講演記録日本籍朝鮮人をめぐる諸問題

 
〜何故、日本籍朝鮮人は在日社会から排除されるのか〜

         
      朴 一(パク・イル)(大阪市立大学助教授)


(この講演は、1995年11月11日に、「在日韓国・朝鮮人の未来と人権 」研究集会(於東京・池袋)の第2分科会「日本籍」在日朝鮮人の現状と課題の 分科会で講演されたものです。小見出しは編集委員会でつけました。)

プロローグ


 紹介をいただきました朴一です。さきほど盧佳世さんが「盧泰愚」の「盧」 です、と言われましたが、私の場合は「朴正煕」の「朴」です(笑)。盧泰愚も 評判悪いけど、朴正煕はもっとひどいので、あまり「朴正煕の朴」とは言いたく ないんですけど、最近、韓国でも朴正煕の評判は上がってきまして、「実はいい 人だった」(笑)と言われているようです。
 
 司会をやっておられる鄭良二さんに言われて、今日はここに「強制連行」さ れて来ました(笑)。この問題を理論的につめて考えたらどうかというので、新 しい分野を切り拓くという意味で、一度真剣にこの国籍取得という問題を考えて みようということでこの講演を引き受けさせて頂いたわけです。
 この問題を考えるきっかけが二つありました。一つは、私は現在大阪市立大 学という大学で、学生相手に「エスニック・スタディ」という科目を担当してい ます。「エスニック・スタディ」も広範囲な分野を網羅しているわけですが、私 は在日韓国人の3世という立場を使って、年間24回の授業のうち23回は在日 韓国・朝鮮人問題をやっています。在日韓国・朝鮮人問題だけで23本のネタを 作るというのもたいへんで、どんどん新しいネタを開発していかなければいけな いんですが、そのネタの中心は、日本人から在日朝鮮人への差別の問題なんです ね。これが今まで在日韓国・朝鮮人問題の通奏低音だったわけです。したがって 、しゃべればしゃべるほど、その内容は暗く、悲惨なものになり、聞いている大 多数の日本人の心は病んでいきます(笑)。やがて、こんな授業は聞きたくない ということで、受講生はどんどん減少していくという不幸な結末になっています (笑)。これではだめだ、もっと明るく楽しく差別の問題を語れるようにならな ければいけない……(笑)。でも、もともと差別の問題を明るく話せるはずはな いんですねぇ。タマヨさんという非常にユニークなタレントさんがいらっしゃい ます。ああいう形でしゃべれたらいいんですが、自分自身の問題ともからんでい ますから、あまりいい加減な気持ちではしゃべれない。
 
 しかも、この日本社会の中で在日韓国・朝鮮人の問題をしゃべるというのは 非常にナイーブな問題なんですね。ちょっとした言葉尻を取られて、「あいつは こんなこと言った」とか「あなたはあの集会であんなこと言っただろう」とか、 ちゃんとメモしてる人がいるんですねぇ、恐ろしいことです(笑)。したがって 、今日は私の話を一切メモを取らずに聞いていただきたいんですけど(笑)。こ ういう集会では「そんなこと言った覚えはありません」で済ませられるのですが 、いったん文章化されると永遠に記録されてしまう訳です。だから余計慎重にな らざるをえません。

権利としての日本国籍取得


 2年前、私は鄭良二さんといっしょに、大阪で「在日フォーラム」というの をやりまして、そこではじめて国籍の問題、結婚の問題、教育の問題を話し合い ました。そこでたまたま朝日新聞の夕刊文化欄に「権利としての日本国籍取得」 という文章を書いたんです。私はその文章を慎重に書いたつもりですけど、「エ スニック・アイデンティティを維持した日本籍朝鮮人の生き方も模索されるべき ではないか」というようなことを書き、最後に「日本籍朝鮮人の中から邱永漢さ んや王貞治さんのように活躍する人がどんどん出てきてほしい」と書いたんです ね。その記事に対する反響は大きくたくさんのリプライを頂きました。面

白かったのは一つ間違いの訂正というのがあって、これは王貞治の関係者から で「王貞治は日本国籍を取得しておりません」ということでした。私、たいへん な間違いをしておりまして、なぜ日本国籍を持っていない人に「国民栄誉賞」が 与えられるのかよくわからないんですが、私は「国民栄誉賞」をもらったんだか ら日本国籍を取得したと思ってたんですが、勘違いで、ある意味では、在日韓国 ・朝鮮人も「国民」栄誉賞をもらえることがわかったわけですから、それを励み にがんばりたいと思っているんです(笑)。

