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助産院は安全?

2010-10-25

助産院、自宅出産の問題を医師の責任にしていてはいけない

運搬屋さんのお蔭で、問題のある助産師について深く考えることが出来ます。運搬屋さん、有難うございます。

きっかけとなったコメント

但し、病院へのご不満、疑問等はそれに適した場所へお持込ください、理由は以前に記した通りです。

医者の見立てが絶対で、医者がこうだと言えば他の助産師や看護士、検査技師は何もいえないのです。

後に産科医でもあるsuzanさんが

産科医は、助産師さんはじめ、医療スタッフを「蔑んだり」はしません。

蔑むとすれば、その産科医個人の問題です。

医師全体にしてみれば、コメディカルスタッフは、大事な大事な「相棒」なのです。

と締め括られているコメントをくださっています。

医者の見立てが絶対というのは、最終的には当然だとおもいます。その権限を持ち、責任を持つのが医師ではないでしょうか? 資格の名称が違うだけではなく、その資格を得るまでの過程も大きく違うわけで、医師以外のスタッフが「一緒に働いているのだから、私がたまには結論出してもいいでしょ?」は困りますね。私なら困ります。一人ひとりの役割が重要なのは当然ですが、役割の中に皆さんのご意見から「最終的な決断を下す」とあるのが医師なのではないでしょうか。

たまたま自分の意見が採用されなかったから不満におもう! という医療者がどれほど存在するのかわかりませんが、もしも予測で仰るとしたら、それは失礼なことだとおもいます。人の命を前にして、大切なのは自分でしょうか? −そして実はこれが暴走する助産師を考えるときに見事に重なる問題でして、何と重なるかというと、以前から私は何度か言っていることなのですが、母子の命よりも大事なのは助産師の思想なのか? ということです。


助産院は安全か?ですが、病院と提携していて非常時に受け入れ体制が出来ていて

いつでも助産院助産師からの相談を受けてくれる、そのような関係が出来ている助産院ならさほど問題は無いのでしょう。

医者同士はお互いにフォローし合うけど、助産師のフォローなんかやってられない。

これでは周産期医療のみならず、医療全体がガタガタになってしまいます。

拝読し、私の感想は「甘い」です。その連携が出来ていないのではないか、というのも問題になっているのです。助産師医療機関、医師からのフォローが欲しいというのならば、医療の重要性をきちんと認める指導をしないといけませんよ。近く行われるご様子のサロンの問題をみても、まだホメオパシーを使いたいんでしょう、実際にこのサロンに参加しないと分からないじゃないかといわれるかもしれませんが、広告から感じる内容に誤解があってはいけないとおもいますので、もしもホメオパシーを問題視する、過去の助産師の選択を反省するための集まりならば、キャッチコピーも何もかも、妥当とはいえません。誤解を招く表記ならば、精査のない表れです。このような次元にまだあるということからしても、【助産師のフォローなんてやってられない】というのはあまりにも身勝手な言い分だとおもいます。これで周産期医療医療全体がガタガタになる? そうなんですよ、これらの助産師たちの、一部とはいえ助産師の行動、言動、思想により、周産期医療はガタガタになっているといえることはあるんです。要するに、助産院、自宅出産の問題を医師の責任にしていてはいけないのです。

嘱託医が産科医に限定されたときにも、「産科医が嘱託医になってくれない」という言い草で限定するのを阻止しようとする方たちまでいました。開業権があるのだから、嘱託医はいらないのだという意見を持つ方もいる様子です。そもそも、周産期医療として存在しているというのであるならば、自らが「嘱託医が産科医でないのはおかしい」と言うべきではないかとおもいますよ。そのくらい、自分に厳しくあるべきでしょう。条件が満たされないのならば、分娩を扱う病院にお勤めになるべきでしょう、だって、搬送のための距離、時間を考えても、自宅出産なんて特にそうですよ、立地条件まるっきり無視なわけですよね、それでも「搬送するから大丈夫」という程度の説明で出張助産師は存在していたり、衛生の問題もどうですか? 病院に課せられた条件になんて全く至らない状態でも開業出来ているのです。実際に衛生の問題で事故が起きているというのに、自分たちに都合良い条件には徹底してスルーするか、医療法が改正されるとなると反対してくるのです。

