオで作られたアニメは、ジブリ作品を除いて一本も無くなっているだろう、このままでは。
(2009年 6月20日追加)
かなりどうでもいい話だが、と言うより、ぶっちゃけ全くどうでもいいお話だが(笑)、『ストライクウィッチーズ』のキャラ表に身長が記載されているのを見て、もっさんこと坂本少尉とミーナさんの身長が同じと知って驚いた。多分坂本さんが私より二〜三センチ下(160センチくらい)で、ミーナさんが10センチくらい高いのかと思っていたのだが‥‥。どっちも165。ムムー。
実のところエイラでも私より背が高いと思っていたのだが(165位)、意外と160センチ。駄目だ、思っていたのと個々人の身長が全く違う(苦笑)。175〜8と踏んでいたシャーリーですら167だもんな〜(乳牛系でプロポーションを綺麗に見せたければ、身長と書いてタッパと読む、は必要なものだよ)。
そころでそのキャラ評には芳佳ちゃんの親友(名前、出てきてないな?!)ちゃんが『監督の嫁』と書かれていて、へーえ、この子がタイプだったんだとか思ったり(笑)。
ところで『エーリカは天使だから』というネタが書いてあるのを見たのだが、エーリカってハルトマン(階級忘れた)だったような気が‥‥。個人的に意外とエイラとペリ犬、いやペリーヌが天使っぽく思うのだが、それだと変な天使とヒネた天使だな。ああ、ミーナさんは素でまともな天使に見えるが(笑)。
でも勿論、『ストライクウィッチーズ』の世界で皆に『天使って誰?』と問いかければ、エイラが即座に『サーニャに決まってるだろう!!』と叫ぶこと間違いなしですな(^-^)/。個人的には妖精か精霊の類に見えたりするが。
(2009年 6月19日追加)
Asデイズというブログで、『バスカッシュ』を見る動機が回を追う毎に減っていくと書かれていた。
うーん、確かに始まる前に期待したほどイカした動画(特にメカのバスケの)が見られる訳じゃ無いし、実際に初回を見た印象ほど馬鹿話が意味もなくドカドカと、それこそ視聴者置き去りで進む訳でも無い。そういう意味では、下手したら無闇と置かれている伏線すら『そんな見せ方するアニメじゃねーだろ?!』と叫びたくなるかもしんない(笑)。
ただまあ、『エヴァンゲリオン』(私はリアルタイムでは見てませんでした)で『最終回までに伸治君が今まで持っていた鬱屈感から開放されて笑えればいいや』と思っていたのと同様、『バスカ』も主人公が妹さんに取って誇るべきプレーヤーになって、妹さんがお兄さんに笑い掛けられればいいやとしか思っていないので、あんまり細かいことは気にしていなかったり。
でも、『エヴァ』もその辺微妙な感じで終わったしね
。つか、劇場版見てますます微妙になったと言うより、却ってムカ付いた(笑)。
(2009年 6月16日追加)
お台場に何かガンダムの1/1オブジェが出来たみたいで。その単体での出来は結構予想外に良くって、かなりビックリ。
ただ一つ気になるのは、展示の仕方。今は未だ足元は工事の為に囲っているみたいだから一時的な問題なのかも知れないけれども、巨大感というのは対象物があって初めて強調される訳で、出来れば足元に民間車両とか軍事トラックっぽいものとか置い欲しいな〜。
そりゃまあ現場に行かないと巨大感が体感出来ないんだよっていうのも商売としてはありだが、逆に現状の写真では『だから何?』と興味を持たない人の方が多いかもしんない。
(2009年 6月12日追加)
一応私は株取引に手を出しているのだが、まめさの欠片も無いもので、『失敗したら塩漬けにして値上がりを待つ』のが基本戦術である。え、自慢にならないって(苦笑)?
ところで、株の取引をしていると証券会社との取引も発生する。となると、証券屋の担当さんからたまに『こんな取引どうですか?』って電話が入ったりする訳です。しかも、この間まで担当だった人がまた、やたら熱心な人でして
。
と、必要以上の熱心さに迷惑さとムカ付きを覚えながらも、熱心であること自体はそれなりに評価していた訳だ。ところが。手持ちの株の会社がどっかと合併するという件については、碌にアナウンスが無かった。ひょっとすると電話をくれたのかも知れないが、わざわざ何度も電話を入れてくれたりはしなかった様だ。でも、これがお勧めの債権商品とかだったら、私が出るまで何度でも電話が来る
。
判るだろうか?私はその会社の合併で、一対一の対等合併だったらしいにも関わらず、株価が半分になってしまった。いや勿論、そんな重要な情報を見逃してる方が阿呆と言えば阿呆なのだが、顧客の利益に大きく関わる事柄について全く何の気遣いも無かった訳である。でも、自分の営業の電話だけは山程来る。ついでに、株式の電子取引に関してもう対応が済んでいたのかと思ったら、『まだ済んでません』と、手遅れになってから『手続きどうします?』と言ってくる。
とここまで書いてくると私が証券会社の担当さんの無能をあげつらいたいのかと思う人もいるかもしれないが、言いたいのはそういうことじゃない。証券会社は、自分の会社の都合は押し付けてくるけれども、決して顧客の利益や都合のことはほとんど全くと言っていい程考えていないと言うこと、です。
あいや、よく居るじゃないですか、『会社の人がやってくれるから』『私のことも、きちんと考えてくれてるに決まってる蛇無いですか』何てことを言っている人。でも考えても見て欲しい。営利会社ですら無い労働基準局すら、『予算が足りないから』とか言って、労災の認定を渋る、これが現実です。ましてや営利企業でしか無い証券会社が、『あなたのこと』を第一に考えてくれる訳が無いじゃないですか。
仮に担当者さんその人自身はいい人であったとしても、会社から押し付けられる会社の都合を満たさないと首になると言われたら、『あなたの利益』を第一に出来ない瞬間だって出てくる。それでもあなたの利益を考えてくれる人は、要するに会社を止めるしかありません。結果として最終的に残るのは、論理的に考えて『あなたの利益よりも会社の利益を考える人』しかあり得ません。志を失った人と、常識の枠を外れた位の天才だけが、それでも会社に残れる訳です。
で、あなたの前に居るのは、どこの鈴木イチローさんですか?1/10000とか1/1000000の志ある天才サラリーマンがあなたの眼の前に居る可能性は、残念ながら余り高いとは言えないでしょう。志高く、まだ首になっていないサラリーマンならまだ分がいいですが1/10000が1/100になるだけで、賭としてはまだまだ分が悪いですね。
と言う訳で、正直な話証券会社の社員のことを『あなたの利益に適っている』という意味で、あんまり信用しすぎない方がいいです。もっとも不幸なことに、401Kなんて言う国民を馬鹿にした制度が今後拡大していく可能性が高いので、証券会社の社員に助言を仰ぐ機会は増える一方でしょうが。
いやもう何と言うか、政府ですら運用で勝てないと言われているのに、弩素人の国民が勝てる訳ゃねーだろう(-_-
)。考えてみれば判ることですが、政府が年金の運用で常に必要なだけ勝てるのであれば、401Kなんていう制度はそもそも必要無かった訳で‥‥(T_T)〜。
ね、政府ですら、国民の利益より自分たちの利益しか考えてないんです(苦笑)。
(2009年 6月12日追加)
先日GMの前社長だか会長だかのインタビューか会見記事だかが載っていたんですが、その人曰く、やっていることは間違っていなかったけど、環境が悪かったんだと。ピックアップとRVばっかり作っていたのも間違っていなかったんだというお話でした。
思わず、顔が引き攣っちゃいますね。正しいことをしていたというお話なのに、景気とは全く関係無く、『今、売れる商品が無いんだ』
この状況に対して、正しいことを行ってきたとは‥‥。基本的な商品・開発戦略が間違っていなかったなら、景気と関係無く世界が小型車中心にシフトしている現状で『売る商品が無い』なんていう状況が生じる訳が無い。しかも経営に失敗して企業を破綻させておきながら、『貰うものは貰う』と言わんばかりの賞与や退職金は天文学的な額を受け取る積もりでいたという‥‥。本当にこんな奴に経営のセンスなんてあったのか?!
公的資金の援助を受けながら、その中から退職金をガッポリと受け取ろうとしたセンスもなんですが、モラルハザードと無能がスタグフレーションを起こした様な企業が倒産したのは、当然だよなーと思います。そんな企業を再建なんて言っていますが、再建会社に残るのは大型車ばっかりで、再建の核とすべき小型車ブランドは売却。こりゃーGMもクライスラーも二次破綻するんじゃないのかな。アメリカ政府の経営センスも大したものなんじゃないかと思う。
まあ正直言って今日のシナリオは、日米貿易摩擦の際に『時間稼ぎはするが何もしない』で済ませてしまった時点で、決まっていたんだと思います。っていうか、何もしていなかったっていうことが、今回の破綻劇に於いてGM社長が語っていた内容を分析的に見るだに白日の元に晒されたと言いますか‥‥。勿論、きちんとその辺を追い掛けていた人達は、そんなのを待つ前に気付いていたんでしょうけど。
しかし朝日新聞にも最近漸く、時価会計の悪弊について触れた記事(投稿だったっけ?)が載っていましたが、ストックオプション、投資ファンド、債権の証券化などなど、モラルハザードを形にした様な凄い代物にアメリカはこの二十年だかの間どっぷりと漬かっていたんですね。そのどれもが、仕掛けをきちんと聞くと悪弊が予想付くものばかりです(あいや、ストックオプションだけは問題点に気が付きませんでしたけど)。結局、政府も学者連中も、『分かり切った問題点』に気が付かないか敢えて触れません。信用や信頼を無条件に置くのは無意味というよりただの無謀ですね。
多分こう書かれても『何で?』って人が多いでしょうから簡単に問題点について纏めておきます。
時価会計(従来株式資産に対する評価は『株式の売買に伴う利益・損益』に対してなされてきたが、近年はその時々に持っている株式資産の『含み益・損益』に対して評価を行う様になった)
企業活動と全く何の関係も無く、また取引も何も行っていない株に対して『利益・損益』を算定し、課税を行う。企業は何もしていないのに、また値段が上がってから売れば利益になる筈のものを、持っているだけで課税対象にされたり(株価が上がった場合)、赤字を計上(株価が下がった場合)しなければならなくなった訳である。
銀行からの貸し出しの査定には確かに含み益の参入は意味があるが(借金の担保が増える訳だから)、これを企業会計に参入することには何の合理性も無い。ただ単に政府が課税枠を増やしたかっただけである。しかもそれで企業経営が『赤字』扱いにされてしまうのだから、企業に取っては株式の保有は害悪以外の何物でも無くなる。これでは、株式資本主義の存在意義そのものの否定と言っていいだろう。
ストックオプション(賞与の一部を株式を買うための予約権という形で与えること。株式買い取り価格は決まっている為、株価が上がっている時に買い取り権を行使すれば、現金で賞与を貰うよりも賞与を水増しできる)
ストックオプションを与えられた経営者は、『会社の経営に取って良いか?』『会社の将来を考えて企業運営が出来るか?』ではなく、株価そのものの高騰を目指す様になる。株価は一瞬上がればいい訳で、ストックオプションの行使は多分世界で唯一認められたインサイダー取引でもある。
と言う訳で、経営者は三年後に会社を潰してでも株価を高くするインセンティブを得てしまう。結果として目先主義で将来性の無い運営をする会社が続出した(GMとか〜)。
投資ファンド(投資家・個人から資金を募り、それを出資者に成り代わって運用して利益を出資者に還元する)
こう書かれてお分かりだろうか?問題は、利益を還元するということろにある。損益は、ファンドマネージャーは一切被らない。失うのは、名誉と信頼と今後の受注だけ(それでも、不勉強な素人を騙して多くの既存企業はファンドの経営を続けている様だが)。
自分がそんをしなければ何でも出来る。何のリスクも無い。しかも、運営で利益を出せればそこからの分け前に預かれるし、取引条件に依っては手数料まで貰える。
一番悪質なのは証券会社で、証券取引手数料からの儲けまであるので、不要な取引を繰り返して出資者の出資金を取り込む悪質な業者は後を絶たない様である。
という出資者に対してのモラルハザードの他に、巨大なファンドは存在そのものが株価操縦の道具となり、機能的な面でも株式市場の一番の破壊者は投資ファンドである。
どうしてそんな危険な存在が野放しになっているかと言えば、公的な基金の運用のほとんどが、投資ファンドに委ねられているからだろう。要するに、公的機関が自分自身の利益の為に、危険分子を野放しにするというモラルハザードの結果として、投資ファンドは存続し続けている訳である。
債権の証券化(債権とは、要するに未収の代金・資産の様なものである。これを証券として多数の人間に売ることに依って、証券発行者はリスクを分散したり、より大きな資金を動かすことが出来る様になる)
土地の売買というのは、出資額の大きさやリスクの関係でなかなかに敷居の高いものである。それが大規模投資ともなれば尚更だし、また採算性の低い土地の売買ではリスクばかり大きくなる。これを、土地の権利を何等分にもして証券化して売れば、大元の出資者はリスクを証券を買った者に押し付けて利益だけを確実に得ることが出来る。最悪、出資者は一銭も出さずに利益だけ確定して、後は債権者に全てのリスクを負わせることも可能な訳だ。事業の失敗は『先の見通しが甘かった』と言い訳すればお終い。
同様に買い取った不良債権を証券化して金融商品に混ぜ込めば、危険度が著しく高い取引でも、他人にリスクを配分することが出来る。
証券会社がこの手法を使ってリスクを投資家に押し付けたのが、要はサブプライムーン問題の根本である。
とまあ、各手法の最悪な問題点ばかりあげつらっているので、愕然としたり『そんな訳あるかよ』と思われるかもしれないが、その様な問題点を見過ごして(故意としか思えないが)各手法が罷り通って居る訳で、サブプライムローンではその悪弊が見事なまでに露呈したし、投資ファンドの違った形での悪弊は過去の通貨危機の際にも叫ばれていた。要は、原理的な面から個人的に重大視している事柄について書いているだけで、書かれていない悪弊はそれぞれ他にも山程ある訳である。
ところで気になるのはどうしてそんな問題点が見落とされてきたのか?だが、これについては、実のところ明白なんじゃ無いかと思う。それは、それぞれの仕掛けの問題点を利用して『自分が利益を上げようとした』奴が、声を大にして『これは問題ない』と叫んで世間での通用を促したからだろう。
正にモラルハザードなのだが、日本で公務員の天下りが永遠に無くなりそうも無いのと同様、モラルハザードは常にそこにあるのだから、それに巻き込まれたくないのなら許認可・法律の決定の過程に割り込んで自ら問題点を声を大にして叫ぶしかない。もっとも、日本で一番権力を握っている筈の総理大臣になって声を上げたとしてすら、多分その声は握り潰されるだろうが(苦笑)。そもそも、問題点に自分で気付けなきゃならないんだしね。
(2009年 6月12日追加)
何か広島かどっかの刑務所で、アメリカ映画顔負けのサディスト看守がゴロゴロ居たとか言う話題が新聞を賑わせていますが、結局『こいつらは犯罪者だから何をしたっていいんだ』っていう形のモラルハザードと、『サディストが居てはいけないところに居た』っていう最悪な人事の合わせ技なんでしょうね。
ところで掲示板を見ていると『俺はお前に何を言ってもいいんだ。だって俺はお前が嫌いだから』式の書き込みをする人が居ますが、正にこの看守状態なんでしょうね。しかも言動を見ていると何の我慢も出来ないお子様な上に人間の屑(笑)。
これが大人だったら、そこに居ることを許されない位の駄目劣人(おとな)、多分現実に大人だったりするんだろうなー‥‥(’-’)。
(2009年 6月12日追加)
オリンパスの一眼レフデジタルカメラのE−3が国際宇宙ステーションに持ち込まれているのは、ご存じだろうか?別にNASAからの依頼で持って行った訳ではなく、一キロ百万円とかなんとか、そんな感じで持っていって貰ったのだが、兎に角今宇宙にE−3が上がっている訳です。
で、E−3を打ち上げるプロジェクトのリーダーへのインタビュー記事を読んだんですが‥‥。『社内での評価に繋がる仕事でなし、みんなに協力してもらうのは大変だろうなと思っていた』と言った内容が、わざわざ冒頭と末尾に出てくる。まあこの辺は、編集した人のせいかもしれませんが、そういう話が出てくること自体に驚きました。だって自社のフラグシップカメラが宇宙に上がる、そんなセンセーショナルな仕事に関われた上で、しかもそれが過去の仕事だとしても、自分の作った作品を宇宙に上げるための仕事です。別に会社の九十周年記念事業だからとか全く関係無しに(つーか、そんなのお構いなしに)、燃えない人が居るんでしょうか?
