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[22501] 【習作】管理外世界における聖杯戦争(オリ設定付キャラ×なのはA`s×とらハ3×Fate)
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/13 22:55
 この作品は過去にU.Yが別名義にて連載していた作品です。
 StS放送前に書いていたので管理局に関しては軍隊的な空気は薄め&StS以降に描写された設定に関してフォローしていない部分があります。あと、戦闘バランス的に『Fate>なのは』の戦力バランスで物語が展開されていくので一方が圧倒的に強く描写されるのは苦手という方はどうかご注意下さい。
 また、とらハからオリジナル設定が投入されているキャラクターがいますのでそういったものが苦手な方も読まれる場合は予めご了承下さい。



[22501] 第一話『開戦前』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/13 23:20
第一話『開戦前』



 空気が妙に張り詰めている。
 無限書庫司書長ユーノ・スクライアがそれを実感したのは一週間ぶりに書庫内の『探検』から戻ってきてからの事だ。
(何かあったのかな……)
 険しい顔をして早足で廊下を行き来している局員たちから只ならぬ物を感じはするが、何か大きな事件でも起きたのだろうと特に気にしなかった。 次元世界の秩序と法を守護する時空管理局――その本局ともなれば、忙しくない方がおかしいのだろう。
 平和を愛するユーノとしてはそれはそれで忸怩たる思いが無い訳ではないが、

(どうせいつもの如くクロノから無理な注文が来るだろうし、今のうちに寝とかないと死ぬ)

 ため息をつきながら、管理局内でも名を馳せている友人たちの事を思い浮かべる。何か大きな事件がおきているのであれば、彼や彼女たちが放って置く訳がないし、そうなれば自然と自分に回ってくる仕事も増える事だろう。
 それこそ殺人的な勢いで。
 中でも巡航L級8番艦の艦長は自分を便利屋か何かと勘違いしている節がある。『探検』―――無限書庫内の整理区域の拡大作業をこなしたばかりのいまの状態では正直本当に死んでしまう。

(無限書庫ってのが伊達でも冗談でもないって事、上層部の人たちはわかってるのかな)

 空間が解析不可能な歪み、文字通り『無限』に広がっている書庫内ではちょっとした調べ物をするにもそれ相応の専門知識が必要になってくる。
 特に本が整理された区域と未整理の区域とではそれだけで危険度がまるで違ってくる。あらゆる次元世界から稀少本が蒐集されているこの書庫の蔵書たちには強大な力を持つ魔導書の類も含まれているため、本を開いたらいきなりドラゴンに呑み込まれた、なんて話が本当に起こり得るのだ。
 それらを調査、管理する司書たちには危険物処理にも似た繊細さと慎重さを絶えず要求される――そんな極度の緊張状態を維持したまま長時間調査を行うのは並大抵のことではない。

(今回はまた、さらに難物が出てきたからな……)

 疲労の為に注意力が散漫になっていた職員の一人が開いてしまった魔導書が突如起動してしまい、訳の分からないナニカを召喚しそうになったのだ。
 「てけり・り」と無くそのスライムのような存在はユーノ自身を含めたその場に居るもの全員によって辛うじて送還に成功したが、その一件で体力も魔力も空になってしまったので作業は一旦中止。職員たちにそれぞれ休むように言って、自分も久しぶりに寮の自室で寝ようとこうして無限書庫から出てきたわけである。

(でも、この分じゃ次の拡張作業は当分先かな)

 基本的に、拡張作業は無限書庫の利用が少ない時に行うもので、大きな事件がおきて無限書庫の利用が多くなりそうな時には整理が済んでいる区域の蔵書整理がメインの作業になる。整理済みの区域で既に膨大な蔵書量があるため、そちらの検索システムの構築や使いやすいように整理したりする作業も司書にとっては大事な仕事だ。
 しかも、自分に限って言えば拡張作業をしている時よりも仕事量が増える事が決まったらしい。なにせ廊下の向こうからはよく見知った年上の局員が慌てた様子でこちらに向かって来ていた。
 向こうはこちらに気がついていないようだったが、流石にそんな姿を見かけて通り過ぎる事が出来るわけはなく、ユーノは帰宅を諦めてその相手に声を掛ける為に軽く手を上げた。






(つけられているな……)

 管理局内部に包まれた一種剣呑とした空気を感じながら、僅かに床を蹴る足に力を込める。駆け足と言うほどではないが、それでも意識して早く歩こうとしていると、不意に背後からの気配を感じた。すれ違ったり、たまたま向かっている場所が同じと言う事もあるが、僅かに鎌首をあげる自分の直感が警戒を促してくる。
 それに従ってズボンのポケットへと伸びる手を強引に停止させるのと、背後の相手が声を掛けてきたのは同時だった。

「や、クロノ。こんなところで会うなんて珍しいね」

「……ユーノか。昼間に出歩いているなんて珍しいな。フェレットは夜行性じゃなかったのか?」

 軽口を返しながら足を止めて振り返ると、そこには線の細い白衣を着た少年が立っていた。身長は自分と比べて頭一つ低く、顔の作りも中性的なので下手をすると少女と見間違うかもしれないほどの美形だった。
 最も、本人はそれが気に入らずに愚痴をこぼす事もあるのだが、それなら髪を短くしたらどうだと言うと難しそうな表情で黙るのだ。今、彼の長く伸びた髪はとある少女から貰ったはずの桜色のリボンで纏められている。

「……クロノ、いつも言っているけどいい加減僕をフェレット扱いするの止めてくれないかな」

「そうだな。それじゃあ今度からはストーカーと。全く、お前に男色の趣味があるとは驚いたぞ?」

「そ、そんなのあるわけないだろう! っていうかストーカーってなんでさ!!」

 顔を真っ赤にして言い返してくるユーノに軽く肩をすくめて見せて、

「何だ。気がついていないとでも思ったのか? 少し前から後をつけていたのはお前だろうに」

「うっ」

 どうやら正解だったらしくばつの悪そうな表情をするユーノに畳み掛けるように続けた。

「ついでに、ここら辺はあまりユーノには縁のない所じゃないか。実際、何のようでこんなとこに来たんだ? それとも本当に俺に用事でもあったのか?」

 言って周りを見回す。
 二人が居るのは本局の地下にある倉庫のような区画だ。
 このあたりの区画には過去に起こった事件の証拠物件や、その他の資料が発生した地域ごとに整理されて保管してある。調書や判決文の類ならば無限書庫の方で管理される事もあるが、例えば事件で使用された凶器などは適当に扱うわけにもいかず、こうして場所をとって隔離・管理する必要があるのだ。

「ま、まあちょっとね。それより、クロノの方こそなんだってこんな場所にいるのさ」

「こっちは事件の捜査で少し過去のロストロギアの事が調べたくてな。最近起こった悪魔召喚事件は知ってるか?」

「うん。さっきエイミィに会ったから、その時に聞いたよ。本当に、悪魔信仰者たちって何考えてるんだか訳分からないよね」

 なにか思うところがあるのか、少女のような顔立ちを憮然とした物にしながら漏らす。それに一応同意しておきながら、

「確かに。ま、自分に足りないものを他で補おうとしたと言う事なんだろうけれどな。アレは」

「そんな単純なものじゃないだろ。悪魔なんて呼び出してどんな願いをかなえたいっていうんだか」

「その辺は、本人たちにしか分からないさ。ユーノだってどんな願いも叶うとしたら、大抵の事はするんじゃないか?」

「……まあ、そうかもしれないけど。今回みたいな誰かを犠牲にするようなやり方が必要なら、そんなのは要らないよ」

 生真面目な表情で返すユーノに苦笑を浮かべそうになるが、それを堪えて続けた。

「ま、確かにそうだな。しかも、それで失敗しましたなんて笑い話にもならない」

 口元に堪えきれない苦笑を浮かべながら、記憶を遡る。
 事件が起こったのは約一ヶ月前。
 管理世界の中では辺境に当たる、特殊な鉱石が発掘されるだけで魔力が極端に少ないという魔導師にはあまり長居したくない世界でその事件は起きた。
 とある次元世界における神降し。
 それに願望機型ロストロギアが不正使用されようとしていると言う情報をつかんだ管理局は一人の執務官を派遣して調査を行った。
 古代の遺産とも言われるロストギア―――その中でも特に盗掘や犯罪に悪用されるのがこの願望機型の物だろう。効果はその名前の通り、使用者の願いを叶えると言うもので、大抵は願いの強さによって発現する奇跡の大きさが変化したり、使用の回数制限がなされていたりと何かと使用制限が設けられていることが多く、その条件が厳しい物ほど効果が絶大な物になると言う通説がある。
 今回不正使用されたものもこれに該当する。正確には『悪魔召喚』の召喚装置で、その悪魔が支払った代価に応じて奇跡を引き起こしてくれると言う代物だが、その発動条件に六十年と言う周期と一度の召喚に数千人単位の生贄を必要という厳しすぎる物であるため管理局側が指定していた危険度は闇の書と同じ第一級となっていた。
 そのために管理には厳重な警護がついていたはずなのだが、守備隊を襲撃したグループの中にAAA級の魔導師が居たために抵抗しきれずに奪取されてしまい、最終的に担当の執務官が現地に到着したときには既に手遅れになっていた。
 装置があった場所から最寄の都市一つを丸々生贄に捧げた召喚は為されてしまったのだ。
 だが、そうした犠牲の上で召喚されたものは貧弱極まりない使い魔が一匹のみ。犯人たちにとっても誤算だったのか、混乱した犯人たちは酷くあっさりと執務官によって叩きのめされ―――

「―――たらしいんだが、その犯人たちは勿論、調査に向かった執務官までそろって行方不明になっている。使用されたロストロギアの方も行方不明。手掛かりになりそうなものがないんで、こうして過去の資料を洗い直してるってことさ」

 犯人たちの交戦終了の通信をした後、その執務官とはどうしても交信が取れなくなってしまったのだ。十分後に後詰で出動していた虎の子の武装隊が見つけたのは命を吸い尽くされた街と中心部にある巨大な窪地だけ。いくら探しても犯人たちはおろか、捜査をして居るはずの執務官の姿も見つけることが出来なかった。
 そうしてついに一ヶ月が経過してしまい、その間に分かった事と言えば犯人らしき人物と召喚されるはずだった邪神の名前くらいのものだった。それも被害にあった都市の警察機構が掴んでいた情報と状況をかね合わせた、推理と推論で強引に積み上げたものでしかなく、確証は何一つない。
 証拠は皆、その執務官が持ってどこかに消えてしまったのだから。

「それで君が捜査に乗り出している訳か」

「ああ。同じ執務官として情けない限りだがね」

 そう言って肩をすくめると、ユーノは少し考えるように瞼を伏せた。

「それにしても、何だってその人そんなことしたのかな」

「さてね。執務官とはいえ人間なんだ。願いをかなえる悪魔を呼べると言う器があれば欲の一つも出てしまったんだろう」

 それで話を切り上げて、ユーノに背中を向けて歩き出す。これ以上、此処で時間をとられるわけには行かないのだ。

「悪いが時間がもったいないんで行くぞ。何か用があるなら、今度念話でもしてくれ」

「ああ、了解。あ、そういえばクロノ。最近妹さん元気にしてる?」

「元気だ。今度遊びにでも来ればい……」

 それ以上言う間もなく―――
 気がついたときには緑色の鎖によって全身を拘束されていた。


◇◇◇


(うまく行った)
 内心ガッツポーズをとりたい心情で自分の放ったチェーンバインドによって拘束されたクロノを見やる。その表情には驚きが浮かび、どうして自分が拘束されているのか分からないといった表情だった。それが演技なのか本当に驚いているのかは後で考えるとして、今もっと優先する事がある。

「……これはどういうことだ。ユーノ」

 姿は長年付き合いのある数少ない男友達のそれだ。間違いなく、いまこの時でさえも外見的な違いなど微塵も読み取れないほど、そこにいるのはクロノ・ハラオウンだ。
 しかし―――

「黙りなよ偽者。生憎とあいつと僕とは付き合いが長くてね。他の奴らはだませても僕は騙せないぞ」

 慎重に距離をとりながら拘束を緩めずに念話を行おうとしてみるが、妙なジャミングが掛かっているのに気がつく。偽クロノの方を見ると、にやりと笑われた。

「驚いたな。いや本当に。どうして僕が彼じゃないって分かったんだ?」

「……教えてやる義理なんてないけど、一個だけ。その姿を消した執務官はクロノの妹のフェイトだ」

 それはつい先ほど、廊下で出くわしたエイミィによって教えられた事。
 例の召喚事件を担当した巡航L級8番艦の執務官である彼女は一ヶ月前から消息不明になっている。絶えず、どこか暖かい雰囲気があるアースラは今では非常に重い物になっていて困る、とは彼女の談だ。それに追加して、今朝からアースラ艦長のクロノも見当たらないとかで、彼女は本局の無限書庫に来ては居ないかと探しに来ているところだったらしい。

「エイミィが君を探していて、それなのに君は平気な顔をして本局の中をうろついていた。それはそれでおかしくないけど、あいつが事件調査で僕をこき使わないなんてありえない話だ。だから、趣味じゃないけど少しばかり鎌を掛けてみた」

「なるほど……いや、失敗したな。彼女からは、もっとしっかり聞いておくべきだったか。
 妹がいるというのも、リンディ・ハラオウンが再婚でもした物とばかり思っていたんだが……なるほど、それで彼女は僕の顔を見て驚いていたわけだ」

 喉を震わせて哂う表情に嫌悪感しか感じられなかったが、それでも聞き捨てならない言葉があった。

「お前、フェイトに何をした。彼女はいま何処にいる」

「別に。君の言葉を借りるなら、教えてやる義理はないだろう」

「……ふざけていられるのもいまの内だぞ。念話を遮断したところでこの区画は基本的に魔法使用が禁止されている。そんな場所で特に隠しもせずにチェーンバインドを発動させておけば、直ぐに本局の警備隊が気がつくはずだ。後数分、こうしているだけで僕の勝ちになる」

 管理局内部では原則として魔法の使用が禁止されている。だが、別段使用することが出来ないわけではなく、魔力探知装置によって監視されるという形をとっていた。下手に魔法の使用制限を設けるとそれを逆手に取られ、質量兵器で武装して襲撃される恐れもある。
 有事の際には目立つように魔法を使えばそれが警報代わりにもなるため、管理局ではよほど重要人物が集まる場所ではない限りはこの手法が取られていた。
 局内で発動そのものを防いでいるのは転送系のモノくらいだろう。
 そのことも理解しているのか、偽クロノは薄く笑い、

「確かにそうだな。流石に戦技教導隊に次ぐ精鋭揃いの本局警備隊を相手にするのは骨が折れそうだ。もっとも―――」

 言葉と同時に魔力によって編まれた鎖が切断された。

「そうでないと、君が死んでしまうだろうがね」

 声には呪いが込められていたのか、純粋な殺意はほんの微かに反応を遅らせた。
 鏡を砕くような音と同時に右肩から左脇腹に掛けて直線を描く痛みが走る。
 斬撃。
 いつの間にか偽者の手にある片手用の十字剣によって咄嗟に張られた防御ごと身体を切り裂かれたのだと気づいた時には返す刃が正確に首を刎ねる軌跡を描いていた。

「!? 盾よ!!」

 左腕を上げ、同時に編みなれた局部防御の魔法を展開。発動速度と防御力に重点を置いた術式は際どい所で間に合い、必殺の一撃を防ぐ事に成功した。

(こいつっ!!)

 勝負を決めるはずだった一撃を防がれたためか、一瞬だけ動きが止まったのを隙と見て距離をとる。初撃に受けた傷がもう脳の処理をパンクさせるほど痛かったが、いまは治癒をしている余裕も激痛に転げまわる暇もない。

(けど、どうする。この状況)

 身体を斜めに走る傷の深さを確認しながら自問する。
 現状は最悪と言える物だった。
 敵はこちらの拘束魔法をノータイムで打ち破れるほどの腕を持ち、近接戦闘を得意とするらしいというのはいまの一瞬で嫌と言うほど理解できた。対してこちらは防御と補助が得意な後方支援型が一人。
 しかも全体的には浅く貰ったとはいえ、傷の方も無視できる物ではない。秒単位で力が抜けていく感覚に肌があわ立ってくる。
 司書という役職からは想像も出来ないほど荒事に巻き込まれやすい人生のおかげで身についた咄嗟の魔力放出による物理衝撃の緩和と展開速度だけならば自分が行使できる最速の局部防御魔法。そのどちらも自分にとっては切り札的なものだった。それらを使ってしまった以上、もはやユーノには防御魔法を展開して警備隊が来るまでの時間稼ぎも難しいだろう。
 それであっても、相手が結界破壊系統の術を使えれば容易に突破され、今度こそ確実に首を刎ねられるだろう。
 ならば、普通此処は逃げの一手なのだが―――

「そんな、格好悪い真似出来ないよな……」

 ユーノは知っている。彼が良く知り、好意を持って接する彼女たちならばこの状況でどんな選択をするのかを。
 故に、敵を、彼女たちの友を連れ去ったと思しき憎き敵を、このまま取り逃がすなんて選択は取れなかった。

「妙なる響き、光となれ、癒しの円のその内に、鋼の守りを与えたまえ」

 呪文詠唱と結印によって緑色の光が壁となって現れる。

「回復と防御を同時に行う結界魔法、か。しかし、それでは俺を捕らえる事が出来ないぞ?」

「ああ、けれど、お前だって僕をこのまま放って置く訳には行かないんだろう」

「ご名答。悪いが、この儀式では目撃者を消すのが基本なんだ。悪く思うなよ」

 その言葉の返答は明確なる殺意の噴出で応じられた。相手にどういう事情があるのかは知らないが、とにかくこの場からユーノを生かして返すつもりが欠片ほどもないのは確かなようだ。
 それに痩せ我慢と意地を掛けた笑みで答えて、

「それなら来なよ偽者。本物にだって破られない結界を破れるものならね」

「……良いだろう」

 それまで無造作に片手に持っていた剣を両手で持ち直し、身体を半身に開いた状態で柄を顔の横の高さに持ち上げて構えた。
 この場に日本の剣道を知る烈火の将がいたならばそれが日本の南部、九州地方を中心に発展した示現流と呼ばれる剣術の構えであると分かったのだろうが、生憎と剣に詳しくないユーノには奇妙な構えにしか映らなかった。
 それよりもむしろユーノの目を引き付けたのは相手の足元に展開される青い光によって形成される魔法陣。


 三つの円を頂点とした正三角形。


 その形が意味する、相手が使おうとしている術式は紛れもなく―――

「ベルカ式!?」

「……その名を知っているなら、こちらも知っているかもしれないな」

 言っている間にも吐き気がするほど凝縮された魔力が刃に収束されていく。隠密行動よりも必殺を選択した敵はそれに相応しい技を放とうとしている事が分かる。ベルカ式、そして使用武装が剣と言う事がユーノにある嫌な予想を思い起こさせる。
 そして、その悪夢は現実の物となった。


「《紫電―――」


 収束した魔力は蒼い炎となって顕現し、


「――― 一閃》ッ!!」


 放たれた閃光の斬撃は防御ごとユーノを切り裂いた。


◇◇◇


「やれやれ、だな。ここまで派手にやってまだ生きているとは……」

 爆発と衝撃でボロ布のようになって倒れている少年を見下ろしながら、少年の想像以上の頑丈さに正直な驚嘆を漏らした。
 建造物を破壊させないために多少の手加減をしたが、それだからといって食らって平気な攻撃ではなかったはずなのだが……

「ともあれ、これ以上の時間は使えないか。これはさっさと用事を済ませないと……」

「そうそう、世の中上手く行くとは思っていないだろうな」


《Blaze Cannon》


 機械音と同時に放たれる砲撃魔法。触れた物を焼き払う高熱の魔弾を手にした剣で切り払うと、魔弾と全く同じ軌跡を描いて無数の矢が迫ってきていた。降り注ぐ矢の雨を体捌きで回避して、一息で10メートルほど後退する。
 追撃はない。だが、明確な敵意を持つ存在が噴煙の向こうに存在しているのは確かだ。
 最も、姿こそ見えないが相手が何者かなど、考えるまでもない。

