8/31
地方予選でしかないのに
なんで五輪「候補」地を決めるのにこんな盛り上がっているんだろうか。いや、正しくは盛り上がっているような報道をしているんだろうか。
2016年のオリンピック開催地「候補」として名乗りをあげた東京と福岡市であるが、それぞれ石原都知事と福岡市長(名前は覚えてないし調べる気もあまり
ない)が「候補」地名乗りを巡って舌戦を繰り広げたのはニュースで何度か目にしたけども、ただ単にこのやりとりが「結構大人気ない」という理由で報道され
てたのではないのか。ちょっと面白かったから報道したんだろ、と。
オリンピック招致による地元の利益だとか今後の選挙に向けての思惑だとか詳しい話はよく知らんけども、それもこれも「候補地」から「開催地」になっ
た時にはじめて有効となる話であって、現段階の「候補地」決定に関しては何の関係もないんじゃないのか。もちろん「候補地になったから今後開催地となるよ
うに頑張って働きかけますよ」というのは分かるんだけども、何か候補地になるかならないかで明暗くっきり分かれたような感じになっているが、選ばれた東京
だってまだまだこれからが大変なだけだろう。
そもそもオリンピックがどこで開催されようが知ったことではない。地元札幌も名乗りをあげていたが辞退している。札幌市民としてオリンピックが地元で開催
し
てほしいという気持ちはあまりなく、地元で開催されると無駄い外国人が増えて治安が悪くなるかもな、くらいの印象しかない。札幌五輪のおかげで地下鉄が整
備されたとかいう恩恵は知っているんだけども。
そして何より東京と福岡、どちらが候補地として名乗りをあげても2016年のオリンピックでは開催地にはならんだろうと思っている。2008年にはソウル
五輪以来20年ぶりに北京で開かれるわけで、ソウルの前にアジアで開催されたのは東京オリンピックの64年。24年のブランクがあった。所詮は欧米諸国の
スポーツ大会であるオリンピックがアジアで8年のブランクで開催されるわけがないのだ。
なもんで、国内で半ばいがみ合いのような争いをして「候補」地を決めたところで、開催地になることはないと思うと、なぜこんなに大きく報道されるのかがよ
く分からん。大阪五輪も招致に失敗している話をなぜこの時点で誰も持ち出さないんだろうか。報道している側は知らないわけがないはずなのに。知らなかった
らただのアホだが。
となると、この報道はオリンピック招致がどうこうではなく、もう単純に「石原都知事と福岡市長の罵りあいが面白い」というだけのテーマでしか報道されてい
ないことになるだろう。ミッチーサッチー論争(なんて言葉があったことすら思い出すのも悲しい)と同じ次元の話でしかない。あの頃も充分にバカくさいと
思ったこの論争であるが、そのバカみたいな論争をまた報道しているんだわな。いかにもワイドショーが好みそうな話であるゆえ、ワイドショーが取り上げるの
は仕方ないような気もするが、普通のニュースで取り上げるのはやめてもらいたい。
もはや「ワイドショー」という番組の定義が怪しくなりはじめ、報道とワイドショーの垣根が完全に崩壊し、硬軟併せ持った番組が視聴率を取れるということで
蔓延しているがゆえの結果なんだろうけど。ワイドショーの下世話さを一切否定するつもりはないんだけども、それはワイドショーという番組が独自にその役割
を果たせばいいだけで、「報道」という文言を掲げている番組がこのような下世話でしかないニュースともいえない出来事を普通に取り扱っているという事態は
本来は放置しておくべきじゃないんだろうなあ。
ニュースの価値を極めて冷静に判断し、報道できる番組が欲しい。横並びの報道をするくらいならNHKだけで充分だ。ま、NHKも怪しいもんだが。
・ドラマ「東京タワー」の山本の代役、塚地に決まる
考えられる中では最良の人選だと思います。そして何より放送予定日が11月18日と発表されたことが嬉しい。
ところで山本容疑者(送検されたのでようやく容疑者扱い)であるが、結局送検されただけで「済んだ」と言えるでしょうな。正直、罪としては稲垣メンバーよ
り軽いと思います。逮捕されてないからね。人間としてどうか、つう問題は別として。ま、警官轢いてまで逃げようとした稲垣メンバーとどっちが人間としてど
うかなんてことは言えないけども。
今週のトリビアのネタ
「田代ちゃんと亡命しろ」も「北斗の拳ナレーション」も
ネットでちょいと前に見かけたネタだなあ。
9月で一区切りつくとはいえ、末期症状。
8/29
タイムマシーンに乗って
どうも、ハトヤです。
ちょいと先日友人のコネでタイムマシーンに乗せてもらいまして5年後の2011年に飛んできました。もちろん自分の悲惨な5年後を見るとかいう目的ではな
く、単なる時間旅行です。タイムパラドックスを起こしたりなんてことはしてません。ただ、5年後の「24時間テレビ34」で遂にマラソンランナーがシャレ
にならない事態になっていることを伝えたくて、未来の新聞をこっそり持ち帰ってしまいました。本当はここで公開することによってタイムパラドックスが起き
てしまうのかもしれませんが、いかんせん未来のことですし、またそのことによって悲惨な事態が回避されるならばと思うので公開することにします。
森公美子放送中に倒れる
日本テレビで27日、28日に放送された「24時間テレビ34」の放送において、タレントの森公美子さん(52)が同番組の企画であるチャリティーマラソ
ンの最中、路上に膝から崩れて倒れた。また、その姿は全国中継された。森さんの容態は現在は安定しているが、膝に水が溜まっており暫く入院が必要との診断
が下っている。
森さんは今年で20年目となる同番組の目玉企画であるチャリティーマラソンのランナーとして抜擢され、2ヶ月前から特訓を始めていたものの、練習のときか
ら膝に過度に負担がかかっており、本番に実際に走れるのかどうか危惧されていた。一部のスタッフからは森さんをランナーから降板させたほうがよいという声
もあったが、本人の強い希望と、また20年目の節目の年であるということもあって結果的に森さんが走った。
森さんが倒れたのは武道館の25キロ手前だった。もっとも総走行距離が42.195キロの実際のマラソンの距離のため実際に走った距離は17キロほどだっ
た。27日の19時にスタートした森さんは快調なペースで2キロを走るも、そこから急激にペースがダウン。1キロ1時間のペースで歩くと止まるを繰り返す
ようになった。そして28日の16時ごろ、森さんが倒れる姿が全国に流れた。
「24時間テレビ」のチャリティーマラソンは1992年に間寛平さんが200キロマラソンに挑戦したのを最初に、以降芸能人が100キロ前後の距離を走る
ことで番組を盛り上げていた。当初は間さんや赤井英和さんらの体力に自信のある芸能人が走っていたが、1998年にV6の森田剛さん(当時19歳)が
100キロをあっけなう走破したあたりから路線が変更され、「より苦しそうな映像」を求めるようになった。
01年には初の女性ランナーとして研ナオコさん(当時48歳)が85キロを走破し、05年には丸山和也弁護士が59歳(当時)で走破、06年にはお笑いコ
ンビのアンガールズが走破など、「女性」「老人」「虚弱」というより苦しそうなバイアスをかける人選が行われてきた。そして08年には石塚英彦(当時46
歳)が100キロを走破し、さらに「肥満」という要素が加えられた。森さんはこの流れを受けた形で「女性」「老人」「肥満」の要素を満たしていた。
チャリティーマラソンに詳しいスポーツジャーナリストの二宮清純さんはこう話す。「今年でチャリティーマラソンは20年目を迎えたわけだけども、どうも
15年目のアンガールズあたりから『これはひょっとして女性だろうが老人だろうが虚弱だろうが、優秀なトレーナーさえいれば誰でも100キロくらいはいけ
るんじゃねえの?』という空気が漂いはじめた。あの年に『史上最弱のランナー』と煽っていたわりには二人ともそれほど疲れた表情も見せずにゴールしてし
まった。これが原因でスタッフは躍起になって辛そうな映像を撮るためにランナーに対する負担を大きくしすぎたのではないだろうか。確かに森さんがフルマラ
