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訳注:のり巻き専門店「鐘路のり巻き」のサイトから「のり巻きの歴史」を紹介します。のり巻きは韓国語でキムパプ(キム=海苔,パプ=飯)と言います。本文中の「のり巻き」はこの「キムパプ」を翻訳したものです。
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  のり巻きとは?
ご飯に様々な具を入れて海苔で巻いて包んだ食べ物がまさにのり巻きです。
鍾路のり巻きはこのようなのり巻きを「即席のり巻き」という商品に特化してフランチャイズ事業を展開し、「即席のり巻き専門店」の最初の事業者としての自負心を持っています。
ところで、残念ながら現在までのり巻きの由来に対する正確な歴史が定立されていないのが実情です。
そこで、のり巻きを名実共に韓国の代表的な食べ物の一つとして位置付けた自負心を持って、のり巻きの歴史とその特性に関して資料を掲載しようと思います。
我が国ののり巻きの由来については多くの論争を持っていますが、その代表的なものが「韓国固有食べ物説」と「日本由来説」に分けることができます。
しかし、そのどれにも明快に結論を下すのが難しい理由は、食べ物というものは何らかの学説や科学,理論,道具のように一定の過程を踏んで発展したり伝達されたりするものではなく、人々の言い伝えや生活方式などを通じて伝達・発展する「文化」であるため、正確な拡散経路を文献から取り戻すのは容易ではないからです。
したがって、現在調査されているところでは、こののり巻きという食べ物の発展過程を推論して結論づけるしかないのです。
多くの人々は「日本由来説」に比重を持って主張していますが、結論から言えば、どんな文献を探しても韓国ののり巻きが日本の関東地方の海苔寿司が伝わって変形して発展したという直接的な証拠はありません。

1.我が国固有の食べ物 - 「のり巻き」
まず、私たちが食べているのり巻きの歴史を遡って見る前に、我が国の「海苔」の歴史を調べたほうが良さそうです。
海苔に関する一番最初の文献は、高麗忠烈王の時代の一然僧侶が編纂した「三国遺事(訳注:1280年代)」を見ると、新羅時代から「海苔」を食べていたと伝わっています。
また、明の時代に編纂された博物事典である「本草綱目(訳注:1578年)」を見ると、「新羅の深い海の中で採取するのだが、腰に縄を縛って深い海の中に入って取る。
4月以降には大魚が現れて被害を与えるので採取できない」と伝えています。
しかし、「三国遺事」で新羅時代から「海苔」を食べていたと伝わってはいますが、「海苔」が文献上に現れたのは「慶尚道地理誌(訳注:1425年)」が初めてで、既に朝鮮時代初期の1420年頃に慶尚南道 河東地方の特産品として海衣(「海苔」の別名)が伝えられていて、「東国輿地勝覧(訳注:1481年)」では全羅道 光陽郡 太仁島の特産品として海苔が記録されていることから見て、400年以上前から養殖をしていたと見られます。
また、慶尚道 河東地方の言い伝えによれば、今から約280年前にあるお婆さんが蟾津江の漁区で貝を採取していたところ、海苔を食べて見たら意外に味が良く、その後、竹を水中に立てて人工的に海苔を着生させたことから海苔の養殖が始まったという話があり、また別の言い伝えによれば、約360年前に観察使が地方を巡視していた時、その随行員のうちの一人が海苔の養殖法を教えてくれたという話が伝わっています。
また、仁祖18年(1640年頃)丙子胡乱の時に義兵長だった全羅南道 光陽郡 太仁島の金汝翼が浜辺に漂流してきたクヌギの枝に海苔が付着しているのを見て養殖し始め、その養殖法を広く普及したとして、彼の姓にちなんで「キム(訳注:韓国語で海苔の意)」と名づけたと言います。
また、鄭文基は<朝鮮の水産>という本で、朝鮮の「海苔」の歴史は二百年前の全羅南道 莞島郡で防廉という漁具に海苔が着生しているのを発見し、「ひび」を作って養殖したことから始まったと記録しています。
記録によって「海苔」の養殖方法の発展形態を見ると、1600年代には竹とクヌギの枝を干潟に立てて海苔を枝に付着させて育てる「一本ひび養殖」が始まり、1800年代には竹片でひびを編んで、片方は底に固定してもう一方は水に浮かばせた「廉ひび養殖」が開発されたといいます。
そして、1920年代に廉ひび養殖を改良した「浮ひび養殖」が始まったのですが、この方法は海苔を毎日一定期間だけ日の光を受けられるように調節するもので、近頃もこの方式を使用しています。
これらのような話から見て、我が国は長くは新羅時代から海苔を食べていたことが分かり、短く捉えても朝鮮時代初期(1400年頃)から養殖生産して食卓に上げていたことが分かります。
「海苔」は材料の特性上、単独で食べるよりはご飯と一緒に「包んで食べる」形態の食べ物文化として発展してきたものであり、代々伝わってきた我が国の歳時風俗にも、旧正月の十五日にご飯(五穀飯)を海苔に包んで古くなったナムルと一緒に食べると目が良くなるという風習がありますが、これは海苔に「ビタミンA」がたくさん含まれている事実から見て、十分に妥当性があると思われます。
2.我が国ののり巻きの歴史
隣接した国どうしの持っている無形文化がどこから由来したのかを明らかにすることは容易ではありません。
隣接した国どうしは似たような文化的特性を持っているし、特に「食べ物」のように有形文化でない何らかの形態で保存しにくい「無形文化」は言い伝えと記録によるしかないため、元祖がどこかという論争を容易に結論づけられないのです。
特に我が国は昔からこのような無形文化の形態について、言い伝え以外の学術的記録があまり残っていないため、さらに容易でない論争にならざるを得ません。
「大房剛」博士の<シー・ベジタブル>という本で、日本は江戸時代(徳川時代)の初期から海苔を食べていたという記録が伝わっていることから見て、18世紀初・中盤以降から海苔を取り扱ったと見られ、我が国より遥かに後になって海苔を利用して食べ物を作ったことが分かります。