「もう提督なのだろう? こんなところで三下を相手に出張ってきても良いのか」

「謙遜する必要はない。そこで転がってるのは防御に関しては超がつく一流だ。そいつをボロボロに出来るだけでも十分危険人物だよ」

 煙が晴れると、そこには二人の長身の男がいた。一人は自分と同じ黒衣を纏った青年。手には槍のような形状のデバイスを手にして油断なくこちらへ切っ先を向けている。
 いま一人は青年よりもさらに一回りほど体格の良い、赤い外套を身に纏った男。褐色の肌に灰のような光沢のない白い髪の男は猛禽を連想させる鋭い目で射すくめるようにこちらを睨んでいる。男の方は無手であるが、矢はこちらの方が放ったのであろうことは容易に想像できる。
 最も、そんな些細な事はどうでも良い。
 いま注意しなくてはならないのは、その男の存在自体だ。無言で立つその姿は少しでも魔導の心得のある者なら、一目で人間ではありえないと知る事が出来るだろう。
 魔力の大小などという瑣末な問題ではなく、人間ではこれに打倒できないと言う問答無用の存在感を放つ者。
 そういった存在をなんと呼ぶかは、知っている。

「英霊……やはり、君もマスターになった、というわけだ」

 にやりと笑うこちらの意図に気がついたのか、無表情を装うとしているクロノの顔が僅かに揺れる。

「こちらの偵察……それだけではないだろうが、それも目的か」

「まあね。君と願望機と言う言葉には強い因縁もある。選ばれる可能性はあるだろうと踏んでいた。行きがけの駄賃で確かめるのも、悪くはない」

「……なるほど、ある程度このくだらない儀式の性質も知っているわけだ。なら、第一条件として英霊は英霊にしか倒せないという事も知っているな」

「勿論。だが、それがどうかしたのか?」

「なに?」

 こちらが事情を知り、不利を理解し、それでも余裕の姿勢を崩さない事を怪訝に思ったのか、クロノは僅かに手にした杖に力を込める。だが、その主を抑えるように真紅の弓騎士が一歩前に出てきた。

「……アサシンのマスター、か」

 その鷹の眼はこちらではなくその更に奥へと向ける。その空間には何もない。
 否、其処には確かに『彼』が存在しているのだ。

「流石に弓兵。眼が良い……アサシン。隠れている意味がなくなったぞ」

《タシカニ。ダガ、ダカラトイッテスガタヲミセテヤルヒツヨウモナイ》

 機械で合成したような、性別も年齢も判別しにくい声音が通路に響く。その声に二人が警戒を強めているが、

《シオドキダ》

「そうだな。目的の品は?」

《グモン》

「結構。では帰ろうかアサシン」

 無造作に手にした剣を床に突きす。その箇所を中心にしてベルカ式の魔法陣が形成される。

「アーチャー!!」

「承知」

《ジャマダ》

 前へと踏み込む弓兵を遮るように影が虚空から出現する。枯れ木のような細い四肢をしたアサシンは弾丸のような黒い短剣を投擲して相手を牽制する。髑髏の仮面に漆黒の布を外套のように羽織ったアサシンは風でも吹けば折れてしまいそうな貧弱な容姿とは裏腹に当たれば人体など砕けそうな威力が込められた投擲を放ち、弓兵はいつの間にか手にした二刀で悉く弾き落とす。
 だが、それ故に弓兵たちは間合いを詰められないでいた。アサシンの投擲や機動はクロノと弓兵を一直線に並ぶように計算されている。直接こちらに攻撃を加えようとするクロノは味方が邪魔になって満足に攻撃できないでいた。

「アサシン。こちらの準備は完了だ。行くぞ」

『サッサトシロ』

 淡白な返事をするアサシンに苦笑を覚えながら、構成した術式を展開した。


「集え戦場を駆ける乙女、戦士を導き、楽園への鍵を我に与えよ―――《旅の扉》」


 コマンドヴォイスと同時にアサシンも後退し、転送の魔法が起動する。臍を噛むクロノとその従者へ笑みを浮かべ、

「それではアーチャーとそのマスター。七騎全てがそろった暁には、その首を貰いに来る」

 直後、起動した魔法によって戦地からの脱出を果たした。


◇◇◇


「……逃がしたか」

「ああ。しかし、収穫もあった」

 転移で逃走した二人組のいた空間を見つめながら、クロノは苦いものを噛むような表情をした。それに気休めのような台詞を掛けながら弓兵は廊下に倒れていた少年の傍に膝をついた。

「マスター。とりあえず人命救助が優先だ」

「そうだな。僕が掛けた簡易治療魔法じゃ危ないかもしれない」

 妹の影響で持ち歩くようになった携帯端末で警備隊と救護班に連絡を入れて、改めて自身の従者に眼を向ける。

「しかし、本当に起こってしまったな」

「なんだ、まだ信じていなかったのかね」

「当たり前だ。過去の英雄を召喚・使役する大儀式。七人の魔導師と七騎の英霊の潰しあいにその先に顕現する願望機。正直眉唾な事この上ないぞ? ただ、まあ……」

 こうして目の前で、その儀式の存在をこれ異常ないほど強く匂わせるものと遭遇してしまってはどうしようもない。

「始まるんだな。聖杯戦争とやらが」

「ああ。恐らくは、君の妹君の失踪にも多少なりと関係があるだろう」

 六十年周期で起動する願望機。
 生贄を捧げる事で起動する条件。
 召喚されるという悪魔。
 それらの単語にクロノが召喚した弓兵は心当たりがあるらしい。
 不透明な敵の全貌に戦慄を感じながら、クロノは再度、姿を消した二人の幻影を見つめるように虚空を見つめた。


「でかい事件になりそうだな……」



[22501] 第二話『聖杯戦争』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/14 16:23



 時空管理局本局の廊下はいつになく慌しい。行きかう局員たちの表情も険しく、皆早歩きかそれ以上の速度でそれぞれの目的地へ向かっていた。
 航空戦技教導隊所属の一等空尉・高町なのはもその例に漏れず息を弾ませながら廊下を駆けていた。
 『不屈のエース』とも呼ばれる彼女が慌てるなど、それだけで事態の深刻さを表しているようなものだが、廊下に溢れている局員にその姿を見咎める者は居ない。
 今日の昼過ぎ、次元世界の法と秩序を守護する時空管理局本局に賊が現れ、保管してあったロストロギアを奪取した挙句にまんまと逃げ遂せてしまったのだ。前代未聞のこの事態に本局では上へ下への大騒ぎになっている。
 なのはの所属する戦技教導隊の方も犯人追撃の為に緊急招集が掛けられていたのだが、彼女がいま向かっているのは部隊の待機室ではなかった。連日別件の捜査に従事していた為、なのはには召集が掛けられなかったのだ。代わりに彼女も良く知る紅の鉄騎が先程出撃したと、本人から念話で伝えられていた。
 もう一つの緊急連絡と共に。

(急がなくちゃ……)

 心を炙るような焦燥に更に足に力を込める。なのはが向かっているのは怪我人などを収容する医療施設区画。そこに彼女にとって恩師にして大切な友人でもあるヒトが運び込まれていると、ヴィータは告げていた。

 『ユーノが重傷を負った』

 事務的な調子で武装隊の方への通達が済んでいること、なのはは戦力が低下しているアースラへ出向になる事、特殊な事件であるため捜査官としてはやても動員される事になったなどを伝えられ、彼女はいても立ってもいられなくなったのだ。

(ユーノくん……)

 心の内で呟いた名前が、酷く嫌な予感に彩られていく。
 この感覚は覚えている。何せ、つい一ヶ月前にも似たような感覚に捕らわれたばかりなのだから。
 捜査に向かったまま姿を消してしまった親友。
 その一報を受けたときも自分はいまと同じように彼女の名前を胸の中で呼んでいた。
 その時のことが、いまに重なる。形容しがたい感覚に手足の感覚が薄くなっていくようだ。力を込めようとしても芯の部分で力が入らない。理性は一ヶ月の間、任務や学業の合間を縫って失踪したフェイトの捜索を続けた疲労だと判断しながら、理性の管理を受け付けない肉体の端々が訴えてくる。

 『もう駄目かもしれない』と

 いくら探しても見つからない親友。
 消えてしまった彼女と、もう会えないかもしれないという可能性。
 それがそっくりそのままユーノに被さっていく。

「―――っ」

 胸のうちに蟠っている感情に今にも叫びだたくなるような衝動に駆られる。
 どうしてこんな事になるのか。
 何でこんな事になってしまったのか。
 訳が分らなくて誰かに説明して欲しいと喚き散らしたい。
 だが、十五歳と言う年齢に不釣合いな修羅場を潜り抜けてきた彼女にはその自由は許されなかった。

《master》

「大丈夫だよ。レイジングハート。ちゃんと分ってる」

 首から提げる真紅の宝玉―――意思を持つ魔法の杖・レイジングハートに答えながら自分の弱気を払うように首を振るう。
 叫ぶ暇があるなら行動しろ。
 嘆く暇があるなら思考しろ。
 最善が取れなくても、せめて少しでも救える何かの為に。
 魔法に出会ってからの七年間。迷ったり挫けたり間違えたりしながら歩んで得たものたちが背中を押してくれるのを感じながら、最後の曲がり角を抜けた。

「なのはちゃん……」

「はやてちゃんユーノくんは!?」

 乱れかけの呼吸を整えるのももどかしく、はやてに詰め寄る。
 近づくにつれてはっきりと見えるようになっていく表情は、どこか暗い。どこか草臥れている管理局の紺色の制服が一瞬縁起の悪い物を連想させてしまう。

「なのはちゃん。落ち着いてな。ユーノくんは、その……」

「まさか……そんな……」

 無遠慮に働き始める想像力が最悪の状態を描き始める。それを『現実』に変えてしまうはやての言葉が怖くて思わず耳を塞ぎそうになって―――

「全治三日。本人もさっき目ぇ覚ましていまじゃぴんぴんしとるよ」

「嘘だって言ってよはやてちゃん!!」


・・・・・・間。


 冷徹な現実を受け入れられないとばかりにあげた叫びは、しかし、どこか間抜けな沈黙を引き起こすだけだった。

「……へ?」

 大きく口を開けたまま停止してしまった思考がその間に再起動を試みる。が、上手く行かない。根本的な部分が致命的に間違っている気がして、とりあえずはやてに確認を取る。

「……はやてちゃん。いま、なんて?」

「せやから、ユーノくんは無事。本局に忍び込んだ賊と交戦したらしいんやけど防御に専念してたのと助っ人に入ったクロノくんが間に合ったのが功を奏して酷い怪我やないみたい」

 何なら本人に会って話をするかとも言われたが、内心それどころではなかった。
 へにゃへにゃ、という形容が相応しい脱力っぷりで床に膝を付けて、体の内にあった物を全部吐き出すように呟いた。

「よかったぁ~~~~~~~~~」

 最悪の予想は外れてくれた。
 怪我をした事や、回復魔法が発達した管理局で三日も治療に専念しなくてはならないというのは結構な傷なのでは、なんて思いも無論浮かび上がるが、それでも此処にたどりつくまでの間ずっと胸の内に棲みついていた想像よりはずっと良い。

「むぅ。なのはちゃん、安心するのはええけどここは怒るところと違うん?」

「ふぇ?」

 ふぅっと安堵の息を漏らすなのはにどこか不機嫌そうな視線を送るはやて。そういえば、彼女はずっとどこか不機嫌な表情をしていた。
 だが、彼女が何に対して不満を抱いているのか分らずに小首を傾げると、はやても毒気を抜かれたような顔をした。

「あ~あかん。なのはちゃんと一緒にちょっとお説教食らわせようかとも思うてたけど、いまいちしまらん」

「え~っと、その、ごめんなさい」

 なんとなく頭を下げるなのはに、はやては再度ため息をつきながら、

「なのはちゃんが頭を下げてどうするん。第一発見者のクロノ君がもっと早く正確にうちらに教えてくれてたらこんなに心配せんでも良かったんやで?」

「……ああ、なるほど」

 なんとなく、はやての言い分が分って納得がいった。
 自分たちを取り巻く事情はクロノも良く知っているはずの事だ。
 連日連夜、それこそ『強奪されたロストロギアを追跡する』という名目で強引に捜査を続け、既に一ヶ月動き回っているにも拘らず手掛かりも見つけられないフェイトの行方。
 それによってどれだけ神経をすり減らされているかは、陣頭指揮を執って自身も独自に行動を起こしながら捜索し続けているクロノ本人が誰よりも分っている事だろう。
 なのに、此処へ来て不安を煽る様な真似をされていかに快活なはやてであろうと怒りを覚えるのも頷ける話だ。
 だが、彼女たちの知る限り、クロノという青年はそんな性質の悪い冗談をいうような人物ではなかったのだが……

「その件については、すまないと思ってるよ。こちらも色々と大変だったんだ」

 スライド式のドアが開いて病室から長身の青年が現れた。話題にされていたクロノは多少すまなそうな表情をして、

「なのは、悪いが面会は後回しにさせてくれ。ユーノも麻酔が効いてきたんで眠ってるし、それに君たちに説明しておかないとならない事もある」

 むしろそちらの方が呼び出しの本題なのだと続けるクロノにはやてとなのはの二人は怪訝そうにお互いの顔を見合わせた。いくら急ぎの話だといってもその口実に親しい友人が怪我をした事を使うなど、彼女たちの知るクロノでは絶対にしないと思ったからだ。

「クロノくん。話しておかなくちゃいけないことってなに?」

「……フェイトの失踪と、今回の襲撃者が同一人物かもしれない」

 言葉を選ぶように慎重に音量を絞りながら漏らした言葉に、二人は一瞬息を呑んだ。そして、クロノの様子から他人に聞かれると危険な類の物だと理解した。
 二人の顔つきが友人の安否を気遣う少女から戦場へ挑む戦士のものになった事に複雑な感情を抱きながら、クロノは続けた。

「とりあえず、ここで立ち話もなんだ。アースラの方で説明しよう。うちの艦も出撃準備をしないといけないからな」

「うん。わかった」

「了解や。艦長」

 互いに頷きあい、三人は慣れ親しんだ鋼の艦へ向かって歩き出した。


◇◇◇


 巡航L級8番艦・アースラの執務室はその主の性格を現すように質素で、机と折り畳みベッド、それと大量の資料や書類やらを詰め込まれた本棚以外の調度は一切無かった。コーヒーメーカーなどは原則此処には持ち込まないようにしている。
 ……正確には、そういった物を置いてしまうと閉じこもったまま黙々と仕事をこなし続ける自分が外に出てこなくなるという過去の事実から部下たちに強く言われて置く事が出来なくなってしまったのだ。
 それに関しては、まあ自業自得と言う事で納得はしているが、それでも来客に対してお茶も出せない自分の執務室にほんのり肩を落とす。せめて来客用の椅子と簡単な飲み物を用意できる物を今度こっそり持ち込もうと硬く決意する。

「すまないがそのベッドを広げて掛けててくれないか?」

 一応、此処しばらく使っていない、というかここ一ヶ月の間はまるでお世話になっていなかった物なので汗臭かったりはしないと思いたい。しかし、指示された二人の少女には多少困惑した色が見えた。
 いくら顔見知りだからと言って異性の寝具に触れる事に抵抗があるのかもしれない。 うっかり忘れそうになるが、彼女たちは平時は名家のご令嬢が集まる名門女子校に通っているのだから異性に対して多少潔癖な反応を見せるのは仕方の無い事だろう。

「本当に申し訳ない。本当なら会議室で話せればいいんだけど、出来ればこれから話す事を知る人間は少ない方がいいと思ってね」

 巡航L級艦船の執務室ともなればその盗聴対策は万全といっていいだろう。こちらから回線を開くか、直接念話を使わない限り通信が通らないように施されている。なのは曰く『天岩戸』とも呼ばれるここなら、立ち聞きなどの可能性をほぼ排除できる。
 そういった理由での選択だったが、早くも少し後悔しそうになるが、二人が特に文句も言わずにベッドに腰掛けてくれたので、自分も一脚しかない椅子に腰を下ろす。

「さてと。何処から話そうか……やっぱり、さっきの襲撃騒動からかな」

 視線で構わないかを尋ねて、二人が首肯してから話し始めた。

「まず、もう二人にも伝達がいったと思うが今日の昼過ぎ、管理局本局が封印・管理しているロストロギアが何者かによって奪取された。犯行を行ったのは二人。そのうちの一人は変身魔法を使用して僕に成りすましてもう一人を手引きしたらしい」

 偽者は堂々と本局内をうろつき回り、その際に数人の職員とも遭遇していた。それでも一切疑われる事も無く本局にあるロストロギア封印区画まで侵入し、そこで偽者と看破したユーノと戦闘になった。管理局自慢の魔力識別装置でも判別の付かない変身魔法を長年の付き合いで看破したユーノは、しかしその鋭さゆえに大怪我を負う事になってしまったのだと思うとやりきれなくなる。

「ちょっと待ってクロノ君。管理局の魔力識別装置で識別できないなんてありえるん?」

「理論上、使い魔と主ならば識別が困難になる場合はあるし、はやてとリィンみたいな関係ならありえない事じゃない、らしい」

 教師に質問するように挙手するはやてに返しながら、自分でもその可能性の有無を考えてみる。
 魔力識別装置と言うのは魔導師個々人が持つ固有の魔力光の波長を解析して識別する装置だ。術者によって人造魂魄を分け与えられた使い魔などは魔力光が似た波長になる事があるし、はやてのリンカーコアを分け与えられたリィンフォースⅡなら、はやてと非常に酷似した反応が出てもおかしくは無い。

「しかし、どちらにしても見ず知らずの他人と似るという事はない」

 どんな形であれ、繋がりが無い相手と言う事はありえない。

「でも、それじゃあ犯人はどうやって……」

「一応、他人に擬態する魔法が無いわけじゃないから、いまはそれを使用していたんじゃないかということで捜査が進んでいる。変身に特化した術者なら、あるいは可能かもしれないと言う話だったよ」

 少し前、事情聴取を行っていた査察官から聞き出した話を思い出しながら話す。だが、彼もクロノもその可能性は低いと考えていた。はやてもなのはもそうなのだろう。

「変身魔法なら使用していた痕跡が残ってまう気がする」

「ああ。だから、何かのロストロギアを併用している可能性もあるって言っていたけど……とりあえずそっちの方は後回しにして、問題なのはもう一人と奪っていったロストロギアの方なんだ」

「もう一人って言うと……ロストロギアを直接奪った方?」

「そうだ。率直に言うと、そいつは尋常な相手じゃない。ある儀式によって召喚され、使い魔になった過去に存在した英雄なんだ」

「召喚された……」

「英雄?」

 いぶかしむ様に顔を見合わせる二人の表情に、まあ仕方が無いと同意したくなるのを何とか堪えた。

『マスター。そろそろ実体化しても構わないかね?』

 脳裏に直接響く、念話に似た通信に軽く頷きながら、

「頼む。正直、ここから先の説明は君の方が上手そうだからな。アーチャー」

 言って、部屋の隅へと視線を向ける。突然明後日の方向に向けて話し始めた事で、更に二人が訳が分らないという顔をするがそれも紗蘭という衣擦れに似た音と同時に姿を現した騎士の姿を見て驚愕に変わった。

「い、いつの間に……!!」

「どうやって!?」

「ああ、待て待て。彼は敵じゃない」

 咄嗟に自身の魔法杖を起動させようとする二人に手で制止した。褐色の肌に光沢の無い白髪、髪と同じ色の瞳をした騎士はやや憮然とした表情でこちらを見据えていた。だが、とりあえず紹介が終わるまでは口を出さないつもりらしく両腕を組んだまま特別何も言って来なかった。

「彼はアーチャー。僕が今朝方召喚した、過去にいたとされている英雄だ」

「よろしく。可愛らしいお嬢さん方」

 冗談めかしに言い放つが、どうにもフリーズを起こしている二人はどう反応すればいいのか分らないらしく困惑しているようだ。

「はぁ……」

「ども。えっと……アーチャーさんって本名なん?」

 そんな名前の英雄なんて聞いた事も無いと言いたげにはやてが疑問を口にすると、アーチャーは軽く首を横にふった。

「いや。それは聖杯戦争に参加するサーヴァントたちに分け与えられたクラスの名前だ」

「サーヴァント?」

「聖杯戦争?」

「……まあ、聞きなれない単語ばかりだから戸惑うのも無理はないか。僕自身、まだ良く理解できていない部分が多い。アーチャー、悪いがもう一度説明してくれ」

「了解した。……とはいえ、何処から話せばいいのか……やはり、初めに聖杯戦争についてからか。君たちも魔導という神秘に携わっているなら聖杯という単語くらいは知っているかな?」

