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2010年10月26日 (火曜日)

瓢亭さんと丹波の松茸

今日のお休み(25日)は、新幹線に乗って京都まで出かけてきました。目的は、南禅寺の瓢亭さんです。

でもその前に錦市場に寄って、丹波の松茸と黒豆を買ってきました。

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開いたものとつぼみを一本づつ。今年は松茸が安い、安いと言っても、さすがは日本一のブランドです。2本で22000円もしました。買ったのは松茸専門に扱う松茸問屋です。

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丹波産、黒豆の枝豆ですね。

そして、その後、瓢亭さんへ。でも、予約の時間まで、まだたっぷりあったので、地下鉄の東西線に乗り、東山駅で降りて、ぶらぶらと歩いて行きました。

南禅寺の参門をくぐり瓢亭さんに到着すると、なんと!お正月と同じようにご主人の敬愛する高橋さんが、ちょうどご自宅から出てこられたところに遭遇!!

早速、ごあいさつをさせていただきました。でも今日は、とても大事な出仕事(出張料理)があり、どうしても行かなければならないとの事。あとでスタッフの女性に聞いてみたら、女将さんも長男さんも一緒に行かれたと言っていたので、これは相当重要な出仕事だということがわかる。どこへ行かれたのか聞いても「秘密」としか言わないので、御所に天皇か皇太子でも来てるか、茶道裏千家の総本山の宗家で、お忍びで来日したどこかの国のVIPのお茶会でもあるのかといろいろ想像をめぐらす。

それにしても、やはり普通の料理屋さんとは格がまったく違うことを改めて実感するとともに、顔を覚えていただけるこの身の幸せを感じる。

料理の一部をご紹介します。

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この日いただいた瓢亭さんの鱧と松茸の煮物椀。マグロ節のお出汁なので、吉兆のようにカツオ出汁をガツーン!と利かせて最初のインパクトを狙ったものとはまったく違います。はんなりした上品さを感じるすばらしくバランスの取れたお出汁でした。

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蕪と蒸しアナゴの焚き合わせ。かぶらの焚き加減、味加減が絶妙です。やはり瓢亭さんと言えば、こうしたオーソドックスな煮物の技術の高さ、完成度の高さが、真骨頂なのではないでしょうか。ボクは日本一だと思っています。

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一番うなった料理です。松茸と青菜のお浸し。青菜にからめてあるお出汁は、スダチやカボスやユズの果汁を絞って作った加減酢なのですが、これが超美味。どうしてこれほど絶妙なバランスを生み出せるのか。そして、お出汁の香り、果汁の香りから決して作り置きではない加減酢であることもわかる。よほど舌が訓練されていないとできない仕事なのです。

今回も、美味しい料理の数々をどうもありがとうございました。

帰り際、女性スタッフから、さきほど高橋さんから電話があり、まだ帰れないのでくれぐれもよろしくとのこと。

これを聞き、楽天の野村元監督の本に書いてあった、「人間としての成長なくして、技術の進歩なし」を思い出す。

2010年10月24日 (日曜日)

先週の料理と素材。

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モクズガニ。淡水に住む蟹で、上海蟹とまったく同じ姿をしているが、確か甲羅の突起が一個少ないか多いかの違いがあるから、それを見ればすぐに見分けがつく。北海道産だと言っていた。

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湯がく前にしめているところ。これをしないと足がバラバラに取れてしまうのです。

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大間の本マグロ。まぐろやさんのおかげで、最近は欠かしたことがないほど、常時使っています。

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「銀杏の葛豆腐、イセエビ、松茸」の先付け。

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八寸。イクラ、菊名のお浸し、鯖すしなど。

ちと早いですが、今年の総括。

ミシュランガイドで千ひろさんが昇格したので、結局、今年は二つ星の店のなかでは4件に行ったことになる。

基本的には食事を楽しむために行くのだが、食を生業とした者にとって、やはり一般の人のように心底楽しむということはできない。若いころは、一流店の作る料理にいちいち感動があり、すべてが勉強であったが、この歳になると、もう感動はない。コースの組み立てやその表現方法、味のまとめ方に始まって、店の作り、インテリア、経営の分析までしている自分がいる。トイレに行けば行ったで、自分の店のようにトイレの掃除具合までチェックしているからあきれてしまう。

