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北風さんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月25日(月)17時47分38秒
返信・引用  編集済
  仰有ることは分からないではありませんが、もし読むのが不愉快であればどうかこのBBSを「お気に入り」から削除して下さい、お気に召さないのですから。

今やこのBBSは個人が趣味的に運営している気儘なBBSに過ぎません。議論や主張はどうぞ他の場所で展開して下さい。前にも書きましたが「一言居士」、「ご意見番」はこのBBSには無用なのです。下のようなことを書き、私が削除したりアクセス禁止にしたり(事実は私の過失でしたが)すると、関係のない方の掲示板で騒ぎ立てる。これでは全く或る種の「言論封殺」です。いつものように自由自在にテーマを選び、筆を運ぶということが出来なくなっている自分に気付かされて愕然としました。

私は極めて神経質で気が弱い、そして身体的には心臓の弱い一人の老い耄れです。細々と歴史の研究をやり遂げたい、それから一歩でも自分を良質な人間に高めて死にたいとしているか弱い人間に過ぎません。残された時間は決して多くはありません。その僅かな時間の平安を掻き乱し、そして苦痛に満ちた時間を増やすのはどうかもうお止め下さい。先刻眠ろうとした時、動悸が激しくなかなか寝付けなかった、北風さんは明確に物理的に私の生命に影響を加えておりなさるのです。

この世に鳩山批判や小沢批判を取り上げて居るサイトは幾つもあります。どうかそちらへ足を運んで、議論が好きで打たれ強い猛者達と論戦を交わして下さい。半分棺桶に足を突っ込んだ老人を苛めるのは、もうこの辺でお止め下さい・・・!
 

削除されてもかまいません。

 投稿者:北風  投稿日:2010年10月25日(月)15時23分26秒
返信・引用
  しかし、少なくとも「悪意に発する投稿とアダルト関係の投稿」でもありませんから、削除基準を追加しなくてはならないでしょう。

そういえば、菅は先の参議院選挙を「菅内閣の信任投票である」といっていましたね。
それならば、参院選の惨敗は国民から「不信任」を突きつけられたことになるのに居座った。元総理大臣とはいえ一代議士の「居座り」とは比較にならない「居座り」だけれども、新聞は一言も書かない。
菅がいかに、都合のいい首相かということでしょう。
それが、誰にとって都合がいいのかということですが、少なくとも国民にとってではないことは間違いがない。
 

やはり、一言。

 投稿者:北風  投稿日:2010年10月25日(月)14時17分12秒
返信・引用
  リベルさんは、率直に言って、おっしゃることがダブルスタンダードである。

リベルさんは「前言を翻す」ことに「嫌悪感」を抱くとおっしゃる。しかし、それならば、なぜ菅直人に「嫌悪感」を催さないのか。菅のブレは鳩山どころではない。少なくとも、鳩山にはマニフェストを守ろうとした意思はあった。しかし、菅にはまったくない。選挙の公約を「前言」とすれば、政治家としてこれ以上の「前言を翻」すことはない。
つまり、リベルさんは、同じ「前言を翻」しても、「鳩山」ならNOで菅ならOKということになる。
リベルさんが、個人的に菅のような男に好意を持つと思えないから、「菅的」な現在の政府はOKで、鳩山・小沢的な民主党に対してNOということが、このお話の帰結ではないか。
それは現在のマスコミ論調と正確に一致する。

そして、現在の新聞がジャーナリズムの名に値せず、プロパガンダ機関に成り下がっていることに人々は気づき始めている。問題は、新聞が、何のための誰のためのプロパガンダ機関かということである。

ひとつだけはっきりしているのは、国民のためのものでないことだけは疑う余地がない。

>もし憎悪を募らせても構わないよというお方はこちらをどうぞ・・・(>_<)

これは、朝日新聞や産経新聞への「憎悪」の意味ですよね。
 

恐れ入りました、鳩山さん・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月25日(月)13時14分54秒
返信・引用  編集済
  今日の各紙が一斉に報じていますが、鳩山さんがやはり辞めるの止しましたと仰有っているそうです。このフニャフニャした言辞は既に普天間問題でも国民は存分に耳にしましたので今更驚くことは無いのですが、人間的な嫌悪感を誘われるのには参ってしまいます。

「綸言汗の如し」とか「武士に二言はない」などと昔から教えられてきました。そうそう「嘘つきは泥棒の始まり」なんてのも叩き込まれた言葉です。まあ鳩山さんは天子でも君子でも武士でもない、ただの「ええしのぼんぼん」ですからそれでよいのでしょうけれど、子供達に与える影響を考えるとゾツとします。「総理大臣やった人だって舌の根も乾かないうちに前言を翻すんだから、僕だってあたしだって翻して良いでしょ!」なんて気分がジワジワと子供の心に住み着いていくのですよ。何をやっても良いでしょうけど他の人や子供達に悪い影響を与えることはどうか自粛して頂きたいですね。

もし憎悪を募らせても構わないよというお方はこちらをどうぞ・・・(>_<)