ソンを24時間かけて走破するのは感動するかもしれないが、無理なものは無理だ。」
大幅に距離は短縮されたとはいえ、森さんの体躯でもってフルマラソンの距離を走るのはやはり無謀だったのではないだろうか。専門家ならずともそのような声
はあがっておかしくはない。「24時間テレビ」におけるチャリティーマラソンは20年の節目をもって大幅に見直される必要がありそうだ。
ちなみに森さんの入院及び治療費は「24時間テレビ」で集められた募金から全額負担される。
……恐ろしいことになってました。まさか5年後にモリクミが走り、しかも途中でぶっ倒れるシーンが放送されるというえらい事態が起きてました。今年アン
ガールズは無事100キロを走破したわけですが、「アンガールズが100キロ走破!」というよりは「アンガールズでも 100キロ走破できる」という意味付けなってしまったと
いうことなのでしょう。ヒョロヒョロが走れるならデブでも走れるんじゃねえの、となるのはある意味当然かもしれません。
もしこの未来の記事を読んでいる24時間テレビの関係者の方がいらっしゃったら、今すぐにでも来年以降のデブタレ打診を考え直してください。未来は変えら
れます。そして出来れば「チャリティーマラソン」という企画も根本から考え直してみてはいかがでしょうか。もう走らなくていいんじゃねえの。
「アタック25」で児玉清と博多華丸が共演。
そりゃ話題にはなるんだろうけど、「アタック25」の純粋なファンは
その共演がわざわざアタックの放送を「芸能人大会」に割いてまで
実現されることを望んでいないのでは、と思うのだが。
アタックは通常放送が一番面白いのに。
8/28
世の中マネー
「誘惑の札束」という番組を見る。
北海道では27日の夕方に放送されたのだけども、関東圏では7月に同じ時間帯で既に放送されていた。放送されていない地域も多いだろうが、色々と面白かっ
たので感想を書いておくことにする。
「ゼニの本質を扱った番組にハズレはない」というのは自分が勝手に作った格言ですが、この番組もそれに該当している。「ゼニの本質」とは貨幣経済が何たる
か、つう話ではなく、奇麗事を抜きにした「現生の魔力」を感じる番組のこと。真っ先に思いつくのは「マネーの虎」であるけども、ちょいと前であれば「クイ
ズ悪魔のささやき」なんてのが思い浮かぶ。現金を目の前にして揺れ動く人間の心理というのは、汚くも魅力的。
この番組は「芸能人は札束の誘惑に勝てるのか」をテーマに、ドッキリを仕掛ける。まず最初はレギュラーの西川とまちゃまちゃがラーメンのレポーターになっ
て3軒ラーメン店を巡るニセ番組において、途中2店めの店長が二人に20万の現金でもって「3番目に訪れるライバル店の味を微妙な表現でもって貶してほし
い」と頼み込む。これを受け取るか受け取らないか、スタジオの解答者が当てる。賞金はこれまた現金。そして正解に近づくためのヒントも与えられるが、これ
もゲストが自腹を切ってヒントを買う。1万円のヒントであれば「諭吉ヒント」。
ちなみにこの問題の正解は「二人とも現金を受け取る」であり、西川は渋ったあげく店長が財布からもう10万足して30万になったところで交渉成立。相方
(仕掛け人)の松本が戻ってくるなり「実は…」と言って口止め料として1万円を手渡す。しかも西川は3店めであっさりと約束を反故にしてラーメンを褒め始
める始末。金を貰ってなおかつ約束を破るという人間のクズっぷりを見せ付けてしまう。まちゃまちゃは20万を受け取り曖昧な表現でもってなんとか褒めない
ように苦心しただけ、まだ可愛げがあった。
2問目は100万円がかかったクイズの問題でカンニングの不正をするかしないか、という問題。松野明美となかやまきんに君が楽屋にクイズの正解が書かれた
台本とともに取り残されたとき、台本を読むか読まないかの問題。ちなみにクイズの問題はまともに答えたら絶対に正解できないようになっている。これの答え
は「松野明美がカンニングをした」だった。松野がお金欲しさに台本の答えを盗み見るのもキャラどおりであるが、なかやまきんに君が邪な心を断ち切るために
楽屋で筋トレを始めた姿は妙に美しかった。
3問目は「かつみ(ハート)さゆり」のさゆりが濡れ場ありの映画出演をもちかけられた場合、かつみはいくらで嫁を売り渡すのか、という問題。「濡れ場は了
承できない」という最初の態度も現生が登場するやかつみの態度が豹変、さゆりがいなくなった時に現生取っ払い(事務所を通さずそのまま貰える現金)500
万で嫁をあっさり売り渡す。しかもその言い訳が「株で4倍に増える」だった。これも金に汚いかつみのキャラどおりではあったが、いい嫁であるさゆりがあま
りに可哀想であった。
最後の問題は佐々木健介・北斗晶夫妻のペアヌードを佐々木はいくら出せば了承するのか、という問題。道場を新築し現金が欲しいのは山々である健介ではあっ
たが、最終的に3000万積まれてもOKを出さなかった。これには北斗も「一生金儲けできない」とボヤきながらも、最終的に身内を売り渡すような真似をし
なかった健介に対して照れていたのは非常に微笑ましかった。
問題と結論を簡潔にまとめてはみたが、実際の面白さはあまりに生々しいVTRを見なければ伝わらないのは百も承知である。松野明美が台本を盗み見る姿は万
引きをする主婦さながらであった。正直あんな姿は公共の電波に乗っけていいもんではないとは思うが、それでも現生の持つ魔力と、その魔力に負けてしまう人
間の悲しいくらいに生々しい姿というのは、申し訳ないがどんなドキュメンタリーよりもリアルで、それでいて人間臭い。そして何より下世話ではあると判って
いながらも面白い。
番組自体も非常に面白くはあったんだけど、自分がそれと同じくらいに興味があったのは解答者だった土田晃之。最初の問題ならびに最後の問題を正解したが、
どうもその問題を読みきったわけではなく、「最初の問題はこの番組の面白さ、そして人間の汚さを思い知らせるために絶対に二人とも受け取るんです」と言い
切って正解していた。つまりプロデューサー視点。
最後の問題は4人中3人が正解したが、それはもちろん佐々木健介のいい人っぷりも然ることながら、読みとして「最後は金に汚い人間ばかりではない」という
救いを持たせて番組を締めるという計算がスタッフにも、そして土田にも働いたのではないだろうか。先日の「ダウンタウンDX」では「目指す人は薬丸(裕
英)さん」と発言していたが、この番組では「目指すはテリー伊藤さん」と言っていた。まあどちらも冗談ではあろうが、この番組の土田には間違いなくプロ
デューサーの考えが手にとるように見えていたようだ。土田は凄いけども、番組スタッフとしてはもう一捻り必要だったか。
ただまあ、最後の問題を唯一「1千万円以上で折れる」と予想した品川が「前半にイヤなものを見過ぎた」というコメントを残したことからも分かるように、見
れば見るほど人間の醜い部分を抉るような感覚に襲われるのもまた確かだ。最後までイヤな部分を見せ付けられたまま終わってしまうと軽い人間不信に陥ってし
まいかねないし、いくら番組の構成として読まれてしまおうとも、最後は「やっぱりお金じゃない」という結論で正解なのかもしれない。人間の信用はプライス
レスなのです。
というわけで、番組内容も土田の読みも非常に面白く興味深い番組でした。レギュラーでやる企画ではないだろうけども、久々に「次が見たい」と思わせてくれ
る番組でした。ゼニの魔力、恐るべし。24時間テレビの裏で放送したUHB(地元北海道のフジ系列局)はどことなく悪意があって最高と褒めておきたい。
あと最後にこそっと「小川麻琴さん、モー娘。卒業おめでとう」と書かせてください。
KAT-TUNを観に行った女たちの前で
「熱き心に」を熱唱した小林旭の男気、プライスレス。
でもギャラは募金額のウン分のイチかも。
8/25
許容範囲
「スタジオパークからこんにちは」に半田健人。
調査をしたわけではないのであまり大きなことを言うのもどうかと思うが、きっと半田健人はイケメンヒーロー出身の俳優では飛びぬけて男性に人気と知名度が
あるのではないだろうか。その最大の根拠は「タモリ倶楽部の常連」だからである。