そう、なかなか搬送をしようとしない助産師の問題もあります。

医師が他の医療者を蔑んでいるようでは、なかなかこのような関係作りは難しいと思います。

これは私からすると正しくなく、一部であるとしても助産師医療を否定し、病院でのお産を「暴力的な出産」等と表現して他の医療者を蔑んでいるために、関係作りが難しくなっているのだとおもいます。

うさぎ林檎うさぎ林檎 2010/10/26 08:32 琴子ちゃんのお母さん、おはようございます。

患者側から謂えば、何とかうまくやって頂きたい、としか謂いようがない問題ですね。個人的にはプライドの問題は自分自身で何とかするしかないでしょうね、ですが。

さて、この話は以前にもここで取り上げられた「医と健康のフリーマガジン ロハス・メディカル」に掲載されていたケースです。

>2009年8月2日「まず助産所の嘱託医との連携を」−スーパー総合、助産所からの搬送ケース
http://lohasmedical.jp/news/2009/08/02131820.php?page=1

周産期医療協議会(2009年7月29日)のやり取りですが[山村節子委員(日本助産師会東京都支部支部長)]が

>8の症例に関してですけども、搬送までの時間帯が55分程度で一番長いんですね。しかも直近に入っているにもかかわらず長くかかっているということ。すみません、私も把握していなかったんですけども、よく会員から言われるのは、総合周産期に電話すると、よく『嘱託医、または嘱託医療機関からの方もう一回電話を下さい』と言われるという、大変無駄なことをやらされていて時間がかなりかかっているということがあるのですが、この事例に関してはどうだったのかということです」

と述べたことに対して[杉本充弘委員(日本赤十字社医療センター産科部長)]は、こう返答しています。

>この事例はシステムというより助産所がガイドラインを遵守していなかったということで問題にさせていただきたいと思っていたケース。むしろ嘱託医と全く連絡も取っていなかった。連絡を取らずに独断で子宮収縮剤の点滴をされたりしていて、搬送されているんですね。事例そのものが低位胎盤ということでリスクのあるケース。かつ、嘱託医と連絡を取らないで、いろんな処置をして、出血のコントロールができないということで連絡を受けている。ガイドラインを遵守しているということであれば、連絡を受けてから嘱託医というもっとその以前に嘱託医との連携が当然あってしかるべきだった。この症例は全くなかったということで、あとで助産師会方で、むしろ内部で検討して頂きたいなというふうに思っています。

この後、座長が間に入って取りなしています。このやり取りに興味を持って、この会議の議事録を取り寄せましたが、該当のやり取りはのっていませんでした。電話で応対した担当の方が、各所の了解を取って公開します、とのことでしたので、この部分は残さなかったようです。
私は、どちらの努力が足りないと断じるつもりはありませんが、ガイドラインがあるならそこをまず順守しなければ議論にはならないと考えます。

また、その他にこんな記事もあります。

>2009年12月 9日 産婦人科医会への事故報告、08年は350件−分娩時の母体や胎児異常など
http://lohasmedical.jp/news/2009/12/09034011.php

もちろんこれで十分ではないかもしれません(全産科が加入していない)。
しかし同程度の取り組みが助産院にあるのでしょうか?ご存知の方は教えてください。

タカ派の麻酔科医タカ派の麻酔科医 2010/10/26 09:04  助産院は安全ではないし、自宅出産も安全ではない。妊娠中の管理も助産院は適切ではない。妊娠中の複数回の血液検査は必要です。その根拠は、超音波による胎児の検査によって、早期の治療介入が必要な胎児を適切な施設に送ることができ、血液検査によって、早期に異常な妊娠経過をたどる病気を見つけることができる可能性があるからです。失わないで済む命、機能などを保つことができる可能性があるからです。私はすべての疾患が治療すべきだという考え方は持っていません。自然な状態での生存ができないものまでを、強引に生かすべきではないとも考えています。しかし、その一瞬を乗り越えることができれば、生存できる存在を生かすのが医療の役目だと考えています。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2010/10/27 03:53 琴子ちゃんのお母さん、こんばんは。

