12/15
その名はPOISON
「14才の母」の視聴率が20%を遂に突破したようで。日テレドラマとしてはかなりの爆発っぷりであります。
先週FNS歌謡祭に数字を取られた同ドラマですが、今週は数字を全く持っていないサッカーに30分押されたにも関わらずのこの視聴率。自分も見てるけど
も、正直そこまで伸びるような面白さではないと思うんだが。途中「世間の厳しさ」を描いたけども、最終的にはハッピーエンドに収斂しそうな空気を漂わせて
いるし、もう見所はないのでは、とすら思う。だったらここんところ書いてるけども「役者魂!」のほうが終盤に来て面白い。
しかしまあ話題先行逃げ切り予定と見ていたのに、ここにきて数字も上乗せしてきた(初回視聴率は19.7%、今回視聴率は21.1%)のだからやはり「面
白い」ということなのだろう。自分は感動を主軸に置いたドラマをそこまで評価しないので(中盤は現実にウエイトを置いていたように描いていたが、やはりこ
こに来て感動路線に綺麗にまとめてきた気がしてならない)そう感じるだけかもしれないが。
それはともかく、多くの人が見たであろう今回の「14才の母」に医者として登場した人物がいる。その名は反町隆史。コードネームPOISONである。
反町隆史といえば元ジャニーズである俳優で、代表作に「ビーチボーイズ」「ホットマン」などがあるけども、やはり有名なのは妻である松嶋菜々子と知り合う
契機となったドラマ「GTO」だろう。当時の原作の人気も相俟ってドラマも高視聴率を記録、生徒役としては窪塚洋介や池内博之、小栗旬らが出演していた。
そして何より特筆すべき(だと個人的に思っている)なのは主題歌「POISON」だろう。
反町の魅力溢れる野太い声(もしくはデブ声とも言う)から繰り出されるサビの「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
POISON」の歌詞は世の中の中高生の心を鷲掴みにした(いろんな意味で)。今でもカラオケで誰かが歌うと非常に盛り上がる(いろんな意味で)。それか
ら反町のコードネームは「POISON」となったのである(いろんな意味で)。
そんなポイズンであるが、自分はドラマでポイズンを実に久々に見た気がする。CMなんかではチラホラ見かけることもあるが、ドラマ、特に連ドラに限って言
えばポイズン自身も2年ぶり(「ホットマン2」以来)の出演のようで。「ホットマン2」を見ておらず、最後に反町を見た連ドラが「ラブコンプレックス」
(2000年)である自分からすれば、実に6年ぶりのポイズン摂取である。
で、6年ぶりに見たポイズンの感想なんだけども「驚くほどポイズンでしかない」だった。何のこっちゃよく分からない、とお思いだろうから言い直すと「驚く
ほど6年前に見た反町から上積みされたものを感じない」ということである。そもそも反町の演技は上手いとは思ってはいないわけだけど、この6年見ない間に
何かしら演技に深みが出るとか幅が出るとかあっても良さそうなもんだが、実に6年前と同じ演技をしていた。何をやらせてもそれは「反町という男がそのよう
に振舞っている」だけに過ぎない。役がどうこうとかじゃないのね。だから自然体だった「ビーチボーイズ」は良かった。
ただ、自分にとってみればポイズンの演技力なんぞどうでもいい話であって、そこが問題なのではない。大事なのは6年寝かせても何の変化がない、という点で
ある。この無駄ともいえるくらいの「変わらなさ」を自分は「進化しないという進化」と名付けたいと思う。「熟練」だとか「老成」だとかいう言葉を拒否する
という進化である。かといって永遠の子供ピーターパンとはまた違う。なぜなら反町は見た目だけちゃんと老けている。しかもいい具合に。けど演技がそのまん
ま。
まあこう書いてしまうとポイズンを否定しているように思えるかもしれないが、自分はこれをポジティブに捉えて考えている。確かに演技は進化していないので
今後実力派のシブい俳優になれるかといえばそれは多分無理だろうけども、逆に「老けているのに妙に若々しい」という演技は出来そうだ。それは演技の実力で
はなく、きっとあと10年経ってもポイズンは今と同じ、そして10年前と同じ「ポイズンでしかない」演技をすると思うからだ。これは別の意味で重宝される
んじゃなかろうか、と勝手に思うわけで。
そして自分が何より期待するのは、そんな進化を拒み続けるポイズンが今でも何のためらいもなく「POISON」を歌ってくれるんじゃないかという点であ
る。あの頃の若々しさ(若さゆえに多少恥ずかしいことでも平気で出来るという感覚)を今でも持っているはずのポイズンは絶対に今でもリクエストすれば
「POISON」を熱唱してくれるに決まっている。松嶋菜々子との間に出来た子供にも子守唄代わりに「POISON」歌っているに違いない。
個人的に思う反町の「ゴール」は彼が自身の還暦のパーティーで「POISON」を歌うことだ。もしそんなパーティーが開かれた際にはどんな手段をもってし
てもその会に参加してサビの部分の「POISON」という言葉を大声で叫んで警備員に羽交い絞めにされて退場したいと思う。きっとその時の反町も今と同じ
ように妙に若々しく演技がポイズンでしかないと思う。そんなポイズンが見られて羽交い絞めにされるなら本望だ。
映画「NANA」を録画したんですけどまだ見れてません。
3日寝かせても見ないということはこのまま見ない公算が高いです。
まあ2を見る気はさらさらないので別にいいんですが。
12/13
今更すぎる話題
映画「ラストサムライ」を日曜洋画劇場で見ましたよ。
「ラストサムライ」とはトムクルーズ主演のハリウッド映画で、渡辺謙がアカデミー助演男優賞にノミネートされたことでも話題となった。
「ハリウッド映画にしては日本をよく描いている」という評判は聞いていたのだけども、確かにかなり日本人に向けて作られた話だと思った。武士道の解釈の仕
方とかは不十分だと思うが、別に教育映画でもないし娯楽作品なのだから、そこらへんは「ハリウッドにしちゃかなり頑張った」と評価してもいいレベルなん
じゃないだろうか。それでも完全に日本向けではなくアメリカンも意識した部分も少なからずあったが(小雪とトムクルーズがキスしちゃうのはどう考えてもア
メリカン向けのサービス)許容の範囲なのだろう。
話の展開も思わず「何てドラマチックな展開なんだ…」と呟いてしまうほど劇的。突っ込みを入れるまでもなくドラマなのでドラマチックで当然なのですけど
も。最後トムクルーズも渡辺謙と一緒に死んだかと思ったら死んでないのは驚いたけども、あれも劇的(らしい)ラストに結びつけると考えればまあ何とか納得
出来るんじゃなかろうか。
自分は日本人であり、相手はハリウッドであるから、細かい描写や心情、歴史背景なんかは突っ込もうと思えばきりがないわけで、そこはいちいち突っ込まない
のが暗黙の了解ってことなんだと自分は思う。第一映画に対してそんなことばかりやっていたら楽しめんだろう。
ただ、自分が最初から最後まで気になったのが「これは言葉の問題はどうなっているんだろう」ということ。これ誰も気にしないで見ていたんだろうか。
自分が日曜洋画劇場で見たのは当然ながら日本語吹き替え版。リアルタイムもしくはDVDで見ていれば二重音声ならびに字幕なんてのもあったのかもしれない
が、アナログ録画の自分の環境では二重音声もままならず、ただ単に日本語吹き替えの映像しか流れてこない。
映画を見ている限りでは日本人は日本語で、外人は英語で喋っているように思えた。だから渡辺謙とトムクルーズの会話部分は渡辺が日本語でトムが英語。但し
