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『LIFE』スペシャルインタビュー

――今年はデビュー5周年ということですが、振り返ってみていかがでした?

「あっという間でしたね。だけど、いろんな夢も叶ったし、いろんなことが実現した。その道のりを一歩一歩ちゃんと歩んで来たという感覚はあるので、目まぐるしくかったけどすごく濃厚な5年だったなと思います。まぁ、まわりからは「まだ5年!?」ってびっくりされてますけど(笑)。」

――確かにそうですね(笑)。

「デビューまで10年かかってますからね。だから私自身も、実は、心の中でこっそり15周年を祝ってる感じです(笑)」

――念願だったデビュー、そして日本武道館や大阪城ホールといった大きな舞台でのライヴなども実現しましたね。

「はい。この5年、自分の中で印象に残っているポイントがいくつかあって。その中でも、人生初のワンマンライヴは大きいですね。会場は、東京のSHIBUYA-AXという場所でした。それまではいろんなイベントに出させて頂きながら、30分とか40分のステージをやっていたんですが、そこで初めて、自分ひとりで2時間、ピアノ1本でやるということを経験したんです。その、高いハードルを越えたことは自分の中で非常に大きかったですね。自分だけを見にこれだけのお客さんが来てくれたなんて、夢のような時間だった」

――でも、そのあとはすぐに初めての日本武道館があって。

「そう、初ワンマンライヴの6ヶ月後に武道館をひとりでやれたっていうのも、まぁすごいスピードだったなと思う(笑)。そうやって初のワンマン、初の武道館、そして初の大阪城ホールとやってきて、今年は自分の故郷でもピアノ弾き語りライヴの「MY KEYS」が実現。作品のリリースももちろんですが、ライヴは特にそのひとつひとつが強烈な印象として残ってます」

――そしていよいよ、このデビュー5周年という年を飾るアルバムもリリースされますね。

「区切りの年と言う意味では、ここまでを総括するようなベストアルバムを出したりすると言うのが普通なのかもしれないけど、私は、この5周年を旅立ちの1年目、再出発の年という風に捉えているので、総括ではなく旅立ちのアルバムを作ろうと考えました」

――それが、今回のアルバム「LIFE」。

「はい。じゃあ旅立ちとか、進歩とか、進化って何だろうって考えてみたときに、私は、ただがむしゃらに前を向いて走っていくだけでは本当の進歩や進化じゃないと思ったんです。1回自分の原点に戻って、自分が歩んで来た道のりをまず振り返った上で、さらなる新しい一歩をって考えた。そのためには、自分がハーフだからこそ、育ってきた環境とか、日本語と英語が半々の部分も含めて、自分の中に持ってるものをきちんと対等に表現しようと考えたんです」

――それで今回は半分が日本語、半分が英語の曲という構成になってるんですね。

「そうなんです。私はシンガーソングライターになるんだ!と決意したのが18歳で、ちょうどアメリカに住んでる時だったんです。2003年に日本に戻るまではずっと英語の曲ばかり作って歌ってたので、<英語で曲を作る>というのは、シンガーソングライターとしての自分の原点だったんですよね。ちょっとホコリを払いながら、しばらく開けてなかった引出しを開けるような感じでしたけど(笑)、こういう気合いで作るのは本当に久しぶり。懐かしい感覚でもありました」。

――じゃあ日本語の曲は、日本に帰って来てからだったんですね。ちょっと意外な気がしますけど。

「でも私が日本語で歌詞を書き始めた時って、まだ半分日本語で半分英語っていう曲が多かったんですよ。それは、自分が言いたいことを日本語だけでは上手く表現出来なかったから。でもそれじゃダメだなと。言いたいことを完全に、100%日本語で表現出来るところまでいかないと!って思って、突き詰めていった何年かがあってのデビューだったんです。だからその後も、日本語という言葉に対する重みっていうがすごくあった。でも今回は、日本語も英語も、それぞれの重みや特徴を生かしながら、まったく頭を切り替えて作るという方法をとったんです」

――レコーディングも分けて行なわれたんですよね。

「はい。せっかく半々にするんだから、そこもキチッと分けてしまおうと。日本語の曲は、日本で作って、ドラムの村石(雅行)さんやベースの沖山(優司)さんを中心とするいつものメンバーと東京のスタジオで録る。英語の曲はアメリカで作って、向こうのミュージシャンたちとレコーディングをしてきました。今回は、アメリカの南部にあるナッシュビルというところに行ったんです」

――ナッシュビルはどういうところなんですか?

