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紺色のひと

2010/10/24 (Sun)

[][]野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ 22:43 野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ - 紺色のひと を含むブックマーク

全国各地でクマの出没が多発している、とのニュースが流れています。僕の住む北海道でも先日、道東斜里町の市街地に白昼ヒグマが3頭出現し、うち2頭が射殺されたとの報道がありました。本州四国に広く生息しているツキノワグマについても同様のニュースが聞かれます。

山林の奥に生息していたはずのクマが人里に現れ、住民被害を避けるためとは言え駆除される――毎年秋になると聞かれることですが、心が痛みます。特に今年はクマの餌となるドングリ類が凶作で、餌不足に悩まされたクマが人里に下りて来るのでは、と懸念されていることもあり、なんとかしてクマを救いたい、できるなら餌を届けてあげたいとお考えの方は多いと思います。


でも、ちょっと待ってください。飢えたクマに餌を届けることが、本当にクマのためになるのでしょうか?

本エントリでは、クマにドングリ等の餌を届ける活動と、人間と野生生物、ひいては人間と自然との関わり方について、改めて考えてみたいと思います。




さて、先日twitter上で、歌手の宇多田ヒカルさんがとある自然保護団体を紹介したことが話題に上りました。

f:id:Asay:20101024230215j:image:w350

宇多田ヒカル 12:42 PM Oct 19thのtweet


ここで紹介された「日本熊森協会」は、放棄された人工林の再生や、山林を買い取ることによりクマの生息域を保全するトラスト活動などを行っています。餌不足のクマのためにドングリを全国から集め、山林に撒く活動をご存知の方もいらっしゃるでしょう。

ところで、この日本熊森協会(以下「熊森」)の活動内容や自然保護観に対しては、専門家や自然好きの方から反論が挙がっています。かく言う僕も、熊森の活動の一部を素晴らしいと思う反面、どうしても賛同できないと感じる主張も多くありました。特に、代表的な活動である「ドングリを全国から集めてクマに食料を援助する」ことについては、活動の意義・目的よりも問題点が大きいのではないかと考えています。

以下、●ドングリ運びの問題点とは何か ●どのような観点から批判されているか ●熊森の「人間は自然に生かされている」という自然観について僕が思うこと について書きます。



【ドングリ運びの問題点について】

ドングリ運びの目的について、熊森では

豊かな森を再生させるまでの間、山の実りの凶作年に都会のどんぐりを拾い、山間地の地元の方々と協力して食糧が無くて人里に出てこざるをえないクマをはじめとする山の動物たちに届け、人間のところに出てこないようにすることです

日本熊森協会 知らせたい事 > どんぐり運びについて同ウェブ魚拓

としています。

これに対して僕が感じた疑問は、

クマに餌を与えたら、それで問題は解決するのか?

という一言に集約されます。

クマにドングリを運ぶ行為について、いくつか考えてみましょう。


  • 野生動物は、厳しい自然の中で孤独に、しかし強く生きています。クマに餌を運んで“あげる”活動は、自立して生きている命を上から見下ろした、駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?

  • 飢えたクマに餌を与えることで、餌を食べたクマはその冬を生き延びるかもしれません。冬眠の季節を終え、春になるとメスのクマは子供を産み、個体数は増えることでしょう。では、その翌年はどうでしょうか? このやり方を続ける限り、個体数は増え続け、クマは人間の与える餌に依存していることになります。果たしてそれは、自然な状態と言えるでしょうか?

  • 飢えたクマに餌を与えることで、クマは無事冬を越せるかもしれません。でも、お腹をすかせているのはきっとクマだけではないはずです。クマやドングリを餌とする動物だけに餌を与えて、森にすむ他の様々な動物たちを無視するのは、自然保護として不公平ではないでしょうか?

  • 「(ドングリ運びがたとえ)焼け石に水でも、1日1頭のクマを救うために」活動を続けているそうですが、人間が餌をくれることを覚えたクマが「もっと餌をくれ!」と人里に下りてきてしまったら、活動は逆効果になる可能性はないでしょうか?