>医師が他の医療者を蔑んでいる
たとえご自身の親との関係で何かつらい体験がおありだとしても、ここまで一般化して表現される方がいらっしゃるのは、とても驚きですね。

実際の医療現場ではどこでも他職種との意見の相違が感情的な不満へと発展することもあると思いますが、それはどの社会でも同じだと思います。
医師は医療において患者さんの治療に関しては責任者であり、その施設や部署の管理的な責任を負っているのですから、指示する立場であり指揮者でもあると思います。

実際に医療現場で働いていらっしゃらないかたが、その関係性を「蔑む」の一言で
表現されるのであればそれは思い込みですね。
きっとドラマとか小説とか、あるいはマスメディアで流される医療問題から「医師はこういう人たち」という虚像ができあがってしまったのでしょう。

もし、実際に医療従事者であって「蔑む」という表現でしか表せないようであれば、それは社会のどの組織の中でも、同じ反応をされることでしょう。
相手の立場の理解不足、社会経験不足だと思います。
まだ経験が浅いうちは、「医師は自分たちのことを理解してくれない」の不満でもしかたがないと思います。

でも少なくとも、中堅になってきたら「自分のその感情はなぜでてくるのか」もう少し客観的に医療の枠組みから振り返る努力、相手(医師や他の職種)を理解する必要があると思います。
さらに管理的立場にある助産師であれば、施設内での医師と助産師間での考え方や方法の違いを対立ではなく協働する方向へもっていく解決能力が必要です。
いつまでも経験の浅いスタッフのような「産科医は助産師のやりたいことを理解してくれない」という不満のレベルを引きずっていては、真の問題解決にはならないのですよ。

30年ほどの臨床経験の中で、たくさんの医師と働いてきました。
でも少なくとも「自分が蔑まれている」なんて感じたことはありませんね。
人間ですから合う合わないはもちろんありますし、考え方の違うことも日常茶飯事です。
でも、自分の考えを理解して欲しいと思ったら、まずは相手を理解する努力ですね、医療に関わらず人生の中では。
普段一緒に働く先生たちとは、やはり数年ぐらいたつと信頼してもらえて協働しているという実感がありますね。あうんの呼吸で緊急対応やトラブルを一緒に乗り越えた時には、本当に達成感がありますね。

数年前から医療系ブログを読むことで、普段一緒に働く先生たちとはあらたまって議論する機会はなくても、「医師はこういう思いや考え方があるのか」と理解しなおすことができました。
こういう場がなければ、私も「産科医は助産師を理解してくれない」という表現に引きずられ続けていたかもしれないと思います。
助産師が読む本には、しょっちゅう「病院のお産は・・・(批判)」「医師が主導権を持って」などの表現がでてきますから、本当にそういう見かたは正しいのかと全体像から問い直す作業は大変です。
私自身は、そこから抜け出すことができたことで視界がぐんと広がったように思います。

というわけで、「蔑まれている」なんて実際の現場では一般的ではないと思います。
今日も一緒に働いてくださる、医師やスタッフの方に感謝。

TOYOTATOYOTA 2010/10/27 12:18 はじめて投稿させていただきます。
私は病院関係者ではありませんので専門的なことは全然分かりませんがよろしいでしょうか。

私は下の子を助産院でお願いした父親です。
誤解のないように先に言いますが、この助産院では医者がいないので何かあったときには等々リスク説明はきちんと受けています。私も妻と話し合って両親にも了解してもらって決めていますので、この助産院への批判は無しでお願いします。

子供は無事に生まれてのですが、胎盤が出ないということですぐに嘱託医に連絡を取り
連れてきないさいということで搬送となったのですが、救急車の中で救急隊員が市民病院へ行きますと言って嘱託医でない病院へ向かうことになりました。

