兵器外観
名称 3.7インチ 重高射砲
[QF 3.7-in Heavy Anti-aircraft Gun]
型式
製造国 英国
製造メーカー
配備国 英国、ニュージーランドなど
製造初年 1937年配備開始
口径 94mm(3.7インチ) [mm]
口径比長
砲身長 4.7m(185インチ) [m]
全長 [m]
全高 [m]
全幅 [m]
重量 8392kg(20541ポンド) [kg]
腔綫
砲身材質
砲身命数 [発]
腔圧
薬室容積
閉鎖機
平衡機
駐退複座機
最大駐退力 [kg]
後座長 [mm]
照準具
上下射角 -5〜+85 [deg]
水平射角 360 [deg]
射程距離 最大射程距離:18800m
有効射高距離:9000m
[m]
装薬
公算誤差
砲口初速 792m/sec [m/sec]
発射速度 毎分20発 [発/min]
砲弾 弾丸重量:12.6kg(28ポンド)
操作人員 [人]
布設所要時間 [min]
説明  英国で対空砲として開発された最初の砲は、沿岸砲から変換されたQF 3インチ20ハンドレッドウェイト砲でした。この砲は、1914年3月から海軍および陸軍の両方に供給され、第二次世界大戦の初期の数年間まで現役でした。第一次世界大戦後、英国では、重対空砲(高射砲)の開発は事実上中止されました。予算不足の他に、対空戦闘には、航空機を使用するのが適切で、「高射砲は第一次世界大戦時に造られた一時的な代用品に過ぎない」という考えが根強くありました。3.7インチ高射砲は1928年に提案されましたが、開発はほとんど進みませんでした。1933年ごろには、航空機の性能がより向上し、旧式の3インチ20ハンドレッドウェイト高射砲では太刀打ちできないのは明白で、3.7インチ砲の必要性は高まりました。
 本砲の配備は1937年に始まりました。第二次世界大戦中に、自動信管セット装置(MFS No.11)と、自動装填装置が適合されました。自動信管セット装置は、それまで、手動でセットされていた時限信管の起爆タイミングを他の装置と連動して、自動的にセットするものです。これらの装置により、発射速度は毎分10発から20発へ増加しただけでなく、敵機の撃墜確率も向上しました。しかし、第二次世界大戦中の爆撃機の進歩は目覚しく、爆撃機は、より高空を飛ぶようになりました。これに対応することが求められ、4.7インチ高射砲が提案されました。提案された4.7インチ砲の実験は、1941年にはうまくいかなかったために、代替として海軍の4.5インチ砲の砲身を3.7インチにしたものがあてられました。一方、薬室はオリジナルのままで、4.5インチ砲のカートリッジを使用できました。4.5インチ砲の薬室と3.7インチ砲身の組合せは、12.6kg(28ポンド)の砲弾を、13776m(45000フィート)の高さまで撃ち上げることができました。
 その後、ウリッジ兵器製造所の研究開発部は、前述の3.7インチ砲身/4.5インチ薬室砲の性能向上のために、腔線のねじれを漸減化し、砲口から5口径分の腔内を平滑にした、特別な砲身を開発しました。また、下部の弾帯に追加して、砲弾の肩部付近に弾帯を追加しました。この砲は、Mk6と呼ばれ、最大射高は15240m(50000フィート以上)だったと考えられています。
 第二次世界大戦後は、航空機の性能向上と、対空ミサイルの登場により、重対空砲の価値は低下しました。本砲も、1958年から段階的に退役しました。
参考文献
参考WebSite ・QF 3.7-in Heavy Anti-aircraft Gun
http://riv.co.nz/rnza/hist/local/qf37aa.htm
上のTOPページ「New Zealand Permanent Force Old Comrades Assoc.」のURLは下記です。
http://riv.co.nz/rnza/index.htm
写真 写真は、ファイア様提供。ジブラルタルにて撮影。
作成 2004/06/11
更新

 

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2002.12.15更新 榴弾砲format_v0.6