榴散弾(榴霰弾)


●榴散弾(榴霰弾)とは
 榴散弾(榴霰弾)の構造概略図を図1に、榴散弾(榴霰弾)による攻撃の概略図を図2に示す。榴散弾(榴霰弾)とは、弾体に弾子(霰弾)および炸薬を詰めた構造で、砲から装薬で射出した後、時限信管を用いて基高と称する最適高さで炸裂させて、弾子(霰弾)を一定の範囲に飛散させ目標に被害を与える砲弾である。一般的には、その殺傷効果から榴弾と同意語で使われていることが多い。しかし、榴弾と榴散弾の異なる点には以下のようなものがある。
1)榴弾は炸薬の爆発により弾体を破片化して目標に被害を与えるのに対し、榴散弾では、霰弾と呼ばれる子弾を炸薬で飛散させることによって同様の効果を与える点
2)榴弾は炸薬の爆発によりほぼ全周にわたって破片が飛散するが、榴散弾は弾体が破壊されないような構造になっており、炸薬の爆発で子弾(霰弾)は砲弾の前方に一定の散布角で飛び出す点

●榴散弾(榴霰弾)の欠点と衰退
 日露戦争のころまでは榴弾より榴散弾の方が多く使われていたが、第一次世界大戦後は下記の欠点からあまり使用されなくなった。
1)大砲の射程の増大から時限信管の精度の関係上、基高での炸裂が難しくなったこと(基高より高い位置で炸裂した場合は弾子の拡散と速度低下で威力が下がる、低い位置で炸裂した場合は威力範囲が狭くなる、地上に落ちてから炸裂した場合はほとんど効果が無くなる)
2)榴弾に比較して構造が複雑で製造効率が悪い割には、効果はそれほど変わらないこと
 一方、榴散弾は時限信管を0距離射撃(発射後すぐ炸裂するように)にセットすると散弾(Canister)と同じ効果があり、自衛用の弾種として第2次大戦中においても砲兵部隊の携行弾薬に入っていた。現在では榴弾(VT信管による曳下射撃)および散弾(自衛用)に、その用途を取って替わられてしまい全くと言っていいほど見られなくなった。

●榴散弾の例
 日露戦争のころの日本陸軍の榴散弾は、鋼鉄製弾体に10〜16グラムの弾子を、70mm級火砲で約70〜80個、15cm級火砲で約1000個を詰めたものであった。時限信管は薬盤信管というものであった。第2次世界大戦のころの陸上砲の榴散弾は、75mm級火砲で正面幅20m、縦深約200mの範囲に直径12mm、重量10グラムの弾子、約300個が飛散するというものであった。また、各国海軍でも艦砲で対空・対陸上目標攻撃用に榴散弾(時限信管およびVT信管)を用いている。
 現在では、前述のようにほとんど見られない榴散弾だが、比較的近いものに86mm無反動砲カールグスタフ(米国名はM3 MAAWS[ Multi-Role Anti-Armor Anti-Personnel Weapon System ])の対人榴弾がある。この弾には、 直径約6mmの弾子が約850個が入っており、時限信管により目標上で炸裂させる(曳下射撃と呼ぶ)。ただし、弾子は前方にのみ飛ぶわけではないので純粋な意味では榴散弾とは呼べない。

●各種砲弾による装甲の破壊状況
 リンク先(こちら)を参照のこと。

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作成:2001/06/30 Ichinohe_Takao