熊森は、この活動を「ドングリを『運ぶ』」「食料を『届ける』」「クマを『助ける』」という言葉で言い換えているものの、野生動物に対する『餌付け』に他なりません

『自然とは人間が手をつけていないもの』『人間が自分の都合のいいように自然を保護したり管理したりしようとすることは、自然保護ではなく自然に敵対する行為』という考え方を持つ団体が、一方で自然に生きる動物たちに餌付けをしているのは明らかに矛盾で、ダブルスタンダードです。

日本熊森協会 知らせたい事 > 熊森見解同ウェブ魚拓



【その他の批判について】

その他、熊森の活動については、

本来そこに生息していなかったものを移動させることによって生じる遺伝子攪乱外来種の問題や、

保科英人(2004) 野生グマに対する餌付け行為としてのドングリ散布の是非について〜保全生物学的観点から〜(pdf)


人里近くにクマの食べ物を撒く行為そのものの問題や、

楽山舎通信−熊に柿を与えるのは「まちがい」では

楽山舎通信−クマ出没問題


考え方の根底組織としての体制に関わる問題

ならなしとり−これはおかしいよ熊森協会 まとめ

ならなしとり−ここがおかしい熊森協会 暫定的まとめ


など、複数の観点から批判されています。これらはいわれのない非難や誹謗中傷ではなく、熊森の主張や行動に対し、科学的根拠やデータを問うものであると僕は感じます。



【「自然に生かされている」という自然保護観について】

熊森では、団体の基本的な考え方として、

《自然とは》

(前略)刻一刻と変遷し続けていくもの。それが自然です。自然とは人間が手をつけていないものです。この自然の大きな流れの中で、生かされているのが私たち人間なのです。

《自然を守るとは》

(前略)人間による自然の利用を必要最低限にとどめ、それ以外の部分は手付かずで残す、それが私たちの祖先が実践してきた最良かつ唯一の方法です。一度バランスが崩れた自然を元に戻すには、自然の力に任せるしかありません。人間が自分の都合のいいように自然を保護したり管理したりしようとすることは、自然保護ではなく自然に敵対する行為です。

日本熊森協会 知らせたい事 > 熊森見解同ウェブ魚拓)より引用

と掲げています。

ところで僕は、「自然保護や環境保全は『人間のため』である」と割り切って考えるようにしています。これは引用した熊森の考え方と大きく異なるものであり、そして非常に傲慢な考え方です。僕の考えを以下にまとめます。


「自然との共生」「地球との共存」などという言葉があちこちで聞かれるようになりました。僕は、共生や共存という言葉は、傲慢でおこがましいものであると強く感じています。クマが他の生物――ドングリや、ヒグマならサケなどを――食べて生きてゆかなければならないのと同様に、人間だって他の生物なしでは生きてゆけません。だからこそ、他の生物の中で生きてゆかなければいけないからこそ、駆除や射殺などの残酷で傲慢な手段も含めて、必死で関係性を構築しようと努力せざるを得ないのです。

人間は知識と道具を持ち、地球に生きる生物「ヒト」という種として、他の種よりも明らかに繁栄しています。だから傲慢になってもよい、というのではありません。自らの力が強大であることを自覚した上で、頭数管理や生息環境保全など、他の種に干渉して、どちらも生き延びるための手段を取らなければならないのではないでしょうか。

環境省の「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」、通称「種の保存法」の第1条にはこんな文面があります。

この法律は、野生動植物が、生態系の重要な構成要素であるだけでなく、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのできないものであることにかんがみ、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存を図ることにより良好な自然環境を保全し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。

絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律 第一章 総則

自然保護は人間サマのため、と読めますよね。上等だ、と僕は言いたいのです。アリが生きるためにアブラムシの世話をするように、ヒトは、他の生物種がいなければ生きてゆけないからこそ、自分たちが環境に与える影響を少なく、なるべく自分たちが生きやすいように、エゴイスティックに恐る恐る生きているのだと僕は考えています。


「自然のためには人間がいなくなればいい」と考えたことのある方は少なくないでしょう。でも、自然や地球のために自分たちの種を絶滅させることは、ひとつの命としてあってはならないことです。自然の力がどんなに強く大きくても、自然に人間が生かされているのではありません。自然の中で、僕たちは生き延びているのです。



【きれいでわかりやすい言葉に惑わされず、考えること】

「かわいそうな動物を助けよう!」と思ったときに、あなたが考えるべきことは「エサをあげなきゃ!」でしょうか? 「かわいそうな動物を助けるために自分に何ができるか、何をしないほうがいいのか調べてみよう」と考えたら、様々な手段があることに気づくのではないでしょうか。かわいいと感じたあなたにこそ、考えて欲しいことがあります。