日本国籍取得への抵抗感


 そんな話はどうでもいいんですけど、問題はその一通を除く、90%が「お まえは権利としての国籍取得云々言っていたが、とんでもないことだ。在日を代 表したようなふりをして、そんな文章を今後二度と書くな」というような、脅迫 めいた手紙、電話が殺到したわけです。私はそれから恐ろしくなって、この問題 にはこれから触れないでおこうと一瞬思ったんですが(笑)、そう言われれば言 われるほどやりたくなるというのが私の性格です。その後、民団主催の「民族大 学」の講師を依頼され、大阪から東京、名古屋、兵庫と各地方本部を回りました 。ところがある地方本部で民族大学が終わった後、民団の幹部の人に接待を受け て、かなり説教されました。ここでは、「君は確か日本籍朝鮮人や日本籍取得に ついて述べていたが、ここだけの話だけど、そういうことを公の場であまり言わ ない方がいいんじゃないの」というようなお叱りを受けることになりました。こ のように1世たちが考える背景には、日本国籍取得に対する抵抗感があるわけで す。裏を返していけば、日本籍朝鮮人に対する一つの差別意識さえ読みとれるわ けです。

 こんなことを日本人の前で言うことに、何の意味があるのか、という気がす るわけですが、ただ在日の問題を語る時に、日本人が朝鮮人を一方的に差別する という図式だけでは、もはやこれからレイシズムの問題を語ることができなくな ってくると思います。レイシズムの内実が、もっと重層的かつ複層的になってき ているということなんです。

韓国・朝鮮籍者がマイノリティーに


 この2月に、アメリカに鄭良二さんといっしょに行ってきたわけですけど、 そこでベン・コバシガワという教授を訪ねました。彼は沖縄出身の日系人です。 彼は、沖縄人として受けた民族差別と日系人としての受けた民族差別といういわ ば二重民族差別について語っていました。日本籍朝鮮人の場合も、やはり日本人 からの差別と韓国・朝鮮籍者からの抵抗という二つの抑圧の中で生きているマー ジナルな存在になっているのではないかと思います。今でこそ日本籍朝鮮人

がマイノリティーの立場にいるからそういう問題が起こっていますが、私の予 想では、近い将来、圧倒的多数はむしろ日本籍朝鮮人になっていくと思います。 むしろ在日コリアンの中でマイノリティーに転落するのは、日本国籍を取得して いない韓国籍者や朝鮮籍者であると思います。したがって、在日朝鮮人をエスニ ックな存在として存続させるうえで最も重要な課題は、日本籍朝鮮人を、朝鮮民 族としてのアイデンティティを持ったまま、どうして日本に残存させていくかと いうことであり、この問題が今一番在日社会に問われているのではないかと思い ます。

「在日韓国・朝鮮人」という言い方への疑問


 色々言いたいことはあるのですが、まずこの集会では「在日韓国・朝鮮人の 未来と人権研究集会」というタイトルが掲げられていますが、この「在日韓国・ 朝鮮人」という言い方にいろいろ疑問の声が上がっているのはご承知のことと思 います。この言葉には、韓国という国籍を表わす言葉と朝鮮という民族を表わす 言葉が併記して使われており、非常にけったいで、学問上不整合な表現だと思い ます。ただ「朝鮮」というのを百歩譲って「朝鮮籍を持っている人」というふう に考えた場合でも、この中に日本籍朝鮮人は含まれていないわけです。 したが って、「在日韓国・朝鮮人の未来と人権研究集会」の中には、本来的には日本籍 朝鮮人は包含されない表現であり、一刻も早く「在日朝鮮人の未来と人権を考え る集会」あるいは「在日コリアンの未来と人権を考える集会」という表記に変え ていただきたいと個人的には思っています。

1、在日韓国・朝鮮人が韓国・朝鮮籍に固執するのは何故か


 時間もありませんのでさっそく本論に移りたいと思いますが、ではなぜ在日 朝鮮人が、韓国・朝鮮籍にこだわるのかという問題です。大雑把で当たり前のこ とを言えば、在日朝鮮人にも色々いる。その中になぜわざわざ日本籍をつけて日 本籍朝鮮人というのか。こうした言い方を一般化していけば、朝鮮籍朝鮮人、韓 国籍朝鮮人、米国籍朝鮮人、中国籍朝鮮人……。世界に朝鮮人は散らばっていま すから、これを言っているだけで今日の報告は終わってしまうわけです……(笑 )。

 日本の中の朝鮮人を国籍別に調べていくと、一番多いのが韓国籍朝鮮人、そ の次が朝鮮籍朝鮮人、次に多いのが日本籍朝鮮人です。この数というのは(後か ら報告しますが)帰化して日本籍を取得した人だけでなくて、両親が帰化をして その後生まれた子ども、あるいは両親のうち一方がコリアンで一方が日本人のカ ップルから生まれた人、これを朝鮮系日本人と私は呼んでおりますが、そういう 人たちを含めますとこれは膨大な数になります。4番手として、最近、中国籍朝 鮮人が日本で非常に増えてきました。法務省の統計の中では、中国籍のニューカ マーに分類されるんですが、多くはクラブ、スナックなど、酒場でホステ

