主!!」
「シオン。そのようすだと無事に済んだようだな」
落ちていく“ナギ・スプリングフィールド”を一瞥したところにシオンが近づいてきた。その姿はところどころ汚れが見えるものの俺とは違い無傷そのものである。
「はい。主の言葉が役に立ちました」
「そうか、それは良かった」
シオンの言葉から察するに“青山詠春”にもとっておきがあったようだが、それを受けてなおシオンは無傷での勝利を手にしたということなのだろう。
通常の魔法行使では俺を上回り、亜式とはいえ『神緡流』は使いこなすことのできるシオンにとっては造作もないことだったのかもしれない。
「それよりも主は無事なんですか!?傷だらけですよ!?」
「これでも半分にしたんだがな。想像以上の化け物だったよ」
“指輪”に加え『闇の魔法』を最大限に使用したにもかかわらず、奴、“ナギ・スプリングフィールド”とは合い討つのが精一杯だった。『移譲(ダートゥム)』という保険をかけていなければやられていたのは俺かもしれなかった。
あの年でこれだけの実力だというのだから末恐ろしいものがある。尤も戦闘以外の部分では多少欠けているかもしれないが。
「そうですか・・・」
「あぁ、俺も魔力がすっからかんだ。今も栞に貯め込んだ魔力を供給しているくらいだからな。悪いがすぐに“櫛”を使い始めてくれ。俺はまだ時間を稼がなくてはいけないようだからな」
眼下には“ナギ・スプリングフィールド”を肩に抱えながらも戦意を喪失していない“ジャック・ラカン”の姿がある。
あの様子ではこのまま素直に撤退はさせてはもらえないだろう。かなり厳しいが相手をしないわけにはいかないだろう。
「しかし!!その傷では!!」
「分かってる。だから、なるべく早く頼む」
この傷では“ナギ・スプリングフィールド”を抱えているという足枷があるとはいえ、あの化け物を相手にしていられる時間はそう長くない。もって数分といったところだろう。
「ッ!!わかりました。アデアット」
シオンがパクティオカードを取り出してアーティファクトを呼び出す。
呼び出させたのは黄金の櫛。それをシオンは簪のように用いてその銀紗の髪を結いあげ纏める。銀の生地に生える金の櫛、この場所が戦場でかるというのにその姿はまるで絵画のような美しさを持っていた。
そして、シオンは謳いだす。聞くもの全てを惹きつける魔性の詩(うた)を。
『Ich weiss nicht, was sol les bedeuten, Dass ich so traurig bin; Ein Marchen aus alten Zeiten, Das kommt mir nicht aus dem Sinn.』
(なじかは知らねど心はわびて、昔(いにしえ)の伝説(つたえ)はそぞろ心に沁(し)む。)
シオンの歌声を背に聞きながら俺は“ジャック・ラカン”の前まで降りていく。
「あの嬢ちゃんがいるってことは詠春はやられちまったようだな」
「いいのか、助けに行かなくて?生きているかもしれないとはいえ、放っておけば助かるものも助からないぞ?」
流石は『紅き翼』の一人、シオンのこれ以上ない一撃をその身に受けていながらまだ息はあるようだった。海面に浮かぶ残骸にしがみつき生き永らえているようであった。
とはいえ、戦闘どころか生命活動も危ういといえる状況ではあるようだったが。
「流石の俺も2人を庇いながら戦うのは厳しいんでな、あっちはアルの野郎に任せる」
「“アルビレオ・イマ”が勝つとは限らないぞ?」
「いや、お前らの仲間もなかなかにやるようだが、アルの野郎の方が一枚上手だ」
レオナルドと“アルビレオ・イマ”の戦闘は未だに激しく続いており、一見してしまえばどちらが勝ってもおかしくないと言えるだろう。
しかし、“ジャック・ラカン”の言うように見る者が見れば“アルビレオ・イマ”の方が極僅かに優勢だというのが理解できる。
「それよりも、だ」
『Die Luft ist kuhl und es dunkelt, Und ruhig fliesst der Rhein; Der Gipfel des Berges funkelt Im Abend sonnen schein.』
(寥(さび)しく暮れゆくラインの流(ながれ)、入日に山々紅く映ゆる。)
「ありゃ、なんだ?」
シオンの方を見やりながら“ジャック・ラカン”が訊ねてくる。
「さぁ?なんだろうな。何かの呪文じゃないのか?」
「恍けやがって。まぁ、あのままにしておくとよくないってことはわかった。止めるとするか」
「させるわけないだろ?」
『Die schonste Jungfrau sitzet Dort oben wunderbar, Ihr goldnes Geschmeide blitzet, Sie kammt ihr goldenes Haar.』