半田健人について簡単な説明をすれば、「仮面ライダー555(ファイズ)」で主演を務めたいわゆる「イケメンヒーロー」の一人であり、イケメンヒーローの
はしりとなったオダギリジョー(最近本人はこれを黒歴史にしたいようだが)の系譜に当たる。髪形は「ロングバケーション」の頃の木村拓哉ばりであり、要潤
ばりの面長でもある。なんだこの説明。んまあ、要するにイケメンつうことだ。
しかし半田の説明文としてはこれだけでは不十分で、彼を説明する場合には「オタク」としての半田にも触れなければならない。まず彼は「昭和40年代」に造
詣が深く、そこから派生して「高層ビル」マニアであり、「万博」マニアであり、そして「歌謡曲」マニアである。特に歌謡曲に関しては単なるマニアの域を超
え、歌謡曲を後世に残そうという目論みで自ら編曲を手掛けてライブを行うなど仕事にも結びついている。こんなおおよそイケメンらしくない趣味のおかげで
「タモリ倶楽部」にも度々呼ばれるようになり、そしていかんなく自らのマニアっぷりを披瀝するのである。
というわけで、半田健人はイケメンヒーローであるにも関わらず、そのオタク気質によって男性に対しても好感度と知名度を保っているように思える。もちろん
女性ファンもたくさんいるだろうけども、他のイケメンヒーローと比べたときに男性からの支持は大きいのではないだろうか。
でまあ、そんな半田が「スタジオパーク」にていつものようにマニアなトークを繰り広げていた。しかし決して自分の意見を他人に押し付けるでもなく、さも当
たり前かのように自らのマニア哲学みたいなものをさらっと語ってしまうあたりにオタクでありながらイケメンであるという「幅の広さ」を感じさせるわけだ。
そして本人、そのあたりを自覚してやっているあたりが恐ろしい。
半田自身、現在オタク話に需要があることを十分に心得ているようで、「スタジオパーク」のような一般人が多く見る番組は一般人向けに、また「タモリ倶楽
部」のようなマニアな人種が多く見る番組ではマニア向けに話すという使い分けがきっちり出来ている。概してマニアつうもんはマニアということを求められる
と突っ走りがちではあるが、半田にはその使い分けが出来る余裕がある。
そして何より半田の優れている点は、説明上手である点だ。半田は年代が上の人にも好感度があるようだけども、それは単に昔のことを知っているだけではな
く、半田の話が巧く、おおよそ若者らしくない落ち着きがあるからだろう。スタジオパークの司会者も半田の語りに対して「何か講演を聞きに来たようだ」と話
していたが、それくらい半田の話は自分の伝えたいことを的確に説明する。だからこそ半田のマニアな説明にも嫌味な部分がない。マニアではあるが過剰を見せ
ないのだ。そこが半田の真骨頂であるように思える。
しかしそんな半田にも、一か所だけ過剰すぎるくらいに過剰な部分があった。それはカメラ目線。
半田はやたらカメラ目線を多用する。会話の時に相手の目を見て話すというのは大事なことではあるけども、だからといってカメラの前の視聴者、すなわち自分
含むに対して半田は会話をしているわけではないのに、やたらカメラ目線で迫ってくるのだ。特に半田が曲を披露しているときのカメラ目線は男性の自分には
ちょっと耐えられなかった。あれを見てワーキャー言う方もおられるんだろうが、男のカメラ目線を男の自分が受け止めるのは無理。
半田の語る造詣というのは本当に押し付けがましいところがなく知的に喋るので、あれはオタク諸氏も見習うべき部分が多い。しかし、半田のカメラ目線はやた
らに過剰であり、あれをブサイク面のオタクがやったらもう一発で「キモイ」に成り下がるわけで、半田がオタクとして機能しているのもやはり「イケメン」
あっての賜物か、と思ってしまうブサイク面の自分がここにいるわけで。イケメンであることが男の全てではないが、イケメンであることで許容される範囲が広
がると思えば、やはり不公平な話だとは思う。
ドラマ好調の関西テレビが草ナギを主演とした
「僕の」三部作として「僕の歩く道」制作を発表。
このドラマに本仮屋ユイカ嬢が出るんですが
これはきっと駄作となってしまった「ファイト」の罪滅ぼしだと思いたい。
(「ファイト」と「僕の」シリーズの脚本家は同じ橋部敦子)
8/24
ノーリスク
「はねるのトびら」SPを見る。
水曜20時代はバラエティの潰しあいが起きて久しいけども、そんな中で自分は「はねトび」を見ることでここ最近は落ち着いている。はねトびも色々試行錯誤
を繰り返してはいたが、結局ショートコントではなくよりファミリー色の強いゲームのコーナーが残った。それがお笑い番組として必ずしも好ましいとは思わな
いけども、安定感だけはある。だからつい何の気なしに見てしまう。
箸で回ってくるネタを掴む「回転SUSHI」、モノマネ芸人とはねトびレギュラーが繰り広げる「スターだらけの大運動会」、100円ショップの品に紛れた
高級品を当てないようにする「ほぼ100円ショップ」など、いかにも20時代のバラエティと言った感じではあるが、自分はこれらはまだいいと思っている。
今一番「これはどうだろう?」と思うコーナーが「オシャレ魔女アブ&チェンジ」。
言わずもがな(と20代男性が書くのもどうかと思うが)小学生の女の子に大人気のカードゲーム「オシャレ魔女ラブandベリー」を捩ったコーナーであり、
何も知らされていない私服の女性ゲストがダサい私服の魔女虻川とゲームで対戦し、負けたら虻川と私服を交換しなければならないというコーナー。オシャレな
芸能人の私服がみるみるダサいものに変わっていくという面白さがある、とは書いてみたものの、これが本当に面白いかどうかは不明。
なぜこんな書き方をしたかといえば、自分はこのコーナーの「芸人のノーリスクさ」に何かおかしなものを感じるからだ。
このコーナーの趣旨は前述したように、ゲストがみるみるダサい私服に変わっていくことであり、その一方でダサい私服だった虻川はオシャレになっていく。つ
まり、損をしているのは一方的にゲストであり、全てのリスクを背負っているのもゲストだ。一応番組内では「私服は返してもらえない」ことにはなっている
が、それはおそらくウソだと思うので正しくは誰もリスクを背負っていないのだけども、それでも表面上でリスクを一身に背負っているのはゲストになる。そし
てもしゲームに勝ち続けたとしても、一切得をしない構造になっている。
ゲストがリスクを背負う中、虻川はまるでノーリスク。自分の私服が奪われても痛くも痒くもない。私服を交換していない最初の段階で負けても虻川には何らペ
ナルティが科されることがないのだ。一応私服を奪った状態で負けると私服は奪い返されるのだけども、それだってプラスだったものがマイナスになるわけでは
ないから、ノーリスクである。
自分はこの構造がどうも気に食わない。なぜゲストだけがリスクを背負って楽しませて、本来リスクを背負って人を笑わせるべきの芸人がノーリスクなのか。
なぜ自分の中に「リスクを背負って笑わせる」ことが笑いにとって必要条件になっているのかといえば、それはおそらくたけし軍団のせいだと思う。彼らほど純
粋に体を張って、自らリスクを背負って笑わせることに命をかけている集団はいない。そんなたけし軍団のお笑いが心の奥底に根付いているからこそ、ノーリス
クで笑わせようとしている芸人に自分は腹が立って仕方が無いのである。
たとえばどっきりを仕掛けるにしても、どっきりを仕掛けたほうはノーリスクで楽しんでいると思いきや、実は逆どっきりが仕組まれていて結果的にリスクを背
負っているという形が自分は好きである。またたけし軍団の話で申し訳ないけども、たけしは基本的にどっきりを仕掛ける側であるけども、時として自ら体を
張ったりするところが好きだったりする。ダウンタウンも未だに体を張る。とんねるずは時としてノーリスクで済まそうとすることがあるが、基本はやっぱり自
分たちから参加してリスクを背負う。
それに比べてこのコーナーの「ノーリスクっぷり」はどうだろう。虻川は勿論だけども、子供役として登場する芸人全てがノーリスク。なぜ芸人だけがノーリス
クでゲストがリスクを背負うのか。それがどうしても理解できない。リスクを背負わないことで笑わせることが出来るほど、はねトびのメンバーというのは立派
なもんなのだろうか?