「聖杯っていうと……キリストの血を受けたって言うアレですか?」

 アーチャーの問いになのはと僕は首を横に振るが、はやてだけは心当たりがあるのか自信なさそうに口にする。その解答が満足いくものだったのか、こくりと頷きながら続ける。

「そうだ。神の子が処刑された際にその血を受け止めた杯―――どのような奇跡も叶えてくれる奇跡の杯を指して聖杯と呼ぶ。
 もっとも、私が知る世界では本物の『聖杯』でなくてもそれと同等の力を持つ願望機を指して『聖杯』と呼ぶ慣わしがあり、それらを巡って繰り広げられる大規模な争奪戦を指して聖杯戦争と呼ぶ。直接武力をぶつけ合うモノもあれば、交渉や駆け引きによって進められるモノもある。
 此度の聖杯戦争は前者の分類になる。
 参加するのは七人のマスター。参加条件はサーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し、その身に使い魔を律する令呪を宿している事」
 言いながらアーチャーが視線を寄越して来たので、二人に見えるように右手の甲を掲げて見せた。
 其処には三画で描かれた紋章―――アーチャー曰く絶対命令権とも呼ばれる令呪の刻印が輝いている。

「参加者は敵と戦い、敗者を聖杯に捧げ、最後の一人になるまで戦い抜き、六騎のサーヴァントの魂を満たした杯を得る。
 それが今回現界するに当たって与えられた『知識』と私が生前、別の世界で体験した『記憶』とすり合わせて推測される今回の聖杯戦争のルールだ」

 一端区切り、こちらの反応を見るが特に気にした様子も無いこちら側に不満そうに眉をひそめた。

「……本当に『別の世界』というものに対して反応が無いのだな」

「え~っと、それってどういう意味でしょう?」

 なのはが恐る恐るといった様子で尋ねてみると、難しい表情のまま、

「私が生きていた世界では、異世界移動というのは魔法の域に到達した大魔術だったのでな。滅多に体験できるモノではないし、こうして召喚された経験も私が引き出せる限りでは無かった事だ」

「まじゅつ?」

「魔術って魔法とは違うんですか?」

「まるっきり違う。が、そもそも君たちと私の世界の神秘では在り方自体も違うので説明は省くぞ。
 とりあえず、聖杯戦争の方に話を戻そう。先程も言ったように聖杯というのは広義では『願いをかなえる願望機』だ。その中でも今回起動している聖杯は飛びぬけているのは間違いない。その証拠に英霊召喚という擬似的な死者蘇生まで起きているわけだからな」

「し、死んだ人間まで蘇らせられるん!?」

「ああ。最も、色々な条件があるがな。英雄……死して信仰や崇拝の対象となった存在が輪廻の輪より解き放たれ、現象に昇華されたモノは特定の条件さえあれば現界する事は可能だが、いまの私のように生前の記憶と人格を持ったまま現界するというのは蘇生と呼べる代物だ。
 ……普段は、滅亡に瀕したさいにその要因を排除するために呼び出される存在なのだがな。私は」

 冗談めかしに言うアーチャーだが、はやてとなのは達はそれとは別のところが気になるらしい。
 眼に見えて顔を蒼くさせながら、恐る恐る窺うように二人が口を開いた。

「え、ちょ、ちょおまって。それじゃあアーチャーさんてもしかして……」

「ゆ、幽霊さん、なのですか?」

「ああ。先程も幽体化していたのだが?」

 それがどうしたと言わんばかりのアーチャーに二人が怯えたように身を引く。異形の怪物や危険な次元犯罪者などにとって畏怖の対象となっている彼女たちにしても『死霊』というのは恐怖を感じるものらしい。だが、このままでは話が進まないし、心なしかアーチャーが傷ついたようにむすっとしているのでフォローをいれる事にする。

「まあ二人とも。とりあえず、今の彼は僕の使い魔という事になっている。アルフと同じような存在、という事で折り合いを付けておいてくれ」

 苦笑交じりの説明に納得したのか、なのはたちも何とか聞く体制を整えた。
 もっとも、アーチャーの方は更に不満が募ったらしい。

「……マスター、通常の使い魔とサーヴァントと同列に扱うのは異議を申し立てたいのだが?」

「そういうな。実際、このまま二人には正気に戻ってもらわないと話が進まない」

 不満を露にするアーチャーをとりあえず無視して二人に目を向ける。

「とりあえず、アーチャーが強力な願望機―――便宜上『聖杯』と呼ぶけど―――によって召喚された過去の英雄であり、そして今日本局に押し入った賊も同じく過去に存在した英雄だ、という所までは良いか?」

「うん。それなら……」

「でも、そんな死んだ人間も蘇らせられるような代物ってあるの?」

「ある、というかあったというか……一ヶ月前、発動したロストロギア。アレを正常に稼動させる事が出来たなら可能かもしれないという事が分っている」

 言った瞬間、二人の表情が変わる。
 一ヶ月前に発動したロストロギア。それは彼女たちが探し続けているフェイトとも浅からぬ関係があるものだった。

「そういえば、あっちの調査もクロノ君が進めとったんやっけ。結局の所、アレはどういう代物やったの?」

「ああ。そもそも、あの『聖杯』は莫大な魔力貯蔵を目的にしたものらしい。莫大、なんて言葉が陳腐に聞こえるくらいの魔力を用意して時空間にぶつけ『此処』とは別の『世界』……“アルハザード”へ至るための道を拓く。それが例のロストロギアの目的だったらしい」

「アル、ハザード……」

「? なのはちゃん?」

 驚愕に固まるなのはにはやてが不思議そうに小首を傾げた。知識の上では、彼女もその単語の意味程度は知っていると思うが、それがなのはにどう関係するかまでは分らなかったらしい。


 アルハザード。


 御伽噺にのみ登場する、奇跡の眠る世界。
 現代では失われた遺失技術が眠っているとされるその世界の名前はなのはとフェイトにとってはまた別の意味合いを孕んで来る。

「はやて。アルハザードはPT事件の主犯が目指していた場所だよ」

「……」

 はやてに対してはそれだけで十分。大雑把な経緯くらいは彼女にも話してあった。
 一人だけ事情がまるで分らないアーチャーは、しかし特に気にした様子も無かったのでこれ以上の説明は省いて話を進めた。

「マスターのいうアルハザードというのは私の知識の中で『根源』と呼ばれるモノらしい。アレに辿り着ければ、確かに死者蘇生など容易に可能だろうな」
「本当に、そんな所があるんですか?」

 俯き気味に顔を伏せながら、なのはがアーチャーに尋ねた。その声音には何処か、否定を求めているような響きを感じたが、いまはとりあえずアーチャーの返事を待つ。自分自身、なのはのした問いには興味がある。
 失われた都・アルハザード。
 現代の魔導技術では再現不可能なロストロギアが当然の如く存在していた旧世界の技術が眠っている場所があるのか?
 それこそ、御伽噺の『魔法使い』のような荒唐無稽な奇跡を起こす事は可能なのか。
 もしそんな場所があるなら―――

「それは確かに存在する。そもそも、君たちが使う術式は『第二魔法』の亜流のようだしな。宝石翁の弟子で最も大成したのがこの世界の魔導師だったようだ」

 言い切って、しかしアーチャーは憮然とした表情を作った。

「もっとも、アレを目指すのは無意味だ。辿り着けるものは放って置いた所で辿り着くし、辿り着けないものにはどうやった所で辿り着けん。強引な手段に訴えれば世界はたちどころに抑止力を発動させる。この世界……いまいるここも含めた全世界単位の『意思』は大分大らかなモノらしいがそれでも摂理を捻じ曲げるものが現れようとすれば防ごうとするだろう」

「……ちょっと待て、アーチャー。それじゃロストロギアを使ってもその『根源』とやらに辿り着けない事になるんじゃないのか? 後、抑止力というのはなんだ?」

「抑止力というのは文字通り世界や人類の破滅を抑止する守護者の事だ。私のような純粋な『力』を直接派遣して一掃する事もあればその時代、その世界の人間の感情を後押しする事で破滅を回避するなどもある。
 誰彼構わず『魔法』のような反則を手にすれば摂理は捻じ曲げられ、法則は書き換えられ、混沌とした世界に出来上がってしまう。それを防ぐために相応しくない者が『根源』への道を開けば瞬時に私のような存在が出現し、開いた術者を排除するようになっているのだ
 あと、件のロストロギアなら『根源』への道を開く事は可能だろう。細かい説明を省くが、英霊たちの本体が存在する『座』と『根源』は非常に近い座標に存在する。聖杯戦争に敗北し、元々いた『座』へ戻ろうとする力を利用して『根源』へと道を開く。
 むしろ、このために『聖杯』は我々英霊を召喚するのだろうな。誰が構築したのか知らないが、この儀式の考案者は大胆なものだ。英霊を案内人兼通行証として使おうというのだからな。
 ……聖杯戦争の概略に関してはこれで一区切り付くが、質問はあるかね?」

 生徒に尋ねる教師のような口調でこちらとなのはたちを見やる。彼女たちに疑問の色がないのを見て、アーチャーに頷き返した。

「よろしい。では、次は襲撃者についてだ。犯人と思しき二人組。一人は間違いなく私と同じサーヴァントだった。クラスはアサシンだろう。一緒にいた魔導師がマスターなのかどうかは分らなかったが」

「マスター同士は近寄れば分るもの、という話だったんだが僕には何も感じられなかった」

 至近距離にまで近寄れば令呪が反応しあって互いに認識できるはずだ、と聞いていたのだが。

「それに関しては魔力隠蔽に特化した魔導師ならば隠し通すのも不可能ではないだろうと思うのだが……いや、これ以上は憶測の域を出んので止めておこう。正体はともかく、倒さなくてはならない敵であることに代わりはない。それに、あまり時間もないかもしれん」

「時間が、ないっていうのはどういう事なんですか?」

 なんとなくなのか、なのはまで手を上げて質問してくる。それを苦笑を浮かべながらアーチャーが答えた。

「ああ。先程も言ったと思うが、今回の儀式で参加できる魔導師の定員は七名のみ。前回の生き残り、というイレギュラーがいない限り今回の起動ではサーヴァントは七騎のみ召喚・参戦する事になる。しかし、ここで厄介な問題が出てくる」

 それがマスターの捜索。
 今回の聖杯戦争の参加者は広い次元世界の“誰か”からランダムで選ばれるようだが、それだとマスターを探し出す事が出来ず、折角起動させた『聖杯』を不発に終わらせる事になりかねないという。文献に載っている数少ない資料の範囲では過去に一度だけそういった事態も起こったらしい。

「そんな……沢山の人の命を使って起動させたのに……?」

「いや、そもそもあのロストロギアに人の命を捧げる必要はないらしい。あれは土地に根を張り、大地の魔力を枯渇させないように吸い上げながら、ゆっくりと『英霊召喚』に必要な魔力を集めるものだったらしい。ただ、度重なる聖杯戦争の激しさと周囲の被害から元々在った次元世界からあの次元世界に移したらしいんだ」

 凡そいまから二百年以上前の話だ。ボロボロの文献の中からそれを探し出すのに一ヶ月という時間が必要だったと思うと、こういった書類の整理を本業にしている無限書庫の司書たちには頭が下がる想いがする。
 その資料によると大地の魔力が乏しく、魔導技術よりも科学技術が発展したあの世界では聖杯は起動に足りる魔力を吸い上げる事が出来ず、ここしばらくはずっと不発で終わっていたらしい。始まってしまうと対処の仕様がないモノをそもそも始まらせない事で、御伽噺の戦争は食い止められていたという事だ。

「もっとも、それほどの力を発現させる物をただ埋もれさせるのは惜しいと、何処かの誰かが考えたんだろうな。試行錯誤の末に大地の魔力ではなく人間の命を捧げる事で足りない魔力を補えば、ロストロギアを起動させるに足りるという結論が出たらしい」

 それが紆余曲折を得て『生贄を捧げて悪魔を召喚し、願いを叶えさせる』という話になったらしい。

「因果なもんやね。本当に」

 軽い調子で、そして抑えきれないやり切れなさを握った拳で表しながら、はやてが呟く。アーチャーでさえ、何処か遠くを見るように上を向いていた。
 一拍置いて、静かにアーチャーが続ける。

「とにかく、それだけのものを支払って起動させたモノだ。マスターが見つからずに無駄に終わるという事は誰だって避けたいだろう。だが、マスターを見つけると一口で言っても容易なことではない」

「君たちは身をもって分ったと思うがサーヴァントは基本的に霊体……姿も気配も消したままでいられる。君たちほどの魔導師であってもそれに気づけないとなるとサーヴァント以外に霊体化している別のサーヴァントを見つけることはまず不可能と見ていいだろう」

「でも、それじゃあどうやって探せばいいん? 地道に探すのにも限界があるやん?」

「そこで、反則業を使おうと考えたんだ。僕も。そして恐らくは奴らも」

 言いながら、ポケットから小箱を取り出した。拳大ほどの宝石箱のような物で、その蓋を開けると暗い色をした菱形の宝石が納まっている。

「クロノくん……それって……」

「管理局が保管している物の内、十一個は賊に盗まれてしまったんだが、最後の一つはユーノが個人的に所有してたんでね。奴の意識がある時に頼み込んで譲ってもらった。本来なら懲戒免職ものだが、相手にこれが渡ってしまっているならこちらもなりふり構っている時間がない」

 蒼白ともいえる顔色になってしまったなのはに、これから先の言葉を告げるかどうか半瞬迷う。
 だが、相手の戦力を最悪と仮定した場合、これ以外の選択は出来なかった。

「次元干渉型エネルギー結晶体・ジュエルシード。こいつの願望機としての性能を使えば、サーヴァントを呼ぶ……正確には令呪をその身に宿す事は可能なはずだ」

 なのはにとっては忘れる事など出来ない因縁深いその魔石を眼の高さに掲げて見せて、


「なのは、君にこれを使ってサーヴァントを召喚して欲しい」



[22501] 第三話『理由』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/21 03:26
「なのは、君にこれを使ってサーヴァントを召喚して欲しい」

 クロノの提案にその場になのはとはやては押し黙った。その表情には当然驚きも多く含まれているが一種の不信感のような物も見て取れる。友人二人にそのような視線を向けられる事に内心心苦しい物を感じながら、これも必要な事だと自分に言い聞かせてまっすぐになのはの目を見つめたままクロノは待った。
 ややして、何かを決めたようになのはも視線を合わせて口を開いた。

「サーヴァントを召喚するって言う事は、私に聖杯戦争に参加しろって言う事、だよね?」

「そうだ」

「それって、最後にはクロノ君とも戦わなくちゃいけないんじゃないの?」

「……」

「アーチャーさん、教えてください。聖杯戦争に参加したら途中でリタイヤしたり、マスターの権利を譲渡したりは出来るんですか?」

 視線をアーチャーへと移して問う。その視線になにを感じたのか、赤い外套を纏った騎士は皮肉げな表情を浮かべて答えた。

「マスター同士の合意の上でサーヴァントを譲ったり、あるいはサーヴァントを律するための令呪を全て使い切れば聖杯戦争からはリタイヤできる。だが、どちらにしても召喚されたサーヴァントがそれを許すまい。聖杯戦争に呼び出されるのはその願望機に希う願望があるものだけ。自身を引き当てた主が降りると言い出せば、サーヴァントは主を殺して別の主を探そうとするだろうな」

「それじゃあ私がサーヴァントを召喚したら……」

「最悪その場で私と戦闘になるだろう。それでなくとも、いずれは戦う事になるかも知れん」

「そんな……クロノくんそれ分っていってたん!?」

「……ああ。その可能性は十分に理解している」

 なのはたちの言う危険性は十二分に理解していた。というか、これはジュエルシードでマスター権を任意で引き当てられるかもしれないと思いついた時にアーチャーからも言われていた事だ。
 その上で、これ以外の選択は出来ないと判断した。

「僕自身、出来ればこんな博打じみたものは好みじゃないんだが……さっきも言ったが時間がない」

「そのロストロギアを使って自分たちに都合のいいマスターを用意するって言うことなん? でも、相手だって仲間にサーヴァントを呼び出させたらうちらと同じように仲間割れするんじゃ……」

「いや、この場合の使い方は『味方を増やす』ではなく『弱い敵を用意する』事に主眼があるだろう。マスターを捜索するのは先程も言ったように困難な作業だ。
 しかし、そのロストロギアを使えば倒す敵を自分たちで用意できる。魔力の低い……もっと言ってしまえば召喚だけさせてサーヴァントを維持できないような未熟なマスターを用意すれば危険を冒さずに勝利を手にする事も不可能ではないだろう」

 サーヴァントたちは召喚した主の魔力を使って現界している。
 召喚そのものはそのロストロギアの魔力で代用が効くだろうが維持し続けるのは術者本人の魔力が必要になる。
 それに必要な魔力が用意できない場合、サーヴァントは消滅する事になる。

「だが、この場合呼び出されたサーヴァントは最初に主の魔力を吸い殺して僅かでも現界し続けようとするだろうが、それでも限界はいずれやってくる。その間に無関係の人間が何人巻き込まれるかは、この場合考慮から外しておくべきだろうがね」

 一応、主を失ったサーヴァントはその間に別のマスターを見つけ出して再契約を行うことも可能だが、マスター探しの困難さは既に言っている通り、その策に嵌められたサーヴァントは消滅する他に道はないだろう。

「例外的にマスターが以外から魔力を補給するという手段があるが、こちらの場合はそのマスターの周囲に被害が広がることになる」

「……確かに。サーヴァントを維持するのにどれくらいの魔力が要るかよお分らんけど無差別に『蒐集』をするようなもんやし」

 自身も魔力蒐集のレアスキルを持っているはやてが俯きながら考える。

「クロノくんが考えとるんはその被害を減らすために『正規のマスター』を用意して、あわよくば戦力を増やすて言う事なんやね?」

「ああ。今の時点でどの程度サーヴァントが呼び出されているか分らないが出来るなら『こちら側』にもう一騎サーヴァントを引き寄せたい」

 その結果、なのはと対決する事になるとしても厭わないとクロノは言い切った。
 緊張感が沈黙という質量を伴って部屋に満ちていく。
 だが、それはさほど長くは持たなかった。

「もっとも、最終的にマスターとそこのお嬢さんがぶつかる可能性は零に近いがな」

「アーチャー?」

「どういう事ですか?」

「なに簡単な事だよ。サーヴァントは聖杯に願いを叶えたいと望む存在が召喚されるが、私に関しては別でね。聖杯などというものに興味はないし、アレに叶えてもらいたい望みなど持っていない。最後に私とお嬢さんのサーヴァントの二騎になったなら、その時はマスターの令呪を使って私を消滅させてくれて構わない」

「本気か? アーチャー」

「ああ。そもそも、私が召喚に応じたのは別の部分で用事があったからなのでね」

 それに聖杯などという大それた物は必要ないと言い放ち、アーチャーは改めて固まったままのなのはに視線を向けた。

「それでお嬢さん。どうするかね? 参加するとなれば命懸けだ。辞退するというのは恥ずべき事ではない」

「なのはちゃん……」

「なのは……」

「…………」

 それ以上は何も言わず、なのはは考え込むように目を伏せ、しかし一分もせずに顔を上げた。

「わかり、ました。高町なのは、聖杯戦争に参加します」


◇◇◇


「……ふぅ」

 サーヴァント召喚の準備をするために出て行く二人の背中を見送ってから、椅子に深く凭れる様に体重を預けながらため息を吐き出す。我ながら情けない声を、と思うがとめる事が出来なかった。

「疲れたかね」

「ああ。精神的にも肉体的にも。ついでに魔力的にもカツカツだ」

 腕を組んでこちらを眺めるアーチャーに正直な感想を返して目を瞑る。実際、体内の魔力は平時の半分以下になっているし、アーチャーにごっそりと魔力を持っていかれているのがはっきりと感じ取れる。この倦怠感めいたものを彼女にも味合わせてしまう事に罪悪感が沸いてきて、さらに体が重く感じられた。