日本の場合、1800年頃から「海苔」を取り扱ったという記録があって、我が国は遥かに以前の新羅時代から、または少なくとも朝鮮初期である1400年頃から取り扱ってきましたから、我が国が日本に比べて「海苔」メニュー文化は遥かに先んじているという結論を容易に断定できます。
同時に「海苔」の特性の上、ご飯を包んで食べる形態で取り扱うしかありませんから、当然、のり巻きの歴史も我が国のほうが日本よりも先んじているはずだという結論もまた容易に類推できます。
現在、我が鍾路のり巻きで取り扱っているのり巻きや幼いころ遠足に行く時に包んで持っていったのり巻きを見ても、我が国ののり巻きは日本ののり巻きとは全く違います。
我が国ののり巻きは酢が入っていないご飯の形態でごま油と塩で味付けをして香ばしい味を強調しているし、切った時の美的外形よりも盛り沢山で食欲をそそる味を強調した実用的構成で成り立っています。
さっぱりした味を強調して、かいわれ大根,魚,卵焼きなどで簡単に構成したり、逆に複雑に何度も巻いてチューリップの形、魚の形などを表現して魚寿司を飾る「飾りのり巻き」の形態で発展した日本ののり巻きと比較しても、現在の我が国ののり巻きは多分に韓国的と言わざるを得ません。

このような理由で、今食べている我が国ののり巻きが日本食「海苔寿司」に由来したものと見るのは非常に難しいのです。 むしろ、我が国ののり巻きが日本に伝わって、彼らの習性や食生活に合わせて「海苔寿司」として発展し、私たちよりも記録が好きで、歴史歪曲を飯を食うように行なう彼らによって、逆として知らされたのではないかという疑問さえ起こります。
その単純な証拠として、のり巻きが日帝時代末に我が国に伝わったと主張していますが、我が国では既に遥か以前から「海苔」が私たちの食卓に上げられていたし、旧正月の十五日にはたとえ単純な形態であってものり巻きが我が民族が楽しんできた風俗の食べ物だというのを見れば、その主張はとんでもない主張だと言えます。