吹き替えではトムは日本語になっているわけで普通に会話しているようになっているが、これがどうも自分には不自然に映る。
最初から言語のことは無視ですよ、との前提のもと作られているのならば「まあそれはそういうことで」と割り切って見ていたかもしれない。しかし、トムが日
本に渡ってきて軍隊を指導するシーンではなにやら通訳みたいな人が存在しているわけで、この劇中では英語も日本語も関係ない、という設定にはなっていな
い。これが余計に自分を混乱させた。
渡辺謙が率いる武士軍団に負けて捕虜になったトムは、その直後に渡辺謙に話かけられるものの何も喋ろうとしないのにトムは渡辺に質問をする。しかしその後
に渡辺から「何かを聞くときは自分の名を名乗り、そして相手の名前を尋ねろ」みたいなことを言われて、ようやく会話が成立するシーンがある。これはおそら
く武士道の精神に基づいた演出であるように思える。
しかし自分はこのシーンで全く別のことを考えていた。それは「そりゃ渡辺謙や取り巻きが何か言ったところで言葉が通じてねえんだから何も喋れないよな」と
いうこと。名乗ることが礼儀云々の描写ではなく、「言葉が通じないもどかしさ」のシーンだと思っていたのだ。しかし全然違った。これが最後まで引っかかっ
た。
前述したように、「言葉に関してはうやむやで」という設定ならばいいんだけども、どうもそうでない描写もある。吹き替えだったので断言は出来ないけども、
どうも原田眞人演じる大村は最初に登場しトムと会話するシーンでは英語を喋っていたが、渡辺謙と喋っているときは日本語だったような気がする。英語と日本
語の使い分けがなされているにも関わらず、通じる通じないの描写がないのはやっぱり不自然だと思う。
松本人志は自身の連載「シネマ坊主」で感想を書くときに、「××が気になって最後までよくストーリーに没入出来なかった」という感想を書くことがある。自
分はこの感想に対して「松本らしいといえばらしいが、そこを気にしすぎて肝心の部分が見えてないのでは」と思うことがあった。しかし今回自分が「ラストサ
ムライ」に関して感じたものが、この「どうでもいいことに引っかかる」という同じ症状だった。
やっぱりこの言葉の部分は「気にしない」が正解だと思うのだけど、だったら最初から気にさせるような通訳の存在なんか消しておけよ、と自分は思ってしまう
のでした。
・役者魂!
本当に尻上りに面白くなってきてはいるが、やはり遅すぎた。そして今週は戸田菜穂が殆ど出てこなかった。その代わり「知的なイヤミ」を演じさせたら日本一
である長谷川朝晴が出てきた。来週こそは戸田菜穂を。
・僕の歩く道
あれってどう考えても都古の一人相撲じゃねえの?それを視聴者は許していいんだろうか。
ドラクエのナンバリング最新作となる「ドラクエ9」が
PS3ではなくニンテンドーDSで発売されるらしい。
まあ6までしかやってないので自分には何の影響もないんですが。
12/11
ビッグマウスと違和感
「スタ☆メン」でビッグマウスがどうだこうだという話をしていましたけども。
「ビッグマウス」という単語が市民権を得ているのか自分はよく判らないんですが、直訳すると「大口」なわけで、「大口を叩く」という意味である。自分は
ビッグマウスという単語がどこから発信したものなのか知らないけども、極めて伊集院光的であると思っている(伊集院はよくラジオで言葉の一部を英語に直訳
することで表現をぼかすことがある。例えば逮捕されることを「おロープ」(お縄になる)、勝新太郎のことを「ヴィクトリーニュー太郎」など)。実際伊集院
が言い出したことかどうかは知らないけども。全て仮定の話というのもアレなんですが勘弁して頂きたい。
あくまで伊集院が語源というていで話を進めるが、伊集院がこのように表現をぼかすときは、直接言うのが放送的に躊躇われるというケースと、その現象や人物
を揶揄するケースがある。「ビッグマウス」という表現は「大口を叩く」という批判をボカして表現したものであり、そもそも大口を叩くという行為に批判的意
味合いが込められていると考えられる。英語に言い換えることで「大口を叩く」という行為に批判のニュアンスを込めているのだ。
だから、基本的に「ビッグマウス」という表現を使うときは褒め言葉で使うというのはおかしいと自分は思うわけで。
そんな自分の感覚からすれば「スタ☆メン」ではおかしなもので、ビッグマウスが有言実行だとか不言実行だとかという話になる。それはおかしい。なぜなら、
有言実行しているならばそれは「ビッグマウス」ではないからだ。ビッグマウスはあくまで「出来もしないのに叩く大口」なわけで、出来たら誰も「大口を叩
く」なんてことは言わない。だから大口を叩いて叩かれるのは、全て失敗した人のみである。ビッグマウスだけど有言実行、なんてのはそもそも成り立たないの
ではないだろうか、と思うのだ。
とまあ、言葉の定義について書いてみたのだけど、ここまでは単なるマクラであり、本題は「違和感」について。
皆さんは「違和感を感じる」という表現をどう思うだろうか。自分はこの表現に「違和感を覚える」もしくは「違和感がある」のである。
自分は基本的に「違和感」は「覚え」たり「ある」ものであると思っている。なぜなら、「違和感」という言葉には既に「感」という言葉が含まれているわけ
で、「違和感」という言葉に「感じる」という言葉を重ねるのは「頭痛が痛い」と同じ二重表現ではないかと思うからだ。もし「感じる」という言葉を使いたい
ならば「違和を感じる」が正しいのではないか、といつも思うのだ。
ただ、gooのweb辞書(三省堂の「大辞林」がソース)で「違
和感」を調べると「違和感を感じる」という用例が載っていたりするので、用法としては間違っていないということになる。また、昨今言われて久しい
「正しい日本語」という概念を自分は信じておらず、日本語は変化するし通じれば正しいと思っているので、もし仮に「違和感を感じる」が昔は間違った用法だ
としても、現在通じているのであればそれは正しいということになる。
しかし、自分は正しい正しくないの話をしたいのではなく、この「違和感を感じる」という表現がどうもしっくりこない。つまりこの表現そのものに「違和感」
があるのだ。いくら正しいし通じると言われても、どうしても自分はこの表現を受け入れることが出来ない。美意識の問題なのだろう。
そんな「違和感を感じる」という表現に「違和感を覚える」自分であるが、日曜日にテレビを見ていて最も違和感を覚えたのは、「アタック25」で児玉清が「その通り!正解!」を発言したことだ。博多華丸のモノマネで最近はだいぶ浸透
してきたとは思うのだけど、児玉はアタック25の正誤判定において不正解にはブザーで対応するが、正解に対しては「結構!」だとか「その通り!」だとかの
言葉で対応する。なもんで、正解に対して「正解!」という反応は珍しいのだ。
「んなことどうでもいいよ」とおそらく多くの方は思っているかもしれないが、児玉清の口から「正解!」なる正解コールが飛び出すのはアタック25ファンか
らすればちょっとした驚きなのだ。正解に対して「正解」というコールをしただけで驚かれるということに皆さんは違和感を覚えたかもしれないが、きっと全国
のアタックファンは本日の児玉清の「正解」コールに違和感を覚えたに違いない。
そんな「アタック25」は来週からチャンピオン大会。年に一度の「殺伐としたアタック25」が見れる時期でありますので必見ということで。最終的にこれが
言いたかっただけの今日の更新でした。
一応モーニング娘。の新メンバーが光井愛佳さんに決定したことを
お知らせしておきますが、世間的にはどうでもいいことですね。
12/10
お楽しみ