どちらかと言ったら、そういう心配をしたプロダクトマネージャーの方こそ大丈夫なのか、とか、オリンパスはそんなにまで自己本位的利己主義者しか居ないのかと、そっちの方が不安になってしまったのでした(苦笑)。でもまあ社命にも関わらず、『いや、今ウチの部署忙しいんだからさ』とか言って妨害をする上司の話が出てこなかったのは、良かったですね(^-^)。まあそんな噂広がったら、それこそ社内での出世に響きそうすが(笑)。
(2009年 6月 4日追加)
案外DDヘッド弄ってみるのも面白いかいの〜とか思って、ボークスに行って値段見てみたら‥‥。二千円ちょい位かと思っていたら、四千円近くも取ってやがったのね(T_T)〜。ドールアイも手持ちのよりも小さいのが必要みたいで、ってなると買い増しかい。ということで諦め〜。
ついでにオビツ60のソフトバスト使っているんだけども、単独で見るとそんなに悪く無いんだけど引いて見るとバランスとか色々となーということで、DD素体にオビツのパーツが使えるんなら逆も
と調べてみた。そしたら、S胸って在庫切れしてるだけだと思い込んでいたんだけど、実はそもそも存在していなかったのねん(大汗)。
ううーむ。まあ考えてみると、硬いめの外皮だと首が動かなくなるので、載せ替えはその点だけでも難しかったのかもしれないけど、ちょびっと残念だな〜と。ま、オリジナルのお腹パーツが入るかどうかも疑わしかったので、元々あんまり楽観もしてなかったんだけど。何にせよ、詳しい店員さんだと互換性問題についても知ってることを聞かなくってもベラベラ喋ってくれるもんだけど、単に知らないのかボークスへの忠誠心か、『他社素体との互換性はちょっと‥‥』という反応はちょっち残念。正直、遊べる幅が広い方が、ほら、上手くすればDDバストが一つ売れたかもしれなかったのに‥‥。
ところで羽曳野のサイクルベースアサヒでは安物の完成車に付いているパーツは入手出来ないと言われていたのだが、天王寺コーナンの2階にある自転車屋さんで聞いたら、あっさり『いけますよ』。
オイ、なんやねんこの違いは‥‥。決算期前と後では言うこと180度違ったり色々あるお店だが、努力不足なのか何時もの高いものを買わせるための誘導か、ちょっち悩むところですな〜。
ところで、アサヒのダホーン製OEM折り畳み自転車エヴァシオンのハンドルポストというか折り畳み部分、あれって前傾したパーツ、手に入らないのかな〜。前から無理やりステムでも付けて〜とか色々と画策してはいたのだが、この間検証していて、最終的にそれでは折り畳みに問題が出ると確認出来ちゃったもので‥‥。
現状のままだとハンドルが近すぎて、低くした位じゃ足りないんですよね。つーか、立ち漕ぎとかかなり難しい(そういやハンドルポストの折り畳みレバーのロックレバーの入荷が怪しいとなると、店長さんが耐久性に関してかなりヤバいこと言ってたな)。本当言うと、前方に15センチくらい倒れて欲しいと同時に、5センチほど短いと嬉しいのだが。
同じフレーム形状の値段の高い奴は、みんな前傾したハンドルポストが付いてるんですけれどもね〜(ここのが格好はソックリエヴァシオンはとんドルが回転軸に垂直に生えてるけど)。割と気の利いた人がプロデュースしたらしく、値段の割りには結構軽かったり色々と美点のある自転車なのですが、グリップシフターとハンドルの位置だけは何とかならないものかと‥‥。
しかし折り畳み自転車ってこの上のクラスになると、いきなり五〜六万出さないとなんか見当たらないんですよね。しかも全社製品を調べてもそのクラスに一〜二種類あったらいい方で、実は三万の上は八万位からってことの様で。まあ考えてみると、ロード系の自転車も八万、十万、十二万ってとこなんでしょうかね。その下を探すのなかなか難しい。
(2009年 6月 3日追加)
カメラライター氏のやっているディスイズタナカな日記を見ていると、新型のカメラに付いてほんの少し触れられていたり。と言うか、存在に触れただけで、事実上触れられなかったというか‥‥。
でまあ、初めはコンパクトデジカメのことかなとか思っていたのだが、改めて読み直してみると期待度がK−7と同じ位あるのかなーという気が。ってことは、ひょっとするとそれって一眼レフデジカメなのかなーとか思ったり。まあ、結局コンデジなのかもしれませんけれどもね。
で、一眼レフデジカメだったらという前提で考えてみた。ニコン機は出尽くした観があるし、キャノンも似たようなもん。オリンパスも一眼レフは出尽くしてるし、寧ろ一番充実したラインナップが揃ったばかり。となると‥‥α700が生産中止になったソニーかなーと。次点は、D300のリプレースもそろそろあっても構わないのかなー?
なんて思ったことを文章にしながら改めて考えてみると、一眼レフでなくっても大型撮像素子コンパクトデジカメとレンズ交換式コンパクトデジカメも同程度の期待度があるんだよなーと。その場合、オリンパスのマイクロフォーサーズ以外だとシグマ以外のどこのメーカーでもあり得るわけで‥‥。つか、オリンパスのマイクロフォーサーズ機っていつの発売予定だっけ?
何にしろ、ただの思い違いでないことを、ちょびっと期待してしまうのでした。
ところでペンタックス、垂直補正の前に軸回転ブレ補正を先にやると思っていたんだけどな〜。所詮垂直なんて、画面のどの辺りに垂直軸を置きたいかで変わってくる物だし(列柱建築を斜めから、しかも煽って撮るのを考えると分かりやすいかと。画面の真ん中で垂直取るより、手前に近い柱で垂直を取りたい場合が多いと思う)。しかもファインダーを覗きながら構図を最終決定する関係で、垂直を取り直すと大抵構図が死んじゃったりするんだよねー
なので建築系を別にすると、垂直補正は結構機能をオフにして使う人も多いんではないかと思う。特にポートレート系とか。
逆に言うと、K10Dの機構が発表され瞬間に『次はこれか?』と思った内容がここまで実現しないのは、何でなのかなーと不思議に思ったり。ソフトフェアに回す、資金と人材のリソースの問題?ありそうだ
。
あでも今回は回転ではなくって傾き補正であるところからすると、回転を検出するためのセンサーの問題なのかもしれないな。もっとも、三角形(センサーが二次元検出なら)か十字型に六つ(一次元検出なら)加速度センサーを搭載すれば、ベクトルの差分から回転軸の位置と回転速度を計算出来るような
多分
って、それだと計算量多っ(○ 。○)!!
いやー、駆動部はそのままでも何時でも対応出来た筈なのに、どうして回転ブレ補正が搭載出来ないのかが、やっと判った気がします。でも、α、オリンパス系に対して独占的優位性を発揮できるという意味で、案外速い時期の搭載があるかもしれないなー。何せこれだけは構造的に見て、ペンタックスだけが唯一可能に出来るものなんだもんね(と言いつつ、オリンパスの手振れ補正用フレーム、どういう構造になってたかなー)。
(2009年 6月 2日追加)
アニメ『宇宙をかける少女』の次回予告に『ナポリにナポリタンは無い』というネタをやっていたのだが、ナポリでナポリターノを見たような‥‥。って、あれはピザで次回予告のはスパゲティーか。でも、スパゲティーにもナポリターノって無かったっけ(?_?)?
と思って母親に確認すると、どうも白いスパゲティーはカルボナーラだったしい。やっぱスパゲティーのナポリターノは無いのかにゃん(大汗)。
(2009年 5月29日追加)
何か映画『おくりびと』のロケ地で地滑りがって記事が新聞に載ってるんですが、あれって写真見ているかぎりではどう見ても断層なんじゃねーのかって気が‥‥?だとしたら、地震の予兆である可能性が高いと思うんだけど
。
まあ、あちこちで起こっているのに地震が計測されていないんだとしたら、市役所の称する通り地面が地下水で破断されたお蔭で、しゅう曲(字、忘れた)部分がなだらかに滑って破断したのかもしれませんが‥‥。でも、もっと大きな地殻のストレスがたまっているから、今、その褶曲面が破断しているんではないかと思うんですが?
まあ余震とか無いんなら心配ご無用(バイ『夢使い』)ですが、逆に最近感じるか感じないかの地震が続いているとかありましたら、警戒した方がいいと思いますし、また自治体でも積極的に情報開示した方がいいと思うんですが。最近の地震でも、かなり露骨な兆候がことなかれ主義で黙殺されてましたもんね。それもチン〇ス、もといタ〇無し官僚国家日本ではなく、イタリアですら。
(2009年 5月31日追加)
アニメ『アスラクライン』(『機工魔術士』と勘違いしていたことは秘密だよ!)の科学部だったかの部長さん、結構気に入っていたのだが。実は姉妹の演劇をやっていた方の人だったのですね
。それ自体は果てし無くどうでもいいのですが、今ある性格がもう一人の振りをしているだけのものなのか、今となっては本人のものとなってしまっているのか、そこが問題だ
(>_<)!!
しかしあの男
と思っていた人、女だったんだよなー。ってあれ、じゃあどうしてもう一人は部長さんと偽ってまで、あの人と一緒に居ようとしているんだろう?レズ‥‥?
そもそも、二人ともあの人と一緒に居たくって仕方ないんだもんなー。
よう判らん。
(2009年 5月29日追加)
世の中には歩行者優先という言葉がある。私も、その言葉の信奉者である。しかし、優先であるということと、無限の権利があるということとは全くイコールではない。
つー訳で、歩行者だからって道(歩道・車道問わず)を塞ぐ権利は無いし、周りの邪魔になるのに横に並んで歩く権利も無い(でなきゃ、あんたの向こうから歩いてくる奴は、常にあんたの邪魔をする権利を持っていることになる)。
自転車の横並び運転とかもそう。携帯見ながら運転している奴に至っては、周りの人間に対する安全義務を明白に怠っている。つーか単純に、交通違反である上に危険行為である。残念ながら路上を移動している上で、今まで私は携帯を見ながら周りの安全を確保できている運転者を、一度たりとも見たことが無い(生憎な事に危険な目には、何度も遭わされたが)。
イタリアは交通マナーが悪いと言われているが、現実には歩行者は車の邪魔にならないところを歩いているし、安全にも気を遣っている。車の運転手は歩行者が渡ろうとしているのを発見したら、必ず止まる(自分が歩行者になる時もあるというのもあると思うが、そもそも日本人みたいな無謀運転カマして人轢いたって、何もいいこと無いしね)。何より、自分が安全を確保しなければ誰も安全を保障してくれないことを誰もが理解しているし、互いに便宜を払わなければ誰も自分に便宜を払ってはくれないということを理解しているんだろうと思える。
翻るに日本人は安全に気を遣わない、周りにも気を遣わない、なのに周りは自分の安全に気を遣ってくれていると思い込んでいる。自分に便宜を払ってくれるものと思っている。しかもそれが権利だと思い込んでいる様にしか見えない。
しかし考えても見て欲しい。何の安全に対する注意も払わずに横道から飛び出してくる歩行者に対して、どうすれば安全を提供することが出来るだろう?酷いのになったら携帯見ながらノーブレーキで自転車がT字路から飛び出してきたりする。究めて遺憾なことだが、大の大人がそんな子供以下の酷いことをする。もっと遺憾なことだが、そういう人が大人・子供問わず人口の七十パーセント以上を占めている。互いに安全に気を付けていないのに、どうして『相手が気を付けてくれる』って思えるんだろう?
と言うわけで、まあはっきり言って、路上には全く安全なんて存在しない。あなた方が、路上を危険にしているからだ。
時速四キロで歩いていても、周りに注意を払った気配もなく不用意な動作をする歩行者の前では常に危険を感じる。走っている時よりも突拍子もない動きが可能なので、より予想し難い動きが可能だし。
また自転車で移動していて周りに誰も居ないように見えても、ブラインドで完全に非優先な路地裏から大きな通りに平気で飛び出してくる大馬鹿野郎の多さを考えると、ビクビクしないととても走っていられない。つーか、T字路の行き止まりにどうしてノーブレーキで飛び出してくる自転車が居るんだろう?
正直言って、子供に交通マナーを教える前に大人に交通安全の基礎のきの字から学んで頂かないと、交通事故の発生件数は今後鰻登りになるんではないだろうか?一体誰だろう、イタリアの交通マナーは悪いなんて吹聴しているのは?
