4/28
亀梨名人

えー、この度芸名審(芸能人名人審査委員会)はジャニーズ事務所所属KAT-TUNの亀梨和也を名人に推挙したいと思います。

亀梨さんが名人に推挙された理由は以下の通りであります。

今回亀梨さんは某写真週刊誌に「小泉今日子との熱愛」を報道されました。これは名人位を与えるに値する絶妙の選択でした。まず、そもそもKAT-TUNと は今当代きっての人気アイドルであり、全国のKAT-TUNファンである女性を虜にしております。KAT-TUNの中でも亀梨さんは、ドラマ「ごくせん」 「野ブタ。をプロデュース」に出演したこともあり幅広い年代の方に支持されております。

一般的にはアイドルは多くのファンを相手に「ファンの皆さんが恋人です」という建前でもって活動をしなければなりません。もはやこの構造が空虚なものだと 分か りきっているとはいえ、依然として残るこの掟がアイドルがアイドルたる所以でもありますし、ここは芸名審が見逃すところの出来ない点であります。KAT- TUNが いくら「オラオラ系」でファンに媚びるようなアイドルではないとはいえ、です。

しかし亀梨さんもアイドルとはいえ現在20歳。ヤリたい盛りであります。股間が乾くヒマもないわけであります。そんな若者の余りある性欲を処理することも 仕事同様一大事であると我々芸名審は考えているわけです。彼らが所属する芸能界という場所は、職場に自然に綺麗な女性が集まってきますし、亀梨さんも美男 子で ありますから当然に互いに惹かれあうわけです。これは自然の摂理なわけです。

ただ、ここで同じ美男美女の若者同士惹かれあってしまうと、仕事に多大なる影響が出るわけです。相手も女性の人気アイドル、グラビアタレントだった場合、 キャラにもよりますが相手のタレントに少なからずダメージを与える場合があります。そして何より全国の亀梨さんファンが魑魅魍魎のごとく怒り狂うのであり ます。私の亀梨くんに手を出した女狐め、と。別にあんたの所有物じゃねえ、というツッコミは無用でります。同世代のファンを一番抱える亀梨さんにとって、 同世代の女性と交際するのはアイドルとしてNGになってしまう わけです。

そこで亀梨さんが今回交際していたのは、現在40歳バツイチである小泉今日子さんでした。これは白眉としか言いようがありません。

歴代名人に名を連ねている木村拓哉名人もそうですが、「ちょいと我々の予想の外角高めを行く選択」をしました。まさかキョン2とは、であります。キョン2 は年齢だけでいけば40歳ですが、アイドルとしてデビューしただけあって40歳の今でも40歳には感じさせないチャーミングさがあり、亀梨さんの欲求を満 たすには十分です。

更に、亀梨さんのファンからしてみれば「小泉今日子かー」という彼の選択に対する驚きとキョン2に対するある程度のやっかみという名の羨望は隠せないとし ても、激しく「小泉今日子の当て逃げもう一度書類送検されろ!」と、たむけんばりに罵ることは感覚的に難しいのです。それは、キョン2というアイドルの全 盛期を見て育った世代ではない人が亀梨 さんのファンのメイン層だからです。知らない人、しかも年上を罵るのは現実味がありません。亀梨本人よりも手の届かない、つうよりはよく分からない存在で あります。

そして何より話題性抜群であります。もちろん同世代のアイドルの恋人のほうが盛り上がるは盛り上がるのでしょうが、小泉今日子というちと上の世代にも向け たアピールにもなりますし、これは素晴らしい選択でした。さぞかし爆笑問題田中裕二も驚いていることでしょう。ただ、相手が女性にも絶大な支持を得ている YOUだったりしたら亀梨さんはいきなり永世名人位を獲得するところでした。そこまでの選択には至らなかったようです。

以上、亀梨和也が名人に推挙した理由でした。なお、審議委員会の一員であるハトヤさんから「40歳の小泉今日子を手玉に取った亀梨はさすがNO1ホスト だな。いくら貢がせたんでしょうか」という意見は却下されましたことを付け加えてお伝えいたします。


・本日の取組結果
「ヅラを脱いだ姉歯元建築士」対「痩せて長髪になった堀江元社長」の取組結果をお伝えいたします。

あくまで「頭を丸めた」ことになった姉歯さんに対して逮捕時がいかに肥えていたかがよく分かる堀江さん。難しい取組ではありましたが「とくダネ!」の小倉 キャスターに与えた衝撃度で姉歯元建築士に軍配が上がりました。おめでとうございます。