「アーチャー……僕の判断は間違っていたのかな……」

「ああ。わざわざ強力な敵を作り上げて、最後にはその相手に聖杯を譲る約束までする。……私ではない他のサーヴァントであったなら、いまこの場で首を刎ねられてもおかしくはないぞマスター?」

「別に構わないぞそのくらい。この首でよければ存分に刎ねればいい。だが……」

 瞑っていた瞳を開く。
 その視界にアーチャーを納めながら、けれど目を合わせる事が出来ずに口を開いた。

「アーチャー。答えてくれ。君が考える限り、フェイトはまだ生きていると思うか?」

 その問いはフェイトの失踪にサーヴァントが関わっている可能性がわかった時、最初にしたものだ。
 その時の解答は、いまでも覚えている。
 それでも……

「……ほぼ、ゼロだ」

 ……帰ってきたのは、最初と全く同じものだった。
 眼球の奥から真っ暗になっていく感覚に身を委ねながら、

「根拠は?」

「敵サイドにアサシンがいた。奴は召喚される七騎のうち最弱のクラスに該当するがそれをフォローするために固有スキルを持っている」

 それが肉体改造。本来は英霊を『捕食』する事で能力を増強するスキルだが強力な魔導師を食べても多少の足しになる。

「それでなくとも、聞くほど強力な魔導師ならば殺してサーヴァントの餌にした方が効率的。まして、アサシンを引いたならアレの強化は必須だ。マスターたちの言うAAA+の術者なら上等な生贄となる」

「……なるほど、理に適ってる」

 吐き出したくなるような思いは吹き出ることなく、代わりに思考を冷徹なまでにクリアにしてくれる。

「殺した相手に復讐をしたいかね?」

「……したくない、といえば嘘になる。ああ正直犯人を見たとき相手を八つ裂きにしないなんて保障は何処にもない」

 それでも、と一度息をついて、

「それよりも自分自身が許せない」

 脳裏に浮かぶのはフェイトを送り出したあの日の事。
 もしも、あの時自分も一緒に出撃していれば……
 そんな今更な想いが浮かんでくる。
 だが、怒りに震える暇があるなら今はやるべき事がある。

「アーチャー。これ以上の被害は許容できない。僕の使い魔というならこの不愉快な儀式、速攻で終了させるぞ」

「無論だ。聖杯戦争における被害を減らす、というのは私の性にあっているのでね」

 言って、にやりと笑う弓兵に頼もしい物を感じながら、まだ重い体を持ち上げる。
 いまはまだ、この椅子に腰を落ち着ける時ではない。


◇◇◇


 冬の夕暮れは早い。
 学校の授業が終わって外に出ると、もう見慣れた街は茜色に染め上げられていた。

「はぁー……」

「どうしたの、アリサちゃん。ため息なんかついて」

 夕暮れ時の海鳴市。住宅街から駅前商店街へと伸びる二車線道路の脇にある歩道を歩きながら、アリサ・バニングスは盛大にため息を吐き、それが隣を歩いていた月森すずかの柳眉を寄せさせた。
 二人とも目が覚めるような美しい少女だ。すらりとした長身に女性らしい柔らかさが備わった体型。彼女たちが現役の中学生であると知らなければ、何処のモデルが歩いているのかと勘違いしたとしてもおかしくはない。まあ、学校の制服を着ている時点でその可能性は大分低いのだろうが。
 もっとも、肩を落としながら歩くアリサには『愁いを帯びた美女』という表現はやや当たらないようだ。むしろ、その隣を歩くすずかの方がその形容は似合っている。困ったような表情の彼女は男性の保護欲を刺激することは間違いない。
 それに不満があって、というわけでもないだろうがアリサは覇気のない視線をすずかに向けながら、

「どうしたもこうしたも、フェイトやなのはたちの事を考えたらため息の一つもついちゃうわよ」

「……そういえば、なのはちゃん。今日もお仕事だって言ってたしね」

 言って、すずかは更に浮かない顔をする。
 一ヶ月前にフェイトが行方不明になってからというもの、なのはもはやても日々を追う毎にやつれていくような感じがして見ているだけでもつらくなってしまうのだ。

「フェイトちゃん、大丈夫かな……」

「大丈夫よ。フェイトは強いんだし、なのはもはやても頑張ってる。フェイトのお兄様もおば様も手伝ってくれてるらしいし、そんなの私たちが心配したって何の足しにもならないでしょ」

「そうだけど……でも、それじゃあなにが心配なの?」

 何度も繰り返した問答だったのか、それ以上話題を引きずらずに話を切り替えた。
 すると、アリサは本当に憂鬱そうに眉根を寄せて呟く。

「……なのはたちって卒業できるのかってちょっと計算してみたんだけど……私の計算が確かなら出席日数がそろそろ危険なのよ」

「あー……」

 言われてすずかもざっと思い浮かべてみる。が、あえて思い出そうとしなくてもなのは、はやて、フェイトは成績に反比例して出席状況が劣悪なことで校内でも有名な三人組だ。出席日数不足で留年、というのは義務教育の中学校では珍しいが名門私立という謳い文句を掲げる私立私立聖祥大附属中学校では割とその辺りに容赦がない。
 親友たちが後輩になる未来が嫌にはっきりと想像できて二人揃って憂鬱な表情を作る。

「で、でも補修とかでなんとかなるかもしれないし……」

「まあ春休みはあの子達の面倒で大変になるのは確定なわけよね。毎年恒例になっちゃってるけど」

 はやてはまだ文系理系ともに大分成績がいいが、なのはとフェイトは文型科目が絶望的なのだ。その講師役を買って出ているアリサとしてはいまから勉強のメニューを考えておかなくてはならないかもしれない。
 もっとも、言っている間に二人の表情には笑みが浮かんでくる。
 特別な出来事など要らない。
 ただ皆で笑っていられたらそれで良い。
 互いに同じ事を思いながら、まだ帰ってこない親友を想って笑顔を作った。

「ま、いまは未来の暗いお話なんて置いておいて、今日は塾もないんだし何処かに遊びに行かない?」

「そうだね。でも、もうすぐ日も沈んじゃうし、あんまりこの格好で外を歩き回るのもまずい様な……」

「ん~それじゃあ翠屋とかは? 遅くなっても鮫島に車を回してもらえば大丈夫だろうし」

「良いねぇー」

 そうと決まれば話は早い、とばかりに歩き始めようとした。
 だが、その歩みは唐突に止めてしまう。

「どうかしたの?」

「あれ……フェイトじゃない!!」

 思わず大きな声を上げてしまうが、知った事ではない。アリサの視線の先には絹のような金糸の髪を長く伸ばした少女とその隣には長身の女性が並んで歩いていた。大分先を歩いているため後姿しか見えないが、それでも六年近く付き合いの友達だ。それだけでも判別できる自身があった。

「本当だ。でも、なんで?」

「と、とにかく追うわよすずか!」

「う、うん」

 了解の合図を待たずにアリサは走り出す。しかし、身体能力ではすずかに分があるため直ぐに追い抜かれる。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 先行するすずかの呼びかけにフェイトが振り返る。それで確信した。あれは間違いなくアリサ、すずか、はやて、なのはたちの大事な友人であるフェイト・T・ハラオウンで間違いない。

「フェイトちゃん!」

「フェイト! あんた一体何処でなにしてたの!!」

 一拍置いて追いついたアリサがすずかと声を合わせて身を乗り出す。だが、声を掛けられたフェイトはなにがなにやら分っていない……むしろ、見知らぬ他人を見るようなきょとんとした顔をしてポツリと呟いた。

「貴方達、だれ?」

 一瞬、なにを言われたのか分らなかった。だが、直ぐに再起動する。それと同時に沸点の低いアリサは爆発しそうになる。
 そんな剣幕で睨まれているというのに、フェイトは不思議そうに小首を傾げたまま、本当に分らないといった表情で口を開いた。

「どうして、私の名前を知っているの?」

「どうしてって……アンタ!!」

「ちょっと。落ち着いてアリサちゃん」

「な、ちょ……はなしなさいすずか!!」

 咄嗟に振り上げた腕をすずかに押さえられ、それでも暴れようとするアリサだが唐突に入った第三者の声で停止を止む無くされた。

「貴方達、私の娘を知っているの?」

「へ?」

 視線を声のした方へ向ける。
 行方不明だったフェイト、というインパクトの大きな存在のせいで今まで気が付かなかったが、そこには不思議そうな表情をした女性が頬に手を当てながら困ったように立っていた。
 すらりとした長身。フェイトと同じく腰にまで届きそうなほど伸ばされた黒い髪は艶やかで、微苦笑を浮かべた面立ちは同姓のアリサたちから見ても『美人』と呼べるものだった。

「えっと……?」

 困惑したアリサが意味もなくすずかの方をみやる。勿論、そんな視線を寄越されてもすずかとて困ってしまうだけだ。
 その様子に女性は苦笑を微笑に変えて、穏やかな口調で話し始めた。


「私の名前はプレシア。この子……フェイトの母親よ」



[22501] 第四話『状況』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/23 20:55
「じゃあ、一週間前に引っ越してきたばかりなんですか?」

「ええ。それまではイタリアの方に居たの」

 上品な微笑を浮かべながらプレシアさん―――プレシア・ハーヴェイさんは私とすずかに淹れたての紅茶を勧めてくれた。
 二人で礼を言うと柔らかく微笑を浮かべて、

「口に合ったようでよかったわ。インスタントで淹れた物だからちょっと不安だったの」

「お砂糖は、どのくらい入れますか?」

 落ち着いた声で砂糖の入った壷を進めてくるフェイトに思わず私もすずかもじーっと見つめてしまう。それが恥ずかしいのか、彼女は少し頬を赤くして照れたように俯いてしまった。そんな様子にプレシアさんはくすくすと笑い始めて、

「そんなに、うちの娘と貴女達のお友達とは良く似ているのかしら?」

「ええ、まあ……」

「似ているというよりもそのまんまですよ。入れ替わったって分んないくらい」

 言いながら尚も私達の目はフェイトに釘付けだった。というか、名前まで同じなんて滅多に無い共通点だと思う。辛うじて違う箇所を探そうと思うなら、こちらのフェイトは六年前に出会った頃のように長い髪を左右で纏めたツーテールにしている程度だろうか。
 私たちがいるのはプレシアさんたちのお宅。あの場で言い合っても埒が明かないと招待されたというわけだ。
 連れて来られたのは二階建ての一軒家。
 建物自体はそれ程でもないけれど庭が結構広めに作られていて、その手入れをしているような人影が見えた。お手伝いさんなのか敷地に入ってきた私たちに一瞬だけ目を向けて、その隣にプレシアさんたちがいるのに気がついて軽く頭を下げてきた。それにならってこちらも会釈を返したけれどその顔を見て少し驚いた。その人の顔は目と鼻と口を除いて包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。
 不気味さを感じずにはいられないがプレシアさん曰く昔事故で顔に大きな火傷を負ってしまっていて、あの包帯はそれを隠すために巻いているものらしい。

「慣れてしまうとさほど気にならなくなるのだけれどね」

「そう、なんですか」

「うん。無愛想だけど、とっても優しいんだ」

 ここに来るまでの道中もあまり話さなかったフェイトの言葉に一先ずその使用人さんの話題を止めて、再度屋敷の方に意識を向ける。
 内装は白を基調に暖色でまとめられている。清潔感と柔らかさがあって好感が持てた。
 と、きょろきょろしてた私の袖をすずかが引いた。

「ちょっとアリサちゃん」

「うん? なによすずか……て、あ゛」

「ふふ。なにか気になるものでもあったかしら?」

 それでようやくプレシアさんが私に微笑を向けているのに気が付いた。掛け値なしの美人と言って過言ではないこの人にそういう表情を向けられて、反射的に顔を伏せてしまう。なんだか顔が異様に熱いのはきっと勘違いに違いないとか思っていると隣ですずかがくすくす笑ってるのが分った。
 おのれこの恨みはらさでおくべきかぁ~~~

「そういえば、プレシアさんたちはどうして海鳴にいらっしゃったんですか?」

 そんな私の視線に気がついたのかあっさりと受け流して、すずかが話題を変えた。

「ここへは知人の紹介で越してきたの。娘があまり体の丈夫な子ではないから、良い病院が近くにあって静かな所を探していたのだけど、あまり条件にあった場所が見つからなくて苦労したわ」

「そいえば海鳴中央病院って結構有名なんでしたっけ」

 又聞きの話だが、名医が沢山いるとか設備が整っているとか言う話は結構聞いた気がした。なのはのお兄さんとお父さんは顔まで覚えられているとか何とか。

「ええ。ここはいい土地だわ。周辺の施設もそうだけれど、何より環境が理想的だもの」

 満足そうに微笑みながら西日の入る窓へ目を向ける。沈みかけの夕日に彩られた海鳴の街は私も好きだし、それが気に入ってくれたといわれると関係ないけれど嬉しかった。
 それからもうしばらく話をして、プレシアさんやこっちのフェイトと私達の知ってるフェイトはやっぱり別人らしいと分った。子供の頃の話とか作ってるとかそういう感じはしなかったし、寄り添うようにしている二人は『仲の良い親子』の代表例みたいに見えた。
 そんな感じで話し込んでいると、気がついたときにはもう良い時間になっていた。

「あっちゃ。もうこんな時間なんだ」

「そろそろ帰らないとね」

 窓から覗いた外はもうとっくに真っ暗になっている。壁に掛けられている時計は午後の七時を指していた。うちもすずかの家もさして門限の厳しい所ではないけれど、流石に無断でこんな時間になったら家の者が心配しそうだ。

「あら本当。ごめんなさいね引き止めてしまって」

「いえ。こちらこそお茶ご馳走様でした」

「フェイトちゃんともお知り合いになれましたし」

「私も、楽しかったです」

「またいつでも遊びに来て頂戴ね? ……そうだわ、もう暗いしお家まで送らせて頂戴な」

「そんな、悪いですよ」

 流石に初対面の人―――って言う事を今までころっと忘れていたけれど―――に其処までお世話になるわけには行かないと辞退しようとしたけれど、それよりも早くプレシアさんはフェイトに言いつけてさっき庭にいた使用人さんを呼んでしまった。

「お呼びで?」

 作業着らしい紺色の繋ぎを身に着けた使用人さんは呼ばれて十秒もせずにやって来た。落ち着いた声音は思っていたよりも若い感じがして驚いたけれど、それよりも間近で見て改めてその異様に少し気圧されるものを感じる。
 まず身長からして以上に高い。やや猫背気味に曲った腰をしているのにそれでも頭の位置は180近くあり、まっすぐに立ったらきっと天井にぶつかってしまうだろう。それだけの身長がありながら体のパーツはとても細い。ただし、弱々しいという印象は無い。まるっきり外見は違うのに、それはどこか親友の兄・高町恭也さんに似通ったものが感じられた。
 完璧に消されていて、そこだけぽっかり穴が開いているような存在感の薄さ、とでも言えば良いのか。
 ただ、それでも包帯から覗く瞳が僅かに温かみのあるものだったので、遠目の初見よりは幾分平気だったけれど。

「ハサン。このお二人をお家まで送って差し上げて」

「……畏まりました。奥様」

 丁寧に体を折って一礼すると「車を回しますので」と言って部屋を出て行った。それについていこうと私たちも立ち上がろうとして、プレシアさんに待ったを掛けられた。

「そうだわ。これも何かの縁だもの。貴女達に良い物をあげる」

「良い物?」

 尋ね返す私に笑みで答えながらプレシアさんは少し待っていてと言って部屋を出て行き、言葉どおり直ぐに戻ってきた。手には小さい宝石箱を二つ持っていて、それを私とすずかそれぞれに手渡してきた。

「ええ。少し前に頂いたものなのだけれど、外国で手に入った『願いが叶う』って言われている石よ。良ければ受け取って?」

 蓋を開けてみると、そこには菱形の青い石が納められていた。

「そんな……貴重なものなんじゃないんですか? 悪いです」

 礼儀正しいすずかはすぐに辞退しようとした。私も送ってもらった上にお土産まで貰っては心苦しい。
 それになまじっか『魔法』なんて御伽噺の代物が身近にあるので、私もすずかもそういった迷信ごとは信じるようになってしまっていた。願いを叶えるなんて便利な物をこんな感嘆に受け取るわけにはいかない。
 けれど、プレシアさんはやはり笑顔のまま、

「いいのよ。お守りのようなものだし。私が持っていてもあまり役には立たないわ。それなら、貴女たちが持っていてくれた方が石もきっと喜ぶもの」

 それに願いを込めれば、姿を消したお友達も見つかるかもしれないし、とまで言われては流石に何が何でも断る、と言う態度がとりずらくなってしまう。
 結局、私たちは押し切られるようにしてその石を受け取ってしまった。

「それじゃあ長々とお邪魔いたしました」

「フェイトちゃん。また来るね」

「またいつでも遊びに来てね。今度はきちんとした葉を用意しておくわ」

「バイバイ。すずか、ちゃん」

 わざわざ玄関前まで見送りに来てくれたハーヴェイ親子に挨拶をしながらハサンと言うらしい使用人さんの回してくれた車に乗り込む。四人乗りの乗用車はゆっくりと発進して、直ぐにプレシアさんたちの姿が見えなくなった。

「はー……にしてもフェイトに良く似た子だったわねぇー」

「そうだね。名前まで一緒だったし、世界には全く外見が同じ人が三人はいるらしいって聞いた事があるけど名前まで同じっていうのは珍しいよね」

「まあね。あっちのフェイトとこっちのフェイトはやっぱり別人ぽいけど」

 言いながらスプリングが利いた座席に体重を乗せる。載り慣れたうちの車とは違うけれど、丁寧に整備されているか乗り心地は良かった。そのまま話を続けようとしたら、意外な方向から声を掛けられた。

「……貴女方のご友人、と言うのはどういった方です」

「へ?」

 予想外の質問に素っ頓狂な声を上げてしまったが、すぐに運転席で体を小さくしながらハンドルを握っているハサンさんが声を掛けてきたのだと分った。どうしてそんなことを聞くのかとも思ったけれど、特に断る理由も無いので当たり障りの無い部分を話す。

「そうねえ。パッと見はあの子と変わんないんだけど……ん~一言で言えばうちのフェイトは甘え下手な子かな」

「甘え、下手?」

「そうですね。フェイトちゃん、結構自分の内に溜め込んじゃう性格をしていますから」

「まあ、その点は私の友達連中皆に言えた共通点でもあるけどねー」

 半眼でつい最近まで隠し事をしていた親友に視線を送る。けれど、最近は受け流す事を覚えたのか小癪にもそっぽを向いて見向きもしなかった。

「それに比べたらあっちはお母さんにきちんと甘えていたからね」

 脳裏に浮かぶのは五年ほど前、養子になったばかりの頃のフェイトだ。上手に甘えられないなんていう理由で家出してきたあの子をなだめすかせるのにどれだけ大変だったか。

「そんなエピソードがあるくらいうちのは不器用だったんで。むしろ、あっちのフェイトは上手く行ってる様で良かったよね」

「うん。とってもいい親子ですよね」

「……ありがとうございます」

 なんだか思うところでもあるのか、それっきり押し黙ってしまったハサンさんにそれ以上何も声を掛けられなかった。微妙に重くなってしまった空気に耐え切れずにえーいこうなれば無理やりにでも会話を再開させてやろうと口を開いた途端、キキッとタイヤが地面を噛む音がした。慣性に従って前に倒れかけた体をすずかが押さえてくれる。

「失礼。ここでよろしいですか?」

「え、あ、うち?」

 車の窓から見えるのは高い塀に囲まれた我が家。正確にはもう少し先に門があるのだけれど、直接そこに横付けさせるわけにも行かなかったのでその手前で止まったようだ。

「あ、大丈夫です。ありがとうございました」

「いえ。仕事ですので」

 淡白な応答をしながらそれでもわざわざ運転席から出てドアを開けてくれた。私もすずかももう一度頭を下げる。

「今日は本当にありがとうございました」

「……いえ。それでは、私はこれで」

 もう一度丁寧にお辞儀してから、ハサンさんは運転席に戻っていった。そのまま走り去るかと思っていたら、ややして窓からハサンさんが顔を出した。

「お嬢様方」

「はい?」

「…………あまり、遅くまで外は出歩かないよう。昨今は、この国も物騒だと、聞いていますので」

 つっかえつっかえに何かを言いよどむようにそういうと、最後に会釈をして、

「それでは。どうぞ貴方たちに幸いが多く訪れますよう」

「はぁ……ありがとうございました」

 なんだか訳の分からない言葉を残して、ハサンさんは走り去っていった。
 黒塗りの車体は直ぐに闇に溶け込んでしまって見えなくなったが、それを見送ってからポツリと、すずかが漏らした。