夕方松浦亜弥が出演する「ミュージックフェア21」を見るために数分前からチャンネルを合わせて「あやや…あやや…」と白目剥きながら涎を垂らして待ち構
えていたわけです。その数分後にあややとマフラーで繋がる恵俊彰を見て卒倒したんですけども。
で、数分前からあわせていたテレビには「スーパーニュース」の土曜版が放送されていた。平素ちゃんと見る番組ではないが、昨年までは「女子アナは顔でもな
い。技術でもない。コネだ。」でお馴染みの高橋真麻アナによる「マーサのごじまんジャーニー」というちっともご自慢ににならないツラでやっている中継コー
ナーがあったりでゲラゲラ笑いながら見ていた記憶もあるんですけど、それもなくなった今は普通のニュース番組と認識。
んでまあ、自分はニュース番組も割と普通に見るほうではあるんですが(知的部分をアピール)、それよりもやっぱりアイドルだのバラエティだのが大好きなわ
けで(痴的部分をアピール)、松浦が見たくてたまらない状態であった自分は「スーパーニュース」なんぞ目もくれることなくひたすら涎を垂らしていたので
す。
しかし、「スーパーニュース」もエンディングを迎え、提供表示とともに画面の両サイドにテロップが表示されたのだが、それを見て自分は驚いた。
「明日もお楽しみに!」
なにそれ。
いや別にニュース番組でどんなテロップを表示しようと、例えば「実は今日のニュース全てウソ」とか流しても究極的には問題がないと思うんですけど(もちろ
んどこもそんなふざけた真似はしませんけども)、さすがに「明日もお楽しみに!」には驚いた。自分の感覚がズレていたら申し訳ないんだけども、ニュース番
組って「明日もお楽しみに」と表示するような番組なのだろうか。これはちょっと解せない。
もちろん今のニュース番組は夕方のニュース枠が、夕方であるにも関わらず半分情報バラエティ化しているのは知っている。しかもそれが土曜日というウィーク
デーの放送でないとなるとその傾向は顕著かもしれない。確かに自分もある意味では「マーサのごじまんジャーニー」を楽しみにしていたので「お楽しみに」は
間違ってはいないだろう。けども、ニュース番組を楽しみにするという感覚は、やっぱりない。
しかも「明日も」という言葉は「ニュース番組は毎日楽しみに見るものです」という印象を自分は受けるのだけども、そんなに楽しく見るものなのか、ニュース
番組は。むしろニュース番組を見るたびに暗い話題ばかりで気が滅入る。毎日楽しみにしながら見る要素なんてひとつもない。ニュース番組を楽しみにしてい
る、なんて発言を聞いたら「何か不謹慎な話題を心待ちにしている」という風にすら捉えかねない。
このテロップを打ち出すことにフジとしては何の善意も悪意もなく「明日も見てくれ」という意味で出したんだろうけども、「ニュース番組を楽しみにして見る
という感覚」が今の視聴者にはあるし、そういう番組作りを必要だと思っているんならば「何かそれは間違っているような気がするんだけどなあ」と白目を剥き
ながら思っていたのでした。
・さんまのまんま
北海道では土曜の夕方18時半から放送していて、「ミュージックフェア21」が終わった直後の放送。インパルスがゲストだったのだけども、インパルスの二
人がトラウマになっていることの下敷きとして幼い頃の性的衝撃に原因があると言っていた。堤下がベッド(布団)を汚されたくないというこだわりの下敷きに
は幼い頃の両親(もしくは兄)のセックスを見てしまったからではないか、と言い板倉は父親の抽斗の中から発見したAVの内容がエジプトが舞台だったため、
エジプトと聞くとなんかげんなりするらしい。
なんか面白かったので自分も「性的衝撃によるトラウマ」を考えてみたのだが、特に思い当たらない。せいぜい父親の持っているビデオがやたら洋物が多かった
ことに対して、自分はその反動で外人だとかゴージャスな顔立ちの女性よりも多江さんのような割と和風な顔立ちが好きなことくらいだろうか。でもこれはトラ
ウマでもなんでもない。
もしよろしければ、恥を忍んで「わたしの性的衝撃による非性的なトラウマ」を掲示板に書いてくださると嬉しいです。
あと2週間ほどでクリスマスイヴなわけだけども
自分にとってクリスマスイヴといえば
「やることないから」という理由でこのサイトを立ち上げた日であり
このサイトの中の人間のダメっぷりを象徴している。

↑今年もこんなんが開催されているので自分も投票しております。
さすがに今年は更新の代わりに発表するのもためらわれたので
こちらでひっそ
りと発表しておきましたので興味がある方だけどうぞ。
過去の投票もログページ(過去の駄文)に置いておきますので、よほど暇な方はどうぞ。
12/9
ロッカクさん
何か思い出したように登場する「気になる脇役シリーズ」第3弾。本日は六角精児さん。
どうでもい話ではあるが、なぜこのシリーズが男性ばかり取り上げるのかというと、女性だと「気になる脇役シリーズ」ではなく、普通に「好きな女優」になっ
てしまうからだ。自分の好きな女優はみんな脇役なので、「気になる女性脇役」は紹介するまでもなく普段書いている人たちだから。
さて六角精児(ろっかくせいじ)さ
ん。名前だけ聞いても「誰じゃ?」となる人のほうが多いとは思う。自分が最初にこの人を認識したのはドラマ「ナニワ金融
道」シリーズ。中居正広主演のドラマは殆ど見ていないのだけども、このシリーズは大好きで全部見ている。中居が演じる主人公灰原の同僚として登場するコワ
モテの男元木を演じていたのが六角さん。おそらく世間に通りがいいのは「電車男」において掲示板に参加していた阪神タイガースファンの男。
関西弁でコワモテのメガネ、といかにもキャラクターが固定されている感じではあるが、なかなかどうして色々な役もこなす。ただやっぱり関西弁でコワモテ、
つうのが一番しっくり来るし似合っている。そして独特の存在感を放っている。ただ、悪役商会の人たちのようにコワモテではあるけども、その怖さのなかにど
こか愛嬌がある。決して「可愛らしい」というわけではないんだけども、コワモテでありながら根っからの悪役ではなく小悪党であったりマジメな人の役が多い
のはきっとそのためだと思う。
なんで唐突に六角さんを取り上げようかと思ったのかといえば、先日放送された「タモリ倶楽部」(北海道では週遅れ)において六角さんがこれまた唐突に登場
したからである。初登場だった。六角さんは自己紹介で「電車好き」を公言していたので、スタッフの誰かが聞きつけてきたんだろうけども、そのくせ六角さん
が呼ばれた回は「冬の魚のいちばん美味い皮はどれか」という電車とは一切関係のない企画。にも関わらずなぜか呼ばれた六角さん。でもそんな六角さんの登場
に自分は少しテンションが上がってしまった。なんか得した気分である。
この回に出演した六角さんのほかのメンバーがなぎら健壱と堀部圭亮という準レギュラーな方々であり、六角さんは「ほぼいるだけ」という存在だった。それが
「タモリ倶楽部」においては別に悪いことではなく、逆にその場に馴染んでいるというのか、妙な光景だったけどもやっぱり「タモリ倶楽部で六角さんを見た」
という事実が「なんか得した」と思わせてくれた。バラエティでも滅多に見ないのに、それがタモリ倶楽部で見かけた日にはお得以外の何物でもないのだ。
ドラマを見ていたら登場する、妙にコワモテで関西弁を喋るメガネのオッサンがいたら注目してみてください。それはきっと六角さんです。今日もどこかで味の
ある関西弁のコワモテメガネを演じていることでしょう。
代々木アニメーション学院が民事再生法適用を申請。
楽太郎の学院長起用は「苦肉の策」だったわけだな。
12/8
喝だ!