(2009年 5月24日追加)
名前がどうにも覚えられないのだが、破産しかけの大阪府南部の市民病院。産婦人科医が足りないから増やしてくれと現場でお願いを出したら、市長は『妊婦と子供に優しい市を目指してるから、今の人員で頑張ってくれ』とか何とか言って、医者を増やす予算をどうしても寄越さなかったそうな。でも『妊婦と子供に優しい』を自認しているんなら、医者に殺人的な労働を強いるよりも、医者を増やすための予算を捻り出すのが本当の『妊婦と子供に優しい街』だろうに。
つー訳でその病院、産科医三人で休日も無く深夜の当直まで回さないといけないらしい。そんな医者を使い潰すようなやり方が、『妊婦と子供に優しい』あり方なのだろうか?私なら、そんな死に掛けのお医者さんに子供と嫁さんの命を託す破目になりたいとは、かけらも思わない。もっとも、今ではほとんどの産婦人科はそういう状態の様だが
。
とここまでなら、『なる程ー、そこまで市は予算が逼迫しているのかー』とか思わないでも無い。しかしその病院では、私立病院の何倍もの事務員とか警備員が雇われ、何故か栄養士が三人も雇われていたり。普通栄養士って、病院に一人居れば充分じゃない?超高級老人ホームか何かの間違い?にしても、やっぱり三人は雇わんと思うのだが‥‥(まあお蔭様で、病院にしては飯が美味いとかいうお話だが)。
と思ったら、なる程ー、その余剰事務員共は全員、市の職員なのらしい。オイ、だったらだったで、そいつら市役所で雇用しろよ。新人雇うのその分止めれば、何の問題もないだろう?そうすれば、一〜二年で病院の事務の人員削減は出来た筈だ。しかしそれをしないで、新しい医者を余計に雇う金は無いと市長は言う訳である。ううーん。
『予算が無い』と言うんだったら、それは外堀を埋めてから言うべきだと思う。現実問題としてそれには、そこで働いている産婦人科医とそのお医者さんに掛かる患者さんと、新しく産まれてくる子供達全員の生命が掛かっているのだ。『妊婦と子供に優しい』と称するのならば、その位のことをやるのは寧ろ筋だろう。あんたは市長と名乗りながら、全く市議会で財政の予算編成をする立場にないのか?まあ、あり得る話だけど(大汗)。
因みにその病院、市長肝入りで阪大閥だかから市大閥だかに切り換わるらしい。阪大閥だかが金の亡者だかで非協力的だから市大閥だかに切り換えるとかいう論法らしいのだが、現実には予算も出さずに結果だけを要求する馬鹿経営者に現場が耐えかねたから運営が破綻した訳で、人員派遣元を変えたからって解決する類の問題とは到底考え難い。だって原資は変わらないんだもん。しかも実質『お前クビ!』と追い出した前医院長だかに足りないお医者さんについて、『お前、阪大閥だかの抜ける分の医者を引っ張って来い』と要求したって、無能と言うより異様な経営者と言った風情で‥‥。理不尽な扱いをして首にされたのに、誰がそんなあんたの尻拭いをすると思っているんだろう?
そんな市長さんが、マスコミでは被害者面して『あの医院長だかは』とか言ってるそうな。多分彼は病院のスタッフを、お医者さんと言うよりも奴隷か何かと勘違いしているんだろう。
因みにその病院の余剰しまくりの職員さん達はこの現状に対して、『お前ら医者は大金貰ってるんだから、死ぬまで働いてろ』的な立場なんだそうで‥‥。いやー、医者の給料高いと言っても、その辺の企業の部長さんよりも安いかも位の給料だったりするわけで。しかもその部長さん連中は、大抵の日は病院に泊まり込み、一日十二時間以上働くというか、日勤した後夜勤が週に何回もって言う過酷な労働条件な訳ではない上に、現実問題として特別な能力も何もない。余所の職場に行ったら『いや、あんたみたいな人材要らないし』と言われる人がほとんどである(『そりゃーねーだろう』と言うんなら、新聞でもめくって中間管理職の転職談を探してみてください)。
お医者さん達は専門職で人の生命を預かる仕事を『あんた、死んでみる?』と言われているとしか思えない労働環境で頑張っているというのに、余剰人員の癖に公務員であるというだけの理由でのうのうとしている人等にそういう風に言われていると聞くと‥‥。『病院が破産する原因はお前等だ!』とか言う以前に、話を聞くだけで殺意が湧いてくると言いますか‥‥(苦笑)。どんな神経をしているんだろうかと悩んでしまいました。
松原市民病院が閉鎖となりましたが、そこの病院も似たような状況なのかな〜と思うと、何か憂鬱ですね‥‥。つーか、そこの病院が潰れた後、大阪南部の医療と産科はどうなってしまうんだろう?でっかい病院が破綻すると、キャパシティーギリギリの個人病院も連鎖倒産式に廃業して診療科を衣替えしちゃいそうで、恐いですね。
(2009年 5月23日追加)
キャノンは製品の不良を認めるのに、ニコンは自社製品の不良を認めないなーとかいう議論を見ていて思った。これって、ユーザー・コミュニティーの体質の影響が大きいんではないだろうか?
昔からニコンデジタル板を見ている人は何度も目撃していると思うけれども、あそこでは奇妙な位に盲目的メーカー擁護論的発想の人が猛威を振るって、まともな意見の人を押し潰そうと必死で活動している。普通に考えれば、明らかに荒らしの領域だ(苦笑)。まあ何故かどこの大手写真掲示板でも、あの手の人種は管理人さんには黙認される傾向があるが‥‥(多分、よっぽどページビューが欲しいんだろう。荒れると、書き込む方も見に来る方も頻度が上がるから)。
一方キャノンユーザーのコミュニティーであるEOSデジタル板ではこの何年、是々非々的に『アカンものはアカンのんちゃうん?』と言える空気が出来ている(まあ、私がそうゆう空気作りを延々続けた結果の様な気もするけど、その空気が残っているのは有り難いお話だ)。そこでは駄目なところは(いいところもだが)忌憚なく指摘され、『ここはキャノン製品を良くする為の場だ』という認識を皆が共有している。実際『ピントズレ対策に色温度センサーを載せたらいいんちゃうん?』とか言っていたら、それが実現したりしたし、キャノンのAFズレに対する最近の熱心な取り組みはEOSデジタル板の存在抜きには考えられないだろう。逆に言うと不具合を完全放置なんてしたら、ヤバいイメージがユーザーコミュニティーで喧伝される形になってしまう。
一方これがニコン製品だと、『縞工作員』なんて言って明らかな欠点があっても、あたかも架空の問題であるかの如くユーザーが勝手に取り繕ってくれる。これではメーカーの緊張感なんていうものは失われてしまうし、そんな問題をメーカーが認たら、今度は寧ろニコン自身が熱心なファンを裏切った形になってしまうだろう。と言う訳でユーザーが、自ら自らの利益に反する行為を行っているわけである。
斯く言うキャノンだって元々は問題を何年も認めなかったのが、EOSデジタル板での突き上げを無視できないと判断したのかここ数年、漸くにして『問題の対策が済んだら公表』という形に進歩してきたのである。とは言えあわよくば、対策が済む前に『対策に着手しております』とか、公表して欲しいなーとも思うが。だって結構『対策が済むまで買えないなー』って人が続出して、メーカーもかなり損していると思うんですよね。
だから早い時期の問題の公表は、ユーザーだけでなくメーカーにとってもまだまたま御利益はあると思う。まあ技術的な問題というのは、対策終了までに掛かる時間を予測し難いので、迂闊なことは言いたくないっていうのも判るのだが
。
(2009年 5月23日追加)
何か知らんがオフィスから椅子を取り上げた人物が、足尾鉱毒事件で有名な田中正造のシンパだったとは‥‥。最悪な奴隷労働を強いる白人地主が、リンカーンを尊敬していると告白するのと同じくらいの衝撃ですな
(○
。○)!!
因みに、ずっと立ちっぱなしだと足のことしか考えられなくなるので、さっさと椅子を戻した方が効率上がると思う。あと肘掛け無しで文字書き(パソコン操作なら尚更)してると肩が凝る(それも頭痛がする位の)ので、椅子を入れるにしても肘掛けは必須だろうに‥‥。
会議時間と回数が減ったのは多分、立ちっぱなしが嫌だったからだろう
(の_の)v-〜。
(2009年 5月22日追加)
キャノンのカメラでミラーからグリスが飛び散るというメーカー発表があって騒ぎになっていますが、結局今までは無料撮像素子清掃で対応していたものが、撮像素子清掃の有料化で事前対応することになったってことの様ですね。
ただまあこれで行くと、他のメーカーでも同じ事例があったとかいう話なのに、余所のメーカーではどうしているんだろうというのがちょっと
。特に真っ先に撮像素子の清掃を有料化したニコン。最も早く、対策も取ったよってことなんでしょうかね〜(?_?)?
(2009年 5月22日追加)
どうでもいいけど(よくもないか)、トップページに写真のある負世君のボディー(但し今は一時的に他の娘がボディー借りてるけど)の腕が折れた‥‥(T_T)〜。むむー、余って転がってるボディーから腕を取ってきてもいいんだけど、色が合わないだろうな〜。どうしやう(T_T)〜。
ところでどうでもいいけれども、八人でジャンケンして籤引きの順番決めて、ジャンケンに勝った三人が順番に一等、二等、三等って取る場合もあるんだね。創作物にそんなの書いてあったら『んな訳あるかよ』と言下に切り捨てるところだけれども、現実にそういうことが起こって驚いた
(○
。○)。
因みに、四番目以降に籤を引いた人は、全員外れ(大汗)。
(2009年 5月22日追加)
気が付いたら去年の年末からご挨拶を書きっ放しでアップしていなかったので、今回纏めて何とか推敲通してアップしました。つーか、粗方推敲終わってたやんとか
(苦笑)。まあ二、三個、書き掛けで止めてたのとかややこしいのは削除しましたが。
まあ本当はこういう与田記事っていうのは時事性があってようやく何々ってなもんなんですが、その辺はご勘弁頂きたい。あとファイルがかなり重そうなので、今まで載っていた分は粗方バッサリとカット致しました。
(2009年 5月22日追加)
某写真系サイトのスレッドに書き込もうとしたけれども、長くなったので止めといた内容ということで。ネタは、週間東洋経済とかいうののキャノン攻撃・ニコン提灯記事についてのもの。
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/d4c7dd49d114e55034ba9c0094a2d68a/page/1/
まあニコンが国内生産を切り捨ててタイ工場に移行したことを礼賛し、キャノンの国内生産を為替変動に弱いと攻撃している内容と思って、そんなに間違いないかと。いや、ニコンのタイ工場の運用とか、兎に角ヨイショし捲くりだけど(笑)。
っつー前提で、以下はその記事を口実にして小泉・御手洗日本人奴隷化改革と、キャノンの生産方式に関して評論したものです。
小泉・御手洗改革(正確には改悪)と言うのは、日本人の低賃金労働者化と切り捨てご免化(生活保障ゼロ下での首切りの自由化)だった訳だが、本来は低賃金労働化&雇用安定化、そして『社内貴族の排除』であるべきだったのだと思う(アメリカの大会社の社長みたいな高給取りは、要らんだろう?)。だのに実際には会社は低賃金化の恩恵だけを受けて、派遣社員の切り捨てご免、正社員の貴族化、高賃金化が進んだ。そんなのだったら、正社員の給料を派遣・請け負い社員の給料に回せ&雇用維持の原資にしろと言いたい(小泉・御手洗改革がそういう内容だったのなら、全面的に称賛出来たのだが)。
東洋経済の記者が書いているキャノンは国内生産なので円高による影響が大きいと言うのは、要は日本の高賃金体質が悪い訳であって、日本としては賃金を下げると同時に物価も下げる方向に向かうのが一番だと思う(だって中国では最終製品だけでなく、何故か工業原料ですら日本より安くない?)。
別に今一ヶ月の賃金で買えているものが二ヶ月分の賃金が必要になったとしても、皆が安心して生活できるのなら別にそれでいいと思う(社会主義的考え方だというのなら、別にそれは否定しない)。そもそも物価が安くなれば賃金が安くても生活できるし、今の賃金では物価は安くならん(出来ん)だろう。日本の高い賃金を支えているのは、要するに高い物価なのだから。
結局東洋経済の記者が書いている内容は、国内産業の空洞化と労働の外部化(即ち我々の失業)を称賛しているのに過ぎない。そういう面では、寧ろ御手洗賛美にすら見えたよ。
ところでキャノンが進めていたセル方式っていうのは無人化と正反対のベクトルだった訳で、その目的は生産の小回り化・機動化だったりする。無人化したライン生産(無人化してなくてもだが)は品種変更がし難いしライン立ち上げのコストが高い。セル方式は売れ筋商品の変化に強く、機動的なラインの変更にも向いているのが強みだから採用さされた訳である(でもkissデジ系は生産量を考えると、主力をライン生産に振り向けた方が品質も含めてメリットが大きいと思う。生産調整はセル方式のラインで行えばいいし)。
まあでもセル方式というのは本来労働者の熟練化、プロ化が必要な方式な訳で、それを担っていたのが使い捨ての請け負い労働者なのだとすれば論外と言うよりもう既に意味不明。熟練化した労働力を囲い込まなくてどうする?!その意味不明を担っていた偽装請負(改善方式で、請負化なんて出来る筈が無い!)が難しくなったので、いつの間にやら海外工場化・無人化に舵を切り直していたってことなのかね〜‥‥?
