上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)の主張に疑問(2)
先日、書店で上野玲氏『うつは薬では治らない』(文春新書)を改めて立ち読みし、やはり議論に無理があると痛感した。
『うつは薬では治らない』はこの「愛と苦悩の日記」で既に批判済みだが、前回の批判は、本書が「うつは百人百様」と言いながら、「うつ」という共通概念を前提にしている矛盾を指摘した。
今回、立ち読みして引っかかったのは「患者化」批判の部分だ。
うつ病患者が職場や家族で「うつ病患者」というレッテルを貼られることに甘えてしまうと、治るうつ病も治らなくなるという上野玲氏の主張である。
この主張は、上野玲氏がジャーナリストだから言えることで、一般の会社員にはとうてい無理な話だ。
ジャーナリストは、ある程度自分で時間の使い方を決める自由がある。
例えば、取材日程は、相手があることなので、完全には自分の自由にならないが、自分で設定したいくつかの日程を提案することはできる。
また、自宅などで執筆するときも、原稿に締切はあるが、体調が悪くなれば小一時間眠ってから執筆を再開するなど、仕事の時間配分や、仕事をするときの体の姿勢に一定の自由がある。
それに対して一般の会社員は、たとえその日にやるべき仕事がなくても、決められた時間に出社し、定時まで机にきちんと座っていなければならない。
休憩時間外に机につっぷして仮眠をとったり、脚を机にのせて横になったりする自由はない。
また、仕事中や会議中に体調が悪くなったからといって、仮眠をとるなどということも実質的に無理だ。
管理部門の社員ならまだしも、外回りの営業マンや、接客業の場合は、なおさら一挙手一投足が他人によって決められ、自分の裁量で仕事のストレスを調節する余地が全くない。
そして、自営業のジャーナリストと異なり、集団に組み込まれた一員として仕事をするため、仕事の締切りだけでなく、仕事のプロセスの時間配分まで、会社の都合で決められてしまう。
そうした一般の会社員に「患者化するな」というのは、向精神薬を飲み続けてでも出社しろと言うに等しく、うつ病は確実に悪化する。
上野玲氏の論理的思考能力の限界は、以上のことからも明らかだ。
前回指摘した点は、うつ病という一つの現象の多様性と共通性を同時に肯定するという論理的誤りだった。
今回指摘した点は、ジャーナリストという職業の特殊性を、一般の会社員にまで普遍化する誤り、つまり、特殊を普遍に置き換える論理的誤りだ。
上野玲氏は『うつは薬では治らない』の中で、香山リカ氏がうつ病患者に寛容すぎる点を批判しているが、これも誤りだ。
上野玲氏は一患者に過ぎず、そもそもうつ病について普遍的な対処法を語る資格はない。香山リカ氏は臨床医で、職業や性別を問わない多様な人々の症例を日々目の前にしており、普遍的な対処法を語る資格がある。
たしかに、うつ病の普遍的な側面を語ると、軽症患者から重症患者まで幅がある中で、軽症患者に甘くなるが、これはあらゆる「普遍的な議論」が避けられない限界だ。
以上、上野玲氏の書くものには、テーマがうつ病であるかどうか以前に、その論の展開そのものに、多様性と共通性の同時主張や、特殊の普遍化など、論理的誤りがあり、読む意味がない。
上野玲氏の著書を鵜呑みにした読者は、一種のダブルバインドの状態、結論の出ない宙吊りの状態に置かれてしまうだけになる。
何でも白黒付けたがるのは、うつ病患者の特徴だが、うつ病患者を治療する立場の人間は、白黒はっきりさせる義務がある。この点を理解していない上野玲氏に、うつ病の治療法について語る資格はない。
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