スとして働いている人が多いのですが、韓国から連れてくるより中国の朝鮮族 を連れてくると、人件費が五分の一程ですむ。しかも、彼女たちは朝鮮語と中国 語がしゃべれる。だから「韓国から来た」と言わされて働かされている人を私は たくさん見ました。調査のためにたまたまコリアンクラブへ行ったのですが(笑 )、そういう人々がたくさんいるのを知ってびっくりしたわけです。
 一般的に法務省の統計には、在日韓国・朝鮮人という場合、この日本籍朝鮮 人とか、中国籍朝鮮人は省かれてしまっている。ほんとうの在日朝鮮人は、韓国 籍とか朝鮮籍を持っている人であって、日本籍を取った人は、あれはほんとうの 在日ではないんだよ、というような意識がこうした統計分類にも反映されている わけです。

日本国籍を取得しても問題は解決しない


 また民族運動を担ってきた在日朝鮮人1世の中にも国籍を絶対視する人は少 なくありません。なぜ彼らは国籍にしがみつかなければいけないのでしょうか。 その理由には、5つか6つの類型が考えられます。
 一番多い理由の一つは、民族運動やっている人に一番多いタイプですが、「 日本国籍を取得しても結局民族問題は解決しない。」という考え方です。これは ある意味でその通りです。実際問題、在日韓国・朝鮮人の運動には二つの潮流が あります。一つは、大きく言えば国籍条項撤廃運動、つまり、戦後補償、老齢年 金、教員採用、そして公務員の問題にしてもすべて「国籍」がネックになってい る。我々は、日本国籍をとれば政令指定都市の一般職を受けれるし、正教諭で採 用されるし、公務員の上級管理職につくことも可能だし、選挙権ももらえる。し かしそれでも民族差別はなくならない。だから帰化しても問題は解決しない。韓 国・朝鮮籍のまま闘いなさい、ということなんです。

 じゃ、実際どんな民族差別が残るのか、これは目に見えにくい差別です。た とえば、私は大分前に、『ホルモン文化』(1号 1990年)という雑誌で、代議 士の新井将敬さんのことを調べました。彼は最初の選挙で東京2区から出馬して 、落選しています。その時の事を調べますと、同じ選挙区から出馬した、石原○ ○代議士〜名前は申し上げませんけど(笑)〜石原○○代議士陣営から、非常に 民族差別的ないやがらせを受けたようです。新井将敬さんのポスターの上に赤い スプレーで「朝鮮人帰れ」あるいは「朝鮮人は立候補する資格はない」というよ うなことを書かれたといいます。彼はそれまで出自を隠して選挙運動をしていた んですが、もはやいやがらせが目に見えていますから、2回目の選挙から、出自 を明らかにして、すなわち自分は朝鮮人のルーツを持っているということを明ら かにして戦ったという経緯があります。

結婚にみる民族差別


 それからよく言われるのは結婚差別ですね。実は最近、私の研究室は「よろ ず相談所」になりつつあり、多くの相談が寄せられていますが、最近増えてきた のが「私の娘にいいだんなさんはいないか」といったお見合い相談です。何で私 がそんなことをしなければいけないのかわかりませんが(笑)、お見合い相談も 一回十数万円のお金を取る人もいますが、私は無料ですから、それに釣られ私の 所に来られる人も多いのでしょうが、その中に日本国籍を取られた人が非常に多 い。それが非常に面白いんですが、「相手の方は、韓国籍、朝鮮籍でもいい」と いう言い方をされるんですね。具体的な例を上げると、「うちの息子は大阪大学 を出て大阪ガスに勤めている一流エリートサラリーマンだが、そろそろ結婚させ なければいけないけれども、日本人と何回見合いしてもうまくいかない。
 出自がネックになっている。したがって、韓国籍、朝鮮籍の人でも仕方がな いと思うようになった。いい子を紹介してくれないか。ただし条件がある。結婚 したらその子は、日本籍を取ってもらわないと困るし、今後一切民族のことを忘 れてもらわなければ困る」というようなことを平気で言われるんです。なぐりた くなってくるんですが(笑)、じっと我慢して最後に一言、「そういう人は、私 の回りには少ないですね」と申し上げるんですけど、とんでもないですね。日本 国籍を取って、日本の一流大学を出て、そして一流会社に就職した。しかし、配 偶者捜しになったら、結局日本人は相手にしてくれない。仕方ないから元の民族 集団に頼る。しかし元の民族集団からもダメだということになる。

 大阪には成和会という帰化者の相互扶助組織があります。そこで適齢期を迎 えた息子さん、娘さんのお見合いの場が設けられている。日本国籍を取得した者 同士の結婚社交場になりつつあります。なぜそういったことが現象化するのかと いえば、その人たちが日本人からも朝鮮人(韓国・朝鮮籍)からも疎外されてい るからに他なりません。
 そういう意味で日本国籍を取得しても、結局あなたたちは差別され続ける、 どうせ差別されるんなら、韓国籍朝鮮籍のままで差別される方がいいんじゃない ですか、というようなことを言われる。これは、一つの大きな幻想として根付い ている意識の一つなんです。

