【原子の存在は証明されていない】
ホメオパシーの有効性を否定する学術会議会長の談話の中には「ホメオパシーのレメディーには物質の原子が含まれていないから有効性があるはずがない」と言うような表現が出てくる。
現代の科学教育では、一般に「世界は物質から成り立っていて、物質を構成する単位としての原子が存在する」と教えられている。会長の発言もその思想を踏まえたものである。だが、原子の存在は一つの仮説であり科学的に証明された事実ではない。
【原子論は科学の世界では非主流派だった】
ところで原子論における「原子」とは、必ずしも近代化学における「原子」すなわち酸素原子、水素原子、炭素原子といった原子だけを意味するものではない。物質を構成する最小単位、すなわち現代物理学においては「素粒子」という言葉の方がより正確な表現だと言えるかもしれない。
現代人の多くは、原子論が科学の主流をなしていたと信じているが、実は、近年に至るまで、むしろ原子論は科学の世界では非主流派だった。
16世紀以降、化学が進歩し、「質量保存の法則」を唱えたラボアジェ、「気体分圧の法則」を唱えたドルトンなどにより物質の構成要素として元素概念が提唱された。彼らの論が近代原子論の源流とされている。
だが、20世紀初頭になっても、科学者の主流派・多数派は、物質に構成単位が存在するという説は疑わしいものだと見なしており、一般の人々も含めて、Atomという単位が存在するとは思っていなかった。
【物理学者マッハは原子論に反対した】
例えば、エルンスト・マッハ(音速の単位「マッハ」は彼に因んでつけられた)や哲学者としても知られていたオストヴァルトなども、実証主義の立場から、"原子"なるものは観測不能であることなどを理由に"原子"なるものが実在するという原子論には反対し、エネルギー論を主張していた。そして、原子論の考え方に基づいて熱現象を試みに計算してみたものなどを論文類で発表しはじめた若者ボルツマンと激しい論争を繰り広げた。
19世紀のオーストラリアの哲学者・物理学者・科学史家マッハ(写真)は、「絶対空間と絶対時間」というニュートンの思想を否定した「マッハの原理」を提唱し、アインシュタインの相対性理論への道を開いた。彼はまた、「みなさん、この世に絶対はあるのでしょうか?」と発言したことでも知られている。彼の思想はゲシュタルト心理学や現象学などに大きな影響を与えている。
【作業仮説として採用された原子論】
その後、アインシュタインのブラウン運動に関する理論(仮説)などによって、それまで反対派のほうが多かった「何らかの粒子的な単位」の存在が自然科学者一般に信じられるようになり、自然科学分野で理論を構築するために使える便利な概念的道具(作業仮説)となったのである。
「作業仮説」とは、証明された理論ではないが、作業を進める上で便利なので一時的に採用している仮定という意味である。漢方医学における陰陽五行論も、一種の作業仮説であると考えるべきではないかと主張する人もいる。
ともあれ、現代物理学の基礎となる原子論は一つの仮説に過ぎず証明された事実ではないということだけははっきりとさせておきたい。
(この項は、主としてWikipeidaの記述をもとに編集・加筆しました)
ホメオパシーの有効性を否定する学術会議会長の談話の中には「ホメオパシーのレメディーには物質の原子が含まれていないから有効性があるはずがない」と言うような表現が出てくる。
現代の科学教育では、一般に「世界は物質から成り立っていて、物質を構成する単位としての原子が存在する」と教えられている。会長の発言もその思想を踏まえたものである。だが、原子の存在は一つの仮説であり科学的に証明された事実ではない。
【原子論は科学の世界では非主流派だった】
ところで原子論における「原子」とは、必ずしも近代化学における「原子」すなわち酸素原子、水素原子、炭素原子といった原子だけを意味するものではない。物質を構成する最小単位、すなわち現代物理学においては「素粒子」という言葉の方がより正確な表現だと言えるかもしれない。
現代人の多くは、原子論が科学の主流をなしていたと信じているが、実は、近年に至るまで、むしろ原子論は科学の世界では非主流派だった。
16世紀以降、化学が進歩し、「質量保存の法則」を唱えたラボアジェ、「気体分圧の法則」を唱えたドルトンなどにより物質の構成要素として元素概念が提唱された。彼らの論が近代原子論の源流とされている。
だが、20世紀初頭になっても、科学者の主流派・多数派は、物質に構成単位が存在するという説は疑わしいものだと見なしており、一般の人々も含めて、Atomという単位が存在するとは思っていなかった。
【物理学者マッハは原子論に反対した】
例えば、エルンスト・マッハ(音速の単位「マッハ」は彼に因んでつけられた)や哲学者としても知られていたオストヴァルトなども、実証主義の立場から、"原子"なるものは観測不能であることなどを理由に"原子"なるものが実在するという原子論には反対し、エネルギー論を主張していた。そして、原子論の考え方に基づいて熱現象を試みに計算してみたものなどを論文類で発表しはじめた若者ボルツマンと激しい論争を繰り広げた。
19世紀のオーストラリアの哲学者・物理学者・科学史家マッハ(写真)は、「絶対空間と絶対時間」というニュートンの思想を否定した「マッハの原理」を提唱し、アインシュタインの相対性理論への道を開いた。彼はまた、「みなさん、この世に絶対はあるのでしょうか?」と発言したことでも知られている。彼の思想はゲシュタルト心理学や現象学などに大きな影響を与えている。
【作業仮説として採用された原子論】
その後、アインシュタインのブラウン運動に関する理論(仮説)などによって、それまで反対派のほうが多かった「何らかの粒子的な単位」の存在が自然科学者一般に信じられるようになり、自然科学分野で理論を構築するために使える便利な概念的道具(作業仮説)となったのである。
「作業仮説」とは、証明された理論ではないが、作業を進める上で便利なので一時的に採用している仮定という意味である。漢方医学における陰陽五行論も、一種の作業仮説であると考えるべきではないかと主張する人もいる。
ともあれ、現代物理学の基礎となる原子論は一つの仮説に過ぎず証明された事実ではないということだけははっきりとさせておきたい。
(この項は、主としてWikipeidaの記述をもとに編集・加筆しました)