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ルーアン地方編
第二十一話 クローゼの憂国
<ルーアン地方 メーヴェ海道>

修道院の少年クラムにより準遊撃士の紋章を盗られてしまったエステルは、次の日の朝ミラノに別れを告げ、取り戻すためにマーシア修道院に向かった。
ヨシュアとアネラスとは途中で別れて、遊撃士協会ルーアン支部の仕事に早く取り掛かる事にした。
ケビンとリースもルーアンの教会に戻ると言う事で道連れとなった。

「エステル、用事が済んだらすぐにルーアン市に行くんだよ。海岸沿いに歩いて行けば着くからね、間違ってジェニス王立学園に行く林道に行かないでね」
「わかってるって、あたしの方位磁石は完璧よ!」
「林の方で珍しい虫を見つけても追いかけて行っちゃいけないし、海岸で釣りをするなんてもってのほかだから」
「何や、エステルちゃんはそんなことしよるのか」
「あたしだってもう遊撃士の端くれだもん、そんな事はしないって!」
「あはは」

エステルはむくれた顔をして母親のように説教をするヨシュアと笑っているアネラス達を見送った。

「もう、全くヨシュアってばあたしをいつまでも子供扱いするんだから。あたしの方がお姉さんなんだから!」

誰も居なくなった海岸沿いの街道でエステルはそうつぶやいても、答えるのは波の音だけだった。

「それにしても遊撃士の紋章を盗られてしまったのは痛かったわね、他の物だったらそのままあげられたのに」

潮風の心地よさを感じながら歩いていたエステルは、別れ道に着くとマーシア修道院の方から数人の集団がやってくるのを見た。
高級そうなブランドのスーツを着た男性と若い男性の2人組と、老人のようでありながら見事なまでにタキシードを着こなした男性と、高級そうな派手な服で着飾った男性の2人組の4人だった。

「フィリップ、余の別荘にはドーナツショップと漫画ミュージアムも造る事にするぞ!」
「はあ、それにはまず別荘を建てて頂かないと……」

派手な服を着た男性が、タキシードを着た老年の男性に話しかけた。

「心配ありません、金額を釣り上げていただければ、先方もすぐに首を縦に振るでしょう。なあギルバート君」
「はい、すでに海岸周辺の土地の権利者との交渉は成立して居ます。借地権を主張して居る修道院の方もすぐに落ちるかと」

エステルは修道院に不釣り合いな人物達を不思議に思いながらも特に交わされる会話については注意を払わなかった。
不意に強い風が巻き上がり、エステルのツインテールの髪をたなびかせ、着飾った男性の前髪をめくれ上げさせる!
その瞬間を目撃してしまったエステルは、必死に歯を食いしばり中から湧きあがってくる笑いを飲みこんだ。

「余の前髪が乱れてしまったぞ、フィリップ!」
「はい坊ちゃま、今直します」

タキシードの老人がすぐに着飾った男性の髪形を直そうとした。

「大丈夫ですか、お嬢さん?」

お腹をかかえて座り込んでしまったエステルを見て、若い男性が声を掛けるが、エステルは返事が出来る状態ではなかった。
かろうじて首を横に振って構わないでと言った意思表示をした。

「道端に座り込んで、変な娘だな」

そう着飾った男性がエステルを見てつぶやくと、4人はルーアン市の方へ去って行ってしまった。
しばらくしてやっと腹筋のけいれんが治まったエステルはゆっくりと立ち上がった。