「在日論」の背景


 最近在日論がブームになっています。1990年代に入ってから、新しい2 世、3世を中心として、我々はもう日本人から差別されるといった、抑圧される 受身の存在で終わりたくないんだという気持ちが強くなってきています。私も実 際授業で日本人から差別された体験を語ったり、差別されている事例を紹介する 。たとえば入居差別の問題、結婚差別の問題、就職差別の問題、差別差別差別差 別差別……、差別の100 乗位(笑)。そうすると在日朝鮮人というのは、日本人 から差別されるだけの存在なのか、そういう受け身の存在として在日朝鮮人は描 かれすぎたところがあります。これからはもうそういうのはやめよう。もっと我 々が能動的に、人間として、日本社会で新しいものを創造する、文化創造の担い 手にならなければいけない。そういった思いが在日論の背景にあります。

「第三の道」論


 在日の生き方を考えていく時に、最も強い影響力を与えた思想が「第三の道 」論です。「第三の道」論が生まれた背景には、1977年に世に出た坂中英徳 さんの「今後の出入国管理行政のあり方」(『外国人登録』第221号)という 有名な論文が在日社会に与えた強い影響があります。お読みになった方も多いと 思いますが、この論文を今から読み返してみると、非常に未来を正確に予想して いたという気がします。 当時、彼は在日韓国・朝鮮人の生き方を三つに類型化 しました。一つのタイプは祖国に帰る人。もう一つのタイプは日本籍をとる人。 最後のタイプは韓国・朝鮮籍のまま日本にとどまる人。彼は在日朝鮮人の生き方 をこの三つに分けたわけです。この程度の分類は今からみれば当たり前のことで すが、最初に言った人が偉いんです。この論文の中に、「このままいったら韓国 ・朝鮮籍のまま日本にとどまる人が増えるから日本社会にとってまずい。もっと 日本に帰化してもらわなくてはいけない。韓国・朝鮮籍の方が帰化しやすいよう に日本の入管行政を変えていきましょう」という提言があったわけです。

 これに反発して、1979年に飯沼二郎先生を中心に「第三の道」論という 考え方が出てきたわけです(「在日朝鮮人の『第3の道』」(『朝鮮人』17号 ))。飯沼先生は、坂中さんの三つの類型のうち、これから帰国しようとする人 に対して、「北(朝鮮)も南(韓国)も独裁政権なので、帰っても仕方ない」と 述べ、それにかわるのものとして「帰化せずに、朝鮮民族としての自覚と誇りを もって、日本にこれから長く住んでいくという、一代だけでなく、子子孫孫住ん でいこうという第3の道」を提起するわけです。

 当時私は大学4年生でしたが、これを読んで震えました。「これだ」と私た ちは思い、この思想に一時取りつかれた思いがあるんですね。あの時は何も思わ なかったけど、帰化せずに、裏返せば日本国籍を取得せずに生きていく事が、我 々の新しい生き方だと直感的に思えたわけです。この考え方は後々の在日論に非 常に影響を与えていくことになります。

 今でこそ「第3の道」論というのは当たり前の考え方になってしまっている ような気がしますが、反面、日本に生きていく時に、韓国・朝鮮籍を維持してい くことの意味が十分に問われないまま、定住が暗黙の前提になってきたように思 われます。「国籍の意味など考える必要はない。当たり前の事なんだ」という言 い方がされてくるわけです。
 ようやく最近になって、そうした問題を掘り下げる作業が、在日論に出てく るようになりました。例えば2年ほど前に、福岡で青商主催の「在日フォーラム 」が開催されましたが、そこでは「韓国・朝鮮籍を維持することの意味を考える 」というパネルディスカッションが行なわれたといいます。これは若い世代の一 つの動向として注目されるでしょう。

民族的アイデンティティとしての国籍


 国籍維持に思想的意味を与えようということで最近出てきたのが、「民族的 アイデンティティとしての国籍」です。私もまがりなりに学者の一人として、民 族とは何か、国籍とは何か、ということを自分なりに勉強してきました。これま でに民族を論じた学者には、レーニン、スターリン、バウアー等、いろんな人が いますが、民族を区分する範疇に、誰一人国籍を含めていません。少なくとも国 籍で民族を判断する人はいません。民族というのは、そもそも国民国家が形成さ れるずっと前から存在していたわけですから、国籍でもって民族のアイデンティ ティを作ろうというのは本末転倒な議論です。ところが一部の在日韓国・朝鮮人 の論客が、国籍というものこそが民族的アイデンティティだと言い出している。

 代表的な人は、姜在彦さんです。姜先生の「在日同胞の将来像」という論文 が『統一日報』95年8月15日に載っており、小見出しとして「受け継ぐべき 国籍保持」と書かれてあります。姜先生は、ここで「在日同胞の日本生まれの世 代の大多数は、すでに言葉、生活文化など民族的特性を失っても、辛うじて『国 籍』を民族的アイデンティティのよりどころにしている」と述べています。つま り、在日の若いもんはウリマルができない、キムチが食べられない、でも、韓国 ・朝鮮籍はもっている。いいかえれば「国籍こそ、在日同胞が日本の単一民族へ の吸収・同化から民族的アイデンティティを守るさいごの砦だ」というわけです 。つまり若い在日の世代は、国籍失ったら朝鮮人であることを証明できるものが 何もないということなんです。このように国籍を民族的アイデンティティと考え ようとする意識まで、在日社会で出てきている。これからの在日社会の生き方を 示す一つの傾向として、注目すべき考え方であると思われます。

