記事一覧に戻る

「日本海・東海問題」関連記事を日本語で読む

中央日報 韓国語原文

[中央時評] 国家広報きちんとやっていますか

2001年08月02日(木) 17:10

小学校時代、海外出張に行ってきた父が買ってくれた地球儀は、幼い私にとって非常に面白い遊び道具だった。

立体的な地球儀に描かれた世界のいろいろな国の姿と教科書の平面に描かれた国々の姿がお互いにどれくらい同じなのかあるいは違うのかを比べるのは幼い私にとって非常に興味深いことだった。

*** 地図 「日本海」表記が何故多いのか

また、当時我々が羨んだ先進国家の中でどんな国が大きい国で、またどんな国が小さな国なのかを確認してみることもおもしろさは同じだった。

当時の私の目には途方もなく大きい領土を持っていて、そのうえサッカーまで上手なブラジルこそ、まもなく世界を制覇する可能性が大きい怖い国だと思った。

もちろん、これらすべての遊びはまず世界各国の地名が英語でどのように表記されているかを知っていなければならない国際的な知識を要求していた。

恐らく父はこの事実を意識して、私に意図的に英語で書かれた地球儀をプレゼントしたのは明らかだ。だが、当時の私としては父のそのような「不純な」 意図を把握する能力がなかった。

ただ軸が傾いた地球儀を前後に動かして、韓国が昼であるとき、米国が夜になる理由を知る楽しさに夢中になるだけだった。

我々と遠く離れているのは同じであるオーストラリアと米国のうち、オーストラリアは何故韓国と時間が近くて米国は何故時間が反対なのかを理解することも地球儀に対する私の好奇心を満たしてくれるのに充分だった。

そんなある日、地球儀をあちこち動かし、ごま粒のような英字をたどたどしくて読んでいた私の目に本当におかしな表記が目に入ってきた。

ほかでもない「Sea of Japan」であった。明らかに韓国語で「東海」を意味する英語表記があるべき場所に突然「日本海」という表記が腰を据えていたのだ。

私はすぐに大人を捕まえてその理由を尋ね、あらまし次のような説明を聞いた。

その海を我が国では「東海」と呼ぶが、日本では「日本海」と呼んでいて、この地球儀に東海という表記がなく、代わりに日本海という表記がある理由は、日本が我々より良い暮らしをして、お金がたくさんあり、外国の人々を相手に広報をたくさんしたためだと。

それから30年余りが流れた。その間、我が国は産業化の結果を世界の他のいろいろな国に自慢するほどに経済発展を成し遂げた。

一時的な外国為替の不足で国際通貨基金(IMF)の救済金融を受けもしたが、地球儀を持って遊んだ時と比較すると明らかに途方もない発展を成し遂げた。

当時の日本、つまり東京オリンピックをしていた日本と比較しても我々は明らかに経済的や政治的に日本より先んじている。1人当りの国民所得がそうであり、また政治的な民主化の水準がそうだからだ。

ところが、経済発展をしたほどに我々が自分たちの文化を海外に知らせることにどれくらい体系的な関心を傾けていているかどうかを考えてみると、憂鬱な感じを消すことができない。

はたして今は外国で流通している地球儀に「日本海」という表記よりは「東海」という表記が多くなっただろうか。確認はできていないが、英語で表記された地球儀には恐らく相変らず「日本海」という表記が幅を利かせているに違いない。

*** 国際交流基金の廃止は駄目

我々はいまだに自分たちの文化と歴史を海外に屈折なしに知らせる作業の重要性を理解できずにいる。東南アジア国家の教科書で韓国の歴史が歪曲されているという報道が明らかな証拠だ。

インドネシアとフィリピンそしてタイの教科書に日本の植民史観が流布されて、韓国の歴史を日本や中国の一部と理解しているというが、他に何の話をする必要があるか。

日本の歴史歪曲を正すための対応が鍋で湯を沸かすようにしては体系的な国家広報は出来ない。日本が韓国の歴史を意図的に歪曲しているので糾弾しなければならないと叫ぼう。

しかし、他の国の教科書で我が国の歴史が歪曲されたことまでも糾弾できないのではないか。組織的で体系的な国家広報が切実である。

そして、そのような意味で「韓国国際交流財団」の位相と役割はより一層強化されなければならない。国際交流寄与金の廃止はもっとだめな話だ。

柳錫春(延世大教授・社会学)