YOUが「どっちの料理ショー」で今まで20戦全勝だったという事実。
今回初黒星だったようだが、それにしても強すぎ。


4/26
エンタテインメントと言ってはまずいかもしれんけど

「アンテナ22」の万引きGメン特集を見る。

「アンテナ22」の前身である「スーパーテレビ」時代から万引きGメン特集は好物であり、見れる限り見ることにしている。たまに「警察24時」やTBSの 昼番組「きょう発プラス」あたりでも見ることが出来るけども、なんと言っても万引きGメン特集のやつが一番面白い。

万引きは刑法235条に定められた立派な窃盗罪に該当するわけで、勿論行ってはならない。けども万引きは「見つかっても金さえ払えば許してもらえる」とい う間違った認識でもって、中学生や高校生がゲーム感覚で、老人が年金暮らしでは足りない分を、そして主婦は半ば病気のように万引きという窃盗を行うのであ る。

一人一人が盗んでいる金額は微々たるものかもしれないが、店側からしてみればその被害額は甚大。そこで出動するのが万引きGメン。主に女性が多いのだけど も、彼らは実際に万引き犯が品物を盗むところを確認し(現認と呼ばれる)、レジで会計をせずにそのまま外に出たところで確保する。現行犯であれば誰でも逮 捕することが出来るという刑訴法に基づいた行動をしており、逆に現認が出来なければ現行犯の立証が出来ずに確保も出来ない。手順を踏むことは大事なのだ。 だからこそ、Gメンは現認に命を懸けるのである。

番組の序盤では、どこの番組でも見たことがあるノーマルな確保のシーンから始まった。これは見慣れた光景であり、泣き崩れる主婦の姿がデジャビュのように 流される。今回番組が取り上げたのは、万引き常習者の確保である。素早い動きで万引きを行いすぐさま外に逃げるという通称「マッハ」と、万引きする品物を 全く関係のない場所に一度置いてから盗みを繰り返す「チャリ」という行動をする「チャリ少女」を確保するという展開。

最初に登場したGメンの女性二人が「マッハ」と「チャリ少女」の確保を試みるも、あえなく失敗。相手は強敵なのだ。そこで登場したのがベテランGメンの女 性。この女性が驚くべきパワーを持っており、店内巡回に際に扮する変装は、あまりに完璧すぎて面白い。しかし、このベテランGメンは面白いだけでなく、 ちゃんと「マッハ」「チャリ少女」ともに確保をしてしまうのだ。しかもチャリ少女に至っては犯行前に話し掛けるという離れ技までやってのけたのだ。ベテラ ンGメン、恐るべし。

とまあ、怒涛の展開で番組は終了したのだが、見終わってふと思ったことがある。

最近でこそ生活難から万引きをする人間が増えてきたらしいが、従来の万引き犯は決まってお金を持っているにも関わらず万引きを行うらしい。生活のために盗 むのではなく、スリルのためだとか自分の欲しいものを盗むだとかいう「ゲーム感覚」が万引きにはあるようだ。自分は小心者なので万引きをしたことはない が、確かに小学生や中学生の頃、「なんでそんなもの盗むんだ」というようなものを万引きしてきて自慢しているヤツはいた。修学旅行先で木刀万引きしたやつ もいた。万引きはいわばゲームなのである。

それに対して、万引きを取り締まるGメンのほうはゲームではなくマンガチックなのである。

もちろんGメンは立派な職業であるからゲーム感覚で成立するものではない。しかし、万引き犯の名前を認識しやすいようにニックネームで呼んだり(前述の 「マッハ」「チャリ少女」など)、並の保安員では歯が立たない万引き犯に対して、ベテラン保安員が出てきて見事に万引き犯を捕まえてしまうあたり、どうに もヒーローもののマンガのような感覚に陥る。目から光線こそ出なかったものの、万引き犯を捕らえるためのテクニックは必殺技そのものである。今回登場した ベテランGメンの変装は正直「クロサギ」の山下の比ではない。

犯罪を犯すほうがゲーム感覚なのに対し、犯罪を取り締まるほうの構図はまるでヒーローマンガ。これをまとめて放送している「万引きGメン」の番組が面白く ないわけがないのだ。もちろん仕事にしている人々、そして被害を被っているスーパー側からすれば安易に「面白い」だなんて言ったら怒られるかもしれないけ ど、正直こんなにエンタテインメント性のあるものは、世の中にそんなに多くない。

万引き犯なんて全部警察に通報されてしまえ、と思う自分がいる一方で、「もっとキャラ立ちした万引き犯よ登場しろ!」と願ってしまう自分がいるのも確か。 不謹慎ではあるかもしれないけど、万引き犯とGメンの戦いは極上のエンタテインメントである。





4/25
まさに「説教がききたい」のだが

「説教がききたい!」というNHKの番組を見る。

「説教」と聞いてイメージするのは、部活の先輩が後輩に向かってダメ出しをする姿、もしくは居酒屋でオッサンの上司が部下に向かってクダを巻く、つうイ メージではないだろうか。どっちにせよあまりいいイメージではなく、ひたすらに鬱陶しいものという認識だろう。

