究極vs至高(微エロあり)

究極対至高・スク水対決!!@


おまけ
 
 雄山「スク水の真価は、水に濡れたときこそ分かるものだ。肌に張り付いたぺったり感は、伸縮性に乏しい布地の旧スクでしか味わえない。
 今回はそれを強調するために、胸の部分に余裕を持たせた縫製にしてある。
 士郎。貴様の言う『シチュエーション』とやらがどれほどのものかは知らぬが、しょせん新スクなど旧スクの足元にも及ばぬのだ!」


A


おまけ
 


板山社長「ふうむ。こりゃ何の変哲もない新スクにしか見えんがなあ・・・拍子抜けと言うか・・・」
 唐人「しかし、この臨場感は何じゃろう。まるで実際に学校のプールに居るかのようじゃわい。はて・・・かすかに付けられたこの香りは・・・」
 雄山「ぬう・・・士郎め、これに気付きおったか・・・」
 京極「わかったで山岡はん!この香り・・・塩素やな!!」
 山岡「ニヤリ!」


B


おまけ
 


三田村小夜子「ま・・・まさか・・・白いスク水なんて聞いた事がないわ!おまけにモデルは明らかに二十代後半!Mr.フジタ!これは・・・贋作だ
わ!!」
 フジタ「おやおや、三田村さんらしくもない。これは白スクといって、一部ではちゃんと市民権を獲得しているアイテムですよ。モデルの年齢につい
ては・・・フフフ・・・私のシュミとでもしておきましょうかねえ・・・」
 三田村「まっ・・・」
 フジタ「雄山先生などは事あるごとに旧スク、旧スクとおっしゃるが、旧スクもブルマも絶滅しつつある現在においてはファンタジーと同じ。
どうせ現実にないものなら、自由にイマジネーションを広げたほうが楽しめると思うんですがねえ・・・
お偉い先生方には、分かって頂けないかも知れませんが・・・」
 雄山「むう・・・」

番外


おまけ

「関口君、君もよくよく厄介な男だなあ。スクウル水着なんて一体どこで聞いてきたんだい。スク水はフェティシズムの中でもとりわけ難しいんだ。君
なんかがおいそれと手を出していいものじゃないんだよ。大体旧スクの股布はへその辺りまで縫い付けられているんだぜ。穴が開いてるからって
ちんこなんて出せるかい。馬鹿馬鹿しい。あそこから用を足すなんてのも言語道断だ」
「そうは言うがね、じゃああの穴は何のために開いているんだ?」
「あれは水抜き穴だよ。前空きがないと胸から入った水が逃げ場をなくして際限無く腹に溜まってしまうのだ。更にあの部分は『関節』であるという
見方もできる。固定してないから成長に合わせて伸縮するんだ。小さい子が着ていると股間部分が見えなくて超ミニのワンピースみたいに見える
だろう?逆に発育のいい子では、腹の辺りにU字型の皺ができる。あれは縫製部分全体が下に引っ張られて起きる現象だ。長く使うための知恵だ
ね。まあ前空きに関しては、そのためにあんな形にしたというよりは『その方が都合がいいから残した』というのが正解だろうね。昔はスカート部分
は尻の方まであったんだ」
「そんな馬鹿な!旧スクの後ろみごろに継ぎ目が無いことぐらい僕でも知っている。ふたば辺りでそんな絵を描いたら、何と言って怒られるか解ら
ないぜ」
「今無いからといって昔も無かったとどうして思うんだい。そんなことはスク水の歴史についてちょっと知っていれば解ることだよ」
主はまったく動じずに煙を吐き出した。この種の話題になるとこの男の独壇場である。私は黙って聴くことにした。
「水着の発祥は18世紀の亜米利加だと言われているが、水泳そのものの歴史は古代埃及(エジプト)まで遡る。水泳教室のようなものがあったら
しいね。文献が残っている」
「そこまで遡るのか?」
「当たり前じゃないか。スク水だって水着の一種なんだから、水泳競技について知らずに語れるわけが無いだろう。紀元前2160年頃の記録に、
貴族の子弟に水泳を教えたとある。水着については何も書かれていないが、たぶん素っ裸か腰布程度だったんだろうね。次は古代希臘(ギリシ
ャ)だ。これは相当盛んだったらしい。アテネにはプールまであったというから、オリムピックの起源から水泳競技は含まれているということになる。
まあ当然男子のみだったんだろうが。
≪中略三頁≫
有名な前畑選手が伯林(ベルリン)オリムピックで着ているのになると、これはほとんど旧スクと同じ構造だ。ちなみに素材は絹だったそうだよ。肌
に張り付くので評判は良くなかった様だ。これは当時としては革新的だったというから、当然その前は別の形をしていたことになる。学校用水着が
採用されたのは昭和初期だからね。当初はブルマ状、あるいは短パン状の下穿きの上にノースリーブのシャツ状の上着を着て、要所を縫い合わ
せた物だったのだ。当然スカートは一周している。それが縫製技術や素材の進歩により、機能や美観の向上、布地の節約という理由で、長い間に
順々に今の形に変化してゆく訳だ。後ろのスカートは真っ先に省略されたわけだが、それ以降たいした変化も無いまま何十年も経っていることを考
えると、旧スクというのはよっぽど優れた水着だったのだろうな。機能的だったんだ。ところがそれ以前の形態に関しては、僅かな文献の他には殆
ど資料が残っていない。まあ当時の社会道徳に照らせば、水着の女学生を撮影するなんてのは今で言う田代まさしの様なものだから、写真が残
っていないのも無理は無いかもしれないがね。このデミトリーという男も、調べたけれども結局よく解らないので想像で描いた様だ。いい加減だね。
まあ最初期のスク水の形態に関しては、今では藪の中というわけだ」
「始源の―――スク水か―――。」