いくらベタとはいえ、体を張っている「スターだらけの大運動会」、金銭を支払う「ほぼ100円ショップ」、一応罰ゲームがある「回転SUSHI」あたりは
許せるのだ。しかしノーリスクの「アブ&チェンジ」のコーナーだけは、どうも面白さが腑に落ちない。今回放送されたSPでは叶姉妹が虻川の服を着ないで
「汚いもの」扱いしていたので、その点勝ったのになぜか負けた気分になった虻川は面白かったけども、これはイレギュラーな形。
体を張ることだけがお笑い芸人だとは言わない。けども、笑いを取るにはそれなりのリスクを背負うことは必要じゃなかろうか。この「リスクを背負いたがらな
い」という態度は、「いいとも年末特大号」の紅白ものまね歌合戦におけるキングコングのやる気のなさと重なる部分がある。芸人に都合のいい場面を見せられ
ることほどつまらないものはない、という見本のようだ。
「ちびまる子ちゃん」の実写ドラマ第2弾制作決定。
ただ、あの奇跡感が出るのはせいぜい年内なので、
これで見納めと思ったほうがいいような気がする。
8/23
四六時中も好きと言って
「桑田佳祐の音楽寅さん」スペシャルを見る。
「音楽寅さん」(以下表記「ミュージックタイガー」)は2000年10月から半年間放送された番組であるが、サザンのシングルが発売されるタイミングで度
々復活している。フジの歌番組に出ないサザンのプロモーション番組として機能している、という見方も出来る。ただ、今現在マトモに聴かせてくれる歌番組が
無い中で長尺を用いてライブが聴けるというサザンファンにとってはありがたい番組でもある。
今回もユースケ・サンタマリアとああだこうだ言いながら楽曲を作るという相変わらずの放送で十分面白かったのだけども、ライブはライブでやっぱり素晴らし
い。アルバム「キラーストリート」に収録されている「ごめんよ僕が馬鹿だった」から始まり、新曲「DIRTY OLD
MAN」まで珠玉のライブ。まだ生でサザンを見たことはないが、死ぬまでに一度は見ておきたいと思っている。
選曲が割と最近の曲で構成されていた中、一曲だけちょいと古い名曲が。それは「真夏の果実」。
「真夏の果実」はサザンのバラードの中でも有名な曲のひとつである(なんか英文の訳みたいなくだりになってしまった)が、この曲が涙腺を刺激するという人
も少なくないようで、ライブの会場でこの曲を聴いて涙を流している女性がいた。自分はその光景にちょっとした驚きがあった。別にその女性をバカにするだと
かそういう話では全くない。
なぜ驚いたかといえば、その女性はあくまで見た目による判断であるが、20代前半、自分と同じくらいの年代の人だったのだ。ギャルのような恰好をしていた
のでもしかしたらもっと若いかもしれない。もしくはちょっと張り切ってしまって20代後半くらいなのかもしれないけども、まあ自分と同じくらいかそれより
下か、くらいの年齢のように見えた。
でまあ、「真夏の果実」が発売されたのは1990年。今から16年前である。もし自分と同世代であるならば、この曲が発売された頃はまだ小学生。もしくは
それ以下ということになる。もしリアルタイムでの記憶が甦っているとするならば、その女性はとんだマセガキさんだったということになるが、おそらくそうで
はない。
なぜなら、「真夏の果実」という曲は超有名曲であり、サザンのことをよく知らない人でさえ聴いたことがあるだろうからだ。またベストアルバムに収録されて
いたこともあって若い世代でも聴いている人は結構多い。かくいう自分もそのうちの一人である。だから、リアルタイムで聴いてはいなくても、何らかのきっか
けで聴いた「真夏の果実」が当時の思い出のポストイットとして残っていたのではないかと思われる。夏の名曲を集めた「海のYeah!」が98年に発売して
いるし、大方そこらへんの記憶ではなかろうかと勝手に想像している。
というわけで、女性が泣いていることは一応の説明がつくのだけども、ここから余計な想像をしてしまうのが悪い癖のようだ。
「真夏の果実」を聴いて涙を流していた女性は、果たして「稲村ジェーン」の存在を知っていたのだろうか、という話。
「稲村ジェーン」は桑田佳祐が監督を務めた映画であり、「真夏の果実」は映画の主題歌だった。サザンのファンの間で人気が高い「希望の轍」もこの映画のサ
ウンドトラックに収録されたのが最初である。「希望の轍」はともかく、「真夏の果実」の出自については1990年を自我をもって生きた人であれば常識の範
疇に収まる話かもしれない。作品の良し悪しは別として、映画はそれなりにヒットした(らしい)し。
ただ、それももう16年前の話であり、「真夏の果実」は知っていても「稲村ジェーン」を知らないという若者は結構多いのではないかと思う。自分のような偏
屈は別として、普通に生活していれば「真夏の果実」は耳に入ってくることがあっても「稲村ジェーン」の存在が耳に入ってくることはまずない。主演を務めた
加勢大周がもはや誰なのか分からない世代にとっては厳しい話である。
おそらくではあるが、「真夏の果実」を聴いて涙を流す人というのは、この曲にまつわる思い出があるのだろう。恋人と二人で行った海の帰りにカーステレオか
ら流れていただとか、大勢の友人と行ったカラオケである男がこの曲を歌って妙にときめいただとか、サザンのライブに恋人と行ってこの曲が歌われたときに相
手がぎゅっと手を握り締めてきただとか、おおよそ自分とは無縁の話が世の中に渦巻いており、その記憶が甦る触媒として機能しているのだろう。書いていて何
か死にたくなってきたけどとりあえずもうちょいなので先を続ける。
「ヒット曲は当時の記憶を甦らせる」とはよく言うが、「真夏の果実」の場合は毎年のようにどこかで流れ、毎年のように誰かの記憶の一里塚として刻み込まれ
ていく名曲であるがゆえ、同じ曲を聴いても甦る年代というのは違ってくるのかもしれない。もちろん発売当時の記憶が甦る人もいれば、つい最近の記憶が甦る
人だっているだろう。それはどの曲でも同じだとは思うが、これだけのヒット曲となるとそれだけ幅も大きいだろう、という話。
となると、年々1990年当時のことを思い出す人も少なくなり、ひいては「稲村ジェーン」の記憶も薄れていくということだろう。果たして今現在「真夏の果
実」を聴いて即座に「稲村ジェーン」のあのシーンが甦る、という人はどれだけいるのだろうか。「稲村ジェーン」を見た人ですら、「真夏の果実」を聴けば加
勢大周ではなく自分の甘酸っぱい記憶が甦ってくるのではないだろうか。
当時は主題歌とドラマ(映画)が不可分の時代でもあるし、例えばCHAGE&ASKAの「SAY YES」を聴けばやっぱり武田鉄矢の「僕は死にましぇ〜
ん」を思い出すわけで、当時の個人的な記憶が甦る人は少ないような気がする。映画と主題歌が切り離され、多くの人の心に「あの時の曲」として残る「真夏の
果実」であるが、その一方で「稲村ジェーン」は記憶の奥底に沈んでいくか、または最初からなかったものとして忘れ去られていくのだろう。
だから、おそらく十数年後、下手すりゃ桑田佳祐が亡くなっている可能性もあるわけだが、そんな時代でも「真夏の果実」は世の人々に聴かれるだろう。そして
「真夏の果実」を聴く度に、それぞれの想い出が甦り涙を流すのかもしれない。そんな中、ただ一人でもいいから「稲村ジェーン」の加勢大周のことを思って涙
を流す人がいてくれれば、加勢大周も草葉の陰から喜んでくれるかもしれない。
ま、加勢大周死んでないけど。
亀田のランダエタ再戦が決定したようで。
勝てばいいけど、負けたときはそれこそ再起不能だろうなあ。
そういう意味では潔い決断と評価できる。好き嫌いは別として。
8/22
なめんなよ日テレ
甲子園は早稲田実業が優勝しました。駒大苫小牧は惜しくも敗れる。
決勝が投手戦の上延長でも決着がつかなかったというだけでもうドラマチックであり、再試合での勝敗などもうあまり気にならないとは思っていましたけども、