「あー、ビックリした。笑うのをこらえるのって辛いのよね」

思わぬ事で時間を食ってしまったエステルは早足で修道院に向かった。



<ルーアン地方 マーシア修道院>

エステルが修道院に着くと、庭では子供達が元気に作物や鶏の世話をしていた。
その中の1人だったクラムは、エステルの姿を見つけて叫ぶ。

「お前、何でここに来るんだよ!」
「全く、手間を掛けさせてくれちゃって! 人の物を勝手に持って行ったら泥棒でしょう!」

エステルはそう言いながらクラムの両耳を思いっきり引っ張った。

「痛てて……暴力反対!」

エステルがクラムに制裁を加えていると、他の子供達も騒ぎ出した。
そして騒ぎを聞きつけて、修道院の建物の中からクローゼが姿を現す。

「あらエステルさん、どうしてこちらに?」

クローゼはエステルとの意外すぎる早さの再会に驚いた。

「この子が昨日、あたしの遊撃士の紋章を持って来ちゃったらしいのよ」
「クラム、貧しくても他の人の物は盗ってはいけないって、ジョセフ先生もおっしゃっているでしょう!」

エステルの言葉を聞いて、クローゼもクラムに対して怒りだした。

「ご、ごめんなさい……」

クローゼにしかられて、クラムは弱気な声で謝りだした。

「さあ、エステルさんに遊撃士の紋章を返してあげなさい」
「あたしも、その紋章は大事な物だから返してくれないと困っちゃうのよね。他にあたしがあげられるものなら何でもあげるから」
「何でも……?」

笑顔いっぱいのエステルに言われて、クラムはドキドキとした表情になる。

「じゃあ、俺にキ、キスしてくれよ……ほっぺたでいいからさ……」
「ええっ!?」
「クラム、ずるいのー! 私もエステルちゃんにキスしてもらいたいの!」

クラムの発言に側にいたポーリィまでもが騒ぎだした。

「えーっと……」
「エステルさんも困っているじゃない!」

エステルが困った顔で指でほおをかいていると、クローゼがクラムを再び注意した。

「わ、分かっているって、ただ言って見ただけだよ……」

クラムはぶっきらぼうにそう言って、ポケットから遊撃士の紋章を取り出してエステルに渡した。

「ありがと、他に何か欲しいものはある?」
「別に要らないよ!」

クラムはそう大声を出すと、エステルから顔を背けて庭の隅の方へと離れて行ってしまった。

「クラムはきっとまたエステルさんに会いたくなって紋章を盗ってしまったのだと思います、許してあげて下さい」
「ううん、あたしは紋章が戻ってくれば別に気にして居ないから」

謝るクローゼに対してエステルは笑顔で首を振った。

「あの、お詫びとしてエステルさんにアップルパイをご馳走させては頂けませんか? 修道院に来た時はいつも子供達のおやつに焼いているんです」
「でも、あたしは早くルーアン市のギルドに行かないと……」
「クローゼお姉ちゃんのアップルパイはとっても美味しいのー」

ポーリィに言われたエステルはその誘いに乗ってしまった。
修道院の中に案内されたエステルは、部屋の奥のキッチンで穏やかな感じの女性がこちらに背を向けて食器を洗っている事に気が付いた。

「クローゼ、デュナン公爵様が戻って来たのですか?」
「テレサ先生、違うんです。昨日私達が知り合った遊撃士のエステルさんです」

振りかえった女性はクローゼの隣にいるエステルの姿を見ると、嬉しそうな笑みを浮かべて歩み寄る。

「私はこの修道院の院長夫人のテレサと申します。子供達がすっかりお世話になってしまったようで……昨日の晩は貴方達の事を子供達が楽しそうに話すものですから、こうしてお会いできて嬉しいですわ」
「こちらこそ……」

エステルは照れ臭そうに顔を赤くしてテレサ夫人と握手をした。

「お礼としてエステルさんにアップルパイを作って差し上げたいのですが、台所をお借りしてよろしいですか?」
「それは素晴らしい事ですね、あなたの作るアップルパイはとてもおいしいから、エステルさんもきっとお喜びになるはずよ」

