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【それでも撲滅できないのか】(4)怒鳴りながら父は娘を殴った…文学に現れたる虐待の近現代史 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:児童虐待を考える
《怒鳴りながら彼は突然おつぎを殴った。おつぎは麦の幹とともに倒れた。おつぎは倒れたまましくしくと泣いた》
100年前の明治43(1910)年に発表された長塚節(たかし)の農民小説「土」に、農作業中の父親が15歳の娘に対し、大豆の種のまき方が悪いとして体罰を加える場面がある。
その5年後に書かれた徳田秋声の通俗小説「あらくれ」では《始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼け火ばしを押しつけられたりした》。
弁護士で明治大学法科大学院の平田厚教授(50)=民法=が、明治大正期の文学に現れた親子関係に関する法意識を研究したところ、体罰や、虐待とも受け取れる行為の描写が現れるのは明治30年代以降であることが分かった。
平田教授は「明治中期までの小説には体罰が出てこず、戦国時代のルイス・フロイスや明治初期のお雇い外国人の指摘と合致していた」。ではなぜ明治後期から子供への暴力が増え始めたのか。
明治31(1898)年施行の民法は、子供への「懲戒権」を含む強力な親権を設けた。同時に「戸主」が一家を統括する家父長的な家制度を作った。平田教授は「戸主である父親は家長として君臨し、家の秩序維持のため体罰も辞さない『おそろしい父』『明治の父』となっていった」。
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