| 兵器外観 | |||
| 名称 | 25ポンド野砲2型 [Ordnance QF 25-Pounder Mark 2] |
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| 型式 | − | ||
| 製造国 | 英国 | ||
| 製造メーカー | Ordnance | ||
| 配備国 | 英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド等 | ||
| 製造初年 | 1940年2月 | ||
| 口径 | 87.6mm[3.45inches] | [mm] | |
| 口径比 | − | ||
| 砲身長 | 2456.7mm[96.72inches](閉鎖機含む、砲口制退機も?) | [mm] | |
| 全長 | − | [mm] | |
| 全高 | − | [mm] | |
| 全幅 | 1790(ホイールベース幅) | [mm] | |
| 重量 | 1800kg、砲身重量:444kg(閉鎖機含む) | [kg] | |
| 腔綫 | 20口径につき1回転 | ||
| 砲身材質 | − | ||
| 砲身命数 | − | [発] | |
| 閉鎖機 | 垂直鎖栓式 | ||
| 平衡機 | − | ||
| 駐退複座機 | − | ||
| 最大駐退力 | − | [kg] | |
| 後座長 | − | [mm] | |
| 照準具 | − | ||
| 高低射角 | -5〜45deg | [deg] | |
| 水平射角 | 砲架上で8deg、(特殊な機構を使用し、全周旋回可能) | [deg] | |
| 最大射程 | 12253 | [m] | |
| 装薬 | 分離装薬式、チャージ1〜3+ | ||
| 射程距離 | − | [m] | |
| 公算誤差 | − | ||
| 砲口初速 | チャージ1:198m/sec[650ft/sec] チャージ2:297m/sec[975ft/sec] チャージ3:442m/sec[1450ft/sec] スーパーチャージ3:518m/sec |
[m/sec] | |
| 発射速度 | 10 | [発/min] | |
| 砲弾 | MK.ID S/L榴弾(弾丸重量:11.33kg[25lbs]、信管:No.117またはNo.119)、 徹甲弾、発煙弾、照明弾 |
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| 操作人員 | − | [人] | |
| 布設所要時間 | − | [min] | |
| 説明 | ●開発 本砲は、第1次世界大戦後に開発を始められ、1930年代に基本設計が決定した。砲架は、単脚式・開脚式など、数種類の異なったものが準備されたが、最終的に箱型単脚の古い設計のものが試験部隊によって選択された。ただし、この砲架は、砲の水平照準装置(射角8deg)とは別に、全周旋回可能な特殊な機構を備えた優れたものであった。一方、経済的な問題(財務省による横槍)から、当時、多数が余っていた旧式の18ポンド砲4P型[QF 18-Pounder Mark4P]の砲架を使用することになった。そして、1937年に25ポンド砲の砲身を、前述の18ポンドの砲架に搭載した18/25ポンド砲が完成した。その後、名称は25ポンド砲1型[QF 25-Pounder Mark1]に改められた。旧式な18ポンド砲の砲架を使用した結果、25ポンド砲1型の性能は、重量:1670.8kg、水平射角:9deg、高低射角:15〜37deg、最大射程:10972mという、低いものとなってしまった(最大装薬で射撃すると、転倒する可能性があるために、射程距離も低下することになった)。しかし、この1型は、多数が製造され配備された。その後、最初の優れた設計の砲架を使用した、2型(Mark2)の開発が進められ、1940年2月に最初の完成品が得られた。同年末にノルウェーでの作戦に投入された。 ●性能・戦歴 本砲の榴弾砲としての性能は、米国の105mm榴弾砲M2やドイツの105mm軽榴弾砲leFH18と比較すると、射程がやや長いものの、威力はやや低い。一方、日本やソ連で運用された、75mm級の野砲と比較すると、射程はやや短く、威力は大きい、という、中間的なものであった。 野砲は、対戦車砲として運用する場面も多く、本砲は、対戦車砲としての活躍が有名である。本砲が、タンク・キラーとして名を馳せたのは、第二次世界大戦中の北アフリカの砂漠であった。 本砲は、第二次世界大戦以後も、多くの国で長く使用され続けた。朝鮮戦争では、ニュージーランド軍は、砲口制退器のついていない2型砲を使用していた。本砲が最後に本格的に運用された戦争は、1971年のインド・パキスタンの紛争であった。その後、インド軍などでは、1980年代まで運用されていた。 ●改良 戦車の装甲は、第二次世界大戦中に飛躍的に増大し、本砲もそれに対応する必要が生じた。そこで、高初速を得るために、チャージ3に追加する増装薬を開発した。増装薬による反動の増大から、砲口制退器が取り付けられた。この改造は、ドイツ軍相手のヨーロッパ戦線のみで、戦車の装甲が薄いままの日本軍相手のアジアでは、行なわれなかった。 本砲の重量は、アジアの熱帯では重く、不整地の泥濘に嵌ってしまい、運用が大変であった。そこで、1943年始めに、オーストラリア軍は、砲身、車輪および脚を短くし、防盾を取り外した、軽量25ポンド砲を造り出した。なお、砲身を短くしたため、最大射程は9700mに低下している。 インド軍では、1944年に、車軸を短くする他にいくつかの改造を施した。ついで、カナダ軍は、1944年の6月に、脚の中央部に蝶番を付け、折り曲げられるようにし、また、後座量を増大させ、上下射角を増大させる改造を行なった。これらの改造を組み合わせたものが、3型[Mark 3]砲架として制式化された。この3型[Mark 3]は、第二次世界大戦後も、長い間、空挺部隊用として使用された。 ●その他 かつては口径を長さの他に重量で表す方式があった。口径を重量で表す方式は、砲弾を球として、重量を比重で除して体積を算出し、体積から直径を計算することで換算されていた。この方式は、砲弾の形状が球状でなく、現在のような砲弾形状(対比して長弾と呼ぶ)なってからは廃れ、口径は長さ、弾量(弾丸の重量のこと)を重量で表すようになった。なお、本砲の”25ポンド”という呼称は、主要弾丸である榴弾の弾丸重量を表しており、口径を表しているわけではないので注意が必要である。 |
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| 参考文献 | ・「大砲撃戦 第二次世界大戦ブックス37」 Ian V Hogg著 小野佐吉郎訳 中野五郎監修 | ||
| 参考WebSite | ・「Royal Regiment of Artillery Information」 URL:http://www.wohnungs-suche.com/RAA/info/main.htm |
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| 備考 | 写真は、モーグリ様、K.K様、ファイアー様より頂いたものです(深く感謝いたします)。 | ||
| 作成 | − | ||
| 更新 | 2004/06/11 | ||
| 写真(写真をクリックすると大きな写真が見れます) | |
| ●撮影場所不明(モーグリ様提供) | |
| ●ワルシャワの軍事博物館の展示品(K.K様提供) | |
| ●大英帝国戦争博物館の展示品(ファイアー様提供) | |
| ●セウタの「Museo Castillo El Desnarigado」の展示品 (ファイアー様提供) |
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2001.8.25更新 榴弾砲format_v0.5