「そういえば、ハサンさんってどうしてアリサちゃんのお家を知っていたのかしら?」


◇◇◇


(なにやってんだかね。俺は)

 自分を取り巻く状況の珍妙さに、ランサーは胸の内で悪態を漏らした。
 蒼穹の鎧に二メートル弱という槍としては短い部類に入る朱色の槍。尻尾のように長く伸びた髪を項のところで纏めた野性味溢れる美丈夫は、しかしその表情を似合わない仏頂面に変えながら枝を蹴った。
 一瞬前まで彼のいた空間に向かって白い閃光が幾つも奔り、木々をなぎ倒す。次いで自然ではありえない炎の球が湿った空気を一瞬で乾燥させながら迫ってくるのが視界に入る。回避行動を見越していくつかの気配が蠢くのを感じながら、なかなか集団での戦闘という物に慣れているなと評価を下した。

「とはいえ、所詮はこの程度か」

 手にした槍を持ち直し、“炎を貫いた”。
 閃光めいた刺突によって真芯を捉えられた火球は弾けるように消滅した。その向こう、唐突な事態に息を呑んで硬直している馬鹿者へ半瞬で踏み込み、石突での掬い上げるような一撃を加える。顎の骨が粉砕する感触と一メートルほど真上へ吹っ飛んだ相手に軽く舌打ちしながら一歩半ほど右へ動く。作られた虚空へ味方を撃ち抜く事を厭わない閃光が通り抜けるのと倒した相手が射撃魔法に巻き込まれないで地面に落ちたのを確認してから次の獲物へ肉薄する。
 次の標的はつい今しがた背後を狙った未熟者。先手を譲って尚手傷さえ負わせられない相手に掛けてやる情けは無いとばかりに愛用の槍さえ使わず固めた拳で殴り飛ばした。フェイントも何も無いストレートはしかし文字通り『目にも止まらぬ』速さであり、十分に必殺の技足りえた。顔面に拳をめり込まされた相手は派手に吹き飛び背後の木に背を強かに打ちつけて気絶した。手加減が上手く行ったのか、かろうじて息をしているのを確かめてからその場から離れるために地面を蹴る。
 物足りない、という感情がランサーの内で激しく主張し始めたのは交戦開始してから一分としなかった。
 襲撃してきた魔導師を二人……管理局の格付けではどちらもAランクに該当する術者を瞬殺して尚彼の表情は冴えなかった。むしろ不満は募る一方のようで、眉間に築かれた渓谷はその深さを更に険しいものにしている。

「まったく。なんだってこんな面倒くさいシステムを作りやがったんだか」

 耐え切れずに愚痴を漏らしながら自身の境遇を嘆くなんて慣れない真似をしてみた。
 彼がいまいるのはとある世界のとある森。事前に説明を受けていたはずなのだが名前はどうにも思い出せないかった。興味が無かったので聞き流していたせいだろう。別段覚えていなくて困る事ではないが、自分の受けた精神的衝撃の大きさを再確認して頭を押さえた。頭痛でもしたのだろう。
 もっとも、それもむべなるかな。
 ランサーが聖杯戦争に応じるのは『英雄とまで呼ばれる強者との闘争』を望んでいたためだ。しかし、彼は今現在その望みを叶えられないように令呪で縛られていた。
 いや、その表現は正しくは無いかもしれない。
 彼に課せられているのは『アーチャーのサーヴァントとは互いが最後の敵となるまで戦わない』という令呪である。それ故に交戦を禁じられているのはマスターの盟友が主というアーチャーのみ。それを除いた他の五騎―――ライダーでもセイバーでもバーサーカーでも出遭ったなら存分に血沸き肉踊る戦いを愉しむ事が出来る。
 ……遭遇できれば、の話だが。
 今回彼が召喚された聖杯戦争において一番の難関は『索敵』である。
 無限に広がる広大な次元世界。そこからランダムで選ばれたマスターを見つけ出すのは至難と言えた。ランサーが召喚されて既に三日。
 『聖杯』を奪っていった相手の行方もマスターに関する情報もまるっきり手に入っていないというのが現状だった。一応確認できているだけでランサー自身を含めて三騎のサーヴァントが召喚済みである事が分っているらしい。だが、それ以外のサーヴァントと遭遇する事も無く時間が経過していた。こちらが同盟を組んでいる事に気が付いて警戒している可能性も考えて、マスター捜索には別働隊を動かしているらしいがそちらも芳しくない。
 空振りに終わる調査自体は、まあ不満が無いわけではなかったが、むしろランサーにとってはいま目の前にいる『敵手』と戦わないという事に不満を感じていた。

「どうせいずれ戦うんだ。いま此処で決着をつけたほうが早い思わないか? なあ、アーチャー」

「それは令呪の縛りを受けたままでも私と戦うという事かね? ランサーよ」

 手にした槍を肩に担ぎながら振り返りもせずに声を掛ける。気配を消したままあと半歩でランサーの間合いへと踏み込む位置に立ちながらアーチャーは声を返した。それと同時にどさりと何か重たい物が落ちる音がする。振り返ってみるとアーチャーの足元に二人の男が呻きながら倒れていた。服装からして先程ランサーが倒した相手の仲間だろうなのだろう。
 アーチャーは何処からか取り出した赤い布でランサーが倒した相手ともども男たちを拘束する。その様子を白けた表情で眺める槍兵に弓兵が意外そうな声を掛けた。

「ふむ、戦闘狂であって殺人狂ではないらしいな君は。向こう半年はベッドから起き上がれまいが死ぬほどではない」

「そらどうも。そういうお前は加虐趣味の気でもあるのか?」

「その認識は非常に不名誉だぞ。ランサー」

 半眼の視線を向けるアーチャーに、しかしそう思われて当然だろうという意味でため息を返した。
 ランサーが倒した相手は完全に気絶していたが、アーチャーが倒した相手は二人とも微かに意識が残っているらしかった。時折小さい呻きや恨み言のようなものを漏らしながら、アーチャーが拘束を強める度に「ぎゃっ」と短いが悲痛な叫びをあげていた。暗色の法衣めいた格好のため分りにくいが男たちの全身は満遍なく切り刻まれていた。大きな血管を避け、必要最低限の流血で苦痛を味合わせるような太刀筋は拷問官のそれに似ていた。

「……呼び鈴代わりに相手の仲間を使うってのはいくらなんでも悪趣味じゃねえか? ってか、この手の連中が仲間の為に動くなんていう殊勝な心構えを持ってんのかね」

「誘き寄せる必要は無い。相手の警戒を高めて敵の最大戦力を引き出すのが目的だからな」

 言うと、処置が終わったのかすっと立ち上がり上空へ向けて黒塗りの弓を構えた。空手で弦を引くとそれに合わせて一本の矢が生み出され、次の瞬間には軽い音を纏って上空へと放たれた。戦場の上にいるはずの主たちへ自分たちの現在位置と捕獲した敵の場所を知らせるための合図だ。
 そして、これは敵に対しての圧力でもある。
 少数での正面突破。
 その行軍が寸暇と停滞せずに進められている事に相手も気が付いているはずだ。進むにつれ、彼らの前に立つ術者はその位階を上げているのは直接戦った二人には分っていた。

「ま、最初の雑魚に比べたらマシって程度の変化しかないのが珠に瑕だがな」

「そういうな。それにこの組織の頭目はAAA+というクラスの召喚魔導師らしい。ひょっとしたら、我らに拮抗するほどの存在を呼び出せうるかも知れんぞ?」

「そう願いたいもんだ。本当に」

 言いながら期待はまるで出来なかった。最初この森に踏み込んだ時に襲い掛かってきた小型の竜を思い出した。いや、こちらの常識では竜種という分類に入るだけでランサーやアーチャーに言わせれば上等な蜥蜴という程度の脅威でしかなかった。

「はぁ。こんな事なら本当に縛りがある状態だろうとアンタとやりあった方がいくらか楽しめるかも知れねえな」

「主の命に背くのは騎士の在り方としてどうなのかね?」

 少なくとも私は付き合わんぞ、と両手を挙げて宣言する。

「まあ君に加虐趣味があるというなら、抵抗はしなくてはならないがな」

「……悪趣味な野郎だ」

 気分を変えるために無造作に槍を旋回させて石突を地面に立てる。


 同時、空を引き裂くような咆哮が森に響いた。


「……流石は槍兵。軽い一突きでこれほどの迫力を出すとはな」

「冗談言ってる場合じゃねえだろうが!!」

 言いながら、何処か嬉々とした表情で跳躍する。手近で一番背の高い木の頂上へ着地するランサーを見送り、

「ふむ。確かに」

 一拍置いてアーチャーも同じ木の上へ跳ぶ。
 地上15メートルほどの高さから見渡す森は“樹海”と呼ぶに相応しい代物だった。
 生い茂る木々は闇の海を作り、風に靡く枝葉が幻の漣を形作っている。
 その漆黒の海を引き裂くようにして、血を塗りたくったような真紅の鱗を纏った巨竜が顕現した。

「■■■■■■■■■■ぉぉぉおおおおおオオオオオッッッッッ!!!!」

「ハッ。これはまた……」

「ふむ。今度のは差し詰め蜥蜴の親玉という所か」

 世界を震わせる咆哮に、しかし二騎の英霊は笑みをもって観た。赤い燐光を纏って召喚された魔竜――天を突くほどの巨体を誇る巨竜が黄昏色の燐光を纏いながら漆黒の闇を裂いて現れていた。

「これが敵の最大だと思うか?」

「……敵サーヴァントがアサシンかキャスターであれば、逃走のための陽動という可能性もあるが……差し当たりそれ以外の可能性はなかろう」

 サーヴァントを保有しているならこの竜召喚と同時に討って来るはずだが、その兆候も見られない。

「また外れ、ね。全く何処に隠れていやがんだか……」

「さて、それは私の方が聞きたいくらいなのだが……まあいい。それよりも」

「ああ。アレは、放置しとく訳にはいかねえよな」

 獰猛な笑みを浮かべて蒼い槍兵は六匹の竜を睨む。その横で紅い弓兵はやれやれと肩をすくめて見せて、

「一つ提案があるのだが良いかね、ランサー?」

「おう、なんだ」

 挑むような視線をアーチャーに向けると、全く同じ色の視線がランサーに返って来た。

「アレをどちらが倒すか競ってみるかね?」

「いいね。何を賭ける」

「そうだな……では晩の杯、というのは?」

 冗談めかした言葉に堪らなく愉快さを感じ、ランサーは力強く槍を握り締めた。

「上等」

「契約成立」

 言うと同時に弓兵は枝を蹴り、その寸前で槍兵もまた疾走を開始する。
 こうして此度の聖杯戦争開始以来、初めての『英霊の戦闘』が切って落とされた。


◇◇◇


「凄まじいな」

「うん……」

 地上数百メートル上空。なのはと一緒に眼下に広がる光景を目の当たりにしながらそれ以上の感想を漏らす事が出来なかった。自身も『管理局の白い悪魔』なんて渾名と桁外れの魔力で周囲の度肝を抜く事が多い不屈のエースも流石にあいた口が塞がらないらしい。

(それも当然といえば当然だがな……)

 自分も同じような表情をしている事はよく分っている。

「情報課の連中は何をやってたんだ。アレはSランク級の召喚術だろうに」

 血色の鱗をした巨大な竜。文明レベルの低い次元世界では神格化されていてもおかしくない魔力と存在感を発揮している“魔竜”は文字通りの意味で『規格外』としか言い様がない。
 それは自分となのはの二人がそれといまは衛星軌道上で停泊しているアースラの全面的なサポートを受け、更に他の戦力との交戦を度外視してようやく拮抗できるかもしれないと言うレベルの戦力だ。
 そもそも、竜という生物自体が魔導師にとって天敵といえる。
 その皮膚を覆う鱗には大なり小なり魔力防御を備えており、その爪は個人レベルの結界程度は易々と切り裂く。近接戦闘などもっての外だ。たとえベルカ式の達人―――騎士と呼ばれる使い手であっても危険極まりない。
 その脅威をして、彼の英雄たちを止める事は敵わなかった。
 彼らは別段特殊な事をしているわけではない。
 槍兵は槍を突き出し、薙ぎ払い、迫る脅威を跳躍で交わし、魔竜の眉間を貫く。
 弓兵は弓を引き絞り、敵を寄せ付けず、かと思えば一転肉薄して双剣を振るい首を切り落とす。
 そのどれもが使い古された、言ってしまえば古代の兵士たちが駆使した体術だ。動作をなぞるだけなら、自分でも直ぐに出来るだろう。
 しかし、その動作の一つ一つが神域の速度で行われたら?
 しかし、その動作の一つ一つが正確無比な計算に裏付けされて行われたら?
 その解答がいま目の前に存在する。
 純粋な体術。たったそれだけを駆使して魔竜を次々と屠っていく様は正しく『英雄』と呼べた。
 無論、彼らの得物が強力な兵器であるという事は理解している。しかし、そもそも人間と魔竜との『戦闘』において“接近戦”などと言う概念は存在しない。AAA+の戦闘魔導師であっても生来高い魔力防御を備えた魔竜と対抗するには遠距離からの砲撃で対処する他無かった。
 ベルカの騎士・烈火の将シグナムでさえアレほどの魔竜には最大出力の『疾風の隼《シュツルムファルケン》』をもって対処する他ないだろう。
 そんな常識など知った事かといわんばかりの傲慢さでアーチャーとランサーは魔竜たちを駆逐していく。
 交戦開始してから三十分。魔竜は既に四体が滅ぼされていた。

「過去の英雄というのは伊達ではないという事か……」

「そうだね……」

 押し黙った彼女の表情は複雑そうだ。自分たちのサーヴァントが強力であると分れば分るほど、それが暴れだしたらと考えるとどれほどの被害が生まれるか予想も出来ないのだろう。それを防ぎたくても、こちら側の持つ情報量は恐ろしく少ない。

「そもそもの発端となった悪魔信仰者たちに色々援助をしていた奴らだけに何かしら繋がりがあるかとも思ったんだが……」

 眼下の樹海―――正確にはその地下に広がっている遺跡を見透かすように目を細めながら誰にとも無く言葉が漏れる。聖杯戦争の中核を担う願望機の起動。それを目論んだ悪魔崇拝者たちに武力提供をしていたのがこの組織だった。そのため、何かしらの情報を……あわよくばアサシンのマスターと遭遇できるかもしれないと思っていたのだが結果は空振りだった。

「これは、別働隊のはやてに期待するしかないかな」

 いまは別の次元世界でマスターを捜索しているはやてとその守護騎士たちに一縷の望みを繋ぐしかない。
 だが、それについて思うところがあるのかなのはは苦笑いを浮かべて同意はしてくれなかった。

「あのぉ~。マスターの捜索ではやてちゃんたち捕まっちゃったりはしない、よね?」

「……まあ大丈夫だろう。特殊捜査官にはそれなりの権限もあるんだし」

 言葉を濁しながら今は遠い世界で職務に励んでいるはずの友人を思う。


◇◇◇


「あ、主はやて。本当にやらねばなりませんか」

「しゃあないやん。うちかて出来るならやりたない」

「で、でもお仕事な訳ですし……」

「仕方ねえんじゃねえの?」

「…………………………」

「ほれ。ザフィーラも落ち込まんと」

「……ご心配、痛み入ります。我が主」

「まあザフィーラもシグナムも真面目さんやからね。でも、これも世のため人のためや。もう一頑張りしよか?」

「「「「了解」」」」

「ほなら行くでッ! マスター探しのために。皆の衣服を引っぺがすんや!!」

「「「「……おー」」」」

「……へこむんは分るけど気合くらいいれてこ?」

「で、ですが主はやて。私の剣で婦女子の衣服を切り裂くのは……」

「私も、男性の衣服だけを転送させるのはもう……」

「まーはやてがやれっていうんなら別になんだってするんだけど」

「……我が拳は主のもの。我が牙で引き裂けというならた、たと、例え女性の衣服だろうとぉぉぉ……」

「ザフィーラ、大丈夫やて。次はうちがミストルティンの非殺傷で服を破るから。ほなら、いこ皆」

「りょーかい」


◇◇◇


 ……なんだか奇妙な幻聴が聞こえてきた気がした。
 それを払うように頭を数度振って思考をクリアにする。

「そろそろ頃合かな。なのは、僕らも準備を」

 懐から一枚のカードを、頷いたなのは首に下げた真紅の宝石を握りしめて頷く。

「うん、分ってるよ。レイジングハート行くよ」

《All right,my master.》

 意思持つ魔法の杖が応じ、核となる紅い宝石がきらりと輝く。

「デュランダル。準備を」

《OK,boss》

 簡易応答機能を備えたストレージデバイス―――六年という歳月が愛杖となった氷結の杖を握り締め、戦場となった木々の海に眼を落とす。
 すると、幾つかの光点が地上から飛び出してきた。劣勢を悟った相手が逃走を計って来たのだろう。そういった連中を拿捕するのが自分たちの役目だった。

「少しは主の威厳も見せておかないとな」

「うん。ランサーさんにはもうちょっと私に対する態度を考えてもらわないといけないしね」

 なにか思うところがあるのだろう。彼女らしくも無い薄ら笑いにやや引き気味になりながらとりあえず哀れな相手に目を向ける。

「まあ、相手は犯罪者だからな。因果応報と諦めてくれ」

 聞こえるはずの無いことを漏らしながら、魔力回路に手加減抜きの魔力を注ぎ込む。
 虚空に展開するのは100以上の蒼い光の魔力刃。非殺傷設定とはいえ、その威力は結界を撃ち抜いて対象を気絶させるに足りるだろう。
 氷結の杖を指揮棒のように振り上げ、

「一気に片をつけるぞ」

「了解!」

 力強い返事に押されるようにして、コマンドヴォイスを解き放つ。

「執行者の魔剣《スティンガーブレイド・エクスキューションシフト》!!」

 戦場に蒼い剣の雨を降らせた。


「こんな所で足止めされている訳には行かないんでね。悪いが速攻で片付けさせてもらう」



[22501] 第五話『契約』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/25 17:39
 湖面の月を“下から見上げ”ながら頭の中を空にするのは、怠惰だと理解しながら止められないものだとプレシアは苦笑した。

(いまは、そんな暇を楽しんでいる時ではないというのに)

 それでもプレシアは下弦の月を見上げ続けていた。
 その脳裏に浮かんでくるのはほんの少しだけ以前の出来事。


◇◇◇


 其処は何も無い場所だった。
 虚数空間、と魔導師たちが呼ぶ世界。
 そこには重力の法則も時間の流れも無い、全てが『1』と『0』の狭間を漂うだけの世界だった。
 ジュエルシード。
 単体で小規模次元震を引きほどす程の大出力を発揮できるロストロギアを全開にして『境界』を敷き、自身の『存在』を確立させて置かねば直ぐにでも『曖昧』へ飲み込まれてしまう。
 何処へでも行けるが何処へもいけない。
 何にもなれるが何にもなれない。
 『1』と『0』……『有』と『無』の狭間。
 可能性の坩堝とも呼べるそこは実態を見れば蟲毒の壷に似ている。ありとあらゆる可能性が呑まれあい、喰らいあい、ひょんなことを原因に『有』になる。違う点はいつまでたっても『最後の一』にならない所だろう。
 踏み入れば存在し続ける事も出来ない虚空の海。
 この更に向こう側にこそ彼女が求め続けた滅びた都・アルハザードはあるはずだった。
 本来ならばジュエルシード21個を共鳴・暴走させて大規模時空震を引き起こせる規模の出力を収束させてこの虚数の海を薙ぎ払うつもりでいた。しかし、いま手持ちにあるのは半分にも届かない九つの宝玉のみ。失敗は許されないと言う強迫観念に囚われていた彼女は、故に圧倒的に足りない手札を補える『何か』を得ようとして選択肢《ジュエルシード》を失い続けた。
 そうしてついに残り二つとなってしまった。その代償は時折起きる召喚の反応を観測したのみ。
 一体何がこんな世界から呼び出されているのかは分らない。
 しかし、召喚されたという事はその向こうには何者かが存在する世界があると言う事。
 捨て鉢の感情ではなく、ここに来てまだ冷静を保つ魔導師としての思考がその可能性に賭けてみるべきだと囁いた。
 時の流れの曖昧な世界では時間経過による消耗はさして感じられなかったが、それでも常人であれば気が狂っていたであろう時間を過ごし、しかし絶望を覚えるほどの理性が残っていたのは幸か不幸か。

(アリシア……)

 彼女の執念の根幹を担う決して目を開けることの無い娘を背にしながら身を護るのに使える最後のジュエルシードに皹が入る音を聞く。これが砕けた瞬間に最後の一つも開放して一か八かに賭ける。数度の観測から大雑把な座標を割り出して其処へ向けて全身全霊を賭した転送を行う。
 血が滲むほどに強く握り締めた魔導師の杖《ストレージ・デバイス》が震えだす。心の奥底に蟠るモノが暴れそうになるのを必死で抑えつけながら術式を編みあげる。
 防護のジュエルシードは既に縦横に皹が入っている。
 砕けるのは時間の問題。
 あと3,2,1……

(いま!)