やはり北海道に住んでいる身としては出来ることなら駒大苫小牧に三連覇の偉業を達成してほしかったという気持ちを偽ることは出来ないわけで。
ただ、駒苫のエース田中も素晴らしかったが、早実のエース斎藤のピッチングも田中以上に素晴らしかったので、これは素直に早実の優勝を称えるべきだとは思
う。別に自分が戦ったわけではないけども、負けて悔い無し。駒苫は胸を張って北海道に帰ってきて欲しいし、早実は今回の甲子園優勝を誇りにもってほしいと
思う。今回の大会は見応えがあり面白い試合が多かった。申し訳ないが巨人戦なんか甲子園に比べたらハナミズ以下である。
というわけで、早実の優勝ならびに斎藤投手のピッチングは賞賛に値し、負けてなお強しの地元北海道の駒大苫小牧の勇姿も胸に刻みつけておきたいと思う。今
年の甲子園は非常に熱かった。
と、これでスッキリ終われるならば何の問題もないのですよ。ただ、そうはいかない不埒なテレビ局があるんで、今回はこのアホテレビ局を糾弾したいと思いま
す。私怨じみた文章だと思われても今回は構わない。北海道民として黙ってはいられないのだ。
日本テレビの人間は北海道の地を二度と踏まないでほしい。野球も放送しないでほしい。
20日の「スッキリ!」をご覧になった方はどれだけいるだろうか。普段自分は「とくダネ!」を見るので「スッキリ!」なんぞは見ないのだけれども、この日
は偶然「スッキリ!」がかかっていたわけです。
でまあ、冒頭から甲子園の話題を取り上げるわけだけども、何を思ったか日テレが取り上げるのは両者の力がどうこうだの試合展開がどうこうだのではなく、や
れハンカチがどうだとか、やれ学校生活ではモテるのだとか、早実の斎藤投手のミーハーな部分ばかり。これは一体どういうことであろうか。日テレは読売グ
ループであるから巨人軍を贔屓に放送するのは別に不思議ではない。需要もある。しかし、読売とはなんら関係のない高校野球において、特定のチーム、しかも
特定の選手を変に贔屓する放送をしていいもんなのか。
司会のひとりであるテリー伊藤が早実出身なので、テリーが早実を贔屓した発言をするのは別に不思議でもないし、問題もあるまい。心情として普通である。あ
まりこういう感覚を持っている人は少ないと思うのだけども、キー局が所詮東京のローカル局であると考えるならば、地元東京のチームが残っているのだから早
実を贔屓にするという考え方も出来ないわけではない(もちろん、キー局がそんなことするとは見識を疑うけど)。地元北海道のテレビ局はみな駒大苫小牧を応
援してますから。ただ、この贔屓応援は全国に流れているわけではないから誰も不快になるわけではない。
だが、あろうことにキー局が全国に向かって放送している番組で片方のチームを贔屓して取り上げ、しかもその取り上げ方が野球どうこうではなく完全にミー
ハーな取り上げ方だったときに、この放送を見ている相手方、つまり北海道の人間はどう思うだろうか。言うまでもなく不快。
別に相手のチームが贔屓されて取材されていることが不快なわけではない。そんなに狭い了見を持ってはいない。腹立たしいのは、あれだけいい試合をして斎藤
田中の「両」ピッチャーが同じく称えられるべきはずなのに、片方のピッチャーだけが、しかも野球とはあまり関係のない取り上げられ方で朝から堂々と放送し
ていることが腹立たしいのだ。婉曲表現を避けると、早実のピッチャー斎藤がいい男だから取り上げたようにしか見えなかった。もっと言えば、単にかっこいい
甲子園のヒーローを取り上げれば視聴率が取れるから放送したに過ぎない。20日の両投手が繰り広げた熱戦なんぞ、この放送からは微塵も伝わってこなかっ
た。視聴者を、甲子園を、駒大苫小牧を、北海道を、そしてミーハーな取り上げ方しかされなていない斎藤投手までをもバカにしている。クズである。
斎藤投手がただかっこいいだけのピッチャーであるなら、こういう扱い方もある意味アリなのかな、とは思う。しかし、斎藤投手は顔がかっこいい以上に実力の
あるピッチャーで、顔なんかどうでもいいからもっと野球について、決勝の試合について絶賛すべきであるのに、日テレがやったことは斎藤投手をただミーハー
に扱っただけだった。本当にプロ野球放送をしているテレビ局なのか、と疑いたくなるくらいだ。巨人戦の視聴率が落ちたのは巨人が弱いせいもあるだろうが、
巨人戦を放送する日テレ関係者の「野球に対する情熱」が足りないからなんじゃねえの、と思えてしまう。少なくとも今回の甲子園を通して見ていれば、斎藤投
手をミーハーな扱いは死んでも出来ないはずだ。
今回の試合を正当に評価できるならば、両者の凄さを褒め称えるはずだ。よしんばどちらかのチームに視点を向けたとしても、これだけ素晴らしい試合をした選
手に対してミーハーな扱いをすることが選手の価値を下げることになぜ気づかない。こんなことも分からない日テレに取り上げられなかった駒大苫小牧の選手は
逆に幸せかもしれない。
全国放送なのに早実贔屓をして北海道民を敵にまわし、しかも斎藤投手をミーハーな扱いしかできなかった日テレは今すぐ放送免許を返上するがいいだろう。ナ
メた放送するのも限度がある。
(追記)
早実の優勝が決まった翌日からはどこの局もこぞって斎藤投手のミーハーな部分にスポットを当てはじめました。これも横並び報道の弊害と言えるでしょうが、
単にどこの局もバカなだけかもしれません。ま、一番腹立たしいのはやはり優勝も決まる前からミーハーな報道しかしなかった日テレなのは意見の変わるところ
ではありません。
「新どっちの料理ショー」が終了するらしいが関口三宅は続投らしい。
彼らを残すのは「どっち」テイストの継続という意味であり
それでは意味がないような気がするのは自分だけだろうか。
8/21
世界でいちばん熱い夏
本日、毎年恒例札幌競馬場でアイドル見てきたよ報告&甲子園報告であります。
8月20日。それは北海道が最も熱い夏であった。甲子園で駒大苫小牧が夏3連覇をかけた試合を控え、さらには札幌競馬場では札幌記念が行われる。そして相
武紗季がやってくる。興味のない人には「ただの暑い日」だったろうが、これら全てに興味がある自分にとっては「暑い」上に「熱い」夏だったわけだ。
甲子園の試合は13時から。しかしそれを自宅で見ていては札幌競馬場に登場する相武紗季も見れなければ、札幌記念の検討も十分に出来ないと来たもんだ。と
いうわけで自宅での甲子園応援を早々に諦め、昼の相武紗季登場に間に合うように自宅を出発。11時半前には札幌競馬場に到着。
お昼前のレースがつつがなく終了し、いよいよ相武紗季が特設ステージ前に登場。天気もよく人気女優の登場とあってか、札幌競馬場は大賑わい。残念ながら昨
年のHG登場とまではいかなかったが(あの賑わいは今後抜かれそうもないような気がする)、自分がここ数年観てきた北海道夏競馬のキャンペーンガールとし
て登場した女性タレントの中では一番賑わっていたと思う。水野裕子のときなんて閑散としてたのに。天候のせいもあるだろうが。
競馬場に行ったことのない人のイメージからすれば、競馬場はオッサンだらけだと思われるかもしれない。実際場外馬券売り場のウインズに行けばそのイメージ
に近いものもあるのだが、ちょっとした行楽地の側面もある競馬場は家族連れだったりカップルが案外多い。実際HGの時はHG目当ての子供や家族連れが非常
に多かった。しかし今回は、もう、いかにも「相武紗季ちゃんでハアハアしに来ました」みたいなオッサンやら自分のような男やらが多くて、なんか不健全でし
たよ。ハハハ。笑えねえ。
というわけで、自分もその一部と化し気持ち悪いオーラを出しながら(極力押さえたつもりではいますが)、相武紗季の登場を待つ。MCのおねえさんが毎度お
馴染み「カメラ撮影するんじゃねえぞ愚民ども」という注意を何度も行い、ようやく相武紗季登場。神々しいぜ!
