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【現場ルポ】尖閣諸島上陸をめぐる「なんだかなー」な攻防戦

[2010年10月25日]


「尖閣諸島は日本の領土。外国との間に領土問題はない」

これが日本政府の公式見解だ。そうであれば、日本国民ならば自由に行き来できるはず。

しかし、不思議なことに「尖閣諸島に行った」という日本人はあまりにも少ない。そこで「一度は自分の足で踏みしめてみたい」と思った記者は、「尖閣への前線基地、尖閣に一番近い島」である石垣島へと向かった。そこに行けば尖閣の地を踏む足がかりが何かあるのでは、と考えたからだ。

だが、そこにあったのは数々の驚きの出来事だった……。

石垣空港で、県警と海保職員がお出迎え

10月9日午後、石垣空港に着いた記者は驚いた。なんと! 空港には沖縄県警から2名、海上保安庁から2名、合計4名もの職員が記者の到着を“お出迎え”してくれたのだ!

実は今回の石垣行きは9日未明に急遽決まった。8日までの予定では、記者は宮古島へ行くつもりだった。この取材日程の変更は沖縄県警や海保どころか編集部や家族にも話していない。ゆえに「まさかのお出迎え」だった。

一方で、記者が宮古島から石垣島に行き先を変更したのには理由がある。記者はかねて「合法的に尖閣を見に行くつもり」と聞かされていた足高慶宣氏への同行取材を計画していた。そして、その日程が8日頃には決まりかけていた。ところが、足高氏の行き先が直前になって突如、宮古島から石垣島に変わったのだ。

足高氏は今年7月の参院選で「たちあがれ日本」から比例区に立候補。しかし、選挙戦のさなかに尖閣行きを目指したために党の名簿から除名された人物だ。そんな氏の行き先が変更になった理由を、足高氏の事務所スタッフ・石原克之氏がこう話す。

「今回、宮古島から出航してもらう予定だったA船長と会うために、先遣隊の私は8日に那覇から宮古島入りしました。ところが宮古空港から乗ったタクシーの後ろに、不審な車両が2台ついてきた。その車をまいてからA船長に会いに行ったら、なぜかその場に7月に“お世話”になった海保の職員が待っていて『お久しぶり。どこに行くの?』と声をかけてきたんです(笑)」

石原氏が感じた奇妙な動きは続く。

「私が宮古島に到着したとき、港には海上保安庁の巡視艇が4隻も集まっていた。ホテルにチェックインした後でもう一度港に行くと、1隻増えて5隻に。その間、石垣島の港には0隻でした。A船長は私が行く2日前に任意の家宅捜索と船舶検査を受けており、『もう出航は無理』と言いました。そこで私は宮古島の滞在を2時間で切り上げ、別の方法を探るために早急に予定を変更して石垣島に向かったんです」

石原氏は、自身の動きを関係者以外には話していないという。

「なのに、まるで盗聴でもされているかのように(笑)、私の行動予定が筒抜けだったんです」(石原氏)

石原氏の通信が盗聴されていたという確たる証拠はない。だが、“奇跡的に勘のいい”警察や海保の皆さんには言わずもがなだと思うが、通信を傍受する場合には裁判所の令状が必要になることは書いておきたい。

ちなみに10月8日の段階では、石原氏と足高氏は別行動。両氏と記者が初めて合流したのが9日午後の石垣空港だった。そして、そこで冒頭の「不思議な熱烈歓迎」を受けたのだ。

尖閣諸島への接近を阻む「船舶安全法」

ここで尖閣諸島への上陸をめぐる基礎知識にも触れておこう。

尖閣諸島は私有地。登記簿を見ると地主は民間人で、その土地を総務省が1年契約で借り上げている。年間賃料は尖閣諸島最大の魚釣島で約2112万円。無断で立ち入ると不法侵入、軽犯罪法違反となる可能性がある。

その尖閣諸島の魚釣島には、1978年に政治団体の日本青年社が建設した高さ約5mの灯台がある。この灯台は2005年2月に国に無償譲渡され、現在は海上保安庁が保守・管理を行なっている。しかし、海上保安庁の職員でも魚釣島にはめったに上陸できない。

「海上保安庁では灯台の保守・点検を年に1回程度行なっている。今年は6月28日に4名。昨年は6月16日に3名。一昨年は4月11日に2名が上陸。毎回、半日程度の上陸です」(海上保安庁交通部計画運用課長・加賀谷尚之氏)

公式には、日本国民によるこれ以外の上陸記録はない。

一方で、尖閣諸島は住所でいうと「石垣市登野城」にあたるため、09年4月4日には石垣市長が税務調査のために尖閣諸島への上陸許可を申請したこともあった。しかし、この申請は認められなかった。ここまで上陸制限されているのはなぜなのか?

