2010年7月9日
一昔前、兵庫県加古川市で絵本や児童書を専門に扱う書店を取材したことがある。なぜ子どもの本を扱うのか尋ねると、店主は人の成長期に本が果たす役割がいかに大きいか力説してくれた。百聞は一見にしかずと言われ、市内の小学校に連れて行かれた。その日は学校の図書室で購入する本を子どもたちが選ぶ日だった。店主が校長らを説得して教師たちで決めていた本の選定を子どもたちに任せるようにしたという。
店主が直感で集めた60冊ほどの本を体育館に並べると、子どもたちは思い思いに本を携えて館内にちらばる。床にうつぶせに寝転んで読む子、片隅のピアノの下に潜り込んで読む子、みんな自分が一番リラックスできる姿で本を開く。行儀は悪くとも誰もが目を輝かせ物語の世界に没入している。
そして投票をすると、意外な本が上位になった。店主は「子どもたちの嗅覚」と表現したが、選ばれた本の多くは人気図書になるという。当時はまだネットが子どもの世界にまで及んではいなかったが、長時間のテレビゲーム漬けが問題になっていた。読書離れを嘆くことも忘れてしまった時代に、子どもたちが夢中になって本を読む光景は感動的でさえあった。
こんなエピソードを紹介したのは、ここ数年の新聞業界の迷走ぶりに心を痛めつつも、私自身、業界が進むべき道を見いだせないでいるからである。未曾有の広告不振がネット業界にクライアントを奪われた構造的なものであり、販売もいずれ下降線をたどるだろうとの危機意識は新聞業界に身を置く者なら誰しも共有している。だからといって、昨今目につく、紙がだめならネットで、という横並びの方向転換がなし崩し的に進んでいいものか。また、新聞社同士の委託印刷や共同配送などの域を超えて、夕刊廃止や他社の記事を買うなどという新聞の本質にかかわる合理化が我先に推し進められていることに違和感を覚えてならない。
テレビやゲーム漬けになっている子どもたちに本の魅力を発見させた書店主は、小手先の策を弄ろうさず、本そのものの力に任せ、子どもが本と出合う環境づくりに専念していた。子どもたちが購入図書を決められるよう校長らを説き伏せたのも、体育館で寝転んで読めるようにしたのも、直感とはいえ60冊の本をそろえる下準備も一苦労だったろう。教師が本を選んでも店の収入に変わりはないはずなのに、本好きの子どもを一人でも増やそうとの信念が店主を突き動かしていた。
店主は私にテレビゲームの流行についても子どもに読書を薦めない親についても愚痴一つこぼさなかった。ひたすら子どもと本との出合いの場をつくることに努め、出合いがあれば本自体に子どもをとりこにする力があると確信していた。
私たち新聞人はどうだろう。広告の落ち込みや無読者の増大、ネットの席巻を嘆くばかりで、どれだけ新聞の魅力を広める努力をしてきただろうか。関西などの激戦区では他社から読者を奪い合うために高額の景品をばらまき新聞の値打ちを落としてきた。振り返って見れば、自滅の道を転げ落ちてきたともいえる。今は表向き「販売正常化」の旗が掲げられているが、折り込み広告不振で販売店が押し紙を引き受けられない事情があり、火種が消えたとは言い難い。
◆新聞の持つ力を
◆私たち自身が信じたい
編集の方も、朝夕刊の締め切りをゴールに紙面を作ってきた長年のパターンは崩れ、ネット配信のために、24時間、情報をつかんだら即流すように求められている。速報と新聞記事は別とはいえ、記者は時間をかけた取材をすることや文章表現に凝ることより速く短いことが優先される。ただでさえ文字拡大で記事の字数は減っているのに、ネット時代が新聞の無味乾燥化にさらに拍車を掛けている。
文字の拡大化で1行の字数が減っていることに、作家の高村薫さんは1行の最低必要量を下回っており記事の質を低下させるとの批判をしていた。文字が見にくいとの読者の声に耳を傾ける必要はあるにせよ、文章のプロからの警鐘を新聞業界が真摯に受け止めているとは思えない。目立つのは他紙に遅れてはならないとのいつもの付和雷同的な行動だ。
今回も事情は同じで、新聞の原点を問い直すことなくネット参入によって社の生き残りを図ろうとしている。だが見失ってならないのは、紙であれネットであれ、私たちにとっての最大の武器は情報や知識や感動の質であって「速く短い」ではない。ネットの爆発的普及で浮足立っているが、加古川の書店主が本の力を信じたように、私たちは新聞の力を信じられないものだろうか。
新聞を支えている中心的購読層は50代以上であろう。ネットを利用はしていても長年なじんできた紙の新聞に愛着を覚えている。それだけに目は肥えておりコンテンツの劣化に敏感だ。この人たちをあと10年、できれば20年逃さないために、私たちは新聞の質の維持向上に奮闘努力すべきではないか。若い記者はチャンスがあれば本になるぐらいの長文に挑んでほしい。取材力とともに文章力が鍛えられる。私は20代後半、山岳ドキュメントを書く機会があった。カラコルム山脈の未踏峰を新聞記事的に書いても臨場感を表現できない。登山隊員が雪崩に巻き込まれるシーンを映像的に描くのにもがき苦しんだ。その経験が記者として微妙なニュアンスや感動を伝えようとするとき短い記事の中で生きた。
情報伝達のスピードアップを要求するユーザーはもちろんいる。それはネット担当者に任せればいいではないか。新聞ジャーナリストは、王道を歩んだあの書店主のように、こちらの土俵でしっかりと四つ相撲を取る。それが新聞とこの業界を一日でも延命させる唯一の道と思う。(「ジャーナリズム」10年7月号掲載)
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服部孝司(はっとり・こうじ)
神戸新聞社取締役地域事業本部長。1951年北九州市生まれ。大阪芸術大学卒。75年神戸新聞社入社。文化生活部長、編集局次長、地域活動局長などを経て現職。
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