「たぶんカントリーを思い浮かべる方も多いと思いますけど、カントリーだけじゃなくて、ロックのシーンもすごく盛んなんです。ホワイトストライプスのジャック・ホワイトや、ベン・フォールズ、シェリル・クロウ、ブラッククロウズの人たちもナッシュビルに住んでたりするんですよ。あと、私がインディーズの頃から親しくさせて頂いてるジャニス・イアンという大御所のシンガーソングライターもいるから、行くんだったらニューヨークやロスじゃなくて、ナッシュビルがいいなというのは前々から考えていました」

―ースタジオも素晴らしかったようですね。

「そうなんですよ。実は、ロバート・プラントとアリソン・クラウスのアルバム「レイジング・サンド」――Tボーン・バーネットがプロデュースしてて、グラミーを穫った私の大好きなアルバム――が録られたスタジオなんです。あのアルバムを聴いてすごく音がいいなあと思ってたんですけど、まさか自分が2年後にこうしてレコーディングしてるとは!本当に感動でした」

――レコーディングはどういう感じで進めていったんですか?

「日本だと私は別の部屋にピアノを隔離して、あんまり音が漏れて来ないようにして録るんですが、アメリカでは大部屋のど真ん中にピアノを置いて、そのまわりをミュージシャンが囲むっていうスタイルでやったんです。要は、昔ながらの"やり直しがきかない"ってパターン(笑)。みんな超一流の人たちだから、1回とか2回でばっちり決めてくるんで、こっちもそれぐらいの気合いで行かないといけなかったんです。その緊張感が、なんかライヴに似てたんですよね。間違いは許されない、ライヴみたいなレコーディング。なので、よく聴いて頂くと自分のピアノのスタイルもいつもとは違ってると思いますよ。スタイルもミュージシャンも場所も違う中で、いい意味での緊張があるセッションになりました」

――そうやって出来上がって来た今回の楽曲のいくつかは、共作という形をとられてますよね。

「はい。今までは、シンガーソングライターとして、共作するっていうことは自分らしさが薄れるような気がしてイヤだと思ってたんです。私の曲だから、私の経験を私なりに歌うことに本当の意味があるんだって思い込んでたから。でもナッシュビルは、<2つの考えを合わせてもっといいものが出来るんだったら、なんでそうしないの?>っていう発想の街。そこで音楽作ってる人たちのほとんどが共作で作ってるんですよね。それで私も、前作の「ANSWER」みたいに全部自分で完結するのではなく、その曲がもっと良くなる方法をまず選ぼうと思ったんです。日本語の曲でも、ギタリストの西川進さんと「サイン」のメロディーを共作しましたし、ピアノの師匠である河野伸さんとは「LIFE」という曲を共作しました」

――そういうオープンな空気に加え、英語だから言えること、英語でしか表現出来ないことっていうのもあってか、これまでにはなかった部分まで表現の幅が広がってますよね。すごく解放されてる印象を受けました。

「英語っていう言葉はものすごくひねくれたことを可愛くも言えるし、ハッとするようなことをスッと言えたりもするんですよね。韻を踏むことによってシリアスの度合いを少しずつ削いでいけるし、組み立て方によっては秘密の意味みたいなものも入れられて、面白い歌詞になっていくんです。でも日本語はありのままをどんと受け止める言葉だからこそ、ひとつひとつの言葉が大切になってくる。そう考えると、英語でないと表現出来ないものがあるからこそ、このアルバムは自分にとってすごく解放されたものなのかもしれないなって思いますね。だって、英語の訳詞を真顔で日本語で歌ってたら、若干シャレにならないみたいな感じもありますから(笑)」

――それはそれで面白そうですけどね(笑)。

「でも日本語は今までどおり、ちゃんとひと言ひと言に重みを置いて、おいしい言葉の畑からひとつずつ摘んで来て、熟れたものだけを並べて曲にするっていう気持ちで作りましたし、英語は英語の表現っていう部分を味方にして、言いたいことを言えてると思います」