話は違いますがこちらは何か良いムードで・・・今年はヒョッとしたら口に入るかも・・・♪♪♪
 

辻井伸行 ショパンへの旅路

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月24日(日)02時50分42秒
返信・引用  編集済
  昨日この番組を視ていました。地中海のマヨルカ海岸の崖の上に辻井さんが立って海を眺めます。おふくろさんが付き添っていて空の色、海が青いこと、少し波が立っていることなどを話します。
恐らく聴覚・嗅覚・触覚(風が当たりますから)だけでは分からない部分を選んで、経験を踏まえた独特の選択で補助をなさるのだろうなあと耳を欹てていました。

そうすると一瞬辻井さん自身になった錯覚を感じました。風の音波の音海鳥の鳴き声潮の香風の感触、それを補うおふくろさんの短い言葉

ああ辻井さんは今幸せだろうな」そう感じさせる映像を提供してくれたNHKに感謝・・・。


マヨルカの海
 

日本人がパセリを食べない理由

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月24日(日)02時21分46秒
返信・引用  編集済
  かく申す私自身が洋食などの付け合わせのパセリを食べるようになったのは50歳台のしかも後半だったような気がします。或る同僚が食堂で飯を食っている時だったかに「カレーライスの福神漬け」、「刺身の妻」、「寿司のガリ」、「ステーキのクレソン」などの「付け合わせ」というのは実は栄養学的にしっかりした根拠があるものであって、単なるお飾りではないんだから必ず食べるべきだというようなことを、至極説得力のある口調で説きました。どういう訳か以後彼の言うとおり実践しています。田舎の法事などでは疑わしいなあと思う品も有ったのですが。というわけで私はパセリを食べます、あれはあれで食べ始めると一種美味ではありますし。

先日テレビで日本人はパセリを食べない習慣があるみたいなことを言っているのを耳にしました。私が長年そうでしたし、学食でも社員食堂でも皿の返却の時大抵パセリも「返却」している光景を目にしていたのでそうだなあ、でも何故なのかなあと考え込みました。そして実はその理由を発見したのです。

答えは「はらん(葉蘭)」のせいです。今はほとんどがプラスティックの人造バランでこれはスーパーの食品売り場の花形のようなものですが、本来は植物であるのはご存知の通りで、私の生家のお向かいが寿司屋さんだったので板前さんが実に見事な模様を出刃を巧みに使って切り出すのを飽かずに眺めていたものです。この「はらん」は暦とした植物だったのですが食べられませんでした。昔は寿司や刺身に限らず和食には「間仕切り」や「飾り」・「彩り」として良く使われていました。

日本に「洋食」が登場し、パセリが洋食に添えられて出てきた時、当時の日本人はこれも飾りであって食べるのは恥ずかしいと、そう思ったのではないでしょうか。子供の頃年に一二度「洋食」を食べに連れて行って貰ったとき、「そんなものは食べるものじゃありません、行儀が悪い!」と貴方も叱られたのを思い出されたのではありませんか? そうですそのトラウマが長じて知識を得て以後も、あなたをパセリから遠ざけているのです・・・すべては「はらん」が巻き起こした「波瀾」なんてオチはつけません・・・^^


昔はここの常連で・・・嘘に決まってます・・・^^。「はらん」は本物ですが。
 

続:一つの大きな邪推

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月23日(土)02時18分38秒
返信・引用  編集済
  まず2週間ほど前にこのようなことを書きました。昨日の朝日新聞の夕刊はこう報じています。

『 大坪弘道・前大阪地検特捜部長の弁護団が22日の記者会見で読み上げた前部長の談話の内容は次の通り。

 特捜部長在任中、(厚生労働省元局長で無罪判決が確定した)村木(厚子さん)事件の捜査終結後、(証拠隠滅罪で起訴された)前田(恒彦)元主任検事がひそかに証拠品のフロッピーディスクのデータを改ざんするという、にわかに信じがたい事件を起こしました。これにより、検察捜査への信頼を大きく失墜させるとともに、多数の関係者に多大なご迷惑をおかけしたことにつきまして心からおわび申し上げ、監督者としての責任を痛感しております。

 前田元検事によるデータ改ざんは、今でも魔が差したとしか考えられません。私の厳しさと彼への期待が彼を追い込んだとしたら、申し訳ない気持ちであります。

 前田元検事の改ざん事件に端を発し、佐賀元明・元特捜部副部長とともに逮捕されましたが、事件の対応については、私たちには一片の私心もなかったことを明確に申し上げたいと考えております。

 検事任官以来、日夜努力を傾注し、長じては検察組織のため、いささかなりとも貢献し得たとのささやかな自負を持っております。このような形で検察を去ることになり、誠に残念です。』


私は私の「邪推」が「邪推」ではなかったのではないかとの気持ちを強くしはじめています。仮にも特捜部長といえば百戦錬磨の検察のベテランであることは間違い有りません。犯罪を追求する立場も追求される立場も十二分に弁えたプロフェショナルであることは誰もが認めるところでしょう。私が先ず腑に落ちないのはその彼等が、酸いも甘いも知り尽くした彼等が、依然として否認を貫いていることなのです。司法試験の難関をくぐり、公務員の世界でそして法曹の世界で幾多の荒波を掻い潜ってきた人物が、これだけ嘘を吐き続けるでしょうか? 「男らしくない」とか「潔くない」というような倫理観を持ち合わせておいででないとは、どうしても思えないのです。まして、嘘は、不正は必ず暴かれるということを身を以て知り尽くしておられる二人です。