3.我が国ののり巻きの「日本由来説」
日本から由来した寿司の元祖が関西地方であるのと違い、我が国ののり巻きに似た海苔寿司(ノリマキ)は関東地方(東京)が元祖です。 海苔寿司は、もちろん中の材料も重要ですが、<将太の寿司>という漫画を見ると自然産の海苔を探すために海苔の名人を探しにいく場面が出てくるほど、海苔を重要視します。
特に形が銃に似ているとして「テッポーマキ」とも呼ぶ「ホソマキ」(細巻:海苔一枚を半分に切り、ご飯の中にかんぴょうを入れて作ったもの:非常に一般的)や「テッカマキ」(鉄火巻:生魚のり巻き)は江戸(東京)地方で創案されたものです。
我が国ののり巻きに非常に似た「テッカマキ」は中にまぐろが入ったのり巻きの一種で、江戸時代末から明治時代初期の間に東京のある「スシヤ」で考案されたと言います。
賭博場で遊んでいた人々が色違いののり巻きを頼み、「かんぴょう」の代りにまぐろを入れて、わさびを添加して食べやすく小さく巻いたことに由来し、「ホソマキ」の反対である「フトマキ」(太巻:「オオマキ」とも言います)は「ホソマキ」とは違い、海苔を切らずにそのまま巻きます。
このような日本の江戸時代の「海苔寿司」が1940年代に至って、非常に簡単な形態の姿を見せたりします。
当時、太平洋戦争や真珠湾攻撃などの多くの戦争をした日本軍はご飯を食べる暇を作るためにもう少し簡単な海苔寿司を準備し、その姿は恐らく当時は材料の内容が充実できず、およそ代表材料1〜2種類とご飯,海苔を巻いた食べ物に、変質を防止するために酢で味付けした形態である近頃の海苔寿司の姿を備えていたようです。