先にどうでもいい話をしておくと、JRAのバイトの人がカメラを向ける愚民どもに対して、手でバツ印を作りながらガンを飛ばし続けるという過酷な作業をし
ていたことを記しておきたいと思います。自分は携帯含めカメラを向ける気などさらさらなかったのですが、それでも次々と向けられるカメラに対してガンを飛
ばし続けるバイトの方は大変だったろうなあ。
で、肝心の相武さんであるが、イメージどおりの人です。笑顔がとっても爽やかで、白のワンピースが非常によく似合う。「レガッタ」の撮影のせいなのか肌は
けっこうな小麦色でした。ただまあ「レガッタ」の視聴率がえらくとんでもないことになっているので、会場にいた人間のどれだけ多くが「レガッタ」焼けだと
いうことに気づいていたのかは不明。あと二の腕が結構逞しかったです。
トークは競馬場にまつわる話から、札幌記念の予想に移行。函館に登場したときは函館スプリントSにおいて14頭中13番人気のヴィーナスラインを指名して
見事的中という離れ業をやってのけたせいもあって、今回も注目が集まる。しかし今回指名したのは「武豊が乗っている」という理由で結果的に一番人気となっ
たアドマイヤムーンを指名。ま、勝ってしまうわけで予想的中率100%です。
20分ほどのトークショーも終了し、昼食。これを食べないと札幌競馬場に来た気がしない「ホルモン煮込み」を喰らう。食べながら今後のレースを検討。検討
した結果、札幌記念まで馬券を買わないで甲子園の中継を見ることにする。
さすがに三連覇がかかった試合だけあって、札幌競馬場でも甲子園の中継を流すモニタがいくつか存在する。自分はそのうちの一つにかぶりつき、ゼロ行進の続
く試合展開をまさに手に汗握りながら祈るように観戦。
3時も近くなり、札幌記念のパドックが始まるのでパドックに並んでいたら、競馬場にこだまする「おおぉ!」の声。どうやら駒大がホームランで1点先制した
らしい。しかしパドックにいたのでその瞬間見ること出来ず。さっきまで見てたのになんか悔しい。
パドックで出走馬の検討をしたあと、とっとと馬券を購入しウイナーズサークルの近くへ陣取る。札幌記念のプレゼンターとして再び相武さんが登場するので、
その姿を見ようという目論み。周囲ではラジオで甲子園の様子を聴いている人が多数。漏れ聞こえる情報からは、延長に突入して満塁のチャンス。しかし結局1
点も取れず。もどかしい。
札幌記念出走。武豊騎乗のアドマイヤムーンが強さをいかんなく発揮して優勝。自分の馬券はと言えば3連複ボックス5頭買いをしていて、見事1着、3着、4
着、5着と2着だけを外す見事な馬券でもって撃沈。脱力。その後ウィナーズサークルで相武紗季とツーショットで嬉しそうな武豊を見て単純に羨ましいと思
う。しっかし武は勝っても負けても人気があると思った。
甲子園は延長に突入し決着のつかない模様。札幌競馬場でもまだ中継をやっていたし、まだ相武さんのイベントも残されていたが、炎天下でずっと観戦をしてい
たため体力の消耗も激しくギブアップ。帰路につく。その途中で電車に乗ってきた高校生の会話から甲子園の試合が延長引き分けになったことを知る。疲労感が
どっと襲う。
自分はいやらしい人間ですから、こういう文章を書くにあたって「自分に馬券的中の幸
運はもたらさなかったが、甲子園番組出身の相武紗季が北海道に駒大苫小牧の夏3連覇の偉業をもたらした。やはり相武紗季は女神だ」 という決
め打ちの文章を用意していた。自分の馬券は外れるけども、甲子園では優勝すると踏んでいたわけです。
しかしその決め打ちを嘲笑うかのように馬券は外すは甲子園は死闘を繰り広げた上に再試合という結論に。やはり予め用意した文章というのは使えないもんだな
あ、としみじみ思った夏の日でした。
亀田次男が勝ったらしいけども、一番驚いたのは2曲も歌ったこと。
兄貴がああでもまだ2曲も歌えるか。
8/20
実験
「24時間テレビ」でアンガールズが100キロマラソンを走るわけだけど、それをwebサイト「第2日本テレビ」で中継するらしい。
なぜこんなことになったのかといえば、4年前に西村知美が走ったときにある区間を世界新なみのペースで走った(とされた)ことが話題となり、「西村ワープ
したんじゃねえのか」疑惑が持ち上がり、翌年から2ちゃんねるの有志がマラソンを監視するという事態になったからだ。それを今年は日テレが自らやってしま
おう、という話である。
意味がない。
なぜマラソンを企画した側が「監視」をしなければならないのか。そもそも「日テレの中継が信用ならねえ」からこそ有志がネットでリアルタイム監視をしてい
たはずなのに、その「信用ならねえ」日テレが自ら監視を名乗り出てどうするというのだろう。そんなものを誰が信用するというのだ。この日テレの監視を信用
する人間はそもそも24時間テレビの中継すら疑わないだろうし、中継を疑うような人間は日テレが配信したような映像を信用するとは思えない。ではこのコン
テンツは何のために存在するのだろうか。
番組として可能ではないのかもしれないが、ネットで監視などせずに24時間テレビ放送中ずっと小窓でもいいから中継の様子を放送しておけばいいだけの話で
はないのか。今は地上波デジタルのデータ放送だってあるのだから、ネットという手段を用いなくてもテレビから信憑性を示す方法などいくらでもあると思うの
だが。24時間生放送という特性をなぜネットに移譲しなければならないのか。それともネットで何か編集しなければならないような都合でもあるのだろうか。
垂れ流しは出来ないのか。
そこで自分は考え方を2回点半捻ってみる。すると見えてきた。
これは24時間テレビの革命ですよ、革命。今年から遂に「感動チャリティ」路線を踏み外す決心を固めたに違いない。
アンガールズが「24時間走ります」という中継をわざわざネットで打つ理由。それは、「テレビでは走っているように見せて、ネットではいかに走っているよ
うに見せるかをリアルタイムで紹介する」という一大プロジェクトなわけですな。テレビでは感動したい人が、そしてネットでは偽善と嘲いたい人の需要をいっ
ぺんに満たすという壮大な試みに違いない!