これについては安倍晋三内閣当時の07年3月16日、当時衆議院議員だった鈴木宗男氏が国会で質問主意書を提出し、次の答弁を引き出している。

「尖閣諸島への日本政府職員の上陸を禁止する法令はないが、国の機関を除き上陸等を認めないという魚釣島等の所有者の意向を踏まえ、また、尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持及び管理のためという政府の魚釣島等の賃借の目的に照らして、政府としては、原則として何人も尖閣諸島への上陸を認めないとの方針をとっている」

では、上陸できないのであれば、せめて尖閣諸島近海から島の様子を見たい。ところが残念なことに「近くから見る」こともできない。「船舶安全法」という壁があるからだ。

石垣市内にある第十一管区海上保安本部石垣海上保安部の事務所で、職員から次のような説明があった。

「沿海区域(海岸から20海里以内・約37キロ)を超える場合、漁船に乗れるのは漁業者および漁業従事者に限定されている。漁業者とは、漁業法で『漁業を営む者』との規定があります」

今回、足高氏は漁船をチャーターしての尖閣諸島行きを考えていた。が、石垣島から尖閣諸島までは約90海里(約166キロ)。石垣島、尖閣諸島の両海岸から20海里以内の沿海区域では漁船が一般人を乗せても合法でも、その間に横たわる50海里区域で乗せると「船舶安全法」に触れる可能性があるというのだ。石垣島近海で操業をする、ある漁船の船長が話す。

「尖閣諸島に行くにはヘリも考えられるが、事実上難しい。結局、船で行くしかない。ですが、海保は常にオレたちに『一般人を乗せて尖閣に行ったら、船舶安全法違反だよ』と逮捕をチラつかせてきます。これは怖いよ」

この問題をクリアするには、岸から20海里より離れて一般人を乗せても違法とならない大型クルーザーやヨットに乗るしかない。そこで大型船を所有する船会社にも何社か確認したが、
「ウチは定期航路を持っているので、海上保安庁に目をつけられるようなことには手を貸せない」(ある船会社)
と、すべて空振りだった。

要注意人物には、24時間尾行&監視!

今回、足高氏は記者にこう語った。

「何しろ、毎度、私を尖閣に行かせないための水際作戦がすごい。警察と海上保安庁がタッグを組んで、船自体を出航させないようにしている。私は今回もゲリラ的に西表島から漁船に乗って20海里内を遊覧しましたが、巡視艇が2隻ついてきて、上空には海保のヘリも飛んでいた。監視でしょうな」

実際、石垣島にはほかの政治団体のメンバーも集結していたが、彼らも結局、出航することすらできなかった。

地元のタクシー運転手の話。

「9月頃には民族派の団体が石垣島に来て、同僚運転手が団体の偉い人を乗せたけど『2時間以上、警察らしき車両に追跡された』と言っていた。車を路肩に止めてやり過ごしても、Uターンして戻ってくるってさ(笑)」

このほか、漁船に対する「任意の検査」も行なわれていた。10月8日に尖閣諸島沖へ漁に出かけたというB船長が、静かな怒りをにじませて告白する。

「海保は漁師に対しても『あくまでお願いだけど、尖閣の近くには行かないでほしい』と圧力をかける。私も出航2日前に無意味な船舶検査を受けた。腹が立ったので海がシケた日の夜中に出航して尖閣諸島に近づくと、巡視船が2隻、強烈なサーチライトでずっと照らしてきた。車でいえばハイビームであおられる感じ。カツオの延縄の仕掛けを流してたけど、海保の巡視船『きくち』が接近して非常に危険だったので、仕掛けは途中で回収しました」

その後、B船長が釣り竿で一本釣りを始めると、仕掛けが壊れるほどの大物が入れ食いとなったという。

「いい漁場なんだよ。けど、夜が明けると巡視船からゴムボートを下ろして、3人が船に乗り込んできた。その際、船舶登録証だけでなく、車の運転免許証の提示も求められた。こっちは合法的に漁をしてても、危険行為と営業妨害で圧力をかける。誰だって尖閣には行きたくなくなるよ」(B船長)

記者が石垣島でこうした取材を続ける間も、警察や海保の「見守り」は24時間態勢で続いた。彼らは記者が泊まる宿の駐車場に車を止めて夜を過ごし、朝はホテルのロビーで「おはようございます」とあいさつをしてくる。「足高さんは下のレストランで朝食を取っていますよ」とまで教えてくれた。

石垣港でB船長と待ち合わせるためにホテルからタクシーで移動した際も、車で追尾。レストランで食事を取る間も、見えるところに車を止めて待機。あまりの熱心な仕事ぶりにこちらが申し訳なく思い、夜は一緒に酒を飲んだ(割り勘)が、そのとき、警察は3名、海保は3名の計6名に増えていた。

記者は石垣島を去る直前、尖閣諸島の問題に詳しい石垣市議の仲間均氏(当選5回)にも話を聞いた。

「私は95年から尖閣諸島に13回上陸調査を行なっています。ただし、私に協力した船長は、その後1ヵ月にわたって取り調べを受け、その間、仕事はできませんでした。このように『もう二度と協力したくない』と思うほどのいやがらせをされる。私が最後に上陸したのは05年。07年には尖閣諸島へ1キロの地点で停船命令を受け、連日の取り調べ。それ以降も出航する直前に盾を持った80名の海上保安官に囲まれて出航を阻止されたりしています」

この現状を地元の若者はどう思うのか。話を聞くと、「行ったこともないし関心もない」との答えが大半だった。

記者は組織の論理で動き、業務を忠実にこなす現場の人間にはなんの恨みもない。海保の某職員が、先月、尖閣諸島沖で起きた中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突問題について、
「個人的に中国人船長の釈放に思うところがあっても、それは言えません」
とつぶやいたのも聞いた。

そんな彼ら“公務員”を束ねる日本政府は、「尖閣問題がある」ということ自体を日本国民に晒したくない、というのが本音のようだ。しかし、正確な情報がないままでは、考えることもできないし解決もできない。いつの日にか「日本人が尖閣諸島を間近に見られる日」は来るのだろうか?

(取材・文/畠山理仁)

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