しかし、その形が現在私たちが食べているのり巻きと多少似ていると言って、我が国ののり巻きの元祖と言うには、日本の「海苔寿司」と韓国の「のり巻き」はあまりにも多くの差異点を持っています。
その代表的な差異点は、日本ののり巻きは海苔寿司の形態のように常に酢で味付けしていることや、我が国のように具が盛り沢山でなく、野菜と魚,卵焼きなどが入っている単純な形態を持ちつつ、わざびが入っていて、必ず醤油につけて食べるという点が私たちには非常に馴染みが薄い点です。
また、日本ののり巻きは盛り沢山の味を強調する我が国ののり巻きとは違い、外形的な姿に大きく重点を置いて、飾り寿司(飾り巻:「カザリマキ」)に魚の形,チューリップの形などでのり巻きを巻いて、寿司をきれいに飾るときによく利用する形態として発展したという点です。
4.近代の我が国ののり巻きの発展
私たちが今食べている一般的なのり巻きは、このような私たちの生活の中で誕生し、簡単な形態のおかずとして活用されたり、歳時風俗として旧正月の十五日にご飯に包んで食べる形態(ポクサム=福包み)として続いた後、1950年代に至ると野外に行くようになります。
朝鮮戦争以降に高まった教育熱で、貧しい暮らしながらも学校にきちんと送ってくれた我が国のお母さんたちが、子供たちの遠足を迎えて野外でご飯を食べる面倒さをのり巻きを通じて解決しようとしました。
ご飯と汁物,おかずで構成された我が国の伝統的な食卓を全部野外に移すのは非常に面倒であるだけでなく暮らしもまた豊かではなく、簡単な方法で子供達がおいしくご飯食べることを願う心から生まれたのです。
初期ののり巻きは、非常に単純な形態のおにぎりから、ごま油と塩で味付けしたご飯にホウレンソウやたくあんなどを海苔で単純に包む形態として出発しました。
こうして、ますますお母さんたちの子供への愛情がより深くなって、卵焼き,かまぼこなどが添加されて、1970年代に入ってはソーセージ,キュウリ,胡麻などが添加されたとても多様ながらも各家庭の個性が生きている形態の野外用弁当に特化されて、現在も遠出や遠足に行くたびに必ず包んで持っていく食べ物のひとつとして、私たちの身近なものになってきています。
1980年代には ゴボウの煮付け,油揚の炒めものなどが添加されて、多様な形態ののり巻きになりましたが、その内容をよく見れば、単純に私たちの生活の中に入っている野菜中心だけで構成されていました。
そして、1990年代に入って、「即席のり巻き専門店」という形態の外食産業が登場するとともに、まぐろ,牛肉,キムチ,チーズなどの材料がのり巻きに添加されて、のり巻きの特性を左右する特化されたメニューの形態として発展するようになり、現在に至っています。
5.最近ののり巻き
我が国ののり巻きは、それこそどのように構成するかによって数十種類の名前と特性を持つようになります。
単純に鍾路のり巻きが取り扱っている野菜のり巻き,キムチのり巻き,牛肉のり巻き,まぐろのり巻き,チーズのり巻き,チキンのり巻き,ピクルスのり巻きの他にも、唐辛子のり巻き,きのこのり巻き,サラダのり巻き,しらすのり巻き,油揚のり巻きなどのように中の材料によって区分されるだけだけなく、包む方法によってもヌードのり巻きや,爆弾のり巻きや不細工のり巻きなどと呼ばれ、地方の特産品になっている忠武のり巻きなどもあり、最近では装いを新たにカリフォルニアのり巻き,金粉のり巻き,皇帝のり巻き,1000ウォンのり巻き(昔のり巻き)などと呼ばれながら、多様な形態で顧客を誘惑しています。
i)ブランドのり巻きの出現と発展

我が国は86アジア競技大会と88オリンピックを準備しながら世界的ブランド会社を持った先進国から開放圧力を受けざるを得なかったし、また世界化の歴史的流れに従わざるを得ない対内外的環境によって、これまでの消極的な開放から積極的経済開放の基調を繰り広げるようになりました。
その流れは1980年代中盤から荒々しく押し寄せ、1990年序盤には世界のあらゆる有数ブランドのフランチャイズらが全部我が国に上陸し、外食産業,消費財産業,サービス産業を徐々に掌握し、いづれも先進フランチャイズ・システムを持って消費者を誘惑するのに成功し、さらには不毛の地でしかなかった我が国のフランチャイズ産業を一躍国際水準に跳躍させる好作用を見せたりもしました。
多くの人々が新しい産業化,フランチャイズ化の波に乗りながら、「のり巻き」という商品に新たなアイディアとシステムを接続して、「のり巻き専門店」という形態の業種を粉食・食堂業から分離・独立させるに至りました。
以前、我が国の「のり巻き」はお母さんが作ってくれたり、個人的に試みられたのり巻き販売店および粉食店で取り扱われていました。
そうして、時代的要求が細分化されて新世代の嗜好がより多様性を求めるようになり、また先進外食文化を経験した若者達がもっと清潔で衛生的で新鮮で親切な食堂,多様な種類の食堂を要求する一方、業界はその流れに歩調を合わせて先進化された「即席のり巻き専門店(訳注:ここでの「即席」はインスタントではなくファーストフードの意)」の形態を備えるようになりました。
その代表的な例が「鍾路のり巻き」と「双子のり巻き」などいくつかののり巻き専門店が「即席のり巻き専門店」の形態を取り、前面ガラスを一切開放し、のり巻きトッピング機を窓辺に引っ張り出して、清潔な環境で新鮮な材料でのり巻きを製造する過程を顧客に公開するに至りました。 当時、顧客の反応は爆発的でした。
「のり巻き」という伝統食品は常に隠れた厨房の中や地下のスーパーマーケットの片隅で製造するものと認識されていましたから、明るい真昼の大通りの窓辺で直接顧客に完全に露出されたのり巻きの衛生的な製造過程は、好奇心を離れてほとんど衝撃に近い反応を顧客に与えました。