 開放しようとした術式は『願いを叶える青い宝石』に流れ込み、瞬時に開放して―――


「止めておけ。お前さんでは至れんよ」


 ―――その術式を構築していた魔力の全てを七色の輝きに飲み込まれた。

「……な、にを?」

 瞬間、理解が追いつかなかった。停止した意識は目の前の存在を拒絶するように認識を阻害する。 けれど、つい先程までフル回転していた魔導師としてのプレシアは理解してしまった。
 この虚数の海。
 常人では留まる事も出来ないこの『曖昧』の世界で平然と立つその老人は、つまるところ『普通』の存在ではない事を。そして、それに該当する者もまた、彼女の知識には存在していた。
 アルハザード。失われた都の伝説には必ず付随してその存在が語られていた。
 すなわち『魔法使い』―――魔導師たちが自称するモノではなく、真なる奇跡の担い手として御伽噺にその姿を現す六人の使い手。
 この老人、七色に輝く宝石の短剣を持つその姿はミッドチルダ式魔法式の始祖に『世界を渡る術』を伝えたとされる『宝石の魔法使い』に酷似していた。
 そして、その予測は正鵠を射ていた。
 その老人こそ、第二魔法『平行世界運営』を可能とし、とある世界では魔王さえ殴り倒した伝説の『魔法使い』とされるキシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグその人であった。

「こんな所に“人間”がいるとは珍しいと思って声をかけたのだがな。止めておきなさい。いかなその石の力が強かろうと“あちら”の入り口で抑止の守護者どもが待ち構えておる。此処に留まるだけならば襲っては来るまいが踏み入ろうとすればその首を刎ねられよう」

 伝説の魔法使いは口元に蓄えた髭を撫でながら諭すように言葉を紡いだ。もしも此処で帰るのならば、こうして出会った縁もあるので元の世界に送り返してやろうとまで言われたが、そこでようやくプレシアの思考は完全に復活した。

「わ、たし、は。こ、この、まま、帰るわけには……」

 引きつる喉が上手く動かず、たどたどしく言葉を繋げる。気がつかなかっただけで喉の奥が完全に干からびていた。僅かに声を出すだけで乾いた粘膜が破れ、基調な血を滲ませ、反射的に唾を飲み込もうとしても上手くいかなかった。
 気がつかなかっただけで、彼女の体はもうボロボロだったのだ。そもそもが死病に冒されていた身。それに無理をしていたのだから当然の事である。
 しかし、それでもプレシアは喉を震わせる。
 魔法使いとの会話、その代価がこの痛みならば安いものだとばかりに。

「この、娘を、よ、みがえら、せるま、で……」

「……なるほど。根はヒトで性は魔術師のそれか。此処まで辿り着けたのも頷けるが……」

 魔法使いはプレシアの背後にある、カプセルに収められたアリシアへと目を向ける。

「お主の望みを叶えられる魔法使いはおらんな。いや、不完全な第三魔法を使うものならばいるが、それにしても死亡の直後でないと難しかろう」

「そん、な……」

 今までに無い絶望感がプレシアを襲う。これまで多くのものを失い、それでも省みずにようやく辿り着いたというのにそれではあまりにも―――!!

「諦める事だ。それが無理なら、これを使うといい」

 言いながら魔法使いは懐から無色の鉱石を取り出した。

「記憶を吸い取り、力と変換する魔石。これに最も大切な記憶を入れて開放すれば元いた世界に戻る事も、その娘の事を忘れる事も出来よう」

「そんな、もの……」

 炸裂しそうな感情のままに、魔法使いの手を払おうと身を乗り出した。
 それを制止するように、その声が聞こえる。

「それなら話は早い。そいつに第三魔法を使わせればいいんじゃねえか」

 声は、若い男のものだった。途端、魔法使いの表情が険しいものに変わる。

「……アンリ・マユか」

「ピンポンピンポン大正解。景品にアンタをぶっ殺すという事でファイナルアンサー?」

「馬鹿者が」

 言った瞬間、ジュエルシードを全開にしたような膨大な魔力が発生し、光となって声のあった座標を貫いた。曖昧な世界でその刹那のみ『光』と『闇』が定義され、割と近くに居た声の主と思しき人型の何かは上半身を吹き飛ばされた。

「寝言は寝ていうのだな。貴様に殺せるのは人間だけだろうに」

「……いや、出会い頭のジョークで対軍魔術をぶっ放すってどういう神経してんだこの蚊の親玉は」

 ミッドの術式に変換してSランクオーバーの魔術を放ちながら平然と言い放つ魔法使いとそれに当たり前のように返事をする上半身を失った影の会話に若干度肝を抜かれた。
 それよりも更に目を見張るのが声の主の姿だろう。
 吹き飛ばされたにも拘らず数秒と掛からずに人の形に戻ったそれはまるで黒いマジックで書いたような、頭と手足しかない文字通りの『人型の影』は、しかし生きているように肩をすくめて見せた。

「まあいい。アンタの属性―――『正義の味方』じゃ、まあ俺と出くわして放置はできねぇよなケケッ」

「……お主、大分長い事現界し続けたせいで“変わった”か?」

「はぁ? お爺ちゃんボケはじめましたか。現象になったオレ達が変わるわけねぇだろ。いまのオレは現界してる時に被った『役』が抜けきってないだけだ」

 なおも言い合う二人の会話はまるで理解の届くものではなかったが、それでも辛うじて取りこぼさなかった、聞き逃す事の出来ない単語があった。

「第三、魔法……それなら、アリシアを、娘を蘇らせる事が……」

「出来る。その神秘は魂の具現化だ。いつどんな死に方をしてようが設計図《魂》を基にして行うこの魔法なら必ず蘇らせる事が出来るはずだ」

「……至る事が出来ればの話だがな。この者に根源に至ることは出来まい。よもや、貴様が導くとでも言うのか?」

「まさか。けれどジジイ。アンタだって良く知ってるはずだぜ? 目的を見失わずに狂えるというヒトの強さがどれほどの奇跡を実現させてきたのかを」

 その果てにある座に在り続けた老人ならば分らぬはずは無いだろうと、アンリ・マユと呼ばれた影は言う。

「女、アンタの望みを叶えたいと言うなら手伝ってやるよ」

「ほん、とうに?」

「ああ。もっとも、この身は最悪と崇められる悪魔。故に代価を支払ってもらうが?」

 両腕を広げ、正しく悪魔のように囁くアンリ・マユにプレシアは迷うことなく頷いた。それに満足するように、アンリ・マユは無貌に喜色を滲ませて、

「では、貴様にとって最も■■■■な感情を貰おう。それが楔となり、この身が聖杯戦争に呼ばれた時に貴様も共に呼ばれる事になる」

「聖杯戦争……」

 たった一つの願望機を巡り、魔導師同士が殺し合う大儀式。
 そのうちの一つ。第三魔法に届きえる儀式に召喚される際にプレシアもまた参加者の資格を持って参戦できるようにする。

「其処から先、勝ち抜けるかどうかはアンタ次第だ。オレとは別のサーヴァントを引き当てて、せいぜい勝ち抜けば良い」

「……分ったわ」

「……やれやれ、わざわざ分の悪い賭けを選ぶか。まあ、それもまた良し」

 ポイっと魔法使いは手にした魔石をプレシアに放って来た。

「これは……」

「餞別代りだ。お主が真に魔法使いとなれたならまた会う事にもなろう。アンリ・マユが次の召喚がされるまでの間はその石で保つだろう」

 それでは、精々『至らぬ』ようにな。とだけ残して、魔法使いはその場を去っていった。

「さてと、あっちも消えたしオレも消えるか。それじゃあな半端な魔女殿。次に出くわす時は、オレが聖杯に入っていない時に逢えればいいな」

 それだけ言い残し、悪魔と名乗った影もまたその場を去った。
 それから体感時間で数分後、プレシアはあの場所―――いまから一ヶ月前のあの座標へと転送されたのだ。


◇◇◇


 自分としては、ほんの僅かな時間だと思っていたがこちらに戻ってきてみると七年もの時が流れていると理解したときには驚いたものだった。

「時間の流れが違う次元……研究すれば面白い事になるのだろうけれど」

 いまは目の前の神秘に全力を出さねばならないと改めて自分を戒める。と、不意に背後に気配が生まれた。振り返ると其処には銀色の長い髪をした女がアサシンを伴って現れていた。すらっとした細身に体にぴったりの黒い衣服を纏った彼女と黒衣を纏ったアサシンとが並んで立つと人型の影を思い出してしまうが、頭を左右に振って忘れる。

「貴方達が約束の時間に遅れるとは、珍しいわね。彼は?」

「管理局側に偽装情報を流して相手を誘導している。別働隊の動向が少し気になる事柄は見つかったようなので。いまはそちらに」

「なるほど。彼と貴女にとっては浅からぬ因縁があるものね」

「……」

 しばし沈黙が続く。ほうっておくとこのまま無言で会合が終わってしまうかもしれないと、沈黙を破るためにため息をついた。

「貴女も、もう少し愛想を覚えた方がいいのではないかしら?」

「……必要ない」

 この少女は必要な事以外は本当に口にしない。彼女の主に対してならばもう少し別の態度を取るのだろうかと思うと、少しだけ想像して愉快になる。

「アサシン。あの子は?」

「先程、お休みになられました。地下にてお休みのアリシア様も異常無し」

「そう。ありがとう」

 あの子が何者かに狙われる可能性というものは考えにくいが、それとは別に通常の犯罪者に対しても警戒をしておかなくてはならない。あの子はいま、魔力が高いだけの子供と同じなのだから。

「キャスターには引き続き敵の霍乱を。彼には“貴方の指示したマスターを用意した”と伝えて。これがその相手よ」

 魔力で編んだ情報札を少女に渡すと、彼女は頷きを一つだけ残してその姿を消した。魔法陣の展開もせずに発動させた次元跳躍術に内心舌を巻くが、味方であるならこれ以上にないほど心強く感じる。

「魔女殿」

「なに? アサシン」

 少女の残滓を見送っていると、寡黙なアサシンが珍しく声をかけてきた。

「選定したマスターですが、本当にあの少女たちでよろしいのですか?」

「……本当に珍しいわね。貴方があの子以外に興味を示すなんて」

 私の知る限り、アサシンも先程の少女も自身の主を除いて大した関心を持たれない性質だと思っていたのだが……

「それに関しては問題ないんじゃないかしら? あの二人の片方は名指しだったのだし。もう一人の方もこの世界の吸血種の血を引いているという話だったのでしょう?」

「……吸血種がいかなる英雄を呼び出すか未知数です。マスターの性能で言えば此度の戦で最良となるでしょう。下手にセイバーを引き当てでもすれば余計な勢力を作ってしまう恐れも……」

「そうならないための貴方だと思うのだけれど? いかに強力な守護があろうと潜り抜けて主を殺害するのが『アサシン』たる貴方の本領でしょう?」

「その通りですが……」

「それとも、子供を殺す事に抵抗でも?」

 すっと、目を細めながら問う。だが、それは杞憂に終わった。

「この身は主の刃。その望みが叶うならばどのような事でも」

「その言葉を信じているわ」

 口元に笑みが浮かぶのが分かる。
 彼は既にその言葉を実践して見せた事がある。
 故に、それはただの確認というだけの作業だった。

「アサシンはあの二人の監視を。サーヴァントが召喚されたらしばらく様子見に徹しなさい。その上でサーヴァントが維持できなくなるようであれば良し。けれど、進んで参戦するようであれば……」

 深い闘志を立ち上らせ、アサシンは冷徹な意思を言葉にした。


「主を、殺す」



[22501] 第六話『召喚』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/27 00:59


 一瞬、何が起こったのかまるっきりわからなかった。


 今日はフェイトちゃんにそっくりな女の子と出会って、そのお母さんのプレシアさんの招待でハーヴェイさんの家にお邪魔して、それでさっきアリサちゃんの所の鮫島さんに車で家まで送ってもらった。

「ただいまー」

 返事が無いのは分かっているけれどついつい習慣で言ってしまう。その事にほんの少しさびしく感じてしまったけれど、あと半月くらいの辛抱だからと気を入れなおす。
 大きな月村の屋敷に、いま暮らしているのは私一人だけ。お父さんとお母さんは海外赴任中。お姉ちゃんと恭也さんたちは仕事の兼ね合いでいまは東京だ。
 古い剣術の達人でもある恭也お兄さんはその腕前を買われてSP養成の仕事を度々請け負っているのだけれど、今回もそうらしい。お姉ちゃんと二人の娘である雫ちゃんも一緒についていっている。
 ……ただ、出張先でお姉ちゃんが妊娠してしまったとかでノエルとファリンも向こうに行ってしまったのはちょっとだけ予想外だったけれど。

(夫婦仲が良いのは、とても良いことなんだけれどね……)

 ただいま思春期真っ只中の妹の事も少し考えて欲しいとちょっとだけ思う。
 別段好きな異性と言うものに心当たりがあるわけではないけれど、年中無休で春爛漫な姉たちを見ていると当てられてしまう。

「恋人、か……」

 自分が男のヒトとお付き合いしている所を想像してみて……まるで思い浮かばないという事実にちょっとだけ落ち込む。中学校から女子校に通っていたので、男の子の知り合いと言うととても限られてくるからと言い訳をしてみるけれど、かえって惨めなだけだった。
 一番仲の良い異性で親類以外というとフェイトちゃんの所のお兄さんくらいだと思う。それにしても年に一回年始の挨拶で顔をあわせる程度のものだ。

「こういうのって箱入りっていうのかな?」

 そんな風に考えながらキッチンに向かう。擬似一人暮らしのため、夕食の支度とかは自分でやら無くてはならない。やってみて初めてわかるけれどこれがとても大変な作業だった。屋敷のお掃除とか、考えただけで眩暈を感じてしまうくらい。

「ファリンって凄かったんだなぁー」

 ノエルの凄さはとてもよく理解できるけれど、その妹のファリンはなんだかおっちょこちょいな所があったからいままでそう思った事は無かった。けれど、これは認識を改めなくてはいけないと思いながら味付けをミスったスープを飲む。
 その後も少し失敗しながらも家事をこなし、猫たちに餌を与え、お風呂にも入ってそろそろ寝ようかなと思っていた、そんな矢先だった。

「そうだ、あの石……」

 明かりも消して、部屋の中には月明かりだけが差している。薄暗い部屋の端……勉強机の上に置かれた通学鞄がある。その中には先程帰り際に貰った石が入っていた。なんとなく気になって取り出してみようと暗い部屋を横断する。
 満月の光は私の一族にとっては太陽の明かりと同じ恩恵を与えてくれる。明かりが無くても屋敷の中なら何処へ行くにも全く問題ない。
 通学鞄の中からプレシアさんから貰った『願いを叶える石』の入った宝石箱を取り出した。
 光沢がある宝石とは違い、深い色合いのそれは眺めているだけで何処か落ち着けるソレを目の高さまで持ち上げてそのままベッドに倒れ込んだ。 窓の外に浮かぶ白い三日月に翳すように見つめると、何故だかとても安心できる気がした。

「まほうの、いし……」

 御伽の世界にしか存在しないはずの、奇跡の石。
 けれど私は知っている。そんなありえない奇跡が現実に存在している事を。
 私の友達が、何より私自身の事情が、それを御伽噺と笑って捨てられないものにしていた。
 夜の一族。
 脅威の身体能力と見つめた相手を操る事も出来る魔の瞳。そして、他者の血液を摂取する事で発揮される再生能力。
 それら多くの特殊能力を持つ私達の家系には、いくつかなのはちゃんたちのものとは違う系統の……呪術めいた秘術が伝えられていたりする。
 その中の一つに、願いを叶える宝石のお話があったような気がした。

「フェイトちゃん……」

 蒼い石にいまはいない友達の面影を思い描く。
 勿論、この石がその魔法の石だと思っているわけではなかった。
 けれど、願いを掛けるだけならただなのだと自分に言い聞かせて―――

「早く帰ってきてくれますよーに」

 石を胸に抱きしめながら、祈るように呟く。この石が、本当に望みを叶えてくれる力があるならと想いながら。

「……なーんて。やっぱり無理があるよね」

 うんともすんとも言わない石を再び月明かりに翳す。流石に一般人のプレシアさんがくれた物が本当に願いを叶えてくれるとは思っていなかったけれど、それでも一抹の寂しさが胸に残った。

「寂しい、か……」

 口から漏れた言葉は、意外な力を持って跳ね返ってきた。そのあまりの大きさにちょっと驚いてしまう。
 けれど、それも仕方ないのかもしれないと想う自分もいた。
 私の両親は小さい頃から忙しくてあまり家にはいなかったけれど、私にはいつもお姉ちゃんがいてくれた。ノエルやファリン、叔母様に当たる綺堂さんも事あるごとに屋敷に来てくれて、私が一人で留守を預かるというのは思い返してみればこれが初めての事だった。
 別にいつも屋敷の中が騒がしくて賑やかだとは言わない。だけど、屋敷の何処かには家族の誰かが居た。
 なのに、いまは私一人だけが残されている……

「それがちょっとだけ、寂しいのかな。私」

 自問してみて、少しだけ苦笑する。
 やっぱり私は箱入り娘なんだなーっと自覚して、改めて石を胸に抱いた。
 今度の願いは祈りではない。ただただ、いまは遠い場所に居る家族へ送る、そのために石に思いを込めた。

「皆が無事に、帰ってきてくれますよーに」

 そうして、また静かだけれど寂しくない、そんな日々が戻ってきてくれますよーにと思いを込めた。
 瞬間、石から光が弾けた。

「え?」


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。


 石から放たれた光は一直線に床へ伸び、幾何学的な文様を描き出す。物語の魔法使いが描くようなソレは、後から思えば正しく『魔法陣』だったのだろう。
 夜の眷属としての『眼』が乱舞する魔力の奔流を知覚する。竜巻めいた流れは部屋にあるものを滅茶苦茶にしながらある一点に収束していき、やがて限界を迎え、再度炸裂した。

「あ」

 あまり身構えていなかったからか、突風のように襲い掛かってきた衝撃に抗う事も出来ないで弾き飛ばされる。窓を背にしている位置で後ろに弾き飛ばされたらどうなるか。この部屋が二階にあることも含めて次の瞬間に襲ってくる痛みに堪えるために体を丸くした。
 ヒュン、と風を切る音と体が縛り上げられたのはその直後だった。慣性が働いて窓から飛び出そうとする私の体を縛り上げた何か……鉄の鎖が繋ぎとめていた。

「……だれ?」

 濛々と立ち込める魔力の霧が視界を遮っていた。
 けれどその向こう。
 鎖の持ち主が今では明確に存在しているのを感じて、息を呑む。その存在は対面していない今のままでも既に圧倒的。眼を合わせたら、自分が石になってしまうのではないかという脅迫めいた思いが秒単位で募っていく。