国民意識としての民族意識


 もう一つ、「被差別意識の裏返しとしての民族意識」に代わるものを作らな ければいけないという考え方があります。蔵重優姫さんがさきほど言っていまし たが、最近の若い子は差別なんて受けていない、と言うんですね。私も講演会で 年間50校位の学校を回って若い在日の学生とディスカッションするんですが、 「先生の話もう古いわ。誰が石を投げんの。先生だけとちゃう、そんなん」(笑 )。したがっていくら差別体験を彼らに語りかけても、あんまりピンとこない。 つまり、私たちの時は、日本人にやられてやられて「くそくらえ」いう気持ちで 、差別されることが喜びに変わって、喜びが民族意識になる、そういうある意味 でサディスティックな民族意識と言うんですかねぇ、何となくわかると思うんで すが在日の人には、それが、今の若い人にはない。

 じゃ、どうやったら彼、彼女たちに民族意識がめばえるのか。こうして考え られたのが国民意識です。もう差別じゃだめだから、韓国の国民だ、北朝鮮の公 民なんだという国民意識をあおりながら、民族意識を作ろうという考えです。こ れは、まさに国籍の堅持=ナショナリズムの思想そのものです。

 例えば、弁護士の金 敬得さんは、『統一日報』に連載れた「参政権を考え る」という記事の中で次のように語っています。「韓国国籍、朝鮮国籍を維持し て生きていこうとする積極的理念を明確にしなくてはいけない。日本の地にあっ て、在日韓国・朝鮮人が今後とも韓国国籍・朝鮮国籍、あるいは統一後の単一国 籍を有していけることの意味、ビジョンを形成し、そのビジョンのもとで、在日 韓国・朝鮮人社会の団結とビジョンを実現していく筋道の提示無くして、帰化を すれば参政権が認められるという陥穽を越えることは、それがたとえ地方自治体 段階にとどまるとしても困難であろう。……在日韓国・朝鮮人は民族的尊厳を守 るために、帰化をすれば権利を与えるという同化政策に抗して韓国国籍、あるい は朝鮮国籍を維持してきた。」 ここには、国籍を維持することが差別撤廃運動 につながるという意識がみられます。極論すれば、国籍をとったら参政権が与え られてしまう。我々の戦いは、そんなんじゃないんだ。韓国・朝鮮籍を持ったま ま参政権が与えられることに意味があるんだ、という言い方なんです。そこまで は私も賛成です。しかし「参政権は韓国・朝鮮籍を持ったまま与えねばならない から、結局帰化したら、運動は前に進まなくなってしまう」というのはどうか。 金敬得さんは、差別撤廃運動の一環として、国民意識を作っていかなくてはいけ ないという訳です。

 昨日の基調報告の、文京洙さんの報告にも出てきましたが、結局国民の一員 なんだという意識が、戦後の在日韓国・朝鮮人運動を支えてきました。あなた方 は、北朝鮮の国家建設に携わるべき在外公民の一人なんだという意識をもって、 北朝鮮政府は在日同胞を巧みに利用しようとしてきましたし、また、韓国側も在 日同胞の処遇を日韓交渉を有利に進める上での取り引き材料にしてきました。そ の結果、我々は、韓国の国民の一員であるとか、北朝鮮の在外公民の一人である との意識の中で生きてきた。しかしそうした認識が在日コリアンの世論をほんと うに反映しているかを考え直す必要があると思います。

帰化者の増大は在日朝鮮人の消滅を導く


 もう一点は、これが究極的なんですが、「日本への帰化者の増大は在日朝鮮 人の消滅を導く」という考え方です。例えば、元朝日新聞のソウル特派員である 小林慶二さんという方が『アエラ』に書かれた「帰化で揺れる、民族か利便か」 (『アエラ』1995年1月16日号)という記事の中に次のような表現があり ます。「90年まで5000人を前後していた日本への帰化者の数は92年には 7000人台に急増、93年には7697人に達した。……在日の数は65万人 前後だと推定されるから、このトレンドが続けば、21世紀半ばには在日はほぼ 消滅する計算だ。」これは、明らかに日本籍朝鮮人は基本的に在日朝鮮人ではな い、という判断に基づいたものです。韓国・朝鮮籍者が消滅すると表現すべきな のに、彼はあえて「在日は消滅する」と書いている。日本籍朝鮮人は朝鮮人でな いという前提に立った議論がここでは進められているわけです。したがって、こ の文脈では、在日朝鮮人を消滅させないためには、韓国・朝鮮籍を維持しなくて はいけないという議論が出てくることになります。

「透明人間」になっていく在日朝鮮人


 このように国籍取得に対する様々な抵抗意識が見てとれるんですが、この中 で考え直してみなければならない問題も確かにあると思います。国籍は、はたし て民族的アイデンティティ足りうるものなのか。被差別意識の裏返しとしての民 族意識に代わるものを、我々は何が作っていけるのか。国民意識に代わるその他 の民族的な生き方を我々が提示できなければ、なす術もなく、在日朝鮮人は「透 明人間」になってしまうと思います。言葉もしゃべれない、キムチも食べれない 、名前も日本人、顔も日本人と区別がつかん。そうなってくると、我々は民族と しては「透明人間」になってしまう。日本人となんら区別がつかないわけです。

