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きょうの社説 2010年10月31日
◎丸の内駐車場廃止 玉泉院丸と一体的な整備を
金沢城の石垣を見えにくくしている県営丸の内駐車場について、谷本正憲知事が金沢経
済同友会との意見交換会で、2014年度の北陸新幹線金沢開業までに廃止し、石垣景観を生かした整備を進める意向を明らかにした。同友会が01年に移転を求め、県側も検討する考えを示してから10年を経て、ようやく懸案が動き出すことになったが、新幹線開業までに整備するなら、ぎりぎり間に合ったという見方もできる。金沢城整備は、城内の城郭復元から、広坂側へと軸足が移ってきた。いもり堀の水堀化 に続き、玉泉院丸跡の庭園復元へ向けた調査も始まった。玉泉院丸跡については、金沢城と中心市街地をつなぐ「エントランスゾーン」と位置づけられている。隣接する丸の内駐車場が撤去されることで、より大きな範囲で、城の新たな玄関口としての整備が可能になろう。 復元される玉泉院丸庭園の最大の魅力は、庭園の借景だった多彩な石垣群のパノラマ景 観である。丸の内駐車場の石垣は、その石垣群に続く形で延びており、一体的な空間とみることもできる。整備に際しては、「石垣の博物館」と称される金沢城の特徴を最大限に引き出す工夫を望みたい。 石川門の反対側に当たる金沢城の西側は、外周では最も整備が遅れていた。城に接して 丸の内駐車場やビルがあり、これらの対応が決まらないために周辺の構想が描けなかった側面がある。 丸の内駐車場裏の石垣は、いもり堀の北端に当たり、江戸初期の築造である。玉泉院丸 跡にかけての外周部には堀の土手に造られた「鉢巻き石垣」もみられる。庭園復元と合わせ、金沢城の大きな魅力になるのは間違いない。一帯の「エントランスゾーン」としての価値をさらに高めようと思えば、玉泉院丸の入り口だった鼠多門(ねずみたもん)の復元も視野に入るだろう。 金沢城の西側は、オフィス街の裏手といったイメージもあるが、都心軸である国道15 7号に近接し、城らしい景観創出を通して魅力を引き出せる可能性を秘めた空間である。沿道には尾崎神社や大谷廟所などもある。駐車場廃止を機に、城の西側エリア全体の望ましい姿を考えていきたい。
◎企業・団体献金の再開 政党助成を仕分け対象に
民主党が企業・団体献金の受け入れ再開を決めたのは、頼みの綱だった個人献金が思う
ように集まらないため、背に腹は代えられなくなったからだろう。個人献金の慣行が日本社会に定着していないのは以前から分かっていたことであり、ご都合主義にはあきれるばかりだ。岡田克也幹事長は、国費である政党助成金に頼り過ぎることへの懸念を口にしたが、そ もそも政党助成金が導入されたのは、政治腐敗の温床とされてきた企業・団体献金の廃止と表裏一体のはずだった。企業・団体献金の受け入れを再開するなら、政党助成金をやめるのが筋ではないか。 政党助成金は国民1人当たり250円で計算され、年間の交付額は300億円を超える 。共産党のように受け取りを拒否している政党もあり、これをやめればたちどころに新たな財源ができる。お得意の事業仕分けの対象としてはどうだろう。 民主党は昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)で、政治資金規正法改正を前提に、法 改正から3年後に企業・団体献金の全面禁止方針を掲げた。ただ、当面は1億円以上の契約がある企業などについて禁じる、としていたから、国や地方自治体が実施する公共事業の受注契約額が1件1億円未満で、特に問題のない企業から献金を受け入れてもマニフェスト違反にはならないと強弁している。だが、そんな説明では、野党はもとより国民も納得しないだろう。 突然の方針転換には、党内からも疑問視する声が出ている。前原誠司外相は「国民から すれば違う方向を向いているととられても仕方がない」と献金受け入れに反対したが、論議は盛り上がらず、批判は尻すぼみの印象である。 クリーンを標ぼうしてきた民主党の看板は小沢一郎元代表や鳩山由紀夫前首相の「政治 とカネ」の問題で深く傷付いた。小沢氏の証人喚問をめぐる与野党の調整が難航するさなかでの献金再開は、民主党への不信感を増幅するだろう。国民の政治とカネに対する批判の厳しさ、政治不信の根深さを甘く見過ぎているのではないか。
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