ところで『タイ人なら派遣社員5000人を切り捨ててもいいのかいな?<週間東洋経済さん』という突っ込みがスレッドにあったけれども、マジでそうだね。
でも、仕事を覚えたら余所の会社に高く自分を買わせるのがデフォな東南アジアでそれだけ生え抜きが生き残っているんだとしたら(立ち上げ時何人居たのか知らないが、今でも千人近く残って居るらしい)、それは大したことだと思う。まあ多分、低賃金労働という海外生産のメリットが虚しくなる位、給料上げてるんだろうなーとは思うけど、実際どんなもんなんだろうね。
(2009年 5月22日追加)
韓国では日本発の〜が韓国発だったと沢山偽装されている
とかいう『お話』は聞いたことがあったのだが、取り敢えず一例、実例の『結果』を見た。韓国人の人が鉄腕アトムの作者が日本人と知って、『日本マンガだと知り裏切りに近い衝撃を覚えた』というエッセーみたいな文章をネットに上げていたのだ。
ここでふと、気になってしまうことが。それはその人を裏切っていたのは手塚治虫ではなく、実は日本アニメを韓国アニメと偽っていた韓国人達の方なんではないかと
。彼を裏切っていたのは日本人ではなく、同胞である韓国人自身だったのだ。
あいやこういう時、確かに日本人も似たような逆恨みを平気でするんだろうなーと思って、ただそれだけ(大汗)。
因みにその後の文章では、率直な手塚治虫評みたいな感じのことが書いてあります。この内容は、日本人が読んでも気持ちを同じく出来る内容かも。
そもそも上の『日本マンガだと知り裏切りに近い衝撃を覚えた』と言うのはその文章の作者が少年期に最初に感情として感じたものであって、『結論としてそう思った』という意味ではありません。そういうことが起こった原因も、ある意味韓国のアニメを愛する人達が『自国内で日本のアニメを流すための嘘』だったと受け取ることも
まあ、不可能でもないなーっていうことで
実際のところ、どうだったんでしょうね。
ところで上記のエッセーにぶち当たったそもそもの原因は、『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝倉涼子は『長門有希を本名不詳のキョンと仲良くさせてあげたかったからではないか?』という狂言自殺説を書いたページにぶち当たって、そこからのリンクを辿ったのでした。んで、だったら朝倉さんは別に死んだんじゃなく、ただの死んだ振りなんじゃないかいと考えることも出来るわけで、これは朝倉さんのファンとしては有り難い説ですな
(の_の)v-〜(ちなみに私は、『ハルヒ』では朝倉さんと長門さんが好きなキャラの双璧だったり)。
しかし、朝倉さんが人間としての感情も理解出来ていないって?いやしかし、クラスで皆と上手くやっていけない人がいるのを見過ごせないっていう発想(それが本意でなく、口実でしかなかったとしても)は、人間の感情を深く理解していなかったら出来ねーだろと、取り敢えず突っ込みを入れさせてください。とは言え凡百のSFで、『異質な宇宙人』と言いながら人間の価値観垂れ流しの異星人って、そうでない方が珍しいっつーか絶無な位なのも事実なんですけどね(の_の)v-〜。
にしても‥‥。最近理解したのだが、昔は『誰にも価値観の理解できない異星人を表現できたら、SF界の賞を取れるだろう』と信じていたんですが、現実にはそういう小説を『読むことの出来る』自称SFファンですら、ほとんど居ないんだろうな
っていうこと(’-’)。アーサー=C=クラークの『宇宙のランデブー』なんかはそれに近いものを狙っているらしいのだが、そういう意味ならスタニスワフ=レムの『砂の惑星』の方が、よっぽど愕然と出来ます。まあ正確には、愕然と出来ると言っても相手の行動原理が理解出来ないからでもなんでも無いって意味では、ドッコイドッコイだったりするんですが
。
(2009年 5月13日追加)
皆さんは、新東京タワーが建設中なのはご存じだろうか?確か名前はスカイ、スカイ‥‥名前忘れた(笑)。でまあ、あれはテレビの地デジ移行に備えて建設中な訳です。
その肝腎な地デジ移行(正確には、アナログ波の停止)の時期は、テレビで(鬱陶しくも)盛んに宣伝している通り、2011年の予定。でも新東京タワーの着工って、つい最近じゃなかったっけ?
つー状況で、たまたま『ポチは見た。』なるホームページを読んでいて初めて知ったんですけど、新東京タワーの完成予定日って2012年なんだそうですね。でもあれ、既に地デジ放送は始まっているのに‥‥。
そう、東京圏では新東京タワーが完成した瞬間に、地デジのアンテナの向きを買えないといけないらしいのです。
地デジの難視聴に対応するために追加の出費を強いられた不幸な人達は、もう一度難視聴対策に金を払うか、そもそもそんなの払う必要など無かったという結論に血涙を流すことを強いられる可能性が‥‥。つーかそもそも、タワーが移るとテレビが映らなくなる場合もある訳で、恐いよね〜。
よく、『お上のやることなんだから、とっくにそういうことも考えてくれてるに決まってるよ』って強硬に主張する人が居ますが(大抵、そういう人とは反りが合わない(の_の)v-〜)、正直地デジ完全移行が2011年には成立しないだろうというのは、私も同意見だったり。最近の新聞によると現状の地デジ移行率は60パーセント位らしくて、それは私の予想よりもかなり高い数字なんだけれども、それでも年金世帯などで10パーセント近く未移行世帯が残った場合、政府は地デジ完全移行を強行するのだろうか(今まで聞いた市役所の手口を聞いていると、地デジ移行の補助を貰ったら、その分生活保障費が削られそうだな)?
まあ、やるならやれよ。家もテレビ無し世帯になるかもしれん。そしたら、放送法に則った鬱陶しいNHKの視聴料ともおさらばできる訳で、清々すると言えば言えないでもない。と言うより、マジで清々する(苦笑)。とは言え、実際にはやはり、完全移行を最低でも2年位は延期するんじゃないのかなー。
取り敢えず東京圏在住の方には、『スカイツリー(っつーんだったね)が完成するまでは地デジに移行致しません運動』を起こして、ホームページでも作って盛んに喧伝されることをお勧め致します。運動が充分に大きくなれば地デジ移行がスカイツリー完成後まで延びるし、その結果としてアンテナ設置・調整工事で二重に出費させられる経済的損失から逃れられますから(もうやっちゃった人には遅いけど)。
少なくとも私の見解としては、市民と言うのは政治家と電機メーカー・電気屋に金を貢ぐための奴隷ではありません。放送局もこの件では実は市民と似た立場の筈なんですが(地デジ移行に伴う利益よりも不利益の方が大きい)、放送法と電波の使用権という形で、政治家に首根っこ抑えられてますからね
。結局繋累なく動けるのは、真っさらな市民の立場の人だけな訳で‥‥。
(2009年 5月12日追加)
旅行に行って、ハードディスクの中に写真データが溢れ返ったのはいいものの‥‥バックアップに使うDVD−RAMのメディアが無い。んで、ようやく大阪に出る機会があったので天王寺ソフマップでメディアを買ってきた。その時店に友達と連れ立って来た通ぶった青年が居て、得々と『いやだってさ、デジタルの写真は偽物やから』。
いやー、今でも大真面目な顔でそう言う若者って居るんだと思うと同時に、未だにどう偽物なのか判らない私‥‥
でも何か戦前の小説に出てくる青年像が今でも残っているみたいで、何となく楽しかったのでした。
ところで話が変わりますが、世の中には『27−29LEDランプ』なる懐中電灯が売っておりまして、そいつが電池三本を使う訳ですよ。しかもライトに付いていた電池が、トータル三分くらいで電圧が下がったのか、速攻で物凄く暗くなってしまいまして‥‥。一方自転車のランプに使っている電池二本式の一ワットLEDランプは、最後まで暗くなりません。多分、昇圧回路の特性のお蔭だと思うのですね。
で、上記の27−29LEDランプを、電池二本+昇圧回路にしたいなーと。だって、暴力的な明るさこそがこのライトに求める本分であって、ダラダラと暗い状態で点灯されても何の有り難みもありません。何しろ同じ時に買って同じ程度しか点灯していない、380円代だかの9LEDランプにも負ける次第なんですから(つか最近百円ショップで買ったLEDランプ、色が青い代わりに1ワットLEDランプ並に明るいのを発見して、結構愕然としたり。笑)。
で、サバゲの仲間に『ディジットさんに行ったら、その場で回路図書いて必要なパーツを教えてもらえるよ』と言われて、DVD−RAMを買いに行った同じ日に日本橋に行ったのでした。そしたら、元々DVD−RAMを買う本命にしていたPCSさんはお休みだし、ディジットさんも連休明けで臨時休業‥‥つか、休業日ずらしてました。全然駄目やん
(T_T)〜。
仕方がないので、上記のディジットを紹介してくれた方が『あそこの店員は役に立たん』とケチョンケチョンに言っていた共立電子に行ってみることに(笑)。んで、『単三電池三本を二本でドライブ出来るパーツってありますかね?』と聞くと、まあ確かに教えてくれた人の言うのに似たような状態に‥‥(苦笑)。ただまあ、言われていたよりは遥かに親切だったです。まあ、役に立つのかと言うのとは別次元の問題ですが
。
んで、話の加減で一階、三階、二階の順で全階制覇しながら遣り取りしていて、重要な問題に気が付きました。何とこのLEDランプ、単三三本と信じ込んでいたのに、単四三本の間違いだったのです‥‥。三百八十円の奴よりも握りがぶっといもんで、騙されてた(ガックシ)。
だもんで、実は既製品で単三二本、乃至単三一本で5Vにする製品(単三三本の定格よりもちょっと電圧が高いので、LEDをドライブするには危険なので、店員さんは責任を持てないよという見解の代物)を無理やり突っ込んでみようかと思っていたのに、結局ライトの中には入らないことが判明してしまいました。た、たった三ミリ程度の長さの差が、致命的に‥‥。
あいや、ライトの中のホットボンドで止めてあるパーツを移動させたら、何とかならんでもないんだけど、強度に関わる部品なので止めておこうかなと。まあ既製品の単三一本の物を単四の電池ケースに付け替えたら何とか入る可能性も無いでは無かったんですが、幾らなんでも電池の容量が足りなさそうなので、取り敢えず止めにしておきました。
善後策として、上記のサバゲ仲間に『エネループを使って、暗くなったら即充電したらいいやん。エネループは実は、継ぎ足し充電しても性能が劣化しないのが特徴やから』と言われていたのですが、手持ちの充電器が二本までしか同時充電出来ない気がしたので(確認したらそうでした)、新しいエネループ三本+新しい充電器で三千円近く払うのに意味があるのかと考えまして‥‥。『どうせほとんど使わないんだから、だったら百円ショップで要るだけ電池買った方が安上がりっぽいな』ということで止めにしておきました。まあ正直お金が無いというのが一番の本音なんですが(苦笑)、コストパフォーマンスって奴もやっぱ大切ですし。
で、そうこうして調べていたオマケみたいな感じで気が付いたんですが
。その店に『28LEDランプ』なるものが売ってまして、手持ちの物と比べてみると外殻が全く同じで、LEDの配列だけがちょびっと違う。そう、その製品は同じメーカーの、世代の違う製品だったらしいのです。しかし、そのLEDの配列からすると、家のライトの方が数が多くないと不自然な気が‥‥(店のは真ん中の列にLEDが三つ並んでるのに対して、家のは四つ並んでいる)。前から『27−29LEDって何やねん?』と気になっていたので、家のを改めて数え直してみると‥‥。
32個、LEDがある
(◎ 。◎)!!!!
なる程、そのメーカーのアバウトさに、私は大笑いしました。ラインだか在庫だかのLEDの数が、生産時期に依って仕様変更でムラがあるので、それでパッケージの表記が曖昧だったのですね
。どうも家のはその中でも、表記よりも更にLEDの数が多くなってからの製品だった様です(爆笑)。
ついでに、初めに付いてきた電池が速攻でへたったのは、サンプル電池の容量がヘタレてたせいだってことだと嬉しいな〜(T_T)o。エバレディーの電池よりヘタレな電池って、今まで見たこと無いけど。取り敢えずその電池の銘柄は、『PenesamiG』と言うそうです。ああ、改めて見ると、『パナソニック』のモジリか。怪し
(笑)。
まあ、忘れてなかったら、結論が出たらまたご報告させて頂きますね(それに間に合う様に、この記事は結局ネットにアップされとるんかいな)。
(2009年 5月10日追加)
テレビで『赤壁(レッドクリフとも言う)』やってまして、折角この後どうやって敵を迎え撃つかの案をここに書こうかと思っていたら‥‥。馬鹿馬鹿しいことに、そのまま解決篇まで流してやがんの
(-_-
)。そりゃー三国志マニアなんかだったらどうやったのか粗方知ってるんだろうけど、それって『赤壁2』の内容じゃないのか
?
