兵器外観
名称 九六式十五糎榴弾砲
96式15cm榴弾砲
型式
製造国 日本
製造メーカー
配備国 日本
製造初年 1938年(昭和13年)5月仮制式化
口径 149.1 [mm]
口径長 23.5(砲身長より換算)
砲身長 3523 [mm]
全長 [mm]
全高 [mm]
全幅 [mm]
全備重量 4140 [kg]
腔綫
砲身材質
砲身命数 [発]
閉鎖機 螺式
平衡機
駐退複座機
最大駐退力 [kg]
後座長 1000 [mm]
照準具
上下射角 -5〜+65 [deg]
水平射角 左右各15 [deg]
最大射程 11900 [m]
装薬
射程距離 最大射程距離11900 [m]
公算誤差
砲口初速 540 [m/sec]
発射速度 [発/min]
砲弾 95式破甲榴弾、92式榴弾92式尖鋭弾
操作人員 [人]
布設所要時間 [min]
説明 ●開発
 本砲は、4年式15cm榴弾砲よりも高性能な自動車牽引用火砲として1933年(昭和8年)末より設計が開始され、1935年(昭和10年)9月に試作砲が完成した。その後、1936年(昭和11年)の実用試験において実用性が確認され、続いての冬季における北部満州での試験でも良好な成績を納め、部隊編成実用試験の後に、晴れて1938年5月に仮正式化された。
●性能
 本砲は、それまでの日本国内で開発された15cm級榴弾砲と比較すると、射程、射界、運動性、射撃精度、布設所要時間などで、良好な性能を持っていた。一方、同時期に他国で運用されていた15cm級榴弾砲と比較すると、重量がやや軽く、最大射程ではやや劣っている。砲身は自己緊縮砲身で、日本では15cm級では本砲が最初にこの方式を採用している(より口径の小さな砲では、すでに試験済みであった)。この自己緊縮砲身の採用は、本砲の重量軽減に大きく貢献している。その他に特筆すべきは、自動車牽引による運動間の振動の緩和のために、車軸上に板バネを装着したことで、これにより本砲の牽引速度は24km/hourとなっている。射撃の際はこれを固定し、射撃精度の低下も防いでいる。また、従来の4年式15cm榴弾砲が2砲車編成で、射撃の際にはこれを連結して、砲を組み立てる必要があったが、本砲は1砲車で運用可能であった。
●戦歴
 本砲の制式採用が上申される直前に日中戦争(支那事変)が勃発し、すでに完成していた8門が戦場へ急送され、実戦での実用試験に供された。その優秀な性能は部隊の絶賛を博し、各地に転戦して大きな功績を上げている。
 本砲装備の部隊で最も華々しい戦歴を持つのは、野戦重砲兵第1連隊である。本部隊は、1938年12月にそれまでの4年式15cm榴弾砲に変わり本砲を装備した。1939年(昭和14年)6月に、本部隊の2個大隊(4個中隊)16門がノモンハン事件に参加し、ソ連軍との本格的な砲撃戦を行った。1941年(昭和16年)には、フィリピン島のリエンガン湾に上陸し、バターン、コレヒドール攻略戦に参加し、機械化重砲兵の威力を発揮した。1944年(昭和19年)には、沖縄防衛戦に参加し、全火砲が破壊されるまで奮戦した。このときの本部隊第2大隊の射撃がもとで、米軍の司令官バックナー中将が戦死した。
●配備
 本砲は、前述の野戦重砲兵第1連隊の他、野戦重砲兵第3連隊および野戦重砲兵第4連隊に1940年(昭和15年)に配備された。また、1939年(昭和14年)に新たに編成された野戦重砲兵第17連隊、野戦重砲兵第20連隊、1942年(昭和17年)に編成された野戦重砲兵第23連隊、1945年(昭和20年)に編成された野戦重砲兵第26連隊、野戦重砲兵第27連隊にも配備された。製造総数は440門である。
●その他
 本砲の姿は、靖国神社にて現在でも見ることができる。
参考文献 ・「大砲入門」 佐川二郎著 光人社NF文庫
写真 写真提供:「あれそれこれ博覧会」 URL:http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/index.html
撮影場所:靖国神社
作成
更新 2005/4/1

写真(写真をクリックすると大きな写真が見られます)
●靖国神社(改装後)
●靖国神社(改装前)
各部の写真です。画像をクリックすると、大きな写真が表示されます。

 

同じく「あれそれこれ博覧会」殿に提供して
頂いた、15cm砲弾の写真です。
靖国神社に96式15cm榴弾砲と供に飾っ
てあるそうです。砲弾の型式は判りません。
ご存知の方、ご教示頂けると幸いです。

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2001.8.25更新 榴弾砲format_v0.5