私はこの二人は「故意の改竄」を本当に知らなかったのではないかと思っています。もしそうだとした場合二つのシナリオが必然的に組み上がります。

(一)「村木冤罪」の二の舞です。検察(いや、ややこしいですから最高検と言いましょうか)はまたもや罪のない二人を罪人に仕立てようとしている。破綻は火を見るより明らかです。

(二)最高検(或いは検事総長)は二人の無実を知っている。ある程度まで推移を見守った上で「誤認逮捕」を認めて謝罪する。そうすれば「検察」による「組織的犯罪」はやはり存在しなかったということが判明し、晴れて検察の公明正大さが世間に示され、かくて「検察」の権威は守られた。

こうなります。第二のシナリオこそが私の「一つの大きな邪推」なのです。検事総長も菅首相も極秘裏に承知の上で進められているシナリオです。しかしこれが日本の国民にとって最も幸せな結論なのでしょう。さ、あれかし!!!


しかしこの裏金問題はダメです。これは謝罪もなく揉み消されようとしている「検察の闇」です・・・。
 

続:ホームページの大移動終了

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月21日(木)12時27分15秒
返信・引用  編集済
  実は・・・実はお恥ずかしいのですが「インフォシーク」正確には「インフォシーク・iswebライト」の「広告非表示版」を使っていました、年間3,150円。それが突如中止になって「インフォシーク・iswebベーシック」年間6,300円に乗り換えなければいけなくなった、それで怒っていたのですが、ややこしいのでどうでも良い話はもうお読み頂かなくても結構ですが・・・続けます。「広告非表示版」の料金は来年の9月まで支払い済みなのです。さあどうしてくれる!!!と開き直ろうとしたら、まあ良く読まなければいけなかったのです。そういう人は、その契約の終了までは「iswebベーシック」が利用できるとのことでした。というわけで「人類歴史年表」と「人名歴史年表」は当面「三本立て」興行と相成りました。下に記した以外にこれこれが加わります。なあに見た目は何も変わりません、URLが違うだけです、あ、「ジオシティーズ」は広告が入りますね・・・(>_<)

日付けの更新は3サイトやらなければなりません。痛し痒し・・・とでもいうのでしょうか???
 

改訂:ホームページの大移動終了

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月19日(火)07時35分43秒
返信・引用  編集済
  私の運営しているホームページの主なもの三つを大移動しました。10月16日にここに書きましたが、「インフォシーク」が勝手にサービスを中止しました。悪質なのは長い間一年に3,150円取って「広告非表示」にしてきた我々に、更に倍の金額のものに乗り換えろと強要してきたことです。これが楽天の商法なのでしょうか?全く腹が立ったのでこちらから願い下げにいたしました。冗談もホドホドにしないといけません。

「人類歴史年表」はこちらへ・・・。
「人名歴史年表」はこちらへ・・・。
「ハンセン病のリンク集」はこちらへ・・・。

と移動しました。「ジオシティーズ」を選んだのは前にも書いたとおり、こちとらが死のうが生きようが淡々と流し続ける、そんな気がするのでまあ保険のようなものです。勝手に変更致しましてご迷惑をおかけする向きが少々発生するかも知れません、どうかお許しくださるようお願い致します。

なお細部に関しては修繕を要する箇所が全ページに有りますので、取り敢えずはトップページだけは治しましたが残る200ページばかりはコツコツと作業して参ります・・・なかなかどうして「旅支度」もそう簡単ではありませんでした・・・(>_<)


改訂点:「人類歴史年表」と「人類歴史年表」は来年の9月6日まで現状維持が可能と判明しましたので、二本立てとします。なおこの二つは夫婦とも死にそうになった時「eonet」から「geocities」に移行します。(以上10月23日04:33)
 

『これからの「正義」の話をしよう』をお奨めする理由

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月18日(月)01時45分12秒
返信・引用  編集済
  ようやく第2章を読み終わりました。そうですようやくなのです、トイレの中だけで読むからではなく、私にはこういう理論的な書き物は取っつきにくくてなかなかスイスイと先へ進まないからなのです。ベンサムとジョン・スチュアート・ミルの「功利主義」について第2章は取り上げて居ました。同じ所を何度も読み返してようやく意味が良く分かるようになってきました、翻訳者の癖にも慣れてきたこともあるのでしょうか。

政治哲学者が書いていると思うからいけないんだと気付き初めても来ました。ベンサムの説はこうで、反論が二つ出てきて、ミルがそれに対してこう妥協案を提示して、というような学問的な段取りを丁寧に追いかけるのがいけません。以下のようなところは良く分かるのです。ここでは快楽にも「上質な快楽」と「下劣な快楽」が有ることを説いています。以下はどうぞ「トイレの神様」を聴きながら気楽にお読みくださいませ・・・

その前に私がここで「下劣な快楽」と、本には出て来ない表現を使った理由を一つ。私は若い頃から「下劣な快楽」と知りつつそれらの快楽に耽りました。「それら」の中味はご想像に任せるとして、「下劣」を避けて「上質」を選ぼうと努力する「不満足なソクラテス」連中を私は私の中で「キザ」とか「自分に正直でない野郎」と決めつけて排斥してきました。今この本を読んで反省しきりでございます。では本題へどうぞ・・・