 私は横にすわっておられる鄭良二さんが非常にうらやましい。顔は朝鮮人ま るだし(笑)、朝鮮語もベラベラ、キムチ大好き、それに比べて私は情けない。 国籍だけです(笑)。ホントに彼を例に出して悪いんですが、私より彼の方がず っと朝鮮人です。ところが、在日社会では私の方が、正統派と認められる。この 構造をどこでどう変えていくかが、問われているのです。

2、日本国籍の取得をどのように考えるべきか

 
 そこで日本国籍取得をどう考えるか。この問題はいままでタブー扱いされて きました。このタブーの問題に挑戦してきた人が何人かいます。その一人が梁泰 昊さんです。この方は昔からタブーが好きで、タブーな問題にあえて挑戦してき た嫌いがあります。彼は、81年の第7回民闘連交流集会で、「日本国籍を取得 しても朝鮮人として生きることができる」と発言しています。しかしこの時はほ とんど無視されていたのが実情です。

 しかしよく調べてみると、この問題については日本の学者からはかなり多様 な見解が出ています。1984年、小川晴久という東大教授が「日本国籍の取得 と民族性の保持は両立しないのか」(『教養学科紀要』第17号)という論文を 書いておられます。こうした論議が80年代の半ばに集中しているのは、85年 の国籍法改正の問題がからんでいます。これは、出生と同時に日本国籍が与えら れるというもので、結果的に、国際結婚すると、子どもは自動的に、日本国籍を 取得していくことになる。しかし日本国籍をとっても朝鮮人として生きる道はな いのか、という思いが、こうした議論に拍車をかけたのではないかと思います。

 また90年に関西大学の山本冬彦さんも、「日本国籍の取得というのは、好 むと好まざるにかかわらず、在日にとっての現実の選択肢として無視することが できなくなってきた。これを否定的にだけ考えていたのでは、在日の将来を展望 することはできない。」(『青鶴』第3号)という言い方をしています。
 『毎日新聞』でも、永守良孝記者が「在日韓国朝鮮人に日本国籍取得の道を 開け」(1990年5月4日)と提言していますし、東大教授の大沼保昭さんも 「在日韓国・朝鮮人の処遇・改善に関する提言」(1990年4月23日)の中 で、日本国籍の取得について興味深い提言をされています。

国籍選択権


 私が、ここで注目したいのが、韓国の言論人もそういうことを言い始めてい ることです。例えば孫吉弘さんは韓国の記者で、『毎日新聞』に「在日韓国人に 国籍選択権を」(1993年11月16日)という論文を書いておられます。彼 は、ここで「戦前は植民地人であるがゆえに朝鮮人として民族で差別され、戦後 は外国人という国籍で差別されているのが在日韓国人である。同じように戦争に 参加したのに、恩給はなし、権利でも、外国人だからという理由でのけものにさ れている。納税の義務と法に対する責任は日本国民と変わらないのに、そこには 過去の歴史への反省もなければ、戦争のけじめもない。細川首相が言うように、 戦争のけじめをつけるなら、まず在日韓国人に国籍選択権を付与すべきではなか ろうか」と提言しています。

 ここではまず、彼が「国籍を与えるべき」と書かずに、「国籍選択権を与え よ」という表現を使っている点に注意して頂きたいと思います。我々は、サンフ ランシスコ講和条約の時点で、日本国籍を一方的に剥奪されたわけです。よくい われることは、同じ敗戦国のドイツは、オーストリア民族に国籍選択権を与えた のに、日本人は我々に選択権を与えず一方的に日本国籍を剥奪した。しかも剥奪 すると同時に、様々な法律に国籍条項を付け、鄭 商根さんや、陳石一さんらに 軍人年金を与えることを疎外してしまった。在日朝鮮人をはじきだすために、国 籍を剥奪した。少なくとも、ドイツみたいに、国籍選択権を与えて、その後にど っちかを在日自身の主体的判断として、選ばせろという議論です。日本国籍を取 れとの議論ではないことに注意してほしい。韓国の側からもこういった見解も出 てきているのです。

日本国籍を持っていることと取得することとの違い


 日本国籍の取得で出てくる問題とは何か。最大の問題は、方法や権利として の日本国籍取得論を全面に出すと、結局国籍条項の容認につながるのではないか という点です。このジレンマをどうクリアするか、これが問題です。

 クリアする方法を私なりに考えて見ました。まず何よりも日本国籍を持って いることと、国籍を取得することは別の問題と考えることです。日本国籍は欲し くないのに、生まれたときから持っていたという人はいっぱいいる。例えば、蔵 重優姫さん、盧佳世さんの場合も選んだわけじゃなくはじめから持っていたわけ でしょう。そうでしょう? 欲しくないのに持っていた。持っているということ と、取るということは区別しなくてはいけない。しかし日本国籍を持ちながら朝 鮮民族として生まれた人は、その人なりの戦い方があると思います。しかし、持 ってない人が権利として取得する場合は、それなりの戦略を考える必要がある。 日本国籍をすでに持っている人が運動論の一環としてやっていくことはいいが、 韓国・朝鮮籍の人が日本国籍を取得して運動として何ができるのか、こ