別にチャリティ=感動という図式が絶対なわけではないし、日テレが勝手にこの図式を採用しているわけで、チャリティにも様々な手法があるわけだ。感動した
人は素直に募金すればいいわけだし、偽善を逆手にとった手法を来年も見たいと思う人は、単純にその対価として金を払うというのもアリなのではないかと思う
のだ。
そりゃ自分で書いてみて「んなわけねえだろ」と田中ばりの突っ込みを入れるのは簡単だけども、秋山森乃進の替え歌じゃないとKAT-TUNのメンバーが覚
えられないような人がまだまだ沢山いるなかで面白いチャリティー番組を作るというのは、こういうコペルニクス的転回がないともう無理なんじゃないかと思
う。絶対に(笑いという要素に限らない)面白いチャリティー番組だって作れるはずなのだ。今の24時間テレビは感動に拘泥しまくりすぎて、偽善だとかそう
いうレベル以前に素直に面白くない。だからこそアンガールズが走ることなく募金が得られる方法を考えるべきじゃないのかね、と。
今日もバレーの話で申し訳ないが、落合真理選手のキャッチフレーズ
「風を切り裂くポニーテール」は素晴らしいと思う。
8/19
ご対面は出オチ
奇しくも「モノマネする人が本人と共演」という番組が2時間続けて放送されたので、どっちとも見てみました。
まず「みなさんのおかげでした」において、通販会社トーカ堂の社長北義則のマネをする博多華丸(大吉も登場)に対して、北社長本人が登場。そして「ダウン
タウンDX」では長州小力が長州力とともに登場。
モノマネする人が本人と共演、という流れは「オールスターものまね王座決定戦」などの番組で、ワンコーラス歌ったあとにイントロが終わらずそのまま本人登
場というパターンが固定化されているように思える。どの番組が元祖か、というのは自分は知らないけども、「モノマネする人が本人と対面する」というときは
何も知らされておらずマネしているほうが大仰に驚くというのが、見ている側も、そしてテレビの中ですらも当たり前となっている。
しかし、そんな番組を何度も見ていると「きっとここらでご本人が登場して、さも驚いたみたいなリアクションを取るんだろ」と穿った見方をしてしまうわけ
だ。まだよくモノマネ番組を見ていた小学生の頃から既にそうだった。そして自分の予想を裏切ることなくご本人は登場し、そして出演者は驚く。ときには「こ
んな大物が登場!」みたいな煽りを入れてくることすらあるが、モノマネのご本人として登場していることが大物感をかき消しているな、とすら思っていた。イ
ヤな子供だ。
別に自分のひねたおガキ様の話をしたいわけではなく、さほど思考能力もないおガキ様ですら先の展開が読めるような「本人とご対面」というギミックをなぜモ
ノマネ番組は採用していたのか、という話になる。
そしてあっさり答えを提示してしまうが、本人と対面するという行為は分かりやすいからだ。
モノマネ番組はその名の通りモノマネする人が沢山登場し、モノマネを披露する。身も蓋もないことを言えば、全員ニセモノということでもある。そんな全てニ
セモノの中に本物が登場すれば、その本物がどんなにしょっぱい人選であろうとも「偽者の中にいる本物」というだけで重宝されるわけだ。重宝される理由は
「大物」だとかいう理由ではなく、「本物」というだけ。だからおそらく、誰も分からないようなモノマネ(例えば中学校時代の先生)とかをやったあとにご本
人が登場すれば、タレントとしての価値はなくともそれなりには盛り上がるだろう。
つまり、ご本人として登場してくる人間は出てきた瞬間に「本物」ということが分かればその時点で役目を終えたことになる。もちろん出てきた後に似てる似て
ないの話はあるだろうが、基本的に本物であることが分かればおしまい。要するに出オチなのだ。いかにモノマネが似ているか、などの検証などは二の次で、単
に「マネする人とされる人が同じ場所にいる」というだけで世界は完結するのだ。
それをどちらの番組も如実に表していたような気がする。もちろん自分の主観ではあるけども、一番面白くかつ盛り上がったのは「登場した瞬間」ではなかった
か。もちろんどちらの番組も登場したあとに話題が展開されるわけだけども、その話の内容が登場した瞬間の最大風速を越えることはなく、穏やかに笑いの波は
収まっていくというような印象。共演という予告を見て自分のようにワクワクしていた人も終わってしまえば、「あ、こんなもんか」という感想になったのでは
ないだろうか。
マネする人とされる人をゲストとして共演させることは、長々と出オチを無駄に引っ張ることとなり得策ではないのではないだろうか。出オチとして珍奇な恰好
で登場した芸人がそのままの恰好で最後まで出演し、番組の最後に見たときには何事もなかったように紛れてはいるがどことなくやるせない。それと同じことが
マネする人とされる人の関係にも言えるのではないだろうか。長州力と長州小力が並んで座っている姿、最初は面白くもあったが、最後には同じ「やるせなさ」
が残った気がする。
女子バレーのワールドグランプリが始まりました。
山下率いるKitty GYMのメンバーであるタイの兄弟の名前がGOLF。
バレーなのにゴルフというマヌケ。
8/17
ライブは公共物である
ちょいとテレビとは関係のない話をしますんで、興味のない方は読み飛ばしてくださってよくってよ。
ラーメンズの小林賢太郎が自身のサイト で「ライブ中にメ
モを取る行為」について嫌悪感を表明しました。
自分はラーメンズのライブが好物でありますから、札幌に来るラーメンズ及び小林賢太郎の行うライブには全てではないにしろ足を運んだりしているわけです
が、どの会場のどんな公演に行っても必ず「メモを取りながら観る人」がいます。他のライブや演劇ではあまり見かけない光景だとは思いますが、ことラーメン
ズ及び小林賢太郎の行うライブに関しては、なぜかそういう人が多かったりするんですわ。
そういう人の多くが自身のブログなどで「ライブレポ」を書いているんでしょう。ライブレポを書くにあたっては自分の曖昧な記憶を頼りに書くよりは、少なか
らずともメモを残しておけばより詳細にその様子が思い出されるわけで、そのためにメモを書いている人が少なくないということです。どうもラーメンズの、小
林賢太郎のファンというのは「レポりたがり」が多いようです。これは小林賢太郎を好むファンの傾向とも言える。
先日札幌では「大喜利猿」のライブが行われました。最後に行われた会場は「BLOCH」という非常に狭い会場なのですが、そこで小林氏があまりにメモを
取っている人間が多かったのか痺れを切らして「何書いてるんですか?」と観客に対して聞いてしまったらしい。自分はそのライブにはいなかったのですが、以
前同じ会場で同ライブが行われたのを見たことがあるので非常によく分かるわけでして、客と演者の距離が非常に近く、観客がメモを取っていれば気になるのは
当たり前なのです。
もちろん小林氏は以前からそういう人が多かったことは気づいていたとは思いますが、今回このタイミングでそのようなことを自身のサイトで表明したというこ
とは、「我慢の限界」だったと考えてよいでしょう。サイトの文章を事情を知らない人が読めば「傲慢な物言いだな」と感じるかもしれませんけども、実際ライ
ブの現場に行けば、少なくとも札幌ではメモを取っている(もしくは録音や撮影をしている)人間が目に付くのです。だから自分はこの小林氏の意見表明は
「もっともだ」と思うわけで。
小林氏はメモ取りという行為は録音や撮影と同じように「イヤなもの」であると表明しています。これは著作権云々の問題ではないということが言いたいのだと
自分は解釈します。録音や撮影はあからさまに著作権法に引っかかりますが、メモを取る(もしくはメモを取った内容を自分でまとめて感想をサイトに掲載す
る)行為は著作権法にはひっかかりません(但し「ネタバレ」として物語の粗筋などを書いて発表してしまうのは著作権侵害の疑いはある)。小林氏は「著作権
法違反をしてくれるな」という話はしていません。
小林氏は単純に「メモを取るという行為を少なくともライブ中にしてくれるな」と言いたいだけのような気がします。メモ取ることに必死になって自分の舞台を
きちんと見てないヤツを見つけてしまうと、「何のためにこの舞台を観に来たのだろうか?」と思うとどうしてもモチベーション下がるからやめてほしい、と。
それを慎重な言い回しにしただけ。
小林氏が表明した意見をまとめると「自分はライブにおいて会場の客席にいるあなたに対してパフォーマンスを行っているのだから、そこにいるあなたがしっか