「われわれは、プラトンを読んだりオペラに行ったりするよりは、ソファにくつろいでテレビのホームコメディを見る方を好むことがないだろうか。そしてこうした気楽な行動を大した価値はないと思いつつ選んでしまうこともあるのではないだろうか。」

とか・・・

「ミルはきわめて優秀な人でも「ときには、誘惑に負けて」質の高い快楽より質の低い快楽を優先させてしまうことがあるのを認めている。誰でもときには、長椅子に横になってスナックでも食べながらテレビを見ていたいという欲望に屈してしまうものだ。だからと言ってレンブラントとテレビの再放送番組の違いがわからないということではない。ミルはこの点を印象的な一節で強調している。「満足した(満ち足りた)であるより不満足な(満ち足りた思いではない)人間であるほうがよく、満足した愚か者であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。そして、愚か者や豚の意見がこれと異なるなら、それは彼らがこの問題について自分自身の側しか知らないからだ(レンブラントの良さを考えようともしないからだ)。」
 ミルのこうした言葉には説得力がある。そこで表明されているのは、人間の高い能力が持つ基準への信頼である。しかし、こうした基準に頼ることにより、ミルは(本来の)功利主義の前提から逸脱している。何が高貴で何が卑しいかを判断する唯一の基準は、もはや現実の欲求ではない(ベンサムは願望や欲求が基準だと言うのですが)。いまやその基準は、われわれの願望や欲求とは無関係な人間の尊厳という理念から引き出されているのだ。質の高い快楽は、われわれがそれを好むから質が高いのではない。われわれがそれを好むのは、より質が高いと認識するからである。われわれが「ハムレット」を偉大な芸術と判断するのは、質の低い娯楽よりも「ハムレット」のほうが好きだからではなく、この作品がわれわれの最高の能力に訴え、われわれをより豊かな人間にしてくれるからなのだ。
 個人の権利についても、事情は質の高い快楽と同じことだ。ミルは、あらゆるものを快楽と苦痛による大雑把な計算に還元してしまうという(ベンサムに対する)非難から功利主義を救っている。だがそれには、効用そのものとは無関係な人間の尊厳や人格という道徳的理念に訴えるしかなかったのだ。」(以上太字や括弧内は転記者によります)

そうなのです「なんだ、なんてことはないじゃねえか。当たり前のことを言ってるだけなんだ」ということなのです。「あんまり漫画ばかり読んでないで、さ、勉強勉強!」というおばあちゃんの教えのことを言っているだけなのです。ただそれは人間の中のどういう部分のどういう働きが、おばあちゃんにそう言わせるのかということを、分かり易く分析してくれている、そういう本なのです。「正義」というのはおばあちゃんの教えであることは間違いない。翻訳者(か編集者)が何故「これからの正義(原題は”Justice-What's the Right Thing to Do ?"なのですが)・・・」という題名にしたか? それは現代の日本の若者が余りにも親やおばあちゃんの言うことをまともに聞き入れなくなったからではないかと私は思っています。これからは少し考え直しなさいよと。おそらく考えすぎでしょうけど・・・。私の言いたいのはこの本は「新しい正義」の概念を定義しようとしているのかな、という誤解を招く題名だけれどそうではありませんよということです。

それはさておきこの本がここで言っているのは・・・嫌な仕事を避けたりしないでコツコツと日々の勤めに励むことが自分を磨くことになるのです、だから「それ、おトイレを綺麗にしてきなさい」という・・・はい、つまりは「トイレの神様」なのですね・・・♪
不満足なソクラテス」というのは「トイレにいる女神様」のことかな・・・違うのにそう思えてくるのはなぜなんだろう・・・。
やっぱり泣いてしまいました・・・^^
 

プロ棋士対コンピューター

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月17日(日)11時05分49秒
返信・引用  編集済
  天声人語(朝日新聞2010年10月13日)から転記します。

 阿伽羅(あから)とは10の224乗のことで、とんでもない数らしい。「あから2010」というコンピューター将棋ソフトが、大きい名に恥じず、女流王将の清水市代さん(41)に勝った。コンピューターがプロを退けたのは初めてという▼敗者として科学史に名を刻むリスクを承知で、清水さんは受けて立った。まずはその勇気をたたえたい。敵は情報処理学会が手塩にかけた最強システムである。さすがの第一人者も持ち時間を使い切り、秒読みに追われてミスが出たらしい▼創立50年の記念事業を快挙で飾り、学会は大喜びだ。まさに阿伽羅ほどもある将棋の局面から、一流どころの棋譜を徹底的に覚え込ませたという。詰めに入って相手のうっかりを見逃すはずもない▼しかも、コンピューター将棋の世界選手権で鳴らした四つのプログラムが、各自の考えを多数決にかける合議型。清水さんは、手ごわい4人組と戦ったに等しい。将棋ソフトの進化を目の当たりにして、偶然も幸運もない理詰めの世界を実感した▼日本将棋連盟は、プロが公の場で許可なくソフトと対戦することを禁じている。だが、トップ級の勇気がソフトを磨き、強いソフトが棋士を鍛える。この競い合いに愛好者も酔うのだから、連盟は「頂上決戦」をためらうことはない▼秒読みに焦り、長時間の対局に疲れ、練達の士も過ちを犯す。ファンはそうした人間味を含めての名勝負に期待する。いわば敵陣の東大工学部で、清水さんは白い着物で機械を相手にした。その指し姿は、勝敗を超えて十分に美しかった。