「―――貴女が、私のマスターですか?」

 落ち着いた、鈴のような女性の声が聞こえてくる。何を言っているのかさっぱり分らないでいると、不意に背中が焼けるような痛みを感じた。

「―――ッ!!」

「……令呪の繋がりを確認しました」

 息苦しさにうつ伏せで倒れこむ。それで、相手が誰なのか位は見ておかないと、という思いで顔を上げる。
 霧が晴れ、月光の差し込む部屋に彼女は一人、正しく神々しい佇まいで其処にいた。
 床に届きそうな美しい紫の髪。
 計算されつくしたような肢体。
 見るもの全てを魅了する鼻梁。
 そして、封じられた両の瞳。

「サーヴァント・ライダー。召喚に応じ、参上いたしました。以後、我が戦果の全てを貴方に捧げることを誓いましょう」

 契約の言葉は続く。けれど、痛みと一緒に襲い掛かってきた脱力感に抗う事は出来なかった。


◇◇◇


 次に私が目を覚ましたのは二日後の昼の事だ。

「……うわぁ」

 これから支度して出かけるというのはちょっと厳しすぎる時間帯だ。諦めて無断欠勤を決め込む事を決定する。普段ならこんな事絶対に思わないのだけれど、目が覚めてもいまだに体のだるさが抜けきらない状態ではちょっとくらいのズルはしてもいいと思う。
 だらしなくうつ伏せになりながら枕元にあった携帯電話を覗くと、アリサちゃんから三十件以上もメールや留守電が入っていた。最後のメッセージで『うちに来る』と書いてあるけれど大丈夫だっただろうか……

「昨晩は来客は無かったようですが」

「そう。それなら良かったけれど……て、あれ?」

 違和感を覚えたのはほんのわずか。直ぐに声の主に思いついてバッと背後を振り返る。

「……どうしました。マスター」

「あ、ああ貴方は……」

 そこには気を失う直前に見た美女が立っていた。
 月明かりの神秘的な美しさは無いものの、日の光で映し出されたその女性はやはり掛け値なしの美人だった。私の周りには美女と呼べる人が多く居るけれど、その中でも彼女は郡を抜いていると思う。ただ、今現在の私にその美貌に見惚れている余裕は無い。唾を飲み込み、暴れる呼吸を整えて改めて彼女を見つめる。

「貴方は、誰ですか?」

「ライダーのサーヴァントと既に言ったはずなのですが」

 意を決した私の問いに、彼女―――ライダーは少し苦笑気味に答えてくれた。けれど、私が聞きたいのはそういう事ではなく、

「サーヴァントって言うのは、そもそも何なのですか?」

「……なるほど。どうやら、マスターは正規の参加者というわけではないのですね。それなら、何処から話し始めましょうか……」

「とりあえず、最初からお願いします」

 それでは、と前置いてライダーは説明を始めた。
 たった一つの聖杯を巡る魔導師たちの殺し合い。
 参加者は七人。
 三つの令呪をその身に宿した者達がたった一つの願望機を求めて殺しあう。
 ソレによって呼び出されるのは七騎のサーヴァント。

「セイバー、ランサー、アーチャー、アサシン、キャスター、バーサーカー……」

「それと、ライダーの貴方を含めた七騎」

「はい。これらサーヴァントはその全てが過去に存在していた英雄です」

「英雄っていうと、アーサー王とか?」

「……召喚の際に媒介さえあれば、彼の騎士王を召喚する事も出来るでしょう。……マスターは、セイバーが良かったのですか?」

「そ、そういうわけじゃないけど」

 心なしか不機嫌になったライダーに慌てて弁解をしたけれど、彼女は固く口元を閉めたまま「いいのです」といって取り合ってはくれなかった。

「セイバーとは剣を扱うのに長け、かつ最優とされる英霊です。それを求めるというのは聖杯戦争を勝ち抜くマスターとしては正しい」

 拗ねたようなライダーにほんの少し私の警戒心が薄れる。
 英雄、それも信仰を集めるほどの偉大な存在が子供のように拗ねるというのはとても人間くさくていいと思った。

「だから……それに、私は聖杯戦争って言うのに積極的に関わるつもりは無いのよ?」

「……それは聖杯を求めないという事でしょうか?」

 ライダーの声音に真剣な色が付く。それに応じるため、私も居住まいを正して応じた。

「ええ。私は誰かを傷つけてまで何かを得たいと思うほど強い意志は持っていないから」

 私の望みは静かで平穏に過ごす日常。
 それを求めて血生臭い儀式に参加するというのは本末転倒も良い所だろう。
 勿論、サーヴァントが聖杯を求めて召喚に応じたという話は聞いた。けれど、それでも私から誰かを襲うという事は考えられなかった。

「ライダー。申し訳ないのだけれど、私が主である以上、こちらから他のマスターを探す事はしないわ。交戦も、原則禁止します。従えないというなら令呪を使います」

「令呪というのは強力な物です。ですが、それであっても私のように強い対魔力を備えている英霊ならば抗う事も出来る。敵と戦うなという命令など、令呪を使った所で禁止する事はできないと思いますが?」

 令呪の特性―――期間と行動を限定すればするほどその効果を発揮するという力は恒久的な命令を強制する程の力はないという。
 けれど、

「それなら令呪を使い切るまでです」

 令呪の重ねがけならば、それは確かに効果を発揮するだろう。もっとも、その後ライダーが私をどうするかは分らないけれど。

「言ったはずですライダー。私は誰かを傷つける事を良しとしません」

「……」

 まっすぐに、彼女の封じられた瞳を見つめながら宣言する。それをどう受け取ったのかは分らない。分らないけれど―――

「元より、サーヴァントはマスターに従うもの。貴女の方針には従います」

「よかった」

 自分でもびっくりするほど緊張していたらしい。いつの間にか握っていた掌には汗でびっしょりになっていた。
 ……というか、少し汗臭いかもしれない。そういえば、一昨日の夜から今の今まで眠っていたのだからお風呂とかにも入れてはいないのだし。
 けれど、その前に

「ライダー。改めて、これからよろしく。私の名前は月村すずか。貴女の真名を教えて?」

 私の問いに、彼女は満足そうに頷いて、

「すずか、ですか。私の真名はメデューサ。こちらこそ、聖杯戦争が終わるまでの期間、よろしくお願いします」

 互いに名前を交わし、こうして私とライダーは聖杯戦争の参加者としての資格を得た。


◇◇◇


 一瞬、何が起こっているのか分からなかった。


 その日はなのはやはやては元より、すずかまで連絡も無しで学校を休んだのだ。
 月村家の家電はもとより、すずかの携帯にも直接電話してみたけれど一向に捕まらない。なのはたちみたいな不良娘と違い、一度も無断欠席なんかした事が無いすずかの欠席に担任までおろおろし始めて、最後には私に説明を求めて来るほどてんぱっていた。
 そんなの私のほうが聞きたいくらい。

「あーの不良娘たちはもうー」

 自分でもカリカリしているという事は容易に理解できる。それに付け加えて実家の車が車検に出す事になってバスを使わなくちゃいけない面倒さが更にストレスを加速度的に増大さえていった。
 だからだろう。
 学校が終わって今日も塾が無いし、すずかの見舞いにでも行こうかしらと思ってバス停へ行こうとして近道を通る事を選んだのだ。
 人気の無い公園を抜けるその道にはガラの悪い連中がたむろしていた。頭の悪そうな高校生くらいの男子が三人。こっちを見て声をかけてきた時に、普段なら言葉を選んでいるのだけれどこの時は少しばかり口汚くお断りしてしまった。

「せめて人間に進化してから声かけてよ」

「んだとコラァ」

 沸点の低いそいつらはあっさりとぶち切れて襲い掛かってきた。体格の良い男が三人がかりで女の子一人に向かってくるなんて言う情けない事極まりないこの状況にため息をしながら、私は彼らに簡単な事を教えてあげた。

「女だからって腕力がないと思わないのね」

 中学生になってから習い始めた護身道の投げ技で地面に思い切り叩きつけてあげると男たちはそれだけで身動きが取れなくなってしまった。情けないとは思うけれど、ちょっとだけストレスが発散できた事には感謝してもいいかもしれない。

「まあ、これに懲りたら身の程弁えてナンパしなさいよね」

 ひらひらを手を振ってその場を立ち去る。後はこのことを種にして、風邪か何かでぶっ倒れているすずかを私の家に連れて行ってそれで終わり。


 そのはずだったのだ。


◇◇


「おう。そっちなんか入ってたかよ」

「あったあった。生徒手帳。へぇ、こいつ聖祥女子だってよ」

「なんだ、すげえお嬢さまなんジャン。あそこの親って皆金持ちなんだろ?」

「そいつは調度いいじゃねえか。きっちり、お前らの慰謝料が貰えるってもんだ」

 下卑た笑いが部屋中に響く。その聞くに堪えない声を止めてやろうと体を起こそうとしたけれど全く身動きが取れなかった。腕と足を縄のようなもので縛られて、ご丁寧にガムテープで口も封じられていた。立ち上がる事はおろか、助けを求めるために悲鳴をあげる事も出来ない。
 男たちは全部で『四人』いたのだ。最初に声をかけてきた連中の仲間は私が油断するのを待って後ろから棒のようなもので殴りかかったらしい。殴打された箇所は熱を持ってズキズキと痛んで涙が出てきそうだったけれど、奴らに泣き顔なんか絶対に見せたくなくて必死で堪えた。

(慌てちゃだめ。諦めるのもNG。大丈夫、私ならこんなピンチくらい屁でもないでしょう! アリサ・バニングス)

 唯一の自由となる思考と視覚を最大限に発揮していま出来る事―――情報収集を行う。どんな些細なヒントも逃すものかと必死になって埃一つ見逃さないように周囲を見回す。
 それで分かった事はこの場所が何処かの廃墟であるらしいという事。
 ガラスの破られた窓の外は夕暮れから夜に変わろうとしているのを見て、男たちと喧嘩した所からさほど離れてはいないだろうということ。男たちが周囲も気にせずゲハゲハ笑っていられるところを見ると、この近くには余り人が寄り付かないのだろうという事。
 それから……

「おんや? お目覚めデスか? お嬢さま」

 揶揄するような声に、一瞬からだが震えた。
 思考が停止する。それがどれほど無意味な事なのかはっきりと分かっていながら本能がそれ以上考えるのを停止する。

「気分はどうよ。なんかオレの連れにカッコウイイお説教くれたみたいだけど」

「うっ」

 髪の毛を掴まれて強引に頭を持ち上げる。しかし、その痛みよりも男の濁った目に曝されていることの恐怖感の方が強かった。
 男は蛇みたいな視線で舐めるように私の体を眺めると、いきなり胸を鷲掴みにしてきた。

「ううっ!! ううううううう!!!」

「はは。何言ってんのかわかんねえよ。日本語しゃべれや」

 一頻り笑い続けた男は投げ捨てるように手を離すと、仲間たちの方に戻っていく。
 そのうちの一人がデジカメを持っているのを見つけて、本当に血の気が引いた。

「おう。お前ら順番決めたかよ」

「おう。タカちん一番で二番がオレね」

「今度はきっちり撮れよ? こないだのは売り物なんなかったぞ?」

「ありゃ俺のせいじゃねぇべ。女の顔タカがボコボコにしたのが原因だろ」

「うるせぇ。誰のおかげであんな上玉やれると思ってるんだ? あ?」

「分かってる分かってる。っと、ヤクは?」

「そーだな、レイプ物ってのはちっと食傷気味か。薬漬けのが金取りやすいし」

 私の与り知らない所で私の大切なものを奪う相談がなされている。それも目の前で。これは一体何の拷問なのだろうかと現実逃避しかけて男たちが私に向けるデジタルカメラに見覚えがあることに気がついた。何のことはない、なのはが私たちが遊びに行くたびに記念写真を撮るために使っていたものと同じものだったのだ。
 冷酷にも、それが現実である何よりの証になって―――

「うううーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」

「あん? なんだようっせえな」

「そうそう。今更暴れても無駄無駄」

「大人しくしてないと余計に酷い目にあうよ~~」

「おう。さくっと打っちまおうぜ。やってる間に回るだろうし」

「いいねえ。それ。カメラ回し始めちまえ」

「あいよ~」

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

 いま、大声を出せるなら今後一生声が出なくても良い。この縄が破れるなら腕がもげたって構わない。
 だからこの場所から逃がして。
 此処にいたく無い。
 此処から帰りたい。
 誰か―――

「はーい、アリサちゃん。お注射のお時間でちゅよ~~~」

 誰か助けて!!!


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。


 ポキ、という軽い音が男の手元から聞こえてきた。いつの間に目をつぶっていたので、最初は注射器を折ったのかと思った。そんな虫のいい想像に縋るように目を開くと―――
 男の腕はありえない方向に捻じ曲がっていた。

「あ、あれ? ちょーいてぇ」

 現実感の薄い声を漏らしたのは腕をぶらぶらと垂らしている男自身だ。受け入れがたい事実にこれは嘘だと言って欲しいという感情が言葉に塗りたくられているのが良く分かる。
 だが、その望みはあっさりと、粉微塵に砕かれた。

「ぎ?」

「ブッ」

「あ"」

「びぎ」

 四つの粉砕音。私を取り巻く絶望の化身たちは人間が出してはならない音を立てながら吹っ飛ばされていった。一様に白目を剥いて気絶している男たちは、一応まだ息があるらしい。

(な、にが……?)

 理解の追いつかない事態にこれ以上ないくらい混乱していた。
 男たちは倒された。
 この一点だけを見れば私は助かったのだろう。けれど、その助けてくれた相手が問題だった。

(尻尾?)

 虚空に真っ黒な穴が開き、そこから金色の毛並みの尻尾が一本突き出していた。男たちを薙ぎ倒したのは、その尾らしき物の一撃だったのだ。こんな状況でなければ見とれていたかもしれないその尻尾はまるで蛇のようにその鎌首を挙げていきなり部屋のあちこちを殴り始めた。
 それはまるで大木を抱えて振り回しているような『暴力』であり、人が巻き込まれては生きてはいけない暴風だった。幸いにして私や気絶している男たちを標的としていないようで、いまだに無事(?)だがこのまますれば後数秒で建物の方が持たなくなるだろう。

(今日は厄日なの!? なんだってこんな無茶苦茶な事が一日に幾つも幾つも!!)

 理不尽な出来事に対して悲鳴を上げたいがガムテープが律儀にその職務を全うしていて出来ない。
 更にその混乱に拍車をかけるように、左腿が焼けるような痛みを発し始めるに至って私はキレた。

(だぁああああああああああああああああもう!!!! こっちは散々な目にあって気が立ってんの! あんた私を助けに出てきたんだから私の言うとおりにしなさいよ!!!!!)

 心の叫びを挙げた瞬間、先程熱さを感じた左腿が再度灼熱する。まるで模様をなぞるように奔った熱が暴れまわる尻尾に流れ込んでいくのが何故か分かった。
 熱が冷めると、尻尾の暴走も停止した。するすると尻尾が虚空の点に戻っていき、かと思ったら今度は別のモノが現れた。
 手だ。
 ほっそりとした、私のものよりさらに細くて白い腕。それが虚空の点の淵に触れると、まるで閉じた穴を強引に押し開けるようにして力を込め始めた。
 ベリ、バリというガラスのような音が僅かにして、虚空に亀裂が奔っていく。これって放置しておいていいのかとも思ったが身動きも取れない私にはなにもできなかった。やがて、限界を迎えたらしい亀裂は形容しがたい音と共に破られ―――

「さーう゛ぁんとばーさーかー。召喚におうじて参上した」

 虚空から現れたのは十歳くらいと思しき金髪の女の子。顔立ちはとても整っていて、可愛らしいというのもやぶさかではない容姿をしていた。
 が、そんな容姿よりも目に付くものが二つ、いや三つほど。
 まず第一に服装。彼女は神社とかで見かける巫女さんが着ているような装束を着ていた。サイズがやや大きいのか、両腕の袖が大分余っている。

「令呪三つの使用を確認。こゆうすきるを発動し、狂化をかいじょしました」

 そして第二にその耳。普通の人間の耳の他に、その子は獣のような耳を頭の上に生やしていた。三角形に尖がった耳は狐のものだろうか?

「くぅ? 」

 最後に第三点。これが一番受け入れがたいんだけれど……

(九尾の、狐?)

 バーサーカーとか名乗った女の子の背後でゆらゆらと揺れている九本の尻尾。その一本はついさっきまでこの部屋で無茶をしていたものと同じだった。
 狐と九本の尾。
 日本に長い事住んでいる私はその特徴を持つ存在を知っていた。
 けれど、私の知っている九尾の狐といま目の前に居る実物とは大分印象が違うような……

「あ、口のやつ。とってあげる」

 言うなり、その子はたどたどしい手つきで私の口を封じていたガムテープを剥がした。新鮮な空気の味を堪能する間もなく、とりあえず疑問を吐き出す。

「アンタ、誰?」

 その問いに、彼女はにっこりと微笑み―――


「真名はたまも。けど、本当の名前は久遠。アリサ、少しの間よろしくね」



[22501] 第七話『潜伏』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/30 23:44
 玉藻の前。
 平安時代末期、院政を敷いていた時の最高権力者・鳥羽上皇の寵愛を受けた絶世の美女であり、同時に国一番の賢女とも呼ばれる有能な女性であったと言う。
 だが、彼女を娶ってから鳥羽上皇は病に伏すようになった。当時では最高の技術を持っているはずの天皇家お抱えの医者たちにも原因が分からず、当時は医者薬より頼りにされていた陰陽師に尋ねてみたのだと言う。
 その陰陽師―――いまだもってその名前を日本全国に知らしめている安倍晴明は「玉藻の前こそが病の元である」と言い当て、正体を知られた玉藻の前はその姿を九本の尾を持つ狐に変えて逃げ出した。しかし、上皇に害を為した化生を逃がすな! と武士たちはこれを追いたて回し、那須野でとうとう彼女を討ち取ったという。

「……っていう事になってるけど実際の所どうなのよ」

「くー?」

 片手に鮫島に言って図書館から借りてきてもらった『日本妖怪百選』という怪しさ大爆発な本を持ちながら、私は暢気にジュースをストローで啜っている見た目十歳くらいの女の子―――久遠だか玉藻だかいう彼女に聞いてみた。けれど、尋ねた相手は小首を傾げるだけで話を聞いていたのかどうかも微妙な感じだ。
 勢い込んでこんな本まで借りて調べた自分が少し間抜けに感じてしまって、私も向かいにあるソファに倒れこむようにして腰を下ろした。
 あの、ちょっと思い出すのも勘弁願いたい出来事から一夜明けた昼下がり。
 私は親友連中に習って学校をサボっていた。
 あんな出来事の後ですぐに外へ出たくないと言うのもあったし、何より体がだるくて仕方が無い。この子―――呼び名は久遠でいいといっていたから久遠に固定―――が言うには召喚の際に魔力だか生命力だかを消耗したからだと言う話だ。

「魔力、ねー。私の友達に魔法使いがいるけど、まさか私までそんな奇天烈な事に巻き込まれるなんて思っても見なかったわ」

「くー? それってなのはのこと?」

「……アンタなんでなのはの事知ってんのよ」

「なのは、くおんが生きてたときのともだち」

 ほにゃっとした笑顔に毒気が抜かれてしまう。

「……そういや、アンタって一応幽霊みたいなもんなんだっけ?」

 脱力しながら尋ねた。一瞬ストレートに聞きすぎたかなとも思ったけれど、当の本人は気にしてないのか気楽にこくんと頷いた。

「久遠はもう死んじゃったんだけど、死ぬときにお願いしたから、アリサたちが助けて欲しいって願ったときに召ばれるようになったの」

「……悪いけど理解が追いつかないのよね。っていうか“助けて欲しい時に召ばれる”て昨日の一件以外にだってあったんだけど」

「……ちょと召ばれるのに条件、あるから」

 そこで少しだけ困ったように笑う。なにか言い難いものがその“条件”にでも含まれているのだろう。それ以上は突っ込まずに別の話題に移す。

「そんで、名前が二つあるって言うのはどういうことなのよ。サーヴァントの真名っていうのは生前の名前なんじゃないの?」

 一応、いままでの会話で大雑把な説明は受けていた。
 久遠が唐突に現れたのはとある儀式に参加するため。
 その儀式と言うのは聖杯と言う『なんでも願いの叶うアイテム』を奪い合うバトルロイヤル。
 七人の主と七騎の使い魔。
 その使い魔たちは『存在したとされる英雄』たち。
 主はそれぞれの英雄を使い、他の参加者たちを排除していく。
 最後の一人になったとき、聖杯を手に入れる事が出来る。
 人間以上の存在である使い魔を縛るための三つの令呪。
 使い魔たちが持つ必殺技《宝具》。
 それと、使い魔たちにって何よりも隠し通さなくてはならない『真名』について等等―――
 一晩聞き役に徹して説明下手な久遠から引きずり出した疑問点の中から一番の懸念について聞いてみた。
 要するに、弱点《真名》が二つもあるのは不利なんじゃないかと言う事。
 真名というのは読んで字の如く英雄たちが生前名乗っていた『真なる名前』だ。この真名が相手に分かるとその使い魔の『最期を再現』される恐れがあるのだという。この『最期の再現』をされてしまうと彼我の戦力差がどれだけあろうと一発逆転の可能性は十分にある、らしい。
 ほとんどの場合は『再現』するのに不思議な道具が必要だったり、そもそも特定の英霊との相性が条件に組み込まれているのでさほど気にする必要の無い物らしいのだが……