りと受け止めて欲しい。もし他人に知らせる目的でもってメモを取っているのであれば、それは遠慮願いたい」というとこだろう。
これは一見すると「サイト等でネタバレするのやめてくんねえか」とも受け取れるのですが、それは違うだろう。あくまで「観客である以上メモに集中せずにき
ちんとステージのパフォーマンスを見てくれ」と言っているのです。「メモを取ることでネタバレする」のがイヤなのではなく、「メモを取る」行為そのものが
イヤと言っている。客席にいるあなたが全力でその面白さを受け取ってくれればそれでいい、と。
自分は「メモを取ることで得られる詳細なレポート」は観劇に不必要だと思っています。そりゃ自分の見たものを詳細に残しておきたいという気持ちがある人は
いるんでしょうが、「演じている人間が不快になる行為」をしてまで残す価値は絶対にありません。単なる無作法なのです。しかもそれが演者に悪影響を与えて
いるのならば、尚更。
ライブが公共の施設で数多くの他人と見るという性質からも明らかなように、ライブそのものが公共物です。最低限のマナーは守らねばなりません。それは「自
分勝手なことで他人に迷惑をかけない」というえらく単純な話です。メモを取るという行為が他人のため(=仕事)ではない以上、どんな目的にしろ全ては自分
のため、自分勝手な行為です。その自分勝手な行為のために演者のモチベーションが下がって他人に迷惑をかけることになるのだから、マナー違反です。恥を知
るべきだ。
ただ別に「ネタバレになるからラーメンズのレポートを一切書くな」と言ってるようには自分は思わないわけで、メモを取らないのであれば後ほど自由に書いて
構わないとは思う。「誰かにパスしないでほしい」は「誰かにパスするために自分のパスをないがしろにしないでほしい」ということなのだから、ライブをしっ
かり楽しんでからあとは好きにパスすりゃいいだけの話だろう。ただ迷惑になるからメモは取るな、というだけ。
なぜこの文章を書いたかといえば、自分はモー娘。ならびハロプロのライブにおける「ヲタ芸」が同じ構造の問題を孕んでいると考えており、口幅ったいようで
すが書いてみたかったからです。踊って楽しいのは自分たちだけで、周囲に迷惑をフィードバックしているのは明らかに公共の意識がない。ライブ会場という
(特殊ではあるが)公共の場で行っていいことではない。金払ってるんだから何やろうと自由だと言うかもしれないが、迷惑がっている人間も金を払っているん
だということを忘れてはいけない。
ひとつ大きく違うのが、ハロプロの場合事務所がヲタ芸をする自分勝手な人間を「金づる」として存在を容認している点。本来マトモな感覚があれば排除すべき
ものであるのに、それを「金のため」にしないし出来ないのは情けない。その点小林賢太郎はまだマトモな感覚があると思う。ただ小林賢太郎本人が「公演中に
メモを平気で取るようなファン」を多く寄せ付けているという事実も忘れてはならない。ある意味は自業自得なのだ。
「徹子の部屋」にほしのあき。
巨乳恒例となった徹子の乳揉みチェックであるが、
徹子のほしのあきの乳に対する形容詞は「ぷるんぷるん」だった。
ご馳走様でした。
8/16
横並び報道するほどの話か
小泉首相が靖国神社を参拝。
参拝の是非についてはここで議論するつもりは全くない。それは自分がやらずとも各々好き勝手にやっているわけで、自分のような人間の出る幕ではないだろ
う。
あくまで「いちテレビ視聴者」として、今回の靖国参拝における報道を見ての感想であるが、そこまで仰々しく報道する問題なのだろうか、という点は少なから
ず疑問に感じた。なんていうか、自分の主観によるものだけども、中継によるテレビ局の力の入り方と見ているこちら側では温度差を感じずにはいられない。そ
れは単純に「興味のあるなし」ではなく、「小泉首相が靖国を参拝するのはとんでもねえことだぜ」っていう空気をマスコミが率先して作っているとでもいうの
か。
そりゃ靖国に終戦記念日に参拝するということが少なからず各方面に影響を及ぼすということは自分だって承知している。だからこそマスコミだって首相の参拝
をニュースとして扱っているわけだが、その報道姿勢が絶対に過剰だ。NHKや民放各局がこぞって小泉首相が参拝する様子(とはいっても本殿に入っていく様
子)をカメラで追いかける必要があるのだろうか。
自分が見ていたある局では、小泉首相が参拝していた時間を事細かに報道していたが、そんなことを報道する必要があったのか?おそらくは参拝時間の長短で公
式参拝であるとかないとか騒ぐためなのだろうけど、自分にはどうにも些細なことのようにしか思えない。そんなことを逐一報告して何になるのか、と。
取り立てて目立った動きがあるわけでもない。当たり前なのだが。例えばどこぞの会社に東京地検が乗り込んできたというニュースだって、東京地検がその会社
に乗り込んでいく姿が報道されるだけで、特別その報道から何が生まれるわけでもない。首相の靖国参拝もそれと同じで、ただ淡々と参拝を終えて帰っていく首
相をずっと追いかけることは、ただ「当たり前」の映像を流しているだけで、全局が横並びで流すほどの映像でもないように思える。
これは靖国の問題だけにとどまらず、「なぜどこの局も同じ映像を同じ時間に流すのか」ということが言える。同じものを横並びに流しておくことで各局は「損
をしない」のだろうけども、それと同時に同じものを見せられる視聴者は一切何の得にもならない。そのうえ各局が報道することで「大きな事件」であるかのよ
うに錯覚すら起こしかねない。何のための報道なのだろう。これだけどこも同じことやるなら、捏造ばっかしてるTBSあたりは放送免許を剥奪してもいい。
靖国参拝に関して反対した団体が車のあたりで騒動を起こした、みたいな報道もあった。しかしあの車から出てこようとしていた人たちが被っていたヘルメット
には「全学連」と書かれていた。いつの時代の話なんだろう。しかもそれをあたかも「こんなに靖国参拝に反対している人もいるよ」みたいなスタンスで報道し
ているテレビ局。何が言いたいんだろうか。
もしこれが「小泉首相靖国参拝」ではなく、「小泉首相AV購入」だったら話は大きく違う。
民放各局が小泉首相が「ビデオ激安王」に入っていく姿を複数のカメラによってあらゆる角度から撮影するわけだ。AV買うのにモーニング着てるわけですよ。
するとワイドショーのコメンテーターが「AVを買うという行為を自分は堂々と出来るぞ、という首相の「公式購入」の意思の表れですね」などとコメントする
わけだ。すると隣のコメンテーターが「でもAV買うのにモーニングはおかしくないか?」とかいうコメントを被せる。
リポーターも「今小泉首相が激安王に入りました!」とレポート。激安王の中に取材陣は入ることが出来ないけども、数分後包みを抱えて出てくる小泉首相の姿
を捉えて「今小泉首相が出てまいりました!あの包みにはAVが数本入っているものと思われます!あの厚さからしてビデオ2本と言ったところでしょうか」な
どと伝えるわけだ。するとスタジオにいる解説委員が「あのサイズはDVDですから、おそらくビデオ2本ではなくDVD4本でしょう」などと的確な解説をす
る。
続けて「小泉首相が激安王に入っていた時間は5分ほどで、予めどのDVDを購入するか決まっていたようです。購入金額は2万円のようです」と報道。玉串料
ではなくAVの購入金額をバラされるわけね。その後小泉首相本人が自分の買ったAVのタイトルを発表したりなんかして。
ただ、茶の間に流れるVTRは小泉首相がモーニング姿で激安王に入っていって出てくるのを映すのみ。映像としては靖国参拝となんら変わらない。マスコミが
周辺でぎゃあぎゃあ騒いでいるだけ。
もちろん今のはあまりに滑稽な例であるけども、やってることは同じ。そりゃ事の重大さはAV購入と比較にならんだろうが、自分からすれば小泉首相のAV購
入を追いかけているのと靖国参拝を追いかけている映像を流すというのはほぼ同じであるし、各局が横並びで報道するほどの映像ではないと思う。そして事の重
大さという点においても、マスコミが大々的に報道するほどのことでもないように思う。参拝したという事実をどう捉えるかはきっちり各局やればいいと思う
が、同じ時間に同じ映像を流して同じ議論をするほどのもんではない。
ま、もし本当に小泉首相のビデオ激安王中継があったら熱心に見るけどさ。
YOSHIKIとGacktが新バンドを結成だとか。
V2と同じ臭いがするぞ。
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