今NHKのテレビ棋戦を視ていて数日前のこの記事を思い出しました。これも久し振りに読ませて呉れました。

ご存知のように朝日新聞は一時将棋の「名人戦」を独占掲載する契約を日本将棋連盟と結んでいました。後に毎日新聞にその権利を奪われましたが現在は共同契約の形で両紙が掲載しているのです。そういうわけで将棋についての関心は人ごとでなく強いわけですが、今回の天声人語の記事は少し裏を読まなければならないな、と、私は思っているのです、少し憤りを交えながら…。

何故憤りなのか?清水市代さんに打たせるからです。これは日本将棋連盟が逃げやがったなと直感しました。男の一流棋士を起ててこれがコンピューターに負けると、それこそ沽券に関わるからです。そういう無様なことを取り敢えず避けて様子を見ようと清水さんをスケープゴートにした、ケシカラン、卑劣です、男らしくない、やり方が・・・。

その間の事情を熟知している朝日新聞なのですが連盟との関係を悪くしては、又名人戦があちらへ行ってしまいかねない。案の定人間が負けてしまいました。天人は連盟に成り代わって清水さんにお詫びを言っているのではないかと、私は邪推してしまいます。勿論そのあたりを全て承知の助でお引き受けになった清水女流王将には心からの賛辞を呈するものですが・・・^^

「第15期倉敷藤花戦」挑戦者決定戦から(2007年9月28日)
 

井上順さん

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月17日(日)01時00分43秒
返信・引用  編集済
  「ごきげんよう」という番組を良く視聴き(みきき)します。というのは大体番組の半分のあたりで立ち上がって散歩に出るからです、散歩中はイヤフォーンで聴くので、だから「視聴きします」なのですが。数日前井上さんが話しました。今7人家族だ、と。独身の筈なのですが。なあに彼お得意の表現でこれはいわゆる「つかみ」です。飾ってある福助人形は「ふくちゃん」と言う名の家族、縫いぐるみは「ジャッキー」とか(この辺は良く聴いていなかったのでいい加減ですが)・・・ゴムの木が二本あって右のは「ミミ」左のは「メアリ」・・・つまらない話をしていると思ったら・・・「壁にあり障子に目あり」ってね、と。思わず爆笑しました、いつもこの人には一杯食わされます・・・(笑)


おとぼけの順さん♪♪♪
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2010年10月16日(土)13時29分6秒
返信・引用  編集済
  >されど息も絶え絶え2006年の5月に購入しているのでもう寿命なのでしょうか、いや先日メーカーに電話相談(2000円取られましたが)した時にサポーターの口ぶりに「ん?そんなに古い製品か」というニュアンスが感じられたので実は憤っております・・・^^

わたしは2002年の12月にパソコンを購入し、今年2010年の7月に買い換えました。買い換えるまで、いろいろトラブルがあり、ウイルスに感染したり、1回修理に出しました。はなしは変わりますが。

リベルさんは棺桶に片足とか、あの世に行くとか自分のことを年寄り扱いしてられますが、お年は75歳くらいでしょうか。まだまだ若い。笑

>生は六十歳から・・・

七十歳にしてお迎えが来たら「留守だ!」と言え

八十歳にしてお迎えが来たら「まだ早い!」と言え

九十歳にしてお迎えが来たら「さよう急(せ)かずともよい!」と言え

百歳にしてお迎えが来たら「よい折りを見てこちらからボツボツ出掛けて行く!」と言え

わたしはあまり長生きしたくないので

70歳でお迎えがきたら、「はい、すぐ行きます!」
80歳でお迎えがきたら、「待ってました!」
90歳でお迎えがきたら、「やっときた。!」
100歳でお迎えがきたら、「まちくたびれたよ」

わたしは思うのですが、人は自分で命を延ばすことも縮めることもできないと思うんです。
自ら命を絶つ(自殺)する人もいますが、助かってしまう場合もあります。
たしか生まれるに時があり、死ぬに時があるという言葉があったと思います。

仏教の教えでは死んだら、三途の川を渡るときに六文銭がいるのでしょうか。
わたしのお父さんがこんなことを言ったのを覚えています。
「金は大切にせなアカン。死んでも金がいるんや」と
 
    (リベル) エリカさんこんにちは。

面白いお話しを興味深く拝読しました。

>わたしは思うのですが、人は自分で命を延ばすことも縮めることもできないと思うんです。

私は悲観、楽観どちらの主義者でもないのですが、でも何でしょう妙に思い込んでいるのは、心の持ちようで命の長さを調節できるのではということです。出来るだけ前向きに明るく生きると長生きできるのではないかと・・・。

>「金は大切にせなアカン。死んでも金がいるんや」と

そんなことを言わないで下さい。私は死ぬことが出来なくなってしまいます・・・(笑)(10.16 17:08)
 