そうしてみると、料理人になって自分の店を持つということは、人としての楽しみのひとつである「食の楽しみ」を完全に放棄することになる。サッカーが好きで、プロのサッカー選手になってしまうとサッカーが楽しめなくなるのと同じかもしれない。

それと料理を毎日作っているということは、普通の人から見れば、毎日ご馳走を食べているのと同じであるが、そのご馳走も毎日となれば、美味しいとは思わなくなる。それは二つ星の店へ行っても同じであるから、高いお金を出してまで何のために行ってるのかわからないときがある、というのが最近の正直な感想なのである。

それで自分が旨いと感じれるものを作ろうと日夜悪戦苦闘するハメになるのだが、あまり自分に合わせすぎると今度はボクの味覚にお客さんの舌がついてこれなくなり、お客さんからそっぽをむかれることがおきてくる。

野球の監督であれば、落合監督のように記者に向かって、「言ってもわからないだろ。」で済ませれるが、やはりお客さんの舌で理解できない料理では、客離れが起きるから経営上ちとまずいことになる。

このジレンマと戦ってきたのが今年一年といえようか。

2010年10月23日 (土曜日)

採点の秋

いつも思うことだが、人の作った作品に点数をつけることは、じつに大変な仕事だと思う。陸上競技のようにタイムを競ったり、団体スポーツのように点数を競うのであれば、優劣をつけるのは簡単だ。それが芸術や料理のようなものになると人間の五感に訴えるものだから、基準があいまいである。

脚本家の世界では、向田邦子賞がもっとも権威があると聞く。その選考委員をやってらっしゃる大石静さんのプログにも書いてあったのだが、誰かを選ぶということは、誰かを落とすということだから、非常に責任の重い、また精神的にも非常にきつい作業なのだそうだ。これを読んで、まっとうな心を持った人であれば、きっとみなそう思うだろうなと思った。単に批判するということとは、まったく次元の違う話だし、選考することによって人の運命が大きく変わるから、じつに重い作業なのである。

今年も、ミシュランガイド京都、大阪、神戸が発売された。

2010年10月22日 (金曜日)

日本人としての誇り

今日も料理と関係ない話が続きます。すみません。

日本の外交は、「弱腰外交」だとか、「屈辱外交」だと言われることが多い。それはおそらく、当の政治家や官僚たちが日本人としての誇りを持ちえていないからだと思う。

たしかに近代国家を作る過程で、過去には近隣諸国に多大な迷惑をかけた。また、悪さもした。傲慢であったことも否めない。それを反省する気持ちを持つことは、人間としてまっとうなことではあるが、その根底には、やはり日本人としての誇りを持っていなければならない。

1900年代中ごろの時点で、結局アメリカに負けはしたが、真っ向から戦いを挑んだ国が、この地球上、他にあっただろうか。アメリカをやっつけてやろうと思うぐらい「気力」のあった国があっただろうか。日本は人類史上、アメリカに戦いを挑んだただひとつの国なのである。このことひとつだけでも、日本人として大きな誇りを持てるではないか。いい加減「自虐史観」とはおさらばしてほしいと思う。

日本人は、未来に対して細心だ。「いざ、病気になったときのために・・・」と思って、貯金もすれば保険にも加入する。年金をもらえる歳になっても、老後のためにと言って貯金を続け、人生をつつましく生きていく。とにかく、「いざ」のときに備えることが大好きなのだ。

だったら、この際、その延長線上でもいいから、「いざとなったらアメリカでも中国でも叩き潰してやる」という思いをどうしてもてないのであろうか。心の底にそのような思いを秘めているだけで、立ち居振る舞いや顔つきが変わってくるのが人間である。もちろん外交態度も変わるに違いない。

維新の志士たちが、なぜ偉かったかというと、欧米列強の横暴に対して、「恐れ」を持たず、「卑屈」にもならず、かわりに「怒り」を感じたからである。そして、その怒りが発火点となり、近代国家の建設へと驀進していった。

「誇り」をなくした民族は、この世から消滅する。これもまた歴史の鉄則である。

2010年10月20日 (水曜日)

反日デモは北京政府のやらせ?