クマの問題に関わらず、様々な環境問題は、要因が複雑で原因と結果がはっきりしないことが多く、なかなか理解することが難しいものです。「お腹を空かせた森のクマさんにご飯を届ける」という活動は実にわかりやすいものです。そして、そのわかりやすさは、「本当にこれでいいのか?」と考える機会を失わせる危険を内包しています。けれど、複雑な系に「これさえやれば問題なし!」なんて一発解決の妙手は存在しません。

自分が自然に、野生動物に、クマに対して何ができるか。そして何をしたいのか。「自分にできることから始めるよ」と、問題点が指摘されているドングリ運びに協力するのも、クマの生息場をつくり、人間生活への影響を軽減するためにできることを考え直すのも、あなたにしかできないことです。

生態学的視点からのクマ対策としては、環境省や富山県などが体系立てた計画を立案しています。これらを熊森の手法の代案として挙げるのは可能ですが、「何とかしたい」と考えているあなたの価値観の代案を挙げることは僕にはできません。僕が考えていることは本エントリで述べた通りです。自分がクマに対して、そして野生動物に、環境に対してどのような自然観で接しているのか、改めて考え直してみるきっかけになることを切に望みます。


最後になりますが、僕は日本の自然が大好きです。もしあなたが、よりよい環境を守りたい、次の世代へと遺したいと考えているのなら、僕とあなたは志を同じくする同志であるはずです。手段は様々ですが、「何ができるか」という強い願いが、願わくば未来に形になりますように。


ちなみに、冒頭で紹介した宇多田ヒカルさんは、その後「興味がある人は、まず自分で調べて、自分の意見と合うところを探すのがいいと思うよ!同じ目的でもみんなやり方が違うからね」とつぶやいていました。僕も同じ考えです。きれいでわかりやすい言葉に惑わされないように考えて、自分の自然観に合った活動に取り組むことが大切だと思います。

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宇多田ヒカル 2:38 PM Oct 21stのtweet


【参考資料】

環境省−クマ類出没対応マニュアル−クマが山から下りてくる−

環境省−小中学生向け冊子「クマに注意!−思わぬ事故をさけよう−

富山県−ツキノワグマ保護管理計画

知床財団−お騒がせの斜里市街地ヒグマ出没

エゾリスの会 非公式ブログ!−おすすめしません野生動物への餌付け

厚岸水鳥観察館−餌付け・給餌活動の問題点の整理

Togetter−日本熊森協会への簡潔な反論

日本熊森協会


【おすすめの書籍】

動物たちの反乱 (PHPサイエンス・ワールド新書)

動物たちの反乱 (PHPサイエンス・ワールド新書)

梨 2010/10/24 23:45 ソフトでいい内容だと思います。老婆心ながら言うと、熊森相手のときはweb魚拓をとった方がいいです。いつリンク切れになるかわかりませんし。
あと贅沢を言わせてもらえば、参考資料は理解、判断に知識を要するものが多いので、獣害問題の入門書を紹介された方がよろしいかと。
僕のお薦めですと、「ワイルドライフマネジメント入門」三浦慎吾著か「動物たちの反乱」河合雅雄、林良博編著あたりです。

AsayAsay 2010/10/25 00:29 >梨 さん
コメントありがとうございます。エントリは大いに参照させていただきました。宇多田さんのつぶやきをRTした方に読んで欲しいと思って書きました。生態学的なツッコミは、文中で紹介したものを中心に話が進めばいいなと思っています。
魚拓のアドバイス・参考書籍についてもありがとうございます。手に入り易いであろうPHP新書のほうをおすすめ書籍として挿入しました。

uncorrelateduncorrelated 2010/10/25 02:29 保護しないと絶滅の恐れがある動物であると思いますが、効果的で、維持可能で、環境に悪影響の無い方法を模索して欲しいですね。
批判を受けても方法を改善したり、効果を測定する気配さえないので、自己満足だけのカルトになっているのが気になります。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/10/25 13:39 先日、氏子の家三軒の子達が、熊を見たと言って泣きついてきたので、森の奥に誘導するためにドングリを撒いてきました。ドングリや地面に人間の臭いを残さないように注意を払いました。

ウィキペディアの餌付けの記事内に、熊の餌付けによる死亡事故が紹介されていますね。写真家の星野道夫さんの悲劇です。普通の人が無思慮に餌付けしていると、無関係な人からも熊が餌を奪おうとして、悲劇が生まれる可能性があります。