れは運動論の問題です。しかし、実際の現象面を考えると、そんなことは考え ずに、生きることの術としてどんどん帰化をする人が増えている。2世3世で、 運動論の一環として日本籍を取得する人はおそらく1000人に一人か一万人に 一人でしょう。ほとんどの人はそんなことは考えていない。いい大学へ入って、 いい企業に入って、いい結婚をして、日本人になっていく。この人たちはそんな ことは考えずに、日本国籍を取っていくわけですから、そういう人たちをどうや って朝鮮民族として残存させていくことができるかという問題が今一番問われて いるわけです。


3、日本籍朝鮮人問題をどのように考え、どのように対処すべきか


 最後になりますが、日本籍朝鮮人問題をどう考え、どう対処すべきかについ て考えてみましょう。
 わかりやすくすくするために、血統、名前、国籍から在日朝鮮人を分類して みました(別表参照)。ここで在日コリアンの類型は、8つに分かれるわけです が、日本籍を持っている人たちのうち問題なのは、タイプF,タイプHです。こ の人たちは日本名を名乗っているので、民族としては姿が見えなくなっています 。

 最近、『在日韓国人の底力』という暴露本が発売されました。そこに在日コ リアンがどれだけ活躍しているか彼らの名前がバァーと載っている本ですが、見 てびっくりしました。何とそこに「高倉健」と書いてあったのです。「えっ、高 倉健が在日?」あの人は日本人の代名詞みたいな人ですよね。高倉健と聞いたら 日本人というイメージがあるんですが、もし高倉健が在日朝鮮人だとしたら、お そらくHタイプでしょう。私は本当かどうか知りませんよ。そういう噂はどこか らとなく流れてきますよね。私も昔、大学へ入ったとき、「アラン・ドロンは在 日朝鮮人よ」と先輩から聞きましたが(爆笑)。そういうのって好きですから、 どこまでホンマかウソかわからないですが、そこら辺はあまり突っ込まないよう にしましょう。

見えなくなる在日朝鮮人


 ともかく3つの要素で分けると、8つの朝鮮人の類型が考えられます。なか でも日本籍朝鮮人は、日本国籍を取得したタイプと、日本国籍を生まれながらに 持っているタイプに分けることができます。ここで問題は、法務省の入国管理局 の外国人統計において、国籍だけが分類基準になっていることです。そのために 在日朝鮮人のうち、韓国・朝鮮籍を持っている人はその増減をカウントができま すが、日本国籍を持っている在日朝鮮人は、帰化手続きをした者しかデータに出 てきません。生まれながらに日本国籍の人は実態さえわからないのが実情です。 これがまず問題です。かろうじて民族名を名乗っている人は、本人が在日朝鮮人 だと申告したらわかります。それをしない人は民族として全く見えない存在とな ってしまう。

 関西大学のある先生の推計によると、朝鮮系日本人まで合わせると、その数 は200万から300万ととんでもない数字が報告されていますが、実際、そう いう可能性もあるでしょう。

 日本国籍を取得する人は、今まで年間5000人位の数字にとどまっていま したが、90年代に入ってから、年間7000人台に増加しています。おそらく 、近いうちに年間の帰化者の数は1万人になるのではないかと思います。昔みた いに1年半くらいねちっこく身辺調査をしてから許可するというやり方も少しず つ弾力化していくでしょう。簡単に帰化ができる時代が来るかもしれません。

 韓国・朝鮮人同士の結婚も難しくなってきています。そもそも韓国・朝鮮人 同士が結婚しなきゃならないというのも不自然なんです。現在では、日本人との 結婚が圧倒的で、7〜8割が国際結婚です。今では、タイプA、タイプBの在日 コリアンが圧倒的に多いですが、これは減少しつつあり、将来は国際結婚で生ま れたG,Hが主流になってくると思います。そのうち、国際結婚で生まれ、出自 を隠したままのHが主流中の主流になるでしょう。ここで何かの手を打たないと 、将来タイプF、Hが在日の圧倒的多数を占めると同時に、在日朝鮮人は実態を つかめない透明人間になってしまうというのが、私の推論なんです。

民族名の大切さ


 じゃ、どうしたら、透明人間にならないか。私は名前が一番重要であると思 います。国籍なんか、はっきりいってどうでもええと言いたいけど、ちょっと位 どうでもええと思う(笑)。名前が一番大事。名前といっても色々ある。今日ち ょうど面白かったのは、蔵重さんの場合は下の優姫が韓国名、盧さんの場合は、 苗字が韓国名、私は両方韓国名で、それだけで在日コリアン流の名前は3種類あ ることになります。
 具体的な方法としては、国際結婚で生まれた子供の名前に民族名を必ず入れ ていくことです。例えば、山本さんと李さんが結婚した場合の子どもは、例えば 山本順子、これはダメ、やめてください(笑)。山本スンジャあるいは李順子、 山本李順子、こういうパターンにすれば民族が見えるでしょう(別表2参照)。

