| 兵器外観 | |||
| 名称 | 制式名称:短二十糎砲(短20cm砲)[Short 20cm gun] | ||
| 型式 | − | ||
| 製造国 | 日本 | ||
| 製造メーカー | 呉海軍工廠 | ||
| 配備国 | 日本 | ||
| 製造初年 | 1943年(昭和18年) | ||
| 口径 | 202 | [mm] | |
| 口径比長 | 12 | ||
| 砲身長 | 2.4 | [m] | |
| 全長 | − | [m] | |
| 全高 | − | [m] | |
| 全幅 | − | [m] | |
| 重量 | 全体:3750kg 砲身:630kg 砲鞍+砲架+照準器:3120kg |
[kg] | |
| 腔綫 | − | ||
| 砲身材質 | − | ||
| 砲身命数 | − | [発] | |
| 腔圧 | − | ||
| 薬室容積 | − | ||
| 閉鎖機 | − | ||
| 平衡機 | − | ||
| 駐退複座機 | − | ||
| 最大駐退力 | − | [kg] | |
| 後座長 | − | [mm] | |
| 照準具 | − | ||
| 上下射角 | -15〜65(旋回速度:8deg/sec、人力旋回) | [deg] | |
| 水平射角 | 360(旋回速度:8.6deg/sec、人力旋回) | [deg] | |
| 射程距離 | 最大射程:6500m 最大射高:3500m |
[m] | |
| 装薬 | − | ||
| 公算誤差 | − | ||
| 砲口初速 | 310 | [m/sec] | |
| 発射速度 | 標準:3発/min | [発/min] | |
| 砲弾 | 高射(零式時限信管):通常弾、阻塞弾、焼夷弾、焼霰弾 平射(対潜信管、八八式信管ニ型):通常弾、演習弾 高射・平射兼用(四式信管):通常弾 對潜(対潜信管):対潜弾 (火管については、いずれも莢一号撃発火管四型を使用) |
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| 操作人員 | 9人 | [人] | |
| 布設所要時間 | − | [min] | |
| 説明 | 本砲は、大東亜戦争末期に、日本海軍が開発した砲である。本砲は、一次史料(例えば、「砲こう兵器、火工兵器取扱整備参考資料」横須賀海軍砲術学校、昭和19年2月)での分類から高角砲と称されるが、性能的には、ほとんどその用を為さなかったと考えられる(この見解については、後述の「本砲の用途について」を参照のこと)。 本砲は、沿岸砲として使われた他、商船にも搭載された。20cmという大口径に12口径比という短砲身の砲で、榴弾威力は大きかったものの最大射程は6500mと短かった。本砲は、グアムやサイパンに配備され、米軍の上陸部隊への攻撃に使用される予定であった。一方、WebSite「帝國海軍への鎭魂頌」(URLは参考WebSite参照のこと)の記述によると、1944年(昭和19年)2月15日の海軍大臣訓令では佐世保海軍工廠の担当で、グアム島に24門が据付けられる事になっていた。しかし、グアムへの米軍上陸約2ヶ月前の5月29日の時点では1門も据付けを完了していなかったとのことである。7月21日の米軍上陸までの何門が稼働状態であったかが疑問に残る。 また、同ページには、第54警備隊司令 杉本 豊海軍大佐が自決前に、1ヶ月間におよぶ戦闘結果や戦訓として次のようなことを報告したとの記述がある。 *** 引用ここから *** 1. 撃墜確実三四三機、不確実一四二機。 2. 二十五粍機銃の打針折損修理延べ一三○○本、新製一○○本。 一銃当たり一○本以上の補用が必要。 3. 対上陸戰闘には短二十糎平射砲よりも 大口径徹甲機銃の方が有効。 4. 防空掩蓋不十分な平射沿岸砲は無力で、上陸船団に対しては 水中魚雷発射管の研究要。 *** 引用ここまで *** この文を読む限り、本砲のような防空掩蓋が不十分かつ低初速の砲は、対上陸戦闘には不向きであったと推察される。「大口径機銃の方が有効」とは、同じくグアムで使用された九六式二十五粍聯装高角機銃か、それ以上の口径の機銃があれば、もっと戦えたとの回想であろう。結局のところ対上陸戦闘では、制空権も確保できていないであろうことから、対空戦闘も可能な対空機関砲が求められ、その機関砲の徹甲弾は、上陸用舟艇への攻撃にも、上陸した歩兵や戦車への攻撃にも充分に効果があるということであろう。 短二十糎砲と短十二糎砲の合計製造数は、「横須賀海軍工廠外史」(横須賀海軍工廠会編・発行、平成2年)によると、別表Aの通りである。また、同書では短十二糎砲には「一型」と「三型」、同砲用砲弾には「二号通常弾」という言葉が出てくるが、詳細等は不明である。 ●本砲の用途について 本砲の用途について、防衛大学校教授の堤明夫様よりご見解を頂きました。以下、そのメールをから引用いたします。 *** 引用ここから *** 短二十糎砲及び短十二糎砲の開発経緯については、残念ながら私の手持ちの旧海軍公式史料の中には記載されたものがありません。 戦後の一般文献では、旧海軍砲術研究の大御所 黛治夫氏が編纂の中心を担った有名な「海軍砲術史」(刊行会編、非売品)では両方の砲とも「高角砲」の項の一覧表中に 『小艦艇用量産型として大戦中に開発、装備:特設艦船・前進基地』 とあります。 また、「戦前船舶研究会」を主催しておられる遠藤昭氏の若い頃の名著「高角砲と防空艦」でも次のように書かれております。 