ども、ハトヤです。本日は気になる芸能ニュースについて、今年流行語大賞の候補に選ばれて流行の(と「流行語大賞」を選んでいる方々が思っているだけで、
実はもっと前からメジャーだったと思うのは自分だけだろうか)大沢親分の「喝!」を拝借してちょいと感想を書いてみたいと思います。
・石原真理子、実名で過去の恋愛遍歴を綴った暴露本出版
喝だ!とりあえず「真理子」なのか「真理絵」なのかはっきりさせろ!
自分は一応まだ20代でして、「ふぞろいの林檎たち」を見ている世代ではありませんから、石原真理子と言われてもちっともピンと来ないのではあります。も
ちろん大雑把な知識くらいはあるんですけども、具体的にどうこう語ることが出来るわけじゃない。
しかしこの暴露本出版について思うのは「非常にいやらしい」と。それはなぜこの暴露本を出すのか、という点に尽きるのですが、身も蓋もない言い方をすれば
「ゼニのため」であり「女優復帰のための売名」である。それ以外の理由なんてあるわけがない。そんなあまりに個人的な理由でもって過去に交際のあった人間
を売るような真似は、自分はとてもまともな感性の人間のやることではないと思う。下劣である。まあ、「プッツン女優」の異名もありますし、誰もマトモと
思ってないのかもしれないけど。
石原は出版の理由について「大切な思い出。女優25周年を迎え、女優復帰へのけじめ。人生のすべてを白紙にしたかった」なんてことを話しているが、別にそ
れは出版せずとも個人的に手記としてまとめて金庫にでもしまっておけばいいだけの話で、なぜ女優復帰のけじめとして暴露しなければならないのか意味が分か
らない。もしくは、他人にどうしても発表したかったらブログを持っているようだしブログでチマ
チマと公開すりゃあ良かったんじゃないのだろうか。出版するよりも多くの人に見てもらえると思うんだけども。
それをしないのは、単純に「ゼニにならない」からに他ならないわけで(出版会見も出来ないから女優復帰のアピールも出来ないんだろうし)、実名を出してい
るのもそっちのほうが衝撃度も大きいし売れるからだろうな。事実であるとはいえ売れるためには相手を売るような真似をする。うーん、自分にはとても考えの
及ばない話である。
以前から何度も書いてはいるが、誰が誰と恋愛しようが結婚しようが自由であるし、特段興味のある話ではない。だから石原の奔放な恋愛について、つまり内容
についてとやかくいうつもりも筋合いもないとは思うけども、「ゼニのためには過去も売る」というその態度に関しては「立派すぎて血の涙が出ますね」とだけ
は言っておきたい。せめて「ゼニのため昔の男を売ります」と堂々と吐いたほうが自分は救いがあると思うけども。
・市川海老蔵と佐藤江梨子、交際宣言
喝だ!そんなもん勝手にしろ!
以前から映画館で乳繰り合う(という表現を漢字で書くと妙にいやらしいですね)姿などが目撃されていたこの二人であるが、なぜか突然両者から交際宣言が。
一体何が目的なんだろうか。
同じことを2度書くのは気が引けるが、やはり書いてしまうとあんたらが交際することなど別にどうだっていいのである。ましてやなぜ「交際宣言」をしなけれ
ばならないのか。以前安達祐実が黒田アーサーとの交際の破局に関して記者会見をするということがあったが、なぜお前らの恋愛事情をわざわざ報告されなけれ
ばならないのか。そしてなぜそれらを芸能記者は受け止めなければならないのか。そしてそれらの情報を我々視聴者は享受せねばならないのか。全くもって不要
な情報である。もちろんそういう情報が好きで好きでたまらない、という人は世の中に存在するんでしょうけど。
彼女らの場合は以前からそういう報道がなされているし、更にはその報道に関して否定もしている。それを今になって「交際しています」とか言われても困る。
みんな知ってるわ。普通友人同士で映画館で乳繰り合わないからさ。結局「宣言することでおおっぴらに恋愛できる」という自己満足のような気がします。そん
なものにマスコミも世間もつき合わされても困るんです。
頼むから破局した時はひっそりと別れてください。
・加藤晴彦は女子アナと交際順調。空き巣被害も告白。
喝だ!オマエのことなんて興味ねえ。
サトエリにかこつけてこういう報道がなされること自体が不満でならないです。
12/7
セクシーユー
「役者魂!」は相変わらずコメディとしては面白くないんですけども。
元々藤田まことと松たか子のコメディを期待していた者としては、コメディ部分が香川照之演じる事務所の社長に一手に引き受けられている(と自分は思う)の
が寂しい限りではあります。まあそこだけ面白いから失敗ではないんだろうが。ただ、コメディとしてではなく「家族とはなんじゃろうか」という主題に沿って
このドラマを見ていると(というか作り手は元々そうしたかったようだが)、中々考えさせられるものがあるというのか。見てなかったけど「ホームドラマ!」
のテーマの再来のような気がする。皮肉にもどちらも視聴率はよろしくない。
他人同士で家族という共同体を作ることが出来るか。そもそも家族とは何で家族なのか、というテーマは我々が過ごす日常を脅かすテーマである。血縁関係、だ
けでは説明できない家族の繋がりをなぜ構築できるのか。また反対に今なぜ家族という共同体が機能しなくなってきているのか、というテーマに直結している。
他人を信用することが家族の端緒であるとするならば、その信用を築くのに必要なのはまず他人を信用する「演技」であると。だからこそ家族という役割をロー
ルプレイングするための「役者魂」が必要になってくる。これが最終的に芝居からホンモノになれるのか、というのがこのドラマが本当にやりたかったことなの
だろう。しかし当初の宣伝ではそんなテーマが微塵も伝わらなかった。
だから、コメディという要素を排除して、最初から「家族とは」みたいなテーマで押して行けばこんなに悲惨な結果にならなかったのでは、と思う。確かにテー
マが重いので、コメディ要素でごまかしながら引き込んでいく、ということがしたかったのかもしれないが、コメディとして見るならばやっぱりつまらないし、
本当にやりたいことが見えてくるまでにこんなに回数を要しているのでは全然お話にならない。
話はガラっと変わりまして月曜は友人と呑んでいたんですよ。
自分ほどのテレビバカになると、テレビの話題で真正面から受け止めてくれる人というのはあまりいないのですが、月曜に呑んだ友人というのは数少ない「真正
面から受け止めてくれる人物」なわけで、これはまあ楽しくお酒が飲めるわけですね。
でまあ、二人とも変わり者でして、自宅で駄菓子をつまみに酒を飲むという「ガキの使い」か「タモリ倶楽部」にでも影響されたかのような企画を平気でやるわ