 ところが蔵重さんの場合ちょっと問題なのは「ウヒ」と読めないんですね。 たとえば私の場合、朴と書くと学生がびびるんですよ。朴というと朝鮮人のもろ の名前でしょ。李とか金は中国人もいますが、朴はほとんど韓国・朝鮮人。朴と 書いて在日韓国・朝鮮人問題いうたら、これは日本人が糾弾されるそういう授業 という印象を与えてしまう(笑)。

 大阪の大学に移って最初に開講した時は、登録者は50人しかいなかった。 普通の科目は300人位いるのに、私だけ50人。どんな授業やっとったかいう と、強制連行されて、朝鮮人が日本人にバアーンとやられてしまうビデオ見せて 、それでますます減っていったんです(笑)。こりゃあかん、と思って、次の年 に、名前を英語表記に変えて、PARK・ILにしたんです。授業のシラバスも 全部英語で書きました。次の年、600人ですよ(笑)。私が教室に行ったら、 学生が「アメリカ人の先生いつ来はるんですか。」「俺や俺、おれがアメリカ人 や。」「うっそー、だまされた」と学生は言いよったが、いったん単位握ったら 逃がしませんから(笑)。

 朴と書いてもパクと読んでもらえない。だから、私は名前を書くときは、P ARK・ILか、ひらがなで「ぱくいる」と書いているんです。
 なかでも「ぱくいる」というのが非常に気にいっていまして、これは有名な 精神科医で作家のなだ・いなださんを意識して考えたものです。「なだ・いなだ 」の意味はスペイン語で、「Nada y Nada」、これは英語にすると「 Nothingand Nothing」で、すべては「無」という意味なんで すね。それに対して「ぱくが、いる」。これは「なだ・いなだ」に対する戦いだ と思っています(笑)。 ともあれ名前は正しく読んでもらわなければいけない ので、「優姫(うひ)」はひらかなにするとか、カタカナにするとか、そこは配 慮が必要だと思いますが、どっかひとつに民族名を入れていく試みが必要だと思 います。

民族別人口統計を作らせよう!


 もう一つは、政府に働きかけて、法務省の統計に民族別人口統計を作らせる 。これは中国でも、アメリカでも、ロシアでも、必ずあります。中国に行ったら 、朝鮮族○名、アメリカに行ったらプエルトリコ系○名、先住民○名、コリアン ・アメリカン○名、ジャパニーズ・アメリカン○名とはっきり判ります。日本だ けこれを作っていません。こうした民族別人口統計を作らせなきゃいけません。

 ただ、難しい問題もあります。卑近な例を出すと、李礼仙さんと唐十郎さん の息子が大鶴義丹。唐十郎は日本人、李礼仙は韓国人、息子はダブルの大鶴義丹 。これがブラジル国籍のマルシアと結婚するとどうなるか(笑)。マルシアは日 系ブラジル人ですね。生まれた子どもは民族別構成のどこに入れるのか? わか りませーん(笑)。考えて下さい。しかし、とにかく、民族別人口構成を作らせ なければいけない。

 これからはナショナリティではなく、エスニックアイデンティティを尊重す る社会に変えていかないと、日本籍朝鮮人に対する偏見はどちら側からも続いて いくと思います。まず在日朝鮮人自身が心の壁を突破していかないと、ほんとう の意味での市民運動は展開できないと、私は思います。話が長くなってしまいま したが、これくらいでおしまいにしたいと思います。御静聴有難うございました (拍手)。

別表1
血統、名前、国籍から分類した在日朝鮮人の諸類型

「在日朝鮮人のエスニック・シンボル」       {分類}
 ・血統                    A同族結婚    D国 際結婚
 ・名前                    B民族名     E日 本名
 ・国籍                    C韓国・朝鮮籍  F日 本籍
             ↓
タイプA:ABC型(同族結婚によって生まれ、民族名を名乗り、韓国・朝鮮籍 を有する者)
タイプB:AEC型(同族結婚によって生まれ、日本名を名乗り、韓国・朝鮮籍 を有する者)
タイプC:DBC型(国際結婚によって生まれ、民族名を名乗り、韓国・朝鮮籍 を有する者)
タイプD:DEC型(国際結婚によってうまれ、日本名を名乗り、韓国・朝鮮籍 を有する者)
                             以上、約57 万人
タイプE:ABF型(同族結婚によって生まれ、民族名を名乗り、日本国籍を有 する者)
タイプF:AEF型(同族結婚によってうまれ、日本名を名乗り、日本国籍を有 する者)
                             以上、約17 万人以上
タイプG:DBF型(国際結婚によって生まれ、民族名を名乗り、日本国籍を有 する者)
タイプH:DEF型(国際結婚によって生まれ、日本名を名乗り、日本国籍を有 する者)
                             人数不明


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