これに歩調を合わせて、1994年初めに鍾路2街の大通り傍から始まった「鍾路のり巻き」が顧客のニーズをあらかじめ読んで彼らの幅広い欲求を充足させるために本格的なフランチャイズ・システムを導入し、我が国最初の「即席のり巻き専門店」フランチャイズ・ブランドである「鍾路のり巻き」をスタートさせました。

フランチャイズ事業は断然成功的でした。
「即席のり巻き専門店」という新しい業種は老若男女区別なく新鮮な衝撃で迫ったし、一気に口コミだけでも初年度の1994年に約40余りの加盟店を募集したし、その成功を摸倣した他のフランチャイズたちが雨後の筍のように生じて、一つの新しい流行を創造するのに至りました。
1996年3月には「金家のり巻き」がチェーン化を始めたし、1997年4月に「狎鴎亭のり巻き」がのり巻き専門店の流行を追って人気コメディアンをキャラクターにしてチェーン事業を始めたし、以前から地域特産品としてだけ消費者にアピールされていた「忠武のり巻き」がチェーン事業への事業が試みられました。

その他、有名になったのり巻き専門店の名前を似せて使用して、「明洞のり巻き」,「忠武路のり巻き」,「朴家」,「咸家」などが氾濫したりし、また約30余りの「即席のり巻き専門店」チェーン本社が乱立して、「即席のり巻き専門店」の春秋戦国時代をもたらしました。
多くの会社が乱立して競争が進んだ業界は、1998年度にIMFを経験しながら、優良会社を除いた残りの会社たちが市場競争に押されて自ら整理され始めました。
IMFを経験しながらシステムを再確立して新経営戦略を標榜したいくつかの「即席のり巻き専門店」は、以後順調な道を歩くようになりました。
生き残った有名ブランドは3〜5社の業者にしかなりませんでしたが、それぞれの会社は既に体得した生存力と対外競争力を土台に、自らの特性を生かしてのり巻き食べ物のブランド化と世界化を導きました。
一例として、我々「鍾路のり巻き」は、米国に進出して既に3つの店舗をオープンし、中国とも加盟店契約を締結していて、のり巻きを通じた韓国食の世界化を成すのに貢献しました。

本社中心の加盟店募集でひととき加盟店数1位だった業者は、累積した問題によって事実上加盟店募集活動を打ち切るようになり、残りの企業は「鍾路のり巻き」を含んで二強の競争体制といくつかの零細業者で安定するかと思いきや、最近になってまた再び市場論理によって低価格のり巻き専門店たちが荒々しく挑戦してきているのが実情です。
また、特化されたのり巻きを通じて新しいスキ間市場を攻略する企業が生じるかと思えば、我が国の地域特産品である「忠武のり巻き」をあたかも一企業の固有な商品であるかのように広告活動やチェーン店募集を活発にする人々も生じているのが実情です。

