兵器外観
名称 80cm列車砲
型式
製造国 ドイツ
製造メーカー クルップ社
配備国 ドイツ
製造初年 1941年
口径 800 [mm]
口径長 40
砲身長 32480 [mm]
全長 42970 [mm]
全高 11600(走行姿勢) [mm]
全幅 7000 [mm]
全備重量 1345000 [kg]
腔箋 有り
砲身材質
砲口制退機 無し
砲身命数 300 [発]
閉鎖機
平衡機
駐退複座機 本砲は、5軸10輪の台車8台によって支えられているが、発射時の反動は、駐退複座機とともに、この台車が吸収するように設計してある。
最大駐退力 [kg]
後座長 [mm]
照準具
上下射角 -0〜+65 [deg]
水平射角 砲は、砲架・台車に固定してあるが、複線の曲った線路を敷設し、それに乗って台車ごと角度を変更できる [deg]
最大射程 47000(榴弾射撃において)、37000(徹甲弾射撃において) [m]
装薬
射程距離 [m]
公算誤差
砲口初速 820(榴弾射撃において)、700(徹甲弾射撃において) [m/sec]
発射速度 4 [発/hour]
砲弾 榴弾徹甲弾
操作人員 350(射撃要員) [人]
布設所要時間  輸送は、分解された後、特殊な3編成の貨物列車により行われる。また、砲の部品の他に、組み立て用の25トンクレーン、専用動力供給車(MAN社製1050HPディーゼルエンジン搭載)なども同時に輸送される。輸送組立要員は1500名、輸送に要する期間は3〜6週間、組立てに要する期間は3日間である。
説明 ●開発
 本砲は1935年に、フランスのマジノ要塞線の攻略用として、クルップ社により開発が開始され、3門を製作する計画であった。しかし、開発の遅れから、対フランス戦には間に合わず、1番砲のグスタフが完成したのは1941年であった。2番砲の名称はドーラで、3番砲は完成しなかった。なお、1番砲の名称グスタフの由来は、当時のクルップ社の会長の名前であり、2番砲の名称ドーラの由来は、設計者のエーリッヒ・ミューラー博士の夫人の名である。
●運用・編成
 1番砲グスタフの列車砲部隊(R・ベーメ大佐指揮)は、砲指揮所、管理部隊(保守・点検・修理などを実施)、射撃部隊(350人)を含めて砲の運用要員は500名である。この他に、情報・偵察・観測部隊、組立・撤去部隊、対空2個大隊、警備部隊など、合計で4100名もの将兵が従事していた。
●戦歴
 1番砲グスタフの初陣は、1942年6月のフォン・マインシュタイン元帥指揮のドイツ第11軍による黒海沿岸のセバストポリ要塞の攻略戦である。攻略戦では、要塞前面に本砲を含む火砲1300門およびロケットランチャー576門が投入され、本砲は、7つの主要目標に、5日間で48発の砲弾を発射した。その内スターリン要塞へ8発、モトロフ要塞へ8発が命中し、他の1発は断崖下30mに設けられた「白崖弾薬庫」へ命中、これを粉砕した。その後、クルップ社の実験場へ後送され、腔箋を切り直し、発射実験を行なった結果、砲身寿命は300発であることが判った。
2番砲ドーラは1942年にスターリンググラードへ投入されたが、ソ連軍の反撃が開始されたため、早期に撤退した。その後、1942年末にレニングラード包囲戦に投入されたとされている。この後、リューゲンヴァルド実験場へ後送された。
 第二次欧州大戦終結後の1945年5月に80cm列車砲の部品が連合軍将兵によりババリアやライプチヒで発見されたが、これらは3番砲の部品であったと言われている。 
参考文献 ・「WW2 VOL.7 クルスク機甲戦」 学習研究社
・「ドイツの傑作兵器駄作兵器」 光人社NF文庫 広田厚司
参考website ・「LES CANONS DE L'APOCALYPSE」 URL:http://html2.free.fr/canons/index.htm

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2001.8.25更新 榴弾砲format_v0.5