努力が実るまで(2) -悲壮な決意-
テーマ:あすぺさんの生育過程※携帯でご覧の方:4コマ漫画を選択してOKで、拡大されて読みやすくなります
(※この記事は、旧サイトから移行したものです。)
前回の続きです。
さて、子ども会のソフトボールチームで、補欠になって打ちひしがれて家へ帰りました。
父と母が家にいました。私は、事の経緯を話しました。
すると、4コマ漫画のように父も母も、
「練習に休まずに行っていたのに、なんで補欠?」
「どうせ弱小のチームで勝てるわけないんやから、まじめに行っていた者をレギュラーにしたったらええやないか!」
と、『まじめさを評価しないなんて!』という非難を口々に言って怒っていました。
けれど、私はその言葉を聴きながら、こう思ったのです。
おとうちゃんも、おかあちゃんも、考えが甘すぎる…
努力だけしたってあかん。
実力がなければ、何にもならへん。
世の中は、実力がすべてなんや!!
それまでの10年の短い人生経験の中で、努力を認められるという経験はほとんどありませんでした。いつも結果が全てでした。もともと得意だった図画工作以外のことでは、ほめられた事がありませんでした。
そして、このソフトボールの一件で、私は、はっきりと悟ったのです。
世の中は、実力が全てなんだ、と。
それと同時に、父母がこのようなことしかいえない背景についても、哀しく感じていました。
なんで、「今回はあかんかったけど、しっかり練習して次はレギュラーになれるようにがんばろうな!」って、言ってくれへんねんや!私は、「しょせんがんばっても上手になれない」って思ってるから、「まじめ」を理由にした反論しかできへんねんや…
それが、さらに私には哀しく感じました。
よけいに、自分が情けなくて、泣けてきました。
父も母も、私がダメなことを前提にした考えしか持っていない…
おそらく、父も母も私が泣いている理由を、「レギュラーになれなかった」からだと思っていたでしょう。
前回の記事にも書きましたが、
私がショックだったのは、
自分はどれだけ努力をしても、経験のない普通の子以下にしかなれない
ということが、逃れようのない現実なのだと思い知ったからなのです。
それだけに、家で父や母の口から、私はがんばってもだめだということを前提した言葉しか出てこないことは、私をさらに情けない気持ちにしたのです。
けれど、そんな私の気持ちを知らない父と母は、同じ言葉を繰り返して憤慨していました。
努力が評価されるなんて、あるわけがない。
私は、それまでのわずか10年の人生経験で、痛いほどそのことをわかっていました。
世の中は実力が全てなんやっ!!
おとうちゃんも、おかあちゃんも、
誰もあてになんかならへん!
自分が、がんばるしかないんや!!
心の中で、そう強く言い放っていました。
今思えば、このできごとが、その後の私の基礎となる考えを作ったように思います。こうして、私は「世の中は実力が全て」で「自分の道は自分で切り開くしかない」ということを心に強く刻みつけたのでした。
けれど、このできごとで、私のソフトボールへの情熱が失われることはありませんでした。この後、私は人生で初めての「努力は実る」という成功体験へと歩んでいくのです。
次回からは、その歩みを追っていきます。
あすぺさんの悲壮な決意に
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