熊は人間が怖いから、恐怖の対象を取り除こうと襲ってくる場合が多いんですよね。自分が殺される前に人間を殺さなければならないって思うところまで心理的に追い込んでしまうのは、最悪のケースです。みんな不用意にこの状態を作って、噛まれたりしてるんですよ。怖がらせないように熊と挨拶して接するコツを知っていれば、初対面でもかなり接近してゆっくり観察できますよ。ただし、これにはエンパシー能力を求められます。

pacmanpacman 2010/10/25 20:37 えづけに問題があることぐらい、みんな知っていますよ。だから、「凶作の年だけ」と限定しているのに。

それをいつのまにか「毎年やる」というふうに話をすり替えるのは、論理が狂っています。

人間で言えば、「飢えた人に食事をあげましょう」という提案に、「満腹した人にまで食事をあげるのはけしからん」と批判するようなものです。論理が滅茶苦茶です。

pacmanpacman 2010/10/25 20:44  ついでですけど、今年が特別凶作なのは、異常気象のせいです。その理由は温暖化です。
 人間が勝手に気象を変えて、凶作にして、熊を飢えさせているのです。それでいて、知らぬ顔の半兵衛で、自分はクーラーを効かせた部屋で涼しい顔ですか。
 なるほどね。
 人間が生態系保護で熊を救うのはいけないが、人間が生態系を変えて熊を殺すのは構わないというわけですか。熊だけ救うのが不公平だというのなら、あらゆる動物を皆殺しにすれば満足なのでしょうね。

pacmanpacman 2010/10/25 20:48  立場はご自由ですから、何を言ってもいいけれど、

> 駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?

 というのは、論理矛盾ですよ。熊の場合は、えづけをしない場合、人間が銃殺するのです。駆除や殺処分をするのです。えづけがいやなら、人里に降りた熊を駆除や殺処分するしかないのです。

 えづけという傲慢な行為をやめて、駆除や殺処分という傲慢な行為をすればいい、というのでは論理矛盾です。自家撞着。

AsayAsay 2010/10/26 00:20 > uncorrelatedさん
こんにちは、コメントありがとうございます。仰るとおり、双方により良い解決策を模索していきたいですね。専門家の方も日々頑張っておいでだと思います。
この問題に限らないことではありますが、議論するにあたっては、相手が自分と異なる考えを持つということをまず認める必要があります。そのスタートラインに立たない限り、批判を非難は中傷と受け取ったり、相手に自らの考えの正当性を訴えるためのデータ取得を怠ったりしかねず、最終的に信念や思い込みだけで話を進めてしまう可能性があります。そういう意図を込めて、具体的な手法批判ではなく、まず考え方の違いを強調してみたつもりです。

AsayAsay 2010/10/26 00:20 >mayumi_charronさん
こんにちは、コメントありがとうございます。
今後も子供たちに怪我がないことをお祈りします。

AsayAsay 2010/10/26 00:28 > pacmanさん
コメントありがとうございます。一点ずつお答えします。

>>えづけに問題があることぐらい、みんな知っていますよ。
活動内容が餌付けと同等であること、内容に問題があることを自覚しながらも、あえて行うという意味でしょうか? 本エントリで取り上げた生態学的に大きなデメリットを含め、なお行っているという意味で仰っているならば、その姿勢を僕は改めて批判致します。
野生動物への餌付けはデメリットが非常に大きく、またクマへのドングリ運びについては効果があるかどうかも不明瞭です。にも関わらず行うとは、どのような根拠に基づくものでしょうか? 熊森の会長さまは、マザー・テレサの「愛は、言葉ではなく行動である」との言葉がお好きなようですが、ドングリ運び行為そのものに陶酔している自己愛のみの行動に、僕は野生動物への愛など感じることができません。
また、僕は「このやり方を継続する限り」と手法そのものに疑問を呈しており、「(餌付けを)毎年やる」などとは述べておりません。仮に餌付け行為が凶作年に限定されるにしろ、今年死ななかったクマが来年度以降も生残し、個体群全体の餌環境に影響を与えることは想像に難くありません。

ところで、みんな、とはどちらの皆様のことでしょうか? pacmanさんは熊森の関係者でいらっしゃいますか?


>>今年が特別凶作なのは、異常気象のせいです。その理由は温暖化です。
>>人間が勝手に気象を変えて、凶作にして、熊を飢えさせているのです。
この記述は、どのような根拠に基づくものでしょうか? ドングリの豊凶が当年夏季の気温・気象に影響される、という主張であれば納得できるのですが、個別の気象と温暖化との関連や、温暖化における人間活動の影響はまた別の話です。あたかも人間が意図的に温暖化を引き起こし、ドングリを不良にしてクマを飢えさせているというのは「人間活動が悪」と決め付ける印象操作ではありませんか?