しかし、元々説教というのは「教えを説く」わけで、先輩がダメ出しするための言葉ではなく、偉い人が教えを説くことを指す。今回見た番組「説教がききた い!」は、熊田曜子が臨済宗の偉い和尚に人生相談をするという内容で、まさに後者の意味での「説教」なのである。

前者の意味での説教をたれる番組としては、テレ東で放送されている「怒りオヤジ」(現在は3)があり、おぎやはぎだったりカンニング竹山だったりが、その 回に登場する「挑戦者」に対して前者の意味での説教をかます。彼らの説教の内容が特に優れているわけではないけども、挑戦者のダメっぷりを考えると彼らの 説教も妙に面白く感じるという番組。これはこれでちゃんと番組として成立しており、たまに見ると面白い。

一方でこちらは後者の意味での説教。和尚が熊田に禅の説法を交えつつ相談に乗る。最近読んでいる小説にもやたらと坊さんが沢山出てくるせいもあってか、こ の「妙な取り合わせ」と「単純にどんな説教するのか聴いてみたい」という好奇心でもって番組を見てみた。

感想としては、イマイチであった。なぜなら、自分が好奇心を持った2つの点をこの番組はどちらも満たしてくれなかったからだ。

まず「妙な取り合わせ」であるが、妙な取り合わせである意味がなかった。アイドルと坊さん。ま、説教なのだから坊さんは必須だとしても、そこにアイドルを 持ってくることに何らかの意味があり、そこがこの番組の面白さの肝になるのではないかと自分は考えていた。しかし、番組は単純に熊田曜子というアイドルの 起用に関して「若者の代表」程度にしか考えていなかったようだ。これがつまらない。

なぜこんなことを言い出すのかといえば、番組中で確かに熊田は「アイドルとしての自分」に主眼を置いて相談を持ちかけるのだけども、それはアイドルという 職業の特殊性がある相談では実はないからである。熊田本人はアイドルであるゆえの悩みだと思っていたのかもしれないけど、それは堂本剛よろしく勘違いの産 物である。熊田の「アイドルだから勉強ができないと思われる」という悩みは、マジメな女子高生の「イマドキの女子高生はチャラチャラしている」というレッ テル貼りに悩んでいるのと同じであり、その悩みを女子高生ではなく熊田に代弁させたに過ぎない。

他にも熊田がした悩み相談は自分のアイドルという立場に置き換えて話はしているが、どれもこれも「アイドル(熊田)特有」ではなく、20代女性としての悩 みであった。つまり、熊田が熊田である必要、熊田が「アイドルという立場」として呼ばれた必要を自分は感じなかったのだ。せっかく熊田というアイドルを呼 んだにも関わらず、熊田である必要がない。これは非常に勿体無い。熊田を起用した理由が単に「熊田ファンが見るから」程度の言い訳になってしまう。

もしこれが熊田ではなく、もっと頭の悪いアイドルであったならば「今の若者を象徴するようなバカの権化としてアイドル」というステレオタイプ的なアイド ル・若者の捉え方で別の説明が出来たのかもしれないけど、熊田はそんなにバカでもない、むしろ真っ当な考え方を持っている20代の若者であったから余計に そう 思えてしまったのかもしれない。

また、和尚も和尚で説教がつまらないのである。

「説教ってのはつまらないもんだろう?」と思う方も多いかもしれないが、本当にいい説教というのは面白い。勿論説教にオチがついているという意味ではな く、その含蓄や語り口が妙に味があって説得的であったりして、さらにはその教えまで説く。要するに聞いている人間の心を掴むのだ。今回自分が期待したのは 当然に「面白い説教」だったのだけども、どうにもつまらない。

そもそも対談形式であることが説教としての面白さを削いでいる。説教とはいわゆる一人話芸であり、他人の話を聞きながらするもんではない。だから、 今回登場した朝比奈和尚の説教は本当はすげえ面白いものだったのかもしれないが、少なくとも画面上からはその面白さがちっとも伝わってこなかった。

いや、はっきり言ってしまえば話の内容もつまらなかったのだ。先ほど「熊田がアイドルという立場である必要がない」と書いたけども、こちらも和尚が和尚で ある必要があまり感じられなかった。一応最後には禅の考え方である「両忘」を説いたけども、和尚が和尚である必要があったのがこの部分だけであり、あと はそこらへんにいる含蓄のある老人の言ってることとさほど変わりがない。どこでも聞けそうな話。前者の意味での説教に近い。だからこそ退屈なのである。

