兵器外観
名称 122mm榴弾砲 1938年型(M-30)
[122mm Howitzer Model 1938 (M-30)]
型式
開発国 ソ連
製造メーカー
配備国 旧ソ連、東欧諸国、世界各地の発展途上国
製造初年 1939年
口径 122 [mm]
口径比 22.7
砲身長 [mm]
全長 [m]
全高 [m]
全幅 [mm]
全備重量 3100 [kg]
腔綫 有り
砲身材質
砲身命数 [発]
閉鎖機 螺旋式(蝶番型)
平衡機
駐退複座機 砲身上に液圧式緩衝器
砲身下に液気圧式復座器
最大駐退力 [kg]
後座長 [mm]
照準具
上下射角 -2.5〜+63 [deg]
水平射角 [deg]
最大射程 11800 [m]
装薬
公算誤差
砲口初速 515 [m/sec]
発射速度 最大:6 [発/min]
砲弾 ・460シリーズの砲弾を使用、分離装薬式
OF-462榴弾(重量:21.7kg、炸薬:3.67kg、信管:RGM、D-1)
BP-460A成形炸薬弾(重量:13.2kg、貫徹能力:200mm)
D-462発煙弾
H-462化学弾(重量:21.8kg、信管:KTM-2)
操作人員 8 [人]
布設所要時間 [min]
説明 ●概要
 本砲は、ソ連のOKB[Opytone Konstruktorskoe Byruro]設計局のF.F.Petrov局長の下、第一次世界大戦型の旧式砲を更新する目的で、開発されたものである。トライアルは、1938年末に完了し、1939年9月、赤軍の標準−師団榴弾砲(divisional howitzerで、divisional gunとは異なる。divisional gunは、ZIS-3などである)となった。1940年には、500門が製造され、第二次世界大戦中に13500門以上が製造された。牽引砲の他に、ドイツ軍から捕獲した3号戦車にガーゼマット式に本砲を搭載したSG-122突撃榴弾砲(試作のみ)や、T-34に本砲を改造(M-30Sと呼称)し、ガーゼマット式に搭載したSU-122突撃榴弾砲などが開発された。
 大戦後は、ワルシャワ条約機構軍の標準師団榴弾砲となった他、世界各地の発展途上国にも輸出された。また、中国では、ソ連から供与された本砲を、54式122mm榴弾砲としてコピー生産した他、コピーした砲を、ほとんど改造無しでYW-531装甲兵員輸送車の上に搭載した、54式122mm自走榴弾砲を開発している。

●構造
 構造は、オーソドックスで信頼性が高いものである。防盾が付いた箱形断面の砲架に砲身がマウントされている。脚は、ソリッドタイプで、頑丈で信頼性は高いが、重いのが欠点である。駐退復座機は、砲身上の液圧式緩衝器、砲身下の液気圧式復座器から構成される。閉鎖機は、螺旋式の蝶番型である。車輪はソリッドゴム式(スポンジゴムが満たされたタイヤ)であるが、近年では、旧東ドイツで、牽引速度を上げる目的で、空気式のタイヤを開発している。また、旧東ドイツでの改良では、全高も低くなっている。具体的には、射撃姿勢の、砲身の仰角0度で、1185mm、トラベルポジションで、1735mmの高さになった。
なお、砲架の基本部分は、152mm榴弾砲M1943(D-1)にも流用されたので、識別の際には、注意が必要である。もっとも、152mm榴弾砲M1943(D-1)は、大きく太い砲身を持ち、砲口に大きなダブルバッフル式のマズルブレーキが付いているので、まず見間違えることは無いと思われる。

●その他
 移動時の重量は、3100kgで、3トントラックまたは、6頭の馬で牽引された。運用人数は8人。塗装は、ダークグリーン一色が基本パターンで、カモフラージュとして、黄色と黒と茶色のスポットを当てているものもある。冬季は、つや消し白一色である。
参考文献
参考WebSite ・「Federation of American Scientist」 URL:http://fas.org/index.html
・「戦車研究室」 URL:http://combat1.hp.infoseek.co.jp/
・「TANK MASTER] URL:http://www.sura.com.ru/~tam/english.asp
・「RUSSIAN BATTLEFIELD」 URL:http://www.battlefield.ru
写真 写真は、K.K様より提供。ポーランドのワルシャワ軍事博物館にて撮影。

[TOPへ戻る] [大砲研究室へ戻る] [大砲データベースに戻る]


2001.8.25更新 榴弾砲format_v0.5