表面硬化装甲
表面硬化装甲鋼板(KC鋼板)断面の概略図を図1に示す。表面硬化装甲とは、均質圧延装甲鋼板の砲弾が衝突する面の表層だけを浸炭焼入硬化(浸炭を省くこともある)し、裏面は靭性を低下させないようにした装甲板である。表面硬化装甲板への侵徹阻害の概略図を図2に示す。砲弾は硬化した装甲表面に衝突するため砲弾自体が変形したり砕けたりして、装甲に対する侵徹能力が低下することになる。一方、装甲は硬いだけでは靭性が低くなり、運動エネルギーの大きな砲弾が衝突すると割れたり砕けたりしてしまうが、そうならないように、裏側は靭性の高い性質を保っている。1895年にドイツのクルップ社がこの装甲の製造技術を確立し特許を取得(ほとんど世界中がこの特許を購入)、その技術で製造したものがKC装甲鋼板である。KC装甲鋼板の板厚方向の性質は、極表面の侵炭部数mmはガラスのように非常硬く、その奥の板厚の1/3程度までは硬いマルテンサイト組織、そこから裏側までは靭性に富むトルースタイト組織であった。
日本では、明治43年(1910年)ごろ、このKC装甲鋼板を国産化し、戦艦「安芸」の9インチ装甲鋼板でその性能を確立した。その後、英国ビッカース社に戦艦「金剛」を発注した際にVC装甲鋼板を技術導入し、その後の戦艦「陸奥」までのすべての戦艦の装甲にVC装甲鋼板を採用している。その後、戦艦「大和」の製作に当たりこれまでにない厚さ(最大650mm)の装甲鋼板の製造が求められた。これほどの厚さでは従来方法では装甲の単位厚さに対する耐弾性の低下は避けられなかった。また、装甲の表面硬化は戦艦の砲弾のような高運動エネルギー弾には表面からの亀裂の発生を促進しノッチ効果で装甲を割れやすくするとい弊害もあることから、苦肉の策として、工程の省略を兼ねた表面浸炭処理を省いたVH装甲鋼板が開発された。これは、その後の時代の変化が均質圧延装甲を一般化させたことと対比しても間違いではなかったと考えられる(戦艦「大和」を造ったこと自体が間違っていたと言われるとそれまでであるが・・・)。
戦車では、第2次世界大戦においてドイツが5号戦車パンテルの正面装甲に本装甲を採用している。これは比較的小口径の砲弾に対しては跳弾を促し効果的であったが、旧ソ連のアニマルキラーと呼ばれた大口径重榴弾砲を装備する駆逐戦車の高運動エネルギー砲弾に対しては前述した理由から装甲貫徹ではなく割れによる破壊がしばしば見られた(図3 表面硬化装甲板の割れ現象概略図を参照のこと。予断だが、筆者はこれの原因の一つに東部戦線の気候的な理由もあると考えている。東部戦線のような、気温が零下に達することがしばしばある気候では、表面を浸炭したような高炭素鋼は温度低下により靭性が急激に低下する)。以上のような理由から第2次世界大戦以後は、対戦車兵器の大口径化から、表面硬化装甲は採用されなくなった。
第二次世界大戦中の日本陸軍の戦車にも表面硬化装甲が採用されていた。日本陸軍の表面硬化装甲では、硬化部分のマルテンサイト組織は、通常部分のフェライトやパーライト組織と体積が異なるため、硬化部分と通常部分の体積の差(一体の板なので、お互いに引張合う)で残留応力が発生し、製造時や製造後にしばしば割れが見られた。これを防ぐには、高温焼戻しを行なうことが効果的であるが、日本では陸軍官僚の無知のため、研究者がこれを進言したにもかかわらず、硬度が下がると採用されなかったらしい(装甲は硬度が一番だいじだと思っていた)。このような残留応力が大きな状態で、着弾の衝撃を受けたら装甲は確実に割れてしまったであろう。これが表面硬化装甲の最悪の例だと思われる。
表面硬化装甲の成分や機械的性質については、装甲鋼板等の化学成分を表1および、装甲鋼板等の機械的性質の規格値を表2を参照してほしい。なお、表2の機械的性質については、表面硬化装甲鋼板は、装甲表面では無く裏面の規格値であることを注意してほしい。旧日本海軍では、表面硬化装甲と均質圧延装甲の違いは表面が硬化させてあるか否かの違いでしかないことが判る。
作成:2001/05/27 Ichinohe_Takao