「坊主がアイドルに説教」という異種格闘技のような魅力的な文言も、蓋を開けてみれば「しっかりとした考えの若者と含蓄のある老人の対談」という平凡な マッチメークでしかない。自分は「坊主がアイドルに説教」だからこそ見たのに、「若者と老人の対談」では何の意味もない。NHK教育あたりがひっそりと放 送して、老人が若者を諭す姿を見て、そういうのが好きな人間がオナニーすればいいだけの話だ。自分はアイドルという特殊な職業に対応した本格的な説教をす る和尚の姿が見たかった。


「アイドルmeets和尚」とは番組の冒頭に出てきたテロップであるが、このテロップが一番面白かった。こんな些細な点ではなく、いくらでも面白くなる要 素 を孕んでいる素材だったのに、結局は至極NHK的なものでしかなかったのは非常に惜しい。



「スマスマ」のビストロでタモリが料理を。
徹子の部屋で徹子にも出していた冷汁で勝利していたが
正直なところ、見たことない料理を作ってほしかった。


4/24
笑点レボリューション21

その一報が入ったのは23日朝。

円楽が遂に笑点を勇退するという。後任の司会には歌丸、さらには新メンバーの発表もあるとの話だ。

早朝完全に気の抜けた状態でテレビを見ていた自分は驚いた。円楽5月勇退報道は以前にもなされていたけども、ここにきて5月以降は新体制で笑点を放送して いくという方針を明確に打ち出したのである。なわけで、自分は「誰が新メンバーなのか」という情報を心待ちにして土曜を過ごしたのである。

新メンバーは春風亭昇太だった。

昨年10月に円楽が脳梗塞で倒れた際に新メンバー予想をしたのだが、誰もが思いつく予想でもって春風亭昇太と書いたがそのまま実現してしまった。ま、誰が 考えても今の落語界においてメジャーでまだ若め(46だけど)な昇太以外に適任がいるとも思えず、ごくごく妥当な判断だったと思われる。あと、たい平もこ のまま正式メンバーとして迎えられるようだ。こん平の復帰の目途が立たない以上これも妥当な判断である。

こちらの予想を覆すようなサプライズ人事があると密かに期待していたのだが、終わってみれば歌丸司会就任も含めて全てが妥当すぎる判断。笑点という番組の 性質を考えれば当たり前なのかもしれない。ただ、歌丸の名解答っぷりが見られなくなるのは一抹の寂しさはある。あとこの先どれだけ元気なのかという点も不 安なのだけど。

特にオチがあるとかいう話ではなく、単なる報告でした。


・「家族たちの明日〜尼崎列車事故から1年〜失われた平穏な生活の大切さ」
全部見たわけではなく、最初の1本だけ。単に吹石一恵目当てとも言うけど。

どうも自分は捻くれた人間であり、この手のドラマを作り手の思惑通り見てしまうことに抵抗がある。1本目の主人公は将来教師を目指している大学生の方の話 で、夢や希望に溢れていたが事故によってそれら全てが奪われてしまったという話。確かに事故が大学生の方の将来を奪ってしまったのは間違いがなく、その点 に関しては十分気の毒に思うのだけども、どうして「夢や希望を断たれた人の話」なのだろうか。

こんなことを言ってしまえば身も蓋もないのだけども、あの事故で亡くなった方全てが夢や希望に溢れていたわけでもないだろうし、おそらく2、3本目に放送 されたような感動的なエピソードがあるわけでもなかろう。そういう人々も等しく亡くなっているにも関わらず、このようなドラマでもって「この事故はこのよ うな人々の命を奪った」という話にしてしまうのは、事故で亡くなった方々の命を平等に扱っていないような気がしてならない。そういうエピソードがある人、 ない人の命を根こそぎ奪っていったという話にしてはじめて意味があるように思えるんだけど、それじゃドラマとして成り立たないんだろうな。


・クロサギ
小山慶一郎が演じていた結婚詐欺をする男、5年ぶりに会ってちょいと飲んだだけなのに「親友」というのはなあ。いや勿論高校時代の背景を考えれば友人であ るだろうけども、ドラマを通じて描きたかったと思われる「親友を裏切ってまでも詐欺師を憎む」という文脈を説明するにはちょっと説得力不足だったかな、と 思う。そもそも第2話でやる話じゃないような気がするんだが。






4/21
早くも第2回募集

「TVチャンピオン ゆるキャラ日本一決定戦」を見る。

TVチャンピオンの番組内で「ゆるキャラ王」の開催が発表されたときから待ち遠しくてたまらなかったこの企画がついに放送される。ここ数週で地方予選の様 子が放送されていたようだけども、ここ数週は見ていなかったので全然知らなかった。ま、別に見ていなくても何の問題もないのだけど。

