教皇“その人”(ペルソナ)と教皇の“役職”の違い

『離教にあらず、破門にあらず』(Courrier de Rome, 1988年9月号)より

キリストご自身が教会の頭として、厳として、密接につながっているそのペトロたる教皇が、教会においてキリストの望まれた事と別の指針を、あるいはそれと反対の指針を許し、励まし、望むことが一体できるのだろうか?
そういうことが有り得るのだろうか?

聖書とカトリック神学は我々にはっきりとこう言う、
「教皇権威が不可謬性によって覆われている時を除けば、それは有り得る」と。

ペトロはキリストの神性を告白し、イエズスはペトロにこう告げられた。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いな人だ。その啓示は血肉からのものではなくて、天にまします父から出たものである。わたしは言う。あなた [わたしが、キリスト、生ける神の子であると宣言したあなた] はペトロである。わたしはこの岩のうえにわたしの教会を立てよう。地獄の門もこれに勝てぬ。」

ところが、その同じペトロがキリストをそのご受難から遠ざけようとした時、イエズスは振り向いてこう言われた。
「サタン、引き退れ。わたしの邪魔をするな。[すなわち、あなたはわたしにとって障害物である。] あなたが思っているのは神の考えではなく人間の考えだ。」

そして、我々はこの「障害」が生じたのは、「ペトロの首位権がこの時点では約束されていただけであって、まだ与えられていたのではない」と考えるべきではないだろう。なぜなら、有名なアンティオキアでのエピソードがあるからである。
つまり説明すると、ご復活後のイエズスは使徒の首位権をペトロに与えられた。そしてペトロはこれを行使し、初代キリスト教信者はこれにいつも崇敬を払ってきた。ところで、アンティオキアでパウロはペトロに「非難するところがある」ことに気づいた。なぜなら、ペトロと、ペトロの模範に導かれたほかの人々が、「福音の真理に従って、正しく歩んでいなかった」からである。ペトロの目下でありかつ従属していた立場ではあったが、パウロは「皆の前で」「面と向かって」彼に反対した。
聖トマスはこれをこう注解している。「この非難の機会はささいなことではなく、適宜であり有用であった。福音の真理からそれる危険があったからである。やり方もふさわしかった。なぜなら、この過失がすべての人々の信仰を惑わす危険があった限りにおいて、公であり、明白であったからである。」

そこで、聖書は不可謬権の行使の場合を除いて、ペトロは誤り得ること、また非難するところが有り得ることを教えている。カトリック教会の最高の神学も、教皇の "その人" (ペルソナ) と、教皇の "職務" とを区別して同じことを教えている。"Persona papae potest renuere subesse officio papae" (教皇のペルソナは、教皇としての自分の職務に従うことを拒否することができる) とカエタヌスは書いている。さらに彼はこういう。「このような行為を固持し続けることによって、per separationem sui ab unitate Capitis(教会の頭であるキリストとの一致から離れることによって)教皇は離教者となりうる」と。カエタヌスは「 "教皇のあるところ、教会あり" という格言は、教皇が教皇として、また教会の頭としてふるまう限りにおいて、有効だ」と言う。さもなければ、「教会は彼においてもなければ、彼は教会の中にもいない」と言う。

ジュルネ (Journet) 枢機卿も「信仰はまだあるが悪い教皇1」について、「大半の神学者ら」に受け入れられている「離教的な教皇」及び「異端的教皇」についての可能性を取り上げている。彼はこのことについてこう書いている。教皇は「教会の交わりに反する2つのやり方で罪を犯しうる。」 第二のやり方は、カエタヌスによれば、「もし彼が個人的私的に自分の責務に反して逆らい、(教会をすべて破門しようと試みる事によって、あるいはただ単に、世俗の君主として一人きりで生きようとすることによって) 教会に対して霊的指針を拒否する時、教会が彼よりも偉大な方の名前において、キリストご自身の御名によって、天主の御名によって、彼から当然のこととして期待している霊的指針を拒否する時、指導の一致を破壊することになり」、教皇は罪を犯すことになる。さらに続けて、「もし離教的な教皇という可能性を考えると、この悲劇的な日には、教会にとってとても大切な指針の一致、ということの聖性の神秘が我々によく分かってくる。このことは教会史の専門家や、(むしろ、天主のみ国の歴史を研究する神学者) に、教皇制度上で生じたいろいろなことの暗い部分に天主の光を照らしてくれることだろう。そして、教皇制度がそれを委任されたものの幾人かによって、裏切られたということを示してくれるだろう。」