>>人間が生態系保護で熊を救うのはいけないが、人間が生態系を変えて熊を殺すのは構わないというわけですか。>>熊だけ救うのが不公平だというのなら、あらゆる動物を皆殺しにすれば満足なのでしょうね。
繰り返しになりますが、僕はエントリ中で「人間が生態系を変えて熊を殺すのは構わない」「あらゆる動物を皆殺しにすれば満足」などとは述べておりません。むしろ、クマのみならず他の動植物が生存可能な環境づくりにこそ力を入れるべきと考えております。クマも他の生物なしに生きていくことはできないと僕は考えますが、それほどまでにクマ(あるいはドングリを食べる動物)に拘って保全対象とする根拠は何なのでしょうか?

なお、僕は北海道在住ですので、本夏はクーラーを使用しておりません。決め付けはご勘弁願います。


>>> 駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?
>>というのは、論理矛盾ですよ。熊の場合は、えづけをしない場合、人間が銃殺するのです。駆除や殺処分をするのです。えづけがいやなら、人里に降りた熊を駆除や殺処分するしかないのです。
>>えづけという傲慢な行為をやめて、駆除や殺処分という傲慢な行為をすればいい、というのでは論理矛盾です。自家撞着。

当該箇所の主張を繰り返しますが、
>人間が自分の都合のいいように自然を保護したり管理したりしようとすることは、自然保護ではなく自然に敵対する行為です
と言っている団体が、明らかに野生動物への干渉行為である「餌付け」を行うの矛盾・ダブルスタンダードである、との指摘をしました。
仰るとおり、駆除や殺処分は一種傲慢な行為ですが、それと同様の餌付けを行っているという自覚のあるpacmanさんは、その矛盾をどうお考えなのですか?
また、クマの出没に対する対策手段は餌付けか殺処分かの二択ではありません。「殺したくないのであれば餌付けをしろ」と言わんばかりの主張には賛同しかねます。【参考資料】のリンクにおける斜里町の事例などをご覧ください。

以上です。

tarotaro 2010/10/26 03:16 はじめまして、興味があったので私も少し書かせて下さい。
私も凶作の年だけだとしても、餌やり絶対してはいけない行為だと思います。
自然界は凶作、豊作で個体数の調整がされています。
どんぐりを食べるのは何も熊だけではありません。
熊には少量の餌でもネズミ等の小動物には大量の餌です。
安易な餌やりは本来増えるはずの無かったネズミ等の数も増やしてしまい、
一部の動物を保護する行為が、生態系のバランスを崩す行為になりかねません。

AsayAsay 2010/10/26 08:04 >taro さん
こんにちは、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、外部から餌を持ち込んでも、意図する動物に届くかは不明ですよね。熊森は批判されている理由のひとつに、「追跡調査の結果、(ドングリを)食べていることがわかりました」と書きながら、根拠となるデータを示さないことがあります。カメラを設置して餌に接近する動物をモニタリングする等、利用の有無を調査する手法はいくつかあると思いますが、webサイトに「食べていることがわかりました」と書かれているだけでは調査をしているかどうかも怪しいと思われても仕方がありません。
また、ネズミのお話にもあるように、動物がこちらの意図通りに利用してくれるとは限りません。「一部の動物を」「餌付けにより保全しよう」とする活動内容の是非に加え、その検証すら怠っているようでは、到底納得できないな、と感じます。

pacmanpacman 2010/10/26 12:42 > あたかも人間が意図的に温暖化を引き起こし、ドングリを不良にしてクマを飢えさせているというのは「人間活動が悪」と決め付ける印象操作ではありませんか?

 「意図的」というのは正しくない(誤算である)けれど、他は正しい。つまり、こうです。

「人間が温暖化を引き起こし、かつてない高温を引き起こして、ドングリを不良にしてクマを飢えさせている」

 これは事実です。この事実を認識できないのですか? 

> 「人間活動が悪」と決め付ける

 人間活動には悪も善も含まれます。人間活動には悪が一つもないと信じているのですか? 熊を飢え死にさせるほどの環境破壊をしておきながら、反省力がゼロなのですか? 

> 印象操作ではありませんか?