(美(うる)わし乙女の巌(いわや)に立ちて、黄金(こがね)の櫛をとり髪の乱れを梳(くしけず)る。)
互いに剣を取り出し、剣を重ね合わせるが明らかな劣勢であった。身体は動かすたびに軋み、尽きかけている魔力では集中を保たないかぎり飛ぶことすらままならない。
“ジャック・ラカン”とて荷物(ナギ)を抱えた状態で戦っているので万全の状態ではないのだが、それでも今の状況が好転することはないだろう。
『Sie kammt es mit goldenem Kamme, Und singt ein Lied dabei; Das hat eine wundersame, Gawaltige Melodei.』
(黄金の櫛で梳(す)きながら乙女は詩を口ずさむ、その旋律の奇(くす)しき魔力(ちから)に魂(たま)も惑う。)
シオンの詠唱が終盤へと差し掛かっていく。だが、俺にも限界はすぐ傍まで迫ってきており徐々に剣戟に対応できなくなってきている。
「お前とはもっとしっかりと戦いたかったがな!!」
「なら、見逃してくれ。さすれば機会があるかもしれないが?」
「それはできねーなッ!!」
「クッ!!」
“ジャック・ラカン”の袈裟切りを受け止めたことで周囲に衝撃波が生じる。『希求』が折れることはないとはいえ、それを支える腕はそうもいかない。身体の内部から“ピキッ”という嫌な音が響いてくる。
「(これは罅(ひび)が入ったか?身体強化をギリギリまで削ったのが裏目にでたか・・・)」
腕に切り傷とは異なる種類の痛みを感じる。『希求』を握る手の力も必然的に弱まってしまう。本来ならば治癒を行うなり、痛みを誤魔化すなりできるのだが魔力がほとんどない今の状態ではそれは叶わない。
『Den Schiffer im kleinen Schiffe, Ergreift es mit wildem Weh; Er schaut nicit die Felsenriffe, Erschaut nur hinauf in die Hoh.』
(漕ぎゆく舟人、詩に誘われ、岩根の見為(みや)らず上ばかりを仰ぎ見る。)
「流石のお前も“その”腕ではもう俺の攻撃は捌けねーだろ?次で終いだな」
俺の腕の異変を感じ取った“ジャック・ラカン”は剣を突き付けながら宣言する。
「そうだな」
これ以上、『希求』を握っている意味はない。顕現させていた『希求』を消し、手を自由にする。
「諦めるのか?」
魔力が全くない俺が唯一の武器であった『希求』を消したということは他人から見れば勝負を捨てたようにしか見えないだろう。
実際、俺にはもう既に“ジャック・ラカン”と対峙するだけの力は残されていない。この戦いは俺の敗北である。
「あぁ、俺の負けだ。けど、俺“達”の勝ちだ」
そう言って、俺はシオンのところまで飛び退く。そこで力が尽きシオンに肩を担がれるような形になってしまう。
驚くシオンを眼で制し詠唱を続けるように促す。
「レオ!!」
遠くでは決着がついたのか動きを止めて対峙しているレオナルドと“アルビレオ・イマ”の姿が見えていた。
「アニさん!!」
声に反応し駆け寄ってきたレオナルドにシオンとは逆側の肩を担がれることとなる。
俺ほどまでとはいかないもののレオナルドもなかなかに傷だらけである。
「無事、とはいえないようだな・・・」
「それを言うならアニさんこそ。すみやせん、倒しきれませんでした」
「いや、十分だ。よく、粘ってくれた」
“ジャック・ラカン”から話を聞いたのか“アルビレオ・イマ”は海面に浮かんでいる残骸に引っ掛かっている“青山詠春”の救出に向かっているようだった。
「さて、アルの野郎が詠春を助けに行っている間にこっちも終わらせようじゃねーか?それとも、お前ら三人で俺を止めるか?」
三対一と数的にはこちらが優位に立つことなったが、傷だらけである上にそんなものは“ジャック・ラカン”には意味をなさないだろう。
やはり、既に戦いは終わってしまっているのだ。
「無理だろう。もう戦いは終わりだよ」
『Ich glaube, die Wellen verschilingen Am Ende Schiffer und Kahn; Und das hat mit Singen Die “Lorelei” getan.』
(仰げばやがて人も船も波間に沈み逝く、奇しき魔詩(まがうた)謳う“哀しき吟遊乙女-ローレライ-”)
「そう、終曲(フィナーレ)だ」
シオンが長い詠唱を終えた刹那、世界が静止する。
だが、それは錯覚であり虚構。実際には世界どころか周囲で上がる戦いの喧騒すら止まってはいない。
しかし、
「何だ、これは!!」
“ジャック・ラカン”が突如として声を上げる。その声色と表情は俺が“指輪(ニーベルング)”を使ったときと同じほど驚きが込められているようであった。
「さて、何のことだ?」
「お前らの“その”姿はなんだっていうんだ!?」
