政治家の潔い出処進退といえば石橋湛山元首相が思い浮かぶ。自民党総裁選での2・3位連合で岸信介氏に逆転勝利して内閣を組織したが、体調を崩しわずか2カ月で退陣した。1957年2月のことだ▲「この際思い切って辞任すべきであると決意するに至りました。……私の政治的良心に従います」。石橋氏は辞任の意思を党幹部らに伝える書簡にこうしたためた。作家の半藤一利氏によると、その退陣はある種の感慨をもって「あの日の主張」を想起させたという(「戦う石橋湛山」)▲その主張とは--。1930年11月、浜口雄幸首相が東京駅でピストルで撃たれて重傷を負い国会に出てこられなくなった。これについて石橋氏が翌年春、自らが主幹を務める東洋経済新報の社説で、浜口首相は意識が回復した時に辞任すべきだったと論じたことを指す▲石橋氏の首相辞任は、26年前に浜口首相を批判した自らの主張に対するけじめだったのかもしれない。半藤氏は「昭和6年に浜口を裁いたように、昭和32年の自分を裁いた」とその言行一致ぶりをたたえている。翻って、鳩山由紀夫前首相である▲6月の退陣表明の際「次の総選挙に出馬しない」と明言した舌の根の乾かぬうちに、政界引退の考えを撤回した。「国難というべき時に自分だけ『はい、さようなら』では失礼ではないか」との思いが募っているのだそうだ▲首相辞任と政界引退は違う。石橋氏は首相辞任後も衆院議員を続けた。だが、四半世紀も前の言論に責任をもった政治家と、4カ月前の発言をあっさり撤回する政治家の落差はあまりに大きい。政治的良心はどこへ行ったのか。
毎日新聞 2010年10月31日 0時03分
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