「アンタの場合はモロに弱点が載ってるしね……」

「くーこまった」

 これっぽっちも困ってなさそうな表情で呑気に言ってくる。そんな久遠に疲労を感じないでもなかったけれど、これがこの子の性格なのだと諦めながら話を促した。

「久遠のなまえがふたつあるの、サーヴァントとして呼ばれるため」

「? なんでよ」

「久遠をそのまま呼び出す、聖杯でも無理。神様を呼ぶのと変わらなくなっちゃう」

 久遠が言うには、彼女の本体は既に自然現象の化身にまで昇華―――雷や嵐といった現象そのものになっているらしく、本体を丸ごと引っ張ってくるのは何でもありの聖杯でも不可能なのだそうだ。

「まあ雷だの嵐だの呼び出しても話も出来ないしね」

「そう。だから、会話できるようにたまも《ニンゲン》の器に力を移してきたの。たまもは久遠をもでるにして作られた人間だから」

「モデル?」

「くー。久遠がしたこと、間違って伝わったのが“たまも”なの」

 そもそも、玉藻の前という人物は平安時代にあった出来事なのだけれど、久遠自身が生まれたのは江戸時代頃らしい。
 しかし『九尾の狐・玉藻御前』がその名前を知らしめるようになったのは平安時代ではなくむしろこの頃に流行した人形浄瑠璃で、こちらのモデルが久遠なのだと言う。
 江戸時代に暴れまわった狐の大妖怪・久遠はその凄まじさから九尾の狐と同一視されるようになった、ということらしい。その結果、広くこの国に広まった“玉藻”という存在はその中身が『久遠』になってしまったのだとか。
 久遠はそれを利用して自分の力の一部を『玉藻』に移し変え、こうして現界していた。

「じゃあもう別人みたいなものじゃない。そんなのになって大丈夫なの」

「久遠、化けるのとくい。けど“たまも”になってる間は久遠の力、十分の一もだせないけど」

「……なんだか凄く不安になる情報が出たわね」

 説明を聞く限り久遠の本体っていうのはとんでもなく強力な存在らしいけど、十分の一っていうのは小さくなりすぎないかしら……

「ん~、大体普通の“じゅつし”くらいの力しかだせない」

 こんな感じ、というと人差し指を立てる。その先端にパチパチと音を立てて静電気みたいなものが出来ていき、久遠が指を動かすとそれに合わせて尾を引くようにそれが動く。パッと見それでも十分すごそうだけど、彼女が言うにはこれは修行さえきちんと積めば人間でも再現できる事らしい。

「宝具を使えば何とかなるんだけど、狂化しないと全開だせないから、多分負けちゃう」

「そう負けちゃう……ってちょっと待ちなさいアンタ。そんなんでいいの?」

 私には特に聖杯とか言うのに叶えて欲しい事なんて無いからいいけれど、久遠の方はなにか叶えたいものがあるんじゃないのだろうか?
 そう尋ねると、久遠は首を横に振って

「アリサに逢えたから、もうないよ」

 純粋無垢な眼差しでそう言い切った。
 そのあまりの真摯な瞳に私は一瞬息を呑んでしまった。

「な、なに恥ずかしい事言ってんのよ」

「くぅ?」

 小首を傾げながらこっちを見上げようとする久遠から顔をそらす。
 全く、なんだって私は顔が熱くなってんのかしらもう!

「……まあアンタの方にそのつもりが無いなら良いか。聖杯戦争とかって面倒くさそうだしね」

「くぅん。それにとっても危険」

 他の参加者がどういう相手かは知らないけれど、その使い魔たちはそれぞれが聖杯を欲しがっている連中ばかりだろう。しかも生前は英雄とまで呼ばれた者たち。それを相手にして、並みの人間(?)位の力しか出せないのはカモネギも良い所だろう。

「どうせ久遠がこの世にいられるのなのかくらいだから」

「私に魔力なんて無いしね」

 使い魔たちは常に主となった人間から魔力を貰っていないとこの世に留まっている事が出来ないらしい。けれど、私には魔法とかそういうオカルト方面の才能なんて無いので、当たり前だけど魔力の補給と言うのは出来ない。この子がいまもこうして存在していられるのは召喚したときの余剰魔力のおかげらしい。
 その魔力自体も私自身のものではない。

「にしても、これって本当に『願いを叶える石』だったのねぇ……これサーヴァントたちに渡してお帰り願うってのはダメなのかしら?」

 視線をテーブルの上に置いてある蒼い菱形の石に落とす。それは一昨日知り合ったプレシアさんがくれた『魔法の石』なんだけど、本当にそんな凄まじい力があるとは思ってもみなかった。
 この石が発動する時に私の魔力だか生命力だかが結構な量吸い取られたせいでいまだに体のだるさが抜けきらないのだけど、久遠に言わせればそれだけの量を召喚に必要なほど増大させるのは凄まじいことなんだとか。
 そんなに強い力があるならもっと使えるんじゃないかと観察してみたが今は何の反応もない。

「いまはもう空っぽ」

「て事はこれもうただの石?」

「うん」

 なんだか上機嫌にニコニコ微笑みながらまたジュースをすすり始める。ついでにお菓子に手を伸ばすその姿はさっきまで聞いたり調べたりした久遠の話とは縁遠い、普通の女の子にしか見えないんだけど。

「それじゃあ、別のサーヴァントとかマスターに見つかったときにはどうするの?」

「大丈夫。久遠が元のばーさーかーに戻って、やっつけるから」

 それまでの子供子供した表情をきりっと引き締め、私を見つめるその姿勢はどこか大きな存在のように思えた。
 ……のだけれど、それも即座に崩れた。

「でも、基本的にアリサは見つけられないと思う。令呪使い切っちゃってるし、久遠の残ってる力そんなに大きくないから化けてれば平気」

「化ける?」

 うん、と軽く返事をしてポンと音を立てて久遠の体が煙に包まれる。少ししてその煙が晴れると一匹の子狐が椅子の上に座っていた。なんとなく、その狐が久遠なのだと分かるのは主と使い魔の間に繋がっていると言うラインのおかげなのだろうか?

「こうなってれば、普通の使い魔とおんなじにしかみえない。きっと大丈夫」

「へぇー。アンタってば結構器用なのね」

 子狐になった久遠を抱き上げて喉を指先で撫でると、気持ちがいいのか目を細めてパタパタと尻尾を左右に振っている。
 こうしていると血生臭いさっきまでの会話も昨日の出来事もなんか悪い冗談に思えてくる。

「まあ、とにかく一週間を何事も無く過ごせればまた元通りって事でいいのよね?」

「そう。アリサ、すこしの間、よろしくね」

 言って、本当に幸せそうに見上げた久遠に、こちらこそと頭を撫でた。


◇◇◇


 買い物に出かけよう、と言い出したのはマスターだった。
 聖杯戦争中に安易に外を出歩くと言う事は得策ではないと何度と無く進言したのだけれど、私の主は一度言い始めた事をあまり翻さないお方らしい。
 感情に任せて我を通すような人物ではないがかなりの頑固者である、というのが私を召喚した吸血種の少女・月村すずかに対する私の評価だった。

「地形の把握っていうのは結構大事だと思うの」

「それは、確かにそうなのですが……」

 私の手を引いて歩く主の言葉にどうにかして言葉を返そうと試みるが恐らくは無駄なのだろうとここ数時間ほどで把握した主の性格を考慮して内心ため息をつく。

「すずか。そもそも私は霊体化することが出来ます。このように衣服を着替えて、手を引かれるような真似をされなくても大丈夫なのですが……」

 それでも周囲を気にしつつ小声で進言する。
 実体化した私は自らの魔眼を封じるために両目を宝具で押さえ込んでいる。それを隠すためにその上から包帯を巻いて、盲目の人間を演じているのだが、そもそも霊体化してしまえばそのような手間は必要なくなるのだ。実体化している間は主の魔力も消費してしまい、効率の面から言ってもデメリットしかないように思える。
 ……まあ、私にぴったりのこの服の持ち主に関しては多少の興味を覚えたのは秘密だが。
 けれど、マスターはそう思っていないらしい。

「ダメよ。ライダーはこんなに綺麗なんだから、きちんと身なりを整えて、皆に見てもらわなくちゃ」

「目立つと言うのは敵に見つかると言う事でもあります。ご自重を」

 既になにやら多くの視線が突き刺さっているのを肌で感じながら、主の警戒心の薄さに肝を冷やす。だが、それはどうやら杞憂のようだ。それまで優しい笑みを絶やさなかったすずかがふっと悲しげな影を作り、言う。

「大丈夫。今日が終わったら、聖杯戦争が終結するまでの間学校はお休みするから」

「……」

 彼女にとってその学校という場所がどれほど重要な物なのかは、正直なところ分からなかった。分からなかったけれど、彼女にとっての『日常』の象徴めいた物なのだろうとなんとなく理解する。
 夜の一族。
 吸血種と人間との混血を何代に渡り繋げてきたその一族の中でも、マスターは先祖の血を濃く受け継いでしまったのだと言う。
 いまはまだ、それほどでもないがいずれ先祖還りを起こすとさえ言われているらしい。そうなってしまえば、日の当たる場所での暮らしは不可能になるだろう。
 先祖還り―――人の血で薄まった人外の血が強くなれば、もはや人を“対等”としてみる事は出来なくなる。
 街は血袋の宝庫に映り、笑顔を向ける人々は自らその身を捧げる生贄に見える事だろう。
 もしもそうなってしまえば、彼女は一族の名が示すとおり夜の闇に深く沈みながら暮らす事を余儀なくされる。
 そんな未来が待つ彼女にとって、いまこの時の『日常』がどれだけ大切なのか……

「申し訳ありませんでした。すずか」

「……? どうしたの、ライダー。いきなり謝るなんて」

 不思議そうに小首を傾げるすずかにそれ以上は何も言わず、心のうちのみで決意を固める。
 此度の聖杯戦争。それに勝利した暁には、必ず彼女の中の『鬼の血』を消し去るのだと。

「? へんなライダー」

「それよりも、すずか。これから何処へ向かうのです?」

 話題をそらすために、包帯で封じられた目を周囲に向ける。魔眼殺しや包帯を巻いた程度で私の眼は盲目にはならない。
 むしろ、これでようやく普通の視界を得られる私にとってはすずかの介助も本来不要なのだが、それだと不自然だからと言われてやむなく手を引かれるままについてきた。
 が、大雑把な街の地形を把握するために商店街から始めた下見の末に得た収穫は今現在私とすずかの手を一つずつ塞いでいた。すずかが嬉々として選んだ衣服の類もあるが、食材関係もかなりの量を買い込んでいる。
 しばらく買い物に行かなくても大丈夫なように日持ちのするものが多く、同時に重量もかなりの物だ。私が食材関係を持ち、すずかが軽い紙袋を持っているのだがこのまま歩き回るのは出来れば避けたい。大荷物を持った大女が珍しいらしく、心なしか悪目立ちしている。それに、主の負担も軽くは無いだろう。
 凡その地形の把握は既に済んでいるので、もうこのまま帰宅しても問題は無い。
 万が一、この地が戦場になったとしても有利に運べる場所《バトルフィールド》も既に下準備はしてあるのだし……

「特に行く場所が無いのであれば、もう帰った方がいいかもしれません。直に日も暮れますし」

「うん。それじゃあ最後にもう一箇所寄って行きましょう。きっと、ライダーも気に入ると思うの」

 そういって、すずかは私の手を引きながら行き先を告げた。

「とってもおいしい洋菓子屋さん。翠屋っていうんだけどね」


◇◇◇


 八神はやては魔力的にも体力的にも疲れ切っていた。
 この数日、クロノに頼まれてからあちらこちらの次元世界を渡って捜査をし続けていたのだがその成果は芳しいものではなかった。と言うか、むしろ何の手掛かりもつかめないでいた。
 捜査のための手段に問題があったので上司であるレティ提督にはついさっきまでこってりと絞られてしまった。

「やっぱ令呪探すのに服破いたりするのはあかんかったか……」

 容疑者相手に問答無用で奇襲をかけて一気に服を引っぺがす。倫理的にどうなんだと言うか、乙女としてかなり大切なものがゴリゴリと削られるような方法ではあったが、相手が本当に聖杯戦争に参加しているマスターであった場合、危険なのはむしろはやてたちの方だ。
 Sクラス判定の魔導師と幾星霜の時を戦いに身を投じ続けていた一騎当千のヴォルケンリッターとはいえ、まともにサーヴァントとぶつかれば敗北は必定。
 だから奇襲で、かつ即座に逃亡する必要がある。
 プラスα、それをしているのが法の番人たる管理局だとばれないようにしなくてはならない。
 そこで白羽の矢が立ったのが『悪名高い』ヴォルケンリッターと闇の書の主と言う訳だ。
 闇の書の悪名はいまだに次元世界の各所で囁かれ続けている。流石に局内や彼女たちと関わりの深い人々、管理局と交流の深い次元世界では多少偏見も薄くなっているのだが、少し影響力の低い世界だといまだに悪魔の書とか呼ばれて恐れられている。
 はやてとしては非常に不本意な事実だが今回に関してはその悪名を利用しているのだから彼女の内心は非常に複雑だ。

(いやまあ、それも必要な事やから仕方ないねんけど……)

 ただ、悪魔の書とか怖がられるのもアレだが痴漢者集団と言う汚名は心の底から勘弁願いたいと思う。
 誇り高いベルカの騎士であるシグナムとザフィーラなどは精神的なダメージが深刻すぎて帰宅して早々常に無く突っ伏してしまったくらいだ。代わりにシャマルとヴィータは大して堪えていないらしく元気に夕飯の買い物へ出かけている。

「はやてちゃん。大丈夫なのですか?」

「うん。大丈夫やで。ありがとなリィン」

 隣を歩いている空色の髪をした女の子―――はやてのリンカーコアを分け与えて生まれた蒼天の書の管制人格であるリィンフォースⅡが心配そうに見上げてきた。彼女のさらさらの髪を撫でながらはやては無理なく微笑んだ。
 その表情を見て安心したのか、リィンはされるがままにしていたが、少しだけ顔を上げた。

「はやてちゃん、どうして皆に内緒で出て来たですか?」

「んーシグナムたちが疲れとるようやから、こっそり翠屋のお菓子でも買ってきて皆にちょっと嬉しいサプライズをプレゼントしよかと思ってな」

 八神家の皆は高町なのはの実家である喫茶翠屋の特製シュークリームが大好物なのだ。疲労困憊の状態でも、あのシュークリームがあれば元気百倍になれる。
 ザフィーラにはコーヒー豆を買っていくとひっそりと喜ぶし、落ち込んでいる二人を元気付ける意味も込めてはやては疲れた体を押して買い物に来たのだ。勿論、リィンも大好物なのでどんぐりのような瞳を一際大きくしながら笑顔を輝かせた。

「それはとてもいいことなのです。沢山買っていけばみんなよろこぶです」

「せやねー。でも食べ過ぎたらあかんよ? 一人一個やね」

「そ、そんなぁ~~~」

 この世の終わりとでも言いたげな悲壮な表情をするリィンに冗談や、といってはやてが笑う。からかわれたと知ったリィンはぷぅっと頬を膨らめてぷいっとそっぽを向いてしまった。

「むむむぅ~~~。はやてちゃんなんかもう知らないです」

「ごめんな。機嫌を直してぇな。お詫びに翠屋で一個ケーキ食べて帰ろうな」

「ホントですか? わーいです」

 バンザーイと両手を挙げて喜ぶリィンに本当に母親のような思いを向けながら歩き始める。
 夕暮れの商店街は本当の親子連れや会社帰りの大人とかで溢れていた。呼び込みの威勢の良い声が響く中をはやてとリィンは目的地へ向けて歩いていく。一刻も早くたどり着きたいのか、少し早歩きになっているリィンの手をしっかりと掴みながらはやては苦笑を浮かべた。

「ケーキケーキぃ。とっても楽しみなのです」

「これこれ。そんなに慌てたら危ないよ……っと」

 言っている傍からリィンは前から歩いてきた人にぶつかってしまった。

「あわわ。ごめんなさい」

「ごめんなさいですぅー」

「……いえ、大丈夫です」

 ぶつかったのは目に包帯を巻いた長身の女性だった。とても長い、きめ細かい髪のその女性は視界を塞がれていると言うのにはやてに目線を合わせてぺこりと頭を下げた。

「こちらこそ注意が足りませんでした」

「いえいえ。目が悪い人に注意せぇっちゅうのも無理な話ですし」

「すみませんです」

 シュンと落ち込むリィンとはやてに、相手の女性はむしろ困ってしまったようにおろおろとし始める。とそこに新しい声が入ってきた。

「あれ? はやてちゃんとリィンちゃん」

「およ、すずかちゃん」

 女性の背後にははやての親友である月村すずかがいた。

「どうかしたの?」

「あ、ちょっとリィンがこの人にぶつかっちゃって。こちらはすずかちゃんの知り合い?」

「う、うん。ノエルの従姉妹で……ね、イレイン」

「……はい。イレイン・K・エーアリヒカイトと言います。お嬢さまの、お知り合いでしたか」

「あ、こちらこそどうも。私、八神はやて言います」

「八神リィンなのです」

 お互いにぺこりと挨拶をしあってから、改めてはやてはイレインと名乗った女性に尋ねた。

「イレインさんはどうしてこっちに?」

「ノエルとファリンが忍様たちについていってしまったので、その代わりに私が配属されたのです」

「ああ、なるほど」

 いまの月村家はすずか一人だけなのだと思い出して納得した。だが、

「でも、目が見えないと大変なんじゃ……」

「はやてちゃん、イレインの目はちょっと特別製なの」

 ちょっと言い難そうなすずかの様子に彼女が抱えている事情が脳裏に浮かぶ。もしかしたら、彼女にも何か特別な力があって目を塞いでいるが、もしかしたらきっちりと見えているのかもしれない。
 それを肯定するようにすずかが頷き、ついでに話題を変えるために口を開いた。

「はやてちゃんたちは?」

「私らは翠屋にお菓子を買いに来たんよ」

「はい。ケーキなのです」

「そう。良かったわねリィンちゃん」

 すずかは元気一杯のリィンに優しく頭を撫でる。しかし、それを咎めるような口調でイレインが割って入った。

「お嬢さま、そろそろ」

「あ、そうね」

 少しだけ固い口調で言われて、すずかも少し驚いているようだが直ぐに頷いて答えた。

「じゃあね。はやてちゃん、リィンちゃん」

「うん。じゃあねすずかちゃん。それとイレインさん」

「はい。それでは……」

 軽く会釈して去っていく二人の背中を見送り、改めて翠屋へ行こうとすると不意にリィンが呆然と二人の後姿を見詰めているのに気がついた。

「どないしたん? リィン」

 不思議に思って尋ねると、リィン自身も不思議そうに小首を傾げている。

「あのイレインって言う人、まるでシグナムたちみたいです」

「シグナムたち?」

 はいです、と答えながらリィンは断言した。


「あの人、多分魔法生命体なのです」


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