無論、俺たちの姿が変化したなどという事実はなく。俺に関して言えば以前として肩を担がれている状態で、その場を少しも動いてはいない。
『人惑わす黄金の櫛〈ローレライ〉』の能力は『幻想幻夢(パンタシア・インクブス)』。簡単に言えば、完全なる催眠・幻術を与えることである。
旧世界、ライン川の難所。“ローレライ”の岩の上で佇んでいた黄金の櫛を持った乙女はその艶美なる歌声で船乗りを水中へと誘ったという。
故に、シオンが詠唱をし始めた時点でアーティファクトはその力を発し始めていたのだ。詩が進むにつれ幻術の効果は強まり知らず知らずのうちに“現実”から“幻”へと足を踏み込んでいく。
そう、“ジャック・ラカン”は“俺との戦いのうちから現実から乖離し始めていたのだ”った。
“ジャック・ラカン”から視線を外してみれば、遠くでは“アルビレオ・イマ”も辺りをしきりに見渡している。どのような幻がその眼に映っているのか確かめる術はないが、確実に幻術にかかっているだろう。
「“ジャック・ラカン”、“ナギ・スプリングフィールド”に伝えておけ。“お前たちが影と戦うのなら、その道は交わるのではなく、重なるやもしれん”とな」
そう言い残し、俺は肩担がれながらも悠然とその場を去るのであった。
♢ ♢ ♢
さて、この後のことを話そう。
まず、『グレート=ブリッジ』だが連合軍に奪還され防衛線は敗北を喫することとなる。
要因としては旗艦『フォルティス』を落とされてしまったことと『紅き翼』のメンバーを全員足止めすることができなかったからだろう。俺たちとの交戦を避けることに成功した“ゼクト”によって司令部が落とされ戦線は完全な崩壊をすることとなった。
それからの展開は予想通り、勢いをつけた連合軍に帝国軍は戦線を押され続け、占領していった領土も次々と奪い返されてしまっている。もはや、帝国軍にこの戦争を勝利で終えるだけの力は残っていないがのごとく敗戦に敗戦を重ね続けるしかなかった。
そんな中、ヘラス帝国第三皇女『テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスミジア』の元にウェスペルタティア王国王女『アリカ・アナルキア・エンテオフュシア』から会談の要請が入る。
一帝国兵としては不謹慎ではあるが、今まで圧倒的であった戦況が変った事でようやく停戦への動きを行うことができるようになったのだろう。
そして、現在。
「この戦争はいつになったら終わるんでやしょうか?」
「さぁな。戦争である以上はどちらかが滅びるまで続くのだろうさ」
戦争に終わりがあるとすればそれはどちらか一方が完全に滅んだ時だ。それ以外は“停戦”であって“終戦”ではない。禍根というものはどこまでも人の心の中には残ってしまうのだから。
「でも、それじゃあ!!」
レオナルドが悲痛な声をあげる。『グレート=ブリッジ防衛戦』以降俺たちは常に撤退戦での殿を務めてきた。絶望が蔓延(はびこ)る中を希望の灯火(ともしび)を絶やさないように逃げ続ける。それは大量虐殺にも匹敵するほどの精神的苦痛の伴う戦場であった。
「あぁ、だから今。皇女殿下が頑張っているのだろう?」
「ッ!!そうでやしたね。すみやせん、熱くなりすぎやした」
「かまわないさ。思いが吐き出せるうちはまだ心が生きているという証拠だからな。だが、果たして本当にこの戦争は終わるのか・・・」
「それはテオドラ様が第三皇女だからでやすか?」
そう、いくら皇女でありそれなりの発言力があってもあくまでもテオドラは“第三”皇女なのだ。必然的に第一、第二皇女よりは発言の優位性は劣ることとなる。いくら『アリカ・アナルキア・エンテオフュシア』との会談とはいえ、やすやすと停戦が決まるということはないだろう。
「確かにそれもあるが、俺が心配しているのは“奴等”のことだ」
「・・・『完全なる世界』でやすか?」
「あぁ」
声を潜めて尋ねてきたレオナルドに首肯して答える。
『完全なる世界』。この戦争の裏に見え隠れする裏組織である。当初は死の商人やマフィアの集まりによって作り出された組織だと思っていたが、実際のところはその目的は掴めていないままであった。
分かっているのは“奴等”が決してこの戦争の終結を望んではいないということだけである。
「最近は忙しくて調べも進んでいやせんでしたしね」
「そうだな、一度「主!!」ッ!!」
レオナルドに答えようとしていたところにシオンが突如として転移してくる。使用されていたのは緊急時のために渡していた転移魔法符。つまりは・・・
「どうした!?」
「すみません、主。会談中不意を突かれ、アリカ姫とともにテオドラ皇女殿下が敵対組織に拉致されてしまいました。実行組織は恐らく、『完全なる世界』」
「ッ!!」
先程まで胸をよぎっていた不安は最悪の形をもって現実のものへとなってしまったのだった。