でまあ、考えたのは笑えるくらい同じ。違いと言えば、敵の陸戦兵力も極力船に乗って頂いてからにしようかという位ですか。
こちらの勢力としては総力戦と言うより、小型でいいので快速艇をメインに組んで火矢で脚を止めてから、火船で足止め。向こうは意味もなく艦数が多いので、極力河の細いところで両側と後ろから脚を止めて火で囲んでやれば、向こうは内側と外側からの両方の圧力で、ほぼ自壊するしか無くなる。その上で出来た隙間をこちらの主力で改めて火矢を注いで塞ぎつつ、漏れだした敵を各個撃破。まあ理想的に行けば、戦力差十倍程度なら対等に戦った上に充分に勝ち得るかと(何かもっと戦力差あったみたいだけど‥‥)。
相手の組織力が高く、戦意と士気が高ければその位の戦力差を埋めるのが限界ですが、寄せ集めの軍(正に曹操軍がそうだったっぽいですが)相手なら五十倍程度の不利も引っ繰り返して敵を敗走させるのも可能かも。と言うのが私の目算だった訳ですが、どうなったんだろうな〜。まあ酷い戦力比だったみたいなので甘い眼の目算になっていますが、普通に考えても辛くて三倍、普通に五倍くらいの戦力差を引っ繰り返せるんじゃないかと期待したりします。勿論、実践はとても難しいですが‥‥。
河の狭いところに押し込むことよりも敵の陸戦能力を奪うことを優先するならば、夜陰に乗じて上記の戦力を予め配置した上で、陸側から火責めにするところですか。直ぐ横に船がある場合、陸上で火責めにされれば当然船に乗るしかありませんから。
ただまあ、解決篇では風向きを気にしていた様ですから、となると『後一時間で風向きが変わる』位のタイミングで勝負を掛けないと、上手く行かないんですかね〜(T_T)。軍略的にはこんなもんかなと思いつつ、元々実践するのは果てし無く難しいものですもんね。そもそも、元の戦力差がデカ過ぎますから。
陸上の焼き討ちは別として、呉蜀連合が実際にこれをやり遂げたんだとしたら、用兵能力の高さに脱帽です。と、サバゲで立案した作戦を実際にやって頂くことの難しさを実感した後だと、尚更そう思えます(苦笑)。あいや、全然やって貰えなかったんだけど‥‥

ところで『赤壁2』のネタバラしの、細菌戦争とは‥‥。実は見てるときに呉蜀連合軍が『そうした』のかと一瞬疑ったんですが、逆になりましたね(笑)。『いや、まさかそこまではやらんだろう』と思ったら、曹操が三国志の時代に既に細菌戦争を実践していたとは、正にビックリしました。その人道精神の欠片も無さには、脱帽です。
いやはや日本軍を、千年位先取りしていたんでしょうか(三国志の年代覚えてないけど、多分もっと?)。てか、近代軍隊は赤壁の戦いを参考にして、細菌戦争を思いついたんだろうか。
それから矢の回収は『敵に撃たせるしか‥‥』とかは思いましたが、『回収出来んだろう』と思ったので、これも一本取られましたね。まあ、何か偉い本数回収できたみたいなことやってましたが、実際にはその1/5位しか取れなかったんではないかと思いますが。
(2009年 4月14日追加)
前から字画に依る姓名判断みたいなホームページに私の名前が載っていることは知っていたのだが、ふとその人がどうやって私のハンドルネームを拾ってきたのか気になって、グーグルで『香織』だけで検索を掛けてみた。多分、ネットで『香織』で検索を掛けて、私の名前に辿り着いたんだろうと思ったからだ。そしたら‥‥。何と画面の下に、
『他のキーワード: 香織
江辺香織 香織淳士 江 香織 根角香織』
って形で、私の名前が

まあひょっとするとクッキーに前に自分の名前で検索を掛けた時のデータが残っていて、その結果って可能性もあるけどどうなんだろ?余所のパソコンでの検索結果が、気になるところだな〜。
で、面白いのでその『他のキーワード』ってところで自分の名前をクリックしてみると、毎度の粘着君の嫌がらせだらけの結果(奴の犯罪行為の証ですな)の中に『香織淳士
- あのひと検索 SPYSEE
[スパイシー]』とかいうページが。アドレスは、ここ。
http://spysee.jp/%E9%A6%99%E7%B9%94%E6%B7%B3%E5%A3%AB
どうもスパイシーとかいうサービスに登録した誰かが、私の名前で『香織淳士って誰?』って検索をお願いした結果が保存されているものらしい。スパイシー自体はホームページの記事の繋がりを分析して、その人物の他の人との繋がりを推測しようというシステムということの様で(多分)。んでまあ、折角なのでそこを見てみると‥‥、結構笑える(笑)。
メリッサという名前で画像が貼ってあるので気になって見てみたら、家のお人形さんのメリッサ嬢のことではなくって、歌手のメリッサ=ミラノでもなくって(こっちが本命かと思ったのに‥‥)、何かエロ漫画の表紙らしい‥‥。これが私じゃなかったら、抗議していたかも(笑)?その割には、『つながりの成分』なる関係のある人の職種がやたらミュージシャンとか歌手が多いのは、メリッサ=ミラノと他にポルノグラフィティーなる歌手の『メリッサ』って歌のタイトルから来ているんだろう(お蔭様で『メリッサのドールハウス』の検索順位が下がっちまったい。笑)。アニメの旧作の方の『鋼の錬金術師』の主題歌の一つである。
他の関係のある人物として名前のあがっている河田一規とかユリアとかイエローカードとかになると、何で出てくるのか判らない。女性ボクサーのライカは多分、カメラのライカの誤判断なんだろうなー。調べてみると河田って人は写真関係の人みたいだから、ひょっとするとデジカメジンでコメント付けた元記事のライターさんだったのかもしんない。
まあ真面目に取ると、余りの実際との関係の無さに内容にクレームを付けてもいいようなレベルだけれども、所詮ロボット型の自動解析だし、今の技術の限界がほの見えて寧ろ参考になりました。これが他人についてのページだったら、こちらの情報が不十分でどこまで信憑性が見えたか
(笑)。
でも、じゃあ誰がこんな検索項目で依頼を出したんだろうと考えるとき、真っ先に思い浮かぶのはかの粘着荒らし君だったりするわけで‥‥。直接申し込みは彼本人でなくっても、たまたま検索を掛けたら酷い内容の中傷がゴロゴロ出てくるのを見て『こいつ何やねん?!』と思った人が頼んだのだとしたら、やっは言いたいことはあるよねー(残念ながら実際にはどうなのか、判らないけど)。
だもんで余計にこのページの内容が気になった訳だけど、まあご愛嬌ってレベルのAIの限界見え見えの内容だったので、ちょっと胸を撫で下ろしたり。それにグーグルとかと違って中傷目的の掲示板の書き込みとかはリンク先から綺麗に排除されているっぽいので、寧ろ好印象を持ちました。まあ『と〇』とか『総〇』とか『b〇』とか『ヘ〇ボーイ』とか、どこまで酷い非難をしてもやり足りない様な人物で検索を掛けても、当たり障りの無い結果しか出て来得ないのはちょっぴり残念ですけれどもね(笑)。
(2009年 4月 7日追加)
たまたまEOSデジタル板を久し振りに見に行ってみると、昔ながらの写真コンテストに於ける著作権の扱いの酷さに関するスレッドが立っていた。
今回の話の俎上に上がっていたのは、デジタルカメラマガジンの行っている写真コンテスト。キャノンのネイチャーフォトコンテストが改悪されてから目に付いていた、簡単に著作権を『俺のもの』しちゃう悪質な募集要項になっていたらしい。ところがスレッドの最後の方まで見ていると(完璧に全部見た訳ではない)、3月26日前後から取り扱いが変わるらしい。しかも担当者のお話からすると、酷い内容の方に確定ってことの様で
。
で、よく見てみると今日は既に、デジカメマガジンのコンテストの体勢が変わった後の筈である。折角なので、気になったのでデジタルカメラマガジンのホームページから新コンテスト募集要領のページを探しに行った。すると、しっかりと『著作権は撮影者に帰属します』と書いてある。
なーんだ(^-^)。勿論良い意味の、『なーんだ』。究めて真っ当であり、納得性も高く、まともな文言になっている(但し応募者に著作人格権の行使の差し止めを求めている部分だけは、疑念が残るが。ここはコンテストとは関係が無い筈だと思う。少なくとも、これを要求するだけの対価をコンテスト主催者が出すとは考えられないし、寧ろ著作者の意志を踏みにじって使う局面が無いことをこそ約束すべきだろう。現実的にはこの件ではせいぜい、パブリシティーの都合でトリミング編集が行われてしまうことがあるということを容認するよう要求するくらいで良い筈ではないだろうか?)。
余所のコンテストも、今後はここのコンテストの文言を参考にして頂いていいのではないかと思う。つーか、いい加減な転記で究めて問題の大きな文面になってしまう位だったら、このコンテストの主催者に連絡を取って一字一句間違わないように電子的に文面をコピーさせて貰った方がまだマシだろう。何しろこのコンテストの変更前の文面は、更にその前のバージョンから一文削除されてしまっただけで、酷い代物になってしまっていたのだから(多分転記ミスに果てし無く近いものが、原因だろう)。
正直、写真コンテストの募集要項の文章は究めて重要である。何しろ私もデジタルカメラマガジンの写真コンテストには一度だけ応募したことがあるが、今回問題になっていた文面に気が付いて以降、『絶対にこんなとこに出すか!!』と判断していた位だからである
(苦笑)。
因みにコンテストに応募したあなたの作品が、あなたのライフタイムベストになる可能性は、意外と高い。それが佳作で図書券1000円分でいきなり『あなたのこの作品に対する著作権、著作財産権は全て当方に移転しました。あなたはこの作品を勝手にプリントしたり、利用することは出来ません』なんて言われたらどう思いますか?そして現状写真コンテストで敷衍している文面では、実は往々にしてこの様なことが書かれている、と、コンテスト主催者は平気で主張するのです(現実には如何様にも解釈できるような、いい加減な文章なのに。つーかそんな風には読まないから、皆さん『誤って』投稿してしまっている訳で‥‥)。
まあ今回のデジタルカメラマガジンのフォトコンテストの募集要項の変更は、EOSデジタル板での遣り取りの波及効果である可能性が高いでしょう(相変わらず、議論にならない無謀な書き込みしか出来ない酷い連中が、訳の判らない暴論振りかざしてるシーンもありましたが、その変チクリンな連中の意見にコンテスト主催者が惑わされなかったのは有り難い話です)。皆さんも、似たような異様な権利意識で作られたコンテスト募集要項には、よく出くわされている筈。なんかさりげなく、『版権は当方に帰属します』とか書いた、募集要項ですよ。
こういう時には、迷わずコンテスト主催者の方に、『何で良くて数万円、下の方だと端金で作品の著作権を売り渡さなければならないんだ?そもそも版権ってなんやねん?』と突っ込みを入れてやってください。そもそも『版権(どう見ても出版権)』という言葉で『著作権』の譲渡まで現しているなんて主張する連中、頭奇怪しいんではないかと個人的には感じてしまうのですが‥‥(?_?)?
(2009年 4月 4日追加)
掲示板で議論が行われているときに、よく捨てハンでどちらかに明確に肩入れしていく書き込みがあったりする。まあもっと判りやすく言えば、その人とやり合っている相手に対する一方的攻撃、人格攻撃、排撃だ。
一般にはそういう人は、『意見ある第三者』ということにされている場合が多い。私も、まあ大半はそうなんだろうと昔は思っていた。しかし
。
個人攻撃をそこら中の板で執拗に繰り返す粘着野郎の相手をしていてほぼ確信にまで至ってしまったんだけど、ありゃあ常連の固定ハンが自分を有利に導くために、捨てハン使って雰囲気操作してるだけなんじゃないっすかね?大体、そういう時に攻撃されてる人とやり合っているのは、異様に自分の意見に固執した上で、その意見が公正さを欠いた意見にしか見えない人(基本的に合理的な考え方と論理的な議論が出来ない人種)に多いっていうのもあるし。
世の中ふいんきふいんき言って常識が〜って言ってる奴ほど信用ならないし、自作自演に頼る精神的素地も強いんだよね。
因みに、こういう奴が掲示板の管理者やっていると、もう最悪
。まあ、上昇意識ばっかり強い管理人の掲示板も、ろくでもないけど。
(2009年 4月 4日追加)
某板でヘルメットがどうとか暴れていたおっさん。何か例の粘着氏と似てるなーと思っていたのだが、私に直接絡んでくる様子が無かったのでまあ別人なのかなと判断していたのだけれど‥‥。粘着君がその板に現れて私に絡みだしてから、二度と現れなくなりました。やっぱり同一人物だったんじゃないかという疑いが濃厚に(どこに行っても、腐れた行動してんな〜)。
元々、私に絡む機会が減った(私が最近あんまり書き込みしてなかったから)もんだからって、他の人をターゲットにして憂さ晴らししてやがるんじゃないかなーって疑い持ってたんですよね。
つー訳でご免、粘着君!君が私の知っている君の立場でその板に現れた時『初めて来た癖に常連の振りすんなや』なんて書いてしまいましたが、やっぱり常連さんだったんだね。それも私より以前からの(>_<)!ご免よ



でも結局同一人物じゃーなかったってことなんだったら、やっぱり常連の振りするんじゃねーよ(笑)。
何にしても、何をやってもやらなくても絡んでくるんだから、屑でゴミの様な奴だなーと感じずには、いられませんよね(T_T)〜。『俺様は一人じゃない。同じ意見の奴が沢山居るだろう?!』って時々主張してくるんですが、だったら自作自演は止めにして欲しいものですが‥‥。お蔭様で、『もし仮に』他の人の意見も混じっていたとしても、自作自演にしか見えなくなってしまう訳でして
。
(2009年 3月29日追加)
推敲の関係で以前書いたPHOTOHITOとかいうサイトの利用規約ページ(http://topics.photohito.com/sitepolicy)を改めて見てみると‥‥(って言うか、三ヶ月前に書いた内容すら、まだアップ出来て無かったのか自分
)。投稿写真に関する著作権のほとんどを自動的に没収しますと称する割には、その写真が元で起こる全ての厄介事は投稿者に責任持てと要求してるのねん。
自分の権利は無限大で、但し全く責任は負わない。こんな凄い内容を読んでも投稿し続ける人って‥‥多分山ほど居るんだろうなー。だって、明示的にそこに書いてある内容すら、『そんなことある訳無いじゃないですか(『さよなら絶望先生』の前向き少女風に読もう)』って黙殺してしまえるのが、日本人のメンタリティーですから。ありとあらゆる契約書に書いてある内容でも、似た様な信じられない読み方をするのが、日本人ですよねー。
って、全く笑えねー(T_T)〜。
しかし裁判沙汰になったら、多分この利用規約は余りにも不平等過ぎて、『無効だ』ってことになるだろうな(消費者契約法では『理不尽で余りに消費者に不利な契約内容は無効』ってことになっている様だけど、この規約は消費者契約法の取り扱い範疇に入るんだろうか?そこが問題だ)。だからって裁判に掛けなければそういう見解は取れない訳で、そうなると触らぬ神に祟り無しって路線を選ばざるを得ないと思う。
『自分の撮った写真なんて、何の価値も無いし
』って思うのもいいけど、だからって揉め事が起こったときに無限責任を要求されるのは、堪らないでしょう?それが相手からの見返りは何にもないとなれば、尚更、ね。
(2009年 3月25日追加)
ポルトガル旅行でメインのシグマ15−30レンズが霧でおっ死んでしまったことを教訓に、四月の旅行に備えてEF18−55ISを中古で買ってきてしまいました。うううっ、金も無いのになんて贅沢(T_T)o(苦笑)。
んで、前から30Dの撮像素子の清掃の必要を感じていたものでキャノンの梅田サービスセンターにそのレンズを着けていってみたら、いやはや、カメラの重さの中でレンズの占める割合っていうのは、こんなに大きなものだったんですね!軽(○
。○)(笑)!!
でもまあチョロッとそのレンズを使ってみて思ったのは、画質はやっぱりそれなり、それなりのあおいちゃんパニックだった上に『手振れ補正は本当に利いてるのこれ?』って位の状態で、やっぱり大口径レンズが手振れ補正になるアンチシェイク系の方構成のが、やっぱ断然いいよな〜っていうことですね。ううーむ‥‥。
んで、撮像素子清掃中の暇つぶしも兼ねて向かいの試用コーナーに行ったら、1Ds3のファインダーがあまりにも酷い色収差で、ビックラこきました。よく調べてみると正確にファインダーの中心から覗いたら出ないっていうことの様なんですが、にしても視線を画面内で振る程度のズレでも色収差が出るというのは、幾らなんでも‥‥
あり得ないほど酷いなーと思いました。
尚レンズの色収差でなくってファインダー側の収差であることは、ファインダーの隅から覗くようにしてカメラ側を振ると、被写体の常に同じ側に色滲みが出るので確認出来ます。これがレンズ由来の色収差であれば色滲みは、常に画面の外側、内側っていう形で出る筈ですから。尚1D3の方は、スクリーンが小さい分端の方を覗く必要がない関係か、傾向としては1Ds3よりもマシに見えました。
いやはやしかし、ランプシェードという色収差を見るのにピッタリのセットがあるとは言え、本当の隅から覗くとスクリーン上で1ミリ幅くらいは余裕でありそうなあの色滲みは、酷いですね‥‥。30Dでも酷い像面歪曲がありますし(視度補正の2クリック分位。色収差も少しですが、やっぱり感じます)、視野倍率優先の最近の風潮とは言え、これは酷いなーと思いました。だってこんなに線が太くなってしまっては、エッジが見えなくてピントが合わせられませんもん。
こんな酷いファインダーに、どうしてβ機のテスター達はクレーム出さなかったんだろう(?_?)?!?!そんなに、MFってしないもんなのかな〜(そうなのかもしんない)?