市民病医でのことです。
お医者様が、助産師さんに「おまえは助産師のくせに「ようしはくり」もできないのか」
「お前らのために、俺らがなんで休日出勤しなきゃならないんだ」等々の怒鳴られていました。
患者の家族である私の前で言われたので、唖然としてしまいましたが、これは私たち患者に言いたいのか?とも思いました。

助産師さんに、「私たちのせいで怒鳴られて、すいません」といったら
「貴方たちの処置をしてもらえるならいいのよ」でした。

後日談ですが、助産院へ遊びに行って当時の話で、「周産期の会議で市民病院があなたの搬送時に助産師も付き添わずに送って来たことになってるのよ」っておしゃっていました。助産師さんは救急車に同乗してたし怒鳴ったのにねと笑い話でした。

だいぶ簡単に書きましたのでご容赦ねがいます。

 ふぃっしゅさんへ
運搬屋さんが蔑むという表現を使うには、お父様との関係で余程のことがあったのではないでしょうか? 心の傷はなかなか治りませんよ。
運搬屋さんの書かれた文章に他への配慮のため言葉足らずがあると思いますが、
この件も「私の周りの医者」とか「一部の医者」の表記はありませんが、決して「すべての医者」と言っているわけではないと思います。
また書かれていない、理由があって書けない事案も持っておられるのかもしれません。

まして「品位が下がる」なんて人格否定ともとりかねないことまで書かれたら、

ここのブログは、助産院での安全を考えるところですね。
なかなか公になっていない助産院の事件・事故に光を当て、検証というか話し合う場じゃないのかな?

肝心の助産院や助産師会からの発言がないのでは、
運搬屋さんの例を話半分としか取れないのと同じことになるとおもいます。

じっくり文章を読んで、書かれている文のみに固執せず、何が言いたいのかをちゃんと読み取ることが大事ではないでしょうか。

うさぎ林檎うさぎ林檎 2010/10/27 14:11 >TOYOTAさん、はじめまして。

済みません、まとめておられる部分が良く分からないので質問させてください。

>肝心の助産院や助産師会からの発言がないのでは、
>運搬屋さんの例を話半分としか取れないのと同じことになるとおもいます。

このブログで書かれている事も信頼性の上ではどっちもどっちだ、と仰っているのですか?

>じっくり文章を読んで、書かれている文のみに固執せず、何が言いたいのかをちゃんと読み取ることが大事ではないでしょうか。

私はネットで発言するとき、そのやり方は取りません。私の前には"書かれている文"しかないのですから、それ以外の物語を見知らぬ他人が勝手に忖度するべきではないと考えているからです。
それは、誤解のもとであり議論混乱の原因にしかなりません。
"個人的な事情こみ"で理解してもらいたいのなら、それを書くしかありません。書かないのであれば、そのことは脇に置いて意見を書くべきです。
強い表現、暗喩であっても恣意的表現を使えば、それに対して反論があるのは当然です。反対意見を聞きたくないのなら表通りで発言しない。もしくは自分のブログでやるべきです。

ここのブログでは琴子ちゃんのお母さんの強い主張がされています。ですからソースの明らかなもの(たとえ非公開であっても、必要であれば公開する準備がある)を慎重に扱っておられると思います。

第三者が確認できない事件・事故の話は表通りではしない、これはただのネチケットの話なんですよ。顔の見えないどこの誰とも知れない同士が議論し、発言者が自分の発言を信頼してもらうためのね。

タカ派の麻酔科医タカ派の麻酔科医 2010/10/27 15:23  TOYOTA様のコメントに関して、嘱託医ではない市民病院に搬送になったと書かれていますが、一番近くの産科の病院が市民病院であったのでしょうか?嘱託医が引き受けると言っているならば、よほど遠くない限りは、救急車も受け入れると言っている嘱託医のところに運ぶはずです。
>お医者様が、助産師さんに「おまえは助産師のくせに「ようしはくり」もできないのか」
「お前らのために、俺らがなんで休日出勤しなきゃならないんだ」等々の怒鳴られていました。
この部分、意味するところは、休日に産科医がわざわざ出てきたということでしょうが、だとすれば、救急車が搬送した先が市民病院であることは不自然です。嘱託医が市民病院に連絡して、市民病院への搬送にしてあったということが自然です。

