| 兵器外観 |
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| 名称 |
八九式十五糎加農砲
89式15cm加農砲 |
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| 型式 |
− |
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| 製造国 |
日本 |
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| 製造メーカー |
− |
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| 配備国 |
日本 |
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| 製造初年 |
1929年 |
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| 口径 |
149.1 |
[mm] |
| 口径長 |
− |
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| 砲身長 |
− |
[mm] |
| 全長 |
− |
[mm] |
| 全高 |
− |
[mm] |
| 全幅 |
− |
[mm] |
| 全備重量 |
10422 |
[kg] |
| 腔綫 |
− |
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| 砲身材質 |
− |
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| 砲身命数 |
− |
[発] |
| 閉鎖機 |
断隔螺式 |
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| 平衡機 |
− |
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| 駐退複座機 |
− |
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| 最大駐退力 |
− |
[kg] |
| 後座長 |
− |
[mm] |
| 照準具 |
− |
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| 上下射角 |
-5〜+43 |
[deg] |
| 水平射角 |
左右各20 |
[deg] |
| 最大射程 |
18100 |
[m] |
| 装薬 |
− |
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| 射程距離 |
最大射程距離18100 |
[m] |
| 公算誤差 |
− |
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| 砲口初速 |
734.5 |
[m/sec] |
| 発射速度 |
1〜2 |
[発/min] |
| 砲弾 |
93式榴弾(弾丸重量:40.6kg、炸薬重量:7.77kg、威力半径:60m?)
93式尖鋭弾(弾丸重量:40.2kg、炸薬重量:5.47kg、威力半径:38m) |
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| 操作人員 |
− |
[人] |
| 布設所要時間 |
2車編成タイプ:運行状態から射撃状態に移るまで120分を要する。 |
[min] |
| 説明 |
●開発
本砲は、1920年(大正9年)7月の陸軍技術本部兵器研究方針により、装輪牽引式(砲身車と砲架車の2車編成式)の加農重砲として開発が開始された。1922年(大正11年)10月に設計が完了し、1926年(大正15年)には、試作砲が完成した。その後、運行試験を経て、1927年(昭和2年)に重砲兵学校での実用試験でも実用に適するとの判定を受け、1929年(昭和4年)10月に、89式15cm加農砲として制式化された。一方、制式化されたものの本砲の性能は満足の行くものではなく、改修を行う必要があった。この改修には手間取り、一応の完成をみるのは、1931年(昭和6年)10月であった。このとき満州事変が勃発し、急遽本砲2門を製造して満州北部へ送付、実戦に参加した。続いて製造された5号砲は、機能良好と判断され、制式図、製作図への修正が1933年(昭和8年)4月に行われ、改正が制定された。その後、2車編成式では布設所要時間が長いことから、単一編成式の試製単車89式15cm加農砲が研究され、相当数が整備された。
●性能・構造・運用
本砲の性能は、同時期に他国で運用されていた15cm加農砲と比較すると、重量が軽いものの、最大射程では劣っている。ちなみに、ドイツの15cm加農砲K18は、重量:12760kg、最大射程:24500m、米国の155mm加農砲M1A1は、重量:13900kg、最大射程:23100mである。
構造は、揺体上の砲身下に駐退複座機を収め、閉鎖機は断隔螺式、開脚式砲架という比較的オーソドックスなものである。ただし、特徴として、後座変換装置を採用していることが上げられる。後座変換装置とは射角により後座長を変化させ、大射角での射撃の際に砲尾が地面に衝突することを防いでいる。本砲の方式では、高低射角20度までを長後座、20〜40度までを逓後座、40度以上を単後座とし、節制桿を回転させることで調節している。ただし、最大射角では、砲尾下の地面を50cmほど掘り下げる必要があった。
牽引には、92式8トン牽引車などが使用され、牽引速度は、通常8km/h、急速度で12km/hであった。
●戦歴
本砲は試作砲から実戦に投入され、日中戦争から第二次世界大戦の沖縄戦に至るまで、多くの戦場で活躍した。
ノモンハン事件では、ムーリン重砲兵連隊装備の本砲8門を含む、大小84門の砲がソ連軍の砲兵部隊との戦闘に参加したが、ソ連軍砲兵の長射程と豊富な集積弾薬量による圧倒的火力のもと、苦戦を強いられ、多くの砲が失われた。ちなみにこの戦いでのソ連軍の集積弾薬量は、日本軍の15倍の1万8千トンという膨大なものであった。
第二次世界大戦初期の香港要塞攻略戦では、独立重砲兵第2大隊および独立重砲兵第3大隊装備の本砲16門を含む、大小129門の砲が戦闘に参加し、重砲の威力を示した。 続く、シンガポール攻略戦では、独立重砲兵第2大隊の本砲8門を含む、大小178門の砲が戦闘に参加した。本攻略戦の末期には、本砲の長射程を生かした総督官邸などへの攻撃が行われ、これが無条件降伏の大きな要因であったと言われている。バターンおよびコレヒドール要塞攻略戦では、独立重砲兵第9大隊の本砲8門を含む、重軽砲180門が戦闘に参加した。
本砲の最後の戦いは、沖縄防衛戦で、独立重砲兵第100大隊装備の本砲8門は、強力な長射程と火力で、2ヶ月以上に渡り抗戦を続けた。この内の一門が、戦後、知念村の砂中(一説には洞窟内とも言われている)から発見され、在沖縄米軍博物館に展示されていたが、1976年(昭和51年)10月に陸上自衛隊に寄贈された。その後、元重砲兵の熱心な運動により、1993年(平成4年)4月に靖国神社に移設された。なお、この砲は現存する旧日本陸軍の唯一の加農重砲である。 |
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| 参考文献 |
・「大砲入門」 佐川二郎著 光人社NF文庫 |
| 写真 |
撮影場所:靖国神社 |
| 作成 |
− |
| 更新 |
2005/04/19 |