因みに横にあった5D2の方が、この点ではまだ良好でした。こちらはまあ、止むを得ないのかも?と思える範囲。でも像の切れは1Ds3の方が良く、これが視度補正の余裕のお蔭なのか、ファインダー光学系の解像度の差なのか(多分こっち)気になるところです。
因みに私は、−3の視度補正が必要だったり。なので上記は、それ以外の視度では緩和する可能性ありです。
しかし──。儂、ファインダーを覗きながらだと、どうしても5D2のメインスイッチ入れられなかったんですけど(T_T)〜?1Ds3の場合は、スイッチオンから露出補正オンへの間がビクとも動かせない。勝手にスイッチが云々というクレームが、そんなに恐かったんだろうか?儂が買ったら、『スイッチが入れられない』とクレーム付けるぞ(苦笑)。この辺の固さは、隣の50D(だったと思う)辺りが限界かなと。
あと5D2に縦位置グリップ付けたときの、手首のアングルと親指ダイヤルの距離には、絶望した(T_T)〜!!まあ家のオーバーサイズ親指ダイヤル、最悪内側削ったら付くけど。にしても5D2はいつか買うつもりなので(いったい何時なんだ?)、正直縦位置グリップと電源スイッチ関連には、失望したな〜(T_T)。
とまあこの辺のお話を説明のお姉さんとしてきたんだけど、やっぱり次の機種が出た時にも、変わらないんだろうな〜(T_T)。縦位置グリップのレリーズボタンが端っこ過ぎるのも、延々直らないし。
ところで誰かが5D2辺りのことに関して予約入れてたらしいんだが、何か私がその人と勘違いされてなかったら扱いが違ったっぽく、何かなーと思った(苦笑)。感じからすると、5D2に単三電池を入れた場合についてを気にしていたのかも、ですが。
その誰かさんからのお話では無いにしても、やっぱりファインダーの色収差については、もうちょっと何とかしといてねん‥‥。
(2009年 3月25日追加)
世の中にはどうしようもない屑っていう人種が居て、なろうことなら掲示板を見ながらその屑に『〇ね!』って念を送れば殺せるものならば三十回位殺しているところなんだけれども‥‥。勿論そんなことは不可能な訳で
(苦笑)。
んでまあ、ネットを通じて呪い殺すといえば『地獄通信』だったりするわけですが。こうゆう時、確実に奴の方が地獄通信使っちゃってたりする訳ですよね。三期は余りにも好みから外れてそうなので(そもそもきくり好きになれないんすよ)見てないですが、ある意味あの話ってリアルだねーって、屑氏を見ていると思います。結局外道野郎の方が、人のことを考える能力もなければ、無謀なほど利己的ですから。
しかし『“
”とか使うの気持ち悪い、止めろ』とか言いながらそれを自分とこの掲示板でパクってたり、同人誌の存在を非難しながらデジキャラットのデジコの帽子を家族で作って売ってたり、お前の掲示板の書き込みは宣伝だといちゃもんつけながら結局その個人攻撃そのものが自分の2ちゃんねるのスレッドの宣伝用だったり、『人形の写真なんてキモい』なんて言いながら本人私よりお人形さんで遊ぶの大好きだし上手かったりするし。そういう人物のことを、どう呼べばいいんでしょうね?ハンドルネーム変えればそれでいいと思うの、甘いよ?空気読んでないとかグダグダ書くの大好きみたいだけど、突然何の脈絡もなく個人攻撃を繰り広げる荒らしが空気読めてると思ってる?
君が荒らせないように、そういう口実を奪うためにわざわざ匿名で書き込んでやっていたのに、それでも乱入してきたのを見ていてね、ああ判ったよ。要するに君が人に難癖付けている内容って全て、君自身が非難された内容を他人に押し付ける為なんだよね。
でも匿名で2ちゃんねるにスレッド作って個人攻撃繰り返しても、誰も君がやったことだって判らないよ?誰も君がやった行為を『うんうん、君は間違ってない』って思ってはくれないし、誰がやったのか判らないのに君のことを凄いと思ったり、君に共感することは無いんだよ。だって君が誰なのかみんな知らないんだし、君は良くて便所から漂ってくる臭い風でしかないんだから。
折角君が誰なのか、特定のハンドルを使うことによって君の蛮勇を君の一身に集められるようにと以前アドバイスしてあげたのに、結局2ちゃんねるのスレッドを作るときにその名前を使う勇気すら持てなかったんだね。ほら、写真関係の掲示板を荒らすのに使っていた固定ハンドルがあった筈じゃないか(君は自作自演をすることを優先して、最近はそのハンドルネームを使わなくなってしまっていたね)。
そんな君が、君の求めるものを手に入れられる機会なんて絶対に来ないよ。と言うか君が君自身にみんなの視線を集めたいのだったら、実名で立つしかないんじゃないかな。『オタクだから、僕自身に注目が集まるのは苦手なんです』なんて言ってたら、所詮君は誰にも知られない、今の君のままだよ。どこを取っても私より物凄くて、父親としての君を尊敬すらしていたのに、そんな君が埋もれたままでただの個人攻撃荒らしとして消えていくなんて、とても残念だ。
まあ、君はいつも匿名でしから個人攻撃を出来ない人間だったから、実は君が彼じゃなくって、お人形さんを使ったポスター風画像を作ってドールイベントで有名人振っている彼であるって可能性も、全否定は出来ないけどね。だとしたら、いやーヘルボーイのお人形さんを買うお金がなくって、君のお祭りに参加出来なくってご免ね。あれから、露骨な行動始めやがったよな(実はあの人に、妬み持ってるっしょ?)。
(2009年 3月10日追加)
キャノンから耐水10メートルを謡うコンパクトデジカメが出ましたが、1/2.3インチ系1200万画素機として考えるとまあ割と許せる画質な様で‥‥。少なくとも、オリンパスの同クラス撮像素子の機種と比べれば、まあ許す気が起こるような起こらないような(出来れば、700万画素以下にして欲しいが。その方が画が綺麗だから)。
しかし、水中のサンプル写真を見て『何て酷い画質なんだ?』と思ったら、水圧で保護ガラスが撓んで、その所為で色収差が強く出ていたみたいですな。それで思ったんですが、水中カメラに自動色収差補正が付くと、殊の他有り難いんですけれどもねー‥‥。
まあ正直色使い、デザインともにオリンパスのμミニの企画を何周か遅れでパクった代物にしか見えませんが、逆に言うとμミニの企画のいいところも引き継いでいる訳で、案外魅力的なカメラだなーと。もっともフジのF200ベースの広角水中デジカメでも出てこようものなら、画質の差を考えると比ぶべくもなくなってしまいますが。
そういやフジのF200って結局600万画素モードにその魅力が集約される訳で、そう考えるとF30を持っている人からしたら買い換える必要があるのかって考えると、なんだか疑問が残っちゃいますね(^-^
)>

まあ、ピーカンだと1200万画素モードでも結構いい線行くんだから、全く意味が無いとは言えませんが。つか、ダイナミックレンジ拡張モードは、あれは結構欲しいなーと私も思いました。
(2009年 2月21日追加)
人工授精で取り違え云々の事件。確かに人為ミスそのものは良くないことだし対策を立てることは大切だけど、何か報道を見ていると大切なことを一つ忘れている気がする。それはその病院がミスをバックれようとするよりも、自らミスを認め責任を認めたということ。
だって考えても見て欲しい。最近医療ミス云々が問題になっているけれども、どの事例を見ていても被害者の立場にある当事者が一番問題にしていたのは病院の事故隠しなのだから。事故隠しが病院に対する不信感を招き、余計に事件を大きくしてきた。しかもミスの事例は秘匿され、対策はないがしろにされ続けてきた。今回の病院の対応はある意味、『範を周囲に示した』とすら言えるのではなかろうか(もっとも、結局訴訟を起こされてしまったんだから、病院の意図したと思われるのとは反対方向に石を投げる形になってしまっているけど)。
航空事故の対策を見ていても分かる通り、事故防止の根幹は事例の公開とオープンな議論、対策の確立だ。馬っ鹿みたいに批判の論調を並べるよりも、『起らない筈が無い』人為ミスを減らすために何をするか?そういう報道が大切だと思う。
現状の報道を見ていると中川某酔っぱらい報道や麻生脳足りん報道を引くまでもなく、感情的な『当たり前すぎる』批判をしつこく繰り返すことによる、結果を省みない感情的世論誘導にしかなっていないと思う。その発想は果てし無くポピュリズム的志向に偏っており、マスコミが『結果論的に否応なく世論を牽引する』立場であるという自覚が余りにも絶無過ぎる。
独裁者の専横を防ぐことが出来るものが居るとすればそれはマスコミしか無いとすれば、今の日本のマスコミは寧ろ余りにも自身がポピュリズム的独裁者本人であり過ぎて、日本の言論の未来は余りに瞑いと言わざるを得ないのではないだろうか?
と言うわけで、日本マスコミの右に倣え主義的感情暴発型報道の改善を望むと同時に、もう少し大人な視線持てよとお願いしたい次第である。今の日本の報道を見ていると、小学生でも鼻白むんではないかと思えるほど単純で剥き出しに餓鬼過ぎだと思う。
(2009年 2月21日追加)
何かキャノンのTS−Eレンズがリニューアル&追加になりましたね。24ミリにタップリと低分散レンズ投入された様で、これはやっぱり、新規のLレンズは全て徹底的な色消しに勤しむってことではないかと思います。
24ミリの方はMTF曲線から推測するに、旧型よりも周辺部の解像度もかなり改善したということの様で。中間画角の解像度がヤバそうだけど(多分軽い象面歪曲が原因)、旧型見てると周辺が如何にも流れてそうなラインだから、旧製品ユーザーからは支持されるんでしょうね〜きっと。
17ミリの方は高解像度側の開放でのコントラストが割と低く、解像度低い上に露骨な象面歪曲があるみたいで。『絞り込まないと中心以外使い物にならないけど、建築用だから絞り込むからまっいっか』ってなコメント続出しそうな予感がします(笑)。
何にしても、どっちのレンズも中間画角で強い非点収差が出そうですね。メリジオナル面に(って放射・同心どっち方向だっけ?)大きな像面歪曲が出ていると、特にこういう現象が起こり易いっぽい。しかも、絞っても全然改善していなかったり。どちらのレンズも、あんまり複写用途には向いて無さそうですね。
しかし、どちらもシフト・ティルト両方対応しているのに、通常画角のMTF曲線しか載せていないなんて、手抜きもいいところですな
(-_-
)。これじゃーシフトした時の周辺の描写が、予想出来ひんやん。
そうそう、やっとこさティルトとシフトの間にもレボルビング機能が入ったらしく、これだけで24ミリを買い換える人も居るかも
?買える人が、う、羨ましい‥‥

(2009年 2月19日追加)
そう言えばパレスチナ情勢。ハマスの糞共がイスラエル側にチャチいロケット弾を撃ちまくって侵攻を促し、『状況』を創り出して支持がグラついた閉塞状況を突破、支持を獲得。イスラエル側はイスラエル側でその『状況』を利用して『父系的で力強い政府』を演出して国民の支持獲得(今、選挙前なんだよ)。今度はファタハ系が白々しくガザ内部からロケット弾打ち込んで再度のイスラエル側の侵攻を挑発。イスラエルからガザへの侵攻がまたあればハマスへの信頼が崩れるという読みらしいんだけど
。
オイオイ、犯人がお前らと判ったら、意図バレバレだろう‥‥。市民の犠牲無視してそんなコスい真似して、本気で支持が得られると思ってるんかいな(イスラエル側は、支持を集めるのに成功したらしいが(T_T)〜)。
結局戦闘も侵攻も『止むなく起こる』んではなく、当事者の都合で『起こされる』ものなんだなーと、今回の動きを追っていて凄く良く理解出来ましたよ。
ところで基本的にハマスがやっている方式は『便衣兵』であって、『一個の市民がテロリストとして行う』分には判るんだけど、『大掛かりな武装闘争組織』がやることとしては、どうなんだろう?正に、『市民を楯にした愚行』と取れないこともない。というか、話し合いを潰すためにやっている面が強く、やっぱり愚行としか取りようが無い。だってハマスは、ガザにおいて『政府』なんだから。
正直ハマスが今後も武装闘争路線を維持すると言うのであれば、市民のスカートの影に隠れるのではなく、また志願者を唆して自爆テロという名の自殺特攻させるのでも無く、『正規軍』としての組織を作り上げるべきだろう。んで、せいぜい軍隊として、イスラエル人の入植地でも潰して回れば良い。そして死ぬときは市民のスカートの影で街ごと巻き添えではなく、軍人として勝手に犬死にすればいい。
これであれば、イスラエルは『報復』と称して、ミサイルが飛んできた地元を街ごとブルドーザーなんかで踏み潰す口実が無くなる。だって、『テロリストと市民の区別がつかない』という、お決まりの言い訳が通用しなくなるからだ。
別に、ハマスの『軍隊』が百回負けたってどうってことはない。新しい部隊を随時組織して、同じ様な(はっきり言えば愚行だが)行動を繰り返せば良い。一般市民の腹に爆弾括り付けて特攻させる覚悟があるならば、自殺覚悟の戦闘に加わる猛者は幾らでも居るだろう(勿論、居る訳は無いが)。
はっきり言えば、イスラエル人の入植者達は『自覚的な侵略者』として参加している『半軍人』である。あんなのは『市民』でもなんでもない。まあ言えば、便衣兵みたいなものである。彼等を幾ら殺したところで、『市民』の死者とは言えないだろう。
『戦闘』で兵士が殺されたことに対して『報復』するなどと言うことが、果たして言い訳として通るだろうか?イスラエルが便衣兵退治と称して百人単位でパレスチナ『市民』を殺し続けていることを考えれば、到底そういう言い訳が可能だとは思えないな。
(2009年 2月 3日追加)
何か麻生首相が読み間違いを三連発したとかマスコミがはしゃいでいますが‥‥。『みぞうゆう』と違って、単純に言い間違いである可能性の方が高いと思います。少なくともその内の一つは、その後の単語のもっと難しい同義語を言おうとして、順番が狂った可能性が物凄く高い(多分、マスコミ連中はその同義語の存在を知らないんだ(の_の)v-〜)。
正直、麻生首相が自分の国の首相だということを、マスコミは理解しているんだろうか?確かに、彼が首相に納まっていることが日本国の国益に適うことかどうかは甚だ疑問に感じるのも事実だが、自国民が自国の、間接的にとは言え自分達で選んだ首相を馬鹿にするということは、自らを馬鹿にするというのと同じことだ。不必要且つこじつけ臭く、高が読み間違いレベルの内容で『奴の知能は小学生以下か?』と言わんばかりに馬鹿にするのは、国益ばかりか自らの利益に反すると思う。少なくとも今回のマスコミの報道を見ていて、『なる程、こいつを選ぶ程度の国民だよな
』と、私は痛く思い知らされたよ(’-’
)v-〜。
ついでに言うと田中真紀子の質問が偉く受けが良かったみたいだけど、確かに言っている内容は的確でご尤もだと思う(オイ)。しかし、だからって人を馬鹿にして個人攻撃にすることが主で、政策に関する具体的な内容の無い文言を言うために質問に立つのだとしたら、それは『麻生は中身が無い』と言われるのと同じ位に『中身が無い』質問だと思う。まあ報道で流れるのは一番小気味良いところだけなんだから、流れていないところでひょっとすると、何か具体的な内容を言っていた可能性も全くゼロではないかもしれませんが‥‥。どうなんでしょうねー?
