福島県西会津町でクマを射殺した・・・・・・・
福島県西会津町に出没していた子連れのクマが、また出たとの通報を受けて町と猟友会は、3頭の内、2頭を射殺したと発表した。牝熊1頭と生後3ヶ月ほどの小熊1頭の2頭で、残りの小熊は逃げたらしい。
さて、数日前にもこのアニマルアタックについて、私見を述べたが、これは、小さな事件だが、実は自然に於ける人間の関わりと言う面から見ると、大変に大きな問題を孕んでいる。
町役場は、その結果について「可哀相だが、町民の安全確保に於いてばん止む終えない処置であった、ご理解をいただきたい。」と発表している。
更に、数日前に出没した子連れのクマとは別の固体であるとも発言している。
今年は、猛暑の影響で、クマの生息域でのえさ不足の問題で、人間の生活域にクマがえさを求めて出没していると専門家が言及している。更に、昨年度はえさが豊富で、クマそのものも、その数を増やしており、結果、えさ不足は深刻な状態であるとも言う。
大型のオス熊などの出没が確認されておらず、恐らくは生活域を終われる形で弱い固体である子連れであるとか、若いクマが人間の生活域まで追われたと言うのが現実的な見方であろう。
さて、福島県西会津町のこの処置は、本当に正しいのか?少し、私見を交えて検討してみたいと思っている。
人間社会の安全を守ると言う点から見れば、クマなどの猛獣を人間の生活域から排除するのは、一見正しい判断と考えられるのだが、この排除方法が問題である。
排除即ち駆除では、自然に対して、我々人間のとる態度としては、甚だ不遜ではないかと言う事である。
確かにその地域に住む、人間にとって、その出没は、大きなリスクを伴う危険である事は理解できる。しかし、よくよく考えてもらいた。
クマなどが出没しない大都会の住民である小生たちもまた、大きなリスクを甘受した上で生活している。そのリスクは、クマの出没より遥かに深刻なリスクである場合が多い、交通事故による被害、治安問題など、地方都市から比較すれば遥かに高い水準であり、その被害を受ける危険性もまた、非常に高いと言わざるを得ない。排気ガスに見舞われる生活、騒音と人ごみに塗れた生活など、リスクを上げれば枚挙に暇が無いのが実情である。それでも都会に住み続ける背景には、生活の為の経済基盤の充実や利便性の高い生活などがあり、都会から離れられないと言う実情がそうさせている。
しかし、地方都市の場合、それらのリスクとは別に、先に上げたアニマルアタックなど自然からの脅威がなどの他に、インフラの整備が遅れている事などからの利便性が低い事や、雇用市場が小さく、経済的な生活の安定が図れないと言うリスクが付きまとう、逆に、綺麗な空気や豊かな自然環境など、都会では受けられない恩恵もまた受けている。
都会のリスクは、そう簡単には排除も回避も難しい、その為に、都会に生活する人々は、それらのリスクを感受することで生活を続ける事になる。こおリスクを否定する人は、都会に住む資格が無いと言っても過言でない。
小生は、生まれてから、都会以外で生活した事がない、つまり生まれながら都会のリスクを受け続けて生活している。小生は、生まれ育った町がそのまま都会である訳で、小生と同様な人は、少なからず存在する。転居したくても、郷里そのものが無いのだ。逃げられないのであれば、そのリスクを自らの自己責任に於いて改善する努力を続けるしか方法論を持たない。都や政府に車の交通量を減らせと運動してみても適うものではないし、犯罪を減らせと言っても、これもまず無理である。自ら、その危険性の高い地域に立ち入らないとか、あるいは立ち入っても気を許さないと言う方法が唯一の対抗手段である。
つまり、危険性の根源は違っても都市部もまた地方も同様にリスクは付いて回ると言う事である。
それを、人間の都合で一方的に排除、即ち駆除では、短絡が過ぎて話しにならない。自然が近い利点と引き換えに、それらのリスクは存在し、それをただ排除すると言う人間社会のみの安全確保では、自然の方がいつか息を止めてしまうのである。