旅支度

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月16日(土)03時25分12秒
返信・引用  編集済
  そろそろ私も支度を始めなければなりません、はい「死出の旅路」のです。私が去って連れ合いもその後去ると現在のプロヴァイダとの契約が切れます。そうすると必然的にそれに伴ってサイトが消滅します。一番長持ちしそうなのはどうやらYahoo!の「ジオシティーズ」ではなかろうかと見極めを付けました。この判断が間違っているとお気付きの方は何卒お教え下さい、宜しくお願いします。

「人類歴史年表」「人名歴史年表」「ハンセン病のリンク集」をそれぞれクリックしていただくと新しいサイトが出ます。現在同じサイトが二つのプロヴァイダから見られるということです、ダブって存在を続けます。前の二つはトップページのリンク先を変更して置かなければなりませんが、それは簡単な作業で済みます。

お気付きかも知れませんが、今回ジオシティーズからスペースを得るために新しいIDを申請しました、「HistorySuburb」です。「歴史の近郊」というような気持ちで作りました。自分はあくまで歴史の専門家ではありませんし、そうなろうと思っても今から大学で勉強は無理です。と言うより自分の立場は「歴史」そのものを研究するのではないのです。「歴史」の読み方、見方を工夫しようとしているのです。市街地の真ん中ではなく外から、近郊から「歴史」を眺めて見ようとしているのです。まあそういう意味からこう名乗っています、とても謙虚な姿勢なのです・・・どうかな・・・(^^;)

さあ後は遺言を書けば、はいいつでもOK という案配です。ここで思い出しました、現役時代にメモ帳に書き留めていた面白いものを紹介させていただきます。メモ帳には「高野山普門院の高僧」としていましたが、今検索してみるとどうやら日本最初の禅寺聖福寺の住職で絵もよくした仙厓和尚(1750〜1837年)の言らしいです・・・

人生は六十歳から・・・

七十歳にしてお迎えが来たら「留守だ!」と言え

八十歳にしてお迎えが来たら「まだ早い!」と言え

九十歳にしてお迎えが来たら「さよう急(せ)かずともよい!」と言え

百歳にしてお迎えが来たら「よい折りを見てこちらからボツボツ出掛けて行く!」と言え


実際には87才で亡くなっていますからチョット目算が外れたようですが、でも当時としてはご長命だったのでしょう。私なんぞは、「まだまだ早い・・・」のですね・・・^^


仙厓和尚の円相図。(参考)解説にこう書かれています。「筆のかすれを気にとめることもなく、円相が一筆で描かれている。禅宗では、円相は悟りの境地や宇宙観を表すものである。しかし、仙厓はそれを餅に見立て、そんなものは茶菓子にして食べてしまえと言うのである。「世人くふ」、仙厓の禅の精神が表れたものと言えよう。画賛「れくふて 茶のむされ 左筆」」
 

これからの「正義」の話をしよう

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月15日(金)02時33分10秒
返信・引用  編集済
  10日の夕方でしたっけ、寝る前にPCに向かっていたらマイケル・サンデル氏の声がしました。「ハーバード白熱教室 in Japan」をやっていました。前に番組を観たときは進行の物珍しさに目を奪われて話の内容が把握しにくかったのですが「二角取り」というゲームの画面に目をやって聴いていると(勿論英語の所は別にして)話がとても良く飲み込めて・・・。話は違いますが連れ合いが「ナンパラ」というパズル雑誌の懸賞に応募していて2000円の図書券に当選、私に呉れました、で400円ほど足して書店で遂に垂涎の標題の本を買ってしまったというわけです。

案の定面白いです。アメリカ・インディアンの歴史はしばらく置いて、読み始めました。何を語るのかを先ず説明しているところに注目しました。もちろん「正義」について語るのに決まっているのですがそのアプローチには三つの方法があると言います。「幸福の最大化」、「自由の尊重」、「美徳の涵養」の三つだと。

先ず「最大多数の最大幸福」が正義なのだという考え方、次に「幸福」は保証されてもそれは「自由な状態」の中で得られたものでなければならない、そしてもう一つは「不道徳」なものは正義とは言えない。無理矢理簡単に言えばこういう事です。これから一冊を費やしてそれを論じようとしているのですから、こんな行き届かない説明でご勘弁願うしか有りません、何とぞお許しの上言いたいことをお汲み取り下さい。

具体的な例を挙げて説明してくれますから、とても分かり易いのは放送をお聞きになった方はご存知の通りです。ゴムボートで漂流している四人の話があります。一人我慢できなくて海水を飲んだため身体を壊してしまって息も絶え絶えとなった。食料も水も底をついた。本人を除く多数決で、殺してカリバニズムということになり、ギリギリで救助されたという実例があります。一人を犠牲にして三人が生き延びるのだから「最大多数の最大幸福」で「正義」であると言って良いのか?自分が生きるために人を殺すという「道徳上の問題」はどうなる?・・・とまあこんな風に考えさせ、何が真の「正義」かを探ろう、知ろうとするのです。本当だなあ、議論が発生するのは当然な問題です。そんなとき下の記事が目にとまりました・・・

朝日新聞2010年10月13日夕刊から二つの記事です。

中国共産党の引退幹部ら、「言論の自由」求め公開書簡

【北京=古谷浩一】中国共産党の引退幹部ら23人が、中国の憲法が定める「言論の自由」などが政府や党によって否定されているとして、その自由化を求める公開書簡を12日までにインターネット上に発表した。服役中の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏のノーベル平和賞の受賞決定を受けての行動とみられる。