(2009年 2月 3日追加)
全くどうでもいいお話ですが‥‥。『プリキュア5GoGO!』の後番組は三人組になるそうで‥‥。やっぱ冗長すぎる変身シーンとか、画面に一々五人出すのは大変とか、『戦隊者は五人だ〜』式の軽いノリじゃー駄目だ、もっと現実的に行こうって話になったのかな〜とか思ったり。そもそも『GoGo』では六人だったしな。
ところで『プリキュア5』系では食玩でルージュのアイテムが冷遇されてたイメージがあるんですが、やっぱ人気無かったってことなんすかね?確かに通常モードでは『何ですか、あの髪形は?』だし声がおばさんとか色々あったかもですが、変身後の異様な格好良さと妙に洗練された感じは、いい意味で浮きまくりだったと思うんですが‥‥。
でも、何となくルージュってやられ役というイメージがあるのは、ルージュの声がした時しか画面見ないからでしょうかね?
ってオイ

(2009年 2月 1日追加)
何かデジタル放送関連の記事って、面白いネタに次々とぶつかるな〜?
http://bogusne.ws/article/21616117.html
ゴスロリ衣装はデータ圧縮上不利だから、デジタルテレビには出演禁止ってネタなんですが‥‥。マジネタなのかただのジョークなのか、よく判りません(^-^
)>


まあアップでレースが動いたら、圧縮効率下がってブロックノイズ出捲くりっていうのは事実有りでしょうが、それで行くとアナログ時代からピンストライプは干渉縞が出るとか色々と言っていた気が
。そもそも服の織り柄だって、柄そのものは規則的だけど皺はランダムだから、眼の荒い多色糸の織物のアップは禁止とか言う話になる様な‥‥。てか、ディティールの細かいものはそもそも規則的であっても圧縮率下がるし。
ま、多分ネタだと思うんですけどね、でもNHKの720P弾圧騒動とか地デジ合わせでBSのビットレート下げたお話とか考えると、『そりゃー冗談でしょう』と高を括ってばかりも居られないなーと
(-_-
)。
(2009年 1月30日追加)
あ、デジタル放送の圧縮率って30倍だったと思っていたんですが、撮影時の生データに対しては100倍も圧縮してたのねん‥‥。さっのリンク先のそのまたリンク先のブログの遣り取りに書いてありました(1485Mbps−>14Mbps)。因みに、一眼レフデジカメのRAWデータが一枚8メガバイト位がJPEGになって3メガとかですが、RAWデータは一ピクセル辺りRGBではなくってR、G、Bの単一データしかありません。放送用ビデオカメラの生データというのがRGB展開後のデータなのか展開前のデータなのか判然としませんが、デジカメのデータをBMPか何かに展開すると、単純計算24メガバイトってことになります。実際には、JPEGはRGB各8ビットで、RAWは12ビット且つキャノンの場合圧縮が掛かっているので、素のデータサイズが分かり難いんですけどね‥‥。
まあRAWのベタ展開データが24メガでJPEGが3メガとしたら1/8に圧縮されていることになって、動画との圧縮比の差が1/4になるんだからって好意的な見方も出来ますか
ね(多分)?
あ、推敲の際に見返してみたらデジタル放送は1/100な訳だから、スチルが1/8の圧縮だとしても、まだ十二倍以上の開きがあるやん‥‥
こんなのを、みんな『高画質だ』って教え込まれているんだね。
(2009年 1月30日追加)
何と言いますか、『NHK汚ね〜(>_<)


』ってな感じで、気になる話を見つけましたもんで、アドレス貼っときます。
自分の押している規格をゴリ押しするために、如何にえげつないことをNHKがやったかってお話
http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
品質の低い方に品質の高い方を合わせてる臭いお話
http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4356.entry?_c=BlogPart
前者は、(一応)自分の面子を保つ為にNHKが如何に歪んだことをやったかというお話。はっきり言えば、悪質な営業妨害を暴露した内容ですが、どうもその背後には天下りとかいろんなことが隠されていそうな気も‥‥。でなきゃ、ここまで圧力賭けるのは異様で異常。どんな圧力を掛けたのかと言うと、デジタルハイビジョン放送の規格の720P(プログレッシブ)を廃止させ、1080I(インターレース。動画を止めると縞々になるモード)に一本化させようとしたようで。1080Iの方が大きなデータ帯域を要求する関係で、電波事情が悪い時に画質の劣化が早いそうです(そりゃそうだ)。
後者は、まあ日本的な下らない、臭いお話ですね。ビルの電波障害のせいで地上波デジタルよりも衛星デジタルの画質がいいのに気付かれたら、地上波デジタルの画質が悪いのがばれちゃうやんっていうコスい計算から、衛星デジタルの方の画質を落として放送しているんだよとかいうお話です。そもそもアナログの帯域を二つに割っているのに、デジタルの方が画質がいいなんてデジタルノイズ(ブロックノイズ)の関係上あり得ないと思っていたんですが、その上でこの体たらくですか‥‥。
アナログの通常放送は限界解像度とかは高くないですが、その代わり動画になっても画質が劣化しないという美徳があります(非圧縮なお蔭)。ところがデジタル放送の圧縮率たるやえげつないものがあるらしく(読む度覚えようとしつつ忘れちゃうんですが、その代わり読む度ビックリするような数字です。確か1/20〜1/30で、1/30が正解だったと思う)、静止画はまあ問題ないと思うんですが、差分で動かす動画用にはデータ量少な過ぎだろうと‥‥。何しろ、静止画のJPEGの一般的な圧縮よりも相当圧縮率が高いのですから。
これではロングの草原のスクロールなんかは、原理的に見て解像できる訳もない。だってロングの草原って、静止画のJPEGでも圧縮率をゼロに近づけないと、ほとんど完全には解像出来ないんだもん(の_の)v-〜。エンコードに依っては秒3Mbpsで何でもきちんと見えると書いてありますが、ほんまの話やら‥‥。まあ、ブロックノイズが出るか出ないかが基準なら、そういうこともあり得るのかな(ブロックノイズ以前にただのグリーンの塗りつぶしになりそうだ)
因みに、NHKと組んでパナソニックとかに圧力を掛けたのは、(一応匿名化してあったんだけれどもどう見ても)ソニーらしい‥‥。
ところで、1080の放送規格ってインターレースだけかと思っていたので嫌だなーと思っていたんですが、気が付いたらプログレッシブモードも放送規格の中に加えられていたんですね。まあ、アナログ放送の時代からインターレースの縞々を補正するための技術は開発されていたけれども、初めからデータが素で解像しているに越したことはありません。
(2009年 1月30日追加)
スゲー凄いものを見つけてしまったので、ご紹介。
http://jp.youtube.com/watch?v=0vb_XgInvzE&fmt=22
5Dマーク2の動画なんですが、夜間だと言うのに、空が明るく写ってる‥‥
しかもホームビデオだとノイズだらけで露出アンダーになりそうなところを、暗部が浮く位の明るさで事も無げに。赤がやたら飽和してるっぽい嫌な色なのは、多分白熱灯下の写真だからでしょうかね。
フルサイズで『たったの』200万画素モードで撮るっていうことはこういうことなんだと、何か実感させられるような気がします。NHKの超高感度カメラの撮像素子だって多分、こんなにでかくねーだろうな〜‥‥。
多分専用のムービーカメラと比べるととても扱いにくいんだろうけれども、しかしこんな画を見せられると『映画撮りたいねー』って思わされますね。もっとも、5D2を買うお金なんて持ってませんけど(苦笑)。
ところで新聞にソニーかどこかが世界最大画素数の動画カメラを出したって書いてあったんですけど、『はあ、なんでたった915万画素で?世の中には既に2100万画素の動画カメラあるやん?』とか思ってしまったり。注釈も何にも無かったことからすると、記者の勉強不足でしょうね。それとメーカーのニュースリリースも、『動画専用カメラでは』とか書いておくべきだと思うんですが。
つーか、三洋のザクティーシリーズなんて動画の品質悪すぎてあんまり動画用のカメラとして認める気になれないんですが、逆にビデオ系の直系ムービーカムだって静止画撮れるし、だったら『5D2は一眼レフカメラだから』なんていうショボい理由で動画カメラから外すというのは、余りに恣意的過ぎる気もするな〜。
(2009年 1月10日追加)
BD−1と言えばブロンプトンとかモールトンと並んで折り畳み自転車のイメージリーダー的な感じがありますが、何年前か知りませんがモノコックボディーになったのをご存じでしょうか?で、あれの写真を見る度に、いつも物凄く嫌な違和感があるわけです。それは、フレームとシートポストを繋ぐ部分のデザイン。
あの細さは異常と言うか、力学的に考えてあり得ないですよね。折り曲げ方向の強度は、事実上無いも同然と言いますか‥‥。でもまあ、ドイツの企業が作っているものだし、最低限の強度計算くらいはやっているんだろうと思っていたんですが
。
個人のホームページで、BD−1の破損事例の載ったページを見て、見解を翻しました。ハンドル固定パーツに、あり得ない断面のパーツが使われていたのを知ったからです。こ、これは、道具を使ったことの無い人間のする設計だと。
自転車のハンドルは、立ち漕ぎすることもあるためにかなりの強度が必要とされます。しかもロックレバーは梃子&カムに依る倍力機構が仕込んである訳で、そんなところに断面5×1.2ミリなんて言うパーツが使われる筈がありません。これって、比較的小型のL字金具並の断面積ですよ。人間の体重の50パーセント位を負担しなければならないパーツに使う断面ではありません。そんなことも判らない連中が作っているとなったら‥‥。BB(ペダル基部)側だけで強度を出してるとしたら、ただの重量ロスですもんね。
BD−1のモノコックフレーム版で、フレーム破断事故が起こらないことを祈るばかりです。
(2009年 1月 6日追加)
アニメ『かんなぎ』、最終回かと思っていたら違ったのねん。しかしつぐみちゃんのあの首の座らない動画、前から思ってたけどこのアニメの動画マンってホント上手いね(T_T)o。絵は、もうちょっと可愛くならないのかと思うんだけど‥‥(笑)。特にナギの絵(大汗)。
しかし『中古品』騒動があったけれども、『全然好きだの愛だのそんなの関係ねー』なナギが中古品でも関係無いやんとか思っていたら
。なる程、原作にも今回の話の原型があったんだとしたら、そういう気分も判らんでもありませんな。ちゅーか急展開?前回の話の後、もう一回捻るというのは思いも付きませんでした。はて、残りは後一話なのか一クールなのか‥‥。
しかし人間ある程度歳を取ると、相手に今更処女がどうとか要求してもな〜って気になってきますけれども、今時『処女じゃないんだ騙されてたぜぃこの野郎』とかいうのが居るのも、ある意味骨董品、あいや、いいこと‥‥とは全然思えませんな(苦笑)。下手したら小学生から致してるとか中学生の何割がどうとかで高校生に至っては云々
、なんて少女漫画の相談コーナーに書かれているご時世(但し記載の信憑性は不明)に処女信仰を持ち続けるのは、潔癖症の女の子と同じでヴザいだけな気がする。こういうのは、ま、初めての娘に当たったらラッキーっていうことで‥‥(ええんかオイ)。
ところでアフリカでもアジアでも女は幼ければ幼い程良いという信仰が増えているそうだけど、これは要するにエイズが恐いから。そりゃー、三十歳の売春婦と十歳の売春婦だと、平均的な職歴の長さに有意の差が出て来るのは事実ですわな。もっとも、その十歳の売春婦ですら、あんたの前に何人もの男とやらされてるんだろうけど。初物と称して、それこそ『中古品』を売りつける悪徳親や胴元も山程居るでしょう。
ここで一つ笑えない問題が一つ。日本の中高生って意識が低いから、男も女の子もあんまりコンドームの使用率が高くないらしい。昔エイズは『移りにくい病気』だとか、『ノーマルのセックスでは移らない』って言われていたけれども、それはまだ年数を経たエイズキャリアが少なかった時代のお話で、今は『ただの性病』です。クラミジアみたいにコンドーさん付けてても無駄ってこたないだけ可愛げはあるものの、実は中高生だってエイズキャリアのリスクはそんなに低く無い訳でして‥‥。
そうだね、諸君。確かに初物の方がいいかもしんない。 <−話が変わってるぞコラ!!でもマジな話。彼女の昔付き合っていた男がエイズキャリアの女と生で致していないという保証は全く無いんだもんね。
正直三年以内に死ぬ予定ででも無い限りは、行きずりの相手とは必ずコンドームをすべきだし、移される・移すリスクを考えれば、やっぱりコンドームだけはしとけと言いたい今日この頃です。実際、男も女も二十歳超えたらみんなエイズキャリアな世の中なんて、考えたくも無いっしょー?
それはあんた自身の問題で、あんたの子供のことでもある訳で、だったら『エッチの話は恥ずかしい』とか言わずに、大人は子供にコンドームの使い方と必要性を教えておくべきだと思う。それを実践するのが今すぐなのか大人になってからなのかは、あなたの教育次第な訳で
。
っつーか、PTAの連中は、きちんと性知識持ってるんだろうか?
持っていたら、子供に責任持って教えることの必要性を理解してなければ奇怪しいのだが‥‥。
(2008年12月29日追加)
個人攻撃荒らしの奴って『空気読まない書き込みが』とか好んで書く様ですが、板の主題とも話題とも関係無く一番空気読まずに個人攻撃を突然始める奴が、何を言っているんだろう
?
その精神の異様さには、唖然とするばかりですね。
しかし今回の一連の書き込みで、今までの個人攻撃の主体が初めから一貫して喜志三連星さんだったことが改めてはっきりしたな〜。自分とこの掲示板でやった攻撃そのままの書き込みに、EOSデジタル板やデジカメジンの噂板で散々続けて来た定型攻撃を続けるとは迂闊な。これで正体が判らないとでも思っているんだろうか?
まあ、今まで続けてきた攻撃を止めて頂く為に電話した直後から攻撃が一頃完璧にストップしていた時点で、バレバレなんだけどね。全く、駐車場の修理代が発生していたんだったら言ってくれって電話掛けても出ないと思ったら、ビクビク震えてたんだねって感じ?
