第十三章『烈の瞬』
風間望は急ぐ。
人間の速度とは思えない速度でその場所に至ろうと急ぐ。
何が彼をそんなにも駆り立てるのか!
答え。
………知るもんか。
風間望の後をどうにか追跡している田口真由美は、酸欠の頭脳でそう思っていた。
いくらなんでも走るのが速すぎだ。
倉田恵美を本気で自分の胸で慰めようとしているのかどうかは分からないが、そもそも風間望の行動原理など理解できるはずもない。自分は普通の可憐な女子高生(自称)で、風間望は自他共に認める変人なのだ。分かろうはずもない。
だがどうしても、田口真由美は風間望に惹かれてしまうのだ。
好奇心旺盛な年頃、彼女の原動力のほぼ半分は好奇心であることは間違いないが、それ以外の気持ちがないとは誰に言い切れるだろう。
例えば真に彼女を突き動かすのは、恋心なのかもしれないのだ。
………とまあ、無理に恋愛に繋げて考える必要も特にない。
田口真由美がこの前読んだ本に書いてあったのだが、現代の流行には何事も万事を恋愛と繋げて考えなければならないという傾向があるらしい。
恋愛は全て。
恋愛は正義。
恋愛は尊い。
そんな法則があるんだそうな。
まるで何万年もその法則が続いてきたかのように世間はその言葉を言うが、ほんの百年前の日本ではそんな法則はまったく通用しなかったことを彼らは知っているのだろうか。その時代は恋愛というものがなかった時代であることを。
いや、なかったことはないだろうが、現代ほど重視されてもいなかったろう。
恋愛などより優先せねばならないことが多々あった時代は多いのだ。
是か非かはともかく、そういう時代もあった。
恋愛重視の現代も、傍から見ればいつか『そういう時代』になるだろう。
好奇心。上等だ。
女が男に感じる感情が恋愛感情でなくても、別に構わないというものだろう。
と。
走っていた風間望が唐突に足を止めた。
何事かと思い訊ねようと思ったが、何分走りすぎたためか息が整わない。
それでもとにかく訊ねてみようとしてみる。
「かざぜはーっ………、まさぜはーっ………ん、どうしぜはーっ………」
当たり前というべきか、やはり無理だった。
「いや、落ち着いてから話せば?」
風間望にもあっさりと突っ込まれる。
まあそれもそうだ。
田口真由美はまた逃げられないように風間望の袖口を掴んで、その場で休息を取ることに決めた。そんな体勢をとっている自分たちは、傍から見れば何か意味ありげなカップルに見えるかもしれないが、それはそれだ。
しばらく経ったか、落ち着いた田口真由美は風間望に再び訊ねる。
「突然止まって………、どうしたんですか?」
「見てごらんよ」
言って風間望が指した。
田口真由美はその先へと眼をやった。
その場所には一組の男女が楽しそうに戯れていた。
男は荒井昭二。
隣にいるのは、福沢玲子だ。
新聞部である以上、話題のカップル程度は知っている。そのうちの一組が彼らだった。
ただの覗き魔と言われるかもしれないが、所詮報道屋とはそんなものだ。大衆の覗き趣味を満足させるのが仕事なのだ。そのことに何を言い訳しても意味を為さない。
そんなことよりも田口真由美が気になったのは、彼らの現在の関係であった。
確か福沢玲子は荒井昭二に振られたという情報だった。
飽くまで噂だが、それは荒井昭二が同性愛者であったためという説もある。
噂は噂でいい。
だが自分を振った男と楽しく戯れることの出来るものなのだろうか。
福沢玲子の表情はとても楽しそうだった。それはきっと偽りのない笑顔だった。
「福沢さん………。振られたはずじゃ………」
思わず口に出していた。
それには親切にも風間望が答えてくれた。
「そうだね。僕も福沢さんが荒井君に振られたって聞いてるよ」
「じゃあ………、どうして福沢さんはあんなに楽しそうなんでしょう? 私だったら、きっと近くにいることも辛いですよ………」
「何だい? ジャーナリストの端くれのくせにそんな簡単なことも分からないのかい?」
風間望に窘められてしまったが、意外と腹は立たなかった。
そんな雰囲気だったのかもしれない。
「風間さんには分かるんですか?」
「もちろん。僕は聖人だよ?」
「はあ………」
「彼らは………、そう。異性の友人を手に入れたのさ」
「友人?」
「男女の関係は恋愛関係だけじゃない。そりゃあ振られた相手と友人になるのはなかなか難しいことだとは思うよ。だけど不可能じゃない。福沢さんは悩みぬいて、それから荒井君と友人になることを選んだのさ。強いことにね」
そうなのだろうか。男女とはそういうものなのだろうか。
田口真由美にはまだ分からなかった。
何しろ恋愛関係などないに等しい素人女子高生(AVみたいな言い方だが)だ。
経験がまだまだ足りない。風間望との二歳という歳の差は縮めようがない。
「そういうものなんでしょうか………」
「そんなものさ。それが出来ない人も多いけどさ。君ならきっと分かるよ」
「え?」
「仮にも僕の専属の取材者だろう? それくらいすぐに分かるようになるってもんさ」
結局は風間望のおかげということらしい。
だが悪い気もしなかった。そういう生き方もあるだろう。
自分たちは………、風間望と自分は、いつかそんな友人になれるだろうか?