 私は普段、医師と知られていない状況で、権威主義的と思われることはありませんが、白衣で仕事をしている時に、突っかかられることはよくありますし、多くの場合、医師と看護師あるいは助産師の扱いを変えるのは、患者さんです。ついでに、言えば、人を蔑むのは医師という資格ではありません。人を蔑むのは、そういう人格を持つ人なのです。生まれ育ち学歴という標識で人を判断する人間は、その標識だけで相手を扱うだけのことです。医師という標識に勝手にステレオタイプを当てはめて批判する人も同じ様に、状況次第で相手を蔑む人ではないかと思います。

琴子の母琴子の母 2010/10/27 21:51 TOYOTAさん、こんにちは。
私が琴子の母という立場を抜きにして客観的にみても、運搬屋さんのご発言内容等には趣旨も含めて疑問を感じます。

一つだけTOYOTAさんにお願いがあります。
>私は下の子を助産院でお願いした父親です。
誤解のないように先に言いますが、この助産院では医者がいないので何かあったときには等々リスク説明はきちんと受けています。私も妻と話し合って両親にも了解してもらって決めていますので、この助産院への批判は無しでお願いします。
ーーー
今、助産院で受けた説明の詳細を集めています。
TOYOTAさんの助産院は説明をしっかりされているということですので、そういう助産院の情報が少ないので、是非詳細を教えてください。
助産院の特定につながること(地域など)はくださらないで結構です。
また、私も何故嘱託医に搬送とならなかったのかも伺いたいです。
よろしくお願いいたします。

suzansuzan 2010/10/27 21:54 「助産師のくせに、胎盤用手剥離もできないのか」
そういうことですよね。
分娩後に胎盤がはがれず、出血がとまらない状況になったのでしょう。

用手剥離は、子宮のおくまで手をつっこんで
(ひじまで入ります)胎盤と子宮のさかいめに指をいれ
「さくさく」と胎盤をはがすやりかたです。

さくさくはがれるなら、すぐに胎盤は出てきますし、
胎盤さえ出れば、出血は止まります。
剥離したあとは、出血や子宮内感染しやすいので
やはり、大きな病院での入院観察が必要でしょう。

ただ、もしわたくしが、それを受ける(嘱託医でない)市民病院の医者なら
せめて用手剥離を試して、できないときは仕方ないけど
剥離できるなら剥離してからつれてきてほしい、と思います。
分娩から時間がたてばたつほど、出血量が増えるのはもちろん、
赤ちゃんが出ることで開いていた子宮口が閉じてしまい、
手をつっこんで胎盤をはがすのが困難になるからです。

本当に子宮口が閉じてしまえば、
場合によってはやる必要のない「全身麻酔」をかける必要が出てきます。
全身麻酔をかけると、子宮口がゆるんで開くからですが、
ついでに子宮自体もゆるむので、ものすごい出血が再開します。

そういう事情を、しろうとさんは知らないので
外来で患者さんの前で、つい怒ってしまう医者が
「自分の対面や相手の立場より、患者さんの安全を考えるあまり」逆上してしまったなどとは
思ってもみないのでしょうね。
「なんで患者の命を危険にさらすんだ」とその医者は言いたかったのです。

TOYOTAさん、あなたさまの奥さんは
助産師が、できたかも知れない胎盤用手剥離をなんらかの事情で試してもみなかったために
もしかしたら分娩時出血多量で死んでいたかも知れないんですよ。
搬送が間に合って無事に胎盤がはがれたから
今、こういう話をここに書くこともできるのです。
あなたさまの奥様を救ったのは
間違いなく、その用手剥離もこころみずに搬送した助産師ではなく
患者の目の前で助産師を怒鳴った医者です。
あなたの奥様が無事で、本当によかったですね。