自分の趣味を造語にする才能があるみうらじゅんが名づけた「ゆるキャラ」。番組では「郷土愛」だとか「癒し」だとか、体のいい言葉でもって、あくまで「日 本一」を決める大会となっていたが、以前からゆるキャラが何たるかを知っている人間(ていうか今回の放送を好き好んで見た殆どの人)からすれば、「ゆる キャラ」と は「あまりにユルくてダメなキャラ」のことであり、日本一に選ばれるのは大変名誉であって不名誉なのである。にも関わらず日本一になるために沢山エント リーしているんだから、これまた面白い。

番組は終始ユルかった。当然である。

第1ラウンドが一番厳しく、一般人100人のうち70名以上の支持を得ないと脱落。これが純然たる「ユルさ」の審査になるわけで、ここを通過できなかった キャラは逆に「ユルくない」ということで自信を持っていいのだ。みうらじゅん本人がそのようなフォローを入れていたのがまたおかしい。

第2ラウンドは50M走(しかも審査員の温情で復活あり)、第3ラウンドは2択、そして決勝は相撲という完全なるユルさである。正直最後の相撲なんてのは キャラがゆるいかどうかが問題ではなく、単に動きやすいかどうかと中に入っている人の運動能力だけである。これで優勝が決まってしまうんだからそりゃゆる い。わざとユルい決勝にしたとしか思えないけども。優勝したのが最後の最後まで殆ど動かなかったキャラというのもまた素晴らしいオチだったと思う。

単純に「ユルいだけ」を決めるのであれば、番組内でも「ゆるキャラ界のカリスマ」と紹介されていた鳥取県庁のマスコット「トリピー」、もしくは広島の「ブ ンカッキー」あたりが最強なのであろうけども、あくまで最後は相撲で決めるというユルさが最高。

なぜ呼ばれていたか不明だった坂下千里子はともかく、安斎肇、糸井重里、みうらじゅんという審査員も鉄板でユルい。一瞬タモリ倶楽部かと思ったもの。みう らじゅんの発言は当然に的確なのだけども、個人的には糸井のマジメを装いつつ適当でいい加減なコメントがツボであった。

タモリ倶楽部でも実現しなかった最高にアホくさい企画を1時間半という枠で実現してしまったテレ東の突き抜け加減と、それを実現にこぎつけたみうらじゅん の力 量に脱帽である。これほど下らない1時間半はそう過ごせない。

しかも番組終了直後に「もう2度目はないなー」と思っていたら即座に第2回の出場者募集ですから。またやるつもりなのかTVチャンピオンよ。あんた最高に アホだぜ。ダラダラと書いてしまったが、今回の更新の趣旨は「アホ」の2文字に尽きると思う。調子にのって今度は「日本全国とんまつり選手権」でもやらな いかなぁ。男根崇拝祭りが優勝すんのね。





4/20
オーラ範疇外

「オーラの泉」に釈由美子。

この時期にレギュラー番組に出演するゲストつうのは大抵がドラマや新番組の番宣に来る人たちである。釈由美子も新ドラマ「7人の女弁護士」の番宣のために 登場なのだろうが、自分は「よくぞこの番組に釈を呼んだもんだ!」とちょいとばかし興奮した。

今でこそ釈は「英語でしゃべらナイト」で英会話を披露してみたり、「スカイハイ」「修羅雪姫」なんかで質の高い演技を披露したりしているが、デビュー当初 はグラビアを中心に活躍しており、初代ワンギャルなんかも務めていた。そして何より目立ったのが「おっさんの妖精を見た」だとか「電車とホームの間に落ち た」だとか「電車のドアに挟まれて鼻を骨折した」だとか、珍エピソードやら謎にメルヘンな発言が多かったことである。

今の活動を考えれば、当初の珍発言は「キャラだった」ということに収まるのかもしれない。最近の彼女から珍エピソードが語られることもないので、素直に方 向転換したと考えるのがごく普通なのだろう。だから今回もデビュー当時の珍発言キャラはなかったことにして今回マトモにオーラ診断をされるんだろうと勝手 に踏んでいた。しかし、テレビ雑誌を見るかぎりでは釈の口からジャージのおっさんの妖精の話がされたことが書いてある。これは見なければ、と思ったのだ。

番組はいつものように始まり、いつものように終わった。今回江原が見た過去は相当複雑だったようで、途中声を詰まらせる場面があって(江原の顔が)面白 かったのだが、あとはまあ普通。美輪明宏のナイス(なのかどうかよく分からないけども、最後に江原が「その通りです」とまとめていたのだからおそらくナイ ス)サポートに助けられ、釈のオーラを解析していた。19歳で今の自分にようやく生まれ変わったそうである。

さて、妖精の話であるが、これも番組中に割とすんなり入ってきた。19歳の時に人生で色々な転機があって、それ以来妖精やら声やらが聞こえるようになった と語る釈。19歳が転機だったというのは江原美輪の共通認識でもあるから、その発言は誰も否定しない。