のり巻きを初めとする軽食業種は、確かにチェーン化しやすい魅力的な我が国固有の食べ物の文化であることだけは確かです。
しかし、充分な事業準備や伝統食品であるのり巻きに対する国民の情緒的理解なしに無条件に事業化する前に、我が国で古くから息づいてきたのり巻きに対する幅広い理解と私たちの顧客の率直なニーズを知らなければならないでしょう。
ii)忠武のり巻きの由来
忠武のり巻きは1960年代(あるいは1930年代)、統営の荒地<雷地>を根拠地に露店をしていたお婆さんたちが、スルメを薬味に漬けてのり巻きにして船首で売ったことに由来します。
とりわけ日差しが熱い統営では、のり巻きが痛みやすいのでご飯とおかずを分離して売り始め、特にスルメの和え物は愛酒家たちに人気があって、おかずだけを買っていく人も多かったといいます。
その上、平たく切って統営のひしこ漬けとして漬けたダイコンキムチは、食欲をそそるのに充分だったといいます。
その当時、弥勒島,蛇良島などの島から統営へ多くの人々が行き来した船首には、籠に食べ物を盛って売るお婆さんやおばさんたちが多くいました。
ところがある日、ひとりの無愛想お婆さん(イ・ドゥイク氏)が忠武のり巻きを籠に盛って<国風80>に参加したことで、世に広く知られ始めたのです。
その無愛想お婆さんののり巻きは港南洞(旧旅客船ターミナル)前に位置しているのですが、油をあまり使用しないで味が淡泊であり、汁は干し菜汁を使用しないでカタクチイワシから取った出し汁にネギを浮かべてうまみを出したといいます。
ところで、元祖の店は忠武でいまだにのり巻き店を運営しているのですが、それとは関係ない多くの他の人々が「忠武のり巻き」の伝統と味は後にして、「忠武のり巻き」という名称だけを使用してチェーン会社を作っていっているのが実情です。
iii)新世代のり巻きの出現 - フランスのり巻き,カリフォルニアのり巻き
新世代たちの異国趣向を掘り下げたフランスのり巻きとカリフォルニアのり巻きも異彩を放っています。
フランスのり巻きはフランス人たちが海苔の青臭さのために海苔を野菜の中に入れて食べることに着眼し、のり巻きを逆に巻いてご飯が表面から出て海苔が中へ入るように作ったものです。
近頃流行しているヌードのり巻きの元祖です。
カリフォルニアのり巻きは米国カリフォルニアに住む日本人たちがこの地域でたくさん獲れるアボカドの実とトビウオの卵,サケの卵などを主材料に寿司 (California rolls) を作って食べていたことからアイディアを借りてきた多国籍のり巻きです
6.我が国ののり巻きの優秀性

普通、のり巻きは多様な材料を構成して多くのメニューアイテムを持っていますが、大部分の場合その基本的な構成には大差なく、特別なひとつの材料によってその名前を異にします。
その基本的な構成のうち、ご飯,海苔,ニンジン,タマゴ,ホウレンソウ,ごま油などがおそらく一番伝統的な基本構成と言えるでしょう。
もちろん、暮らしが豊かでなかった時代に一番手に入れやすかった材料でもあったでしょうが、それなりに栄養学的なアプローチがあったと考えられます。
例えば、タマゴはカルシウムと蛋白質が豊富で、ご飯は炭水化物、ごま油は脂肪、ホウレンソウ,たくあん,海苔はビタミンと無機質が豊富で、3大栄養素である炭水化物,蛋白質,脂肪だけでなく、カルシウムまでバランス良く入っていて、また低カロリー(約450Kcal)の我が国の代表的なダイエット食品と言えます。
それだけでなく、我が国の昔の人々は色ごとにそれぞれの気運があって、私たちの体を丈夫にしてくれると信じていました。(陰陽五行)。
そのような意味で解釈すれば、黒 - 水(海苔),赤 - 火(ニンジン),黄 - 土(タマゴ),白 - 金(ご飯),黄緑 - 木(ホウレンソウ)などの構成だけを置いてみても、我が国ののり巻きが単純に簡単に食べられる野外用弁当である前に、我が国のお母さんたちの子供への愛情をうかがい知ることができる最も代表的な食べ物文化なのです。
のり巻きはこれまで我が国の人々に愛されてきた代表的な食べ物文化のひとつです。 そして、のり巻きは簡単には飽きない味で、いつでも簡単な方法でまんべんなく栄養を取れる代表的な食べ物です。
それは単純に一つの食べ物である以前に、お母さんの子供への愛情を象徴する食べ物であり、お母さんの思い出と匂いを記憶させる郷愁であり、お母さんを懐かしむ思い出なのです。 それで、私たちはのり巻きを見ると自然にお母さんの姿、お母さんの手作りの味が思い浮かぶのです。
よって、最高ののり巻きとはお母さんの郷愁と味を感じられるものでなければならないでしょう。
鍾路のり巻きはお母さんの手作りの味を感じられるのり巻きを作るために最善の努力を尽くしています。
7.参考資料(蛇足)