クローゼの申し出をテレサは快諾し、エステルはテーブルへと案内された。
アップルパイが焼き上がるまでの間、エステルはテレサと歓談する事になった。

「そう言えば、修道院に来る道筋で公爵さん達にすれ違ったんですけど……」

エステルがそう話すと、テレサは顔を曇らせる。

「市長様達は院長である夫のジョセフが居ない時を見計らってやってくるのです。どうやらこの修道院を取り壊して公爵様の別荘を建てたいと思われているらしくて……」
「そうなんですか」
「この修道院は夫のジョセフが森を切り開いて建てた、思い入れの深い建物なんです。お金をいくら積まれても手放すつもりはないのですが……」
「へえ、森を切り開いて建物を建てちゃうなんて、父さんの他にもそんな凄い事をする人が居るなんて驚きね」

エステルがもらした言葉にテレサは驚いた顔をしてマジマジとエステルの顔を見つめている。

「あなたのお父様って、もしかしてカシウスさん?」
「えっ、そうですけど、父さんを知っているんですか?」
「髪の色と瞳の色はお父様ゆずりですけど、良く見たら顔がお母様にそっくりだわ。レナさんの話していた娘さんはあなたの事だったのね」

テレサの驚きの声を聞いたクローゼも料理の手を休めてエステルの方を振り返る。

「そうですか、あなたがカシウスおじさまの……」
「クローゼも父さんと会った事があるの?」
「ええ、私が悩みに直面して居た時に、優しく励まして下さいました」
「あの不良親父が、信じられないわね」

この時、カシウスはくしゃみを何回もしていた。

「エステルさんのお話も聞かされていました。何でも明るくて元気の塊で自慢の娘さんだとか」
「どこまであたしの事をしゃべっているんだろう、まったく恥ずかしいったらありゃしない」
「そんな恥ずかしいだなんて、私は活き活きとしているエステルさんに憧れていました」
「あ、あたしはそんな大層なものじゃないと思うけど……遊撃士としてもまだまだだし……」

アップルパイが焼き上がる頃になったのか、クローゼが急いでオーブンの方へと向かって行った。

「あの子はあなたに会えてとても嬉しそうです、いつでもこの修道院に遊びにきてくださいね」
「はい、しばらくはルーアン市の遊撃士協会に居るので、ちょくちょく来れると思います」

テレサとエステルが話していると、アップルパイをクローゼが持って来た。
焼きたてでいい匂いがただよい、とてもおいしそうだった。

「どうぞ、召し上がってください」
「いただきます!」

エステルはおいしそうにアップルパイをほおばった。
そんなエステルの姿を見て、クローゼはとても嬉しそうな笑顔になる。

「とてもおいしそうに食べていただけて、作った方としても嬉しいです」
「お店で売っているアップルパイとはまた違った味がするわね」
「ロイヤルリーフを多めに入れているんです、工夫すると味がいろいろ変わるのが楽しくて」
「あたしは外を駆け回ってお腹を空かせて母さんの料理を食べるのが専門だから、作る事はほとんど無かったり」
「お母様の手料理ですか、それは素晴らしいですね……」

そう呟いたクローゼは元気をなくして黙り込んでしまった。

「あっ、あたし、マズイ事言っちゃった? もしかして、クローゼのお母さんは……」
「いえ、母とは離れて暮らしているので、懐かしくなってしまっただけです」
「そうなんだ……」
「修道院の子供たちに慕われるテレサ先生には母親の温もりのようなものを感じられて、つい修道院の方に来てしまうんです」
「あまりに多くこちらの方に来るので、学園の課題の方は大丈夫なのか心配でなりません」