そして「どんな妖精が見えるのか」という質問で、釈はデビュー当初から語っていた「ジャージ姿のおっさんの妖精」やら「大仏の妖精をシャワーで流した」だ のという、珍メルヘンの話を普通にしたのである。釈がこの話をこの番組で普通に語ったということは2つ考え方があって、ひとつは釈がデビュー当初からこの 話を作り話でもなんでもなく話していたのに不思議キャラ扱いになっていて、本人にキャラを作る気はなかったということ。もうひとつは今回もやはりキャラを 貫徹させるためにその話を押し通すことで江原美輪をおちょくっているということ。個人的には後者のほうが面白いんだけど、普通に考えたら前者だろう。

釈が唐突にこの部分だけを切り取って話をしたら、そりゃ「不思議な人」と思われても仕方がないのだけど、今回のように「人生の転機だった19歳」だとか 「それ以来不思議なものが見える」だとか、何より「不思議なものが見えることが否定されない環境」でもってこの話をした場合、何の疑問を感じることもなく 釈の話を聞くことが出来た。これは一種の魔法みたいなもんだろう。新興宗教に騙されるとはこういう感覚なのだろうか。

で、江原や美輪は必ずゲストの発言に対して何らかの反応を見せるわけで、自分は江原と美輪がこの妖精の話、とりわけ奇怪な妖精に関してどのようなコメント を残すのか非常に楽しみだった。ジャージ姿のおっさんの妖精を江原はどう説明するのか、ここが自分の最大の見所だったわけだ。

結論。ただ笑っているだけだった。拍子抜けである。

美輪は妖精の大きさを釈が説明し、国分(ようやく登場)がそれに対して反応すると「そんなもんよ」と説明をしていた。美輪も妖精が見えるということなのだ ろう。美輪が冗談みたいな妖精っぽいとは思うけど。それに対して江原は、妖精の話をする釈に対して否定するでも肯定するでもなく、ただ釈がする面白妖精エ ピソードに微笑むばかりだったのである。「まあそんなこともあろうかいな、ハッハッハ」と言わんばかりに。もしかしたら本当は何か発言したが編集で切られ たのかもしれないが、少なくとも放送では江原が釈の妖精に関して言及することはなかった。

江原はその妖精の話が本当なのかウソなのか分からなかったのではないか、と思う。正確に言えば「自分の及び知る範囲の話ではない」と思ったのではないだろ うか。スピリチュアル言ってるけども、妖精のことまでは知らん、という印象を受けた。要するにオーラの範疇外である、と。

得てしてこういう人生相談を行う人ってのは、占いをベースにして相談を行うので、「自分に分からないことはない」という姿勢で相手を諭すケースが多い。細 木数子がいい例である。それは必ずしも悪いことではなく、相手がそれを聞いて安心するのであれば方便でも構わないものだろう。「科学的な」根拠のないもの を根拠に話をすすめているのだから、その話を最終的に相手に信じ込ませるには方便だって構わないのである。だから全てが見えていると振舞ったって問題はな い。けど、そこにゆらぎが生ずると信憑性は一気に落ちる。

江原はスピリチュアルを根拠に人生相談を行っているが、占いではないから「全てが見える」必要はない。スピリチュアルなものは見えるけども、それが全てで はないからである。だから、スピリチュアルな観点において知らんことは知らんし、見えないものは見えない。すなわち妖精に関しては江原は知らないし、見え なかったのだろう。妖精はスピリチュアルとは関係ない、つうことなのではないか。

妖精はオーラの範疇外。結論としてはごく単純であるが、一番オーラが得意としてそうな、というよりは得意分野のような気がする「妖精」なんてものを華麗に スルーした江原。ウソでもいいから妖精についての薀蓄をたれて欲しかった。結局のところ釈が見たおっさんの妖精の説明・意味付けは、ドンキホーテに大量に 積まれていた「釈お酌」なみに放置されたままである。



「はねるのトびら」でバレンタインにやった女装企画再び。
好評だったのは分かるんだけども、前の放送から2ヶ月というペースは
あまりにも早すぎる。好評企画だからこそ大事にすべきだったのでは?
どうもここらへんの感覚が分からん。それとももう番組終わるのか?


