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訳注:韓国で最も歴史のある朝興銀行のサイトからの翻訳記事です。本文中の「当行」とは朝興銀行およびその前身である漢城銀行のことです。


............漢城銀行の創立および創始期関連の話

...........(16).松都四介治簿

ピョン・ジプシル



..... しばしば複式簿記は14世紀を前後してイタリアの商業都市である
......ベニスで生成されたと思われているが、松都四介治簿はこれより
......200年先んじて開城(ケソン)の商人たちによって創案されていた。

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我が国が世界に誇るに値するものは多い。
..その中から代表的なものをいくつか挙げろと言われたら、大部分の人が高麗青磁と金属活字を最初に挙げるだろう。 もし、これにもうひとつ付け加えろと言われたら、おそらく松都四介治簿を挙げるのではないだろうかと思う。
..松都四介治簿という言葉をたまに聞くことはあっただろうが、これが世界で最も先んじた複式簿記であることを知る人はあまり多くない。
..しばしば複式簿記は14世紀を前後してイタリアの商業都市であるベニスで生成されたと思われているが、松都四介治簿はこれより200年先んじて開城(ケソン)の商人たちによって創案されていた。
..この開城簿記は複式簿記と基本原理は同じながら、我が国の伝統様式に基礎を置く我が国固有の複式簿記だ。
..四計文書,四介脚文書とも呼ばれていた松都四介治簿が、1900年代初めまで商業計算及び帳薄計算方法として広く使われてきたことが多くの文献によって確認されている。
..当行の創立が1897年であり、現代式簿記を使用し始めた時期は1903年以後のことだ。
..当行が現代式簿記を使用する前には、まさにこの松都四介治簿を利用して会計帳簿を整理していたものと推定されている。
..松都四介治簿における四介が何を意味するのかについては学者ごとに意見が異なるが、松都四介治簿についての総括的な解説書を出版したヒョン・ビョンジュ氏によれば、四介は会計取引を記録計算することにおける基本的な四種類の増減計算の対象だという。
..すなわち彼は捧次が一介,給次が一介,利益が一介,損害が一介,合わせて四介であるとし、これを現在の会計用語で解釈すれば、捧次は資産を,給次は負債を,損害は費用を,利益は収益を意味するというのだ。
..要するに、四介は商業における財務計算と損益計算の取引要素だと言える。
..当行を始めとする創始期の民族銀行らがこのような松都四介治簿を利用して銀行帳簿を整理していただろうと考える根拠は、韓相龍の回顧録や昔の帳簿に求めることができる。
..韓相龍は彼の回顧録で、1930年に当行が公立漢城銀行に改編されたあと西洋式簿記を使用し始めたが、当時の銀行頭取が西洋式簿記を見ることができず、漢文で書かれた会計帳簿を別に作って報告したと口述している。
..銀行で会計が占める比重は昔も今も違いがない。
したがって、金融的な側面でも松都四介治簿が持つ意味は非常に大きいと見ることができる。
..当行でも金融博物館の設立のための史料収集の過程で、貴重資料である松都四介治簿の日記2巻を保有できることになり、漢城銀行が創立初期に帳簿をどんな方式で整理したのかを間接的ながら察することができて幸運に思う。