テレサはそう言って困った顔でため息をついた。

「クローゼって学園の成績も良さそうだし、良い家柄のお嬢さんだったりするの?」
「ええ、まあ……学園では社会科に所属しています」
「社会科かあ、何だか難しそうなところね」
「私はこの国の外交についての研究をしているんです。エステルさんは帝国と共和国と言う大国に挟まれたこのリベールはどのような外交関係を築いて行くべきかと思いますか?」
「あたしは難しい話は苦手だなあ、ヨシュアは遊撃士になるんだから勉強もしなきゃいけないって言うんだけどね」
「では、勉強の一環だと思って少しだけお話に付き合って下さい。今、リベール王国は帝国と共和国の両方に技術提供をする事で友好的な関係を結んでいます。先代の女王様、アリシア2世様からの方針なのですが……」
「世界のみんなが豊かになるなら、良い事じゃないの?」
「ですけど、いつまで技術力の優位が続くか分かりません。例えば、帝国や共和国が優れた空軍部隊を持つようになったら軍事力を背景に、リベール王国に脅しを掛けてくるかもしれません」
「そうなっちゃたら、それはひどいわね」
「今の国王様は、両国に負けない軍事力を整える事が必要だと主張してアリシア様と対立しています。そして、王妃様は自分達の子供、つまりこの国のお姫様を帝国の皇子様と結婚させる事で国の安全を図ろうとしています」
「それって、お姫様がとってもかわいそうじゃない! 家族はケンカしているし、自分の意思を無視して結婚させられるなんて!」
「やっぱりエステルさんもそう思っていただけますよね!」
「もちろんよ!」

エステルはそう言ってクローゼと固い握手を交わした。
テレサはそんな2人を見て、少し驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んだ。

「それで、お姫様はどうなっちゃったの? 結婚させられて外国に行っちゃったの?」
「いえ、帝国の皇子様も人が出来た方で、お姫様が傷つかない形で結婚をお断りしたようですよ」
「ふーん、でもそんな良い人ならもし結婚してもお姫様が幸せになれる可能性もあるかもね」
「でも、やっぱり結婚したら周りのみんなからは政略結婚に見られると……」
「お姫様って言うのも大変ね」
「そんな時、お姫様の前にカシウスさんが現れたそうです。そして、そんな偏見は俺がぶち壊してやるって言ってくれたようです」
「父さんってば、よくもまあ気障ったらしい事が言えたわね」
「カシウスさんに元気づけられたお姫様は、両親の前で自分の意見をしっかりと主張しました。そして、結婚は待ってもらえる事になったのです」
「よかったね、お姫様」

エステルは笑顔になってクローゼに微笑みかけた。
そして、何かに気が付いたようにクローゼに質問を投げかける。

「それで、クローゼはリベール王国はどうすればいいと思っているの?」
「あ、そうですね……」

エステルの質問を聞くまで驚いた表情を浮かべていたクローゼは、エステルの質問を聞くとホッとしたように息をついて話し始める。

「今の私には何が正しいのか分かりません。技術力や軍事力と言った力で相手を抑えるのは続けるのが難しいと思いますし、帝国と王国の王族が血縁関係を結べば、帝国や共和国が王国に政治介入する口実を与えてしまいます。ですから、私は今学園で学んでいるんです」
「頑張ってね、多分父さんは当てにならないと思うから」

テレサはクローゼとエステルが仲良く話す様子を嬉しそうに眺めていたが、時計の針がかなり進んでいた事に気が付く。

「クローゼ、エステルさんも遊撃士のお仕事がお忙しいのではありませんか? あまり長くお引き留めしては失礼ですよ」
「ごめんなさいエステルさん、私ったらつい長話をしてしまって……」
「別に良いって、あたしもおいしいアップルパイまでごちそうになっちゃったし」

そんな所へ、庭にいたポーリィがドアを開けて中に入ってくる。

「ヨシュアお兄ちゃんが来たなのー」
「気になって戻って来てみれば、やっぱり寄り道をしていたね」

あきれた顔をしてため息をついたヨシュアに向かって、エステルは手を合わせて謝った。

「ヨシュアー、手を離してよ!」
「ダメだよ、また君が寄り道するといけないからね」

エステルはヨシュアに引きづられるような形になってルーアン市の遊撃士ギルドまで連行されたのだった。
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