『戦争の激化により、商船を武装するための簡易型急造用の高角砲が設計、生産された。短20cm砲、短12cm砲がこれである。』 これらの書籍ではあたかも「高角砲」が主用途であるように記述されていますが、これには私は大いに疑問を持っています。 その理由は、ご承知の通り、これらの砲の性能では対空能力は大して、と言うよりほとんど期待でない(初速があまりにも遅く、射程が短い。その割には大口径過ぎる。・・・等々)からです。 旧海軍の砲こう武器に関する米軍部内資料では、例えば短二十糎砲について次のように記述されているものがあります。 『 Weapon on which used: Short 20 cm gun. This is a short-barreled (12 cal.) gun of low muzzle velocity and light construction on a pedestal mount designed originally for use on the light decks of merchant ships. The purpose of this weapon is to deliver a relatively heavy projectile at a limited range for anti-submarine attack and to throw up low-level antiaircraft barrage.This gun fires semifixed ammunition; the breechblock is of the interrupted-thread type. It has been found mounted in shore emplacements.』 また、公式史料ではありませんが、昭和18年に横須賀海軍砲術学校の高等科学生であった某大尉(名前は伏せさせて頂きます)の講義ノートの中に、対潜弾のところで次のように書かれている箇所があります。 『短12cm・短20cm(商船に搭載し対空・対水上射撃も可能とす)に用ふる予定』 これに加えて、足の遅い商船(特設艦船)は駆逐艦の様に素早い爆雷攻撃運動が出来ないことと、米海軍の「ヘッジ・ホッグ」の様な前投対潜兵器を持たないことを考慮するならば、これらの砲は対潜水艦(浮上及び潜航)反撃用兵器としての開発が第1で、対空用(それも比較的近距離の低空飛行する雷撃機、反跳爆撃・銃撃機等に対抗)は第2の目的ではなかったかと考えております。 したがって、確かに当初は特設艦船用として開発されましたが、結局はこの砲が制式採用された頃には、もう艦船用というよりは、陸上での使用の要求の方が大きくなっていたことは否めません。(実際問題として、こんなものが一体何隻に搭載されたのか、大いに疑問です。) また、この2つの砲を陸上用として使用するにしても、先の「防空(陸上)主務幕僚勤務参考」では、既にお送りしたファイルに見られるように付録の各種表には出てくるものの、本文の方では全く出てきません。 要するに陸上対空兵器としては能力的にほとんど問題にされていなかったと考えられます。 *** 引用ここまで *** 以上から、本砲は対空用の高射砲としてはほとんど用を為さず、むしろ対潜弾としての効果を重要視するべきものだと考えられる。 |
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| 参考文献 (出典) |
・制式名称は、「砲こう兵器、火工兵器取扱整備参考資料」(横須賀海軍砲術学校、昭和19年2月)からの出典。 ・砲諸元および弾薬については、「防空(陸上)主務幕僚勤務参考」(横須賀海軍砲術学校、昭和19年10月)からの出典。 上記資料は、防衛大学校教授 堤明夫様より頂きました(感謝)。 |
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| 参考WebSite | ・「帝國海軍への鎭魂頌」 URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~taro/index.htm | ||
| 写真 | AE-1様提供(感謝)。グアム島のオンワードビーチおよびガアンビーチにて撮影。 | ||
| 作成 | − | ||
| 更新 | 2003/10/07 | ||
| 別表A 短二十糎砲と短十二糎砲の合計製造数 | |||
| 1943年 (昭和18年) |
1944年 (昭和19年) |
1945年 (昭和20年) |
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| 砲身製造数 | 230 | 530※ | 40 |
| 砲架製造数 | 230 | 230 | 40 |
| ・数値は、「横須賀海軍工廠外史」(横須賀海軍工廠会編・発行、平成2年)による。 ・※の部分は230の誤植と思われる。 |
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| 各部の写真です。画像をクリックすると、大きな写真が表示されます。 | ||
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2002.12.15更新 榴弾砲format_v0.6