 ただの事実です。今年の異常な高温が地球温暖化と関連があることははっきりしています。炭酸ガスが理由だとは言えないが、人間活動(自然破壊を含む)が影響していることは明白です。
 熊が飢え死にしているのは、人間が自然破壊を通じて、あちこちの種を絶滅させていることの一つに過ぎません。人間活動のせいで、熊だけでなく、さまざまな種が絶滅していきます。それを保護しようというのが、多様性重視の発想です。
 さまざまな種を絶滅させていく人間活動があるのに、「自然の調和だから人間が手出しをしてはいけない」というのは、あまりにも偏った見方です。
 そちらの発想は、「自然破壊をする人間活動は容認するが、自然破壊を止める人間活動は容認できない」というものです。ひどく偏っています。

pacmanpacman 2010/10/26 12:58 > それほどまでにクマ(あるいはドングリを食べる動物)に拘って保全対象とする根拠は何なのでしょうか?

 冗談を言っているのですか? まさかこの問題のテーマがわかっていないのでしょうか? テーマもわからずに論じているのでしょうか? 

 テーマがわかっていない人のために書くと、こうです。

 「熊の場合には、人間が放置せず、銃殺する。何も介入しないのではなく、銃殺という介入をする。銃殺するくらいなら、凶作年に限って、ドングリを与える方がマシだ」

 ついでですが、次のように主張している人は、たぶんいないはずです。
 「毎年毎年、熊に餌付けしよう」
 誰もそんなことは言っていないのに、それについて反論しているのが、そちらです。

梨 2010/10/26 14:05 pacmanさん
最初に言っておくと、僕はAsayさんほどやさしくは無いです。

>ただの事実です。今年の異常な高温が地球温暖化と関連があることははっきりしています。炭酸ガスが理由だとは言えないが、人間活動(自然破壊を含む)が影響していることは明白です。

炭酸ガスが理由といえないのに地球温暖化と関連があるのははっきりしているってどんな論理矛盾ですか?そもそも地球温暖化の原因としてあげられているのが炭酸ガス(温室効果ガス)なのに、そことの関係がはっきりしないのに結果である温暖化との関連は明白ってどういう理屈なんですか?

> 「毎年毎年、熊に餌付けしよう」
 誰もそんなことは言っていないのに、それについて反論しているのが、そちらです。

批判したいなら相手の文章のどこがそれに当たるのかくらい引用しましょうね。僕はAsayさんの文章を読んだのですが、そのような個所は見いだせませんでした。
藁人形はやめましょうね。で、藁人形と言われたくなかったら相手の文章の該当箇所の引用くらいしてください。

pacmanpacman 2010/10/26 14:41
地球温暖化については、「原因は科学的には不明」とされています。一方、人類の文明発達に連れて温暖化が急速に進んでいることは観測されています。
「原因が判明していないからその事実はなかったことにする」というのは、全知全能だと自惚れる思い上がりです。
温暖化の話は本筋ではないので、詳しくは割愛します。

毎年毎年の件は、下記の文章です。

> では、その翌年はどうでしょうか? このやり方を続ける限り、個体数は増え続け、クマは人間の与える餌に依存していることになります。

 「このやり方を続ける」と書いてあるでしょう。その認識が誤り。正しくはこうです。

 「このやり方を取るのは、史上最悪の高温な夏があった今年限りのことである。翌年以降は何もしない。ゆえに翌年以降は、個体数は増え続けることはないし、クマは人間の与える餌に依存することにはなりません」

 このように書いていれば、私は反論しません。

 なお、問題の根源は、人間が針葉樹林を増やし、広葉樹林を伐採して、ドングリをなくしてしまったことです。全国の至るところで見られます。
 ドングリを減らすという自然介入はいくらでもやり放題なのに、ドングリを増やすという自然介入はただの一回でもやってはいけない、という二重基準が問題となっています。
 本論の主張は、自然破壊のための介入はやってもいいが、自然破壊の被害を減らすための介入をしてはいけない、という二重基準です。壊す介入はしてもいいが、壊さない介入をしてはいけない、という二重基準です。

 なお、人間が広葉樹林の破壊をしないで、自然には何も介入しないというのであれば、私は反論しません。実はそれが理想です。北海道の広大な森林を広範に破壊しないというのであれば、それこそがすばらしい。だから私としては、「自然には何も介入するな」と主張したい。
 しかるに、現実には、人間は大量の自然破壊をなしてしまった。そのあとでどうするかという問題です。すでになした自然破壊について知らぬ顔の半兵衛でいるかどうか、ということ。