もしもカトリック神学が、ある一人の悪い離教的な、さらには異端の教皇によって引き起こされる問題を取り扱うとしたら、その理由は、まさにカエタヌスの言うとおり、"Persona papae potest tenuere subesse officio papae":教皇のペルソナは、その不可謬権を行使する場合を除いて、教皇としての彼の職務を受け入れることを拒否できるからである。最後に一つだけいい加えると、「教皇制度」とその「担い手」、「ペルソナ」と「職務」との区別を付けることによって、多くの神学者たちは教皇制度の暗い部分にまで個人的に足を忍ばせていたのである。

わたしたちにとっては、これらの暗い期間の問題は、決定的に解決2できており、この区別を付ける習慣を失っている。特に第一バチカン公会義以来、教皇の不可謬権を『不可謬一本槍』に、誤解しがちになっている。あたかも教皇は、いつも何においてであれ、非常に明確な条件のもとでなくても、不可謬だと思い込むに至っているようである。

http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_fsspx/nonsum.html より転載

〔管理人〕
1. 「悪い教皇」とは、やっぱりちょっと語感が悪いと思う。私は、たとえば前教皇様がおやりになったエキュメニズム上における様々なことは、間違いなく教皇様の「善意」によって行なわれたものだと思う。つまり、教皇様の「主観」においては。だから、それを思う時、「悪い」、この言葉を使うことに私は躊躇を覚える、というか、その言葉は使おうとは思わない。しかし、それでも、私達は見るべきものを見なければならないと思う。冷静に、理性的に、注意深く。
(でも、ん〜... まあ... 教皇様のちょっとした脱線でもどれだけ多くの霊魂に禍いをもたらし得るかを考えれば、ある意味「悪い」という言葉の強い調子は決して間違っていはいない... とも思う... かな? つまり...(気を使うなぁ... )人間はいつもアレとコレを混同するんだけど... 要するに「過誤を憎んで人を憎まず」は真であります!
2. つまり、悪い形で「解決」できており? 可能性としてさえ考えなくなっており?

この「『教皇の“職位”というものは神によって常に権威を与えられている』という真理と『教皇はその“ペルソナ”においては、信仰に関する事柄においてさえ誤りを犯し得るのであり、その時そのペルソナから出る動きには神の認証はない』という二つの真理は両立する」という考え方は、矛盾でも詭弁でもなく、私には現実的なことのように思われます。私は、この見方を自分の中に導入して初めて、ある意味気持ちが楽になりました。それまでは、「信じたい・信じなければ」と「しかしどうしても信じられない・どう見ても良いものとは思えない」との間で、自分が二つに分断されておりました。その意味で、これは実に大きなポイントでした。これからは「教皇様のペルソナがその職位・職務の本来的な姿・あり方と全く一つになりますように」と一生懸命祈っていこうと思います。
この理解が与えられなければ、次のようなことは、私の「信仰の感覚」にとって、どうにもこうにも扱いに困ることでした。

ヨハネ・パウロ2世教皇様


アフリカのブードゥー教の僧侶を歓迎する(1986年、アシジ)

ヒンズー教の尼僧からシヴァ神崇拝者としての印を額に受ける(1986年)

コーランに接吻する
(1999年、バチカン)

1986年10月27日にアッシジで汎宗教的集会が行われた。「ダライ・ラマ(Dalai Lama)によって導かれた仏教徒たちはサン・ピエトロの教会の祭壇を、聖櫃の頂上に仏陀の小さな像を置き、その周りに経文と香炉を据えることによってすばやく改造した。