 23人は故・毛沢東主席の元秘書で党組織部副部長だった李鋭氏や、共産党機関紙の人民日報元社長の胡績偉氏ら。書簡の文書は中国の複数のネット上で転載されたが、すでに当局の指示によるとみられる削除も始まっている。

 書簡は、中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)あてに、憲法35条は言論や出版、集会、結社などの自由を定めているのにもかかわらず、党や政府の細則によって、これが否定されているとし、「世界民主主義の歴史上の醜聞だ」と強く批判。そのうえで、記者の取材や報道の自由、党中央宣伝部の検閲の廃止、ネット上の言論封鎖や監視の廃止などを求めた。

中国、ノルウェーに次々「制裁」 ミュージカルも中止

【ロンドン=伊東和貴】ノーベル平和賞が中国の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏に決まったことを巡って、中国がノルウェーへの「制裁」措置を次々と繰り出している。訪中したノルウェーの閣僚と中国政府高官の会合を取りやめたのに続き、12日には、北京で来月催されるノルウェー人歌手のミュージカルを中止に追い込んだ。制裁が文化交流にまで発展した形だ。

 このミュージカルは「ある晴れた夜」と題し、ウェブサイトによると、肺の難病を抱えたノルウェー人マラソンランナーと足の不自由な中国人男性の友情を描いている。実話に基づく物語で2005年にも中国で上演され、今年は11月1、2日に北京で予定されていた。ノルウェーの著名な歌手に加え、中国のオーケストラやダンサーも演じることになっていた。

 ミュージカルの作曲者は「中止は(劉氏への)平和賞に対する罰で、ノルウェー人は中国で演じてはいけないと(中国当局に)言われた」とロイター通信に語った。

 平和賞を選考するノルウェーのノーベル賞委員会は政府から独立した存在。ノルウェー側は、その事実を何度も強調してきた。

 しかし、中国政府はここにきて、ノルウェー政府の複数の高官が劉氏の授賞を祝福する発言をしたことも問題視。ノルウェーのバルグハンセン漁業・沿岸問題相と、漁業と食の安全を担当する2次官との間で13日に予定されていた会談をいずれも中止にした。


先日は尖閣列島の問題で幼児性を遺憾なく発揮した中国ですが、またやっています。これは倫理観の問題だと先日私は言いました。儒教発祥の国が何を考えてんだか?と。でもそうですね倫理観とか幼児性の観点の他に、上に書いたことも視野に入れなければいけないと気付きました。中国の方程式は「幸福の最大化」、「自由の尊重」いずれのアプローチからも「正義」からほど遠いのだなあということが、明確に浮き彫りにされてきます。

上の最初の記事は自浄作用の予兆と言えるでしょうし、国際世論に鈍感な国でも無いようですから、まあ「悪ガキ」と見做して唾棄しておきましょう。正義は必ず実現されると信じて・・・^^


こちらは未だ直っていません・・・
 

PCの若返り

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月13日(水)17時27分17秒
返信・引用
  前に書いたことがありますがPCがダウン寸前で、いやそれには違いなく「リカヴァリ」はもう一刻も早くやらなければならない状態ではあるのですが、でもどういう訳か色々な機能が蘇ってきているのです。先ず「スキャナ」はキャノンに電話して簡単に回復。次にOCRの「読取革命」これは「スタート・メニュー」の「読取革命」のアイコンが真っ白になったままなのですがクリックしたら正常に使えて、OK。年賀状制作のソフト「筆ぐるめ」も電話して数分で解決。最後に「PDF」、これはインストールしても「インストールに失敗しました」というメッセージが出るのですが「エイッ!」とばかりにトライしたらなんとチャント起動するではありませんか。久し振りにPDFの画面を目にして実は涙目になってしまいました。

されど息も絶え絶え2006年の5月に購入しているのでもう寿命なのでしょうか、いや先日メーカーに電話相談(2000円取られましたが)した時にサポーターの口ぶりに「ん?そんなに古い製品か」というニュアンスが感じられたので実は憤っております・・・^^

されど・・・PCもいや「若返る」という言葉とは縁遠いのが現実なので御座います、はい・・・(^^;)
 

You make me want to be a better man.

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月12日(火)06時55分26秒
返信・引用  編集済
  映画「恋愛小説家」の話(10月11日)を修正しましたのでどうぞ↓。面白いです♪♪♪  

Re: 棺桶に入った話

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年10月11日(月)15時06分19秒
返信・引用
  > No.4850[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  面白い話有難うございました。
 小生は一時沖縄にいたので、戦時中は、大きな沖縄の墓地に、米軍の攻撃を避けてはいる話はたくさん聞きました。もっともそこも危ないので、宮古島では昔の風葬の跡に入り込む話も聞きました。頭蓋骨などがあるので、戦後は大きな碑を作って、骨などをまとめていました。碑というのが観音像でした。宮古島では、そういう風習はないのですが、本土の人が募金して作っていました。

 Ichiro
 
    (管理人) Ichiroさんこんばんは。

風葬といえば、先史時代のインディアンの化石が無いのは彼等の風習として、亡骸は岩の上に晒したからという説もあるようですね・・・。(10.11 17:53)
 