4/19
奇跡に近い

ドラマ「ちびまる子ちゃん」を見る。

アニメ「ちびまる子ちゃん」が15周年を迎えるということで実写化が持ち上がり、この度めでたく放送されたわけだが、掛け値なしに面白かったと思う。5段 階評価なら4.5はあげていい。

ストーリーが面白いことはこれ言うまでもない。なにせ15年アニメで放送してきて、その中から珠玉の3本(と表現していいと思う)を選んでドラマ化してい るんだから、そりゃ面白いに決まっている。元々はほのぼのとしたマンガであるけども、泣かせの要素がある物語をドラマ化するあたりなど、きちんとドラマで あることを意識して作っているというのが見えているし、この点に関しては何ら問題がない。

何より一番凄かったのはキャスティングだろう。

番宣の段階で「そっくり」を強調していたので改めて驚くことではないのかもしれないが、主人公まる子を演じた森迫永依をはじめとして、キャスティング全て が「正解」だった。勿論探せばもっと適役はいるのかもしれないけど、「これはちょっと違うかな…」を思える部分はなかった。隅から隅までまあ、ほぼ完璧だ ろう。自分が以前ここに書いたときに危惧していたモト冬樹も終わってみれば全然何の問題もなかった。すっかり友造。

アニメを実写にするときは「いかに似せるか」が重要だと書いた。いかに「現実の人間」としてはリアリティがなくとも、アニメを実写化する場合にはまさにア ニメから出てきたかの如く人間が動いてなければならないわけで(実写のものをアニメにするときとはまた違った理屈であるように思える)、その点今回の実写 化は変にリアリティがなくよく出来ていた。

極端な話をすれば、その非現実性は「髪形」に集約されるだろう。まる子の完全オカッパもそうだけども、花輪君や永沢君の髪形は完全にアニメのそれである し、一見普通の髪形だと思えるヒロシの髪形も実は一癖アクセントがあり、これがアニメだとそう気にはならないけども、現実の髪形にすると妙におかしい。け ど、そこを真正面から変なまま再現したのは間違っていなかったと思う。

アニメがあくまで「アニメーションというデフォルメされた世界」の物語ではなく、現実として動いているという発想の逆転だろう。実写のものがアニメ化され たものをまた実写化するという考え方ではなく、そもそもアニメになっているものが実写を切り取ったものだ、という考え方。だからこそあの物語であの髪形は 有効なのだと言えるのではないか。まあ、似ていて面白ければそれでいいんだけど。

ただ、まる子を演じた森迫永依の演技はアニメだった。これが意外すぎるくらいにアニメ。自分は最近アニメのほうを殆ど見ていないので、あまり大きなことは 言えないのだけども、実際のアニメでは今回ドラマで森迫が演じたような喜怒哀楽の表情をまる子が見せることは無いように思える。もちろん感情表現はあるの だけども、森迫が実際に行ったような表情は見せていないはず。にも関わらず森迫が演じた感情表現はアニメ的なのである。

実写化という作業がアニメをいかにそのまま実写にトレースするか、という点に腐心していたにも関わらず(それは空気感含めて全て)、唯一森迫の演技だけが アニメを忠実に再現したのではなく、アニメを超えた「実写化」でしか為し得ない豊かな表現をしていたのだ。にも関わらず、その豊かな表現がなぜか非常に 「アニメ的」だったのである。アニメにはなかったはずなのに、なぜかアニメがアニメたらしめているような感情表現を実写になったときに再現ではなく創造し ているのである。これは凄いことではないか、と。

漫画がアニメになったり、アニメが実写化になったりという際には、後発のものは先に支持を得たものへの愛着から批判され「原作とアニメは別物」だなんて 言って揶揄されることが少なくない。実際に全然別物の場合もある。しかし、今回の実写化に関して言えば「ほぼそのもの」であり、むしろ自分は森迫が見せた アニメのような表情がより「ちびまる子ちゃん」という世界をアニメたらしめたという点において、進化しているのではないかとすら思った。これは奇跡的なこ となのでは、とすら思う。

2時間で3話という構成だったが、非常にそっくりだった今回の登場人物をこのまま単発で終わりにしてしまうには、あまりに惜しいクオリティの高さだったと 思う。しかし子役というのは子供であるから日々成長してしまうわけで、今のこのそっくり状態がいつまで持続するのかは正直分からない。だからこそ、個人的 には今年中に即刻連ドラ化をして、この奇跡のようなキャスティングでもってドラマを1クール作るべきだと思うのだ。2作、3作と続ける必要はない。デカす ぎるハリーポッターを見る必要はない。けども、今のこの奇跡の実写化をこれだけで終わらせるには、あまりに勿体無い。是非とも7月クールから3ヶ月だけで も連ドラでこの奇跡を見てみたいもんだと思う。それだけの出来だったと絶賛しておく。





4/17
優勝による影響

最近博多華丸をよくテレビで見るようになりました。

「細かすぎて伝わらないモノマネ」で披露した児玉清で一躍そのモノマネを全国に知らしめた博多華丸であるけども、今年に入って「R-1ぐらんぷり」にて優 勝したことで、一気にその名前がメジャーになった。なもんで、どこの番組に呼ばれても披露するのは「アタックチャンス!」であります。