究極対至高・ブルマ対決!!@



山岡「人はなぜブルマに惹かれるのか?ブルマ萌えの王道とは何か。我々は、それは「思春期における性の象徴」ではないかと考えました。俺た
ち男子が初めて色気づいたとき、そこにあったのは同級生の体操服姿でした。そしてその未発達な尻を覆う野暮ったい紺色の布は、無垢で純粋な
性欲の象徴として、決して手が届くことのない憧れの対象として、我々の魂に刻印されたのです。
 それを受けて、今回心掛けたことは、なるべくオーソドックスな素材を使い、当時の雰囲気を忠実に再現することでした」

ゆう子「モデルには東西小学校の五、六年からから厳選して拉致した女生徒二十人を、ブルマは基本の紺、一年以上着用して柔らかく、サイズが
小さめになったものを使用し、はみパンやはみ尻、そしてそれを直すしぐさを演出しています。シチュエーションは、季節柄体育祭の合同練習とし、
ゼッケンやはち巻きをあしらいました」

京極「さすがは山岡はん。原点イコール王道っちゅうのはええ考えや。忘れかけていたものが蘇ってくるようや」
陶人「ふうむ。『人は存在しないものを欲求することは出来ない。必ず目から、実際に見たものから欲望は生まれる』というようなことをレクター博士
も指摘しておったしなあ・・・」
大原「やったな山岡!!好評じゃないか!これなら勝てるぞ!」
ゆう子(でも、海原先生が沈黙しているのが気になるわ・・・まるで動揺してないみたい・・・これ以上のブルマなんてものがあるのかしら・・・)
雄山「では、至高側の体操服を見ていただこう」
ゆう子「きゃあっ!!」
山岡「そ、そんなバカなっ!!」

〜以下次号〜



A

おまけ

ゆう子「そんなっ!ブルマ対決なのにブルマを履いてこないなんて!」
京極「か、海原はん!これはどうゆうことや!せ、説明を!!」

雄山「思春期、幼稚だがそれゆえに純粋な性欲は、最も身近な性の対象を記号化して認識した。
 そしてそのとき満たされなかった欲求は、未だに暗い炎となって我々の心を焦がす。これがブルマ萌えの正体だ。
 そこまでは私も究極側の考えと同じだ。だが、思い出して欲しい。
 体育の時間に我々が希求していたのは身体能力ではなく透視能力ではなかったか。
 我々が真に見たかったものはブルマではなくその奥にあるものではなかったか。
 つまり、ブルマ萌えの本質は尻そのものにある!」
山岡・ゆう子「!!」
雄山「私はそのことを表現するために、しょおがくせえの貧弱な尻を避け、
 脂の乗り始めた瑞々しいちゅうがくせえの中から、尻そのものの美しさにこだわって素材を選び出した。
 そして、あえてブルマを履かせなかった。
 よいか、紺だの赤だのすそ入れだのすそ出しだのはみパンだのはみ尻だの横ラインだの土ぼこりだの体育座りだのちいさいまえならえだのはブ
ルマの本質ではない!
 士郎、貴様はまたしても本質を見忘れ、材料自慢、腕自慢に走ったのだ!
 こ の た わ け が ! ! !」
山岡「う・・・うぐっ・・・」
ゆう子「ああ、なんてこと・・・シチュエーションを追及する余りに尻そのものの質に思い至らなかったなんて・・・
 それに比べて海原先生の、ブルマのためにブルマを捨て去ってしまうという(極端な)発想・・・山岡さんじゃ、とても敵わないわ・・・」
団社長「・・・海原先生。このメニューには、致命的な欠点があると思いますが」
雄山「何だと!」



B



団社長「いや、たしかに『はいてない』は破壊的でしたが、それは視覚に限ってのことでしょう。
ブルマの楽しみには触覚というものもある。ほっぺすりすりが出来ないのであれば、ブルマの楽しみは半減してしまうのではないでしょうか。」
雄山「むう・・・」
京極「それはその通りや。こうやって(すりすり)、触ったときの柔らかい綿の感触は、生尻では味わえないもんやからな」
大原「おい、何だか風向きが変わってきたぞ!」
陶人「ふうむ、意見も出揃ったようじゃし、そろそろ審査に入るとしようか・・・」


審査員「すりすり」
審査員「すりすり」
審査員「すりすり」
雄山「・・・」
審査委員長「この度の勝負を通して、我々はブルマ萌えの多彩さ、豊かさ、奥深さに触れることが出来ました。
 特に双葉の皆様のブルマに対する深い見識と、迸る情熱に、認識を改めなければならぬと思ったしだいであります。
 (レスを下さった方、ありがとうございました。勉強に(?)なりました。)
 勝敗につきましては、苦慮いたしましたが、双葉の皆様の「やっぱはいてなきゃダメ」という多数の意見を容れ、
 究極側の勝ちといたします!」
雄山「士郎。今回は私の考えが至らなかったようだ。
 だが、ブルマの奥深さはこの程度のものではないはずだ。
 次の機会があれば、その時こそ至高のブルマを見せてやろう。
 そのときには貴様の勝ちは無いと思え!」





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