(2008年12月25日追加)
一応ドロップハンドルの自転車が久し振りに欲しいなーともう結構長いこと思っているもので、まあそれなりに自転車関係のサイトにぶちあたったら取り敢えず覗いちゃおうかな〜とか思ってしまうこともある。んで、どうにも気になるのがやたら『格好悪い』とか『格好良い』が価値基準になっている場合が多いこと。
ううーん、ロードバイクに乗るって言うことは、スタイルやお洒落ってことなんだろうか?あいや、個人的に地上を人力で速く(ついでに早く)走りたいとか、楽で速いやんとか、そういった実用の乗り物だと信じて生きてきたもので、格好の為には安全装備も外すとか、スタンドはかっちょ悪いとか、もしそういう考え方があるんだとしたら理解不能に近いなーと。って言うか、格好だけ気にしてるのが、個人的に一番格好悪く映るというのもあるんだけど(^-^
)>。
逆に言うと、『別に一グラム軽くしたってそんなに無茶苦茶変わる訳じゃないんだけど、やっぱり気分的に軽くしたくなるんだよね』っていう人が居るけれども、結果的にスピード上有利なんだったら個人的には『別に恥ずかしがる程酷い話でもねーんじゃね?』とか思うけどね。塵も積もれば山となる訳だし。まあご当人としては『そのレベルだったら、車重軽くするよりも身体鍛えた方がマシやん』っていう真っ当な考えがあるからこそ恥の感覚が生まれる訳だし、そういう感覚はとても健全でいいな〜とか思ってしまったりする訳で(笑)。
一方実用主義者的に気になるのは、大きい眼のフレームの車に乗るとステムが短くなってみっともないとか、逆にフレームが小さいと格好悪いって考え方。と言っても、後者はなる程、そういう自転車の写真見たらあんまり格好は良く無かったけど(笑)、でもやっぱりレーサー系のバイクであればこそ見掛けの格好良さよりも実用を取る方が『格好がいい』と思うんだが‥‥。それにステムの長さなんて見栄えよりも、実用としてクイック過ぎると感じるかダル過ぎると感じるかの方が大切だと思うし。
その辺のコメントを読んでいると、結局ロードの文化って道具としての実用性よりも、スタイリッシュさに偏っているのかなーっていう気がして格好悪いなと感じてしまったのでした(大汗)。まあ、格好に憧れて欲しがる人が多いっていう意味では、よく考えてみるとスーパーカーブームと同じなんだから、別にそれはそれでいいのかもしれるせんけどね。
ところで最新号の自転車雑誌を見ていると、カーボンフレームを『く』の字型に曲げているチャリが多くてビックリしました。前からアーチ状に曲げているフレームは結構あった様ですが(どうせ剛性落とすんであれば、直線で細くすれば軽くなるのに‥‥)幾ら何でも『く』の字型は工学上あり得ねーだろうと‥‥。
これが金属製のフレームなら、まだ判る。ろくでも無い応力集中があるのに違いは無いにしても、金属で取り敢えず必要な強度を与えているならば
いや、やっぱりかなり糞な設計だけどね
しかしカーボンでこれをやると、敢えてそこの巻き数を増やして特に巻きが緩む方向に対して補強してやらないと、一カ所の繊維が緩むだけで加速度的に強度が落ちていってそこから破断すると思う。こういう突出した形状の部分って熱を均等に伝えるのが難しくなるから、一番品質が要求されるべき所の品質が一番不安定になるし(オートクレーブだか釜の中の温度の均一性がどの位高くて低いのかは知らんけど)、もしそこの強度を補強する為に厚みを変えていたらやっぱり温度管理上不利になるし。そもそもそこを補強する必要があるのなら、折角剛性を落としてるのに重くなるって言うか、無駄に重くなるだけで全く意味が無いことになるやん‥‥。
正直、柔軟性を出したり剛性を落としたいんだとしても、屈曲ではなくアーチくらいにしておきなはれと、『く』の字に曲がったフレームを見ていると思ってしまったのでした。少なくとも、屈曲点のRは最大限に大きく取るべき。
元々スコットの偏平で薄い背骨側のフレームを見ていると『下のパイプ細くした方が早くね?上パイプ薄い上に曲げてるから剛性への寄与率低いし。あれじゃーフレーム全体の捩れ剛性への寄与率もとても低いし』と感じてしまうもので、それが更に悪化したみたいな処理を見ていると、なんか気分が悪いと言いますか‥‥。ひょっとすると、ダイヤモンドフレームでないといけないという、レースレギュレーションを満たす為に上パイプがあるだけで、本当はこんなの要らないっていうことなんでしょうかね〜(のの)?だったら、ピラッピラの板でも付けといたら?
まあ世の中機能的で性能がいいよりも、非効率でもパッと見格好よく思えるものの方が売れるんですから、それでいいってことなのかもしれませんけれどもね。
(2008年12月24日追加)
『喰霊ゼロ』が最終回を迎えましたね
。物語の最終回として余り選択肢の無いストーリーだったのですが、それでも予想以上に良かったというか泣かされたと言いますか‥‥。第一回から期待して見ていた人間としては、最終回も含めて何の文句も無い傑作であったと個人的に思います。
『屍姫』の方も最終回かと思っていたんですが、ひょっとすると二クールなんでしょうか?取り敢えず何となくこういうことになりそうな予感はしていますが、出来れば予感が外れていて欲しかった(T_T)o。こちらも、とても良く出来たストーリーだと思います。
しかしどうでもいいお話ですが、『喰霊』の一巻だけ原作を立ち読みしてたんですが、本屋で改めて表紙だけ見ていて‥‥。こんな絵柄だったんだ(笑)。原作の一巻に出ているラスボスっぽいキャラって黄泉だと思い込んでいたんですが、『ゼロ』の最終回は『喰霊』一巻の主人公が出てきて終わりでしたから、あららら、違ったのかな?
本当、人間の記憶力って話になりませんよね。ひょっとすると、原作主人公の出番を遅らせる形に構成しているのかもしれませんが。
そういや忘れてたけど、『喰霊ゼロ』が終わった直後に『百合ームコロッケ』のコマーシャルは、幾ら何でもないんじゃないかと思う(笑)。つか、百合じゃなくってシスコン姉妹だと、ずっと思っていたんだが‥‥(の_の)v-〜。
しかし、なんつーセンスしとんねん。
(2008年12月23日追加)
PHOTOHITOとかいうサイトですが、何かよく判りませんが、一見写真投稿サイトと見せかけといて、投稿された写真に関する権利は何でもかんでも無制限に譲渡しろってことなんでしょうか‥‥?利用規約ページ(http://topics.photohito.com/sitepolicy)見てると、違和感を持たずには居られません。
閲覧者に対しては写真をダウンロードするなとやたら厳しく要求しておきながら、自分達は投稿された写真をどこまでも利用していいらしい。普通こういう書き方する時は商業利用込みって捕らえるのが一般的かなと思うのだが、そもそも2ちゃんねるの投稿が金を生んだ『電車男』なんかの例を意識した項目だろうから、あながち間違っていないのではないかと思う。しかし『人と写真を繋ぐ』無料サイトに投稿する人が、自分の投稿作品に対して投稿先がここまでガメついた考え方をしていると予想するだろうか?ここまで無制限な権利を運営者が求め、投稿者の権利が制限される様な事態を想起するだろうか?ちょっと、考えられないんじゃないかなと思う。
いやはや、日本の企業のやることもなかなか油断なら無くなってきましたな
(-_-
)。自分自身とその作品に対して作家性を求めたい人は、決してこのフォトヒトとか言うサイトには投稿しない方がいいと思う。
因みに、運営者は価格コムらしい。
(2008年12月22日追加)
某写真系個人掲示板に書き込んだ内容を編集したものです。これは、ここにも書いておきたいと思っていた内容なもので。アメリカのビッグスリーの衰退と、客は値段の多寡だけでなく、多少なら高くてもいいもの、欲しいものは買うのだとかなんとか、そういう内容に呼応しての書き込みでしたか。アメリカは品質向上やお客さんのニーズに応える努力もせず、出来の悪いものを高い値段で客に売りつけてきた。そんなメーカーが、今後生き残れる筈が無いといった感じで。
以下私の書き込みを掲示板向けからホームページ向けに編集したものです。掲示板の文毎に段落を入れるスタイルって、そのままだと他で使えないのが面倒臭いですよね。
結局メーカーの宿命というのは、努力して他社よりもその条件を満たす製品を作ることに尽きると思います。その結果として製品は売れ、企業は栄える。
ビッグスリーは燃料電池車の時代になったら起死回生が成るという見解の様ですが、多分その根拠は、『開発には金を掛けずに、日本製部品を組み合わせることによって楽ちんにものを作るから開発コストの分安く作れる。俺達の作るものはハイセンスだから、日本製の下らない陳腐なデザインの物よりも物としてなっていくなとも、格好で売れるんだよ』ってことなんでしょう。
しかし開発過程に於けるノウハウが無いから、『より良い製品』は作れません。多分あっと言う間に技術レベル的に立ち遅れて、現状をもっと悪化させた状態になる筈。
これではせいぜいがとこ、性能の悪い低価格製品を作る二流企業という位置取りしか狙えません。しかしそういう位置取りは中国の様な腐っても安い労働コストの国だから成り立つものであって、日本以上に労働コストの高い米国内の生産では成り立ちません。ということはビッグスリーの選択肢は潰れるか海外生産への移行であって、結局今回の救済措置は『自動車産業の空洞化』を生み出すだけと考えるのが合理的でしょう。そもそも目的は、雇用の確保だった筈なんですが‥‥(今ではオバマ大統領も平気で変節していますね。まあ、仕方ないですが)。米国車がプレミアムクラス(まあ、デザインブランドですね)となり得るかどうかは、果てし無く疑問ですし。
今日本ではアメリカ式の株主主権主義が横行していますが、本来この株主というのは企業経営を監督し、将来を含む戦略性を以て企業に投資する者を差します。『投資』というものは、本来そう言うものです。投資者と言われる者の利益は、企業の利益と完璧に合致する存在な訳です。
ところが最近幅を利かせている投資ファンドと言われているものは、企業の経営には全く興味が無く、企業を使い潰しの乳牛の様に捕らえているものがほとんどです。この場合彼等は企業が持っている価値を切り売りして、使い潰したら放り出すのが前提です。投資ではなく投機と収奪が目的ですから、その立ち位置は企業経営と一体で無いばかりか、利益背反しています。
この様な収奪者を『株主』と呼んでそこに主権を与える様な物の見方をしているのですから、アメリカ企業が没落するのは、理の当然ですね。勿論、それに倣っている限りは日本企業も、いつか同じ道を辿るでしょう。
本来株主の存在というのは『投資家』を指すのであって、しからば株券というのはすべからく会社と遣り取りすべきであって、株が市場化して兌換性のみが期待されている株の市場化そのものが、実は資本主義を歪めているのだと思います。だって株券の発行は本来会社が資金調達する為のものであるのに、現実の株式への投資資金のどう見ても九十パーセント以上は、投資(出資)とは全く関係のない株主同士の株券の遣り取りに費やされているのですから。
あと時価会計の考え方も、資本主義を歪めていると言えます。本来発行済みの株券が全部一円の価値も無くなろうとも、投資家が投資したお金は会社に投資されたままです。会社の実態的運営にとっては、全ての株式市場の株式が全部紙になっても、本来的には何の関係も無い訳です(現に株式を全て自社で買い取ってしまった会社も、普通に存続しています。だって株式を発行するのは、本来資金調達の為なのですから。外部資金が必要なければ、株式を発行する必要すらない訳で)。損をするのは、株を他人に譲ることによってお金を得ようとする株主のみ。
これだって本当は、株式を持ち続けることによって損失を繰延べ出来ますし、持ち続ける限りはそもそも損失とすら言えません。株式の価値が下がって大損をするのは、銀行に金を借りて運用している『投機家』だけです(一時資金を株式に回しているのは、投機家と同じ)。長期株主にとって、本来的には株式市場の動き等というものは何の価値も無い他人事なのです。
ところが近年では保有株式に課税したいアメリカ政府の都合によって時価会計が導入され、発行済み株式が貨幣化されてしまいました。結局、株式市場の発生が資本主義社会を投機化し、アメリカ政府が資本主義市場を歪めてしまったということなんでしょうね。
何時までたってもここに書いた二つの観点を以て経済が語られないという事実に、経済学者達は何をやっているのか、とんと首を傾げてしまいます。まあ、現状追認を立脚点に成立する学問が、ことの本質に興味が無いのは当然なのかもしれませんが。
無限の増殖を目標に行動したって、地球が受ける太陽からのエネルギーは一定ですし、地球上の生物代謝量も鉱物資源量も限界があるのですから、すべからく経済発展には限界が伴うと考えるべきだと思うのですがねー‥‥。
(2008年12月22日追加)
かなりどうでもいいお話ですが、『あかねいろに染まる坂』の主人公、予想の斜め上ってことで義理の妹さんを選びましたね。あいや、あの妹好き好き兄貴をヒロインが妹から奪い取るお話かと思っていたので、そういう方向に持っていくというのは、正に予想外でした。だったらだったで、もっと妹さんが焼き餅妬くシーンキチンと入れろよとか思いますが
。その方が萌えるし
(笑)。
しかし‥‥。ヒロインを迎えて初めてのお泊まり会をした金髪の人(名前覚えろ)、何でこんなに萌えるんだろう(
-_-
)v-〜?妹の方を泊めていた、個人的なサブヒロインの娘(だから名前覚えろって)が細胞分裂して驚いていたら、キャストと生徒会長さんの態度を見ている限りでは初めからおおっぴらに出ていた様で、我ながら何と言いますか‥‥。まあ、『ef』の舞台が二つの土地に跨がっているのに気付いたのが『ef2』になってからだったというおポンチ振りを考えると、我ながら『だろうね〜』と突っ込み入れたくもなりますけれどもね(苦笑)。
ところで『あかねいろに染まる坂』の後半になるに従って妹さんの演技が気になって仕方がなかったんですが、平野綾さんって本当、お嬢様喋りやると作ってるのバレバレになって演技になりませんね(T_T)〜。こういうのは、オーディションの段階でキチンと判断しろよって感じでとても気になってしまいます。まあメインヒロイン釘宮某(名前忘れた)、本命影ヒロイン平野綾って時点で、人気優先営業重視でキャスト決めたの見え見えですが‥‥。
どうせなら平野綾さんだと、完璧に作りの入った不自然な役の方が向いているんではないかな〜という気のする今日この頃。こなた、ハルヒ共そういうキャラだし、あの二人の演技については何の文句も思い浮かびません。つか、所謂神演技?ハルヒ個人は嫌いだけど、キャラの好き嫌いと演技は関係無いし。
まあ、最近は人気が上がり過ぎて、演出側も駄目出しするのにかなり遠慮があるのかもですけどね。スケジュール押してるだろうし。でもそう言うのって、声優としての寿命を縮めるだけだと思う。一頃の中原麻衣さんみたいに、頼り無いキャラ以外仕事が来ないってーのよりはまし‥‥なのかな〜?
しかし‥‥。『ひぐらしのなく頃に』のレナちゃん以降、中原さんの頼り無いキャラが見られないのも、ちょびっとだけ淋しいかもですね(笑)。の割には個人的に中原キャラに最初に嵌まったのは、ナナ様の声だったりするんだけどね(の_の)v-〜。
そうそう、少し早いけどクリスマス用写真をトップページに張りましたが、去年と同じ服&キーボードですが、先日撮ってきた出来立てホヤホヤの写真です(^-^)。つか、せめてサンタ帽、欲しい‥‥(T_T)〜。
(2008年12月20日追加)
.
−>簡易コンテンツへ
−>共通ルートページへ
−>トップに戻る