(1986年10月28日、"12 Faiths Join Pope to Pray for Peace"という題名のもと、Robert Suro氏によってニューヨーク・タイムズ紙上で伝えられた。)

御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教徒がその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか。

仏教徒らが自分たちに割り当てられたサンピエトロ教会で、そこの御聖櫃の上に仏像をためらわずに置いたという事実を持って、しかも彼らはその前で香をたいて仏像に礼拝を捧げた。

http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_fsspx/consecla.html

アシジの第一回世界宗教者平和会議では、ダライラマが御聖体の入った聖櫃の上にチベット仏教の仏像を置いて礼拝することを教皇様は許した。アシジの第二回世界宗教者平和会議では、アシジ大聖堂のありとあらゆる十字架が取り払われ、固定されて取り払われない十字架は布を被せて隠された。

http://immaculata.fc2web.com/library/sspxbbs/sspxbbs7.htm

パウロ6世教皇様

私は、以下のような自分の "口振り" を、今では反省しています。何故なら、私は今では、「真実のところは、パウロ教皇様 "ご自身" には多少の "人間的な間違い" はあったとしても、"致命的なほど大きな間違い" はなかったのであり、彼の時代から教会の中に致命的な形で置かれることになった数多くの間違いは、ただ彼の教皇職を不当に-----暴力そのものによって-----奪った者達の罪である」 と信じているからです。私は、エクソシズムの記録 「他界からの警告」 と、一般からも出現地の司教からも偽の啓示と思われている 「ニューヨーク・ベイサイド」 の啓示によって、そう思うに至りました。パウロ六世教皇様には申し訳ないことをしたと思っています。しかしながら、下に紹介した情報自体に関しては (即ち私の "口振り" は除いて)、私達が必ず知っておかなければならないものだと信じますので、消さずに残しておくことにします。(2008/05/04)

 ● 次のようなことを言い----

私は離れた兄弟たちとの論争の種を、私たちの信仰としたくないのです。

(1965年、第二バチカン公会議閉会式)

皆さん、少なくとも公会議のこの努力を認めてください。天上のことの超越性を放棄している現代の人間中心主義である皆さん、私たちの新しい人間中心主義を認めることができるようになってください。私たちも、私たちもだれにもまして人間を礼讚するものなのです。

(1965年、第二バチカン公会議閉会式)

我々は、教会の生命の中で非常に大いなる自由の時期を迎えることになる。その結果、教会の子供らの自由の時期である。この自由は法的義務がより少なくなり、すべての専制は廃止される。… 非黙認、絶対主義は、すべて廃止される。

(1969年、Documentation Catholique 69, 705)

 ● 次のような言葉に同調し----

教会は私たちの離れた兄弟たちのために一致の道を歩みやすくするために全てをする望みに動かされ、ほんの少しでも躓きや不快の危険の陰となりそうな石は全て取り除いた。

(アンニバレ・ブニーニ大司教)

 ● そして最後に(数年後)次のようなことを言う----

どこかの裂け目からサタンの煙が天主の教会に入ってきました。疑い、不確実、問題、不安、不満足が日の目を見ました。私達は公会議の翌日は教会にとって晴天となると信じきっていました。しかし、私達は新しい嵐を見つけました。私達は淵を塞ぐどころかそれを新しく掘ろうとしています。何が起こったのでしょうか。私は自分の考えをあなた方に伝えます。これは敵の勢力、つまり悪魔、この神秘的な存在、全人類の敵、この何か超自然的なものが公会議の実りをだめにし、乾燥させに来たのです。

(1972年6月29日)

この、ちょっと信じられないほどの“よれよれぶり”である。ご自分で穴を開けといて、そこから汚水が入って来たと言って蒼ざめ、お騒ぎになるのである。

第二バチカン公会議以降の教会の乱れが、第二バチカン公会議の精神が過去の聖伝との連続性を持っていないからなのか、それともただ運用・適用が悪かっただけなのか-----その問題を一時脇に置いても、私達が今見ている“よれよれぶり”が上のような“よれよれぶり”から生まれて来たことは、火を見るよりも明らかであります。

2007/03/08
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