その助産師は、今も胎盤がはがれないときは
自分で用手剥離をしないで搬送しているんでしょうか?
いつかそのうち、搬送が間に合わず、
救急車の中で出血多量でなくなるお方が出ないでしょうか。
とても心配です。

助産院におけるお産の安全性を考える、というのは
そういうことまで考えることを意味します。

助産師も付き添わずに搬送した、ということは
本当にその会議で言われたことかどうかわかりませんが
少なくても
「用手剥離をやってみようともしないで、ただ付き添って救急車に乗るだけじゃ、助産師としては失格、付き添い家族くらいの意味しかない」と
いう意味で言われたのかも知れませんね。

不思議ちゃん不思議ちゃん 2010/10/27 23:09 >TOYOTAさん。
私は周産期医療センターに勤務する医師です。実際にあなたの奥様が置かれた状況の詳細がわかりませんので、あなたが書かれた文章から可能性のある状況を推察しコメントさせていただきます。
タカ派の麻酔科医さんもコメントされていますが、何故、嘱託医でない市民病院に搬送になったのでしょうか?通常、嘱託医が実際に診察を行い、自分の施設で対応できないと判断した場合に2次または3次医療機関である市民病院などの周産期センターに搬送になります。このシステムを守ることによって地域の周産期医療の安全は保たれるわけです。逆に、何でもかんでも2次or3次医療施設に搬送していたら、あっと言う間に2次3次医療機関はパンクしてしまいます。周産期医療に限らず、このシステムが守られずに地域医療が崩壊した地域はこれまでマスコミでいくらでも取り上げられています。さて、途中で市民病院への搬送へ変更になった理由について考えてみましょう。
可能性1.血圧が低下しており、全身状態がきわめて悪化した(shock or preshock)状態となっていた。このため、単に胎盤を娩出するという処置だけではなく輸血を含めた救命処置が必要な状態となっていた。つまり、嘱託医で対応できない状態にまで追い込まれており、救急隊から嘱託医からの連絡で、急遽、搬送先が市民病院に変更になった。
可能性2.どのような状態の患者が搬送されてくるのかわからないし、万が一、自分の病院で亡くなった場合、自分が訴訟の対象とされる可能性がある(自分が責任を持って診てきた患者でないにも関わらず)。
可能性3.めんどくさい。
可能性3は論外ですが、実際にこのような開業医が一部にいることは事実です。可能性2の場合、嘱託医の医師の気持ちはわからないでもありません。妊娠・出産のriskに関して中途半端な説明しか受けておらず、中途半端な理解しかしていなかった本人・家族が嘱託医や搬送先の2次医療施設を訴訟の対象にした事例もありますので、関わりたくないという気持ちもわかります。しかし、それが理由であるならば、最初から助産院の嘱託医にはなるべきではありません。
可能性1.の場合、通常とるべきルートである嘱託医を通り越して2次医療機関に搬送されたのはreasonableでしょう。しかし、この場合、(私自身はそのように理解していますが)このblogで琴子の母さんやふぃっしゅさん達が問題視しているテーマが発生するわけです。可能性1の場合、すなわち、血圧が低下しshock or preshock状態(死ぬ直前の状態)になっていたとすれば、極太の口径の点滴針で複数の点滴ルートを確保し、短時間で大量の輸液や輸血が必要になります。通常、産婦人科での分娩であれば弛緩出血などの大量出血によるshockやその他の緊急事態に備えて、予め分娩時より点滴ルートの確保を行っています。なぜなら、分娩時の出血というものは、ごく短時間で信じられないほど大量に出血します。おそらく心臓外科の手術の方がよっぽど出血量は少ないでしょう。大量出血を起こしてshock状態になってから点滴ルートを確保しようとしても、血管が虚脱しているため確保は極めて困難となります。大量輸液や輸血等の適切な医療が迅速に行われない場合、速やかに呼吸・心肺停止に至るでしょう。このようなriskがあるにも関わらず、助産院では予め点滴ルートを確保するということはしていません。それは、助産院では原則的に医療行為が許されていないからです。さらに開業助産師の多くが、正常分娩であれば医療介入は必要ないと考えており(弛緩出血など分娩後に起こる緊急事態があるにも関わらず)、病院で分娩時に行う点滴ルートの確保を含む医療行為を「過剰医療」と考えており、自分が扱う分娩で母体や赤ちゃんが亡くなる可能性があることを、実際にそのような事態に直面するまで考えていないことにもよります。