けです。健康は著しく害されるような気はしましたが、駄菓子で呑む酒って驚くほど美味しいですよ。珍味に高い値段出すのがバカらしく思えるくらい。
そんでもって駄菓子を片手に楽しくアルコールを摂取していくなかで、一番盛り上がったのが「いま、戸田菜穂が熱い」という話題。勿論自分発信であります。
戸田菜穂の良さはここでも何度か書いたような気もするし、書いてないような気もする。一応説明しておくと、戸田菜穂はホリプロスカウトキャラバンのグラン
プリを獲得して芸能界デビュー。深田恭子や石原さとみの先輩に当たるわけですね。「ショムニ」で江角らが所属する庶務二課に対抗する秘書課の杉田役が有名
である。ただ、自分は「ショムニ」を見ていなかったし、その頃は全然興味がなかったんです。
しかし、自分が戸田菜穂の魅力をバチコーンと感じてしまったのは、あろうことに「西部警察」のスペシャル。確かここにも書いたように思うのだけど、赤外線
センサーをかいくぐるために防護服を脱いで進む体のくねらせ方がエロくて最高だったのだ。この時はそのシチュエーションのエロさに興奮していたのだと思っ
たけども、最近そうじゃないことにようやく気が付いた。彼女本人の持つ魅力が今全開していると断言。
戸田菜穂は現在32歳である。決して若くてどうこうという年齢ではない。しかし、戸田菜穂が最近全身から発している「いい女」オーラが自分のような虫けら
みたいな人間にはバシバシ突き刺さるんですね。そしてなんかいやらしい話に聞こえるかもしれませんが、戸田菜穂の滑らかな丸みを帯びたボディラインが完璧
に美しいですよね。モデルのような美しさ、というのではなく「30代女性としての美」が彼女のボディラインにはあります。それを見る度に「戸田菜穂恐るべ
し」とひとり勝手に唸っているわけで。いまや自分の中の好きな女優レベルが最高潮までに達している。
最近では「ウォーカーズ」に出ていたのも非常に嬉しかったのですが、先週の「14才の母」では主人公未希と同室になった妊婦さん役で登場。「おいおい戸田
菜穂を抱いた男がいるのかよ」なんて死ねばいい感想を持ったというのはウソですが、彼女の細い体であっても、彼女が妊婦さんの役を演じれば妊婦に見えてし
まうから不思議。それもきっと彼女の持つボディラインの為せる技。
一時期ヤンキースの松井秀喜と関係が噂になりましたが、やっぱり松井は違うね、という話にもなりました。さすが松井はAVを山のように見ているだけあっ
て、本当にいい女が誰であるかを知ってるよね、と。もちろんオレ理論ですけども。友人に「関係ないだろ」と一蹴されましたけどね。決して自分がAVを山の
ように見ているから松井と同じ境地に達した、という意味ではない。見てないとは言わないが。
とまあ、月曜日にそんな戸田菜穂談義を熱く交わしていたわけですが、火曜日に「コメディとしてはイマイチだな」とか思いながらぼけらーっと「役者魂!」を
見ていたら、最後の最後で桜子と忠太を捨てて海外に行っていたが帰ってきた母親役として戸田菜穂登場。戸田菜穂が出てくるなんて思ってもいなかったから、
このシーンを見て思わず「神はいるな」と思いました。
というわけでやっと話がまとまるわけですが、今もっともセクシーな女性こと戸田菜穂さんがゲスト出演する「役者魂!」を来週は見てみましょう、という話で
した。きっとイヤな役でしょうが、それでも彼女のボディラインの美しさは不変であります。
そして余裕があれば「役者魂!」のドラマが本当にやりたかった「家族とは何か?」というテーマについて考えてみるのもいいかもしれません。
・FNS歌謡祭
フジの女子アナが歌手と一緒に見ているというのはあれどういう特権なんですか。言いたかないが「何様だ」という表現がぴったり。FNS歌謡
祭は年々安っぽくなっていく気がします。
ヒゲバットこと小笠原がヒゲを剃って巨人の入団会見。
でもヒゲバットって呼ぶよ。
12/4
矢部の振り見て我がフリ直せるか
「サンデープロジェクト」に堀江被告が出てました。
まだ裁判中ではあるけども、最終弁論まで終わった(んだよね?)ということでサンプロで自分の主張を堀江被告が語っておりました。田原総一郎は親堀江なの
か、どうも堀江の主張を真っ向から受け止めすぎのように思えた。まあ裁判もある意味では一方的なもんであるが、キーマンとなっていう宮内被告がいない中で
堀江が色々と自分の主張をしたところで「それはあなたの言い分だろうけども…」としか言いようがない。にも関わらず田原は堀江の言う事を信じてるような感
じで「大丈夫かこのオッサン」と普通に思ってしまったよ。
んまあ堀江が無罪になろうが有罪になろうが、今後テレビに出てこなければ別に構わないわけで(そういう意味では裁判中にも関わらずテレビに出演しているの
は個人的に危惧すべき事態ではある)どうでもよろしいんです。話題は堀江ではなくて、その後にやっていた「いじめ問題」に関して。
「ミスター文科省」ことゆとり教育の推進者であった寺脇研やらヤンキー先生やら、お馴染みな顔ぶれが登場していじめ問題について語っていた。「いかにいじ
めをなくすか、ではなく、いじめが起きたときにどう対応するか」などという話がされていた。「いじめはなくならない」という認識はまったくその通りである
と自分は思うし(だって大人の「いじめ」があるのに、子供だけなくすのは無理)、「なくす」ことに執心するより「抑える」ことに執心するほうが正しい。
いじめ自殺に関してはここで前にも書いたし、今更新たな考えがあるわけでもないのでもう書かないが、いじめ問題に関して今自分が一番気になることがある。
それは矢部美穂の存在だ。
矢部美穂。日本の女性タレントである。wikipediaの紹介文みたいですね。
いじめ自殺の話題がマスコミで取り上げられるようになると、途端に矢部美穂を見る回数が増えた。というのも、矢部美穂は中学生の時に虐められていた経験が
あり、この件に関しては他のタレントの発言よりも長じている部分がある、と考えられているからである。「考えられている」と書いたのは、それはマスコミ並
びに本人がそう思っているだけであり、自分としては「矢部の発言は別にそこらのタレントが言ってることと大差ない」と思うから。
矢部美穂は10年ほど前にグラビアなどで活躍した。ちょうど矢部がグラビアに出ている頃、自分は矢部がグラビアで出ているマガジンを買っていた世代なので
よく記憶している。矢部はグラビアアイドルとして活躍していた当初からいじめの経験を告白しており、当時その記事なり発言なりを読むにつけ「なんでこんな
可愛い人(当時の認識)を虐めるんだろうか。やっぱり可愛いから妬まれていたんだろうか」などと思ったもんである。所詮は子供の発想だ。