棺桶に入った話

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月11日(月)13時36分54秒
返信・引用  編集済
  小学5年生の時私は後醍醐天皇の籠城で有名な笠置山の麓の笠置小学校へ通っていました。当時住んでいた福知山は実は京都からの集団疎開で旅館や学校が満室状態だったのですが、近くに軍港舞鶴や川崎航空機の工場が有ったので考えすぎた父が徹底的に空襲の無さそうな笠置へ疎開させたのです。

悪ガキだった私は物干し竿で遠くから蜂の巣をつついたのに、賢いアシナガバチに竿伝いに逆襲され頭のてっぺんを刺されて泣きながら帰ったりしていました。そんな或る日近所の竹藪へ奥深く入り込んでいて、落とし穴にストンと落っこちました。尻餅をついた状態で目を上げると向き合って誰か座っているのです。苔や土をかぶっているので最初は良く分からなかったのですがそうなんです、骸骨が座っていました。私は声も上げられずひたすら這い出して必死で走りました。這々の体で叔母の家に逃げ込んで息を切らしながら報告すると、なんとそこは放置されてしまった昔の墓地だったのですね。土葬された座棺の蓋を踏み破ったのでしょう、土地の人は誰も足を踏み入れるわけがありませんから、余所者の私が藪から棒に永眠中の安息を攪乱したことになります。

インディアンの文化を読み漁っていて土葬の風習の箇所でフト思い出してしまいました、長い間忘れようとしていたのか、思い出さなかったのに。やはりお迎えが近いせいかもしれません。棺桶に片足突っ込んでいるという私ですが、思えば一度キッチリ入ったことがあったのですね。いやあの方には済まなかった、驚かせてしまって。もうこの時代には無縁仏としてちゃんと墓石を建てておもらいでしょう・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。


紀元前6世紀頃のエトルリアの石棺(「配偶者のサルコファガス」)です。こんなのに入るのも粋ですね、そうでもないか・・・^^
 

映画「恋愛小説家」・You make me want to be a better man.

 投稿者:リベル  投稿日:2010年10月11日(月)07時28分58秒
返信・引用  編集済
  もう一度DVDを観て「字幕」でなく「吹き替え」の日本語訳を追加する予定です。エラク気に入ってしまってアマゾンに申し込んでしまいました。二度観たのですが、いやずっと前に一度観ていたので正確には三度目なのですが、主演の二人ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントがオスカーをダブル受賞という演技も勿論、話の奥行きが予想以上に深くて遂に1645円投入♪♪♪

Melvin Udall: I've got a really great compliment for you, and it's true.
Carol Connelly: I'm so afraid you're about to say something awful.
Melvin Udall: Don't be pessimistic, it's not your style. Okay, here I go: Clearly, a mistake. I've got this, what - ailment? My doctor, a shrink that I used to go to all the time, he says that in fifty or sixty percent of the cases, a pill really helps. I *hate* pills, very dangerous thing, pills. Hate. I'm using the word "hate" here, about pills. Hate. My compliment is, that night when you came over and told me that you would never... well, you were there, you know what you said. Well, my compliment to you is, the next morning, I started taking the pills.
Carol Connelly: I don't quite get how that's a compliment for me.
Melvin Udall: You make me want to be a better man.
Carol Connelly: ...That's maybe the best compliment of my life.
Melvin Udall: Well, maybe I overshot a little, because I was aiming at just enough to keep you from walking out.

吹き替えのセリフ
メルヴィン:それじゃあ君のために心を込めた最高の褒め言葉を進呈しよう・・・
キャロル:また非道いこと言われそうで恐ろしいわ。
メルヴィン:悲観的なことを言うなよ、君らしくないぞ・・・。よし、じゃあ行くよ・・・これは言うべきじゃないけど・・・私にはまあなんて言うか持病がある。いつも話を聞いて貰っている精神分析の医者がいるんだけど、彼が言うには50%から60%の人は薬で治るそうなんだが・・・。薬が嫌いでね、薬ってのは危険でねえ大嫌いだ。私は薬にしか嫌いという言葉は使わないことにしているくらいでね。で、褒め言葉なんだけど、この前の晩うちへ来て君は言っただろう、私とは絶対に・・・ああ、それは良い、正直な気持ちを言ったんだからかまわないんだ。 で、何故君を褒めたいかというと、あの次の日の朝から私は薬を飲み始めたんだ。
キャロル:それが何故私を褒めることになるわけ?
メルヴィン:お陰で、ましになろうと思うようになった・・・。
・・・ここでのヘレン・ハントの表情の変化が凄い、これぞアカデミー賞級の演技!!!・・・
キャロル:たぶんそれ今までで最高の褒め言葉だわ・・・。
メルヴィン:ちょっと褒めすぎだったかな、なんせ君に出て行かれると大変だと思って必死だったから・・・。

見せ場の一つをご紹介しましたが、とても紙面では伝えられない名場面でした。後にもう一つの山場が有るのですがそれは是非ご覧になってお確かめ下さい・・・^^

この映画の原題は「AS GOOD AS IT GETS」という難しいものですが、ググると皆さんお悩みの模様で、解説が豊富です^^。


このシーンです。
 

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