TOYOTAさん、あなたとあなたの奥さんは何を求めて、どの程度の覚悟で助産院での出産を選択されたのですか?助産院での出産はいわゆる「自然な」出産です。「自然な」出産の意味を理解していますか?現代の我々よりもっと自然な生活、自然な出産をしていた1950年代の日本の妊産婦さんの死亡数をご存知ですか?病院での出産は少数派で、ほとんどの妊婦さんが自宅で自然な出産を行っていた時代です。おそらくご存知ではないでしょうし、考えたこともないでしょう。10万人あたり180人もの妊産婦さんが、毎年亡くなっていたんですよ。現在の日本では、毎年、約100万件の分娩があるわけですから、現代でいうなら、毎年、1800人もの妊産婦さんが亡くなっているわけです。想像できますか?一方、現在の日本の妊産婦死亡数は妊産婦さん10万人あたり6人です。つまり、100万件の分娩につき約60人ということになります。この妊産婦死亡の低さは世界的にみてもトップクラスです。しかし、アフガニスタンでは今でも10万人あたり約1700人もの妊産婦さんが亡くなっています。彼女たちは我々よりもっと「自然」な生活をしていますし、もっと「医療や薬に傾倒していない生活」をしています。我々からみれば昔の生活をしている人たちです。彼女たちが亡くなった理由は簡単です。もちろん、栄養状態や若年妊娠、女性の社会的地位が低いことなども原因にあるとは思いますが、それ以前に、元々分娩というものが自然の摂理の中に存在する生理的現象であるからです。ですから、分娩の過程において命を落とす赤ちゃんや母親がいるのは当然なことです。それが自然の厳しさであり残酷なところです。人間以外の動物はそのことを享受していますし、享受するしかありません。人間だけが自然の脅威から守られているということはありません。しかし、我々は人間であり、経験・研究の積み重ねによって厳しい自然(分娩に元々存在するrisk)から命を守る術を獲得してきました。その過程には数えきれないほどの妊婦さんや赤ちゃんの犠牲と、そこに関わった医療スタッフの悲しみがあったのです。そこから、周産期に関わる医師は学んできたのです。残念ながら、助産院での出産は「自然」であるが故に、病院での出産に比べると危険と言わざるを得ません。もちろん、病院であっても亡くなる妊婦さんはいます。それが、10万人あたりの6人です。しかし、自宅出産や助産院での出産では10万人あたり6人では済みません。愛する家族の命に関わることであれば、より危険の少ない方法を選択するのは当然ですよね。あなたとあなたの奥さんは助産院でリスクの説明を受けられたということですが、どの程度の説明だったのでしょうか?少なくとも、母児の安全を守るために病院で通常行っている分娩時の点滴ルートを確保しないこととそれに伴う具体的なriskについて説明を受けましたか?インフォームド・コンセントとして文書による説明を受けましたか?妊婦さんが死亡する確率は6/100000でめったにないことだからという説明で納得しましたか?6/100000の死亡率であれば、例え亡くなったとしても仕方がない誰も恨むまいと考えましたか?(自然な出産では6/100000の死亡率では済まないことは先に述べた通りです)。
私自身は、私自身が関わる妊婦さんでは例え10万人に1人であろうと目の前で亡くしたくないという緊張感を持って働いています。一人でも助けるために一生懸命です。自分の家族を犠牲にして頑張っています。いや、頑張らざるを得ないのです。頑張らないと亡くなってしまうから仕方がないのです。おそらく、救急を受け入れる2次、3次医療機関の医師のほとんどが、同じ気持ちで働いていると思います。
しかし、父親として、夫としては、ようやくとれた休日には当直明けで疲れていようとも家族と過ごしたいというのが正直な気持ちです。
TOYOTAさん、TOYOTAさんのお奥さんが搬送された市民病院の医師がどういう気持ちで「お前らのために、俺らがなんで休日出勤しなきゃならないんだ」と言ったのかは知る由もありません。しかし、この言葉を発する気持ちはわからないでもありません。
私自身は、妊娠・分娩のriskを全く理解せずに、病院での出産を「過剰医療」で「自然」でないと否定しいる開業助産師や、自然というものを理解せずに自宅出産や自然な出産を賛美する平和ボケした妊婦さんたちは嫌いです。このような人達のために自分の家族を犠牲にしなければならないと思うと腹立たしい限りです。
TOYOTAさん、あなたは、あなた達のために休日出勤した市民病院の医師に対して感謝しましたか?それとも、自分たちのためにそれくらいして当然だと思いましたか?