中国国内で反日デモが相次いでいる。

日本での報道を見ていると、なんか一つ欠けているような、ものごとの表層しか捉えていない気がする。

まずデモというのは、日本でもそうだが、必ず警察の許可がいる。これは中国とて同じで、公安の許可なくしてデモはできないのである。不許可でした場合は、普通はデモと言わず、「暴動」と言う。

だとすれば、明らかに公安の許可があったことになるから、許可さえしなければ、デモの大半は収まる。でも、それをあえて許可しているということは、北京政府の意向と見て、まず間違いない。

その証拠に、愛知県岡崎市の焼肉屋の息子さんが、被害にあった成都のイトーヨーカードの1階で焼肉店をやっているのだが、日本での報道ではまったく語られていないことを言っているので読んでみてほしい。

以下引用。(出典、http://www.9393.co.jp/qinfo/index.html

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186.成都で起きたデモの傍らで

日本で相当報道されたようですので皆さんご存知かと思いますが、
一昨日10月16日に成都でデモが行われて、
地元の日系企業であるイトーヨーカドーや伊勢丹が
壊されたりといった被害がでました。

私も、ヨーカドーの真横と伊勢丹の中に店を構えるものとして
心配で市の中心に出向き様子を見ていました。

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そもそも、今回のデモは
成都に住む我々には事前にわかっていました。
重慶日本領事館や地元日系企業の情報収集の努力のおかげで、
当日の朝までにメールで情報が来ていました。
そこにはこんな風に書かれていました。
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明日の土曜日、成都で反日デモが行われる見通しですので、
以下のとおりご連絡いたします。
・日時 10月16日(土) 14:00~
・場所:成都市中心部(春照路(伊藤洋貨堂前)~天府広場)
・実施者・組織:反日運動を行う学生の模様
(背景の組織など詳細不明)
(公安に対して日ごろから反日デモの申請をする団体。
普段は公安は認めないが今回は認めた)
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実際、街でデモをしている人たちは学生のようでした。
若い、いや正確には幼い顔をした学生もたくさんいました。

見るに8割がたの学生はそのデモの意味をよくわからず、
グループリーダーの言うとおりに声をだしていました。
「いいか、ここでxxxと大きく3回叫んでくれ。
さあ、いまだ・・・。」

そしてまわりの市民も面白おかしく
その“お祭り”に嬉々として参加していました。

デモをしている、そして参加している人たちに
強い思想や信念などない様子でした。

中国国内でも
「中国には人権問題をはじめより深刻な問題が多々あるのに、
そういった国内問題にはデモはいっさい行われず、
こういった国外の問題についてだけデモが行われるのはおかしい。」
という意見を表明する思想家や作家たちもいるようです。
(ネット上のこうした意見はすぐに削除されたようですが。)

私は、韓国人として日本に生まれ、
子供のころは「日本人ではない。」、
韓国留学時代は「俺は韓国では韓国人として扱われない。」
と悩んだ時期もあり、
愛国心とか国家への帰属とかいう属性の問題には興味がないし、
きわめて政治問題について関心がないので、
こういったことがなければこういうことを考えません。
ただ・・・。

「中国の政治問題のスケープゴートに日中関係が利用されて、
市民レベルでの友好関係が崩れるのはとても残念だ。」
と思っています。

幼い顔をした女の子の学生が、
チームリーダーの指示に注意を払う真剣な横顔を見て、
悲しく複雑な気持ちで街をあとにしました。

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これをお読みになって、皆さんはいかが思われますか。

2010年10月17日 (日曜日)

週末の素材

週末に使った素材のご紹介です。

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知多半島のワタリガニ。結構大きいサイズ。名古屋で買えるワタリガニは、九州のものが多いのですが、地の蟹はやはり甘みが違いますね。

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大間の本マグロ。いつもは延縄で捕ったものが多いのですが、これは、“一本釣り”だそうです。

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甘みの強い岐阜県の利平栗。鬼皮をとったところ。このあとさらに包丁でむかなければならないので、栗は非常に手間がかかります。

幻の米、「五郎兵衛米(ごろうべえまい)」

今日、大前研一さんからお米が届いたので、とても驚くとともに感激した。

今年になってから長野県佐久市の浅科で田んぼを300坪(たぶん)ほど借りて、休日を利用してお米作りをされていることは知っていたが、まさか送ってもらえるとは夢にも思っていなかったのだ。