――ライヴでの名物コーナー「アンジェラ・アキの(勝手に)英語でしゃべらナイト!?」で私たちが勉強してきたことの成果も問われますね(笑)。

「あははは!そうか!こういうとこで成果が問われることになるとは(笑)。でもね、このアルバムで英語の曲をやるっていうことに自分の中で抵抗がなかったのは、ここまで私の音楽を聴いてくれてる人ならば、もちろん訳詞も入れてあるけど、多分そんなに違和感持って聴かないだろうって思ったんです。きっと、それが単に英語であるっていうだけで、遠い歌になってしまったみたいな感じにはならないと思うし、なってほしくないなって。だって作ってるのは、同じ私。私であることに変わりはないから」

――楽曲解説も含め、歌詞カードをじっくり読みながら聴いて頂きたいですね。

「はい。言葉のひとつひとつ、一音一音に熱い思いを込めた濃いものばかりですからね。前作の「ANSWER」もかなり赤裸々に作ったアルバムでしたけど、反面、赤裸々すぎて、どちらかというともっと内面的な、自分の世界で完結してるような部分もあったような気がするんです。でも今回は、今の自分からタイムスリップしてある恋愛について書いたり、逆に未来からその時のことを思って書いてみたり、今という自分に縛られないで作れたアルバムなんですよね。今に縛られたないからこそ、思い出に対しても「まだ言いたいことあんねんーっ!!」って解放させてもらってる(笑)。まだ解決出来てないこと、引きずってることもあるけど、そういうものも含めて私のLIFE。ちょっと濃厚すぎるぐらいだけど、やりたいこと、表現したいものを全部、今この『LIFE』というアルバムに凝縮出来たなと思っています」



楽曲解説
1:愛の季節

「なんでそんなに別れの歌ばっかり書くの!?」って言われるくらい失恋ソングを書いてきましたが(笑)、これは私にとって新しいラブソング。諦めずにもう一度向き合って、新しい季節を迎えるというこの曲で、デビュー5年目に発表するこの新しい旅立ちのアルバムのオープニングを飾りたいなと思いました。

2:輝く人

ピアノではなく、初めてギターの弾き語りをしたこの曲は、いろんな意味での新しいチャレンジが詰まった曲。デビュー5周年の第一弾シングルとして、"ここから"っていう気持ちで発表したものです。"輝く人"は自分の中に必ずいる。この先、上手くいくことばかりじゃないし、壁にぶつかることもたくさんあって、信じられなくなるようなこともあると思うけど、それでも自分の可能性を信じててということを歌っています。

3:Every Woman's Song

ジャニス・イアンとの共作。年は30歳くらい離れているけど、私たちにはシンガーソングライターであり、女性であるという共通点があります。普段はあまり考えたことなかったけど、そもそも女性って何だろうということを掘り下げていった時に、実は、私たちは人類が誕生して初めての女性から続く列にみんな並んでるんだということに気が付いたんです。ジャニスがいて、その30年後に私がいて、今日生まれる女性で列は止まってるかもしれないけど、これから生まれてくる女性たちがその先にいる。その列を想像した時に、ふたりとも言葉をなくしたんですよね。これはすごいことだ、と。女性同士がすぐに打ち解けて姉妹のようになれるのは、そういうことなんですよね。私たちはひとりじゃない。国境も国籍も文化も超えた歌にしたいねという話をしながらジャニスと一緒に作りました。

4:サイン

ふっと時計を見たら、11時11分。こういう時って、「あれ?なんかいいことあるかも」なんて思ったりしません?何でもないって思うとそこまでだけど、たとえばこれは何かのお告げだとか、これはきっとこういう意味だとか、勝手に先走って何かのサインだって解釈した方が、なんとなく物事が上手く進むような気がするんです。ポジティブって、自分の中からしか生まれないものですからね。日常にあふれてるサインを味方にするきっかけになればいいなと思って作りました。

5:Remember Me

実はこれ、前作「ANSWER」に入れるかどうか迷ってた曲。人はどうしても別れというものに執着してしまうけど、出会いと別れの間にある真実、それを覚えててほしいんだということを歌ってます。ちょっと悲しい、まだどこか前を向ききれてない感じの歌ですが、常にポジティヴでミラクルな亀田誠治さんのプロデュースによって、力強い仕上がりになりました。

6:Unbreakable

夜という不安な時間帯の淋しさを自分の力で乗り越えていく、そのパワーみたいなものにしたかったんです。まだ叶うところまではいかない、願いごとのまま終わっていく歌なんですが、それが人生のありのままじゃないかなと思うから。これはジャニスの紹介で仲良くなった、ジェス・ラーリーというミュージシャンとの共作なんですが、私にしては珍しく、歌入れ当日の朝まで歌詞を吟味して作り上げました。向こうのラジオでかかってもおかしくないような、THE洋楽!な1曲になったと思います。

7:What Are The Roses For?