時は流れ、矢部美穂もグラビアの前線からは姿を消し、いつのまにか「半ケツを出すタレント」になっていた。「半ケツヌード」などの煽り文句でもってケツば
かり出していた。妹(美佳)とペアヌード(これまたセミヌード)を出してみたり、さらに下の妹(美希)まで登場したり、家族揃って「やりにげコージー」に
登場しては赤裸々な生活を告白したり、と彼女の芸能活動は徐々に迷走していく。
そして今ではカリスマAV男優加藤鷹を相手にさながらカラミがあるかのような写真集を発売したりと、限りなくAVに近いブルー(村上ドラゴン)な活動をし
ている。そんな彼女がいじめ問題について「学校を乗り越え大人になったら、すてきなことが待っているから」(北海道新聞12月1日の記事より)と、いじめ
の被害に遭っている子供たちを諭すのだ。
これ、どうなんだろう。
捉え方はふたつあると思う。ひとつは「たとえいじめに遭っていても、そこから形振り構わず生きることは可能である」というポジティブな捉え方。今はいじめ
に遭っているかもしれないが、死ぬ気になればいじめからも抜け出せるし芸能活動もできるし、北海道新聞の紹介には「ドラマや映画などで活躍している」と書
かれていたけども、彼女がドラマや映画で活躍した記憶は殆どなく、実際には加藤鷹と擬似AVみたいな写真集を出しているが、これだって生きる道じゃない
か、というのを見せることで、いじめの被害者に勇気を与えるという作用は間違いなくあるだろう。
もうひとつは「結局矢部美穂みたいになるんだったら死んだほうがマシ」というネガティブな捉え方。生存競争の激しい芸能界では、かつて活躍したアイドルで
すら脱いで脱いでもう脱ぐものなくなるくらいまでに脱がないとやってけませんよ、というとってもシビアな現実を矢部美穂に見た場合、「いじめを克服しても
そんな辛い未来が待ってるなら死んでしまおう」と思いやしないか、と余計な心配をしてしまうわけであって。
自分のような人間からすれば、こういう機会に乗じて登場することに関し、心のどこかで「需要があるとはいえこの便乗はどうなのかな…」と思ってしまうわけ
です。もちろんタレントはどんな機会にせよ登場してなんぼの世界ですから、不謹慎と言われようと需要がある限り登場するのは当然なんですが、それでも何か
「あさましさ」を覚えてしまうわけです。
そこから一歩飛躍すると「この便乗が平気という感覚がイジメに遭っていた原因なのでは?」と本当に余計な勘繰りをしてしまうわけです。もちろんそんなこと
はないと思うのですが、印象というものは一度受けてしまうと簡単に拭えなかったりするわけで。
自分はイジメに関してもはや当事者でもなんでもないので、こんな余計なことを考えてしまうわけだが、当事者からすれば「イジメに遭っていた」けどもイジメ
問題に便乗したような形でテレビに登場する矢部美穂を見て何を思うだろうか。その逞しさが希望に映るのだろうか。その波乱の生き様が絶望に映るのだろう
か。それとも自分のような全く別のあさましさを感じ取るのだろうか。
今現在イジメにあっている子は、今すぐ書店で矢部美穂の写真集を購入すべきだろう。死ぬのは購入してからでも遅くないし、また、その写真集を見て自分の感
じたことを見つめ直してみるのも面白いかもしれない。色んな意味で矢部の振り(振る舞い)みて我がフリ直せるものならば、直してみるのも悪くない。
深夜にたまたま放送していた映画「SAW(ソウ)」を見た。
何やら結構有名な映画だそうだが(どうやらこの秋3が公開されたらしい)
全く知らない状態で見たので、オチで「あ、なるほど」と思ってしまった。
色々ツッコミどころはあるけども、そこそこ面白かったです。
12/3
結果的には失礼
「Sma Station-6」を見る。
金曜日から映画「武士の一分」が公開されたということで、主演の木村拓哉が色々な番組に出て宣伝をしている。普通この手の映画の宣伝というのは、大体出演
者があからさまな宣伝目的のゲストとして登場して去っていくわけだが、こと木村拓哉クラスになると、映画の宣伝のための出演にも関わらず、「よくぞ来てい
ただきました」というVIP待遇なわけで、木村が宣伝せずとも勝手に番組が宣伝してくれちゃっている、みたいな奇妙な現象が起こる。
金曜と土曜で木村は「笑っていいとも!」「徹子の部屋」「報道ステーション」そして「Sma
Station-6」と普段では考えられないペースで番組に出演したわけだが(少なくとも自分が確認して見たのはこの4つ)、どの番組も木村が「武士の一
分、見てください」みたいな宣伝をしていた覚えがなく、どの番組も司会が自ら映画を紹介するということをしていた。個人的にはそこまでする必要もないよう
に思うのだが、いかに木村拓哉という男が重宝されているかがよく分かるというもんでもある。
さてスマステ6であるが、この番組は同僚(という表現が正しいのかは知らんが)である香取慎吾が司会でもあるし、生放送でもあるから出演して然るべきなん
だろうとは思っていたが、番組の特集として「武士の一分」特集だとか「時代劇」特集ではなく、「木村拓哉」の特集をするというのだからちょっと驚いた。番
組でも触れていたように、この番組で人物を特集するときは大抵の場合故人であり、その故人に思い入れや縁のあるゲストが登場するわけだが、今回に至っては
本人が登場しているわけだからこれほど豪華なものはない。
そんでもって「俳優・木村拓哉」を特集したわけだけども、これもよくよく考えるまでもなくテレビ朝日の番組がやる放送ではないのだ。なぜなら、過去10年
を遡っても、木村拓哉が出演したドラマというのは殆どがフジテレビかTBSであり、テレビ朝日のドラマはただの1本もないのである。つまり、「俳優・木村
拓哉」の特集をするにあたって、ドラマの素材がゼロの状態から始めなければならない。これって単純に無謀とも言える。
だから、スマステもドラマの映像を流して木村拓哉の俳優としての活動を浮き彫りにするのではなく、共演者から話を聞くことで木村拓哉を捉えようとした。こ
れは素材のなさをインタビューでカバーするという非常に巧みなやり方だろう。本人がいる前では下手なVTRを作るよりは、周囲の人間が語ることのほうが
よっぽど失敗がないようにも思えるし。
なもんで、木村拓哉を語る共演者や関係者が大量にVTRで登場した。そして木村拓哉を「これでもか!」という具合に褒めちぎった。無論インタビューである
から、悪いことは聞かれないだろうし言わないだろう。そんな部分を差し引いても木村拓哉という俳優の凄さは共演者からみれば「語りたい」ものであることは
