池田大作の出生: 池田大作は昭和三(一九二八)年一月二日、東京府荏原郡入新井町大字不入斗のしがない海苔製造業者・池田子之吉、妻、一の五男として生まれた。 その年、子之吉は前厄の数え四十一歳であり、池田が親の厄を一生、業に背負わぬよう彼を隣の蒲田町に捨てた。隣人がすぐ拾い届ける手筈だったが、手違いから事情を知らぬ別人が交番に届けたため、子之吉は巡査にさんざん油をしぼられねばならなかった(池田の三兄・小宮開造談、『現代」昭和四十五年二月号)。 子之吉は婚姻届け出の十九日後には長男をもうけるという、ごくこだわらぬ人柄であり、その庶民性はこうした縁起かつぎの面だけでなく、池田の命名にも十分うかがわれる。彼はただ池田が丈夫に育てばとの思いから、いたって無造作に太作と名つ゛けた(タサクでなく、タイサクと読むとの説もある。池田は昭和二十八年十一月、自ら現在の大作に改名した) 池田の家は子之吉の祖父の代から大森で海苔製造に従事し、かなり繁昌した一時期もあった。また、祖先は元禄時代に兵庫から千葉に移住した武士だという口伝えも残っているらしい(央忠邦『池田大作論』)
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