まだ分からないが、そうなれればいいなと田口真由美は思う。
「おっと………、恵美ちゃんに逢いに行くんだった。待っててね、愛しの恵美ちゃん」
田口真由美が思っていることを分かっているのか、風間望は飄々と普段どおりの言葉を呟いた。本当に仕方ない人だが、彼はそれでいいのだろうし、自分もそれでいいのだ。
そうして愛しの倉田恵美へと急ごうとする風間望。
だが再び風間望の進行を塞ぐものが現れた。
「何やってんだ、真由美?」
この声、この口調。
この学校で知らない人はいないあの人だ。
「よう、日野じゃないか」
風間望がいつもの通りに彼に声を掛けた。
そう。彼こそ新聞部部長、日野貞夫。
弱そうなのに威厳があり、何か裏を持っていそうだと学校内で噂されている男だ。
田口真由美は風間望と日野貞夫が知人であることは知っていたが、風間望は田口真由美と日野貞夫の関係を知らないようで、怪訝な表情で日野貞夫に質問を浴びせた。
「真由美とはまた親密な呼び方だねぇ。どうしたんだい、日野? もしかして田口君と付き合っていたりするのかい? まったく後輩に手を出すとは何たる鬼畜………!」
「はぁっ? 何言ってんだよ、風間。こいつ俺の妹だぜ?」
「いも………うと?」
滅多に見られない素っ頓狂な表情で、風間望は呆然と呟いていた。
どうも不安になって、田口真由美が確認のように訊ねた。
「うちの部の部長は私のお兄ちゃんだって言いませんでしたっけ?」
「おにい……ちゃん………?」
呟きながら、風間望はわなわなと震えているようだった。
田口真由美としては非常に不安だ。
日野貞夫。
新聞部の部長にして、田口真由美の兄。
両親の離婚によって互いに違う親に引き取られたため、苗字が違う実の兄妹。
そのことを説明していなかっただろうかと、田口真由美は過去を振り返ってみる。
………説明してなかったような気がする。
でもそれくらいでは問題はないはずだと思い直した田口真由美を尻目に、風間望は日野貞夫の襟を掴んで叫んだ。
「おい、この犯罪者ァッ!」
「何でだよ!」
「妹持ちだとッ? 義妹かッ? エロゲェかッ? 貴様の眼鏡はそういうわけかッ?」
「言ってる意味が分かんねえよ!」
「いいかッ! 僕がこれから妹というものについて語ってやるッ! そこに直れッ!」
「だから何でだよ!」
ああ………、と田口真由美は頭を抱えた。
またややこしいことになってしまったようだ。
これからの自分の運命を予期し、田口真由美は嘆いた。
というわけで。
次回、風間望が妹萌えについて語ります。
メインの話にまったく関係がないですね。
嗚呼、話が進まん………。
またしても話がまったく進展しないまま、次回に続くッ!
え?
続かなくてもいいですか。そうですか。
じゃあどうしようかなぁ………。
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