VTRを見れば歴然としていることであり、「こんな誘導尋問にも近いVTRを…」と貶すのはナンセンスだろう。個人的な好き嫌いの感情はともかく、木村拓
哉という俳優の凄さを認めないわけにはいかないというのが正直なところだと思う。
そんな褒めちぎられのVTRを流された後で、本人は非常にやりにくそうだった。これまた当然の話だ。褒められるのは慣れてるだろうし、それなりに自信があ
るであろう木村でさえも、ここまで手放しに立て続けに褒められたのではどこか詮方ないのは当たり前だろう。むしろこんだけ褒められていても「当然だろ」み
たいな顔をしていないことに安心すら覚える。もし自分がこんだけ褒められたらどう考えても逆に落ち込む。
でまあ、木村拓哉を共演者の言葉から検証する、という特集は悪くなかったように思う。しかし、いかんせんスタッフは張り切りすぎた。VTRに張り切りすぎ
て、折角スタジオに本人がいるにも関わらず、本人の喋る時間というのが殆どなかったのだ。これはどう考えてもいただけない。
確かに「木村拓哉」の特集をするということだけでも大変なことであり、それに関して沢山の共演者からインタビューを取ってくることも大変だったとは思う。
それをVTRとして構成するのも尚更だ。しかし、今回の放送の場合「特集をする本人がそこにいる」というのが一番大事なわけであり、「木村拓哉特集の
VTRを流す」ことは最重要課題ではない、ということを忘れていたんじゃないかと自分は思うのだ。
木村拓哉が生で登場して語る、ということが最大のバリューだったはずなのに、どうも今回のスマステ6はそう思っていなかったように見えた。なんだか「木村
拓哉特集をするということで、どうせだから本人に出てもらいました」程度の感覚。本人がいることが重要だと思えていない感じ。VTRに力を入れすぎて、本
人の存在が軽くなっていたのではないだろうか。
前述したように、元々この番組の特集は故人を特集することが殆どであり、本人不在だからこそVTRで詳細に語る構成になっている。しかし、今回ばかりは本
人がいるのだから、本人がいることを前提に簡略なVTRで良かったはずなのだ。語るべき人間がそこにいるのだから。にも関わらず、いつにも増して熱の入っ
たVTRをスタッフは作ってしまった。おかげで本人が喋る時間が殆ど用意されてなかった。本末転倒とはまさにこのことである。
いつもだったら「今回もいい仕事するなあ、ここのスタッフは」と思うところだろうが、今回に関しては「本人不在で気合入れすぎだろ」と思ってしまう。メイ
ンはあくまで木村拓哉本人。にも関わらずスマステ側はここでは脇役になるべきVTRをメインにしてしまった。いつも以上にVTRでいい仕事をしたかったと
いうその気持ちは分からんでもないし、現に流されたVTRは非常に気合の入ったものだったとは思う。しかし、本人がいるのに本人の出番を消してしまうまで
に気合の入ったVTRはどう考えても不要だろう。
たぶん、木村本人がいなかったらこの特集は普通に褒めてたと思う。キムタクのドラマを放送していないテレ朝がやってのけた大仕事とでも言ってたかもしれな
い(それほどのもんでもないか)。木村拓哉の特集なのに、「木村拓哉本人がいなければ素晴らしかった」なんて評価、絶対におかしいだろう。それはやっぱり
木村本人に失礼なわけで、スマステは木村に対してやっぱり失礼だったような気がする。気合が入りすぎた故の失礼。憎めはしないが「もう少し考えろよ」とは
言いたい。
あとVTRに登場した三谷幸喜のキャップがあまりにヘンだったのでここに記しておく。
「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ました。普通に面白かった。
きっと昭和を生きた人間なら誰でも好きでしょ。
昭和の最後しか生きてない自分でも面白いと思うんだから
世代ドンピシャの人なら尚更だろうな。
12/2
本当に悲しい恋は笑えない、とは思うけど
ドラマ「笑える恋はしたくない」を見る。
「セーラー服と機関銃」が全7回で終わってしまい12月が丸々空いているため、3回連続で放送されるドラマ。次長課長の河本と南海キャンディーズのしず
ちゃんが主演である。裏には「ALWAYS 三丁目の夕日」とキムタクが「武士の一分」の宣伝のために出演していた「報道ステーション」があって、どれだ
けの人が見ていたかは不明である。5%とかだったらかなり笑えない。
メインキャストだけを聞くと「やはりこれはキワモノだよな」とは思う。脚本もバラエティ畑の人間である鈴木おさむが担当しているし。しかしこれがなかなか
どうして「ギャグじゃないんですよ」というのが必死なくらいまでに伝わってきて、それなりに見所はあったように思う。
自分が1時間見て思ったのは、これは「ドラマとしての面白さがある」ではなく、「主演の芸人二人が大真面目にドラマの主役を演じている」というドラマの内
容ではなくドラマそのものの存在のメタの面白さを求めているんじゃないのか、ということ。現象そのもので笑わせに来ている(もちろん「大真面目にやってま
す」という設定なので笑わせようと思ってやってませんよ、というのがフリになっている)「手の込んだコント」なんだろう。
ドラマの中身もよく言えば「クリスマスにぴったりな心暖まるラブストーリー」ではあるが、悪く言えば「ベタすぎるほどにベタ」。何度も言うようにベタは悪
いことではないので、好きな人にはたまらない面白さがあると思うが、今回に限ってベタが悪いと思うのは、どうしても「ベタ」と「河本」という組み合わせは
「ベタドラマ」(「くりぃむしちゅ〜のタリラリでイキます」内における人気コーナー)を想起させるわけで、やっぱり真剣なのか笑わせにかかっているのか判
別がつきにくくなる。これも狙いなのかもしれないが。
ニュアンスとして正確なのか自信はないが、かつてウッチャンナンチャンが「やるならやらねば」あたりでやっていたドラマパロディに近いにおいがする。もち
ろんあのパロディは「ドラマの設定を借りて笑わせる」という大向こうがあるんだけども、それ以上に南原あたりが「ドラマシーンも地味に真剣にやってます」
という謎の気合の入り方がなんか鬱陶しい、というアレだ。あくまで「ドラマを真剣にやってます」というていではあるが、やっぱりどう考えても笑わせにか
かってるよな、という印象。でも当人たちは「真剣ですよ」という言い張る鬱陶しさがある。素直に笑わせにかかっちゃダメなのか。
なぜ自分が「やっぱりコントだろ」と思う最大の原因は、「しずちゃんがあまりにあまりだ」ということに他ならない。河本はそれなりにドラマの登場人物とし
て機能してはいるが、しずちゃんだけは「えーと…」というコントでしかないような設定なので、どう処理していいのか分からないということなんだと思う。本