最初はポエムとして書いてたものなんですが、認めたくないものや疑問に感じてることのまわりで、核心に触れずに踊ってるようなイメージから、なんとなくワルツが聴こえて来たので、曲を付けてみました。使ったのはピアノとチェロ。「これはどっちなの?」という曖昧な気持ちを、2つの楽器で提示しています。

8:愛と絆創膏

気持ちって、伝わってるようで伝わってない。伝わらないことほど苦しいものはないですよね。歌詞だけ読んでると、優しくて悲しい弾き語りの歌みたいなイメージだと思うけど、そもそものニュアンスとしては<あなたの傷は私が絆創膏になって直してあげてるけど、本当に辛いのはこっちなんだよ!?早く気付いて!>みたいな歌だから(笑)、アレンジも結構激しくしたんです。あえてバンドでガンガンやる感じにして、"ひとり"の部分と共存させてみました。

9:Mad Scientist

嫉妬というありふれててみんなが共有出来る感情を、何か面白いものに例えられないかな?という発想から生まれた曲。日本語だと絶対に上手くいかない、英語という言葉の力を大いに味方につけて作ってたものです。謎の液体のブクブクブクって音や、狂った時計の音など、サウンドにもいろいろとこだわってみました。ラストの悲鳴はサンプリングじゃないんですよ。なかなか美しい叫びっぷりでしょ(笑)。

10:Truth Is Like A Lie

反対言葉っていうものにすごく惹かれるんですよね。真実と嘘、昨日と今日、永遠の時間と瞬間の対比とか。この曲のベースにあるのは、あまりにも突然にやってきた愛する人との永遠の別れ。事実として確認をしたのにそれでも信じられなかったという彼女の言葉や、もし自分だったら受け入れられるだろうかということを考えていった時に、<真実が嘘みたいなのに>という言葉がフッと浮かんできました。

11:Bop Bop Bop(Colors of Tour Soul)

すごく壮大な、全人類の女性に対する讃歌ともいうべき「Every Woman's Song」を作った後、ジャニスも私も若干抜け殻状態になりまして(笑)。じゃあ今度は楽しくてハジけた歌にしよう!ということで出来たのがこの曲です。サビの部分は「こういうメロディーどうかな?」って、私がその場で口ずさんだもの。いわゆる"歌詞"じゃなくて<Bop〜>のままでいいの!?って聞いたら、逆に「何でダメなの?」って言われてハッとしましたね。さすがジャニス。こういうのも、日本語の発想からは生まれないものだなと思いました。

12:母なる大地

この5年間、自分にとっての大きなキーワードは<故郷、HOME>でした。今年は5周年という節目の年。この新たな旅立ちの年に、故郷をテーマにした歌を作ってみようと思ったんです。夢破れて帰って来ても、もう一度そこから旅立っていく。そういう歌にしようと思った時に、本当に自然とこの歌が出来ました。最初は美空ひばりさんの「川の流れのように」みたいなイメージを描いたんですが、平成のこの時代に、しかも洋楽をバックグラウンドに持つ私がやったらどうなるのかという私の思いを、ホッピー神山さんが素晴らしいオーケストラや琴の音色を使って表現して下さったんです。亀田さんのバンド・アレンジと相まって、これまで作ってきた曲の中でもいろんな意味で一番すごい曲になりました。私の歌も、これまでにない、そしてあの壮大なアレンジに負けないものになってると思います。

13:LIFE

そもそも「LIFE」って何?って言われた時に、私はなんて答えるだろうということを考えてみました。もしひと言で言うとしたら、「…複雑」。でも何で複雑なんだろうと思った時に、たとえば、道徳的にとか一般的に正しいと思われてることと、正しくないとされてることが実は逆になったりする場合もある。嘘をついちゃいけないって子供に教えるけど、その嘘こそが愛を救う時もあるでしょう?真実は、「正しい」と「間違い」の間にあるんですよね。恋愛だってそう。別れだけに執着してしまいがちだけど、大切なのは出会いと別れまでの間の真実。そうやって対比していくことで、人生って複雑なんだけど、実はそんなに複雑じゃないんだよねっていうメッセージを伝える歌にしてみました。