届いたお米は、五郎兵衛米(ごろうべえまい)と言って、江戸時代の初期に武士の市川五郎兵衛さんが資材をなげうって、蓼科山の源泉から用水を引いて水田を開拓したらしい。

食味は、魚沼産コシヒカリを凌ぐとも言われ、生産量が少ないため、市場にほとんど流通せず、「幻の米」と言われています。

早速、晩ごはんのときに店の者皆でいただいた。しかし、われわれは一応プロである。どうせ食べるなら、食味検査をしようということで、店で使っているお米(コシヒカリ)と同時に炊き、食べ比べをした。結果は、魚沼産をしのぐというだけあって、冷めたときの食味から相当上等なお米だということがわかった。

大前さん、貴重なお米を送っていただき、本当にありがとうございました。そして、ごちそうさまでした!!

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箱の中に入っていた絵葉書。

皆さん、絵葉書の下のほうの右隅をよくご覧ください。「小作人、大前研一」とあります。お茶目な大前さんらしいですね。

大前さんは、日本の農業政策について、90年代からあちこちで発表されていますので、日本の農政にかかわっている方は、ぜひとも熟読していただきたいと思います。いま中国や韓国がやっていることを20年も前に日本でもやれと提言されている先見力はホントすごいと改めて思うことでしょう。大前さんのおっしゃることを聞いておけば、日本の食糧問題は、上記の国に一歩も二歩も先んじることができたのにと思うとちょっと悔しいです。

2010年10月16日 (土曜日)

信用にまさる財産はなし

商人にとって、一番大切なものは「信用」である。

それはどうしてかというと、人間の世の中に生きて、本当のところ、お金はそんなにたくさんなくてもよい。お金は生きていくうえで、必要なだけあれば間に合うもので、必要なお金の中には、事業に使うお金も含まれるから、少々のお金ではないが、そのお金すら、信用があれば、即時に集まるものなのである。たとえば、銀行に信用がある人は、億単位のお金であっても、すぐに用立てすることができるであろうし、人間関係において、絶大な信用を積んだ人であれば、お金を出してくれる人に困らないであろう。そうなれば、自分でお金を持っているのとあまり差はない。

かりにそれが全部、自分のお金であったとしても、あの世にまで持ってはいけないので、死ねばこの世においていくことになる。そんなことより、信用ひとつでお金が動くようになれば、財産を持っているのと同じ力を発揮するのだ。

だから、はじめは財産を作る目的で、事業を始めた人でも、ある程度財産があるようになったら、信用のほうを自分の財産より大切にするようになる。なぜなら、信用そのものが、じつは財産であり、金持ちになればなるほど、そのことを痛感するようになるからである。

では、信用を築くにはどうしたらよいのだろう。

それは「約束を守ること」、「律儀であること」、たったこれだけである。

それさえできない者が、どうして成功者になれよう。

「信用にまさる財産はなし。」

これは、お金の神様、邱永漢 さんの言葉である。

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来月の6日、中川区役所で、「地産地消フェアー」があります。

ご当地グルメでまちおこしをしている、あのB級グルメの3団体が特別参加するそうです。

皆様、お誘い合わせの上、ぜひお出かけくださいね。

2010年10月11日 (月曜日)

料理の修業とは、神経を研ぎ澄ますこと。

一流と二流の違いは、「感じる能力」と書いた。

それを料理の修業に当てはめると、「日々の仕事を通して、料理人としての神経を研ぎ澄ますこと。」ということになる。そのためには、自分自身を極限にまで追い込んで、毎日を真剣に生きることが特に重要である。ボヤっとしていては、神経を研ぎ澄ますことなどできない。

しかし、この毎日を真剣に生きることは、できそうでなかなかできない。それまでたるんで生きてきて、完全に習慣にまでなっている生き方を修正するには、将来に対するよほど強い思いがあるか、強靭な意思を持っているか、死ぬような目にあわない限り、生き方はなかなか変わらないのである。

だから、料理修行の第一歩は、そこから始まる。

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松茸炭火焼きです。

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