来はしずちゃんがフラれるシーンなど「可哀想だ!」と感情移入しなければならないが「そりゃそうだよな」と思ってしまうもの。いくらなんでも、ちょっとド
ラマとはいえコントの領域に足を踏み込みすぎなのだ。
それに引き換え酒井若菜のやさぐれ具合と「キュン」の表情とかが抜群すぎて、しずちゃん出てきたときに主演なのにがっかりするもの。女性は平気で「しず
ちゃん可愛い」とか言うんだけども、どう考えたってしずちゃん可愛くないですからね、酒井若菜と比べれば。こういうことははっきり言っておくべきだ。まあ
酒井若菜も可愛いという年齢ではないけども。そして夏川純は演技は「レイク」のCM程度のもんだけど、受付嬢の恰好が最高に可愛くて暫し悶絶した。夏川純
恐るべし。
ま、何を書いてもあと2回で終わってしまうし、クリスマスまでのファンタジー(物語にせよ、出演者にせよ)と思えば妙な感情移入もせずに楽しめるというも
んなのだろう。個人的には「しずちゃんが可愛いという言説が何よりのファンタジーだな」と気づかせてくれただけでその価値はあったと思う。ただ、このドラ
マの究極の目的は、そう思っている自分のような人間に対して「しずちゃん可愛い」と思わせることなんだろうな、とは薄々感じている。ただ、クリスマス前に
そんなんなったら何もかも負けた気分になるのでそんな事態だけは避けたい。ま、今年のクリスマスは有馬記念→M-1決勝→明石家サンタと異性の入り込む余
地なんてそもそもありゃしない。明石家サンタが恋人です。ありがとうございました。
流行語大賞が「イナバウアー」と「品格」。
ふーん。
12/1
らしさ
本日の「はなまるマーケット」のゲストが南海キャンディーズ。
なんてことはない、本日から3週連続で放送されるドラマ「笑える恋にはしたくない」の主演がしずちゃんなわけで、その番宣なわけだけども、しずちゃんとも
う一人の主演である次長課長の河本との出演ではなく、ちゃんと南海キャンディーズとしての出演だったのは救いがある。主演のふたりで登場した「ズバリ言う
わよ!」はCMを見た限りでは悲惨なことになっていたが、あれは収拾ついたんでしょうか。そういや次長課長は細木に改名薦められていたけどもしないで正
解、って誰か言わなかったんでしょうか。
それはともかく、久々に「ゲスト・南海キャンディーズ」の番組を見たわけだが、やっぱり南海キャンディーズは山里がイニシアチブを握ると面白い、という事
実を改めて思い知ったような気がする。
そもそも南海キャンディーズが世間に認識されたのは2004年のM-1グランプリであるが、その時は「怪獣しずちゃんを山里の優しいツッコミが包み込む」
という、今までにはない漫才の面白さを提供し、一躍彼らの名前が有名になった。確かにしずちゃんのおおよそ女性離れした巨体から繰り広げられるボケは強烈
だけども、それよりもこのコンビの核は山里の婉曲なツッコミにある、と認識した人は多かったのではないだろうか。「中盤に来てトリッキーなことすんなよ
〜」なんてツッコミは個人的に結構衝撃だった。
翌年以降南海キャンディーズは急速にテレビに露出するようになるわけだが、その使われ方は漫才の面白さではなく、しずちゃんのなぜか高飛車なキャラクター
と山里の見た目を含む気持ち悪さ、というテレビ的に分かりやすいものでしかなかった。確かにしずちゃんがなぜか高飛車(という表現が正しいのか分からない
けども、とりあえず高飛車な感じ)なのは面白い。だが、本来はしずちゃんの暴走を山里が突っ込むからこそ面白かったのに、山里が最終的に「キモい」で片付
けられてしまうため、山里がツッコミとして機能しなくなっていったのは問題だった。
そして現在では「しずちゃん大人気」と「可哀想なツッコミ」という妙な構図が出来上がっている。「しずちゃん可愛い」はギャグだったのに、いつの間にか普
通に使われてしまっているこの謎。しずちゃんの発言に突っ込む余地がない山里。本来は山里あっての南海キャンディーズだったはずなのに、今ではしずちゃん
あっての南海キャンディーズ。ねじれ現象である。
しかし今日の「はなまる」では、久々に活きのいい山里が見れた。山里爆発である。放送の7割くらいは山里が喋り続けていたのではないだろうか。
「徹子の部屋」でもそうだったが、基本しずちゃんはそんなに喋るタイプではなく、それに引き換え山里は喋っていないと間が持たないタイプ。どっちにせよ
トークゲストとしてはやりづらい人たちではある。徹子の場合は自分も喋りたがるし、他人の話をちゃんと聞かないので完全にかみ合っていなかったが、薬丸は
そこらへんのいなし方が抜群に上手く、上手い具合に薬丸が山里の喋りをアシストしていたように思える。改めて知る薬丸のスキルだ。
しずちゃんが過剰にボケることはないので、薬丸が山里が突っ込めるように巧みにしずちゃんの発言を誘導する。これが見事。きっと薬丸は山里に喋らせたほう
が面白いことを知ってるんだろう。おかげで今日の山里は水を得た魚のようにちょっとした山里トークショーレベルで喋り倒していた。
2年前、南海キャンディーズの漫才を見たお笑い好きは、きっと数年後南海キャンディーズがこういう形で売れていくのではないかと予想していたはずだ。しか
し事態はしずちゃん大躍進という意外な展開に転がっていった。しかし南海キャンディーズ本来の面白さではなかったため、コンビとしては動脈硬化寸前だった
ような気がする。しかし今回のように山里が自在に喋れる場を設ければ、しずちゃんに頼ることなく山里の面白さ(腕)を今でも存分に発揮できることは今回の
「はなまる」で証明できた。自分はもっと「山里ありき」の南海キャンディーズが見たい。
今年南海キャンディーズはM-1に出場していないらしい。知名度から行けばもう賞を狙わなくてもいいということかもしれないし、単にスケジュールの関係か
もしれない。単にネタの練りこみ不足が祟っているのかもしれない(昨年の決勝戦はそれが如実に出てしまった)。ただ、個人的には「南海キャンディーズが本
来持っている面白さ」を今後テレビで生かすためには、M-1で彼ら本来の形の面白さで優勝し、テレビでもその体系が存分に発揮できるようにしてもらいたい
ものである。M-1の優勝は名誉だとか金だとかではなく、キャラ頼みを解消して単純に彼らの芸能生命を延ばすように思えるんだけども。
映画「愛の流刑地」の上映時間の半分はセックス描写らしいがそれって面白
いんだろうか。
細切れとはいえ1時間もセックス描写見せられたら飽きると思うんだが。中学生か。
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