日本黒クマ(ツキノワグマ)の生息数は、多く見積もっても2万頭、一部の専門家によれば1万頭を少し超える程度であり、絶滅が常に危惧される哺乳類であると聞く、現実に絶滅危惧種に指定されている。
今年は、先の状況からクマの出没が多く、結果2千頭を超えるクマを既に駆除している。生息数を最大に見積もっても10%以上のクマを駆除した事になる、もし予想生息数の最低基準である、1万頭としれば、なんと20%以上も駆除した事になる。
人間の安全と絶滅が危惧される動物の保護を鑑みれば、この数が如何に異常であるかが理解できると思う。
まず駆除ありきの方法を考え直さ無ければ、早晩、クマは絶滅するかもしれない。
しかも子連れのクマを駆除する態度は、人間として如何なものか、大変に疑問である。
生息域に対してクマが増えているとするならば、山に分け入って、大きなオス熊を駆除する事でえさ不足や生息域の縮小が図れる、しかし、安易に弱い固体を駆除し続ける現在の方法論は、乱暴であるとしか言えない。
人間が生きて行くにも色々とリスクがあり、それを人間側からのみ、見るのでは、何時までたっても自然との共存など出来ない事になる。結果、人間の都合の良い自然を人間の手で作り上げてきたのが、今までの姿であり、これがどれだけの自然破壊を生んだのか、今更、書生が述べなくとも誰でも理解していると考えている。
年間に4万種にも及ぶ動植物が絶命していると言う、その殆どが、人間が原因を作っていると言われている。その結果、我々人間にその影響が強く現れているではないか、温暖化や砂漠化などが代表的に挙げられている。
福島県西会津町もまた、そう少し自然に対する配慮をすべきだし、人間として、恥を知っていれば、この様な結論を導く事は無かったと思っている。つまり、自然に対する恥知らずと言う意味である。
反論もあろうかと思うが、そろそろ人間から見た自然保護に矛盾を考えるべき時と思うのだが、違うだろうか?? |
公平さん
人の傲慢さ今日は、ちょっと頭がかっか!
麻酔銃をうってからどこかに移動とか、
アメリカでしているように(日本でもあるようですが)
ベアドッグを連れて自警団をつくり、リスク軽減につとめるとか、
いろいろな手段を考えることができるのに
安易に殺害してしまう。。。。悲しいです。
2010/10/24(日) 午後 0:39
田中OJさん、コメントありがとう。
リスク回避がクマの命を召し上げるなど、暴挙以外の何者でもない。況や生後3ヶ月の仔グマまで殺すとは、あり得ない事です。残されて山に逃げた仔グマ1頭、野生の世界では生き残れないでしょう。つまり2頭の仔グマを殺したと言う事になります。いい加減に値を覚まして欲しいものです。
2010/10/24(日) 午後 4:05
kou**iron0*1さんお久しぶりです。問題は、アニマルアタックの原因が何処にあるかという洞察力等でしょう。
ダム・ゴルフ場等の傲慢な乱開発によって動物の領域を侵略して、大儲けしてきた都会のゼネコン・大手商社等。
地方と都会のリスクを論じるのであれば、そうした事も加味すべきでしょう。
つまり、都会のゼネコン・大手商社等のおこぼれの小銭を稼いできた地方同様に、開発後のリスクを都会側も負うべきだという事です。(都会側の乱開発のリスクを都会側の自己責任に於いて改善する努力をすべきという事)
都会側が全く責任を果たさず、地方のリスクだと切り捨てるのであれば、無責任としか言いようがありません。
もうひとつの問題点は、クマ・サル等によって、果樹・飼料作物の農産物等に被害を出している事です。
農産物の安定供給がなされなくなるというリスクを都会側が、甘受する覚悟や準備があるのか?という事です。何事も他人事のように振舞う傾向にあるニホンの倨傲な人間社会において、到底覚悟や準備があるとは思えません。
そういうことからも動物よる被害は、地方だけのリスクではないという認識が必要でしょう
2010/10/26(火) 午前 6:03