健康と肥満予防,ダイエットに大いなる関心を見せる近頃ののり巻きは一つの立派なダイエット食品です。
のり巻き1人分の標準カロリーはわずか450Kcalにしかならず、我が鍾路のり巻きの全体的なメニューを見ても、1人分で600Kcalを越えるアイテムがありません。
のり巻きのこのような長所は立派な健康食としての資格を十分に備えていると言えます。

※ 参考資料:粉食の各メニューのカロリー(1人分基準)
食品名
カロリー(kal)
食品名
カロリー(kal)
食品名
カロリー(kal)
雑煮
568
豆ククス
500
餃子スープ
477
カルグクス
460
ククス
409
キムチ餃子スープ
320
さしみ冷麺
530
ククスジャングク
431
餅餃子スープ
430
水冷麺
450
鶏カルグクス
235
肉餃子
340
ピビムカルグクス
519
蕎麦
292
焼餃子
474
のり巻き
450
野菜ラーメン
495
キムチ餃子
435
ピビム冷麺
500
ヨルムククス
423
水餃子
382
すいとん
410
ウドン
404
蒸餃子
462
ラーメン
500
油揚げ入りククス
528
スープ餃子
422
鍋ウドン
392
チョルミョン
458
天ぷら餃子
445
トッポキ
482
葛冷麺
474
※ 比較資料
    ビッグマック(マクドナルド) 520Kcal  ---┐
    フライドポテト(マクドナルド) 447Kcal   ├--マクドナルド ビッグマックセット 1120Kcal
    コーラ 160Kcal                               ------┘
    スーパーシュープリームピザ(ピザハット,チーズクラスト) 1切れ: 556Kcal,コーラ  160Kcal
    ------->  ピザ2切れ,コーラ1杯  : 1270Kcal

※ 我が国の国民の一日の推奨カロリー
    青少年: 女性 - 2100Kcal,男性 - 2400Kcal
    成人: 女性 - 2000Kcal,男性 - 2700Kcal
8.一般的なのり巻きの栄養分析

食品成分分析番号
食品名
必要量(g)
3大栄養素(g)
カロリー(kal)
カルシウム(mg)
1人
100人
炭水化物
タンパク質
脂肪
1040
コメ
100.00
10,000
79.60
6.80
1.00
340
5.00
6130
ホウレンソウ
25.00
2,500
1.35
0.75
0.13
8
10.25
10001
たまご
15.0
1,500
0.14
1.88
1.61
24
5.85
6055
ニンジン
15.00
1,500
1.14
0.17
0.03
6
6.30
6085
たくあん
40.00
4,000
1.14
0.52
0.08
7
14.80
9080
ハム
15.00
1,500
0.76
2.96
1.49
28
1.05
11407
かまぼこ
10.00
1,000
1.37
1.51
0.50
17
12.40
14020
ごま油
2.00
2,000
0.00
0.00
2.00
18
0.00
5035
ごま
0.30
30
0.05
0.06
0.16
2
3.60

良い「海苔」の判別法
* 傷が少なくなければならない。
* 黒くて光沢が良くなければならない。
* 薄緑色を出す青海苔が少なくなければならない。
* 薄いながらも丈夫でなければならない。
* 海苔の表面に隙間がないべきで、焼く時に青緑色を帯びなければならない。 一般的に冬季に採取する「海苔」が上品に属し、冬の商品の中でも上記条件を備えた商品を特品とする。

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