これで片方だけブレイクしたらどうしよう、というオンバト時代から彼らの存在を知る自分としては、そして何より長年福岡吉本で活躍してきた彼らのことをよ く知っている九州のみなさんからすれば、「博多華丸・大吉」としてコンビで出演する機会が増えたことは喜ばしいことでしょう。ただ、彼らが漫才を披露して いるのは最近見てないのが気になるところではある。

先週の金曜からは「ごきげんよう」に出演しているし、日曜は「アッコにおまかせ!」に出演していた。ただ、「アッコ」では鉄板だったはずの児玉清のモノマ ネが和田には通じなかったようで、周囲がフォローするという事態にも。これは自分からしてみれば和田が悪いだなんて少しも思わず、そもそも「細かすぎて伝 わらないモノマネ」であったはずの児玉清が一気に全国区で受けているということのほうが驚くべき事態なのであって、和田のような「何が似ているのか、面白 いのか分からない」という反応は、実は必要なのではないかと思っていた。あまりにも皆普通に笑っているほうが実はおかしい。

だって、そんなにそんなに、皆「アタック25」を見ているのか、という話である。

勿論これだけ長く続いている番組だから、一度くらいは目にしたりはしているだろうし、児玉清がどんなニュアンスでもって「アタックチャンス!」と言ってい るのかは記憶のどこか片隅にある人が多いのかもしれない。しかし、「アタック25」を全然見たことがない人のほうが自分は多いのではないかと思ってしま う。日曜の昼間と言えば、究極にヒマな人がテレビを見る時間帯であって、やれレジャーだやれ買い物だと有意義に日曜を過ごしている人はアタック25を見て いなくたって不思議ではない。

ただ、これだけ博多華丸がメディアに露出してくると、逆転現象が起こる。今までは「アタック25」を見てた人が博多華丸のモノマネで笑っていたが、博多華 丸のモノマネを見てからアタック25を一度見てみようと思う。これは非常に良い現象だ。アタック25の児玉清のモノマネでR-1優勝という成果をもぎとっ た博多華丸が、今度はメディア露出で児玉清のモノマネをやることで「アタック25」の視聴率に還元する。理想的である。

しかし、実際に「アタック25」の視聴率が上がったかどうか、定かではない。調べれば数字も出てくるんだろうけども、誰もアタック25の視聴率なんぞ気に しないのであろう。情報を探すのにも骨が折れる。だから実際の数字が上がったかどうかは知らない。

けども、ひとつだけ博多華丸のモノマネが確実に「アタック25」本体にもたらした影響がある。それは「ステレオ化」だ。

「アタック25」は長いことモノラル放送であった。普段その放送がステレオであるかモノラルであるかということは、音楽番組でもないと意識しないのかもし れない。自分の場合は自宅のビデオデッキがステレオ放送を利用したCMカット機能を有しているため(CM放送は必ずステレオなので、番組がモノラル放送の 場合はステレオ放送に切り替わった場合にビデオの録画が停止するという機能。つまり番組がステレオ放送だとCMカットの機能が使えない)、自分は必ずビデ オ録画をする場合は番組の音声がステレオかモノラルか確かめる。

日曜は出かける用事があったので、「アタック25」を録画して外出した。アタックは以前から度々録画しているので、モノラル放送だということを知っていた ため、ろくに確認もせずCMカット機能を作動させてしまったのだが、帰宅してからビデオを見てビックリ。なんと録画が成功していないではないか。おかしい と思って新聞を見ると、なんとそこにはステレオのマークが。

そして更にいつからステレオ放送になったか調べてみると、先週からである。ここにも一言コメントで書いたのだけども、先週はたまたま見逃してしまい、ステ レオ放送になったことに気づいてなかったのである。これは痛恨の極み。

正直、アタック25がステレオだろうがモノラルだろうが大差はないと思っている。児玉清の「アタックチャンス!」の声がより迫力を増すことになるだろう が、それは大筋で番組に影響は与えない。ただ、放送開始から30年を経てモノラル放送からステレオ放送に切り替えたということは、「アタックチャンス!」 という声をより迫力あるものにすることで「博多華丸のモノマネを見てアタック25を見ようと思った人」により楽しんでもらおうというサービス的措置なので はないか、と思うのだ。放送開始から31年、急にステレオ放送にする意義がそれ以外に思い当たらない。

アタック25の放送は、児玉清のモノマネをする博多華丸に浮上のチャンスを与えた。そして博多華丸はアタック25に対してステレオ化のきっかけを与えた。 博多華丸が受けた影響に比べれば与えた影響は微々たるもんだけども、この地味なパワーアップ加減こそが「アタック25」なのでそれでいいと思う。



50万ヒットありがとうございます。
これは確実に何かやらせていただく予定なので
気長にお待ちください。100万まで待たせないように善処します。

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