以下、「どうする?日本のお産」より。http://do-osan.socoda.net/?q10
「自然というものがどれほど残酷で厳しいものなのか、もっと深く考えるべきであ る。アンケート結果をみると、自然なお産を望む一般の方々、中には助産師の方 もいるようですが、自然というものを本当に理解しているのでしょうか?その方 たちは自分の子供が風邪をひいたときには、当然のごとく病院を受診させ薬を処 方してもらっているでしょう。しかし、これは自然なことですか?弱い個体は淘 汰される。これこそが本当の自然ではないでしょうか?医療というものは、もと もと自然に反する形で発展してきたものです。病気になった人の苦しみ、周囲の 人々の悲しみを取り去ることを目的として発達してきたものです。周産期医療の 発達も同様です。1950年代の妊産婦死亡率は現在の約30倍も高いものでした。現 在と比べると自宅出産が多く、無責任なマスコミが讃える自然なお産が行われて いた時代です。お産による妊婦、新生児の死亡、周囲の悲しみをできるだけ減ら すことを目的に、産婦人科医師の先達は不眠不休で頑張ってきました。その結果 、自然なお産からは程遠いものになったかも知れませんが、「お産は病気ではな い」と勘違いをした発言をする医療関係者がでるほど安全が確保されるようにな りました。ですが産婦人科の医療現場で働く人間の実感としては、その[安全]で すら非常に不安定なものです。保障がない、1分先にはどのような悲劇が待ってい るかわからない不安に怯えながら、出来る限りの万全の体制でお産に臨んでいま す。産科を扱う医師が加速度的に減っていき、残された産科医師への負担が急速 に大きくなっていく環境で、現場は疲弊しきっています。そして、また産科をや めていく医師が増えていきます。我々に余裕があれば、様々なお産の形に対する 要望に応えられるのかも知れません。しかしながら、もうそのような状況ではな くなってきています。ですから、自然なお産を望む妊婦さん、自然なお産を勧め る助産師さんにお願いです。自然の厳しさを理解したうえで自然なお産を選択さ れるのであれば、どのような結果が待っていようとも最後まで自分たちの責任で 行ってください。私自身はどこでお産をしても構わないと思っています。ただ、 どうしようもない状態になってから、産婦人科に放り出すのはやめてください。 それに応える余力はもうありません。【九州/産婦人科医師】」

MW yuMW yu 2010/10/28 00:08 本文の内容とずれますが

「助産師のくせに、胎盤用手剥離もできないのか」という件ですが、
胎盤用手剥離が出来る助産師はあまりいないと思います。
病院勤務であれば、当然医師がする医療処置ですから、開業助産師の人が病院勤務時代に経験していることもあまりないと思います。双手圧迫がせいぜいのところでしょう。
部分剥離の状態だと本当に出血多量で危ないと思います。
 開業の方に「出血は怖くありませんか?」と聞いた事があります。返事は「そりゃあ怖いですよ。でもなにがなんでも止める気でやってます」とのことでした。私は万単位の出血を経験したことがありますので、なにをしても止まらない出血の怖さを知らない?からこそ開業出来るのかもと思いました。

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